第四十話 皇宮会議の結末
強大なるジーネボリス帝国を治める者達が住まう宮殿の奥深く、そこに一部の者にしか知られていない、秘密の会議室があった。
あらゆる魔法による潜入も脱出も探知も許さない、強力な結界に護られたその部屋では、帝国の歴史上、重要人物達によって様々な事柄が話し合われ、時に非情の決定が下されて来た。
ある時には、軍事的野心の為に戦争の開始が決まり、またある時には、愚行を繰り返す皇族への名誉ある死が命じられるなど、この場所での決断により歴史が動く事すら珍しくは無い。
そして今日もまた、その部屋に人が集まり、ジーネボリス帝国の明日が話し合われる。
「では、事件の状況説明を私から行わせて頂きます。宜しいでしょうか、皇太子殿下?」
双眸だけを覗かせた鉄仮面を被り、黒いローブを着た長身の男が、長テーブルの上座に座す男性にそう確認を取った。
「うん、頼むよウォルドーズ伯。私もまだ、何が何だか事情が良く判っていないからね」
呼び掛けられた男性、ジーネボリス帝国皇太子エンドレイスは、この会議の進行役を買って出た仮面の伯爵に、戸惑いつつも発言の許可を与えた。
その部屋は、全体が石壁で覆われた六角形をしていた。窓は無いが天井は高く、そこに魔法の明かりを灯す水晶球が浮かんでいる。
出入り口は一つだけ。
頑丈な鉄の扉が壁の一面にあるが、そこは今、内側から鍵が掛けられて厳重に閉ざされている。
部屋の中央に長方形のテーブルが置かれ、そこに今、五人の男性が着席していた。
上座の椅子には皇太子が座り、そこから一番近い左右の席に、二人の年配の男性が座る。
一人は、六十歳代の男性で、見事な銀髪を持つ老人。
彼は帝国の文官を取り纏める役を担う、『帝国宰相』イクミウス・オードナー。
もう一人は、四十代半ばに見える重厚な板金鎧を着込んだ、燃えるような赤い髪の大男。
マスターレベルに達した『装甲騎士』にして、『帝国軍総騎士団長』を務める、グライズム・フォーガスであった。
さらにその横に、第二皇子ラドラティスと、仮面を着けたウォルドーズ伯爵が座っている。
ウォルドーズ伯爵は、本来この会議に出席出来るような立場には無い。
しかし、薬品関係に詳しい『錬金術師』である事と、事件の調査を第二皇子と共に進め、彼の推薦を受けた事によって特別に参加を許されていた。
その彼が会議の進行役を担っているのは、本来それを行なうべき宰相イクミウスが、憔悴し切った顔で生気を失っているからである。
騎士団長のグライズムは、そんな宰相をジロリと一瞥しただけで、何も言わない。
「事件の発端は、皇帝陛下が私室に於いて、クレイム伯爵と二人で会っている時に起こりました。陛下は人払いをされており、そこには侍従も護衛の騎士も居らず、隣室でラミレス医師が待機しているだけでした」
無機質な仮面の奥から、淡々と事実関係だけを語る声が響く。
「侍従と護衛の騎士が異変に気付いたのは、それからしばらく時間が経過してからの事です。陛下のお部屋から、何の呼び出しも掛からず、彼らは不審に思ってラミレス医師の下へ行ってみました。すると、医師の姿も見えません。何かあったのかと考え、陛下の私室に向かうと、彼らはそこで皇帝陛下とクレイム伯爵、それにラミレス医師の遺体を発見したのでございます」
事件の最初の発見者である侍従と騎士達の供述調書を手にし、ウォルドーズ伯爵がそれらの状況を説明する。
「陛下とラミレス医師は、同じ刃物で胸を貫かれ、そこに塗られていた毒によって即死。クレイム伯爵の身体には外傷が無く、服毒によって死亡したと見られます。伯爵の遺体の側には、血塗られた短刀と毒入りの小瓶が残されておりました」
そう調書を読み上げると、ウォルドーズ伯爵は室内の者達の様子を見回した。
皇太子以下、皆そこまでの事は既に知っている。
問題は、何故そんな状況に成ってしまったのか、という事だった。
「それで、ウォルドーズ伯。その状況を説明出来るものは、見つかったんだね?」
第二皇子ラドラティスが、伯爵に続きの説明を促した。
彼と伯爵とは既に打ち合わせ済みであり、会議での話の流れは、この二人が作り出していた。
「はい、調査の結果、皇帝陛下は密かにクレイム伯爵の素行を調べさせていたようです。伯爵が秘密裏に行っていた、ある犯罪について、その証拠を掴んでいたようでございます」
顔を持たない男は、仮面の上でも、その下でも、全く変わらぬ鉄面皮を貫き、堂々とそのよう話をし始める。
「は、犯罪っ!? あのクレイム伯爵が? それを、父上が調べていたの?」
あり得ない事を聞いたように、驚いたエンドレイスが思わず椅子から腰を浮かせる。
「はい、陛下の部屋で見つかった調査資料によりますと、クレイム伯爵は、ある『特殊な毒』を密造し、それを裏社会に販売して利益を得ていたようなのです」
「ど、毒!? 毒って、例の『堕天使の黒血』という、今回の事件で父上達を殺すのに使われた毒物の事かい?」
「はい、左様でございます」
慌てる皇太子に対して、ウォルドーズ伯爵は落ち着いた口調でそう答える。
「『堕天使の黒血』。これは大変稀少で、怖ろしい猛毒であります。私達『錬金術師』にとっても禁忌の薬であり、各国々でも禁制品として、製造、販売、所持、使用が法により禁止されております。勿論、それはこのジーネボリス帝国でも同様でして、これらが発覚すれば誰であろうと『極刑』が言い渡される事に成りますな」
そう語り、ウォルドーズ伯爵は立ち上がる。
「皇帝陛下の死が確認された後、ただちに『寺院』に連絡が行きました。ヘルス大司教以下、高僧達が呼ばれ、あらゆる儀式を尽くして陛下の蘇生を試みましたが、残念な事に、ご帰還は叶いませんでした」
皇帝への蘇生魔法の行使は、二度とも失敗し、その玉体は崩壊した。
これで『賢帝ミルファウスⅣ世』の死は、確定したのであった。
「大司教様ほどの方が儀式を行っても蘇生に失敗した理由、それが陛下の殺害に使用された毒物、『堕天使の黒血』の効果によるものなのです」
「毒の効果?」
「はい、『堕天使の黒血』が禁制の品とされている理由、それはこの毒が、『蘇生の完全阻害効果』を持っているからなのでございます」
薬物の専門家である錬金術師の口から、その毒が持つ恐るべき効果が語られた。
死すらも覆す僧侶系魔法の奇跡、蘇生魔法。
その奇跡を否定する、死の毒物。
人の希望と、人の闇が交差し、敵対した結果生まれた、それは矛盾の産物であった。
「クレイム伯爵は、皇太子殿下の相談役に成り、近い将来にはイクミウス閣下の後継者として、帝国宰相に成る事も決まっておりました。そのような重要な大役を任せるに当たり、皇帝陛下は万に一つの瑕疵もあっては成らないと、伯爵に対する厳重な身辺調査を秘密裏に行ったのでしょう。その結果、伯爵の犯罪が判明し、陛下は伯爵を呼び出して、彼に罪を告白するよう迫った。二人きりで会ったのも、陛下の温情だったようです。しかし最早これまでと追い詰められた伯爵は、陛下と駆け付けたラミレス医師を隠し持っていた毒塗の短刀で刺殺し、自らも同じ毒を飲んで自害した。これが、今回の事件の全貌と推測されます」
ウォルドーズ伯爵が事件のあらましと、その悲劇の源と成った『堕天使の黒血』の効果を説明すると、分厚い石壁に囲まれた部屋の中は、重苦しい沈黙に支配された。
信じられないような事態ではあるが、一応の筋は通っていた。
「うーん、でも何だか話がおかしくないかな?」
しかし皇太子エンドレイスは、腕を組み、首を傾げて困った様子で口を開く。
「父上は、クレイム伯爵の事を、信頼出来る優秀な人物だと評価していた筈だよ……」
そう言って、さらに私もそう思っていたよ、と付け加える皇太子。
自分の相談役に成り、さらに宰相にまで成る筈の人物だったのだから、彼もクレイム伯爵には信頼を置いていたのだ。
「それに、私の息子のアレイファスとクレイム伯爵の娘のエリーエル嬢との婚約も、正式に決まっていたんだ。父上の譲位を受けて、私が新皇帝に即位すれば、アレイファスが次の皇太子に成る。新皇帝の相談役で、皇太子の義父に成る予定だった伯爵が、そんな事をする必要があったのかな?」
どう考えても、割に合わない選択。
クレイム伯爵は、途轍もなく良い流れに乗っていた。良い流れに乗っているのなら、流れに逆らう必要は無いのに、というのがエンドレイスの考えだった。
「事実は小説よりも奇成り、という言葉もありますよ、兄上。クレイム伯爵は、父上のご寵愛を裏切り、犯罪に手を染めて私腹を肥やしていたのですよ」
肩を竦め、残念な事だと溜め息を吐く第二皇子ラドラティス。
「ねえ、イクミウス。君はどう思うの?」
父親と同年代の宰相に、エンドレイスは意見を求めた。
「……わたしは……、判りません。何が起こったのか、陛下からも何もお話を聞いていませんでしたので……」
そう言って項垂れる宰相イクミウスは、心労からか歳よりも老けて見えた。
彼は、長らく皇帝に仕えて来たが、官僚型の人間であり、決断力には欠けると言われていた。
事務仕事や文官達の管理には有能さを発揮し、帝国政府を丸く治めて来た事は評価されるが、事なかれ主義者という批判もあった。
それでも、皇帝自身が判断力と決断力に優れた人物だったので、特に問題には成らず、二人の間で帝国は上手く運営されて来たのである。
そんな彼だったので、突然皇帝という主君を失い、今は途方に暮れていた。
「それが正しいと言う根拠は、何かあるのか?」
それまで目を閉じて話を黙って聞いていた騎士団長グライズムが、腹に響く重たい声でウォルドーズ伯爵に訊ねる。
その見開いた眼光は鋭く、皇帝と同じ歳ではあるが、マスターレベルに達した戦場往来の古強者の気迫には些かの衰えも無い。
彼は生粋の武人型の人物で、政治には関わらず、ただひたすら『皇帝の剣』として帝国の敵と戦って来た男であった。
「はい、ございますよ、閣下。何よりも決定的な根拠が」
騎士団長の眼光にも全く怯む事無く、ウォルドーズ伯爵は声に自信を乗せた。
「クレイム伯爵が密造していた『堕天使の黒血』を精製する為には、ある『特別な原料』を必要とします。この毒が稀少品とされるのは、その精製が難しいだけでなく、その原料の入手が非常に困難であるからです」
錬金術師が作り出す、様々な効果を持つ『魔法のポーション』。
それを精製する為には、無数の『錬金素材』を必要とする。
素材の中には、ありふれた物もあれば、滅多に手に入らない珍しい物もある。『魔法薬』の稀少性と値段は、それら素材と錬金術師の実力によって上下する。
それ故に、錬金術師は、まだ見ぬ貴重な錬金素材を求めて、冒険者に成る者もいるという。
「特別な原料?」
「そうです。『堕天使の黒血』、その原材料は……、『天使の生き血』でございます」
そう言った瞬間、ウォルドーズ伯爵の金色の目が、貪欲の色に一瞬染まった。
しかしそれに気付いた者は無く、皆は、彼が語った『堕天使の黒血』の原材料の正体に戦慄していた。
「て、天使の生き血!? そ、それじゃあ、まさか……」
クレイム伯爵と天使。
それが、正に一直線に結び付く関係にある事を、この場の誰もが知っている。
「そういう事でございます。クレイム伯爵はよりにもよって、『実の娘の生き血』を使い、第一級禁制の毒を密造し、利益を得ていたのですよ」
ウォルドーズ伯爵の話に、皇太子も宰相も、そして騎士団長までもが息を飲んだ。
その言葉に含まれる『毒』が、彼らの思考を蝕む。
「それ故に、エリーエル嬢もその父親と同罪、と見做す事も可能かと思われます。自らの生き血を、毒薬の製造に提供していたのですから」
彼女を、皇帝の殺害に関与した容疑者として手配している理由を、そのように話して正当化するウォルドーズ伯爵。
「いや、どうなんだろう……。あの賢くて意志の強い子が、いくら父親の命令でもそんな犯罪に加担するとは思えないよ」
次々と新事実を提示され、エンドレイスが首を捻る。
自分が思っていた事と、何かが違う。
違う事は判るが、具体的には判らない。
「自分の血が毒に成るだなんて、彼女も知らなかったんじゃないのかな? 私だって、『堕天使の黒血』が天使の生き血を原料にしているなんて事は、今知ったんだよ。天使だって、何も世界に彼女一人という訳じゃないんだし……」
判らないので、彼はそれらの疑問をつらつらと口にしてみる。
そのエンドレイスの困惑した様子をジッと観察し、ウォルドーズ伯爵は助け舟を出した。
「確かに、その可能性はあります。天使に関わる『錬金素材』の話は、錬金術師にとっては秘匿事項とされており、ほとんど世間には知られておりませんから」
「秘匿事項?」
「はい、巷では天使の血を飲めば若返るだとか、肉を喰えば寿命が延びる、などという話が噂として飛び交う事がございます。そのような話が広まる度、我々錬金術師は、それらの噂は無知蒙昧な者達の妄想であり、ただの迷信であると世間には説明して参りました」
人の身に天界の使途の魂を宿した『天使』とは、人々にとっては神秘の存在。
その存在が滅多に見られない事もあって、色々な噂話が飛び交う種族でもあるのだった。
「しかし、それらの話のいくつかは、『事実』なのでございます。天使の血肉を素材とすれば、『錬金術師』や『魔道具師』は、欲深い人々にとって垂涎の品と成る物を創り出せるのです。それ故、我々錬金術師は、悪辣な『天使狩り』を防ぐ為の方便として、それらの噂話を否定しております」
天使は人口の割合に比例して、農民の夫婦などの間に生まれて来る事が多い。
そうした場所で天使が生まれると、すぐに『魔法学院』や『寺院』が引き取りに赴く。
彼らは天使を囲い込むと、自分達の手で優秀な『魔術師』や『僧侶』に育て、自らの組織の権威付けに使ったりして来た。
だが、そうした理由の他に、悪用しようとする者の手から天使を護る為、という大義名分もあるのだった。
「うーん、そうだったのか」
天使に生まれるという事は、本来祝福である筈なのだ。
それなのに、天使に生まれた為に背負ってしまう宿業があるという事実に、エンドレイスは唸った。
「結局……、それはエリーエル嬢に直接聞いてみないと、判らないかな。取り敢えず、彼女の手配を解いて、出て来て貰ったらどうだろうか?」
エリーエルを逮捕に向かった皇帝親衛騎士隊が屋敷に踏み込むと、そこにはもう彼女の姿は無かった。
屋敷の地下に、脱出用の地下通路が発見され、彼女はそこから数名の護衛と共に逃走した、とエンドレイスは報告を受けている。
彼女も追われているから逃げるのであって、帝国政府から正式に裁判への出頭を要請すれば、出て来てくれるのではないか、と皇太子は考えた。
「クレイム伯爵の二人の息子は、捕らえてあります。ただいま尋問中です」
「ああ、彼らもいたね。それじゃあ、裁判で二人の話を聞いてみよう。事情が事情だから、非公開の裁判に成ると思うけど、どういった経緯でこうなったのか調べないと……」
クレイム伯爵の嫡男と次男、シリアルドとエヴンスの事は、彼も良く知っている。
父親の仕事を手伝っていた彼らなら、事情を判っている筈だった。
「いえ、その必要は無いかと。既に証拠も証人も揃っております。自白についても、問題無く得られるでしょう。クレイム伯爵の二人の息子も、父親の共謀者に間違いありません。即刻、処刑を執り行うべき、と意見具申させて頂きます」
しかしウォルドーズ伯爵は、真相究明よりも事件の収束を皇太子に提案する。
即ち、首謀者達の処刑を。
「ええっ、裁判無しで処刑するの!?」
事件が事件ゆえ、通常の手続きが困難な事は、エンドレイスも承知しているが、即刻処刑というその提案は、想定の範囲外だった。
「事は、緊急を要します。皇帝殺害されるの報は、既に帝国全土を駆け巡っているのです。今必要なのは、一刻も早く事態を収束させ、国家の威信を回復させる事でしょう。その為には、皇帝陛下殺害の実行犯を確定させ、速やかに処刑を実行する。皇帝陛下の葬儀と並行して、皇太子殿下にはただちに新皇帝として即位して頂き、帝国の体制が盤石である事を国の内外に示す。これこそが、今我々が成すべき事でございます」
全ては、帝国の為。
今日まで発展して来たこの国に、余計な混乱を引き起こす事は、統治者にとっても民衆にとっても害に成るだけである、と話すウォルドーズ伯爵の意見は正に正論であった。
「うむ……、だが、ね、シリアルド君とエヴンス君だって、優秀で真面目な子達だったし……、ほら、最悪でも私の即位時の恩赦で死刑を回避するとか、出来ないかな?」
伯爵の正論に対し、エンドレイスは情に訴えて来た。
彼だけに許される、救済案を提示する。
「兄上、父上の殺害犯一味に恩赦を出されるのですか? 忠臣だと信じていた者に裏切られ、殺された父上のご無念をお考え下さい」
「………………」
第二皇子ラドラティス、実の弟にそう言われては、彼も強い主張は出来なくなった。
父親を失ったのは、彼も同じなのだ。
「宰相閣下、騎士団長殿は、どうお考えでしょうか?」
ウォルドーズ伯爵が、二人の実力者に話を振る。
それらの決定には、彼らの賛同が必要だったからだ。
意見を求められ、疲れた顔の宰相イクミウスは、目を閉じて考えた。皇帝が死んだ今、宰相として彼がやらなければ成らない一番の仕事とは何かを思考し、口に出す。
「確かに、最も優先されるべきは国家の安寧です。それはミルファウス陛下もお望みだった事。ここは兎に角、皇太子殿下の即位を急ぐべきかと……」
事なかれ主義者と揶揄される老人は、主君と後継者を失い、易きに流れた。
面倒な事件捜査よりも、国の安定が彼の望みだった。
「自分の敵は、帝国の敵であります。帝国の安寧を脅かし、国体に害を成す者あらば、このグライズム、容赦は致しません」
巌のような騎士グライズムは、あくまでも軍人である自分を貫き、帝国内の政治には関わらない覚悟であるらしい。
彼の忠誠は、国と皇帝家にのみ捧げられたものだからだ。
そして、決定は下された。
皇帝殺害事件の首謀者は、オーネイル・クレイム伯爵とする。
死亡した伯爵とその二人の息子は、斬首刑。
クレイム伯爵家は、領地と全財産を没収して家名は廃絶。
一族郎党の者達も同様に、身分と財産を没収し、北方の流刑地へと送られる。
逃亡を続けているエリーエルに対しては、『平和喪失者』としての宣告が成される事と成った。
彼女は、ジーネボリス帝国内に於けるあらゆる法的保護の対象から外され、以後は『人獣』同様の追放者とされる。
当然、アレイファス皇子との婚約も、この瞬間を持って正式に破棄される事と成った。
由緒あるこの部屋の中で、再び歴史は動いたのであった。
「父上も、エリーエル嬢と孫のアレイファスの婚約決定を、お喜びだったのだけどなぁ……」
裁判を経ずに全ての罪科が決定され、会議の終了と同時に、エンドレイスは溜め息を吐く。
何故か話は、クレイム伯爵が首謀者として起こした大逆罪として纏まってしまった。
彼としては、こんな話が真実だとはどうしても思えなかったのだが、皆からそうするべきだ、と強く言われては、これ以上の反論は出来なかった。
新皇帝としての恩赦を封じられた以上、既に成人していて、父親の仕事を手伝っていた事が明白なクレイム伯爵の二人の息子を助ける手立ても、彼には思いつかない。
エリーエルは、別荘の管理人と共に行方を晦ませている。おそらくは、国外に逃亡しようとしているのだろうと推測されていた。
(せめてエリーエル嬢の手配だけは解除したけど……、彼女を追放者にしてしまった……)
子供の彼女だけはという、エンドレイスの望みにより、エリーエルは国外追放処分とする事で収まった。
それでも、彼女の身分と財産は失われ、もう戻る事は無い。
(無事に逃げおおせてくれると良いけど、他国に逃げたとしても、身分も財産も失い、ただの平民に成ったあの子が、果たして生きて行けるだろうか?)
生まれつきの皇族の彼では想像も難しいが、社会の底辺の暮らしは良いものではないらしい。
全てを失った彼女が、どのようにして生活して行くのか、彼には判らなかった。
(アレイファスには何と説明すれば良いのかな? あの子、エリーエル嬢の事、本気で好きみたいだし……)
父親としては、それも心配だった。
数日前、クレイム伯爵がアレイファスの求婚を認め、エリーエルとの婚約を許してくれた事を、彼は息子から聞いている。
その時のアレイファスの喜びようを思い出し、憂鬱な気分に成る。
それが全て、無かった事に成ったと、父は息子に告げなければ成らないのだ。
「父上、私はどうすれば良いのでしょうか?」
エンドレイスの口から、もういない父親にそう訊ねる言葉が思わず漏れてしまった。
しかし当然のように、死者は何も語らない。
先帝による譲位という当初の予定は狂ってしまったものの、彼の新皇帝就任は、恙無く執り行われる事で、首脳陣の意見は一致した。
それらの方針が決まった以上、ジーネボリス帝国政府は、速やかに決定事項の実行に移る。
クレイム家の者達への処罰が行なわれ、それを持って事件は収束、以後は先帝の葬儀と新皇帝の即位が同時に行われるのだ。
巨大なる帝国を動かす歯車は、決して止まらない。
たとえ、そこに一匹や二匹の『鼠』が挟まろうとも、それは動き続けるのであった。
閉ざされた会議室から、ウォルドーズ伯爵と第二皇子ラドラティスが出て来た。
顔を失い、生ける骸骨に魔法の仮面を被る彼の表情は、誰も窺い知る事は出来ない。
しかし、常人であるラドラティスの顔には、微かな安堵の色が見えた。
「殿下、お父上を亡くされ、悲しみにくれるのは判りますが、あなた様には帝国の未来を支える重要なお役目がございます」
ラドラティスの顔に無機質な鉄仮面が近付き、金色の双眸が彼の両目を捉える。
一瞬ぎょっとした彼だが、伯爵が言わんとしている事は理解出来た。
「あ、ああ、そうだったな、ウォルドーズ伯爵……。まだ、気を、抜く訳には行かないな……」
冷汗を流しながらも、自分の相談役の警告に頷くラドラティス。
まだ全てが終わった訳では無く、足場を固めるのはこれから。
その事は、彼も判っていた。
「……しかし、皇太子殿下は、良きご提案をしてくれました」
主人が身を引き締めたのを確認し、ウォルドーズ伯爵は顔を上げて話し続ける。
「兄上の提案?」
「エリーエルの事でございますよ。彼女は、平和喪失者と成りました。それは、誰の保護も受けられない身分、という事です」
刑罰として下されるその処置は、国内に於いてあらゆる法の保護を受けられず、誰からも護られない立場に成るという意味。
それを宣告された者は、生きる為に国外に逃げるしか無い。
皇太子の希望によって、エリーエルの手配自体は解除されたが、彼女も罪科からは逃れられなかったのだ。
「ならば、我らが手に入れてしまったとしても、なんら問題はありませんな」
ウォルドーズ伯爵の双眸が、今度こそ貪欲の色に染まり切る。
錬金術師は、貴重な錬金素材を追い求め、究極の真理を目指す者。
そんな彼にとっては、血の一滴、肉の一切れでも、手に入るならば、手に入れて置きたい最も魅力的な実験材料、それが『天使の肉体』なのだった。




