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第八話 あなたは、生きなさい

 L.E.1012年、6月2日。


 ――ローラ・モーガン。


     ◇


「何取り逃がしてんのよ!」


「サファイア、言い方!」


 朝。


 いつもの喫茶店。


 サファイアさんがテーブルを叩き、サンデーさんが慌てて止めていましたわ。


「だってそうでしょう!? 目の前にナイトメアがいたのよ!」


「無茶言わないでください」


 ネルさんはパフェを食べながら答えます。


「夢から夢へ逃げられる相手をどう捕まえろっていうんです?」


「股間蹴ったんでしょう!?」


「蹴りました」


「そこから畳み掛けなさいよ!」


「チェルシーが来たんですよ」


「だったらそっちも蹴ればいいでしょう!」


「サファイアさんの中で、私の必殺技が股間蹴りになってません?」


 まったく。


 朝から騒がしい方々ですわ。


 でも。


 悪い気はしませんでした。


 昨日。


 わたくしたちは初めて、ナイトメア本人と接触した。


 そして。


 夢魔がナイトメアの命令に必ず従うわけではないことも、はっきりした。


「やはり気になるのはチェルシーですわね」


 わたくしは言いました。


「ミンティアさんもそうでしたけれど、夢魔にもそれぞれ意思がある」


「はい」


「なら、そこを突くことができるかもしれませんわ」


「内部崩壊?」


 サンデーさんが訊ねます。


「そこまで上手くはいかないでしょうけれど」


 でも。


 少なくとも。


ナイトメア対人間。


 そんな単純な構図ではなくなっている。


「じゃあ私は?」


「今まで通りでお願いしますわ」


 サンデーさんには。


 ギルドから情報を流していただく。


「これ以上危険なことはしなくて結構ですわ」


「でも」


「まだ十二歳なのでしょう?」


「はい」


「なら」


「そうですよ、サンデーさん」


 ネルさんが割り込んできます。


「危ないことは、お母さんとこのお姉ちゃんに任せてください」


「……」


 わたくしはネルさんを見ました。


「何です?」


「もう怒る気力もありませんわ」


「慣れました?」


「諦めました」


「大人ですね」


「あなたより年下です!」


「はいはい、お母さん」


「ネルさん!」


 いつもの。


 くだらないやり取り。


 ルビーが笑う。


 エメラルドさんも。


 サンデーさんも。


 その瞬間でした。


 テーブルが。


 真っ二つになりましたのは。


     ◇


 どん。


 大きな音。


 目の前に斧が刺さっていました。


「……」


 パフェの器が床へ落ちる。


「な」


 ルビーが。


 こちらより先に怒鳴りました。


「何しやがんだ、てめぇ!」


 大男。


 髭。


 大斧。


 どう見ても。


 お茶をしに来た客ではありませんわね。


「お前らだな」


 男が言う。


「最近、俺たちの邪魔してる連中ってのは」


「俺たち?」


「ドリームバスターズだよ!」


 なるほど。


「レガールさんの指示で?」


「そんなもん関係ねえ!」


 即答。


 なら。


 組織的な襲撃ではない。


「俺はな」


 男が斧を引き抜きました。


「金が必要なんだよ!」


「……」


「妻がいる! 娘もいる!」


「それで?」


「家族を食わせるには金がいる!」


 声が。


 少しずつ大きくなる。


「俺が夢魔を倒して稼いで、何が悪い!」


「別に」


 ネルさんが言いました。


「報酬を取ること自体は悪くないと思いますよ」


「だったら!」


「でも」


 その先。


 ネルさんの声が。


 途切れた。


「ネルさん?」


 男を見る。


 髭。


 斧。


 大きな身体。


「……お父さん」


「は?」


 わたくしは。


 ネルさんを見ました。


 顔から。


 血の気が消えていた。


「ネルさん?」


「お父さん……?」


 男が斧を振り上げる。


「ぼさっとしてんじゃねえ!」


「避けて!」


 ネルさんの手を掴みました。


 引っ張る。


 斧が。


 さっきまでネルさんがいたところへ落ちる。


「行きますわよ!」


「……」


「ネルさん!」


 返事がない。


 仕方ありません。


 手を引いて。


 走りました。


     ◇


 男は。


 追ってきませんでした。


 正確には。


 追おうとしていましたけれど。


 朝の街中。


 人通りも多い。


 斧を持った大男が女性を追い回せば。


 さすがに目立ちます。


 数分後には。


 姿も見えなくなりました。


「……ネルさん?」


 裏通り。


 壁際へ座らせます。


「しっかりしてくださいませ」


「……」


「ネルさん」


 肩を揺らす。


 目が。


 こちらを見ていない。


「わたくしが分かります?」


「……お母さん」


「……」


 エメラルドさんが。


 息を呑みました。


「ネルさん」


「お母さん」


 その声を。


 聞いて。


 わたくしは。


 訂正できませんでした。


「……ええ」


 身体を寄せる。


「大丈夫よ」


 肩を抱く。


「お母さんがいるから」


「……」


「もう大丈夫」


 震えている。


 小さな子供みたいに。


「大丈夫だから」


 背中を撫でる。


「ネル」


「……」


 しばらくして。


 震えが。


 少しずつ止まりました。


「……あ」


「ネルさん?」


「……何してるんです、ローラさん」


「ようやく戻りましたのね」


「いや」


 ネルさんが。


 慌てて身体を離す。


「今のは違いますから」


「何が?」


「別にローラさんをお母さんだと思ったわけじゃなくて」


「ええ」


「その」


「分かっていますわ」


「……」


「昔のことを思い出しただけなのでしょう?」


 ネルさんが。


 黙りました。


「髭の男性が苦手なのね」


「苦手というか」


 笑おうとする。


「もう慣れたと思ってたんですけどね」


 笑えていない。


「……私」


 エメラルドさんが。


 不安そうに近寄ります。


「ネルさんのこと」


「はい?」


「全然知らないんですね」


「何です、突然」


「ずっと一緒にいるのに」


「一ヶ月も経ってないでしょう」


「でも」


「大丈夫です」


 ネルさんは。


 いつものように。


 軽く答えました。


「私が私であることに変わりありませんから」


 そして。


 立ち上がる。


「それより」


 顔が。


 もう仕事の顔になっていました。


「今の襲撃」


「……」


「利用できます」


「ネルさん」


「あれだけ目撃者がいる。ドリームバスターズの人間が斧を持って私たちを襲った。これを――」


「今日はやめましょう」


「え?」


「解散しますわ」


「ローラさん?」


「一度休みます」


「でも」


「明日でもできますわ」


「今日だからこそ――」


「ネル」


「……」


 呼んでから。


 しまったと思いました。


 でも。


 ネルさんは。


 怒りませんでした。


「今日は」


 わたくしは言います。


「休みなさい」


「……」


「これは命令ですわ」


「いつから上司になったんです?」


「お母さんですもの」


「……」


「ふふ」


 少しだけ。


 ネルさんが笑いました。


「分かりました」


「よろしい」


「明日は働きますからね」


「ええ」


「絶対ですよ」


「分かっていますわ」


 そうして。


 皆と別れました。


     ◇


「ローラ」


「何ですの?」


「嘘吐いたな」


 ルビーが。


 肩の近くを飛んでいます。


「何のお話?」


「休む気ねえだろ」


「……」


「ネルには休めって言ったくせに」


「わたくしは元気ですもの」


「危ねえぞ」


「承知していますわ」


 先ほどの襲撃。


 あれは。


 使える。


 ギルドの正式な指示でないとしても。


ドリームバスターズの一人が、夢魔退治を続ける人間を襲撃した。


 それは事実。


 ここで。


 人々の前へ出る。


 わたくしたちが何をしようとしているのか。


 話す。


 ギルドが。


 少なくとも。


 被害者を金儲けの対象としている者たちだけではないと。


 世間に考えさせる。


「止めても無駄だよな」


「よく分かっていますわね」


「付き合うよ」


「ええ」


「でも」


 ルビーが。


 笑います。


「無茶すんなよ」


「誰に言っていますの?」


「十六歳のガキ」


「あなたにだけは言われたくありませんわ」


     ◇


 ――ネル・パース。


     ◇


 休め。


 と言われた。


 なので。


 休んでいる。


 正確には。


 宿へ帰ったあと。


 三十分くらい。


 ベッドの上で。


 天井を見ていた。


「……」


 眠くない。


 何もしたくない。


 でも。


 何もしないでいると。


 さっきの男の顔が。


 頭に浮かぶ。


「……散歩してきます」


「私も行きます!」


「一人で大丈夫ですよ」


「行きます!」


 エメラルドさんが。


 譲らなかった。


「……はいはい」


     ◇


 町の広場。


 やけに。


 人が多い。


「何かあるんですかね」


「見てください」


 エメラルドさんが。


 上を指差した。


 銅像の台座。


 その近く。


「ローラさん?」


 声が。


 聞こえる。


「わたくしたちは」


 人々へ。


 話している。


「エターナルドリーマーを救うために、夢魔と戦っています」


「……あの人」


「休むって言ってたのに」


「自分は別だと思ってるんですよ」


 まったく。


 人のことを言えない。


 私は。


 少し笑った。


 そのとき。


 人混みの中。


 一人の女性が。


 動いた。


 白いワンピース。


 右手。


 包丁。


「ローラさん!」


     ◇


 包丁。


 ローラさんへ。


 横薙ぎ。


「《跳躍》!」


 ローラさんが。


 地面を蹴る。


 高い。


 普通の人間では。


 絶対に跳べない高さ。


「《雷撃》!」


 空中から。


 光。


 でも。


 女は。


 避けた。


「……速い」


 人間の動きじゃない。


「ネルさん!」


「分かってます」


 自警団。


 誰かが呼んでいる。


 到着まで。


 少し。


 時間を稼げばいい。


「ローラさん!」


 こちらを見る。


「何故来ましたの!?」


「散歩です!」


「帰りなさい!」


「仲間を置いて帰れるわけないでしょう!」


 四次元袋へ。


 手を入れる。


 さっき。


 宿を出る前に。


 一応。


 護身用の道具を増やしておいた。


 使わないで済むなら。


 それでよかった。


「エメラルドさん」


「はい!」


「ポケット」


「了解!」


 飛び込む。


 私は。


 白い球を取り出した。


「《煙玉》」


 投げる。


 女の足元。


 白い煙。


「けほっ……」


 咳。


 一秒。


 二秒。


 止まった。


「……」


 煙の中から。


 こちらへ。


 飛び出す。


「やっぱり」


「何がです!?」


「眠らない」


 この煙玉には。


 弱い催眠作用がある。


 普通なら。


 まともに吸えば。


 立ってはいられない。


「なら」


 四次元袋から。


 もう一つ。


「《スタンプハンマー》」


 巨大な金槌。


 側面に。


 星の印。


 反対には。


 丸の印。


 地面へ。


 星側を押しつける。


「印」


 そして。


 金槌を握ったまま。


 女へ向かう。


 包丁。


 かわす。


 丸側で。


 肩を叩く。


「……」


 小さな印。


 ついた。


「よし」


 私は。


 金槌を手放す。


 念じる。


 先ほど。


 星印を付けた場所。


 ハンマーが。


 凄まじい勢いで。


 そちらへ引かれる。


 そして。


 丸印の付いた女も。


 引っ張られる。


「……っ!」


 体勢を崩した。


「面白い玩具ね」


 女が。


 初めて喋った。


「……」


 その声。


「三回目」


「何?」


「会うの」


 見る。


 目。


 呼吸。


 表情。


「チェルシー」


「……」


「ですよね」


 笑う。


「どうして分かったの?」


「煙玉です」


「……」


「今の女性」


 眠ったまま。


 動いている。


「エターナルドリーマーの身体を」


 操っている。


「そういうことですか」


「ネルさん!」


 ローラさんが叫ぶ。


「下がってくださいまし! 相手が夢魔なら――」


「夢の中じゃありません」


 今は。


 現実。


 なら。


 チェルシー自身を殺せない。


 でも。


 こちらも。


 夢幻創造は使えない。


「弱っちいくせに」


 チェルシーが。


 笑う。


「変なものばっかり持ってるのね」


「商人ですから」


「でも」


 指。


 鳴る。


「現実だからこそ」


 鐘。


 広場の時計塔。


 鳴った。


 時刻でもないのに。


「……何です?」


 音。


 頭の中へ。


 入る。


「こんなの」


 ただ。


 うるさいだけ――。


     ◇


 床。


 赤。


 お父さん。


 背中。


 包丁。


 お母さん。


 血。


「……っ」


 息が。


 できない。


「ネルさん!」


 誰か。


 呼んでいる。


「お父さん」


 違う。


「お母さん」


 違う。


「ネルさん!」


 分かっている。


 今。


 広場。


 でも。


 目を開けても。


 血がある。


「面白いでしょう?」


 チェルシー。


 声だけ。


「人間って」


 笑っている。


「忘れたつもりのことほど、身体は覚えてる」


「……」


「あなた」


 近づいてくる。


「両親を亡くしたのね」


「やめて」


「でも」


「やめろ」


「本当に怖いのは」


 声。


 耳元。


「死んだこと?」


「……」


「それとも」


 頭へ。


 手。


「何もできなかった自分?」


     ◇


 お母さんが。


 倒れる。


 私は。


 見ている。


 七歳。


 動けない。


 何も。


 できない。


「ほら」


 チェルシーの声。


「また同じ」


「……」


「あなたは」


 何もできない。


「そこで見てなさい」


 嫌だ。


「大切な人が死ぬのを」


 嫌だ。


「また」


「やめろ……」


「何もできずに」


「やめて!」


「ネル!」


 違う声。


 ローラさん。


「しっかりなさい!」


「お母さん」


「ネルさん!」


「お母さん……!」


 足。


 何かに触れる。


 私は。


 チェルシーの足首を。


 掴んでいた。


「……邪魔」


「お母さんに」


 離さない。


「触らないで……」


「何?」


「お母さんは」


 何も。


 悪くない。


「お母さんを」


 傷つけないで。


「お願い……」


「あなた」


 チェルシーが。


 少し。


 笑った。


「本当に弱いのね」


「……」


「ずっと」


 強いふり。


「何でも分かってるふりをして」


 何でも。


 平気なふり。


「本当は」


 何もできなかった子供のまま。


「――なめんじゃねえ!」


 小さな影。


 ルビー。


「ローラから離れろ!」


「ルビー!」


 飛ぶ。


 チェルシーへ。


「邪魔」


 刃。


 一閃。


「……」


 小さな身体が。


 止まる。


「ルビー?」


 落ちた。


 赤。


「……ルビー」


 ローラさんの声。


 今まで。


 聞いたことのない声。


「ルビー!」


 走る。


 抱き上げる。


「返事しなさい!」


「……」


「ルビー!」


「ロー……ラ」


 声。


 小さい。


「悪い」


「喋らなくて結構ですわ!」


「ちょっと」


 笑った。


「ドジった」


「馬鹿!」


「……」


「ルビー!」


 返事は。


 なかった。


     ◇


「……」


 ローラさんが。


 立つ。


「チェルシー」


「何?」


「あなた」


 泣いている。


 でも。


 声は。


 落ち着いていた。


「絶対に許しませんわ」


「この身体を殺す?」


 チェルシーが笑う。


「できるの?」


 今。


 チェルシーが使っている身体は。


 別の人間。


 被害者。


「できませんわ」


「なら」


「だから」


 ローラさんが。


 魔法を放つ。


「止めます!」


 光。


 避ける。


 雷。


 地面。


 包丁。


 魔法。


 交錯する。


「ローラさん!」


 エメラルドさん。


 私を呼ぶ。


「ネルさん! 立って!」


 立てない。


 脚。


 動かない。


 また。


 何も。


「ネルさん!」


 ローラさんが。


 チェルシーと戦いながら。


 こちらを見る。


「立つんですのよ!」


 その言葉。


 知っている。


「ネルさん」


 知っている。


「あなたは――」


 刃。


     ◇


 赤。


     ◇


 胸。


 ローラさん。


 血。


「……」


 また。


 同じ。


 お母さん。


 ローラさん。


 立ちなさい。


 ネル。


 あなたは――。


「いや」


 何も。


 できない。


「いやあああああああああああっ!」


 立った。


 どうして。


 立てたのか。


 分からない。


「ネルさん!」


 走った。


「ネルさん!?」


 背中。


 向けた。


 逃げた。


「ネルさん!」


 エメラルドさんが。


 ついてくる。


 私は。


 振り返らなかった。


 振り返れなかった。


 ただ。


 最後に。


 見えた。


 ローラさんの。


 口元。


 少し。


 笑っていた。


     ◇


 L.E.1012年、6月2日。


 私は馬鹿だ。


 全部。


 私のせいだ。


 私が。


 あんな作戦を考えなければ。


 ローラさんは。


 ルビーさんは。


 死ななかった。


 私が。


 休めなんて言われて。


 馬鹿正直に。


 離れたりしなければ。


 助けられたかもしれない。


 また。


 何もできなかった。


 お母さん。


 ごめんなさい。


 ローラさん。


 ごめんなさい。


 書けない。


 これ以上。


 書いたら。


 本当に。


 二人が死んだことになる。


     ◇


 L.E.1012年、6月3日。


 ――サンデー・ラウ。


     ◇


 ローラさんと。


 ルビーさんは。


 死にました。


 エメラルドさんから。


 聞きました。


 ネルさんは。


 来ませんでした。


「……」


 何を言えばいいのか。


 分かりませんでした。


 サファイアも。


 何も言いません。


「ネルさんは?」


「宿です」


 エメラルドさんが答えます。


「ずっと」


「……」


「何も食べてなくて」


「行きましょう」


「え?」


「ネルさんのところ」


     ◇


 ドアを叩きました。


 返事はありません。


 もう一度。


「ネルさん」


「……」


 エメラルドさんが。


 鍵を開けます。


 部屋。


 ネルさんは。


 ベッドに座っていました。


 壁を見ています。


「ネルさん」


「……」


「お邪魔します」


「……」


 近づく。


「ローラさん」


 ネルさんの肩が。


 僅かに動きました。


「最期」


「……」


「どんな顔をしてました?」


「……」


 ようやく。


 こちらを見る。


「何ですか、それ」


「聞きたいんです」


「エメラルドさんから」


「ネルさんから聞きたい」


「……」


 怒られるかもしれない。


 でも。


 聞いた。


「笑ってました?」


「……」


 ネルさんの顔が歪む。


「何で」


 声。


 震える。


「そんなこと聞くんですか」


「……」


「人が死んだんですよ」


「はい」


「ローラさんが」


「はい」


「ルビーさんも」


「はい」


「なのに」


 泣く。


「笑ってたかって」


「ネルさん」


「何なんですか!」


 怒鳴られました。


「私は」


 それでも。


 話します。


「人が生きる理由って」


「……」


「最期に笑うためだと思ってるんです」


「は?」


「私の勝手な考えです」


 正しいなんて。


 言いません。


「でも」


 私は芸人です。


「誰かが」


 いつか。


 死ぬとき。


「人生のどこかで」


 私の芸を。


「少しだけ思い出して」


 笑ってくれたら。


「それって」


 芸人として。


「すごく嬉しいことだと思うんです」


「……」


「だから」


 ローラさんが。


 最後に。


「笑っていたなら」


「……」


「嬉しい」


 ネルさんが。


 泣きながら。


 私を睨みます。


「……笑ってましたよ」


「……」


「多分」


「そうですか」


「最後に見たとき」


 少し。


「笑ってたように」


「なら」


 私は。


 笑いました。


「よかった」


「何が!」


 怒鳴る。


「何がよかったんですか!」


「ネル!」


 サファイアが。


 強い声を出しました。


「この子だって悲しいのよ!」


「……」


「あんただけじゃない!」


「サファイア」


「でも!」


「いい」


 私は。


 ネルさんを見る。


「悲しいですよ」


「……」


「私も」


 泣きたい。


「でも」


 悲しいことと。


 笑うことは。


「一緒にあってもいいと思ってるんです」


「……」


「ローラさんが最後に笑ってたなら」


 その笑顔を。


「悲しいからって」


 なかったことにしたくない。


     ◇


「私のせいなんです」


 ネルさんが。


 呟いた。


「何が?」


「ローラさんたちが死んだの」


「……」


「私が作戦を考えた」


「はい」


「ギルドを刺激した」


「はい」


「それで襲撃された」


「……」


「だから」


「ネルさん」


「私が――」


「それ」


 私は。


 少し。


 腹が立ちました。


「ローラさんに失礼じゃないですか?」


「……え?」


「ローラさん」


 自分で。


 広場へ行った。


「ネルさんに命令されたんですか?」


「……」


「違いますよね」


「でも」


「ローラさんが」


 自分で考えて。


 自分で決めて。


 行った。


「その選択まで」


 ネルさんのものに。


「しないでください」


「……」


「第7話で」


 とは言わないけれど。


 ミンティアさんの話を。


 私は聞いている。


 誰が。


 誰のために。


 何を選ぶか。


「ネルさん」


「……」


「自分のせいだって言えば」


 全部。


 自分の物語になります。


「でも」


 ローラさんには。


 ローラさんの人生があった。


「最後に何をしたかったかも」


 彼女のもの。


「だから」


 ちゃんと。


「ローラさんが何を望んでたのか」


 考えませんか?


     ◇


「……分かりません」


 ネルさんが。


 壁を見る。


「最後に」


 呟く。


「『立つんですのよ。ネルさん、あなたは――』って」


「……」


「そこで」


 言葉は。


 途切れた。


「何を言おうとしたのか」


「……」


「分からない」


「なら」


 私は。


 鞄から。


 取り出しました。


「ひとまず」


「……?」


「笑いましょう」


「は?」


「一回」


「無理です」


「ですよね」


 被る。


 仮面。


「……」


「……」


「……ぷっ」


「よし」


「何ですかそれ」


「笑いましたね」


「だって」


 ネルさんが。


 少しずつ。


「何ですか、その顔」


 笑う。


「笑顔です」


「無表情でしょうが」


 能面。


「ふふ」


 ネルさんの笑い声。


 少し。


 泣き声。


 混じっている。


 でも。


 笑っている。


「それでいいんです」


「何がですか」


「分かりません」


「適当」


「芸人ですから」


     ◇


 ――ネル・パース。


     ◇


 皆が。


 眠ったあと。


 日記を開いた。


立つんですのよ。

ネルさん、あなたは――。


 ずっと。


 引っかかっている。


 同じ言葉。


 知っている。


     ◇


 十年前。


 七歳。


 あの日。


     ◇


 父は。


 仕事を失った。


 事故でも。


 病気でもない。


 職場のトラブル。


 それだけ。


 でも。


 父にとって。


 仕事は。


 自分そのものだったのだと思う。


 よく働く人だった。


 家にいないことも多かった。


 でも。


 私は。


 そんな父を。


 嫌いではなかった。


 むしろ。


 誇らしかった。


     ◇


 仕事を失って。


 父は。


 変わった。


 酒。


 怒鳴り声。


 暴力。


 最初は。


 母へ。


 そのうち。


 家そのものが。


 怖くなった。


 私は。


 学校が終わっても。


 すぐ帰らなかった。


 友達の家。


 店。


 公園。


 どこでもいい。


 家以外なら。


     ◇


 母は。


 働き始めた。


 父の代わり。


「どうしてそんなに働くの?」


 昔。


 聞いたことがある。


「お金がいるからよ」


「何で?」


「ネルがご飯を食べて」


 母は。


 笑った。


「お父さんも私も」


 暮らしていくため。


「幸せになるには」


 お金がいる。


「……」


 あの頃の私は。


 逆に考えた。


 お金なんてなければ。


 父は。


 仕事を失って。


 壊れなかった?


 母は。


 無理して働かなかった?


 二人は。


 喧嘩しなかった?


 でも。


 現実に。


 お金はある。


 食べるにも。


 眠るにも。


 生きるにも。


 必要。


 だから。


 私は。


 思ったのかもしれない。


お金さえあれば。


 それから。


 十年。


 まだ。


 そう思っている。


     ◇


 あの日。


 私は。


 学校を早退した。


 理由は。


 もうよく覚えていない。


 体調不良。


 だったと思う。


 普段なら。


 それでも。


 どこかで時間を潰してから帰った。


 でも。


 あの日だけ。


 真っ直ぐ家へ帰った。


     ◇


 静かだった。


 家が。


 父の怒鳴り声もない。


 テレビも。


 何も。


 そして。


 血の臭い。


     ◇


 母の部屋。


 扉は。


 開いていた。


 父。


 倒れている。


 背中。


 包丁。


 母。


 立っている。


 両腕。


 血。


「……お母さん?」


 振り返る。


 私を見る。


 驚く。


 近づいてくる。


 肩。


 両手。


「立ちなさい!」


 そして。


 一瞬。


 私ではないところを。


 見た。


「ネル、あなたは――」


 母の身体。


 揺れた。


 背中。


 包丁。


 父。


 立っていた。


     ◇


 そこまでは。


 事実。


 私が。


 見た。


 その先は。


 分からない。


     ◇


「……鏡」


 声に出す。


 母が。


 最後に見た方向。


 化粧台。


 鏡。


 なら。


 母は。


 私の背後に立った父を。


 見たのかもしれない。


 いや。


 おそらく。


 見た。


 だから。


 驚いた。


 自分が。


 死ぬと。


 分かった。


 そして。


立ちなさい。

ネル、あなたは――。


「……生きなさい」


 呟く。


「ネル」


 母は。


あなたは生きなさい。


 そう。


 言おうとした。


 証明なんて。


 できない。


 もう。


 本人へ聞けない。


 でも。


 ローラさんの言葉と。


 あまりにも。


 似ている。


     ◇


 では。


 父は?


     ◇


 何故。


 母の部屋にいた?


 警察は。


 父に。


 抵抗した形跡は乏しいと言っていた。


 最初に。


 背後から刺された。


 そのあと。


 何度も刺された。


 それでも。


 母へ反撃したのは。


 最後の一度だけ。


     ◇


 母の部屋。


 父が倒れていた場所。


 その先。


 小さな棚。


 上。


「……写真」


 三人。


 海。


 まだ。


 父が笑っていた頃。


 母も。


 私も。


 笑っている。


     ◇


 ここからは。


 推測だ。


 私は。


 そのことを。


 忘れないように。


 先に書いておく。


     ◇


 もしかしたら。


 父は。


 写真を見ていた。


 偶然。


 母の部屋へ入って。


 昔の写真を見つけた。


 そして。


 昔の自分を。


 思い出した。


 かもしれない。


 自分が。


 何をしてきたか。


 後悔していた。


 かもしれない。


 だから。


 母に刺されても。


 抵抗しなかった。


 かもしれない。


     ◇


 分からない。


 そこまでは。


 誰にも。


     ◇


 でも。


 一つだけ。


 もう一つ。


 考えられることがある。


     ◇


 父は。


 瀕死だった。


 血を失っていた。


 意識も。


 まともではなかったはず。


 そこで。


 私の悲鳴を聞いた。


 振り返る。


 母。


 私の前。


 屈んでいる。


 両手。


 私の身体へ。


     ◇


 父から。


 私の首が。


 見えた?


 母の手が。


 肩に置かれているだけだと。


 分かった?


     ◇


 あるいは。


母がネルを殺そうとしている。


 そう。


 誤解した?


     ◇


 分からない。


 これも。


 推測。


 でも。


 もし。


 そうなら。


     ◇


 父は。


 私を守ろうとして。


 母を刺した。


     ◇


「……」


 気持ち悪い。


 息が。


 浅くなる。


     ◇


 もし。


 私が。


 早退しなければ。


     ◇


 父は。


 そのまま。


 死んだ?


 母は。


 生きた?


     ◇


「私のせい」


 口から。


 出た。


     ◇


 違う。


     ◇


 そこで。


 止まった。


     ◇


「……違う」


 もう一度。


     ◇


 七歳だった。


     ◇


 学校を。


 早退した。


 それだけ。


     ◇


 もし。


 それが。


 出来事の流れを変えたとしても。


     ◇


 私が。


 母を殺したわけではない。


     ◇


 原因と。


 責任は。


 同じじゃない。


     ◇


 私は。


 今まで。


 何人もの人へ。


 偉そうに。


 言ってきた。


     ◇


 勝手に。


 人の望みを決めるな。


 相手の選択を。


 奪うな。


     ◇


 なら。


 私も。


 同じことをしてはいけない。


     ◇


 父が。


 本当に何を考えていたか。


 分からない。


 母も。


 最後まで。


 父を憎んでいたかもしれない。


 父も。


 最後まで。


 ただ混乱していただけかもしれない。


     ◇


 私は。


 都合のいい家族の物語を。


 作りたいわけではない。


     ◇


 でも。


 母が。


 最後に。


 私を逃がそうとした。


 それは。


 かなり確かだと思う。


     ◇


 ローラさんも。


     ◇


立つんですのよ。

ネルさん、あなたは――。


     ◇


 何を言おうとした?


     ◇


 生きなさい。


     ◇


 逃げなさい。


     ◇


 止まるな。


     ◇


 多分。


 言葉は。


 何でもいい。


     ◇


 ローラさんは。


 私を。


 自分から離したかった。


     ◇


 自分が。


 生き残るためではなく。


     ◇


 私を。


 生かすために。


     ◇


「……」


 また。


 涙が出た。


     ◇


 私は。


 逃げた。


     ◇


 昨日から。


 ずっと。


 それを。


 後悔していた。


     ◇


 でも。


     ◇


 もし。


 あのとき。


 私が。


 振り返っていたら。


     ◇


 ローラさんは。


 何のために。


 私を立たせた?


     ◇


 何のために。


 笑った?


     ◇


 私は。


 彼女の最後の選択を。


 勝手に。


 失敗にしていた。


     ◇


 サンデーさんが。


 言った。


ローラさんの選択まで、ネルさんのものにしないでください。


     ◇


「……ずるいな」


 十六歳のくせに。


     ◇


 お母さんも。


 ローラさんも。


     ◇


 私を。


 生かそうとした。


     ◇


 だから。


 私は。


 生きなければならない。


     ◇


 そこまで。


 書いて。


 また。


 止まった。


     ◇


「……違う」


     ◇


 生きなければならない。


     ◇


 それだと。


 また。


 誰かに。


 決めてもらっている。


     ◇


 夢魔と。


 何が違う。


     ◇


 母が。


 生きてほしいと思った。


 ローラさんも。


 そう思った。


     ◇


 それは。


 大切にする。


     ◇


 でも。


 最後に決めるのは。


     ◇


「私だ」


     ◇


 私は。


 生きたい?


     ◇


 すぐには。


 答えが出なかった。


     ◇


 パトちゃんと。


 旅をする。


     ◇


 商売をする。


     ◇


 美味しいものを食べる。


     ◇


 エメラルドさんと。


 くだらない喧嘩をする。


     ◇


 サンデーさんの。


 芸を。


 いつかちゃんと見る。


     ◇


 ローラさんの。


 魔術ショーは。


 もう見られない。


     ◇


 それが。


 悲しい。


     ◇


 悲しいと。


 思えるくらいには。


     ◇


 この先も。


 何かを。


 見たいと思っている。


     ◇


「……そっか」


     ◇


 やっと。


 分かった。


     ◇


「私は」


     ◇


 声にする。


     ◇


「生きたい」


     ◇


 今度は。


 誰かの言葉ではない。


     ◇


 私の言葉。


     ◇


 お父さんが。


 何を思って死んだのか。


 完全には分からない。


     ◇


 お母さんが。


 最後に本当に何と言おうとしたのかも。


 証明できない。


     ◇


 ローラさんの。


 最後の言葉だって。


 永遠に。


 途中まで。


     ◇


 それでも。


     ◇


 分からないままで。


 生きていける。


     ◇


 むしろ。


     ◇


 分からないから。


     ◇


 この先も。


 考える。


     ◇


 明日。


 もう一度。


 立つ。


     ◇


 ナイトメアを。


 倒す。


     ◇


 復讐のためだけではない。


     ◇


 ローラさんのためだけでも。


 お母さんのためだけでもない。


     ◇


 私が。


 そうしたいから。


     ◇


 L.E.1012年、6月3日。


 ネル・パース。


     ◇


 私は。


 まだ。


 生きています。

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