第四十四話 迫り来る危機
『ジーネボリス帝国』のほぼ中央に位置する湖、『サドラス湖』は、広大な面積を有している。
『レイドリオン大陸』には、他にもいくつかの大きな湖がある為、決して大陸一大きい訳ではないが、人の目から見れば、大した違いは無い。
その中心に帝都ジーネロンが建設された『ニフレイム島』がある為、この湖では、夜でも運行されている船がある。
『キルベッツ海』から河を遡り、交易品や海産物を運ぶ船。
夜間の警備を行う、軍船。
そして誰にも知られぬよう、非合法に活動する密輸船や逃亡者の乗る船。
サドラス湖が広大であるが為に、彼らは誰にも気付かれずに帝都を離れ、対岸に辿り着いたと信じる事が出来た。
その監視者の『目』と『手』は、予想以上に良く見えて長い。
「ここで良いだろう」
逃がし屋の小舟から、対岸に先に上陸したライガは、安全を確認してから、船にいる皆に上がって来るよう合図を出した。
帝都があるサドラス湖の湖岸には森林地帯が広がっているが、同時に大小たくさんの街や村があり、大いに栄えている。
南にある隣国『ロルドニア』への脱出を計画する彼らは、そうした場所を避けて上陸地点を選んだ。
「無事、ここまでは来られましたね」
舟から降りて地面に足を着けると、セディルもようやく少し安心出来た。
まだ忍者が使う魔法も使えず、便利な魔道具も持っていない彼では、水上での戦いになれば不利を免れないからだ。
「お嬢様、どうぞ」
アンナがエリーエルの手を取って、舟から降ろす。
疲れた様子の彼女は、素直にその手に掴まり、地面に足を着けた。
「世話になったな」
全員が岸に降り立つと、ライガはここまで小舟を操って来た『逃がし屋』の男に、金を支払う。
男は金を受け取ると、小さく頷いただけで、何も言わずに再び湖の上を帝都に向かって舟を漕ぎ出して行った。
それが男の性格なのか、或いはウッドチップからそうするのが一番賢いと言われていたのか、彼は今夜、沈黙と引き換えに大金を手に入れ、何の騒動にも巻き込まれずに、街に帰る事が出来たのだった。
「……これからどうしますの、管理人?」
今の時刻は、深夜過ぎ。
帝都から脱出し、湖の対岸に逃れて来た四人だったが、ライガとセディルは兎も角、アンナとエリーエルは気力を消耗させていた。
特に、レベル1でHPも最大値が『5点』しかないエリーエルは、体力の消耗も激しい。
気丈に振る舞ってはいるが、彼女の疲れ切った様子に、ライガも強行軍は考え直さざるを得ない。
「この先、森の少し奥まった場所で、野営をしましょう。朝までは、余り時間はありませんが、お嬢様には少し休息が必要なようです」
「……大丈夫ですの?」
「帝都からは、離れられました。ならず者達なら、これで振り切れた筈です。長い休息は出来ませんが、日が昇るまでなら休めるでしょう」
まだ危険の全てが去った訳では無いが、エリーエルに倒れられては、護衛任務が本末転倒になる。
ライガは、朝までの休息を皆に許可したのであった。
それから一行は、街道近くの森の中に入ると、そこで野営を始めた。
と言ってもそれは簡素なもので、毛布に包まったエリーエルを、朝まで休ませるだけの場所を用意しただけだった。
ライガの指示で、セディルは集めた薪を組み、焚き火を作った。
パチパチと音と共に赤い炎が上がり、暗い森の中をぼんやりと照らし出す。
やはり心と身体の疲労が溜まっていたのか、寝床を拵え、そこに横たわると、エリーエルはすぐに眠りに落ちて行った。
そんな彼女を見守りながら、焚き火を囲む三人は、これからの事を話し合う。
「それじゃあ、師匠。僕達が『ロルドニア』に行くには、どの道を進みますか?」
小枝を炎に投げ入れながら、セディルは今後の道行きをライガに訊ねた。
セディルもアンナも、この国で生まれ育っただけで、その活動範囲は狭い。二人は実質、帝都とリュームスタットの街と森の中の館の間でしか、移動経験が無い。
それはこの時代では、珍しくも無い一般人の在り方。
普通の人は、生まれ育った場所で生きて、その場所で死んで行くのだ。
しかしライガは違う。
彼は十歳の時に職に就いてから、実に三十年以上の歳月を冒険者として生きていた。
その間、『レイドリオン大陸』を、北は北方山岳地帯から、東は『ホウライ』まで足を延ばした。
西方では、『ジーネボリス帝国』、『ロルドニア王国』、『ヘルトーラ王国』という三大国中を歩き回り、数々の遺跡に挑む旅と冒険を続けて来たのである。
この一行の行く道を決めるには、彼の知識と経験に頼るのが最も賢い選択なのだ。
「……ここジーネボリスの帝都から、ロルドニアの『王都クライゼール』に行くなら、辿る道は三つある。一つは、正規の街道を行く道。立派な『古代街道』が通っているから、徒歩でも一ヶ月。乗合馬車で行くなら、更に早く辿り着けるだろう」
ライガが示した最初の道は、魔法文明時代に大陸中に整備された古代街道を進む道。
古代の技術で作られ、今もその魔力で維持されているこの道は、旅人に快適な移動を約束してくれる。
「今、ジーネボリスとロルドニア、両国の関係は良好だ。交易も盛んだし、人の行き来も多い。街道筋には、宿屋も多いから一番安全な道行き、とも言えるな」
この道を通れば、隣国に正規ルートで入国する事になる。
今の彼ら四人の身分は流れ者なので、入国には多少の工夫が必要になるだろうが、これが安全性の高い最短ルートであった。
「もう一つは、このまま河を下り、一旦『キルベッツ海』の港街に出て、船でロルドニアへ向かう道だ。距離は一番長く掛かるだろうが、海の道は風次第だ。運が良ければ、徒歩よりも早いだろう」
帝都があるサドラス湖から流れ出る大河は、海まで通じている。
河船で海まで行き、そこから外洋船に乗って南下し、ロルドニアの港街から河を遡って王都に入る。距離は余計に長くなり、ずっと船に乗り続ける事になるが、自分で歩くよりは楽が出来る。
「最後の一つ、道があるにはあるが、余り勧められん道だ。両国を隔てる『南ラフテルド山脈』の峠道を越える街道。今の季節なら、もう雪は少なくなっているだろうが、それでも危険で厳しく、魔物や山賊も出る。だが、『上手く行けば』密入国は、一番簡単かも知れんな」
ジーネボリスとロルドニアの間には、長い山脈が横たわっているが、そこを抜ける道も無くはない。
三つの道にはそれぞれ一長一短があり、逃亡者としては、悩むところ。
許容出来る危険と、避けなければならない状況を量りに掛け、吊り合う道を探さなければならない。
「海も見てみたいけど、今回は安全を取りましょう。僕は正規の街道を進む道が良いと思いますよ。歩きと乗合馬車を併用すれば、お嬢様を連れていても何とかなりますよ」
この世界に転生して来てから、まだ海を見た事が無いセディルとしては、第二のルートも魅力的だったが、護衛対象を連れていては完全策を取るしかない。
「私も、安全な道が良いと思います。お嬢様に、これ以上のご負担を掛ける訳には……」
旅の事に詳しい訳ではないが、アンナもエリーエルに掛かる苦労が少しでも減る道を望んでいた。
彼女はそう意見を言って、眠るエリーエルの頬を撫でようとして、その指先をピタリと止める。
エリーエルは眠っている。
だが、今の彼女の顔色は、もがき苦しむ病者のそれであった。
「お嬢様っ!」
身体を震わせ、額に汗を滲ませる少女の寝姿に、アンナは思わず彼女の身体を抱き締めた。
「ハァッ!」
大きく息を吐き、エリーエルが目を開けた。
蒼い瞳が虚空を彷徨い、陸に上げられた魚の様に口がパクパクと開く。
彼女は、『悪夢』を見ていたのだ。
父親と兄達の首が切り落とされ、その頭が叩き潰されたその瞬間が、幾度となくエリーエルの夢の中で繰り返されている。
しかしそれは夢ではなく、現実。
最早覆る事の無い、結果であった。
「あんまり、休めないみたいですね」
呼吸困難に陥ったかのように、胸を上下させて息を吐き続ける少女を見つめ、セディルもその状況を理解した。
この状況が、彼女が立ち直るまで続くようなら、移動手段はちゃんと宿屋で休息出来る陸路が良い。
「已むを得んな。幸い、クレイム伯爵から渡された活動資金は、まだ残っている。ロルドニアまでの旅費なら、十分賄える」
ライガも結論を下した。
古代街道を南下してロルドニアに向かう。
一行の進む道は、こうして決定されたのだった。
帝国の東方に聳える『東ラフテルド山脈』から、朝日が昇り始めていた。
薄暗い森の中も、少し明るくなって来る。
セディル達一行は、簡単な食事を取ってから、野営を切り上げようとしていた。
旅の方針が決まった以上、グズグズしている時間は無いのだ。
「眠れませんでしたか、お嬢様?」
セディルは、お茶の入ったカップを渡しながら、エリーエルの顔を見た。
彼女を休息させる為にここで野営したのだが、余り十分な睡眠は取れなかったようである。何度か寝入ったものの、その度に悪夢に跳ね起きるというのを、彼女は朝まで続けていたのだ。
お蔭で今のエリーエルの様子は、酷いものだった。
黒く染めた髪はボサボサで、どんよりと濁った目に、血の気の失せた頬、いつも艶やかだった唇も今は乾いている。
ほんの十日前まで、帝国中の若い貴族に求婚されていた天使の美少女が、今は本当に貧民の女の子にしか見えない。
(うーん、まさか本当に、皇子様に婚約破棄されて国外追放に成るとは……。『悪役令嬢』と言い切るには、お人好しのところもあったのに……)
流石にこの事態には、セディルでも同情を感じざるを得なかった。
アンナが甲斐甲斐しく彼女の世話をしているのだが、余り反応が無い。家族の処刑から一日が経ったが、その喪失感は増すばかりなのだろう。
「誰か来るぞ」
その時、不意にライガの警戒網に足を踏み入れた者がいた。
街道の方から、誰かがここにやって来る。
日が昇ったばかりなので、人々が活動を始めるには、まだ少し早い時間なのに、だ。
「おや、こんな所で野営しておられた方がいたのですか?」
ガサガサと茂みを掻き分け、現れたのは、大きな荷物を背負った『小人族』の男だった。
『小人族』と呼ばれる者達は、大まかに『人』と呼ばれる種族の一つである。
その姿は、人間の十歳から十二歳くらいの子供にそっくりであり、知らない者なら、間違えられる事も良くある。
しかし、それが彼らの立派に成人した姿であり、小人族と呼ばれる所以でもあった。
小柄で陽気、運気に満ち溢れた彼らは、数こそは多くは無いが、旅芸人や商人として活躍する者も多く、主に人間の街で暮らしている。
その出自こそ不明な種族だが、何かと差別される事が多い『獣人』とは違い、人間からも『無害な友人』として受け入れられていた。
セディル達の野営地に現れた小人族の男も、帽子を被った茶色い髪に人の良さそうな童顔、小柄な身体を持った、どこにでもいる行商人のように見える。
「あんたは、何者だ?」
ライガが男に対応し、そう訊ねる。
「わたしですか? 見ての通り、ただの行商人ですよ。こんな所でお会いしたのも、何かのご縁。何かご入用の物は、ありますか?」
男はニコニコとした笑顔で、彼らに商談を持ち掛けて来た。
「ご家族での移動中でしたか? それなら、朝食に新鮮な果物など如何でしょう?」
大人の男女が二人に、子供が二人なので、そう見えたのだろう。男は背負った荷物の中には、食べ物もあると話す。
「いや、結構だ」
「そうですか。ご入用の物はありませんか。それでは、わたしにお売り頂ける物はございませんか?」
男は奇妙な事を訪ねて来た。
こんな場所で野営する一行に、売る物はないかと訊いても、普通ある筈が無いだろうに。
「……売るような物は、無い」
「いえいえ、そんな筈はありませんよ。あなた方はお持ちではありませんか、『高値で売れるお宝』を……」
変わらずニコニコとした笑顔を張り付けた顔で、小人族の男は、二人の子供の内の一人を見つめた。
それは、男の子の格好をしたエリーエル。
彼の視線は、迷わず彼女を捉えている。
「その子供を、わたしに売って頂きたいのですよ」
そう言って、男はエリーエルを指差したのだ。
「ええっ!!」
小人族の行商人が、突然訳の判らない事を言い出したので、アンナは咄嗟にエリーエルを抱き締めた。
事態を把握したセディルは、ジッと相手の一挙手一投足を見つめている。
「……この子は、売り物では無いのだがな」
「代金は、ちゃんと支払いますよ。そこそこ良い値段を、ね。それに、あなた方の命も保証します。お金で済むなら、こちらとしても事を荒立てる気は無いのです」
男は笑顔を絶やさず、一方的に商談を続けた。
エリーエルの身柄を、金と彼らの命で買い取ろうと申し出て来たのだ。その男が、ただの行商人ではない事は、もう明らかだった。
「わたしの『依頼人』が、そちらのお嬢様を欲しがっておりまして、ね」
「『堕天使の黒血』を作る為にか?」
冷ややかな眼光で、ライガが問う。
「おや、『それ』を知っていましたか? という事は、わたしの依頼人の事も既にご存知なのですね」
ここまで来てもなお、笑みを絶やさず、男はその事実すらも認めた。
(こいつ、ウォルドーズ伯爵が寄越した刺客かっ!)
その言葉で、セディルは確信した。
金目当ての街のならず者ともゴロツキとも違う、敵が送り込んで来た『本命の刺客』が、ついに来たのだ。
「それで、どうしますか? 素直にお嬢様を、お売り頂けませんかねえ。先程言った通り、商談さえ成立すれば、『わたし達』は、あなた方に危害は加えませんよ」
男は、自分を複数形で名乗った。
周囲の木々がざわつき、小鳥が羽ばたいて逃げ出す音が聞こえて来る。ライガやセディルだけでなく、アンナとエリーエルでさえ、複数の人の気配が感じ取れた。
刺客は、彼一人だけではない。
この場所には、既に十人以上の何者かが配置されていたのだ。
「子供一人に、大げさな事をするものだな」
「言って置きますと、我々は全員『レベル7以上』です。抵抗は、無意味だと思いますよ」
幼げな顔に人の良い笑みを浮かべた男は、自分達の力を余裕と共に誇示して見せた。
「レ、レベル7以上っ! そんな人が、たくさんっ!」
エリーエルを抱き締めたアンナが、絶望的な声を上げる。職に就くとはいえ、一般人の彼女にとっては、その数字を聞いただけで、抵抗する気力を失ってしまう程の戦力であった。
そのアンナの服を掴み、エリーエルは震えていた。
敵への恐怖だけではなく、身を焼くような怒りにもよって。
彼女も、事態は把握していた。
クレイム家を滅亡に追い遣った男、ウォルドーズ伯爵。
その伯爵が、彼女を手に入れる為に、ここに刺客を差し向けて来たのだ。
今、エリーエルの前に、その敵の手下達がいる。
(ですが……、今のわたくしには、何も……出来ませんわ……)
どれだけ憎しみを募らせようと、どれだけ力を渇望しようと、今の彼女は身分も保護者も失ったただの『レベル1』の女の子。
この場に現れた強力な刺客達を退ける事は、絶対に不可能なのだ。
彼女の優秀な頭脳は、単純な足し算引き算の結果として、その答えを導き出す。
このまま戦えば、彼女に付いて来てくれた三人の平民の命は奪われ、自分も連れ去られる。全ては、それで終わってしまうのだ。
(でしたら……、わたくしはクレイム伯爵家の最後の令嬢として、命よりも誇りを選びますわ)
エリーエルは、決然とした顔で前を向くと、小人族の男をキッと睨み付けた。
震える足を踏ん張り、いつもの傲岸不遜な態度を無理矢理にでも呼び覚ます。
「下郎、わたくしがお前達と行けば、この者達の命は助けると言った、その言葉に、偽りはありませんのね?」
彼女は、男にそう確認を取った。
目的は、自分一人なのかと。
「お、お嬢様、いけませんっ!」
彼女が何を考えたのか、アンナも理解し、慌ててエリーエルを止めようとする。
しかしエリーエルは、アンナの手を振り払って、男と対峙した。
彼女は、敗北を受け入れたのだ。
もう、ここまでだと。
この戦力差では、いくら管理人が強くても、セディルが抜け目無くても、どうにもならない、と。
それならば、自分の身柄と引き換えにしてでも、彼らを護らなければならない。
彼女は高貴なる義務を果たす為、悲壮な覚悟で、自らを生贄にしようとしていた。
「ええ、勿論ですとも、お嬢様。わたしの依頼人が求めているものは、あなたのその身だけです。他の者は、見逃しますよ。お約束しましょう」
小人族の男、おそらくは、この場に来た刺客達のリーダーは、満面の笑みを顔に浮かべて、エリーエルにセディル達の安全を保障した。
そんな彼女を、アンナが絶望の眼差しで見つめ、セディルは不思議なものを見るように見つめていた。
「では、行きましょうか、エリーエルお嬢様」
男がエリーエルを連れて行こうと、その手を差し伸べる。
エリーエルは、屈辱の怒りに身を焼きながらも、その手を取ろうとした。
しかし、それをライガの大きな手が遮る。
「お嬢様、『忍び』が敵と交わす約束は、全て方便です」
静かな口調で、だが力強くライガがエリーエルにそう言った。
「管理人?」
「おや、わたしが『忍び』だと、気付いていましたか。という事は、あなたもご同業ですかね?」
ライガの鋭い目を、男が覗き込む。
子供と大人以上の身長差がある為、その姿は、虎と栗鼠の様にも見えた。
「師匠の言う通りですよ、お嬢様。忍びとの約束は、『正当なる契約』以外は、信用しちゃ駄目です。馬鹿を見ますよ。こいつらは、お嬢様を手に入れた後で、予定通り僕達も殺すんですから」
それが当然の事だと、セディルも言う。
何故なら、彼でも間違いなくそうするからだ。
「やれやれ、信用して貰えませんでしたか。では、実力行使と行きますか」
男がパチンと指先を弾くと、森の木々の隙間から影の様に黒い人の姿が滲み出た。
黒い頭巾に黒い忍び装束、背には刀を背負った者達。
その数、十二人。
男の言葉通りなら、全員がレベル7以上の『下忍』達だ。
「か、管理人! どうしますの、お前でも無理ですわ、こんな数っ!」
現れた下忍の数に、エリーエルが取り乱す。
敵が約束を守らないのならば、彼女が身を差し出しても、彼らの命を護る事は出来ない。
これでもう、彼ら達が生き延びる道は、断たれてしまったのだ。
「お前も『下忍』ならば、知っているだろう。忍びの恐ろしさは……」
小人族の男の口調と表情が、変わり始める。
さっきまでの人の良さそうな童顔が一変し、表情を失くした非情の仮面となった。
男の姿が、一瞬にして忍者装束を纏った下忍のそれに変わる。
一般魔法の最高位、第十レベルの魔法【装着】を使ったのだ。
「馬鹿な奴だ、クレイム伯爵家が滅んだ時点で、その娘を見限っていれば、死なずに済んだものを」
クククッと、下忍の男が嗤う。
先程までの朗らかな笑みとは、まるで別人の笑い声だった。
「お前、随分と腕が立ちそうだな」
力を抜いた自然体でその場に立ちながら、ライガは男の実力を探った。
下忍の男が身に着けている装備品は、いずれも安物ではない。間違いなく、実力者が身に纏う高級品であった。
「それくらいは、判るようだな。俺のレベルを知りたいか? それを知っても、戦う気になるかな」
クククッと、男が再び嗤う。
「教えてくれるのか?」
「良いだろう。死に行く者には、礼儀くらい尽くそう。聞くが良い、俺のレベルは15。俺は『マスター』なのだっ!」
絶対的な優位を確信したその言葉が、森の中に響く。
小人族の下忍。
ウォルドーズ伯爵が遣わした刺客達の首領は、『マスターレベル』の下忍であった。
「マ、マスターレベルの下忍っ!」
それを聞き、エリーエルの絶望がさらに深くなる。
マスターレベルと呼ばれる『レベル15』の男が率いる、『レベル7』の以上の十二人の下忍達。
どう考えてみても、別荘の管理人とレベル1の平民に何とか出来るような戦力差ではなかった。
「そうだっ! 我々こそが、闇に生き闇に死す奈落の住人。我らこそが、現代の『忍者』なのだっ!」
下忍マスターの男は、誇らしげに彼らの前でそう宣言した。
男に従う十二人の下忍達も、無言で彼の言葉を称える。
「あ、あ、あ……」
相手は、失われた忍者の業を僅かとはいえ現代に伝えし者達。
家を滅ぼした者達の恐怖の正体を目の当たりにし、エリーエルは、蒼い瞳から一筋の涙を零す。
最初から、敵は強大な戦力を有していたのだ。
父や兄達が、戦って勝てる相手では無かった。
勿論、彼女も抵抗する手段は無く、このまま彼らの虜となる。
クレイム伯爵家は、本当に負けたのだ。
それを悟り、少女は誇り高い頭を下げ、その場に膝を突こうとしていた。
「酷い勘違いだな」
しかし絶望するエリーエルとは違い、ライガは、やれやれと苦笑し面倒臭そうに首を振った。
「滑稽だよね、師匠~~。お腹痛いよ、僕っ!」
セディルに至っては、口元を片手で押さえて『プーッ、クスクス』と噴き出しそうな笑いを堪え、もう片方の手でお腹を押さえている。
絶体絶命のこの状況下にあって、二人は、面白い道化の一人芝居を見るような目で、マスターレベルの下忍の男を笑っていた。
「お前達……、何を笑っていますの?」
「何だ? 気が変にでもなったのか、忍びとしては情け無い話だが……」
セディルとライガの様子に、エリーエルと下忍の男が怪訝そうな顔をする。
彼らも、そしてエリーエルも知らなかった。
真なる恐怖の存在が、ここにいる事を。
下忍が何人集まろうとも、そんな数に意味は無い。
紛い物に、本物を超える事は出来ない。
下忍では、忍者には勝てないのだ。




