第四十二話 それぞれの決意
ジーネボリス帝国の後の歴史書に記されるであろう、その日が終わった。
皇帝ミルファウスⅣ世を殺害したクレイム伯爵と、その二人の息子は、この日、その大逆の罪を裁かれ処刑された。
同時に、帝国政府はクレイム家の処遇も発表した。
クレイム家は家名を廃絶し、その身分も領地も財産も全てを没収する。
伯爵家に連なる一族郎党は、身分剥奪、財産没収の上に流刑に処される。彼らは速やかに、北方にある犯罪者用の流刑地に送られるだろう。
伯爵令嬢エリーエル・クレイムについては、『平和喪失者』としての宣告が成され、以後ジーネボリス帝国内ではあらゆる法的保護の対象とはならない、とされた。
彼女とアレイファス皇子との間に結ばれた婚姻の約定も、完全に破棄と決まった。
それらの決定は、ただちに布告人達によって、帝都の隅々にまで知らされて行く。
無知なる人々は、皇帝の死を悼みつつも、罪人達の運命を面白おかしく風潮する。
そんな彼らの関心事は、クレイム家の中で唯一人逃げ延びている、皇子の元婚約者の少女、エリーエルの存在だった。
貴重な天使の血を持つ、元貴族の美少女。
それが今は、誰の物でもなく、誰が手に入れてもお咎め無しの『落し物』と成っている。
それは、道に落ちている大金と同じ。
帝都のならず者達は、そんな幸運を見逃したりはしない。皆、目の色を変えて、その大金を探し始めたのであった。
『廃棄地区』にライガの舎弟ウッドチップが用意した、セディル達の『隠れ家』。
そこには今、四人の逃亡者が揃っていた。
「何か、言い残す事はあるか?」
忍法による変身を解き、いつもの巨漢に戻ったライガは、鋭い目に氷の短剣のような冷たさを宿して、眼下で正座している弟子を睨んでいる。
時刻は、午後。
午前中に行われたクレイム伯爵達の処刑に、エリーエルを行かせてしまったセディルは、師に怒られていた。
ライガは情報収集と称して、帝都を脱出する為の舟の手配と確認に行っていた為、隠れ家には不在だったのである。
「お嬢様に伯爵様の処刑の事を教えて、あそこへ行かせてしまったのは、確かに僕の失敗でした」
己の失策を認識し、セディルは反省の正座をしていた。
敵の目があるであろう場所に不用意にエリーエルを行かせ、家族の死を直接目撃させる事に成ってしまったのだから、褒められるような行動とは言えなかった。
そのエリーエルも、ショックが大きかった上に、セディルが鳩尾を撲って気絶させた所為で、まだ眠っていた。
部屋の壁際に置かれた粗末な寝台に寝かされ、今はアンナが付いて、彼女の様子を見守っている。
「……それは、『お前の判断』か? 彼女に、家族の最後を見届けさせてやろうとしたと?」
「そこまで明確に考えていた訳じゃありませんけど、何も知らされずに、後で処刑された事を知るよりは、少しマシかな? なんて事なら、考えました」
師からの『確信犯』なのか、という問いに、セディルは飄々とした言い方で返す。
もしも自分なら、たとえ命の危険があったとしても、家族の死を看取りに行くだろうから、エリーエルがそうしたいと言うならば、強くも反対は出来ない。
正解と思った答えを必ずしも選ぼうとしないのは、彼の業であろう。
「……伯爵一家の死を、見届けたのか?」
「はい、頭を叩き潰されて、蘇生不能にされるところまで、全部確認しました」
セディルがそう報告すると、ライガは目を閉じ、それらの現実を己の中に刻み込んだ。
最早、逆転は不可能。
クレイム家は失われ、彼らが帝都に留まる理由も無くなった。
「それと、処刑場で例の『ウォルドーズ伯爵』って人も見ましたよ。あいつが、クレイム伯爵の敵で、今回の事件の首謀者に間違いないみたいです」
「確かか?」
「……師匠と同じレベルの、危険な人物です。『ハイマスター』なのは、確実じゃないかな」
セディルは一瞬目が合っただけで、相手の危険度を見抜いていた。
相手は、師と同じ『超人の領域』にいる者だと。
「錬金術師のハイマスターか……。あいつらの作る薬は、物によっては厄介だからな……。特に、最高位の錬金術師なら、『古代のレシピ』と稀少な『錬金素材』次第では、危険な薬を作り出せる」
弟子から話を聞き、錬金術師の事をそう語るライガを見て、セディルはふと気になる事があった。
「師匠、何で錬金術に詳しいんですか?」
「俺が詳しい訳じゃない。昔の仲間に、錬金術師がいただけだ。そいつが変わった奴でな、冒険者に成ったのも、失われた古代の知識を探す為だとか言っていた」
そいつが錬金術に関しての雑談を色々と仲間にしていたのを、ただ聞いていただけだ、とライガは話す。
かつて彼が所属していた、六人の冒険者パーティ。
その『牙』の中の一人にも、錬金術師がいたのだ。
「ふーん、そうだったんだ」
セディルは、それで納得した。
冒険者と錬金術師は、馴染みが深い。
彼らが作り出す『回復薬』や『魔力酒』といった『魔法のポーション』は、冒険には欠かせない消耗品だからだ。
「それじゃあ、師匠。今回の事件、あいつが黒幕なら、クレイム伯爵が押し付けられた罪状は、本当はあのウォルドーズ伯爵がやっていた事なんじゃありませんか?」
「おそらくは、……な」
セディルとライガは、同じ推論に達していた。
「伯爵様は、第二皇子とウォルドーズ伯爵が『堕天使の黒血』の密造と密売に関わっている事を調べていたんじゃないかな。そしてその事を、皇帝陛下にだけは報告していたとか?」
『堕天使の黒血』は、所持が発覚しただけでも死罪に成りかねない一級の禁制品だが、その効果ゆえに欲しがる者は多く、裏社会では高額で取引きされている。
皇帝ミルファウスは英明で知られた人物であり、『賢帝』とも称され、長きに渡りジーネボリス帝国に君臨して来た名君だった。
そんな皇帝ならば、毒薬の密造に自国の貴族と自分の息子が関係していると知れば、黙って放っては置かないだろう。
クレイム伯爵は、その皇帝から密かに調査を依頼されたのかも知れない。
そしてそんな両者の動きを察知したウォルドーズ伯爵は、皇帝と伯爵を同時に亡き者にする謀略の一手を打ち、さらには事件を利用して自らの帝国政府内での立場まで強化してしまった。
二人には、そんなシナリオが推察出来たのだ。
「でも、うーん、どうだろう? このシナリオって、伯爵様が皇帝陛下から相当信頼されていないと、成り立たないかな?」
セディルはこれまで得られた情報を精査し、自らが導き出した推理をさらに考察してみてから、腕を組み、首を捻る。
クレイム伯爵と皇帝の間には、何か個人的な信頼関係があったのだろうか。状況から見て、実の息子よりも信頼されていなければ、そんな役目は果たせないかも知れない、とセディルは思う。
「……その通りですわ。お父様は、皇帝陛下からとても信頼されていました……」
その時、セディルの推理を肯定するように、エリーエルが言葉を挟んで来た。
「お嬢様……」
エリーエルが目覚め、寝台の上でアンナの手を借りて上半身を起こしている。
「お嬢様は、何か心当たりがあるんですか? 伯爵様と皇帝陛下の間に、何か個人的な『繋がり』みたいなものがあるなんて事に?」
父親と皇帝の繋がりに、彼女は何か確証があるらしい。
クレイム伯爵の事を、秘密の調査を頼むくらいに皇帝が信用している理由。
セディルは、それが気になった。
「下賤の者が知る必要は、ありませんわ」
そう言って、冷たい目でセディルを睨みつけるエリーエル。
「……あの時は、緊急避難でしたけど、一発くらいなら撲られますよ、僕……」
笑顔で冷や汗を流し、午前中の事を思い出す。
仕方が無かったとはいえ、彼はエリーエルを撲り倒して気絶させたのだ。その報復は、覚悟して置いた方が良さそうだった。
「……管理人、今わたくし達を取り巻く状況は、どうなっておりますの? 包み隠さず話しなさい」
しかしエリーエルはセディルの言葉を無視し、あの特徴的な光を失った暗い瞳で、ライガに状況確認を求める。
これ以上、自分に隠し事は必要無い、と。
「では、説明しましょう」
ライガは低い声で了承を告げると、彼女達に科せられた罪科について説明した。
クレイム家の廃絶と、その一族郎党に下された過酷な刑罰を聞き、エリーエルの肩が震えた。
無論、それらは全て濡れ衣であり、これは明白な冤罪であった。
「……この手紙と毒薬がありますわ。これを帝国政府に提出すれば、お父様達の冤罪を晴らし、あの悪党共を罪に問えますわね……?」
虚ろな目付きで自分の【大袋】から、父親から預かった小箱を取り出すエリーエル。
そこにはクレイム伯爵が手に入れた、ウォルドーズ伯爵と第二皇子ラドラティスの犯罪と結託の証拠が入っている。
今やそれだけが、一族を救う為の彼女の希望だった。
「難しいですね、それだけじゃ」
そんな希望も、セディルは非情な現実で否定する。
「皇帝陛下が、伯爵様の後ろ盾だったなら、その程度の証拠でも十分だったんですよ。でも、今はもう状況が違い過ぎます。お嬢様がそれを持って行って帝国政府に掛け合ったとしても、相手がそんな物は捏造した証拠だって言ったら、それが通っちゃいますよ。もっと決定的な証拠か、強力な後ろ盾でもないと、告発はただの自滅に成りますよ」
状況は、彼女にとって最悪にまで悪化していた。
彼女らを陥れた敵は、今さらその程度の証拠でどうにか出来るような小物ではない。
その事実は、エリーエルも認めざるを得ず、彼女は小箱を両手で力一杯握り締めて肩を小刻みに震わせた。
「状況は、今お話しした通りです。無理にでも理解して頂きますが、お嬢様は、手配こそ解除されたものの、身分も財産も婚約者も失い、事実上の国外追放処分と成りました」
彼女はもう、貴族令嬢でもなければ、皇子の婚約者でもない。ただの流れ者の平民に成ってしまったのだった。
いや、それよりも扱いは悪く、ジーネボリス帝国内に居る限り、流れ者ですら受けられる最低限の法的保護すら、エリーエルは受けられなくなっている。
「これ以上、帝都にいるのは危険です。今夜、ここを脱出します」
エリーエルが生き延びる為には、一刻も早く国外に脱出する他に選択肢はない。
「この国を出る、と言いますの?」
「それしかないですよ。今のお嬢様は、森に追放された『人獣』と同じ扱いなんですから」
セディルも、彼女が生きる道はそれだけだと言う。
『獣化病』と呼ばれる、特殊な病気がこの世界にはある。
その病に罹患した者は、徐々にその身を狼や虎、熊といった獣に似た姿へと変貌させる。
罹患初期ならば、魔法や薬で治療が可能だが、病が進行し完全に獣の肉体を得てしまった者は、もう『人』とは異なる別の種族と見做されてしまう。
『人獣』、或いは『ライカンスロープ』と呼ばれる、人と獣の姿を行き来する魔物の一種に生まれ変わってしまうのだ。
そう成った者は、人の共同体から追放され、多くは森へと追いやられる。
森に棲まうようになった多くの『人獣』は狂気に蝕まれ、人を襲い、その肉を喰らう。
それ故に人々は、『人獣』を恐れ、忌み嫌う。
その身体の一部に獣の特徴を宿す『獣人』が、人間に嫌われ、偏見の目に晒される事にも、この『人獣』の存在は無縁ではない。
無知なる者には、『獣人』と『人獣』の区別など、出来ないのだから。
「……わたくしが『人獣』と同じなら、わたくしを助けるお前達も、罪に問われますわよ」
魔物とされる『人獣』には、一般人は関わる事も禁止される。彼らを援助するような行いは、それだけで罪と成るのだ。
既にクレイム伯爵家は廃絶され、エリーエルと彼らとの間の主従関係は失われている。
彼女への助力自体が犯罪行為なのだから、普通の考え方の一般人ならば、とっくに彼女を見限って逃げ出している筈なのだ。
しかし彼ら三人は、今もまだここに、エリーエルの側にいる。
「……お嬢様の父親には、恩がある。その恩人から、俺は娘を護って欲しいと頼まれた」
ライガは、亡き伯爵の頼みを聞き入れている。
その故人との約束を守る義務は無いが、義理はある。彼がエリーエルを護る理由は、それだけで十分だった。
「私も、伯爵様や奥方様には、ご恩があります。お二人が慈しんでおられたお嬢様を、お一人にする訳には行きません」
そう言って優しくエリーエルの背中を、アンナが撫でる。
その慈しみの手には、彼女の実の母の手と同じように、迷いは無かった。
「そういう事ですよ、お嬢様。皆、危険も罪も承知の上で、お嬢様を逃がそうとしているんですから」
今彼女を護っているものこそが、エリーエルの両親の人徳の証だった。
セディルも、その恩だけは十分に感じ取っていた。
「お前もそうだと言いますの、平民?」
「まあ、僕も師匠と伯爵様には恩がありますからね。恩人を裏切れる程の人間の域に達するには、僕、まだまだ修行が足りません。お嬢様の国外脱出までは、付き合いますよ」
恩知らず、とだけは呼ばれる訳には行かない。
自由人のセディルにも、矜持というものはあるのだ。
「それと、伯爵様からは仕事の前金を貰っちゃっています。仕事の依頼をキャンセルするには、前金を倍返しで伯爵様の代理のお嬢様に返さないといけません。でも、使っちゃって、そんなお金持って無いんです。だから、仕方ないって理由もありますね」
同時に、これは彼の初仕事でもある。
後金はもう貰えそうも無い状況だが、前金を受け取っている以上は、けじめを付けずに船を降りるという選択肢は、セディルには無い。
「人の好意は受けて置くべきですよ、お嬢様。多分、お嬢様が思っている以上に、状況は深刻に成っています。もう街の悪い人達の間では、お嬢様を誰が手に入れるかで、騒ぎに成っていますから」
エリーエルが平和喪失者に成ったと宣言された事で、街中のならず者達が、彼女を手に入れようと動き出している。
人権を失った彼女がもしも彼らに捕まれば、稀少な天使の美少女として、『奴隷』に売り飛ばされてしまうのは確実だろう。
「南の方にある国、『海賊王国ヘルトーラ』には、世界最大級の奴隷市場があるそうですよ。そこでの競売なら、天使のお嬢様には、体重と同じくらいの重さまで金貨が積み上がるんじゃないですか? 変態のおじさんとかに買われちゃったりしたら、大変だと思いますよ」
「………………」
つい数日前まで、未来の皇妃に成る筈だった自分が、今は人攫いに捕まり、奴隷に売り飛ばされる事を心配しなければならない立場にいる。
余りの運命の変転に、エリーエルは眩暈を起こしそうだった。
「一人でこの街を脱出して、隣国まで逃げられると思いますか、お嬢様?」
セディルにそう言われても、唇を噛み締める事しか出来ないエリーエル。
確認されるまでもなく、世間知らずの箱入り娘には、そんな事は不可能なのだ。
「……判りましたわ。管理人、アンナ、平民、お前達の事を信じます……」
その瞳には、まだ光は戻らない。
彼女が失ったものは大きく、その喪失感は、短時間で癒されるようなものではない。
エリーエルが、その蒼い瞳にいつもの光を取り戻すには、あと少しの時と決断を必要とする。
「ところで、師匠」
脱出までの時間、エリーエルをアンナと一緒に隠れ家の奥で休ませている時、セディルは珍しく真面目な顔をして、ライガに確認を求めた。
「帝都のならず者程度なら、まあ、僕も何とか成るかなって思うんだけど……、やっぱり来ますよね、『本命』が?」
エリーエルにはああ言ったものの、セディルが警戒していたのは、大金欲しさで動く街のならず者などではなかった。
「だろうな……」
それはライガも判っている。
彼は、セディルよりも深い情報を握っているからだ。
敵は、『堕天使の黒血』を密造していた者達。そんな者達が、天使であるエリーエルをこのまま見逃す筈はない。
今回の陰謀の首謀者と見做されているウォルドーズ伯爵が、ここまでの謀略を成功に導いた事で、既にそれは証明されている。
敵の手元には、この悪行を成せるだけの優秀な手駒が多数揃っているのだ。
「うわぁ~、やっぱり冒険者って、大変だ~」
しかめっ面で、セディルが呻く。
ならず者達をかわした後には、必ず本命の刺客達がやって来る。
セディルとライガはが乗り越えるべき今回の冒険とは、皇帝をもあっさりと殺すような危険な集団から逃れつつ、女子供を連れての国外への脱出。
それは控え目に言っても、『絶体絶命』と呼べる状況であった。




