第五十九話 誤算
「奥方様、少し宜しいでしょうか?」
イルメッタの私室の扉を軽くノックし、ベルジアは中に居る己の主人の一人に、そう声を掛けた。
今日はこの屋敷に複数の来客があり、彼はその対応に追われていた。
中でも、今この部屋の中で女主人と会談している相手は、重要人物であった。
「あら、ベルジア。何かあったの?」
「はい、失礼致します」
一言断ってから、ベルジアは扉を開けて部屋の中に足を踏み入れた。
上品に整えられたその部屋の中で、二人の人物が重厚なテーブルを挟み、向かい合せに座っていた。
一人は、三十代後半の妙齢の婦人。
もう一人は、五十を過ぎたであろう初老の男。
黒い毛に白いものが混じった髪と髭を持つ、知性溢れる厳格そうな顔立ちに、魔術師が一般的に着ている、ゆったりとしたローブを身に纏っている。
「お話中、申し訳ありません、宰相閣下。ご無礼をお許し下さい」
ベルジアは、女主人と話す男性にそう非礼を詫びた。
彼の名は、ヴァルデム・オリオス。
このロルドニア王国の最上位の貴族であるオリオス公爵家の当主にして、若い女王の右腕として辣腕を振るう王国宰相を務める人物であった。
「いや、構わん。こちらの用件は、もう済んだところだ」
宰相ヴァルデムは、ベルジアの謝罪に鷹揚な返事をする。
実質、王国の統治を預かる者として、彼は厳格ながらも柔軟な思考を持っていた。
「では、今の話の一件。宜しく頼むよ、イルメッタ。これだけは私も、君にしか頼めないし、こんな事は君にしか出来ないだろう」
そう言って、宰相は座っていた椅子から立ち上がる。
その顔には、中々に深刻そうな様子が見て取れた。
大国の宰相程の者が、大商家の奥方とはいえ、平民の婦人に頼まなければならない重大事。
それを聞いても、キチンと躾けられたベルジアは眉一つ動かさない。
「期待されておいて申し訳ないけれど、私にだってそんな事は、無理だと思うわ」
宰相の頼み事。
イルメッタはそれを心の中で反芻し、溜め息を吐く。
「無理を承知の頼みだ。この件には、この国の存亡が掛かっている。今我々には、どうしても必要なのだ、『あの男』が……」
宰相ヴァルデムは目を閉じ、ギュッと拳を握り締めた。
在りし日の事を思い出し、彼は改めて自分の考えに間違いが無い事を確認する。
「事情は判ったわ。必要なら、私も直接会いに行くわよ。でも……、彼の説得は、そう簡単な話ではないのよ」
旧友でもある男ヴァルデムからの、無茶な頼み事を聞き、困った様子のイルメッタ。
どう考えても、それが容易に可能だとは、彼女にも思えなかったからだ。
「それに……、彼に会うにしても、まずはその所在を突き止めないといけないわね。ジーネボリス帝国の一件、あの皇帝殺害事件で、クレイム伯爵家の別荘に居た筈の彼も行方知れずだから」
その事実を彼女に指摘され、ヴァルデムの厳格な眉間に深い皺が寄る。
北の大国で起こった空前絶後の大事件から、一ヶ月余り。
その情報は既に大陸中を駆け巡り、此処ロルドニアでも当然のように、広く一般の人々の間にまで知られていた。
そして、ヴァルデムの求める男は、その事件の中心人物に雇われていたのだ。
事件の影響を受けて、イルメッタも今、彼とは音信不通と成っている。
「どうしようかしら……?」
それでもと思案しつつ、イルメッタは何かの用件を伝えに来たベルジアに目を向ける。
「ところで、何の用で此処に来たのかしら、ベルジア?」
「はい、奥方様。先程、奥方様にお会いしたいと、この屋敷にお客様がお見えに成りました」
「あら、どなたが?」
「はい、フェルセイス様とライトレイン様です」
ベルジアがその来客の名を告げると、イルメッタだけでなく、ヴァルデムもまたハッと驚いた様子で彼の顔を見返した。
「そうか彼女が……、フェルセイスがいたか。例の一件、王国の調査依頼に応じた凄腕の冒険者という事で、話は聞いていたが……」
「彼の説得を、彼女にも頼むつもり? 寧ろ、余計に話が拗れそうよ」
ヴァルデムの希望を見い出したような表情とは裏腹に、イルメッタは眉を顰めた。
フェルセイスの性格と心情を知る彼女には、それは悪手にも思えたからだ。
「使えそうな手ならば、何でも使うさ。手段を選べる程の余裕は、我々には無いのでな」
宰相としての厳しい現実認識に立ち、ヴァルデムは様々な決断を下す覚悟を決めなければならない、難しい立場にあった。
「それと、宜しいでしょうか、奥方様」
「何かしら?」
まだ何か報告する事がありそうなベルジアに、イルメッタが視線を向ける。
「はい、お客様は他にもいらしておられます。ジーネボリス帝国から、ライガ・ツキカゲ様とそのお仲間の方々です」
そうベルジアが口にした時、イルメッタとヴァルデムの目が大いに見開かれた。
二人共、青天の霹靂を聞いたように、一瞬固まる。
所在不明となっていた捜し人が、いきなり見つかってしまったからだ。
「な……、何だと!?」
「あらあら、凄い偶然ね……」
娘だけでなく、その父までもが、今この屋敷に居る。
忍者ハイマスター、ライガ・ツキカゲの北方よりの来訪。
それは、この国にとって救い主の出現と成るのだろうか。
ロルドニア王国の王都クライゼールにある、大商家カリビング家の屋敷。
その応接室に於いて、セディルは七年前に別れた双子の妹セディナとの再会を果たした。
「会えたんだっ! アタシ、やっとアニキに会えたんだっ!」
そう叫びながら東方甲冑姿の少女が、感極まった様子でセディルに抱き付く。
少女は心の底から兄との再会を喜び、感動の涙を流しているが、鎧を着たまま抱き付かれたセディルは、胸に押し付けられるゴツイ鎧の硬さを感じ取り、どこか遠くを眺めていた。
セディルと全く同じ顔に浮かぶ、嬉しそうで無邪気な表情。
そこには確かに、幼い日の妹の面影が垣間見える。
彼女は、彼の双子の妹セディナに間違いない。
「うん、そうだよね……、セディナに会えたんだから、僕も嬉しいよ。確かに、嬉しいんだ……、そう思わなきゃ、お兄ちゃん失格だよね……」
放心した表情で、大根役者のような棒読み台詞を口にしたセディルだったが、現実を受け止める方向へと意識だけは切り替えて行く。
そして切り替えてみると、今のセディナの現状が見えて来る。
「……セディナ、やっと会えたね」
「アニキ……」
七年振りの兄妹の抱擁。
流石にそれに水を差すような無粋な者は、この場には居なかった。
皆、それぞれの思いを抱きつつ、兄妹の再会を見つめている。
「ところで、セディナ。僕の質問に答えてくれるかな?」
「うん、アタシ、アニキになら何でも答えるよ」
何の疑いも無く、キラキラとした真っ直ぐな眼差しを妹は兄に向ける。
(あの大人しくて可愛い女の子だったセディナが、こんなガサツでお転婆な……、いやいや、前向きな評価で言うと――、快活で元気な女の子に成っているなんて……)
いったい、彼女の身に何が起こったのか。
セディルは、かつて妹をイルメッタに預けた時の事を思い出す。
彼は、イルメッタに言ったのだ。
妹は、彼女のようなお淑やかな女の子に育てて欲しい、と。
(それが、どうしてこうなったの?)
兄の頭には、疑問符がいっぱい浮かんでいた。
「ねえ、セディナ。セディナは、イルメッタさんに育てて貰ったんだよね?}
「うん、そうだよ、アニキ。アタシ、七年前アニキに言われた通り、イルメッタさんみたいな女の子に成る為に、一生懸命頑張ったんだっ! 今じゃあ、イルメッタさんも昔の自分にそっくりだって、言ってくれているよっ!」
「………………」
兄に褒めて貰おうと、ドヤ顔で胸を張る黒い鎧武者姿の妹を見つめ、セディルは自分が何かを間違えた事に気付く。
「あの、師匠……、イルメッタさんの職業……、師匠のパーティに居た時、癒し手の僧侶とかじゃなかったんですか?」
本当は、もっと前に聞いて置くべき事だったと後悔しつつ、セディルは恐る恐る、後ろに控える師に今更ながらの確認を取った。
「……僧侶だったのは、俺の妻に成った『闇僧侶』のルナセイスだ。イルメッタは、俺と同じ前衛職。東方の『人斬り』だったぞ」
いつもの彫像顔で、ライガは弟子に過去の真実を告げる。
「………………」
そう、彼の娘のフェルセイスが、闇僧侶だと聞いた時にそれに気付くべきだった。
彼女はその職を、その装備と共に死んだ母から受け継いだのだ。
「戦士系前衛職、人斬り……。それって確か……」
セディルは、その職についての知識を頭から捻り出す。
それは東方に於いて、『侍』から派生した上位職の一つ。
『秩序』と『中立』の属性を持つ者が就く侍に対して、『混沌』の属性を持つ者だけが就く事の出来る前衛職。
剣と魔術師系魔法を使いこなす侍とは違い、人斬りは魔法こそ使えないものの、侍以上の威力を持つ恐るべき斬人剣を振るう能力を持つ。
その特筆すべき特徴の一つが、人斬りにしか扱えない、東方最強の攻撃力を持つ武器『妖刀』の存在であった。
その魔性の剣を使いこなした者は、この世の全てを斬れるという。
「それじゃあ、セディナが就いた上位職っていうのも、もしかして……」
セディルが妹を見る。
その身に纏いし、東方の武者鎧。
背中に交差させて背負う、二本の刀。
脱ぎ捨てられた、東方の兜と鬼の面貌。
それら全てが、東方の国『ホウライ』に由来する品々だった。
「そうだよ、アニキ。アタシも、イルメッタさんと同じ『人斬り』の職に就いたんだ。アニキが頼んでくれたから、イルメッタさんが、アタシを鍛えてくれたんだよっ! レベルも最近上がって『レベル2』に成ったから、これでアタシも、アニキと一緒に冒険が出来るんだっ!」
『人斬り』と成った少女セディナは、『忍者』に成った兄に向かい合うと、懐から取り出した『ステータスカード』で、自らの【ステータス】を確認する。
レベル:2
HP :20/20 MP :13/13 状態 :正常
職業 :人斬り 年齢 :12 性別 :女 種族 :半人間 属性 :混沌
筋力 :17 敏捷 :16 魔力 :16
生命 :16 精神 :16 幸運 :17
スキル
【能力強化】【侍装備可】【妖装備可】【二刀流可】【攻撃強化】
魔法
一般系レベル:3
特殊装備品
『東方刀+1』『東方刀+1』『収納鞄』
幼き日、無力であった故に、引き離されてしまった兄妹。
その二人が今日、お互いに職に就いた冒険者と成って再会したのだ。
「……セディル、お前、あいつに何を頼んだのだ?」
眉間に皺を寄せ、重い声でライガがそう訊ねる。
「その……、僕は只……、イルメッタさんみたいな女の子にセディナを育てて欲しいと、あの人に頼んだだけなんですけど……」
力無く、師の質問に答えるセディル。
彼にも、もう何となく正解は判って来ていた。
ライガも改めてセディナを見つめ、七年前に出会った五歳の女の子と目の前の十二歳の少女を比べ、そしてその育て親であるイルメッタの過去の姿を重ねてみた。
「……確かに、四十年前のあいつは、こんな感じだったな。俺達と共に、前衛で二刀を振るい、【死斬血牙】と呼ばれていた頃のあいつだ」
そして、重々しくそう呟いた。
在りし日の思い出。
それは忍者に転職したばかりの二十歳のライガと、十五歳の人斬りの少女が出会った時の出来事。
彼らの、若き頃の冒険の物語だ。
「【死斬血牙】……、それがイルメッタさんの『二つ名』……。四十年前……、イルメッタさんが……、女の子だった……時代?」
それは誤算だった。
セディルが理想として望んだのは、今の淑女のイルメッタの姿だ。
決して、四十年前の人斬りであったイルメッタの分身を、妹に望んだ訳ではなかった。
しかし、時は覆らない。
素直な少女であったセディナは、兄セディルに言われた通り、イルメッタのような女の子として真っ直ぐに成長してしまったのであった。
「はははっ、でも良かったですね、セディナ君。無事にお兄さんに会えて」
兄と妹の再会劇に、笑顔のライトレインが竪琴を取り出して、ポロロンと適当な旋律を奏でる。
「願いが叶ったわね、セディナ」
いつもクールなフェルセイスも、この時は穏やかな言葉を少女に掛ける。二人は以前から、セディナの事を妹分のように可愛がっていたのだ。
「ありがとう、フェル姐さん、ライトレイン。前から言ってただろ、アニキはいつか絶対に、アタシを迎えに来てくれるってっ!」
自慢の兄を二人にも認めて貰えて、セディナははしゃいでいた。
そして、そんな彼女を冷ややかに見つめる、別の少女が一人いた。
「……セディル、またわたくしに嘘を言いましたわね?」
一連の遣り取りを黙って見つめていたエリーが、蒼い瞳を細めてセディルを見下す。
「えっ、嘘って何?」
唐突にそんな事を言われても、セディルは身に覚えがなかった。
「お前、言いましたわね。お前の妹は、普通の可愛い女の子だと……」
「うん、言ったね」
「それでこの娘の、どこが普通の可愛い女の子ですの?」
「………………」
そう言われてしまうと、彼も反論に困る。
セディル自身、妹との再会でこんな現実が待っているとは、夢にも思わなかったからだ。
「えーとね、普通とはちょっと違っちゃったけど、セディナは可愛い女の子だよ。うん、それだけは間違いない」
セディルの感覚で言えば、変わってしまったとはいえ、妹は妹。
それに、これはこれで、可愛いと受け入れられる器も彼にはあった。
「……仕方ありませんわね。変な子供には、お前でもう慣れましたわ。この娘も、前衛の壁の一つとして認めましょう」
そう言って、エリーは小さく肩を竦める。
彼女にも選択の余地は無く、セディルの妻である少女は、このお転婆な義妹を受け入れてやる事にしたのであった。
「ところで、アニキ」
しかし、そんな彼女と兄との気心の知れた者同士のような遣り取りに、何かを嗅ぎ取ったのか、セディルが二人の間に割って入る。
「この女、誰?」
大好きな兄の側に居る、見知らぬ一人の少女。
笑顔を浮かべたままのセディナの黒い瞳の目が、一瞬敵意を帯びたかのように金色に輝き、クワッと大きく見開かれる。
「ああ、彼女は僕達がお世話に成った、あの森の中の館の持ち主の娘さん、エリーだよ」
だがそんな妹の変化には頓着せず、セディルはエリーの事をセディナに説明した。
「何だ、そうだったのかー」
するとホッと安心したかのように、少女の瞳から敵意が消える。
元の無邪気な笑顔に戻ったセディナが、エリーの方を向く。
「それじゃあ、アタシもお礼を言わなきゃ。アタシのアニキを、あの館に置いてくれたんだもんね。ありがとう、エリーさんっ!」
セディナはエリーにぺこりと頭を下げて、素直な言葉で礼を言う。
兄が世話に成った家の者ならば、自分も礼儀を払わなければならない。
兄に恥を掻かせる訳には行かないのだ、と彼女は考えたのだった。
「あら、意外と躾は出来ていますのね」
変人の夫の変な妹から、予想外に丁寧な感謝の言葉を言われ、エリーは満更でもない笑みを浮かべる。
「あれ? でも何でその娘さんが、アニキと一緒に居るんだ?」
そこで、ふとセディナは思い付く。
兄の話が事実なら、彼女はジーネボリスの貴族の娘という事に成る。
確かあそこは、伯爵家の別荘だった筈なのだ。
自分達兄妹を拾って、セディナをイルメッタに預け、兄を鍛えてくれた大男――ライガがこの場に居るのはセディナにも理解出来るが、何故貴族の娘が兄と共に此処に居るのだろうか。
「それはエリーが、僕のお嫁さんに成ったからだよ」
さらりと、その事実を妹に告げるセディル。
そしてその瞬間、セディナの身がピシッと音を立てる様に凍り付く。
彼女だけでなく、フェルセイスとライトレインも眉をピクリと動かし、その身を強張らせた。
「あ、あれ? お、おかしいな、アタシ、耳がどうかしたのかな? アニキがこの女の事を、『僕のお嫁さん』って言ったみたいに聞こえちゃったよ、あ、あははっ!」
身動き一つ出来ない僅かな沈黙の後、自らの聞き間違いを自嘲するように、セディナは引き攣ったような笑みを強引に顔に浮かべた。
「そう言ったんだよ、僕とエリーは結婚したんだから。彼女は、僕のお嫁さんで、セディナの義理のお姉さんだよ」
しかし、セディルは妹の現実逃避を否定し、事実を突き付ける。
「………………」
セディナの白い顔から、表情が抜け落ちた。
先程までの無駄な明るさが消え失せ、世界の終わりを目にしたみたいに、目と口で黒丸が三つ配置されたような顔に成っている。
「どうしたの、セディナ?」
そんな妹の様子を、兄は小首を傾げて不思議がる。
「な、何でだよっ!?」
そして少女は叫ぶ。
「アニキのお嫁さんには、アタシが成る筈だったのに~~っ!!!」
セディナのとんでもない発言が、屋敷の応接室に響き渡った。
忍者少年セディルの妹、人斬り少女セディナ。
彼女は、兄の事が大好きなのだった。
ちょっと、危険な程に。




