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第8話 修理屋

脚の壊れた人形では、戦えない。

戦えなければ、金は稼げない。

金がなければ、脚は直せない。

俺は、椅子に座る動力の切れた彼女を見ながら、同じところを回り続ける問いを、一晩じゅう転がしていた。

焦げた外套にくるんだ右脚の先が、椅子の短い脚のほうへ、少しだけ傾いでいる。


迷宮に潜れないなら、別のことで稼ぐしかない。

そう思えたのは、腹が鳴って、どうにもならなくなってからだった。




まず迷宮ギルドで、雷鼠の歯を換金した。

四匹分で、銀貨一枚と銅貨八枚。

安い食堂でパンとスープを腹に入れ、残りで市場を回った。

中古の木槌、迷宮蜘蛛の糸をひと巻き、岩トカゲの軟骨をひとかけ。

それを抱えて、迷宮の入口前の広場へ向かった。


広場の端には、地べたに店を広げる連中がいる。

欠けた剣を研ぐ者、穴の開いた鎧を継ぐ者、そして、人形を直す者。

人形の修理は、オートマタギルドに頼むのが間違いない。

だが、ギルドは高く、待たされる。

その隙間で、ギルドに属さず、金のない冒険者を相手に商売する人形師を、街の人間は「藪」と呼ぶ。

今日から、俺もその仲間入りだ。


転がっていた木箱を台にして、拾った木切れにチョークで書いた。


〈人形修理 銀貨一枚〉


初日は、誰も来なかった。


二日目の朝、犬型を連れた若い冒険者が、俺の前で足を止めた。


「こいつの左の前脚、調子が悪いんだ。見てくれるか」


「ああ。魔力を落としてくれ」


胴から左前脚を外し、付け根を覗く。

膝の軸が、わずかに曲がっている。

腱の糸も、一本、ほつれて切れかけていた。

母の店で、冒険者が持ち込む中古の脛当てを直していたころと、やることは変わらない。

曲がり方を見れば、どこで何にぶつけたかが分かる。

木槌で軸を叩いてまっすぐに戻し、ほつれた糸を張り替えた。


魔力を戻すと、犬型はその場で二度、三度と跳ねた。


「にいちゃん、いい腕してるな。ギルドに持ってったら銀貨七枚で三日待ちだとよ。あんたに頼んでよかった」


「……どうも」


礼を言われたのは、久しぶりだった。

その日は、もう一人、犬型を連れた客が来た。


三日目の朝には、木箱の前に列ができていた。

腕のいい藪が、銀貨一枚で見てくれる。

最初の客が、酒場でそう言いふらしてくれたらしい。


四日目の夕方には、来月の家賃と、目の詰んだ白樺の角材の代金が、袋の中に揃った。

あと二日もあれば、鑿と膠と紙やすりの分も揃う。

そうすれば、彼女の脚を彫り始められる。


五日目。

店じまいしようと木箱を片づけかけたとき、目の前に小さな影が立った。

フードを深くかぶった少女だった。

十三か、十四か。

腕の中に、変わった形の犬型を抱えている。


「……もう、今日は終わりですか」


「いや。見るよ」


「この子、最近すごく調子が悪いんです。前は、魔獣がいたらすぐに教えてくれたのに」


地面に下ろされた犬型を、俺はしばらく黙って見た。

耳が、垂れている。

体は白樺と樫の継ぎはぎで、脚の一本ごとに、色の違う木が使われていた。

古くなった部品を、壊れるたびに、手に入る木で替え続けてきたのだ。


「珍しいな。君の人形か」


「はい。親から受け継いだんです。猟犬型っていう、古い人形だって」


猟犬型。

ギルドの教本で、名前だけは見たことがある。

索敵のための小さな四つ足で、とうの昔に作られなくなった型だ。


「認識器か、そこへ行く線が弱ってるのかもしれない。少し時間がかかる。魔力を落としてくれ」


「はいっ。お願いしますっ」


作業のあいだに、少しだけ話を聞いた。

少女の名前は、ミミといった。

フードの下で、ときどき何かが、ぴくりと動く。

獣族の耳だ。

獣族を嫌う人間は、この街にも少なくない。

それを隠すためのフードなのだろう。


猟犬型の胴の魔術回路には、問題がなかった。

次に頭の蓋を開けて、認識器の板を見た。

手が、止まった。


「……これ、君が認識器を取り替えたりしたか」


「いいえ。そんな難しいこと、できないです」


「……だよな」


板が、小さい。

俺の知っている犬型の、半分ほどしかない。

描かれている線も、はるかに少ない。

そして、その線の引き方を、俺は見たことがなかった。

四つの窓のうち、目と耳には、ほとんど魔力が流れていない。

鼻と感知の窓だけが、細く、薄く、広く開いている。

この猟犬型は、ふだん、ほとんど何も見ていないのだ。

それなのに、魔獣だけは確かに見つけていた。


俺は、彼女に全部を見せようとした。

四つの窓すべてに、たっぷりと魔力を流した。

その彼女が、水の中のコアを、突き損ねた。


「ミミさん、だったな。ひとつ頼みがある」


「ミミでいいです。……なんですか」


「この猟犬型の中身を、もっと詳しく見たい。ここじゃ暗くて無理だ。ただでもいい。君の家で作業させてもらえないか」


ミミの肩が、こわばった。


「……ミミには、家がありません」


少しの間があった。


「……でも、直してくれるなら。あなたの家に、行きます」




下町の部屋まで、ミミは三歩うしろを、ずっと黙ってついてきた。

動かない猟犬型を、両腕できつく抱えたまま。


部屋の前でミミを待たせ、先に入って、椅子の上の彼女に布をかけた。

人の形をした人形を見れば、たいていの人間は気味悪がる。

片脚のない人の形なら、なおさらだ。


「どうぞ」


「……お邪魔します」


「椅子はひとつしかないんだ。ベッドに座ってくれ」


ミミはベッドの端に浅く腰かけ、布をかけられた人の形をちらりと見て、すぐに目を逸らした。


「あの」


「なんだ」


「必ず、直してくれますか。約束、してくれますか」


「たぶん直せる。けど、絶対とは言えない」


「そんな……」


ミミは猟犬型を床に下ろした。

それから、震える指で、コートの留め具を外し始めた。


「お願いです。ミミは、我慢しますから。この子だけは、必ず直して」


「待て」


自分でも驚くほど、大きな声が出た。


「そういうことじゃない」


「……だって、ただで直してくれる人なんて、いないから」


その一言で、分かった。

この子は、そういう目に遭いかけたことがあるのだ。


「家に来てもらったのは、明るいところで道具を全部広げて作業したかったからだ。それだけだ」


ミミは、しばらく俺の顔を見ていた。

留め具にかけた指が、ゆっくりと離れた。

次の瞬間、ミミは声を上げて泣き出した。


泣き止んでから、少しずつ話を聞いた。

両親は、少し前に死んだ。

頼れる親戚はいない。

親が残したものは、この猟犬型だけだった。

冒険者になろうともしたが、戦ったこともない獣族の子どもを入れてくれるチームは、どこにもなかった。

今は浅い層で、冒険者が捨てていった壊れた道具や素材のくずを拾い、屑屋に売って暮らしている。

魔獣に出くわさずにいられたのは、猟犬型が先に気づいてくれたからだ。

その猟犬型が、最近、何も知らせてくれなくなった。

だから、もう何日も潜れていない。


俺も、十四のときに母を亡くし、店を畳んだ。

借金を返したら、何も残らなかった。

それからしばらく、物乞いと変わらない暮らしをした。


腹が減ると、人はどんなことでも考える。

そのことを、俺は知っている。

棚に残っていたパンとスープを温め直して、ミミの前に置いた。

ミミは熱いスープをふうふうと吹きながら、ひと口ずつ、大事そうに飲んだ。

食べ終わると、張りつめていたものが切れたのか、俺のベッドで丸くなって眠ってしまった。

外れたフードの下で、茶色い三角の耳が、ときどき小さく動いていた。


猟犬型の頭から、認識器の板を取り出す。

板の裏にも、線が描き込まれていた。

表の線と裏の線が、板を挟んで、ところどころで結び合っている。

こんな描き方は、ギルドの教本のどこにも載っていない。

裏の隅には、小さな紋がひとつ刻まれていた。

作った人形師の印だろうか。

見たことのない形だった。


頭の底には、親指の先ほどの、琥珀色の石が埋め込まれていた。

千鳴蜂の群核だ。

通常のものより、ひと回り大きい気がする。

市場には、まず出回らない。

同じ巣の群核は、離れていても共鳴するという。

この猟犬型と共鳴する相手が、どこかにいるのだろうか。


調子が悪かった原因は、すぐに分かった。

感知の窓へ向かう線が一本、長い年月で擦り切れて、消えかけていた。

上から、銀墨で丁寧になぞった。


それから紙を広げ、表と裏の線を、紋も含めて一本残らず書き写した。

全部を見ない。

見るべきものだけを、見る。

書き写しながら、何度も、布の下の彼女のほうを見た。

目で狙えば、水の中の石は、見えている場所にはない。

けれど、感知の窓で、石の放つ魔力そのものを拾えたら。

写し終えたとき、窓の外は白み始めていた。


「……おはよう、ございます。すみません、寝ちゃって」


「おはよう。直しておいた。起こしてみてくれ」


「はいっ」


ミミは猟犬型の額に自分の額をこつんと当ててから、うなじの起動陣に触れた。

垂れていた耳が、ぴんと持ち上がる。


「ワンッ、ワンッ」


「あ……鳴いた。調子が悪くなってから、ずっと鳴かなかったのに」


猟犬型は部屋をひと回り嗅ぎ回り、それから、布をかけた椅子の前で、ぴたりと止まった。

鼻先を、布の奥に向けている。


「この子、何か見つけたみたい」


「……それは、俺の人形だ」


ミミは少し迷ってから、聞いた。


「この子にも、名前、あるんですか」


答えるまでに、少し時間がかかった。


「……エリス」


迷宮ギルドの広間では、それだけで笑われた名前だ。


「きれいな名前」


ミミは、それだけ言った。


それから足元の猟犬型の頭を撫でて、声を落とした。


「……この子にも、本当は名前があるんです。父さんが付けた。誰にも言っちゃだめだって言われてるから、言えないけど」


「言わなくていい」


「はい」


ミミは、少しだけ笑った。


「本当に直ったかは、潜ってみないと分からない。しばらくは気をつけてな」


「はい。……これ、お代です」


ミミは、薄汚れた銅貨を十枚、俺の手のひらに押しつけた。

きっと、これが全部なのだ。


「いらない」


「でも、ご飯まで」


「代わりに、教えてくれ。この紋に、見覚えはないか」


紋の写しを見せると、ミミは首を横に振った。


「この猟犬型を作った人形師は」


「知らないです。父さんのおじいさんが、どこかで手に入れたって話しか」


「頭の中に、千鳴蜂の群核が入ってた。なんでだか、分かるか」


「……ごめんなさい。さっぱり」


「外しても、動きには障りがないみたいだ。売れば、それなりの金になる」


琥珀色の石を差し出すと、ミミは、石と俺の顔とを見比べた。


「……じゃあ、修理屋さんが持っていてください。お代の、代わりに」


そう言われて、名乗ってもいなかったことに気づいた。


「カイだ」


「カイさん」


「ありがたく、もらっておく。また調子が悪くなったら、訪ねて来い」


「はい。ありがとうございました」


ミミはフードをかぶり直し、猟犬型と一緒に、朝の通りへ出ていった。

ぴんと立った耳が、角の向こうへ消えた。




あの子は、笑っていた。

同じ年のころの俺は、あんなふうに前を向けていただろうか。

いや。

今でさえ、俺は前を向けていない。

布の下で、片脚のない彼女が、黙って椅子に座っている。

ミミの笑顔を思い出すと、手のひらの群核を、売る気にはなれなかった。


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