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第10話 奴隷にしてください

「……父さん……母さん……」


背中で、ミミが小さくうわごとを繰り返していた。


部屋に戻ってベッドに寝かせると、その声も途切れた。気を失ったらしい。

マントとブーツを脱がせ、ケガがないか、あらためて身体を確かめる。

うつ伏せに倒れたときに打った額の傷は、もう血が止まりかけていた。


猟犬型はベッドの脇に座り、心配そうに主人を見上げている。


「……ほかに大きなケガはなさそうだな。エリス、ミミを見ていてくれ。少し出てくる」


「ピ」


「おまえもな」


「ワンッ」


新しく買ったばかりの鑿と木槌の箱を抱えて、俺は部屋を出た。


質屋で工具一式をかたに金を借り、迷宮ギルドで魔獣の素材を換金する。

錬金術師の店で、包帯と体力ポーション、スタミナポーションを買った。


銀貨四枚と銅貨五枚。

さっき手にしたばかりの金が、一瞬で消えた。

財布を振っても、もう銅貨の擦れる音はしない。


家に戻り、湯でミミの額の血と、脚の汚れを洗い落とす。

思っていたより、ずっとひどい。熱も出ている。


包帯を巻き、二本のポーションを少しずつ口に流し込む。

あとは、ミミ自身の治る力に賭けるしかない。


「……うぅ……ロウ、助けて……」


ロウ。

猟犬型の名前だろう。

俺は、その名前を聞かなかったことにした。


熱にうなされるミミの頬を、汗と一緒に大粒の涙が伝っていった。


  *


翌朝、背中の痛みで目が覚めた。

どうやら床で寝ていたらしい。


「エリス、おはよう」


「ピ」


椅子に座る彼女を見ると、なぜかその左手が、ミミの左手を握っていた。

熱にうなされたミミが、冷たい手を求めたのだろうか。


昨日の残りのスープを温め直していると、ミミが目を覚ました。


「……ここは……」


「俺の家だ。猟犬型が鳴いてなきゃ、気づけなかった。相棒に感謝するんだな」


「……カイさん。なんてお礼を言ったらいいか」


「まぁ、借りはあとで返してくれればいいさ」


そう言ったとたん、ミミの目から涙があふれた。


「……冒険者の人たちに……追われて……奴隷にされそうに……逃げたけど、魔獣がいて……ううぅ」


「それ以上は話さなくていい。治るまでは、ここにいていいから」


ミミは何かを思いつめたような顔をして、毛布を頭からかぶった。


  *


その翌朝。

熱はすっかり引いて、ミミは足を引きずりながらも歩けるまでになっていた。


包帯を取り換えてやったあと、ミミが真剣な目で俺を見上げた。

両手の拳を、ぎゅっと握りしめている。


「あの、カイさん……お願いがあります」


「なんだ。飯か」


大事な話が来る。そう感じて、俺ははぐらかした。

ミミは首をぶんぶんと横に振った。


「ミミ、強くなりたいんです。チームに入れてください」


「誰のだ。俺はチームなんて持ってない。俺と、こいつだけだ」


顎で彼女を示す。

彼女は椅子に座ったまま、首をかしげてミミを見つめていた。


「じゃあ……カイさんと、一緒に迷宮に潜らせてくださいっ」


「悪いが、子どもを守りながら潜れるほど、俺は強くない」


ミミは、少し悲しそうに笑った。


「獣族は、元気だと攫われるんです。弱いと、見捨てられます」


「……」


「ミミを追ってきた人たちも、最後はこう言ってました。『足を焼かれた痩せっぽちなんて、売り物にならねえ』って」


意識が遠のく中で、その声だけははっきり聞こえたのだという。


「……これまで、クズ拾いで食っていけてたんじゃないのか」


「ぎりぎりです。貧乏な獣族の子どもが買えるのは、古いパンと悪くなりかけの野菜だけです。人間の人が普通に買える物も、獣族は倍のお金を払わないと買えません」


「……俺とチームを組んだところで、それは変わらんだろ」


「はい。だから」


ミミは顔を上げ、まっすぐに俺を見た。


「ミミを、カイさんの奴隷にしてください」


声が、出なかった。


「人の奴隷を盗むのは、罪です。首輪があれば、もう攫われません。主人の言いつけで買いに来たと言えば、お店も普通に物を売ってくれます」


感情のない、淡々とした声だった。

何度も考えて、自分で出した答えなのだろう。


「ミミは夜目も利くし、小さい魔獣なら石を投げて倒せます。迷宮で拾う物の値打ちだってわかります」


俺はミミをまっすぐ見ていられず、椅子に座る彼女へ視線を逃がした。


自分から、物になりたいという獣族の子ども。

物になろうとする子どもが、物の値打ちならわかると言う。

そして、物として生まれた人形を、人にしたい俺。


迷宮ギルドの名簿には、人形使いの名も、物であるはずの人形の番号も刻まれる。

けれど奴隷の名は、どこにも記されない。

首輪だけが、その存在を証明する。


「カイさんのそばに、いさせてください! お願いしますッ!」


ミミの大声が、部屋中に響きわたった。


ドン、ドン。

階下から、棒で天井を突く音がした。


「うるさいよ! 誰かいるのかい!」


耳の遠い家主にまで届いたらしい。


「す、すいません!」


「今そっち行くから、ちょっと待ってな!」


ドン、ドン、と一段ずつ、家主が階段を上ってくる。

俺はあわてて、椅子に座る彼女に布をかぶせた。


バタン、と乱暴にドアが開く。

仁王立ちの家主の婆さんが、そこにいた。

なぜか、いつもよりひと回り大きく見える。


「なんだい、獣族の女かい。犬っころはうるさいし、糞尿は垂れ流すし、困るんだよ。そんなのが住みつくってんなら、今の家賃じゃ全然足りないねぇ。三人分はもらわないと」


ミミの言っていた獣族の現実が、さっそく目の前に立っていた。

猟犬型が、家主に向かって低く身構える。


ミミが、すかさず言い返した。


「ミミは奴隷なので、物です。人じゃありません」


「犬っころだって物だろうよっ」


耳が遠いはずの家主は、こういうときだけはしっかり聞こえるらしい。


「ミミは垂れ流しませんっ」


「うるさいうえに口の減らない犬っころだね。じゃあ、奴隷の首輪はどこだい。見せてみなっ」


「……」


「首輪がないなら、あんたとその犬っころで、今日から家賃は三人分だよ。用意しときなっ」


家主はミミには目もくれず、俺にだけそう言い残して出ていった。


ドアが閉まる。

ミミは小さく舌を出して、こちらを振り向いた。


「首輪が必要になりましたね。ミミに考えがあります」


「俺は、お前を奴隷にするなんて言ってないぞ」


「でも大家さん、首輪がないなら今日から三人分って言ってましたよ」


……言われてみれば、そうだ。

ミミを奴隷にするかどうかに関係なく、首輪は要るようになってしまった。


してやられた気がする。

もしかしてミミは、こうなるのが分かっていて、最後に声を張り上げたんじゃないか。


  *


ミミの「考え」とは、屑屋のおやっさんだった。


屑屋のブジェチスラフ。

名前があまりに言いにくいので、街の連中は親しみを込めて「おやっさん」と呼んでいる。

人型の部品を漁りに、俺も若い頃から毎日のように通った店だ。


布をかぶせたままの彼女を部屋に残し、俺とミミと猟犬型で下町へ向かった。


店先に積まれた木箱や車輪、錆びた鉄材の束をよけて、ドアを開ける。


「……いらっしゃい」


「おやっさん、ちょっと相談があるんだが……」


「おお、カイか。……おやっ、ミミも一緒とは珍しいな。お前ら、いつからつるむようになったんだ」


「おやっさん。ミミは、カイ様の奴隷になったんです」


いつもは眠たげな目を見開いて、おやっさんは俺とミミを見比べた。


「なんだってっ。カイ……おめぇ、見損なったぞ。こんな小さい子をっ」


「いやいや、奴隷になんかしてないって! ミミがそう言い張ってるだけで」


そこへミミが追い打ちをかけた。


「おやっさん、奴隷の首輪って置いてますか」


「おい、カイッ!」


「ちがうってっ!」


猟犬型を直したこと、迷宮でミミを助けたこと、家主の婆さんのこと。

順に話すあいだ、なぜか脇汗が止まらなかった。


「……そういうことか。なら協力してやるぜ、ミミ」


おやっさんは俺を見ずに、ミミにだけ話しかける。

こうなると、おやっさんのほうがよほど怪しく見えるが……。


ついでに工具を質に入れた話をすると、おやっさんは呆れた顔で銀貨を二枚、俺の手に押しつけた。


「足元見られやがって。まず道具を取ってこい。タダじゃねぇぞ、貸主が俺に変わるだけだ」


工具箱を取り戻して戻ると、ミミが首輪を指に引っかけて、くるくる回していた。

おやっさんは、孫でも見るような目でそれを眺めている。

さっきまで裸足だったミミの左足には、ブカブカのブーツがはまっていた。

おやっさんがくれたらしい。


「あ、カイ様。早かったですね。」


「その『様』をつけるの、やめろ」


「じゃあ、ご主人様がいいですか。それとも、マスターとか」


ミミはにやにやしている。

こいつ、俺が嫌がる顔を見て遊んでるな。


「……首輪はそれか」


「はい。銀貨十枚で譲ってくれるそうです」


高いな。

顔に出たのか、おやっさんが口を開いた。


「紋の線が切れてるとはいえ、大っぴらに売っていいもんじゃねぇからな。ツケでいい」


「……おやっさん、すまない」


奴隷の首輪は、本来は奴隷商人しか扱えない。

特殊な紋が刻まれていて、一度はめれば、主人にしか外せない仕組みだ。


店の奥を借りて、途切れた紋の線を鑿で刻み直し、銀墨をつけた筆でなぞっていく。

ミミは、息を止めたようにその手元を見つめていた。


紋に少し魔力を込めると、カチッ、と首輪の鍵がかかった。


「ミミ。紋の上に手を置いて、少し魔力を込めてみろ」


ミミが手をかざすと、もう一度、カチッ、と鳴って鍵が外れた。


「ちょっと細工をしておいた。鍵だけは、お前も自分で外せる」


「カイ様は、やっぱりすごいですね」


『様』をやめる気は、さらさらないらしい。


それから、ミミの首に首輪をかけた。


カチッ。


小さな音が、店の奥に響いた。


まだ、奴隷にすると決めたわけじゃない。

それでも、その音を聞いた瞬間、胸の奥がざらついた。


ミミは首輪にそっと触れて、フードを深くかぶり直した。


店を出る。

俺とミミの二人と、猟犬型。


いや――世間の数え方なら、一人と、二つになるのか。


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