第15話 置いていかれた首輪
赤毛の女に、予言めいたことを言われてから三日目。
迷宮から上がる階段で、すれ違った冒険者の背中に、妙に見覚えのある形が見えた。
「カイ様。あの人……ミミと同じような大盾を持ってます」
「……」
一組だけではなかった。
形も大きさもまちまちだが、身の丈ほどの大盾を背負った冒険者と、階段を上りきるまでに三組すれ違った。
すれ違いざま、そのうちの二人の話し声が聞こえた。
「その盾、どこで手に入れた」
「作ったんだよ。ミカの大盾ってやつだ。廃材に、粘体の液を塗るだけでいい」
「ミカ?」
ミミが、首をかしげた。
迷宮の中で、俺たちは毎日のように呼び合っている。
ミミ。
カイ様。
その頭を取って、ミカ、か。
名前を付けてはいけない国で、盾には、こんなにも気軽に名前が付く。
「……まずいな」
「真似されてますよっ。あんなにミミたちのこと、馬鹿にしてたのにっ! しかも、勝手に名前まで付けてっ!」
ミミの両頬が、ぷっくりと膨れた。
焦りを感じた。
あと二回も潜れば、彼女のルーンもロウの体も、手に入るのだが。
*
「カイ様……た、大変ですっ……」
配達に出たミミが、息を切らして部屋に飛び込んできた。
「店の棚に……棚に……」
「まず息を整えろ。落ち着け」
水を汲んで渡すと、ミミはゴクッ、ゴクッと一息で飲み干した。
「……ぷはっ。ほかの冒険者が持ち込んでるんです、粘核液を。店の棚一面に、小瓶がずらーってあって……」
「……俺たちの小瓶は、いくらで引き取ってもらえた」
いつもぴんと立っている耳が、へにゃりと萎れた。
「……銅貨、三枚です。それ以上は無理だって……」
銀貨一枚が、銅貨三枚。
誰でも狩れるとわかれば、そんな値はひと晩で崩れる。
「……粘体屋って言われながら、一生懸命がんばったのに……」
ミミは、唇をきゅっと噛んで下を向いた。
泣くのをこらえているのが、わかった。
――その稼ぎ、あと三日ももたないよ。
忘れようとしていた赤毛の女の声が、耳の奥でよみがえった。
……本当に、三日だった。
それでも、銅貨三枚でも、数を狩ればまだ食える。
俺は、そう自分に言い聞かせた。
*
翌朝。
二階層の奥、いつもの湿ったエリアは、静まり返っていた。
「……カイ様。ロウが、全然反応しません」
「ああ。……狩り尽くされたな」
大盾を担いだ冒険者たちが、俺たちより先に、根こそぎ持っていったのだ。
「三階層に下りる」
「……はい」
三階層の稼ぎは、一日に銀貨八枚から十五枚。
階層が下がれば魔獣も強い。
素材の希少性もあがり、買い取り価格も高い。
だが、二階層と同じやり方が通じるかはわからない。
それでも、下りるしかなかった。
三階層への階段口で、また通行料を払う。
銅貨三枚。
たったそれだけなのに、財布がいつもより軽くなった気がした。
*
階段を下り、少し開けた場所に出た途端、ロウが唸りだした。
薄暗い通路の奥を、子犬ほどの影が、サッと横切る。
一つ。
二つ。
……もっとだ。
「カイ様っ! 五匹……何か来ますっ!」
ガチン、と大盾が岩の地面に突き立った。
ミミとロウが、その陰に飛び込む。
俺も背負子を下ろし、槍を構えた。
「エリス、行け」
「ピ」
彼女は走り出した。
――俺が向いているのとは、逆の方向へ。
「エリス!?」
敵の正面に、俺だけが取り残された。
グアァッ、と鳴き声を上げて、黒い影が飛びかかってくる。
速い。
突き出した槍は、空を切った。
とっさに、左手の丸盾を体の前に出す。
ガツン。
受け止めた衝撃で、一歩よろめいた。
走り蜥蜴だ。
赤い口を開き、シャーッと威嚇してくる。
「カイ様ッ! エリスが!!」
ミミの悲鳴が響いた。
正面の一匹から目を離さず、じりじりと後ずさりながら、大盾のほうをちらりと見る。
彼女が、ミミたちの前に立ちはだかっていた。
左足に、両手に、首筋に。
四匹の走り蜥蜴が、彼女にかじりついている。
大盾が守れるのは、前だけだ。
こいつらは最初から、盾のない横と後ろへ回り込んでいた。
彼女はそれに気づいて、ミミのほうへ走ったのだ。
「ピ、ピ、ピ、ピ」
彼女が両腕を振り回すが、蜥蜴は離れない。
ひゅん、と風を切る音がした。
ミミだ。
盾の縁から身を乗り出して、投石紐を振っている。
石は、俺の正面の蜥蜴の背をかすめて、岩に跳ねた。
二発目は当たった。
だが、蜥蜴は鬱陶しそうに尻尾を振っただけだった。
夜蝙蝠を六発六中で落とした腕が、まるで通じない。
蜥蜴の一匹が、ぎろりとミミを向いた。
「ひっ……」
ミミは、盾の陰に引っ込んだ。
三発目は、飛んでこなかった。
「ミミッ! 盾を捨てて、階段まで走れっ!」
「でもっ」
「いいから行けっ!」
ミミとロウが、大盾の陰から飛び出す。
その瞬間、彼女は両腕を突き出したまま、迷宮の壁に体ごと倒れ込んだ。
腕にかじりついていた二匹が、壁と腕のあいだで押し潰される。
グギョッ。
ギッ。
壁に、赤黒いしぶきが散った。
彼女の左手首が、おかしな方向に折れ曲がっていた。
そのとき、俺の真横を、黒い影が駆け抜けた。
正面にいた一匹だ。
狙いは、俺じゃない。
背中を向けて走るミミだ。
「ミミぃぃっ! 後ろだ、逃げろっ!!」
「ピッ」
彼女は短く鳴くと、体に残った二匹を振り払った。
そして、跳んだ。
天井近くまで。
落ちざまに、ミミの背中へ飛びかかろうとしていた蜥蜴を、右手の短剣で斬り伏せる。
着地した彼女は、くるりと向きを変え、俺のほうへ駆け戻ってきた。
撤退だ。
俺は彼女と並んで、ミミの背中を追った。
振り払われた二匹は、仲間の死骸のまわりをうろつくだけで、追ってはこなかった。
*
なんとか、三階層の階段口まで逃げ切った。
置き去りにしたのは、ミミの大盾と、彼女の短剣一本、背負子に積んでいた物資のすべて。
失ったものを数える気にも、なれなかった。
階段口の岩陰で、彼女の体を確かめる。
左手首が折れ曲がっている。
首筋と左足の外皮は、蜥蜴の歯で深くえぐれていた。
腰の袋から行動盤を取り出し、裏返す。
〈刻五 撤退〉
〈刻四 通常攻撃:命中〉
〈刻三 通常攻撃:命中〉
〈刻一 守る:ミミ〉
耐久は、三割を切っていた。
一番古い行に、目が戻る。
三度目だ。
俺が刻んだのは、〈通常攻撃〉と〈撤退〉の二つだけ。
それでも彼女は、刻んでいない動きで、ミミを守った。
足りないのは、彼女じゃない。
ロウが戦えれば。
ミミが、盾の陰から戦えれば。
俺が強ければ。
そして、彼女の枠がさらにあれば。
「……新品の盤がいる」
ミミは、ロウを抱きしめたまま、何も言わなかった。
*
地上に戻るまで、ミミは一度も口を開かなかった。
いつも背中にあった大盾がないだけで、その背中は、やけに小さく見えた。
家に着いても、部屋はがらんとしたままだった。
毛布も、鍋も、炭炉も、全部迷宮に置いてきたのだ。
ミミはパンを一口かじっただけで、壁のほうを向いて座り込んだ。
肩が、小刻みに震えている。
「……ミミ」
「……ミミは……ミミは、なんにも、できませんでした」
声が、ひっくり返っていた。
「石も、当たらなくて……当たっても、全然効かなくて……怖くて、盾から出られなくて……」
しゃくりあげる。
「エリスの手が折れたのも……盾を捨てたのも……荷物を置いてきたのも、全部……ミミが、いたからです……」
「お前のせいじゃない」
「でもっ……!」
ミミが振り返った。
琥珀色の目から、涙がぼろぼろとこぼれていた。
「カイ様……最初に言いましたよね。子どもを守りながら潜れるほど、強くないって……」
息が、詰まった。
確かに言った。
ミミが「一緒に潜らせてください」と頭を下げた、あの朝に。
「ミミ、強くなりたいって言ったのに……ずっと、守られてばっかりで……カイ様に頼ってばかりで……ごめんなさい……ごめんなさい……」
あとは、言葉にならなかった。
ミミは膝を抱え、小さな子どものように、声を上げて泣いた。
ロウが、その足元に体をすり寄せている。
俺は、かける言葉を探した。
見つからなかった。
「……今日はもう寝ろ。話は、明日だ」
それしか、言えなかった。
*
夜中に、目が覚めた。
いや、目が覚めたのかどうかも、わからない。
まどろみの中で、小さな音を聞いた気がした。
カチッ。
どこかで聞いた音だ。
思い出す前に、また眠りに引きずり込まれていく。
床板が、きしむ。
扉の蝶番が、そっと鳴る。
夜の冷たい風が、頬をなでた。
――次の瞬間。
「ピピピピピピピピピピピピッ!」
耳をつんざくような音が、部屋中に響きわたった。
俺は跳ね起きた。
彼女だった。
扉の前に立ち、開いたままの闇に向かって、壊れたように鳴き続けている。
あんな鳴き方は、一度も聞いたことがない。
「エリス、どうし――」
言いかけて、気づいた。
ミミのベッドが、空だった。
ロウの姿もない。
そして、そのベッドの上に。
〈カイの二号機〉と書かれた札と。
奴隷の首輪が、きちんと並べて置かれていた。




