第八話 あなたは、生きなさい
L.E.1012年、6月2日。
――ローラ・モーガン。
◇
「何取り逃がしてんのよ!」
「サファイア、言い方!」
朝。
いつもの喫茶店。
サファイアさんがテーブルを叩き、サンデーさんが慌てて止めていましたわ。
「だってそうでしょう!? 目の前にナイトメアがいたのよ!」
「無茶言わないでください」
ネルさんはパフェを食べながら答えます。
「夢から夢へ逃げられる相手をどう捕まえろっていうんです?」
「股間蹴ったんでしょう!?」
「蹴りました」
「そこから畳み掛けなさいよ!」
「チェルシーが来たんですよ」
「だったらそっちも蹴ればいいでしょう!」
「サファイアさんの中で、私の必殺技が股間蹴りになってません?」
まったく。
朝から騒がしい方々ですわ。
でも。
悪い気はしませんでした。
昨日。
わたくしたちは初めて、ナイトメア本人と接触した。
そして。
夢魔がナイトメアの命令に必ず従うわけではないことも、はっきりした。
「やはり気になるのはチェルシーですわね」
わたくしは言いました。
「ミンティアさんもそうでしたけれど、夢魔にもそれぞれ意思がある」
「はい」
「なら、そこを突くことができるかもしれませんわ」
「内部崩壊?」
サンデーさんが訊ねます。
「そこまで上手くはいかないでしょうけれど」
でも。
少なくとも。
ナイトメア対人間。
そんな単純な構図ではなくなっている。
「じゃあ私は?」
「今まで通りでお願いしますわ」
サンデーさんには。
ギルドから情報を流していただく。
「これ以上危険なことはしなくて結構ですわ」
「でも」
「まだ十二歳なのでしょう?」
「はい」
「なら」
「そうですよ、サンデーさん」
ネルさんが割り込んできます。
「危ないことは、お母さんとこのお姉ちゃんに任せてください」
「……」
わたくしはネルさんを見ました。
「何です?」
「もう怒る気力もありませんわ」
「慣れました?」
「諦めました」
「大人ですね」
「あなたより年下です!」
「はいはい、お母さん」
「ネルさん!」
いつもの。
くだらないやり取り。
ルビーが笑う。
エメラルドさんも。
サンデーさんも。
その瞬間でした。
テーブルが。
真っ二つになりましたのは。
◇
どん。
大きな音。
目の前に斧が刺さっていました。
「……」
パフェの器が床へ落ちる。
「な」
ルビーが。
こちらより先に怒鳴りました。
「何しやがんだ、てめぇ!」
大男。
髭。
大斧。
どう見ても。
お茶をしに来た客ではありませんわね。
「お前らだな」
男が言う。
「最近、俺たちの邪魔してる連中ってのは」
「俺たち?」
「ドリームバスターズだよ!」
なるほど。
「レガールさんの指示で?」
「そんなもん関係ねえ!」
即答。
なら。
組織的な襲撃ではない。
「俺はな」
男が斧を引き抜きました。
「金が必要なんだよ!」
「……」
「妻がいる! 娘もいる!」
「それで?」
「家族を食わせるには金がいる!」
声が。
少しずつ大きくなる。
「俺が夢魔を倒して稼いで、何が悪い!」
「別に」
ネルさんが言いました。
「報酬を取ること自体は悪くないと思いますよ」
「だったら!」
「でも」
その先。
ネルさんの声が。
途切れた。
「ネルさん?」
男を見る。
髭。
斧。
大きな身体。
「……お父さん」
「は?」
わたくしは。
ネルさんを見ました。
顔から。
血の気が消えていた。
「ネルさん?」
「お父さん……?」
男が斧を振り上げる。
「ぼさっとしてんじゃねえ!」
「避けて!」
ネルさんの手を掴みました。
引っ張る。
斧が。
さっきまでネルさんがいたところへ落ちる。
「行きますわよ!」
「……」
「ネルさん!」
返事がない。
仕方ありません。
手を引いて。
走りました。
◇
男は。
追ってきませんでした。
正確には。
追おうとしていましたけれど。
朝の街中。
人通りも多い。
斧を持った大男が女性を追い回せば。
さすがに目立ちます。
数分後には。
姿も見えなくなりました。
「……ネルさん?」
裏通り。
壁際へ座らせます。
「しっかりしてくださいませ」
「……」
「ネルさん」
肩を揺らす。
目が。
こちらを見ていない。
「わたくしが分かります?」
「……お母さん」
「……」
エメラルドさんが。
息を呑みました。
「ネルさん」
「お母さん」
その声を。
聞いて。
わたくしは。
訂正できませんでした。
「……ええ」
身体を寄せる。
「大丈夫よ」
肩を抱く。
「お母さんがいるから」
「……」
「もう大丈夫」
震えている。
小さな子供みたいに。
「大丈夫だから」
背中を撫でる。
「ネル」
「……」
しばらくして。
震えが。
少しずつ止まりました。
「……あ」
「ネルさん?」
「……何してるんです、ローラさん」
「ようやく戻りましたのね」
「いや」
ネルさんが。
慌てて身体を離す。
「今のは違いますから」
「何が?」
「別にローラさんをお母さんだと思ったわけじゃなくて」
「ええ」
「その」
「分かっていますわ」
「……」
「昔のことを思い出しただけなのでしょう?」
ネルさんが。
黙りました。
「髭の男性が苦手なのね」
「苦手というか」
笑おうとする。
「もう慣れたと思ってたんですけどね」
笑えていない。
「……私」
エメラルドさんが。
不安そうに近寄ります。
「ネルさんのこと」
「はい?」
「全然知らないんですね」
「何です、突然」
「ずっと一緒にいるのに」
「一ヶ月も経ってないでしょう」
「でも」
「大丈夫です」
ネルさんは。
いつものように。
軽く答えました。
「私が私であることに変わりありませんから」
そして。
立ち上がる。
「それより」
顔が。
もう仕事の顔になっていました。
「今の襲撃」
「……」
「利用できます」
「ネルさん」
「あれだけ目撃者がいる。ドリームバスターズの人間が斧を持って私たちを襲った。これを――」
「今日はやめましょう」
「え?」
「解散しますわ」
「ローラさん?」
「一度休みます」
「でも」
「明日でもできますわ」
「今日だからこそ――」
「ネル」
「……」
呼んでから。
しまったと思いました。
でも。
ネルさんは。
怒りませんでした。
「今日は」
わたくしは言います。
「休みなさい」
「……」
「これは命令ですわ」
「いつから上司になったんです?」
「お母さんですもの」
「……」
「ふふ」
少しだけ。
ネルさんが笑いました。
「分かりました」
「よろしい」
「明日は働きますからね」
「ええ」
「絶対ですよ」
「分かっていますわ」
そうして。
皆と別れました。
◇
「ローラ」
「何ですの?」
「嘘吐いたな」
ルビーが。
肩の近くを飛んでいます。
「何のお話?」
「休む気ねえだろ」
「……」
「ネルには休めって言ったくせに」
「わたくしは元気ですもの」
「危ねえぞ」
「承知していますわ」
先ほどの襲撃。
あれは。
使える。
ギルドの正式な指示でないとしても。
ドリームバスターズの一人が、夢魔退治を続ける人間を襲撃した。
それは事実。
ここで。
人々の前へ出る。
わたくしたちが何をしようとしているのか。
話す。
ギルドが。
少なくとも。
被害者を金儲けの対象としている者たちだけではないと。
世間に考えさせる。
「止めても無駄だよな」
「よく分かっていますわね」
「付き合うよ」
「ええ」
「でも」
ルビーが。
笑います。
「無茶すんなよ」
「誰に言っていますの?」
「十六歳のガキ」
「あなたにだけは言われたくありませんわ」
◇
――ネル・パース。
◇
休め。
と言われた。
なので。
休んでいる。
正確には。
宿へ帰ったあと。
三十分くらい。
ベッドの上で。
天井を見ていた。
「……」
眠くない。
何もしたくない。
でも。
何もしないでいると。
さっきの男の顔が。
頭に浮かぶ。
「……散歩してきます」
「私も行きます!」
「一人で大丈夫ですよ」
「行きます!」
エメラルドさんが。
譲らなかった。
「……はいはい」
◇
町の広場。
やけに。
人が多い。
「何かあるんですかね」
「見てください」
エメラルドさんが。
上を指差した。
銅像の台座。
その近く。
「ローラさん?」
声が。
聞こえる。
「わたくしたちは」
人々へ。
話している。
「エターナルドリーマーを救うために、夢魔と戦っています」
「……あの人」
「休むって言ってたのに」
「自分は別だと思ってるんですよ」
まったく。
人のことを言えない。
私は。
少し笑った。
そのとき。
人混みの中。
一人の女性が。
動いた。
白いワンピース。
右手。
包丁。
「ローラさん!」
◇
包丁。
ローラさんへ。
横薙ぎ。
「《跳躍》!」
ローラさんが。
地面を蹴る。
高い。
普通の人間では。
絶対に跳べない高さ。
「《雷撃》!」
空中から。
光。
でも。
女は。
避けた。
「……速い」
人間の動きじゃない。
「ネルさん!」
「分かってます」
自警団。
誰かが呼んでいる。
到着まで。
少し。
時間を稼げばいい。
「ローラさん!」
こちらを見る。
「何故来ましたの!?」
「散歩です!」
「帰りなさい!」
「仲間を置いて帰れるわけないでしょう!」
四次元袋へ。
手を入れる。
さっき。
宿を出る前に。
一応。
護身用の道具を増やしておいた。
使わないで済むなら。
それでよかった。
「エメラルドさん」
「はい!」
「ポケット」
「了解!」
飛び込む。
私は。
白い球を取り出した。
「《煙玉》」
投げる。
女の足元。
白い煙。
「けほっ……」
咳。
一秒。
二秒。
止まった。
「……」
煙の中から。
こちらへ。
飛び出す。
「やっぱり」
「何がです!?」
「眠らない」
この煙玉には。
弱い催眠作用がある。
普通なら。
まともに吸えば。
立ってはいられない。
「なら」
四次元袋から。
もう一つ。
「《スタンプハンマー》」
巨大な金槌。
側面に。
星の印。
反対には。
丸の印。
地面へ。
星側を押しつける。
「印」
そして。
金槌を握ったまま。
女へ向かう。
包丁。
かわす。
丸側で。
肩を叩く。
「……」
小さな印。
ついた。
「よし」
私は。
金槌を手放す。
念じる。
先ほど。
星印を付けた場所。
ハンマーが。
凄まじい勢いで。
そちらへ引かれる。
そして。
丸印の付いた女も。
引っ張られる。
「……っ!」
体勢を崩した。
「面白い玩具ね」
女が。
初めて喋った。
「……」
その声。
「三回目」
「何?」
「会うの」
見る。
目。
呼吸。
表情。
「チェルシー」
「……」
「ですよね」
笑う。
「どうして分かったの?」
「煙玉です」
「……」
「今の女性」
眠ったまま。
動いている。
「エターナルドリーマーの身体を」
操っている。
「そういうことですか」
「ネルさん!」
ローラさんが叫ぶ。
「下がってくださいまし! 相手が夢魔なら――」
「夢の中じゃありません」
今は。
現実。
なら。
チェルシー自身を殺せない。
でも。
こちらも。
夢幻創造は使えない。
「弱っちいくせに」
チェルシーが。
笑う。
「変なものばっかり持ってるのね」
「商人ですから」
「でも」
指。
鳴る。
「現実だからこそ」
鐘。
広場の時計塔。
鳴った。
時刻でもないのに。
「……何です?」
音。
頭の中へ。
入る。
「こんなの」
ただ。
うるさいだけ――。
◇
床。
赤。
お父さん。
背中。
包丁。
お母さん。
血。
「……っ」
息が。
できない。
「ネルさん!」
誰か。
呼んでいる。
「お父さん」
違う。
「お母さん」
違う。
「ネルさん!」
分かっている。
今。
広場。
でも。
目を開けても。
血がある。
「面白いでしょう?」
チェルシー。
声だけ。
「人間って」
笑っている。
「忘れたつもりのことほど、身体は覚えてる」
「……」
「あなた」
近づいてくる。
「両親を亡くしたのね」
「やめて」
「でも」
「やめろ」
「本当に怖いのは」
声。
耳元。
「死んだこと?」
「……」
「それとも」
頭へ。
手。
「何もできなかった自分?」
◇
お母さんが。
倒れる。
私は。
見ている。
七歳。
動けない。
何も。
できない。
「ほら」
チェルシーの声。
「また同じ」
「……」
「あなたは」
何もできない。
「そこで見てなさい」
嫌だ。
「大切な人が死ぬのを」
嫌だ。
「また」
「やめろ……」
「何もできずに」
「やめて!」
「ネル!」
違う声。
ローラさん。
「しっかりなさい!」
「お母さん」
「ネルさん!」
「お母さん……!」
足。
何かに触れる。
私は。
チェルシーの足首を。
掴んでいた。
「……邪魔」
「お母さんに」
離さない。
「触らないで……」
「何?」
「お母さんは」
何も。
悪くない。
「お母さんを」
傷つけないで。
「お願い……」
「あなた」
チェルシーが。
少し。
笑った。
「本当に弱いのね」
「……」
「ずっと」
強いふり。
「何でも分かってるふりをして」
何でも。
平気なふり。
「本当は」
何もできなかった子供のまま。
「――なめんじゃねえ!」
小さな影。
ルビー。
「ローラから離れろ!」
「ルビー!」
飛ぶ。
チェルシーへ。
「邪魔」
刃。
一閃。
「……」
小さな身体が。
止まる。
「ルビー?」
落ちた。
赤。
「……ルビー」
ローラさんの声。
今まで。
聞いたことのない声。
「ルビー!」
走る。
抱き上げる。
「返事しなさい!」
「……」
「ルビー!」
「ロー……ラ」
声。
小さい。
「悪い」
「喋らなくて結構ですわ!」
「ちょっと」
笑った。
「ドジった」
「馬鹿!」
「……」
「ルビー!」
返事は。
なかった。
◇
「……」
ローラさんが。
立つ。
「チェルシー」
「何?」
「あなた」
泣いている。
でも。
声は。
落ち着いていた。
「絶対に許しませんわ」
「この身体を殺す?」
チェルシーが笑う。
「できるの?」
今。
チェルシーが使っている身体は。
別の人間。
被害者。
「できませんわ」
「なら」
「だから」
ローラさんが。
魔法を放つ。
「止めます!」
光。
避ける。
雷。
地面。
包丁。
魔法。
交錯する。
「ローラさん!」
エメラルドさん。
私を呼ぶ。
「ネルさん! 立って!」
立てない。
脚。
動かない。
また。
何も。
「ネルさん!」
ローラさんが。
チェルシーと戦いながら。
こちらを見る。
「立つんですのよ!」
その言葉。
知っている。
「ネルさん」
知っている。
「あなたは――」
刃。
◇
赤。
◇
胸。
ローラさん。
血。
「……」
また。
同じ。
お母さん。
ローラさん。
立ちなさい。
ネル。
あなたは――。
「いや」
何も。
できない。
「いやあああああああああああっ!」
立った。
どうして。
立てたのか。
分からない。
「ネルさん!」
走った。
「ネルさん!?」
背中。
向けた。
逃げた。
「ネルさん!」
エメラルドさんが。
ついてくる。
私は。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
ただ。
最後に。
見えた。
ローラさんの。
口元。
少し。
笑っていた。
◇
L.E.1012年、6月2日。
私は馬鹿だ。
全部。
私のせいだ。
私が。
あんな作戦を考えなければ。
ローラさんは。
ルビーさんは。
死ななかった。
私が。
休めなんて言われて。
馬鹿正直に。
離れたりしなければ。
助けられたかもしれない。
また。
何もできなかった。
お母さん。
ごめんなさい。
ローラさん。
ごめんなさい。
書けない。
これ以上。
書いたら。
本当に。
二人が死んだことになる。
◇
L.E.1012年、6月3日。
――サンデー・ラウ。
◇
ローラさんと。
ルビーさんは。
死にました。
エメラルドさんから。
聞きました。
ネルさんは。
来ませんでした。
「……」
何を言えばいいのか。
分かりませんでした。
サファイアも。
何も言いません。
「ネルさんは?」
「宿です」
エメラルドさんが答えます。
「ずっと」
「……」
「何も食べてなくて」
「行きましょう」
「え?」
「ネルさんのところ」
◇
ドアを叩きました。
返事はありません。
もう一度。
「ネルさん」
「……」
エメラルドさんが。
鍵を開けます。
部屋。
ネルさんは。
ベッドに座っていました。
壁を見ています。
「ネルさん」
「……」
「お邪魔します」
「……」
近づく。
「ローラさん」
ネルさんの肩が。
僅かに動きました。
「最期」
「……」
「どんな顔をしてました?」
「……」
ようやく。
こちらを見る。
「何ですか、それ」
「聞きたいんです」
「エメラルドさんから」
「ネルさんから聞きたい」
「……」
怒られるかもしれない。
でも。
聞いた。
「笑ってました?」
「……」
ネルさんの顔が歪む。
「何で」
声。
震える。
「そんなこと聞くんですか」
「……」
「人が死んだんですよ」
「はい」
「ローラさんが」
「はい」
「ルビーさんも」
「はい」
「なのに」
泣く。
「笑ってたかって」
「ネルさん」
「何なんですか!」
怒鳴られました。
「私は」
それでも。
話します。
「人が生きる理由って」
「……」
「最期に笑うためだと思ってるんです」
「は?」
「私の勝手な考えです」
正しいなんて。
言いません。
「でも」
私は芸人です。
「誰かが」
いつか。
死ぬとき。
「人生のどこかで」
私の芸を。
「少しだけ思い出して」
笑ってくれたら。
「それって」
芸人として。
「すごく嬉しいことだと思うんです」
「……」
「だから」
ローラさんが。
最後に。
「笑っていたなら」
「……」
「嬉しい」
ネルさんが。
泣きながら。
私を睨みます。
「……笑ってましたよ」
「……」
「多分」
「そうですか」
「最後に見たとき」
少し。
「笑ってたように」
「なら」
私は。
笑いました。
「よかった」
「何が!」
怒鳴る。
「何がよかったんですか!」
「ネル!」
サファイアが。
強い声を出しました。
「この子だって悲しいのよ!」
「……」
「あんただけじゃない!」
「サファイア」
「でも!」
「いい」
私は。
ネルさんを見る。
「悲しいですよ」
「……」
「私も」
泣きたい。
「でも」
悲しいことと。
笑うことは。
「一緒にあってもいいと思ってるんです」
「……」
「ローラさんが最後に笑ってたなら」
その笑顔を。
「悲しいからって」
なかったことにしたくない。
◇
「私のせいなんです」
ネルさんが。
呟いた。
「何が?」
「ローラさんたちが死んだの」
「……」
「私が作戦を考えた」
「はい」
「ギルドを刺激した」
「はい」
「それで襲撃された」
「……」
「だから」
「ネルさん」
「私が――」
「それ」
私は。
少し。
腹が立ちました。
「ローラさんに失礼じゃないですか?」
「……え?」
「ローラさん」
自分で。
広場へ行った。
「ネルさんに命令されたんですか?」
「……」
「違いますよね」
「でも」
「ローラさんが」
自分で考えて。
自分で決めて。
行った。
「その選択まで」
ネルさんのものに。
「しないでください」
「……」
「第7話で」
とは言わないけれど。
ミンティアさんの話を。
私は聞いている。
誰が。
誰のために。
何を選ぶか。
「ネルさん」
「……」
「自分のせいだって言えば」
全部。
自分の物語になります。
「でも」
ローラさんには。
ローラさんの人生があった。
「最後に何をしたかったかも」
彼女のもの。
「だから」
ちゃんと。
「ローラさんが何を望んでたのか」
考えませんか?
◇
「……分かりません」
ネルさんが。
壁を見る。
「最後に」
呟く。
「『立つんですのよ。ネルさん、あなたは――』って」
「……」
「そこで」
言葉は。
途切れた。
「何を言おうとしたのか」
「……」
「分からない」
「なら」
私は。
鞄から。
取り出しました。
「ひとまず」
「……?」
「笑いましょう」
「は?」
「一回」
「無理です」
「ですよね」
被る。
仮面。
「……」
「……」
「……ぷっ」
「よし」
「何ですかそれ」
「笑いましたね」
「だって」
ネルさんが。
少しずつ。
「何ですか、その顔」
笑う。
「笑顔です」
「無表情でしょうが」
能面。
「ふふ」
ネルさんの笑い声。
少し。
泣き声。
混じっている。
でも。
笑っている。
「それでいいんです」
「何がですか」
「分かりません」
「適当」
「芸人ですから」
◇
――ネル・パース。
◇
皆が。
眠ったあと。
日記を開いた。
立つんですのよ。
ネルさん、あなたは――。
ずっと。
引っかかっている。
同じ言葉。
知っている。
◇
十年前。
七歳。
あの日。
◇
父は。
仕事を失った。
事故でも。
病気でもない。
職場のトラブル。
それだけ。
でも。
父にとって。
仕事は。
自分そのものだったのだと思う。
よく働く人だった。
家にいないことも多かった。
でも。
私は。
そんな父を。
嫌いではなかった。
むしろ。
誇らしかった。
◇
仕事を失って。
父は。
変わった。
酒。
怒鳴り声。
暴力。
最初は。
母へ。
そのうち。
家そのものが。
怖くなった。
私は。
学校が終わっても。
すぐ帰らなかった。
友達の家。
店。
公園。
どこでもいい。
家以外なら。
◇
母は。
働き始めた。
父の代わり。
「どうしてそんなに働くの?」
昔。
聞いたことがある。
「お金がいるからよ」
「何で?」
「ネルがご飯を食べて」
母は。
笑った。
「お父さんも私も」
暮らしていくため。
「幸せになるには」
お金がいる。
「……」
あの頃の私は。
逆に考えた。
お金なんてなければ。
父は。
仕事を失って。
壊れなかった?
母は。
無理して働かなかった?
二人は。
喧嘩しなかった?
でも。
現実に。
お金はある。
食べるにも。
眠るにも。
生きるにも。
必要。
だから。
私は。
思ったのかもしれない。
お金さえあれば。
それから。
十年。
まだ。
そう思っている。
◇
あの日。
私は。
学校を早退した。
理由は。
もうよく覚えていない。
体調不良。
だったと思う。
普段なら。
それでも。
どこかで時間を潰してから帰った。
でも。
あの日だけ。
真っ直ぐ家へ帰った。
◇
静かだった。
家が。
父の怒鳴り声もない。
テレビも。
何も。
そして。
血の臭い。
◇
母の部屋。
扉は。
開いていた。
父。
倒れている。
背中。
包丁。
母。
立っている。
両腕。
血。
「……お母さん?」
振り返る。
私を見る。
驚く。
近づいてくる。
肩。
両手。
「立ちなさい!」
そして。
一瞬。
私ではないところを。
見た。
「ネル、あなたは――」
母の身体。
揺れた。
背中。
包丁。
父。
立っていた。
◇
そこまでは。
事実。
私が。
見た。
その先は。
分からない。
◇
「……鏡」
声に出す。
母が。
最後に見た方向。
化粧台。
鏡。
なら。
母は。
私の背後に立った父を。
見たのかもしれない。
いや。
おそらく。
見た。
だから。
驚いた。
自分が。
死ぬと。
分かった。
そして。
立ちなさい。
ネル、あなたは――。
「……生きなさい」
呟く。
「ネル」
母は。
あなたは生きなさい。
そう。
言おうとした。
証明なんて。
できない。
もう。
本人へ聞けない。
でも。
ローラさんの言葉と。
あまりにも。
似ている。
◇
では。
父は?
◇
何故。
母の部屋にいた?
警察は。
父に。
抵抗した形跡は乏しいと言っていた。
最初に。
背後から刺された。
そのあと。
何度も刺された。
それでも。
母へ反撃したのは。
最後の一度だけ。
◇
母の部屋。
父が倒れていた場所。
その先。
小さな棚。
上。
「……写真」
三人。
海。
まだ。
父が笑っていた頃。
母も。
私も。
笑っている。
◇
ここからは。
推測だ。
私は。
そのことを。
忘れないように。
先に書いておく。
◇
もしかしたら。
父は。
写真を見ていた。
偶然。
母の部屋へ入って。
昔の写真を見つけた。
そして。
昔の自分を。
思い出した。
かもしれない。
自分が。
何をしてきたか。
後悔していた。
かもしれない。
だから。
母に刺されても。
抵抗しなかった。
かもしれない。
◇
分からない。
そこまでは。
誰にも。
◇
でも。
一つだけ。
もう一つ。
考えられることがある。
◇
父は。
瀕死だった。
血を失っていた。
意識も。
まともではなかったはず。
そこで。
私の悲鳴を聞いた。
振り返る。
母。
私の前。
屈んでいる。
両手。
私の身体へ。
◇
父から。
私の首が。
見えた?
母の手が。
肩に置かれているだけだと。
分かった?
◇
あるいは。
母がネルを殺そうとしている。
そう。
誤解した?
◇
分からない。
これも。
推測。
でも。
もし。
そうなら。
◇
父は。
私を守ろうとして。
母を刺した。
◇
「……」
気持ち悪い。
息が。
浅くなる。
◇
もし。
私が。
早退しなければ。
◇
父は。
そのまま。
死んだ?
母は。
生きた?
◇
「私のせい」
口から。
出た。
◇
違う。
◇
そこで。
止まった。
◇
「……違う」
もう一度。
◇
七歳だった。
◇
学校を。
早退した。
それだけ。
◇
もし。
それが。
出来事の流れを変えたとしても。
◇
私が。
母を殺したわけではない。
◇
原因と。
責任は。
同じじゃない。
◇
私は。
今まで。
何人もの人へ。
偉そうに。
言ってきた。
◇
勝手に。
人の望みを決めるな。
相手の選択を。
奪うな。
◇
なら。
私も。
同じことをしてはいけない。
◇
父が。
本当に何を考えていたか。
分からない。
母も。
最後まで。
父を憎んでいたかもしれない。
父も。
最後まで。
ただ混乱していただけかもしれない。
◇
私は。
都合のいい家族の物語を。
作りたいわけではない。
◇
でも。
母が。
最後に。
私を逃がそうとした。
それは。
かなり確かだと思う。
◇
ローラさんも。
◇
立つんですのよ。
ネルさん、あなたは――。
◇
何を言おうとした?
◇
生きなさい。
◇
逃げなさい。
◇
止まるな。
◇
多分。
言葉は。
何でもいい。
◇
ローラさんは。
私を。
自分から離したかった。
◇
自分が。
生き残るためではなく。
◇
私を。
生かすために。
◇
「……」
また。
涙が出た。
◇
私は。
逃げた。
◇
昨日から。
ずっと。
それを。
後悔していた。
◇
でも。
◇
もし。
あのとき。
私が。
振り返っていたら。
◇
ローラさんは。
何のために。
私を立たせた?
◇
何のために。
笑った?
◇
私は。
彼女の最後の選択を。
勝手に。
失敗にしていた。
◇
サンデーさんが。
言った。
ローラさんの選択まで、ネルさんのものにしないでください。
◇
「……ずるいな」
十六歳のくせに。
◇
お母さんも。
ローラさんも。
◇
私を。
生かそうとした。
◇
だから。
私は。
生きなければならない。
◇
そこまで。
書いて。
また。
止まった。
◇
「……違う」
◇
生きなければならない。
◇
それだと。
また。
誰かに。
決めてもらっている。
◇
夢魔と。
何が違う。
◇
母が。
生きてほしいと思った。
ローラさんも。
そう思った。
◇
それは。
大切にする。
◇
でも。
最後に決めるのは。
◇
「私だ」
◇
私は。
生きたい?
◇
すぐには。
答えが出なかった。
◇
パトちゃんと。
旅をする。
◇
商売をする。
◇
美味しいものを食べる。
◇
エメラルドさんと。
くだらない喧嘩をする。
◇
サンデーさんの。
芸を。
いつかちゃんと見る。
◇
ローラさんの。
魔術ショーは。
もう見られない。
◇
それが。
悲しい。
◇
悲しいと。
思えるくらいには。
◇
この先も。
何かを。
見たいと思っている。
◇
「……そっか」
◇
やっと。
分かった。
◇
「私は」
◇
声にする。
◇
「生きたい」
◇
今度は。
誰かの言葉ではない。
◇
私の言葉。
◇
お父さんが。
何を思って死んだのか。
完全には分からない。
◇
お母さんが。
最後に本当に何と言おうとしたのかも。
証明できない。
◇
ローラさんの。
最後の言葉だって。
永遠に。
途中まで。
◇
それでも。
◇
分からないままで。
生きていける。
◇
むしろ。
◇
分からないから。
◇
この先も。
考える。
◇
明日。
もう一度。
立つ。
◇
ナイトメアを。
倒す。
◇
復讐のためだけではない。
◇
ローラさんのためだけでも。
お母さんのためだけでもない。
◇
私が。
そうしたいから。
◇
L.E.1012年、6月3日。
ネル・パース。
◇
私は。
まだ。
生きています。




