第四十三話 逃亡者、再び
大陸でも屈指の大都市である『帝都ジーネロン』は、夜に成っても、その街の明かりが消える事はない。街の各所に、市民が一般魔法で作り出した【照明】の魔法の光球が浮かび、夜の街を賑やかに照らしている。
大きな街には必ずある『歓楽街』では、たくさんの酒場や食べ物屋が賑わい、道行く人々を良い匂いで誘っていた。
昼間の仕事を終えた、職人や労働者、学生や兵士達など、様々な人間や他種族達が明るい通りを歩いている。
さらに奥へと行けば、顔に【化粧】を施して、薄物を纏った妖艶な女達も通りに立つようになる。
そうした街娼が客を誘い、煌々と明かりで輝く娼館へと連れ込んで行く。
夜でも明るく賑やかな街。
しかしそれとは正反対に、街の裏通りは夜の暗闇に閉ざされ、不気味な沈黙に包まれている場所。
そこは、街の裏側。
盗賊やスリ、置き引き、追い剥ぎや夜盗が徘徊する、大都市の暗黒街。
普段ならば静かな筈のその場所が、今夜に限っては賑わっている。目を血走らせた悪党共が蠢き、帝都の方々へと散って行く。
それは昼間行なわれた皇帝殺害犯の処刑と、それによって公表された事実があったからだ。
今この街の何処かに、元クレイム伯爵家の令嬢エリーエル・クレイムが隠れ潜んでいる。
彼女に対して帝国が下した罪科は、その一切の法的保護の取り消し。
それはつまり、彼女に誰が何をしようとも罪に問われる恐れが無い、という事。
それを知ったならず者達は、欲深い頭で考えた。
稀少種の『天使』にして、穢れ無き美少女。
それが持つ、莫大な金銭的価値を。
誰の物でもない『大金』が、この街の何処かに落ちている。最初に彼女を見つけた者が、その幸運を独り占め出来るのだ。
帝都の夜は、眠らない。
街中に散らばったならず者達は、それぞれが独自のやり方でその『大金』を手に入れようと、動き始めていたのであった。
「やっぱり、悪そうな顔をした人達が、皆で捜しているなぁ……」
下層民の少年に変装したセディルは、路地の物陰から、ランタンを下げてうろつく怪しい人影を観察していた。
明るい光球を作り出す、第一レベルの一般魔法【照明】を使える者は多いが、このような場所では、その光は明る過ぎて目立ってしまう。
暗闇で目立ちたくない者、夜の街で活動する者達は、明かりの範囲を絞れる冒険者用のランタンを良く使用していた。
今も、その明かりで前方を照らしながら、彼らは目当ての人物を捜そうとしているのだ。
セディルは、その者達の動きを読み、彼らのいなくなったタイミングを見計らって、後方に合図を送る。
すると、路地裏の影の中から、三人の人影が出て来た。
巨漢の忍者ライガと、厨房師の未亡人アンナ。
そして街の悪党達から、今大人気を博している一人の少女。フード付きの外套を被り、粗末な服を着て男装したエリーエルであった。
「情報が漏れているって事は、無いですか、師匠?」
大勢のならず者達がエリーエルを捜している現状に、セディルも多少心配する。脱出の手引きをしてくれている者が『あれ』なので、全面的な信頼が置き切れないのだ。
「今のところは、大丈夫そうだな。あいつらの動きには、連携が無い。それぞれが勝手に捜し回っているだけに見える。俺達が帝都から脱出しようとする事は、容易に予想出来るから、下っ端連中が闇雲に歩き回っているのだろう」
裏社会の動きに詳しいライガは、ならず者達の計画性の無い動きを読み、情報漏れの可能性は低いと判断した。
少なくとも帝都のならず者達には、今夜の脱出の事はバレてはいないのだろう。
「お嬢様、お身体の方は大丈夫ですか?」
アンナが寄り添うエリーエルに、心配そうに声を掛ける。
昼間に残酷なものを目にし、その心の傷が生々しいままの強行軍で、危険な夜の帝都を目的地まで突っ切らなければならないのだ。
彼女は、エリーエルの心と身体を気にした。
「大丈夫かどうかは、関係ありませんわ、アンナ。もう、行くしかないのです。わたくしが弱音を吐いて良い立場で無い事は、理解していますもの……」
いつもの自分勝手な我が儘ぶりが嘘のように、エリーエルは、大人しくライガ達の指示に従っていた。
実際、彼女の顔色は悪く、セディルが無理矢理気絶させた以外では、余り睡眠も取れていない日々が続いている。
本当ならば、ライガが担いで移動すべきなのかも知れないが、彼女はそれを拒み、自分の足で歩いていた。
「行くぞ。待ち合わせの場所は、こっちだ」
「了解です、師匠」
エリーエルが誇りを糧に自分の足で立っている以上、ライガもセディルも自分の役目を果たす事に集中するのみだった。
四人は、夜の闇に紛れ、帝都の裏路地を進み行く。
湖上の島に建設された帝都から、非正規ルートで脱出するには、船を使うのが最も現実的な手段である。
ここ『ニフレイム島』は、かなり大きな島なので、帝国軍や街のならず者達でもその周囲の全てを監視する事は出来ない。
島の沿岸には古い遺跡の残骸や、自然に出来た洞窟なども少なくないので、密航船の類いに対する完璧な取り締まりなどは、帝国もやっていないのだ。
街のならず者達に追われ、島からの脱出を図るセディル達は、そうした密航船との渡りを付けられる仲介者の下へ向かっていた。
ここ帝都で十五年以上に渡って、怪しげな商売をして来たライガの昔の舎弟。元冒険者で、下忍だった獣人の男。
現在の名は、ウッドチップ。
胡散臭さこの上ない男だが、今彼らの命綱を握っているのは、彼であった。
そこは街の片隅から少し外れた、島の西側。
木々が生い茂り、小さな森に成った場所だった。
手引きを頼んだ舎弟ウッドチップが、ライガに案内人と合流する場所として指定したのが、この森である。
四人は、暗い闇夜の中を、僅かな月明かりを頼りにその場所を目指していた。
(誰かいる……)
【消音】と【消臭】の一般魔法も使った隠身で先行していたセディルは、待ち合わせ場所に人の存在を感じ取った。
自分とは違い、気配を殺していない誰かがそこにいるのだ。
「……『闇の中で獣を引き裂くものは、何か』?」
闇の中から、警戒する者の声が聞こえた。
女の声だ。
そして彼女が口にした言葉は、事前にライガから教えられていた、案内人との接触の為の『符丁』であった。
「獣を引き裂くものは、【砕き壊す牙】だよ」
セディルも、ライガに教えられていた符丁を口にした。
二つの言葉が合わさり、両者の信用が成立する。
影から取り出したランタンの明かりに淡く照らされ、闇の中の者が姿を現す。
そこにいたのは、フード付きの外套でスッポリと姿を隠した小柄な女だった。片手にランタンを持ち、フードの奥から、やって来たセディルを二つの目が見つめている。
「えーと、ウッドチップって人の使いで、間違いないんだよね?」
「……そちらは、ライガ・ツキカゲの弟子?」
セディルが訊ねると、その女は彼に確認を取りつつフードを跳ね上げた。
フードの下から現れたのは、彼より一つか二つ年上のまだ若い獣人の少女の顔。
浅黒い肌に白い髪、大き目の獣耳。
軽薄な雰囲気は無く、静かに佇むその様子は全く違うのだが、その可愛らしい鼠のような容貌には、あのウッドチップに何処か似たところが見受けられる。
「……もしかして、娘さん?」
「……父さんからの指示、あなた達を『逃がし屋』のところまで連れて来るように、と」
獣人の少女はマイペースを崩さず、用件だけをセディルに話した。
余計な事を喋る気は無いのか、彼女は彼に次の行動を目で促す。
(まあ、師匠の下に『娘』を預けるって事の意味は……、そういう事なんだろう……)
案内人を自分の娘にやらせるウッドチップの意図を、セディルは推測した。
自分は裏切る気は無い、と彼はライガにハッキリと判る形で宣言しているのだ。彼女は、その為の『人質』なのである。
そう納得したセディルは、ライガ達を呼び寄せた。
合流した四人と一人。
「お前が、ウッドチップの娘か?」
「うん、名前はジリラ。レベル3の『下忍』……。あなたが、【砕き壊す牙】ライガ・ツキカゲ。父さんが言っていた、『本物』……」
ライガにそう問われた獣人の少女ジリラは、生まれて初めて見る『本物の忍者』を前にして、少し緊張した様子で答えた。
(さっきまでとは、少し態度が違うね。僕も『本物の忍者』なんだけど……)
師とは違い、ウッドチップもジリラも、セディルの事は只の『下忍』だと思っているのだろう。
常識的に考えれば、十二歳のセディルが『忍者』の筈は無いので、無理もない。
「時間が惜しい。逃がし屋のところまでは、どれくらい掛かる?」
「慎重に進んで、何事も無ければ、十分」
「ならば行くぞ。何事かあれば、突破する」
ライガがその鋭い目でジリラを見ると、彼女はコクリと頷き、こっちだと言って彼らを案内し始める。
ジリラが下げるランタンの明かりを目印に、セディル達は森から湖の方へと移動した。
湖面を吹き抜ける、柔らかくも涼しい夜風が頬を撫で、エリーエルやアンナにも湖が近付いた事が感じ取れるようになる。
「もうちょっとかな」
セディルが、そう呟いた時だった。
ライガの発動させている、忍法【奇襲探知】の網に対する反応があった。
「止まれ」
彼の低く重い声が、全員の動きを止めた。
「あちらに、人がいる。数は六人。湖の方へ向かう者を、監視しているようだな」
「……情報漏れは……、無い、筈……」
その言葉に、一番緊張したのは、ジリラだったのかも知れない。
彼女は頬に汗を浮かべ、ランタンを吊るした紐をぐっと握り締める。裏切りを疑われたが最後、自分の首は大地に落ちる、と彼女は思っているのだろう。
「ここからでも、気配は読み取れる。大した隠行術ではないな。街のならず者の中に、偶々運の良い奴がいたというだけだ」
情報が漏れたのではなく、彼らはエリーエルを捜す為、偶然この場所に網を張っていたのだ、とライガは判断した。
そして、そこの『幸運』にも彼女を連れた、セディル達が本当にやって来た。彼らの地道な努力は、確かに実ったのだった。
「でも、運が悪かったよね、こいつら」
彼らの幸運は、セディル達一行に出会えた事。
不運は、ライガの居るこの一行に出会ってしまった事。
六人のならず者が潜む場所に、ライガは背後から音も無く近付き、先制の奇襲攻撃を掛けた。
そいつらは、せいぜいレベル2、3の『盗賊』に過ぎない。
ライガの存在にすら気付かず、幸運なならず者達は、魔法のように鮮やかな手並みで急所を打たれて昏倒し、速やかに無力化されて行く。
六人が意識を失い地面に転がるまで、ほんの数秒しか掛かっていない。
「凄い、これが伝説の技……」
安全が確認され、セディル達がライガに近付くと、そこにある光景にジリラが思わず感動の声を上げた。
「いやいや、これくらいは、レベルの高い戦士系の人だったら、師匠に限らず誰でも出来るよ。特別な技じゃないってば」
変に感動しているジリラに、セディルは認識の訂正を求めた。
忍者の技だったら、彼らは皆、首を刎ねられて死んでいる。特に殺す必要も無いので、ライガはならず者達を、気絶させるだけで済ませたのだ。
「……あなたは、恵まれている。この人の弟子なんて、羨ましい」
「うん、それは同意する」
忍者に弟子入りし、忍者に成れたのだから、セディルは幸運だった。
もしかしたら彼は、世界中の下忍に羨ましがられる存在なのかも知れない。
「この辺、の筈」
ならず者を無力化し、一行はジリラの案内で先へと進んだ。
そこは、巨岩が転がる湖の岸辺。
かつては何らかの建物があったのだろうが、今は崩れて、残骸が奇妙なオブジェと成っている。
「へっへっへっ、無事に来れたようでやんすね、アニキ」
娘とは違い、軽い調子で巨岩の影からヒョイと現れたのは、確かにセディルが店で会った男、ウッドチップであった。
彼も下忍だが、今は普通の街人の格好をし、武器も持ってはいない。
「父さん、連れて来た」
「ご苦労でやんす、ジリラ」
ウッドチップは娘に労いの言葉を掛けると、一行の中にいる、重要人物に視線を注ぐ。
今は男の子の格好をし、外套を被るエリーエルは、彼の不躾な視線に嫌そうに眉を顰める。
「へっへっへっ、アニキ、その子供が、今回のお宝でやんすね?」
「誤解されるような事を言うな。浚って来たのではなく、親に預けられたのだ」
舎弟の揶揄するような言い方に、ライガも苦言を呈する。
彼女はあくまで護衛対象であって、戦利品ではない。
「そういう事。僕は、依頼を受けた冒険者だからね」
ライガは義理で動いているが、セディルは冒険者として、クレイム伯爵から正式にエリーエルの護衛を依頼されている。
彼女を金に換えようとしている、街のならず者とは違うのだ。
「へっへっへっ、冗談でやんすよ。そのお宝を無事に逃がす為に、あっしもちゃんと働いたでやんす」
誤魔化すように笑うと、ウッドチップは彼らを巨岩の影に作られた、湖に突き出す桟橋に案内した。
そこには、五、六人乗りの小舟が待機し、三十代半ばくらいの大柄な男が乗っていた。
その男が、ウッドチップの手配した『逃がし屋』なのだろう。
帝都に非合法な手段で出入りしたがる者は多く、彼のような存在は重宝されるのだ。
「客を連れて来たでやんすよ、『灰鳥』」
ウッドチップが、男を通り名で呼んだ。
男は頷き、早く乗るよう、彼らに視線を送る。
「この男は、信用出来る奴でやんすよ。金さえキッチリと払えば、それ以上は求めて来ない変わり者でやんすけどね」
今回の場合、いつもの密輸や犯罪者の脱出とは状況が異なる。
犯罪組織絡みでもなければ、帝国の衛視に追われている訳でもないが、運ぶものは価値の高い稀少人物。
湖の途中で追加報酬を要求するような程度の低いチンピラに、脱出の重要手段を任せる訳には行かないのだ。
ウッドチップはその注文に応え、信用に足る逃がし屋を手配したのだ。
「面倒を掛けたな」
「へっへっ、借金取りも怖いでやんすけど、アニキの命の取り立ての方が、ずっと怖いでやんすからねぇ」
ウッドチップは、ライガから依頼された仕事を全てやり遂げた。
最初に会った時は胡散臭さに信用を疑ったが、彼がライガだけは裏切らなかった事を、セディルも認める気になった。
彼がいなければ、今回の事件で、エリーエルをここまで無事に連れて来る事は難しかっただろう。
「受け取れ」
ライガは『収納鞄』から、『金貨袋』を一つ取り出し、ウッドチップに押し付ける。
「こんなにでやんすか、アニキ?」
金貨袋には、金貨が百枚入っている。
その額は、2000シリスになる。
「いつもの口止め料だ」
彼は口止め料をケチらない男だった。
喋ったり、売ったりしたら、必ず殺すという意味でだが。
「へい、判ったでやんす。ジリラも良いでやんすね。あっしら親子は、何も見ていないでやんす」
「うん、判った」
ドブネズミとハムスターのような下忍の獣人親子は、揃って頷き、本物の忍者に沈黙を誓う。
そしてセディル達四人は、逃がし屋の小舟に乗り込んだ。
『灰鳥』と呼ばれた男は、静まり返った夜の湖へと舟を漕ぎ出す。
同時に、広げた帆に一般魔法の【送風】で風を送り、舟は湖面を滑るように前進し始める。
「帝都の灯が、綺麗ですわ……」
徐々に遠ざかる故郷の街に目を向け、エリーエルがポツリと呟く。
彼女も、夜のサドラス湖から街を眺めるのは初めてだった。これが観光であるならば、美しい光景に見えた事だろう。
しかし、今の彼女の胸中には、これが帝都の見納めになるかも知れないとの、哀しさが溢れている。
クレイム伯爵家の領地、リュームスタットの街とここ帝都ジーネロンが、彼女のホームであった。
ここには、様々な思い出が残されている。
賢者と成る為に学んだ、魔法学院。
華やかな社交の場であった、お茶会や舞踏会。
仲の良い友人達もたくさんいた。
そしてここには、彼女の掛け替えのない家族がいたのだ。
「アンナ……、いつか、いつか必ず、わたくしはこの街に戻って来ますわ。何年掛かろうと、どこに居ようと、必ず……」
「お嬢様……」
アンナも、哀しそうに彼女の肩を抱く。
エリーエルは、そのまま街の灯が見えなくなるまで、舟の上で帝都の方角を見つめ続けていた。
「行ったでやんすね」
帝都を去った一行を、ウッドチップは娘のジリラと並んで見送っていた。
「……今回、父さん、損得抜きで動いていたね」
珍しい事だと言いたそうに、娘が父親の顔を覗き込む。普段のけち臭い彼を知る身としては、彼らに対する誠実な仕事ぶりが少々気になったのだ。
「良いか、ジリラ。この世にはなぁ、権力や身分とは何の関係も無く、『絶対に敵に回しちゃならない男』って奴がいるんだよ……」
彼の口調が、いつもの軽薄な調子から変化した。
ウッドチップは、真剣な様子で娘を諭し始める。
「その一人が、ライガのアニキだ。今回の一件だって、アニキがクレイム伯爵に全面的に協力していれば、こんな事には成らなかった筈なんだぜ」
たった一人の存在が、歴史を動かし、その流れをも変えてしまう。
世界には、そんな『個の怪物』が存在する。
「もしもこの先、お前がライガのアニキに会う事があったとしても、絶対にあの人を敵にするんじゃねえぞ」
「……うん、判った」
父親の忠告に、その娘は素直に頷いた。
帝都の夜は更け、その闇は深まって行く。
この地は、罪の勝者の手に墜ち、誰も知らぬ内にその邪悪な行いを重ねるであろう。
いつの日か、『個の怪物』と成った者達が帰還するその日まで。




