第2話 ピ
慣れないベッドのせいか、体じゅうが重かった。
目が覚めて最初にしたのは、人形が椅子に座っていることの確認だった。
次に、朝の光の中で、木箱の蓋を開けた。
中には、うずらの卵ほどの白い石がひとつ、綿にくるまれて眠っていた。
乳白色に、ほんのわずかな青が混じっている。
知性系のコアだ。
魔獣の心臓から取れるコアには、二つの系統がある。
黒い獣系は、強く、速い、荒々しい。
白い知性系は、知覚と魔力の扱いに優れ、主に懐きやすい。
冒険者が欲しがるのは、戦闘向きの獣系だ。
けれど、人の形をした体を動かすなら、見て、聞いて、覚える頭がいる。
どこで手に入れたのかは、今はいい。
俺は椅子の前に膝をつき、灰色のワンピースを人形の頭から脱がせた。
白樺の胸板の真ん中に人差し指を置き、ほんの少し魔力を込める。
カチッ、と音がして、小さな蓋が開いた。
中は、拳ひとつ分の空洞になっている。
人形の体の中心、コアをはめる台座のある場所だ。
手が震えていた。
情けないほどに。
コアを落とさないよう、両手で包むようにして空洞に下ろす。
台座の爪が、カチリと鳴ってコアを噛んだ。
胸板の蓋を閉じる。
次に人形を前かがみにさせ、肩甲骨の間に手をかざして、背中の観音開きの蓋を開けた。
内側には、銀墨の魔術回路が、細い川のように幾筋も走っている。
三年かけて、俺が一本ずつ引いた線だ。
コアに魔力を送る魔力ポットには、薄紫の液が三分の一ほどしか残っていなかった。
「三日、もつかどうかだな……」
蓋を閉め、人形のうなじにある起動陣に指を当てた。
息を吸う。
――カイ、と。
呼んでほしい、と思った。
思ってはいけないと分かっていて、思った。
喉の奥の発声器は、記憶の中の声に合わせて、何度も調律してある。
「ねえ、見習いくん。この子、直せる?」
最初に聞いたその声は、工房の入口からだった。
脚を引きずるボア型の綱を握って、インクの染みだらけの手をした女が、笑っていた。
二度目からは、名前で呼ばれた。
三度目からは、呼ばれるのを待つようになった。
その声の高さを、俺はまだ、少しも忘れていない。
だから、もしかしたら。
魔力を、流す。
人形の胸の奥で、低い唸りが生まれた。
木の体の内側を、細い光の線が走っていくのが、継ぎ目の隙間から見えた。
首、肩、肘、腰、膝、つま先。
光が全身にいきわたったのを確かめて、灰色のワンピースを、また頭から着せる。
長いまつ毛が、ぴくりと動いた。
閉じていたまぶたが、ゆっくりと持ち上がる。
ガラスの瞳の奥に、小さな陣の輪が、淡い青に灯った。
瞳は、俺を見ていなかった。
正面の、何もない壁を見ていた。
喉の奥で、かすかな音がした。
「ピ」
それだけだった。
高く、短く、平らな、機械の音。
「おはよう」
「ピ」
「……そうだよな」
声に出したら、少し笑えた。
笑ったのは、久しぶりかもしれない。
そのことに、ほっとした自分がいた。
笑えたのは、そこまでだった。
壁を見ていた彼女の首が、ぴくりと右を向いた。
窓の外で、荷車の車輪が石畳を鳴らしている。
次の瞬間、首は左へ跳ねた。
部屋の隅の、油の瓶のほうへ。
それから上。
天井の染み。
下。
床板の節。
また右。
「ピ、ピ、ピ、ピ」
首が、止まらない。
人形の頭の中には、認識器がある。
外の世界を拾う窓は、四つ。
目と耳と鼻、それから、まわりの魔力を拾う感知の窓だ。
彼女の頭に描いたのは、ゴリラ型の認識器を下敷きにした陣だった。
四足の中で、いちばん人に近い体をしているのがゴリラ型だからだ。
だが、ゴリラ型は獣だ。
何かが匂えば、鳴れば、魔力を放てば、すぐにそちらを向くように描かれている。
四本の脚で地面をつかんでいる獣なら、首をどれだけ振っても体は揺らがない。
椅子に座っているだけの彼女は、首を振るたびに、体ごと傾いだ。
ギルドの第七倉庫は、埃の匂いしかしない、夜の静かな場所だった。
この部屋には、油とニスの匂いがある。
窓の外を、人と荷車と四つ足の人形が、ひっきりなしに行き交っている。
彼女にとってこの部屋は、四方八方から呼ばれ続けているのと同じなのだ。
その日の残りを、頭の陣の描き直しに使った。
窓がひとつ「何かある」と言っただけでは、信じない。
ふたつ、みっつの窓が同じ方向を指したときだけ、そこに何かがある、と決める。
四つの窓から来る線を、頭の奥の一点で束ねて突き合わせる。
魔術回路の世界で「結び目」と呼ばれる描き方だ。
日が暮れるころ、彼女の首は静かになった。
窓の外で荷車が鳴っても、もう跳ねない。
俺が部屋を横切ると、少し遅れて、ガラスの瞳がついてくる。
「ピ」
「……やっと、こっちを見たな」
俺は、自分の胸を指さした。
「カイ。俺は、カイだ」
彼女は少し遅れて、俺の指先を見た。
「ピ」
返事を期待していたわけじゃない。
それでも、最初に教える言葉は、これにしたかった。




