第五十八話 妹との再会
『レイドリオン大陸』の交易路の中心地である『王都クライゼール』は、交易と商業の街としても知られていた。
様々な商売を行なう多数の商会があり、陸路では隊商を組み、荷馬車を連ねて各地へ赴き、海路では大型船が船団を組み、南の諸都市や熱帯の植民都市、西方の半島、その先の西の大陸にまで交易に行く。
そうした商会の活動と肥沃な農地により、『ロルドニア王国』には莫大な富が齎されるのであった。
王国には有力な商家が幾つかあるが、その中でも最も手広く商売をし、豊富な資金を動かしている事で知られているのが、『カリビング商会』である。
その現在の当主は、ベルシェ・カリビング。
三十年前、若干二十三歳で商会を父から引き継ぎ、コツコツと地道な努力を続け、その財を減らす事無く増やして来た苦労人である。
そしてベルシェには、家を継いだ時に結婚した妻がいた。
彼よりも二つ年上だが、彼との間に三人の男子を儲け、長く彼を支え続けて来た賢女。
それが、イルメッタ・カリビング夫人。
三十年前まで、ライガ・ツキカゲと共にパーティを組んでいた冒険者であった女である。
「おおっ、流石カリビング家。大きなお屋敷だな~」
セディルは立派な門の前に立ち、敷地の中に聳える三階建ての館を眺めた。
規模だけで言えば、帝都にあるクレイム伯爵の屋敷よりも大きい。
クレイム家は富豪だが、代々質実剛健な家風を持ち、伯爵自身も資産の割には質素な暮らしを良しとしていた。
しかしカリビング家は、裕福な商家としての見栄とハッタリの為もあるのか、下手な貴族の家よりも立派な屋敷を構えているのだった。
「カリビング商会は、今絶頂期にありますからねえ。西の大陸との間に新しい交易船団を擁し、これから益々栄えるみたいですよ」
ライトレインが最近の商会の状況を、異邦人たるセディル達に説明した。
大陸間貿易は、危険こそあるものの、成功すれば巨万の富を得る事が出来る大きな商いでもある。
カリビング商会は、冒険者や冒険商人にも投資を行ない、未知の交易品の発見や新たな交易路の開拓も行っているのだ。
ガリアンドの酒場で昼食を取り終えたセディル達は、フェルセイス、ライトレインらと共に、ここカリビング家の屋敷へとやって来た。
その間、ライガとフェルセイスは、一言も口を開かない。
二人の間に流れる重たい空気に、エリーとアンナも会話を挟めない。
しかしセディルとライトレインだけは、そんなものは気にしないとばかりに話を弾ませていた。
「でも、そうか~、フェルセイスさんも、師匠が十五年前にイルメッタさんに預けていたんですね。セディナとも知り合いに成っていたとは、奇遇です」
くるりと身体の向きを変え、セディルはフェルセイスに相対してそう言った。
師の娘にして、自分が関われなかった妹の七年間を知る黒い肌の美女に、彼も興味を持っていたのだ。
「……君の事は、あの子から良く聞いていたわ。とても優しくて、格好の良い兄だと」
そのセディルを、フェルセイスじっと見つめる。
少年の顔には包帯が巻かれているが、その変わった姿も、彼女はセディナで見慣れているらしい。
「いや~、そこまで言われると、照れますね」
妹が周囲に語っていたらしい、その兄への高評価を聞き、セディルは目尻を下げて指先で頬を掻く。
この七年の間、妹がどうのように成長したのかは、彼もまだ知らない。
だが、セディナが今でも兄を慕っている、という事をフェルセイスから聞き、セディルは嬉しかった。
「セディナ君には、私も会いましたよ。元気が良くて、可愛い子ですね。いつもお兄ちゃんに会いたいと言っていましたから、セディル君が会いに行けば、きっと大喜びしますよ」
ライトレインも、セディナの事を知っていた。
彼はフェルセイスとパーティを組み、冒険をして来た。
その中には、カリビング家からの依頼も幾度かあり、彼も彼女と同様、この屋敷への出入りを許されているのであった。
「うんうん、元気なのは良い事です。僕もセディナには、会いたかったから」
可愛い妹との再会まで、あと少し。
包帯を巻かれたセディルの顔は、その下で喜びに輝いていた。
「……君は、あの男の弟子なのね?」
そんな彼に、フェルセイスが訊ねる。
彼女も、イルメッタから話だけは聞いていた。
七年前、ライガはセディナの兄を弟子に取ったと。
初めてその話を聞いた時には、彼女もそんな馬鹿な事がある筈は無いと思った。
しかしセディナと知り合い、彼女からも話を聞く内に、それは事実なのだろうと思えるようになった。
娘と冒険者人生を投げ捨てて、負け犬に成った筈の男が、何故今更弟子を取ったのか。
フェルセイスは、セディナと同じく顔に包帯を巻いている、奇妙な少年を見つめた。
「はい、そうです。師匠の下で修業して七年掛かりましたけど、最近やっと『師匠と同じ職』に就く事が出来ました」
少年は、自分の発言の一箇所を、意味深げに強調した。
師と同じ職。
その言葉を聞き、フェルセイスの柳眉がピクッと動いた。
彼女の目が、セディルの黒い瞳と合う。
そこに浮かぶ光を見て、フェルセイスは少年への認識を改めなければ成らない事を悟った。
彼は只の下忍ではなく、彼女の父と同じ『本物の忍者』なのだ。
「ほほう、その歳で早くも職に就くとは、セディナ君と同様に優秀ですねセディル君。彼女が、兄自慢していただけの事はありますよ」
流石にセディルが忍者だという事は知らないが、それでも十二歳で職に就き、冒険者に成るという野心溢れる才能に、ライトレインは賛辞を送る。
「という事は、やっぱりセディナも職には就けたんだ?」
「ええ、就けましたよ。セディナ君も頑張って修行に励んでいましたから、十二歳で『上位職』に就くという偉業を達成しました。凄い事ですよ、これは」
ライトレインが褒め称えるのも、無理は無い。
普通、人が最初に就くのは、『基本職』とその派生職だけだった。
上位職に就く為には、基本職よりも高い能力値が要求されるので、通常は『転職』する事によって上位の職に就くのである。
「セディナが、上位職に就いた?」
それはセディルにとって驚きと同時に、喜びであった。
七年前は文字も読めない幼子だった為に、セディナは自分の【ステータス】を知る事が出来なかった。
しかしどうやら彼の妹は、彼の妻と成った天使エリーと同様、天より高い才能を与えられていたらしい。
彼女が仲間に加わってくれれば、セディルのパーティの戦力強化に大きく貢献してくれる事だろう。
「……セディル、お前の妹という事は、その娘もお前のような変わり者なのですね?」
その天使にして賢者であるエリーが、契約結婚したセディルに、彼の肉親の事を訊ねる。
「いやいや、そんな事はないよ。セディナは、普通の女の子だったから。お兄ちゃん、お兄ちゃんって言いながら、僕の後を付いて来た可愛い子だよ」
昔の仲良く過ごしていた幼少期を思い出し、セディルはエリーに妹との思い出を熱く語った。
あれから七年。
ついに彼は、妹との再会の日を迎えたのだ。
「そうそう、エリーにとっても義妹に成るんだから、虐めちゃ駄目だよ」
「そんな事はしませんわ。わたくしを何だと思っていますの」
セディルにそう言われ、不満げに頬を膨らませるエリー。
彼女の自己評価によれば、自分は子供には優しいお姉さん、という事に成っているらしい。
そして彼らは、カリビング家の敷地に続く門を潜った。
フェルセイスとライトレインが居るので、顔馴染みの守衛も、問題無く彼らを通してくれた。
城壁の中にあるとは思えない程、屋敷の前庭は広く、手入れされた花壇には花が咲き、見事な噴水も設置されている。
屋敷の窓には、全て板ガラスが嵌められ、瀟洒な彫刻も所々に見える。
正面の玄関には、これまた立派な両開きの扉があり、獣の口を模した彫刻に咥えられた大きなノッカーが付いていた。
フェルセイスがそれを叩くと、少しして扉が開き、中からパリッと仕立てられた執事のような格好をした、一人の男が現れた。
年の頃は、二十代の後半くらい。
割りと長身で灰色の髪からピンと伸びた獣耳が見え、腰の後ろには狼のような尻尾も見える。
彼は灰色狼の特徴を持った、獣人なのだ。
目付きは鋭いが、ライガやフェルセイスのような戦いを生業にしている者とは違い、鑑定士のような目利きの眼光を持っている。
「これは、フェルセイス様、ライトレイン様。ようこそ、おいで下さいました」
獣人の男は丁寧な言葉で、二人の顔見知りを出迎えた。
彼は、少年時代からカリビング家に仕えて来た男で、商会で主に書記や通訳を務める、ベルジア・キームであった。
「それに……、これはこれは、ライガ様ではありませんか。お久し振りでございます」
「ああ」
ライガも見知った男に、短く返事をした。
カリビング家に仕えるベルジアの事は、彼も知っていた。
十年前、まだ十代の頃のベルジアは、ジーネボリスへの商隊に参加しており、ライガとも面識を得ていたのだ。
「ベルジア、イルメッタさんはご在宅かしら? ちょっと、話したい事があるのだけれど……」
そう切り出したのは、フェルセイスだった。
彼女は十五年前から冒険者に成るまで、この屋敷で暮らしていたので、ベルジアとも長い付き合いがある。
「奥方様に、ご用ですか? はい、確かに奥方様は、ご在宅でございます。ただ……」
ベルジアは訓練された軍用犬の様に、冷徹に忠実に職務を果たす男だが、今僅かに思案するかのように、皆の顔を見つめた。
彼の知る三人以外、見知らぬ女性と二人の子供の居る一行。
その子供の一人、顔に包帯を巻いた黒髪の少年に、彼の視線が僅かな時間注がれる。
「申し訳ありませんが、ただ今奥方様の下には、大切なお客様がいらしております。そちらのお方とのお話が済まない限り、皆様とはお会い出来ないかと……」
そして、そうキッパリと、彼は皆に事情を説明した。
今イルメッタは、別の来客と話をしているので、出ては来られないと。
「イルメッタさんに来客? ええ、構わないわ。待たせて貰えるなら、待つわよ」
フェルセイスがそう言うと、ベルジアは一礼し、彼らを屋敷の中へと招き入れた。
カリビング家の屋敷の玄関ホールを抜けた先は、二階までの吹き抜けの広間になっていた。
床に敷かれた大きな異国の絨毯、壁に飾られる絵画、置かれた名工の彫刻等々、如何にも金持ちの家にありそうな品々がまず目に入り込む。
これらは商会の隆盛を示す、一種の社会的信用を保証する物であり、ただ富貴を自慢するだけの為に置かれている訳ではない。
それはこのカリビング家が関わる交易先で得た物や、後援する芸術家から買い上げたであろう品。
必然、この館の主の趣味が反映されたものなのである。
「落ち着いた雰囲気の、良い仕事の調度品ばかりですね。イルメッタさんの旦那さんは、成金趣味とは無縁みたいだ」
屋敷の広間を見渡したセディルは、そんな感想を口にした。
いずれの品々も、派手さを押さえ、その巧みな技能を生かした仕上がりに成っている。
黄金であちらこちらを飾りたてるような下品な感性を、この屋敷の主は持ち合わせていないのだ。
「そうですわね……、お父様とも趣味が合いそうですわ」
同じような感想を持ったのは、エリーだった。
かつての彼女の屋敷も、資産の割には質素に飾られていた。
それは彼女の父親、クレイム伯爵の人柄と趣味によるものだった。
「では、奥方様とお客様のお話が済むまで、こちらでお待ち下さい」
ベルジアの案内で、皆は屋敷の応接室に通された。
この部屋も、客人を持て成す為に整えられた立派なテーブルや椅子が置かれている。
「皆様のご来訪は、奥方様にお伝え致します。使用人に命じ、お茶のご用もすぐに」
そう言って、ベルジアは部屋を出ようとした。
「ええと……、ベルジアさん、と呼んでも良いですか?」
そんな彼に、セディルが声を掛ける。
呼ばれたベルジアは表情一つ変えずに振り向き、セディルに対面した。
「ええ、構いません」
「ありがとうございます。僕の名前はセディル・レイド。こちらでお世話に成っている、セディナ・レイドの兄です」
そう名乗ったセディルの姿を、ベルジアがその鋭い目で見つめる。
その目に映る姿は、彼の良く知る者に瓜二つだったようだ。
「そうですか。やはり君が、セディナ嬢の兄なのですね」
見当は付けていたのだろうが、セディルの話を聞いて、ベルジアは納得した様子で頷いた。
「妹は、今この屋敷に居るんですか?」
「ええ、居ります。今の時間でしたら、いつものように裏庭で修業に励んでいる筈です」
ベルジアの返事を聞き、セディルは妹が近くに居る事を知った。
彼女との再会の時は、もうすぐそこに近付いている。
「宜しければ、彼女を此処に呼びますが?」
「頼んでも、良いんですか?」
「問題ありません」
厳格な口調で、ベルジアはセディナを此処に呼ぶ事を承知してくれた。
「ありがとうございます、ベルジアさん」
部屋を出るベルジアに礼を言い、セディルは港同じく、応接室の椅子に腰掛ける。
ほとんど時を置かずに、部屋には屋敷の使用人が、銀の盆にお茶の入ったカップを載せてやって来た。
焼き締めた磁器のカップも、香しいお茶も安物ではない。
ベルジアの指示だとしたら、フェルセイスとライトレインだけでなく、見知らぬ筈のセディル達も客人として扱われているのだろう。
「それにしても、僕達の先客って、誰だろう?」
遠慮無くお茶で喉を潤しつつ、ふとセディルが疑問を口にする。
イルメッタには重要な来客があったので、今は出て来られない。
ベルジアはそう言っていた。
息子達も成人し、今は大富豪の夫人として悠々自適の生活を送っているのが、彼女なのだ。
そんな彼女の客人とは、誰なのか。
セディルが、何気無く考えを巡らせている時だった。
応接室の外から、ガチャッガチャッという激しく何かが鳴る音と、誰かが足早に走って来るドタドタした足音が聞こえて来た。
その音は、段々と部屋に近付いて来る。
「うん?」
その足音に反応し、皆の視線が部屋の扉に向いた。
すると激しい音は止まる事無く、この部屋まで一直線に向かって来る。
そして、そのまま勢いを減じず、体当たり同然にバンッと乱暴に扉が押し開かれた。
同時に、甲高い声が部屋中に響く。
「アァァァァ、ニィィィィ、キィィィィーーーーッッ!!!」
腹の底から叫ばれるその大音声は、応接室に居る唯一人に向けられていた。
その対象者は、セディル。
忍者少年は、部屋に飛び込んで来た人物を、まじまじと眺める。
そこに現れたのは、鋭く砥がれた十文字槍を担いだ、黒い鎧の武者であった。
頭には鍬形の立物が付いた兜を被り、顔には恐ろしげな鬼面を模した東方細工の面貌を着けているので、容貌は判らない。
背中には、二本の『東方刀』を☓印のように交差させて背負っている。
背丈は小柄で、セディルと同じくらいだが、その出で立ちはどう見ても東方の戦士職『野武士』や『侍』に就いた者が、戦場に出る時の戦装束であった。
そんな厳つい姿の鎧武者が、何故か歓喜の雄叫びを上げながらセディルに迫って来る。
「誰?」
目を丸くした少年は、当然の疑問を自然と言葉にした。
彼には、生まれ変わってこの方、こんな物騒な姿の知り合いはいないのだ。
「アニキだっ、アニキッ、本物のアニキだーッ!!」
東方の鎧武者は、感極まった様子でガチャガチャと鎧を鳴らし、担いだ槍を振り回す。
「だから……、誰?」
いつものセディルらしくもなく、呆然とした様子で言葉を繰り返す。
その目からは、何故か段々と色が失われ始めていた。
「何だよ、どうしたんだよ、アニキッ! アタシだよ、アタシッ! アニキの双子の妹のセディナだよっ!!」
興奮した様子でそう言った鎧武者が、顔に着けていた鬼の面貌を外し、兜を脱いだ。
そこに、セディルが見たものは。
零れ落ちる長い黒髪、深雪の様に白い肌、そして豊かな生命力に輝く黒い瞳。
まるで鏡を見るかのように、彼と全く同じ顔。
「……本当に、……セディナ、なの?」
認めたくは無い。
しかし、これは現実。
忍者とは、現実から目を背けぬ者。
現実は、ありのまま認めるしかない。
セディルは、七年振りに『人斬り』の職に就いた妹、セディナ・レイドと再会したのである。




