↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/15

第15話 置いていかれた首輪

赤毛の女に、予言めいたことを言われてから三日目。


迷宮から上がる階段で、すれ違った冒険者の背中に、妙に見覚えのある形が見えた。


「カイ様。あの人……ミミと同じような大盾を持ってます」


「……」


一組だけではなかった。


形も大きさもまちまちだが、身の丈ほどの大盾を背負った冒険者と、階段を上りきるまでに三組すれ違った。

すれ違いざま、そのうちの二人の話し声が聞こえた。


「その盾、どこで手に入れた」


「作ったんだよ。ミカの大盾ってやつだ。廃材に、粘体の液を塗るだけでいい」


「ミカ?」


ミミが、首をかしげた。


迷宮の中で、俺たちは毎日のように呼び合っている。


ミミ。

カイ様。


その頭を取って、ミカ、か。

名前を付けてはいけない国で、盾には、こんなにも気軽に名前が付く。


「……まずいな」


「真似されてますよっ。あんなにミミたちのこと、馬鹿にしてたのにっ! しかも、勝手に名前まで付けてっ!」


ミミの両頬が、ぷっくりと膨れた。

焦りを感じた。

あと二回も潜れば、彼女のルーンもロウの体も、手に入るのだが。


  *


「カイ様……た、大変ですっ……」


配達に出たミミが、息を切らして部屋に飛び込んできた。


「店の棚に……棚に……」


「まず息を整えろ。落ち着け」


水を汲んで渡すと、ミミはゴクッ、ゴクッと一息で飲み干した。


「……ぷはっ。ほかの冒険者が持ち込んでるんです、粘核液を。店の棚一面に、小瓶がずらーってあって……」


「……俺たちの小瓶は、いくらで引き取ってもらえた」


いつもぴんと立っている耳が、へにゃりと萎れた。


「……銅貨、三枚です。それ以上は無理だって……」


銀貨一枚が、銅貨三枚。

誰でも狩れるとわかれば、そんな値はひと晩で崩れる。


「……粘体屋って言われながら、一生懸命がんばったのに……」


ミミは、唇をきゅっと噛んで下を向いた。

泣くのをこらえているのが、わかった。


――その稼ぎ、あと三日ももたないよ。


忘れようとしていた赤毛の女の声が、耳の奥でよみがえった。


……本当に、三日だった。


それでも、銅貨三枚でも、数を狩ればまだ食える。

俺は、そう自分に言い聞かせた。


  *


翌朝。

二階層の奥、いつもの湿ったエリアは、静まり返っていた。


「……カイ様。ロウが、全然反応しません」


「ああ。……狩り尽くされたな」


大盾を担いだ冒険者たちが、俺たちより先に、根こそぎ持っていったのだ。


「三階層に下りる」


「……はい」


三階層の稼ぎは、一日に銀貨八枚から十五枚。

階層が下がれば魔獣も強い。

素材の希少性もあがり、買い取り価格も高い。

だが、二階層と同じやり方が通じるかはわからない。


それでも、下りるしかなかった。


三階層への階段口で、また通行料を払う。

銅貨三枚。

たったそれだけなのに、財布がいつもより軽くなった気がした。


  *


階段を下り、少し開けた場所に出た途端、ロウが唸りだした。

薄暗い通路の奥を、子犬ほどの影が、サッと横切る。


一つ。

二つ。

……もっとだ。


「カイ様っ! 五匹……何か来ますっ!」


ガチン、と大盾が岩の地面に突き立った。

ミミとロウが、その陰に飛び込む。

俺も背負子を下ろし、槍を構えた。


「エリス、行け」


「ピ」


彼女は走り出した。


――俺が向いているのとは、逆の方向へ。


「エリス!?」


敵の正面に、俺だけが取り残された。


グアァッ、と鳴き声を上げて、黒い影が飛びかかってくる。

速い。


突き出した槍は、空を切った。

とっさに、左手の丸盾を体の前に出す。


ガツン。


受け止めた衝撃で、一歩よろめいた。

走り蜥蜴だ。

赤い口を開き、シャーッと威嚇してくる。


「カイ様ッ! エリスが!!」


ミミの悲鳴が響いた。


正面の一匹から目を離さず、じりじりと後ずさりながら、大盾のほうをちらりと見る。

彼女が、ミミたちの前に立ちはだかっていた。

左足に、両手に、首筋に。

四匹の走り蜥蜴が、彼女にかじりついている。


大盾が守れるのは、前だけだ。

こいつらは最初から、盾のない横と後ろへ回り込んでいた。

彼女はそれに気づいて、ミミのほうへ走ったのだ。


「ピ、ピ、ピ、ピ」


彼女が両腕を振り回すが、蜥蜴は離れない。


ひゅん、と風を切る音がした。

ミミだ。

盾の縁から身を乗り出して、投石紐を振っている。

石は、俺の正面の蜥蜴の背をかすめて、岩に跳ねた。


二発目は当たった。

だが、蜥蜴は鬱陶しそうに尻尾を振っただけだった。


夜蝙蝠を六発六中で落とした腕が、まるで通じない。


蜥蜴の一匹が、ぎろりとミミを向いた。


「ひっ……」


ミミは、盾の陰に引っ込んだ。

三発目は、飛んでこなかった。


「ミミッ! 盾を捨てて、階段まで走れっ!」


「でもっ」


「いいから行けっ!」


ミミとロウが、大盾の陰から飛び出す。

その瞬間、彼女は両腕を突き出したまま、迷宮の壁に体ごと倒れ込んだ。

腕にかじりついていた二匹が、壁と腕のあいだで押し潰される。


グギョッ。

ギッ。


壁に、赤黒いしぶきが散った。

彼女の左手首が、おかしな方向に折れ曲がっていた。


そのとき、俺の真横を、黒い影が駆け抜けた。

正面にいた一匹だ。

狙いは、俺じゃない。

背中を向けて走るミミだ。


「ミミぃぃっ! 後ろだ、逃げろっ!!」


「ピッ」


彼女は短く鳴くと、体に残った二匹を振り払った。


そして、跳んだ。

天井近くまで。

落ちざまに、ミミの背中へ飛びかかろうとしていた蜥蜴を、右手の短剣で斬り伏せる。

着地した彼女は、くるりと向きを変え、俺のほうへ駆け戻ってきた。


撤退だ。


俺は彼女と並んで、ミミの背中を追った。


振り払われた二匹は、仲間の死骸のまわりをうろつくだけで、追ってはこなかった。


  *


なんとか、三階層の階段口まで逃げ切った。

置き去りにしたのは、ミミの大盾と、彼女の短剣一本、背負子に積んでいた物資のすべて。

失ったものを数える気にも、なれなかった。


階段口の岩陰で、彼女の体を確かめる。

左手首が折れ曲がっている。

首筋と左足の外皮は、蜥蜴の歯で深くえぐれていた。


腰の袋から行動盤を取り出し、裏返す。


〈刻五 撤退〉

〈刻四 通常攻撃:命中〉

〈刻三 通常攻撃:命中〉

〈刻一 守る:ミミ〉


耐久は、三割を切っていた。


一番古い行に、目が戻る。

三度目だ。

俺が刻んだのは、〈通常攻撃〉と〈撤退〉の二つだけ。

それでも彼女は、刻んでいない動きで、ミミを守った。


足りないのは、彼女じゃない。

ロウが戦えれば。

ミミが、盾の陰から戦えれば。

俺が強ければ。


そして、彼女の枠がさらにあれば。


「……新品の盤がいる」


ミミは、ロウを抱きしめたまま、何も言わなかった。


  *


地上に戻るまで、ミミは一度も口を開かなかった。

いつも背中にあった大盾がないだけで、その背中は、やけに小さく見えた。


家に着いても、部屋はがらんとしたままだった。

毛布も、鍋も、炭炉も、全部迷宮に置いてきたのだ。


ミミはパンを一口かじっただけで、壁のほうを向いて座り込んだ。

肩が、小刻みに震えている。


「……ミミ」


「……ミミは……ミミは、なんにも、できませんでした」


声が、ひっくり返っていた。


「石も、当たらなくて……当たっても、全然効かなくて……怖くて、盾から出られなくて……」


しゃくりあげる。


「エリスの手が折れたのも……盾を捨てたのも……荷物を置いてきたのも、全部……ミミが、いたからです……」


「お前のせいじゃない」


「でもっ……!」


ミミが振り返った。


琥珀色の目から、涙がぼろぼろとこぼれていた。


「カイ様……最初に言いましたよね。子どもを守りながら潜れるほど、強くないって……」


息が、詰まった。

確かに言った。

ミミが「一緒に潜らせてください」と頭を下げた、あの朝に。


「ミミ、強くなりたいって言ったのに……ずっと、守られてばっかりで……カイ様に頼ってばかりで……ごめんなさい……ごめんなさい……」


あとは、言葉にならなかった。

ミミは膝を抱え、小さな子どものように、声を上げて泣いた。

ロウが、その足元に体をすり寄せている。


俺は、かける言葉を探した。

見つからなかった。


「……今日はもう寝ろ。話は、明日だ」


それしか、言えなかった。


  *


夜中に、目が覚めた。

いや、目が覚めたのかどうかも、わからない。


まどろみの中で、小さな音を聞いた気がした。


カチッ。


どこかで聞いた音だ。


思い出す前に、また眠りに引きずり込まれていく。


床板が、きしむ。

扉の蝶番が、そっと鳴る。

夜の冷たい風が、頬をなでた。


――次の瞬間。


「ピピピピピピピピピピピピッ!」


耳をつんざくような音が、部屋中に響きわたった。


俺は跳ね起きた。

彼女だった。

扉の前に立ち、開いたままの闇に向かって、壊れたように鳴き続けている。


あんな鳴き方は、一度も聞いたことがない。


「エリス、どうし――」


言いかけて、気づいた。

ミミのベッドが、空だった。

ロウの姿もない。


そして、そのベッドの上に。

〈カイの二号機〉と書かれた札と。

奴隷の首輪が、きちんと並べて置かれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。