第14話 粘体屋
ミミの初めての納品から、三日目の二階層。
パキッ。
乾いた音とともに、彼女の短剣が粘体のコアを割った。
これで、今日、彼女が倒した粘体は、七体となった。
七体とも一突き。
酸は一滴も浴びてない。
一方の俺は、粘体のコアを何度も外し、丸盾で酸を受け続けている。
同じ二本足なのに、この差だ。
パキッ。
三突き目で、ようやく俺も五体目を仕留めた。
「カイ様っ。今日はこれで、粘核膜が十二枚です!」
大盾の陰から、ミミがニコニコしながら出てきた。
銀貨十二枚を手に入れたのと同じだ。
それは、上機嫌になるわけだ。
「ここ三日で、三十体は狩ったな」
「三十五体です」
即座に訂正された。
瓶詰めと配達を任せてから、ミミはすっかり数字に細かくなった。
杜撰にされるよりは、ずっといいが。
「そろそろ、地上は夕方だろう。戻るか」
「はい」「ピ」「ワンッ」
皆が、一斉に答えた。
*
迷宮から戻ってすぐ、ミミが作り置いていた小瓶を届けに行った。
その間に、俺は、これまで聞けずにいたことを彼女に問うた。
「入口の名前の壁を通ると、お前はいつも違う鳴き方をするな。……エリスという名前が、気になるのか」
「ピ」
「どうして気になるんだ」
「ピ」
……やはり、だめか。
彼女との会話が成立しないことに苛立ちを覚え始めたころ、ミミが帰ってきた。
「カイ様。配達、終わりました」
もう道具屋の店主と顔なじみになり、世間話までしてくるらしい。
初めての納品で、緊張して泣きそうになっていたのが嘘のようだ。
「ミミ。今日狩った分を今夜中に、全て瓶に詰めることはできるか。明日は小瓶をすべて売ったあと、買い出しに行きたい」
「大丈夫です。何を買いにいくんですか」
「野営する道具だ。二階層の入口付近はもう狩りつくした。粘体の多い奥の湿ったエリアに行こうと思うが、日帰りで往復すると移動時間がもったいないからな」
「やえい……迷宮で、寝るんですか?」
「膜は乾くと破れる。二晩泊まって戻る。野宿は、昔を思いだして嫌じゃないのか」
ミミは、ぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ。今は、ロウのほかに、カイ様とエリスもいますし、ちゃんとご飯も食べれますし」
耳をぴこぴこ動かしながら、ミミはニシシッと笑った。
*
翌日は、潜る支度に充てた。
ミミが配達を終わらせてから、野営に必要な物資と中古の背負子、小さな炭炉、毛布二枚を仕入れた。
ついでに、安い板と藁と釘も。
家に戻ると、物資の荷造りをミミに任せ、俺は、木材と藁、釘を使ってベッドを作った。
この部屋にはベッドが一つしかない。
ミミがきてからずっと、俺は床で寝ている。
「す、すいません……ミミが、ベッドを取っちゃって」
「いや。気にするな。明日からしばらく迷宮の岩の上だからな。今日くらいは柔らかいところで寝たいと思ってな」
これで、明日の朝は、背中の痛みで目が覚めるということはなさそうだ。
麻紐を張って毛布を掛け、仕切りも作った。
「これで、湯浴みのたびにどっちかが外に出なくても済む。しばらく潜るから、今日はゆっくりと体を洗っておけ」
「はいっ! ありがとうございます、カイ様」
ベッドがもうひとつと、毛布一枚の仕切り。
それだけで、部屋が少し、家らしくなった。
粘体さまさまだ。
ミミが湯をつかっている間に、俺は売らずに取っておいた粘核液を彼女の関節に差し、残りを刷毛で全身に薄く伸ばした。
これで、あの日のように酸を浴びても、胸をえぐられずに済む。
俺が湯浴みしている間に、ミミは野営の荷造りを終え、すでに寝てしまっていた。
自作のベッドに横になる。
「エリス。今日からベッドで寝られるようになったぞ」
「ピ」
「……おまえも、ベッドが欲しいか」
「ピ」
いつもと変わらない「ピ」だった。
*
次の日は、まだ暗いうちに起きだした。
背負子には、炭炉を載せ、鍋を側面に結びつけた。
ミミがまとめた荷を次々と載せていく。
最後に、家の毛布まで丸めて荷の一番上にくくりつけた。
がらんとした部屋を見回して、ミミがくすりと笑う。
「家の物がほとんどなくなっちゃいました。なんだか、夜逃げするみたいですね」
「人聞きの悪いことを言うな。家賃は払ってある」
「ふふっ。はいっ」
耳がピンと立ち、尻尾がぶんぶんと横に振れている。
野営がそんなに楽しみなのか。
*
一階層は危なげなく抜け、二階層の入口にある迷宮ギルドの番所で、水袋を満たす。
皮袋一杯で銅貨二枚。
地上ならただ同然の水も、迷宮では買うものだ。
二階層の奥は湿気が多く、粘体の住処には、もってこいの場所だ。
狩りは順調にすすみ、初日は、十一体狩った。
湿った枝道の行き止まりを、野営地に決めた。
炭炉に炭を入れ、鍋をかけたところで、俺はふと気づいた。
……厠は、どうする。
厠があるのは、階段口の番所だけだ。
ここから往復すれば、狩り一回ぶんの時間が消える。
しかも一回、銅貨一枚。
「ミミ。その、用を足すときは――」
「あっちの枝道の奥、水がいい感じに流れてました。さっき見てきました」
即答だった。
「屑拾いのころは、ずっとそうでしたから。平気です」
平気でないのは、俺のほうだった。
「……わかった。俺は反対側の枝道を使う。いいか、絶対にこっちへ来るなよ」
「はい。ミミは耳がいいので、カイ様がどっちに行ったか、すぐわかります」
「わからなくていいっ」
ロウが、ふすん、と鼻を鳴らした。
*
見張りを彼女とロウに任せ、炭炉のそばで毛布にくるまる。
隣で、ぱさ、ぱさ、と音がした。
ミミの尻尾が、毛布の中で落ち着きなく跳ねている。
「どうした。眠れないのか」
「……違うんです」
毛布の中から、くぐもった声がした。
「……カイ様。ミミを拾ってくれて、本当に、ありがとうございました」
「なんだ。急に改まって」
「屑拾いで街をうろうろしてたころは……こんなふうに、誰かと冒険する日が来るなんて、思ってなかったので」
ミミは、毛布から三角の耳と目だけを出した。
「今、ミミは幸せです」
「……俺も……おまえと潜れてよかったよ。俺とエリスだけじゃ、会話ももたないからな……」
「ピ」
見張りの彼女が、抗議するみたいに高く鳴いた。
毛布の中で、ミミが小さく笑った。
やがて、鼻をすする音がして、それも寝息に変わった。
「……エリス。入口の壁に刻まれてる名前な。あれは、お前と同じ名だ」
「ピピ」
あの壁の前でだけ聞く、あの鳴き方だった。
「……何が言いたいんだ」
「ピ」
それきり、いつもの音に戻った。
俺が黙ると、彼女の首が、わずかに傾いた。
まるで、続きを待つように。
*
「カイ様。初日に取った粘核膜が乾いてきました。あと半日でひび割れるかもしれません」
ミミがそう言ってきたのは、三日目の昼過ぎだった。
「頃合いだな。上がるぞ。成果は」
「粘体が四十五、雷鼠が八、角兎が七、迷宮蜘蛛が五、牙鼠が三、夜蝙蝠が三です」
三日で、粘体が四十五体。
「角兎の毛皮と肉は俺達で使おう。粘核液は小瓶に詰めて売るとして、残りはギルドで換金する」
「はいっ! 今晩はお肉ですね! 万歳です!!」
マントの裾が、ちぎれそうなほど揺れていた。
*
三日潜って、一日を家で過ごす。
それから二か月、俺たちはその暮らしを繰り返した。
家の日は、瓶詰めと盾の塗り直し、彼女とロウの整備、そしてミミの配達だ。
最初に金を回したのは、屑屋のおやっさんへのツケだった。
工具と首輪とブーツで、しめて銀貨十七枚。
カウンターに銀貨を積むと、おやっさんは眠たげな目を丸くした。
「……耳をそろえて持ってきやがったか。律儀な奴だ」
がはは、と笑ってから、おやっさんはミミの首元に目をやった。
笑い声が、ふっと止まる。
「……ちゃんと、食わせてもらってるか」
「はいっ。この間はお肉をたくさん食べさせてもらいました。おいしかったです」
肉の味でも思いだしているのか、ニヤニヤしている。
「焼いてるのはお前だろう」
「カイ様がおいしいって言ってくれるので、おいしいんです」
おやっさんは鼻を鳴らして、それ以上は何も言わなかった。
それから、少しずつ装備を揃えた。
俺と彼女の革鎧。
ミミには、継ぎはぎのない新しいフード付きのマントと、足に合ったブーツ。
そして彼女には、刃の欠けた古い短剣に代えて、程度のいい短剣を二本。
「エリス。これからは、二本で戦え」
両の手に、一本ずつ握らせる。
「ピッピ」
聞いたことのない鳴き方だった。
彼女は短剣を握ったまま、胸の前で、すっと腕を交差させた。
まるで、剣士が誓いを立てるように。
「あっ。エリスが新しい鳴き方しました! カイ様、エリス、うれしそうですよ」
水晶の目の奥で、青い光が、いつもより強く灯っていた。
*
稼げば、目立つ。
迷宮ギルドの広場を通るたびに、聞こえよがしの声が飛んでくるようになった。
「おお、粘体屋のおかえりだ。今日もずぶ濡れみたいだなぁ」
「濡れてんのは粘体のせいじゃねぇよ、そこの獣族のガキが、ビビッてちびってんのさ」
どっと笑いが起きる。
「ミミは漏らしてなんかいませんっ!」
「ミミ。相手をするな」
「……だって!」
粘体屋。
酸で装備を傷める嫌われ者ばかり狩って稼ぐ俺たちに、いつの間にか付いた呼び名だ。
好きに呼べばいい。
誰も拾わない稼ぎを、拾っているだけだ。
ただ、笑う連中の中に一人だけ、笑っていない男がいた。
その目は、ミミが背負った大盾に、じっと吸いついていた。
*
その日、素材を換金しに迷宮ギルドの受付に行くと、先客がいた。
四十手前くらいの女だった。
燃えるような赤の長髪。
目尻に小さな古い切傷。
上等な白いシャツに革のズボン、腰には使い込まれた長剣。
冒険者にしては、身なりに金がかかりすぎている。
女が振り返った。
その目が、俺を素通りして、ミミの背中の大盾で止まる。
「……ふうん。あんたらが噂の粘体屋かい」
「巷ではそう呼ばれているらしいが、俺の名はカイだ。こっちはミミ。人形は、エリスという」
女の眉が、ぴくりと上がった。
「へぇ。人型に名前を付けて、堂々とその名まで紹介するとは、いい度胸じゃないか」
「カイ様に、何かご用でしょうか?」
ミミが、俺の前に半歩出た。
「おや。こっちが、大盾を担いでる獣族のチビ奴隷さんかい。奴隷に口を利かせるなんて、変わった躾をしてるね、カイ」
「……用がないなら、失礼する……」
背を向けた俺に、女の声が追いかけてきた。
「一つ、忠告しといてやるよ」
女は、もう一度だけ、ミミの大盾に目をやった。
「その稼ぎ、あと三日ももたないよ」
その一言で、広間が静まり返った。
……やっかみだろう。
そういう手合いは、この二か月でうんざりするほど見てきた。
それに、今ここで手を引くわけにはいかない。
「……忠告、どうも」
「ふんっ。好きにしな」
女は、それきりこちらを見なかった。
家に戻るまで、ミミの頬はずっと膨らんでいた。
「何なんですかっ、あの人っ。ミミ達が稼いでるから、気に食わないんですよ、きっと!」
「だろうな。頭にくるのはわかるが、いちいち突っかかるなよ。面倒に巻き込まれるぞ」
「……はぁい」
ぷくっと両頬を膨らませたまま、ミミは下を向いた。
*
その夜も、ミミは小瓶に粘核液を詰め終えると、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。
革袋の銀貨を数えると、九十枚を超えていた。
ギルドを追われたあの日は、手持ちの銀貨はこの三分の一だった。
それに今は、ミミという仲間もいる。
こんな日が来るとは思っていなかった。
俺は彼女の前に座り、関節陣の盤を開いた。
並んでいるのは、ロイが餞別にくれた傷物の練りルーン片だ。
よくここまで、もってくれた。
「エリス。もう少し稼げば、お前のルーンを全部、並ルーンに替えてやれる」
「ピ」
並ルーンは、練りルーンの十倍の値がする。
だが、力の伝わり方がまるで違う。
今の彼女には、まだどこか、カクカクとした人形の動きが残っている。
並ルーンが入れば、もっと滑らかに、もっと人に近く動けるはずだ。
目を閉じると、彼女が踊る姿が浮かんだ。
「……三日、だとさ。どう思う、エリス」
「ピ」
いつもの「ピ」だった。
俺はそれを「心配ない」という意味だと思うことにして、自作のベッドに横になった。
あの女の言葉が、ただのやっかみではなかったと思い知るのは――
それから、ほんの数日後のことだった。




