第四十一話 処刑場に集う者
その日、帝都の中央にある巨大な広場には、万を超える人々が集まっていた。
普段は多くの出店や屋台が出され、大道芸人が芸を競い、大勢の帝都人達で賑わう人々の交流の場所だが、国がある『特別な催し』を行なう時には、そうした者達は場所を譲り、その催しを見物する人々がやって来る。
十五万もの人口を抱える巨大都市、『帝都ジーネロン』だが、そこに暮らす者達には、日々の暮らしと仕事がある。
彼らもそうした日常を放り出して来る訳には行かず、普段の催しならば、多くても数千人程度の見物客しか来ない筈だった。
しかし、この日は違った。
たとえ仕事を放り出したとしても、それを見届けたいという民衆が殺到し、広大な面積を持つ筈の広場が人で埋まってしまったのだ。
人々は騒ぎも起こさず、ジッとその時を待っている。
この場の警備を特別に担当する事に成った、『皇帝親衛騎士隊』の騎士達も、完全武装で直立不動し、広場の中央を見つめている。
そこには、組み上げられた高い舞台が設置され、巨大な斧を構えた大男が待機していた。
本日、この場所で行われる催しとは、『罪人の処刑』であった。
それ自体は、珍しいものではない。
死刑を言い渡された犯罪者は、こうした広場で処刑される。
一般人であれば絞首刑に処され、貴族であれば処刑人に首を刎ねられ、冒涜的な背教者は火炙りの刑に処せられるのだ。
庶民にとっては、処刑の見物も娯楽の一つなので、それを見ようと多くの見物人が来る事も普通であった。
だが、今日これから行われる罪人の処刑は特別である。
その罪状は、『皇帝殺し』。
このジーネボリス帝国に於いて、これ以上の罪は無い。
主君殺しの大逆罪である。
帝国の人々にとっても、皇帝は特別な存在であった。『賢帝』ミルファウス・オルト・ジーネイアの功績を、知らぬ帝国人などいないのだ。
それ故に、彼らは待っている。
偉大なる皇帝を裏切った、罪人の到着と死を。
処刑場と化した大広場、そこに集まる万の群集の後方の路地で、二人の少年が言い争いをしていた。
二人共、粗末な服を着て、大きな帽子を被った黒髪の子供達だ。
その恰好は、この帝都の何処にでも入り込んで小銭を稼ぐ、貧しい下層階級の少年達に見える。
「離しなさい、平民っ!」
だが、一方の少年が叫ぶ言葉は、そうした貧民の子とは、明らかに異なる階級の者を思わせるものだった。
「怒られる~、僕、確実に師匠に怒られる~~」
汚した包帯を顔に巻いた少年は、悲壮な表情でそんな嘆き節を口にしつつ、もう一人の少年を後ろから羽交い絞めにしていた。
今にも広場に突撃しようとしている少年を、彼は力ずくで止めているのであった。
「離せと言っていますわ、平民っ! 大体、許可も無くわたくしの身体に触れて、無事で済むと思っていますのっ!?」
「これは、『緊急避難』です。このまま行かせたら、お嬢様は騎士達に捕まっちゃいますよ」
変装した黒髪の少年セディルは、同じく変装して男の子に化けているエリーエルの耳元で、囁くようにそう言った。
「それでも、それでもですわっ! こんな事が、あって良い筈がありませんっ! お、お父様と、お兄様達の、しょ、処刑だなんて……」
ありえない事実を前にして、彼女の蒼い瞳から悔し涙が滲む。黒く染めた細い眉を吊り上げ、変装の為に汚した頬が、怒りと絶望にピクピクと震えている。
彼女がその事を知ったのは、今朝の事。
彼らが隠れ潜む『廃棄地区』の隠れ家で、ライガが情報収集に出て行った後に、セディルの口を割らせて知ったのだった。
今日、彼女の父と二人の兄が処刑される、と。
それを知ったエリーエルは、止めようとするセディルとアンナを振り切る為に、逃走用の目晦ましの魔法、魔術師系第一レベルの【闇霧招来】まで使って隠れ家を飛び出し、処刑が行われる大広場に走って来た。
その彼女を追い掛けたセディルは、この路地裏まで来てようやくエリーエルを見つけ出し、その身柄を確保したのであった。
「僕が教えちゃったのが、間違いでしたね。師匠の言った通り、お嬢様には事後報告にして置くべきでした……」
セディルも悩んだのだ。
家族が処刑される事を、彼女に話すべきか否か。
その迷っている様子のところを不審に思い、情報封鎖にイライラしていたエリーエルが問い詰めて来て、ついこの事を話してしまったのだった。
「僕も、まだまだ修行が足りないかな」
身を捩ってもがき続ける彼女を、両腕で押さえつつ、セディルは己の甘さを恥じた。
「わたくしは、あそこへ行かなければ成りませんのよっ!! わたくしが行って、この愚かな処刑を中止させなくてはっ!!」
エリーエルの様子は、正に必死だった。
自分が処刑場に飛び込めば、処刑が中断される筈。何を根拠にしているのか判らないが、彼女はそう確信しているようだ。
それでもまだ『天使の翼』を顕現させて、本当に飛んで行かないだけ、多少の冷静さは残っているのだろう。
そんな事をされては、セディルでも止める事は出来なくなる。
彼は、その僅かに残っている彼女の冷静さに賭け、説得を試みた。
「そんな事、出来ませんよ。良いですか、お嬢様。この処刑は、『皇帝殺害』に対する処罰なんです」
「それが、どうしたと言うのっ!?」
キッとした厳しい目付きで振り返り、エリーエルは後ろにいるセディルを睨みつける。
冷静さを残しつつも、彼女は取り乱していた。いつもの彼女なら、今のセディルの言葉で、彼が言わんとしている事も察する事が出来た筈だ。
「皇帝陛下は、死んだんです。蘇生も失敗したそうですから、『完全死亡』です。国家元首を殺した犯人の処刑を、その犯人の身内が来たくらいで止める政府なんてありません」
興奮しているエリーエルに、理路整然と道理を説くセディル。
皇帝の死。
それを先ずは、彼女に受け入れて貰わなければならない。
「くっ……、でも、それでも、お父様が陛下を殺した犯人の筈はありませんわ。陛下を殺したのは、あの手紙にあった、ウォルドーズ伯爵なのでしょうっ!?」
「多分、そうなんでしょうけど、もう手遅れです。何しろ、この処刑を統括して実行する責任者が、そのウォルドーズ伯爵なんですから」
セディルは、ライガから彼が集めて来た情報について聞いていた。
帝国政府は、皇帝の死を正式に発表し、その大まかな経緯も公表しているのだ。
皇帝を殺害したのが、忠臣と呼ばれていたクレイム伯爵であった事。彼が密かに帝国の禁を破り、犯罪行為に手を染めていた事。その罪の告白を皇帝に迫られ、彼は主君を殺して自害した事。
要所のいくつかをぼかしているが、今はもう、それが人々の知る真実と成ってしまっている。
そして、それらの事実を発表し、今回の事件の収束を行なった人物こそが、仮面の貴族ガレッザ・ウォルドーズ伯爵という男であった。
「お嬢様が処刑台に押し掛ければ、そこにはウォルドーズ伯爵もいるんです。相手は『マスターレベル』以上の錬金術師だそうですから、お嬢様や僕じゃあ、手も足も出ませんよ」
仮にエリーエルが名乗り出て、彼こそが真犯人だと告発しても、子供の戯言として片付けられてしまうだけだろう。
彼女が何を言おうが、一笑の下に捻じ伏せるだけの力を、ウォルドーズ伯爵は既に手中に収めてしまっているのだ。
「うっ、うっ、ううう~~!!」
歯を食い縛って唸るエリーエルだが、冷静にそうした理屈を囁かれれば、溢れる感情とは別に、彼女の理性的な頭脳が働き出す。
皇帝と父は死んだ。
それは、エリーエルにとっての最大の庇護者にして、『秘密の共有者』の消滅を意味していた。
彼らを失った今の彼女には、これから行われる処刑を止める実行力が無い。帝国政府を動かす術も、家族を奪還する個人的な武力も、何も無い。
その事実は、否も応も無く認めざるを得なかった。
ならば、今自分が出来る事は、成すべき事は。
エリーエルの顔に、苦渋の決意が浮かぶ。息がハッハッと荒くなり、耳も聞こえ辛くなるような違和感を彼女は覚える。
「止められない処刑なら、わたくしは……、それを見届けなければ、成りませんわ……」
喉から苦みを絞り出すような声で、彼女はそう言った。
「本気ですか?」
流石のセディルも、それは躊躇った。
これから彼女が目にするであろうものが、控え目に言ったとしても『地獄絵図』に成るだろう、という認識があったからだ。
「そう、見届けなければ、成りませんわ……。お父様、シリアルド兄様、エヴンス兄様は、わたくしの掛け替えのない『家族』なのです……から……」
蒼い瞳に涙を滲ませる少女は、それでも視線を正面に向ける。
無数の群集に囲まれた忠臣、高く設置された処刑台は、遠くからでもとても良く見えるのだった。
警護の騎士達の誘導によって、見物に訪れた人々の間を、罪人を乗せた馬車が通る。
人々のザワザワとした声が、潮が引くように消えて行く。
鉄板で覆われた黒塗りの馬車が、その静けさの中をゆっくりと進み、処刑台の前に到着した。
そして馬車の中から、一人の男が降りて来る。
長身痩躯に黒いローブを纏い、顔に無機質な鉄の仮面を着けた男。
その登場に、群衆が僅かにざわめく。
人々が囁き合い、噂される彼の名が、その口伝えに周囲へと流れて行った。
今回の処刑を取り仕切る責任者、ウォルドーズ伯爵。
クレイム伯爵死亡後、俄かに帝国政府内で、その存在感を高めているという仮面の貴族であった。
「あれが、ウォルドーズ伯爵か……」
見物人の間に滑り込んだセディルは、前列に立った人の隙間から、その男の姿を垣間見た。
隣には、厳しい表情をしたエリーエルもいる。
彼女は、決して処刑場に飛び出したりはしないとセディルに誓い、彼と一緒に群衆の中に紛れ込んでいたのだ。
変装に工夫を徹底したお蔭なのか、運良くエリーエルの事は周りにはバレないでいる。
この場に集まっている見物人の数が数な上、人々の意識は今、処刑台に集中している。その為、子供二人は誰の注意も引かなかった。
エリーエルは大き目の帽子を目深に被り、瞬きもせずに鉄張りの馬車を凝視していた。
そこから縄目を掛けられ、強引に引っ張り出される二人の男性と、屈強な処刑人に担がれる粗末な棺に目を奪われていた。
それは、セディルも確認した。
引き出されたのは、エリーエルの二人の兄。
シリアルドとエヴンスだった。
過酷な拷問を受けた為か、若い青年貴族の二人の身体は無残に傷付いていた。
特に血を滴らせる口元がおかしい事に、セディルは気付く。
(あれは、二人共顎を割られているのか……。変だよね、拷問で顎を割ったら、証言する事も出来なくなる。腕の良い拷問人がそんなヘマをする筈がないし、事故なら怪我を魔法で治す事も出来る筈……)
その違和感に、セディルは自分で答えを出した。
(万に一つも、余計な事を喋らない様に、そのままにしてあるんだ……)
滞りなく処刑を遂行する為に、敵は彼らに力づくの沈黙を強いたのだろう。
クレイム伯爵の息子で、父親の仕事を手伝っていた二人に『証言』されては都合が悪い、という者がいるのだ。
「あ、あ、お兄……」
手荒く扱われる痛々しい二人の兄の姿を見て、エリーエルは思わず叫び声を上げようとした。
しかしエリーエルが叫ぶよりも速く、セディルは彼女の肩を後ろから抱き抱える様にして押さえつけ、片手でその口を塞いだ。
「むぐっ!」
暴れないように、それに叫び出さない様に、セディルは彼女を圧倒する『能力値』を駆使して、少女の身体を抑え込んだ。
口から声が出せず、鼻から息を吸うエリーエル。
「『緊急避難』ですからね……」
この時、この場に居続けるには、セディルも手段を選んではいられない。彼女にそう囁きかけ、力を加減しつつも、絶対に喋らせない様に隙は見せない。
処刑台に上らされる、二人と棺。
そして台の上に持ち込まれた棺の蓋が開けられ、その中に納められていたものが明らかにされた。
棺から引き摺り出されたものは、壮年の男の遺体。
兄達二人のような外傷こそ無いものの、服毒の影響らしく、死体の肌色は不自然なまでにどす黒く変色していた。
それでも、セディルとエリーエルには、その男性が誰なのか一目で判った。
(クレイム伯爵……)
見間違える筈がない。
七年前、村を追われて流れ者に成ったセディルとセディナが生き延びられたのは、彼らを拾ってくれたライガと、セディルの別荘への滞在を許可してくれたクレイム伯爵のお蔭なのだ。
二人は、彼ら兄妹の命の恩人だった。
それはある種、セディルの中で『契約』と同じ意味を持つ行為。
自分勝手に夢と浪漫を追い求めている彼だったが、唯一契約にだけは反しない、と己の中に『掟』を定めている。
その掟によりセディルは今、クレイム伯爵が最も望み、優先するであろうエリーエルのこの場での保護を、全力で行なっているのであった。
処刑台の上に並べられた、傷付いた二人の兄と変わり果てた父親の死体。
帽子と黒く染めた髪で隠されたエリーエルの蒼い瞳は、この時、限界まで見開かれていた。
この場に来る時、彼女はセディルに騒がず飛び出さずと約束していたが、そんな事はもう頭から吹き飛んでいた。
彼に力づくで拘束されていなければ、この場に居るのが自分一人でなければ、エリーエルは翼を広げて処刑台まで飛んで行ってしまっていただろう。
「帝国民諸君よ、見るが良い、ここに並ぶ者達が、ジーネボリス帝国に大いなる禍を成した者。偉大なるミルファウスⅣ世陛下を、亡き者とした反逆者達であるっ!?」
同じく処刑台の上に登壇したウォルドーズ伯爵が、群衆に向かって、そう声を張り上げた。何らかの魔法効果を使用しているのか、その声は、大広場の隅々にまで不気味なほどハッキリと響き渡った。
『オオオオオオオオーーッ!!!』
群衆がどよめき、各所で怒りの声が上がる。
長きに渡って善政を布き、帝国を統治して来た皇帝は、臣民達からも慕われる存在であった。
怒涛の様に轟く憤怒は、その反動。
自分達から、敬愛する統治者を理不尽に奪った事に対し、民衆は復讐を叫ぶ。
その圧倒的な民意による支持を受け、ウォルドーズ伯爵は指をパチンと鳴らした。処刑人達が頷き、早速その準備に移る。
首謀者とされたクレイム伯爵は、既に物言わぬ死体と成っているが、処刑人達はその動かぬ身体を断頭台に乗せ、それぞれが配置に就いた。
「やれ」
ウォルドーズ伯爵が仮面の奥から、処刑人に短くそう命じた。
巨大な斧を持つ黒い頭巾を被った大男の処刑人は、ただその命令に従う。
大斧を振り上げ、断頭台に置かれたクレイム伯爵の首筋目掛けて、それを手慣れた作業の様子で振り下ろした。
(あっ! くっ、ああ、アアアアアアアッ~~!!)
呆気無い程簡単に、父親の首が胴体から離れるところを、エリーエルは目撃した。
セディルに口を抑え込まれているので、声も出せず、その絶叫は彼女の身体の中に木霊する。
続いて、兄二人も同じように断頭台の前に跪かされる。
二人共覚悟は、決めているのだろう。
彼らは見苦しい振る舞いを見せず、誇りだけは保とうとしっかりと顔を上げていた。
妹がそれを見ているとは、知らぬ二人。
その二人にも、次々と処刑人の大斧が振り下ろされた。
クレイム家の男達の首が刎ねられ、処刑人がその首を高々と掲げ、勝利のトロフィーのように民衆に晒して行く。
『オオオオオオオオオオオオオオオッーー!!!』
喝采を叫ぶ群衆。
警備を行っていた皇帝親衛騎士隊の騎士達も、槍を突き上げて、その叫びに同調する。
処刑の行われた大広場は、流された血に酔い痴れ、熱狂に包まれた。
そして、最後の仕上げが行われる。
処刑台の上に並べられた、三つの死者の首。
そこに、処刑人が手にした巨大な鋼鉄のハンマーが振り下ろされる。
頭蓋骨が砕け、脳漿が、眼球が台の上に飛び散った。
首から上が残っていれば、確率は高くなくとも、僧侶系魔法による蘇生が可能に成る。
それ故に、処刑した罪人はその首を晒した後、その頭部を完全に破壊する処置が成される。これがこの世界に於ける、死刑の一般的な流れであった。
頭部が破壊されれば、如何なる手段を用いようと、死者の蘇生は不可能。
その事を、エリーエルは魔法学院で学び、寺院の大司教からも聞いて良く知っていた。
原型を留めぬまでに破壊され、骨片と挽肉に成ってしまった父と兄達の頭を見て、彼らの死を絶望と共にその心に刻み込まれた彼女の激情は、我慢の限界を超えた。
(お父様ッ!! シリアルド兄様ッ!! エヴンス兄様ッ!! エリーエルを一人にしないで下さいッ!! 今、お側にッ!!)
蒼い瞳に焼き付いた、その光景には、もう耐えられなかった。
彼女が家族の下へ飛び立とうと、その背から天使の翼を広げようとした、その瞬間。
「ぁぐっ!」
彼女の鳩尾に、セディルの拳が叩き込まれた。
肺の中から空気が強制的に絞り出され、エリーエルは息が出来なくなる。視界が揺らぎ、彼女の意識は急速に遠のいて行った。
「『緊急避難』です……」
彼女の耳元で、少年がそう呟いたのを最後に聞き、エリーエルは目蓋を閉じて気を失った。
激情に駆られた彼女とは反対に、包帯に覆われたセディルの顔からは、一切の表情が消えていた。今の彼は、ライガから学んだ通り、目的遂行の為に手段を選ばない一人の忍者に成っていたのだ。
「んん、どうした坊主?」
彼らの側にいた船乗りらしい髭面の男が、蹲った彼女を見て、声を掛けて来た。筋骨逞しく、腕には刺青も見える、ちょっと怖そうな人だった。
「いやあ、ちょっと、弟が気分を悪くしちゃったみたいなんだ~」
セディルは、人畜無害な子供の声でそう誤魔化した。
「そりゃあいけねえな。そもそも、こんなものは子供が見るもんじゃねえぞ」
見た目に反して常識的な男だったらしく、その言葉には嘘の無い労りがあった。生首が潰されるのを見た子供が、吐きそうに成ったのだろうと心配してくれたのだ。
「あはは、そうですね。じゃあ、僕達は帰ります」
もうこれ以上、この場に居るべきではない。
男に愛想笑いをし、ぺこぺこと頭を下げると、セディルは気絶したエリーエルを背負ってその場から立ち去ろうとした。
しかしそんな彼の背中に、背負ったエリーエルの身体越しに見えない何かが突き刺さる。
忍者として、万物に関わる魔素の流れを感じ取る技術を徹底的に磨いて来たセディルだからこそ、それを読み取る事が出来た。
(誰かに、見られている……)
うなじの毛が逆立ち、肌が泡立つ。
只者ではない誰かが、今彼を見つめているのだ。
(あいつか……)
それはおそらく、処刑台の上に立つ、クレイム伯爵の敵ウォルドーズ伯爵。マスターレベル以上の者でなければ、これだけのプレッシャーを自分に感じ取らせる事は出来ないだろう、とセディルは思考した。
セディルは、振り向いた。
そして、目が合った。
包帯の隙間から覗くセディルの黒い瞳と、鉄仮面のスリットから覗くウォルドーズ伯爵の金色の双眸が、見えない一直線の糸で結ばれた。
(ヤバい、あいつヤバい。師匠並に、ヤバい相手だっ!)
レベル22の忍者、ライガ・ツキカゲという『超人』と、日常的に接して来た彼だからこそ、判る。
あの男は、マスターレベル以上の『錬金術師』などでは無い、と。
(間違いない。あいつは、『ハイマスター』以上だ……)
セディルが確信した、ウォルドーズ伯爵の力。
それは彼の師と同じ、人の限界を超えし選ばれた者。
不老の肉体と、強大な魔力。
魔術師系魔法を最高位まで極め、神秘の薬の効果を操る錬金術師。
その影響なのだろうか、彼の魔素の流れは、人間よりももはや魔物に近い。
(伯爵様……、敵の力を、完全に読み間違えていますよ。あなたは、良い人過ぎました。変な遠慮をせずに、あなたは最初から師匠に、あいつの『暗殺』を依頼すべきだったんです)
諦観と共に、セディルはそう悟っていた。
クレイム伯爵は、ライガの事を『友達』だと思っていたのだろう。
だから、冒険者を辞めたライガに、無理な『仕事』の依頼はしなかった。彼がその友人に遠慮がちに頼んだのは、愛娘の保護だけだったのだ。
伯爵がライガに、ウォルドーズ伯爵の暗殺を依頼していれば、二人の友人関係は破綻し、ライガは伯爵の下を去ったであろう。
それを判っていたから、クレイム伯爵は、ライガに汚れ仕事をさせなかった。
(でも師匠なら、去る前に、その『仕事』だけはやって行った筈だよ。伯爵様は、それだって判っていただろうに……)
それでも、クレイム伯爵という人物は、自分の正しいと思った道を進んだのだろう。
その結果、敗軍の将と成ろうとも。
セディルは、顔を逸らした。
背にズシンとした、重さを感じる。背負うエリーエルの羽根のように軽い身体が、急に重さを増したように感じられたのだ。
レベル1とはいえ、彼は冒険者だ。
報酬を貰い、仕事を引き受けた以上は、その『契約』を果たさなければ成らない。
たとえ、その記念すべき『初仕事』が、世界有数の大国から追われる女の子を、数も力も備えた悪漢達から護りつつ、国外まで逃がす、などというものであったとしても。
(うーん、冒険者って、思っていた以上に大変だ~~)
溜め息を吐きたくなったが、これ以上幸せが逃げても困るので、我慢する。
そしてセディルは、騒ぎ立てる群衆の間を縫って、大広場からエリーエルを背負い、静かに抜け出して行くのだった。
そんな子供達の姿を、ウォルドーズ伯爵は、処刑台の上から見ていた。
今、自分と目が合った、少年。
ただの子供にしては、気になる目をしていた。
だが、それよりも彼が気にしたのは、その子供に背負われていたもう一人の子供だった。
下層民の二人の子供。
彼からすれば帝都の何処にでも居る鼠と同じ生き物に過ぎない。
勿論、この大広場にもそのような子供はたくさんいて、今の処刑を見物していた。
それ故に、その二人の存在を注視した者は、ここに集まった人々の中でも彼だけであった。
「子供よ、その宝を本当に護りたいのならば、宝物庫にでもしまい込み、大切に隠して置くべきであったな……」
そう言った生ける髑髏が、仮面の下で笑った。
完全勝利を手にする為に必要な『最後の宝』を、ウォルドーズ伯爵は今、見つけたのだった。




