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第5話 カイの一号機

迷宮ギルドは、迷宮の上に建つ白い塔の一階を、まるごと使っている。

天井が高く、声がよく響く。


人目を避けるために、朝早く来た。

彼女が人型だと、気づかれたくなかった。

だが広間は、もう、これから潜る冒険者と人形でごった返していた。


床に伏せた狼型が、主人の足元で耳だけを動かしている。

牛型の背には、ロープと食料と空の袋が、山と積まれている。

壁際の大きな登記板には、階層ごとのエリアの図が描かれていた。

第二階層から下のエリアには、それぞれ、どこかの商会の紋が打たれている。


彼女には、フード付きのマントを着せて、顔を半分隠してある。

それでも、歩き方までは隠せない。

一歩ごとに体が前に傾き、次の一歩で受け止める。

模擬戦で右手に短剣を持たせていた癖が残っているのか、何も持っていない今でも、少し左に傾いでいる。


広間のざわめきが、俺たちの周りだけ、少しずつ引いていった。


「おい、あれ」


「人型だ」


「歩いてるぞ。人型って、歩けたのか」


「歩けてねえだろ、あれ。転びかけてるだけだ」


視線が、マントの裾から覗く木の足首に集まる。

俺はそれを全部、聞こえないふりで受け流した。

ギルドの工房で、三年間ずっと浴びてきた種類の視線だ。


受付の列に並び、順番が来た。

カウンターの向こうにいたのは、眼鏡をかけた若い女の職員だった。

書類の束を揃えながら顔を上げ、俺を見て、それから俺の隣を見て、ほんの一瞬だけ手を止めた。


「冒険者の新規登録ですね。登録料は銀貨五枚です」


袋から銀貨を五枚数えて、カウンターに置いた。

これで、袋の中には何も残っていない。

最後の銅貨二枚は、魔力ポットや道具を入れるための、使い古しの背嚢に化けていた。


職員は、登録用紙をこちらに滑らせた。


「お名前と、所属があればご記入ください。それから、連れていく人形の登録を」


名前の欄に「カイ」と書く。

所属の欄で、ペンが止まった。


「オートマタギルドの方ですか? その外套の留め金」


「元、です」


それだけ言って、所属の欄は空けたままにした。

職員は、それ以上何も聞かなかった。


その下に、人形の登録欄がある。


〈持ち主〉

〈番号〉

〈種別〉

〈コア〉


俺の手が止まったのを見て、職員が説明を始めた。


「人形は、持ち主のお名前と番号で登録します。種別の記載はお任せします。コアには、獣系か知性系かをお願いします」


知っていた。

知っていて、手が止まったのだ。


ペンを持ち直す。


〈持ち主〉の欄に、もう一度「カイ」。

〈番号〉の欄に――。


指が、少し固くなった。


「一号機」


たった三文字。

書いてしまえば、それだけのことだった。


〈種別〉の欄に「人型・女性型」と書くと、職員の眉がわずかに上がった。


「人型の登録は、私がここに座ってから初めてです」


「でしょうね」


〈コア〉の欄に「知性系」と書くと、眉はもう少し上がった。

知性系のコアは弱い。

それを人型に入れる人形使いなど、この街にはまずいない。

弱いものに、さらに弱いものを重ねているのだから。


それでも職員は何も言わず、用紙を受け取った。

奥の机で何かを打ち込み、小さな銅の札を持って戻ってくる。


「こちらが人形の登録札です。迷宮の中では、必ず見える場所に付けておいてください。持ち主の分からない人形は、拾った者のものになりますので」


札には、刻印でこう打たれていた。


〈カイの一号機〉


細い鎖がついている。

首にかけるためのものだ。


俺は、フードの上から、彼女の首に鎖をかけた。

銅の札が、小さく揺れた。

首輪みたいだ、と思った。


「登録は以上です。今日は、何階層まで潜られますか?」


「第一階層だけです」


「でしたら、通行料はかかりません。第一階層はギルドの管理です。第二階層から下はエリアごとに商会が管理していますので、通るときは、その商会に通行料をお支払いください」


職員は、紙の上の文字を読み上げるように、淡々と言った。


「それでは、お気をつけて」


「ありがとう。……行こうか、エリス」


「ピ」


広間が、しんとした。


さっきまでのざわめきとは違う、はっきりとした静けさだった。

近くにいた何人かが、こちらを振り向いたまま固まっている。

職員が、眼鏡の奥で目を伏せた。


「……今、名前で呼んだか」


「呼んだな。エリスって」


「人型に、女の名前かよ」


「変態人形師だ」


誰かが、喉の奥で笑った。

笑いは、すぐに広がった。


「人形と心中する口だな、ありゃ」


俺は彼女の手首を軽く引いて、出口に向かって歩き出した。


その途中で、牛型を連れた初老の男が、俺の前に立った。

日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。

腰には、長剣がぶら下がっている。

古株の人形使いなのだろう。

牛型の首には、くすんだ銅札が下がっていた。


〈ハンスの三号機〉


「兄ちゃん。悪いこた言わねえ」


男の声には、笑いがなかった。


「名前はやめときな」


「……」


「俺の兄貴がな、自分の狼型に名前を付けてた。どこにでもいる、四つ足の量産品だ。迷宮で、そいつが壊れた。持って帰れねえほどにな。兄貴は置いてこれなかった。次の日、ひとりで拾いに潜って、それきりだ」


男は牛型の首を、ごつい手で撫でた。

それから、俺の隣の彼女に目をやった。


「四つ足でも、名前をつけりゃそうなるんだ。人の形をしたもんなら、なおさらだろうよ。人形は人形だ。番号で呼んどきゃ、壊れても泣かずに済む」


「ご忠告、どうも」


それ以上は、言えなかった。

男は小さく首を振って、道を空けてくれた。


出口へ向かう途中、壁際の酒場の卓に、ひときわ大きな男がひとり座っていた。

顔の左半分に、古い傷が走っている。

人形は連れていない。

男の目は、俺ではなく、俺の隣の彼女を見ていた。


「……名前付きか」


吐き捨てるような声だった。


「胸糞悪い」


男はそれだけ言って、杯をあおり、こちらに背を向けた。


あれは、人形を見る目じゃなかった。

道具を見る目でも、珍しいものを見る目でもない。

仇を見る目だった。


変人。

変態人形師。

人形と心中する口。

結構だ、と思った。


番号で呼べば、壊れても泣かずに済む。

あのハンスという男の言うことは、正しい。

たぶん、この広間にいる誰よりも正しい。


でも、泣かずに済むために番号で呼ぶのなら、俺にはもう遅い。

泣くべきことは、とっくに済ませてある。




広間を出て、迷宮の入口へ続く通路で、俺は足を止めた。


通路の壁一面に、細かな文字がびっしりと刻まれている。

迷宮に潜り、生きて帰らなかった者たちの名前だ。


一時期、俺は毎日のように、この壁を眺めに来ていた。

だから、見たい名前の場所は、指で探さなくても覚えている。

右から五列目、上から四十二段目。


〈第三次深層調査隊 地図係 エリス〉


三年前、彼女はこの通路を通って潜り、死体となって帰ってきた。


思わず、声が漏れた。


「……エリス」


「ピ」


「……すまない。お前じゃないんだ」


「ピピ」


初めて聞く音だった。


俺の隣で、彼女が首を傾げて、壁に目をやった。

壁の名前と同じ形の顔で、彼女はその名前を見ていた。

いや、見ていたのかどうかは、分からない。


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