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第七話 偽物でも、妹

 L.E.1012年、5月27日。


 作戦開始から一週間。


 夢魔、八体撃破。


 我ながらよく働いたと思う。


「ネルさん、七日で八体って普通に考えて働きすぎですよ」


「私もそう思います」


「じゃあ今日は休みません?」


「駄目です」


「何で!?」


「今日休んだら、八日で八体になっちゃうでしょう」


「何の記録に挑戦してるんですか!」


 別に記録を作りたいわけではない。


 ただ。


 夢魔を倒す。


 ナイトメアを挑発する。


 こちらの存在を無視できなくする。


 それが今の作戦だ。


 なので。


「ナイトメアのばーか!」


「……」


「聞こえてますかー! 部下が八人もやられてますよー!」


「ネルさん」


「何です?」


「挑発って、もうちょっと知的なやり方ありません?」


「ありません」


 夢の世界へ向かって大声で悪口を言う十七歳。


 我ながら情けない。


 でも。


 それでナイトメアが腹を立てて出てきてくれるなら安いものです。


     ◇


 毎朝の情報交換も続いている。


 場所は同じ喫茶店。


 私。


 ローラさん。


 サンデーさん。


 そして妖精三人。


「ギルド側に変わった動きはありません」


 サンデーさんが報告する。


「私が買った情報が、誰かに横流しされてるんじゃないかって疑われてる様子もないです」


「それはそれで拍子抜けですね」


「まだ一週間ですもの」


 ローラさんがコーヒーを飲む。


「こちらの存在に気付いていないのか。それとも、気付いていても動く必要がないと判断しているのか」


「後者だと思います」


 私はパフェを口へ運ぶ。


「私たち、今のところ夢魔を八人倒しただけですから」


「だけって言います?」


「ナイトメアからすれば、手下が何人いるのかも分かりませんし」


 百人いるなら。


 八人程度。


 放っておいてもいい。


「もう少し派手に――」


「サンデーさん」


 ローラさんが手を伸ばした。


「え?」


「クリームが」


 ティッシュで。


 サンデーさんの口元を拭う。


「あ……ありがとうございます」


「いえいえ」


 その様子を。


 私は何となく見ていた。


「……」


「どうしましたの、ネルさん?」


「親子みたいですね」


「ぶっ」


 ルビーさんが吹き出した。


「何ですの、突然」


「いや、何となく」


 サンデーさんの面倒を見るローラさん。


 妙に似合っている。


「これからお母さんって呼んでもいいです?」


「嫌ですわよ」


「即答」


「というより」


 ローラさんが少し不機嫌そうな顔をする。


「わたくしとサンデーさん、そこまで年齢は離れておりませんもの」


「えー」


「何ですの、その反応」


「でもローラさん、二十代後半くらいじゃ――」


「十六ですわ」


「……」


「……」


「何が?」


「年齢です!」


「……」


 私は。


 ローラさんを見る。


 もう一度見る。


「十六?」


「十六!」


「私より年下?」


「そうですわ!」


「嘘でしょう」


「何ですのその反応は!」


「あー、ネル! それ以上はやめとけ!」


 ルビーさんが止めに入った。


 ローラさんの額に。


 よく見ると青筋が浮いている。


「すみませんでした」


「分かればよろしいですわ」


「でも二十代後――」


「ネルさん!」


「冗談です」


 危ない。


 夢魔より怖い。


 私はパフェへ逃げた。


 でも。


 さっき。


 本当は別の冗談を言おうとした。


お母さんの代わりになってくれません?


 言わなくてよかった。


 十六歳相手に言ったら、今度こそ殴られていたかもしれない。


 ただ。


 ローラさんの横顔を見る。


 似ている。


 顔そのものが。


 というより。


 サンデーさんの口元を拭ったときの手つき。


 少し呆れながら笑う表情。


 そういうものが。


 昔の母に。


「……」


「ネルさん?」


「何でもないです」


 私はパフェを食べる。


 甘い。


 子供の頃。


 母と一緒に食べたものより。


 ずっと高級な味がした。


     ◇


 L.E.1012年、6月1日。


 いつも通りの朝だった。


 いつもの喫茶店。


 いつもの顔。


 サンデーさんから情報を受け取る。


「今日は一件です」


「ありがとうございます」


 エターナルドリーマー。


 男性。


 名前はアイト。


 病気で妹を亡くしたあと、眠ったままになった。


「分かりやすそうですね」


「ネルさん、そういうときに限って大変な目に遭ってません?」


「縁起でもないこと言わないでください」


 結局。


 今日は私とエメラルドさんが向かうことになった。


     ◇


 夢の世界には。


 家が一軒あった。


 それだけ。


 周囲にも町並みは見える。


 でも近づけない。


 背景として描かれているだけだ。


「狭いですね」


「探す手間が省けていいでしょう」


「夢魔も、この家の中ですかね」


「多分」


 私はチャイムを押した。


 反応なし。


 もう一度。


 ぴんぽーん。


「ごめんくださーい」


 しばらくして。


 扉が開く。


 二十代くらいの男。


「……何ですか?」


 不機嫌そうだ。


「こんにちは」


 私は笑顔を作る。


「美少女旅商人のネル・パースです」


「……」


「こっちは非常食のエメラルドさん」


「だから何で毎回それなんですか!?」


「用がないなら帰ってもらえます?」


「ありますあります」


 私は四次元袋へ手を入れる。


「実はこのたび訪問販売を始めまして」


「いりません」


「即答しないでください」


「何も買う気はないので」


「日用品から武器防具、珍しいマジックアイテムまで何でもあります」


「結構です」


「どんな難病でも治す薬も」


「……今、何て?」


 止まった。


 予想通り。


「三割引です」


「そこじゃない」


「難病?」


「薬」


 男が。


 一歩近づく。


「本当に、何でも治るのか?」


「病気によりますね」


 当然。


 そんな薬は持っていない。


「ご家族に病気の方が?」


「妹が」


 男の声が柔らかくなる。


「昔から身体が弱いんだ」


 現実では。


 その妹は死んでいる。


「ずっと寝込んでいて」


「そうですか」


「医者にも何人も診てもらった。でも駄目だった」


「では」


 私は言う。


「一度、その妹さんに会わせてもらえます?」


「……分かった」


「症状を見た方が、適切な商品を選べますので」


 我ながら。


 よくもまあ、こんなに嘘が出てくるものだ。


 本当に。


 万病に効く薬があるなら。


 私の嘘吐きも治してもらいたい。


     ◇


「ここだ」


 妹の部屋。


 扉を開ける。


 タンス。


 本棚。


 ぬいぐるみ。


 ベッド。


 普通の。


 女の子の部屋だった。


「……」


 何故か。


 少し懐かしくなる。


 昔。


 私にも。


 こういう部屋があった。


 ぬいぐるみなんか置いて。


 母が勝手に片付けて。


 私が怒って。


「ネルさん?」


「何でもないです」


 ベッドを見る。


 誰もいない。


「おかしいな」


 男が首を傾げる。


「さっきまで寝てたはずなんだけど」


「お名前を聞いてませんでしたね」


「ああ。アイト」


「妹さんは?」


「ニム」


「ニムさん」


「多分トイレか何かだと思う」


 アイトさんが部屋を出ようとする。


「少し待ってください」


「?」


「妹さん」


 話を聞く。


「いつから病気なんです?」


「ずっと身体は弱かった」


 アイトさんは。


 ベッドへ腰掛けた。


「本格的に寝込むようになったのは、二年くらい前」


「看病は?」


「俺が」


「ずっと?」


「まあ」


「大変ですね」


 エメラルドさんが言った。


「別に」


 アイトさんは笑う。


「大事な妹だから」


 迷いのない答えだった。


「じゃあ」


 エメラルドさんが続ける。


「このままずっと、看病を続けるんですか?」


「……」


 しまった。


 私はエメラルドさんを見る。


 本人は気付いていない。


「どういう意味?」


 アイトさんの顔が変わる。


「え?」


「このままずっとって」


「あ、その」


「そもそも」


 アイトさんが立ち上がった。


「おかしいんだよな」


「……」


「最近」


 部屋を見る。


「誰も来ない」


「……」


「ニムは病気だ。学校の友達だっていた。心配してた奴もいたはずなのに」


 窓を見る。


「俺も」


 自分の手を見る。


「この家から出ようと思わない」


「アイトさん」


「なのに」


 冷蔵庫には食べ物がある。


 生活できる。


 お金にも困らない。


「何で?」


 こちらを見る。


「何で俺、ずっとここにいるんだ?」


 気付いた。


 夢の不自然さに。


「お前ら」


 私を見る。


「本当に旅商人か?」


「はい」


「嘘だろ」


「そこは本当です」


「そこは?」


「美少女も本当です」


「ネルさん」


「分かってます」


 仕方ない。


「アイトさん」


 私は。


 四次元袋から手を出した。


「今から、本当のことを話します」


     ◇


 全部。


 話した。


 ここが夢であること。


 現実のアイトさんは眠っていること。


 夢魔がこの世界を作ったこと。


 そして。


 ニムさんは。


 現実では。


 もう亡くなっていること。


「……そうか」


 驚くほど。


 静かだった。


「だから」


 私は言う。


「この世界にいる妹さんは、本物のニムさんではありません」


「……」


「おそらく」


 夢魔。


 ニムの姿をして。


 アイトさんの妹として生活している。


「私たちは、その夢魔を止めるために来ました」


「拒絶してくれれば」


 エメラルドさんが続ける。


「夢魔の支配も弱くなります」


「……」


「現実へ戻りましょう」


 私は。


 アイトさんを見る。


「亡くなった妹さんのためにも」


 言って。


 少し違和感があった。


亡くなった人のために生きろ。


 誰かに言われるなら。


 嫌いな言葉だ。


「……いえ」


「ネルさん?」


「訂正します」


 私は言い直す。


「妹さんのためじゃなくていいです」


「……」


「あなたが現実へ戻りたいなら」


 それで。


「私たちは手伝います」


 アイトさんは。


 しばらく黙っていた。


「分かった」


「では――」


「でも」


 顔を上げる。


「その夢魔は倒させない」


「……はい?」


「あいつを傷つけるっていうなら」


 私たちの前へ立つ。


「俺が相手になる」


     ◇


「何言ってるんですか!?」


 エメラルドさんが叫んだ。


「その夢魔はあなたを閉じ込めてるんですよ!」


「分かってる」


「死ぬまで!」


「それも」


「だったら!」


「エメラルドさん」


 私は止める。


「聞きましょう」


「でもネルさん!」


「話くらい」


 第3話。


 ロレッタさんのとき。


 本人の選択を勝手に決めないと。


 そう考えたばかりだ。


「アイトさん」


「……」


「どうして?」


 アイトさんは。


 妹のベッドを見る。


「たいした理由じゃない」


「はい」


「あいつ」


 少し笑う。


「俺と一緒にいると安心するって言ったんだ」


「……」


「だから」


 それだけ。


「俺も、一緒にいてやりたいと思った」


「相手が夢魔でも?」


「夢魔だって分かった今でも」


「騙されてたんですよ?」


 エメラルドさんが言う。


「妹のふりをして!」


「そうかもな」


「だったら――」


「でも」


 アイトさんが。


 はっきり言った。


「一緒に過ごした時間まで嘘になるのか?」


「……」


「俺が笑ったことも」


 飯を食べた。


 話をした。


 病気を心配した。


「向こうが笑ったことも」


「……」


「全部」


 夢魔が妹のふりをしていた。


 それが分かった瞬間。


「なかったことになるのか?」


 エメラルドさんは。


 答えられなかった。


 私も。


「もし」


 私は聞く。


「最初から最後まで」


 演技だったら?


「あなたを夢に閉じ込めるためだけに、妹を演じていたら?」


「それでも」


「……」


「俺があいつを妹だと思って過ごしたことは、本当だ」


「……」


「それに」


 アイトさんが笑う。


「ずっと騙され続けるなら、それはもう俺にとっては真実でいい」


「それは」


「馬鹿だと思う?」


「……かなり」


「だよな」


 苦笑した。


「でも」


 もう。


 分かってしまったから。


「騙されてると分かったからって、今さら俺の方から裏切れない」


 不思議だった。


 第1話。


 夢は。


 現実と切り離すべきものだと思っていた。


 第2話。


 偽物の友達なんて価値がないと思った。


 第3話。


 夢の中のレースでも。


 本気だった気持ちは本物だと知った。


 そして。


 今。


「アイトさん」


「何だ?」


「この世界から」


 聞く。


「帰りたいですか?」


「……」


「今すぐ」


 長い沈黙。


「今は」


 首を振る。


「帰りたくない」


「一生?」


「分からない」


「……」


「明日帰りたくなるかもしれない」


 それでも。


「今は」


 妹と。


「一緒にいたい」


「……そうですか」


「ネルさん!?」


「分かりました」


 私は。


 扉へ向かう。


「帰りましょう、エメラルドさん」


「でも!」


「本人が選んだんです」


「でも夢魔が――」


「だから」


 交渉すればいい。


「今後、アイトさんが戻りたいと言ったとき」


 夢魔が拒否するなら。


「そのときは」


 また来る。


「今は」


 ここへ。


「私たちがいる方が邪魔です」


「……」


 エメラルドさんは。


 納得していない。


 でも。


 ついてきた。


 部屋を出ようとする。


「待って!」


 声。


 押し入れ。


 扉が開いた。


 小さな女の子が。


 飛び出してきた。


「待ってください!」


 息を切らしている。


「私」


 泣きそうな顔。


「この夢を終わらせます」


     ◇


「ニム」


 アイトさんが呼んだ。


 女の子は。


 首を振った。


「違うよ」


「……」


「私は」


 震える声。


「ミンティア」


「……」


「夢魔のミンティア」


 自分で。


 名乗った。


「あなたの妹じゃない」


 アイトさんは。


 少しだけ。


 悲しそうな顔をした。


「知ってる」


「……」


「今、聞いた」


「違うの」


 ミンティアさんが。


 首を振る。


「そういう意味じゃなくて」


「……」


「私はニムじゃない」


 何度も。


 自分へ言い聞かせるように。


「ニムの代わりにはなれない」


「うん」


「本当の妹じゃない」


「うん」


「だから」


 泣く。


「だからもう」


 この夢を。


「終わらせる」


「……」


「お兄ちゃんは」


 言葉に詰まる。


「現実に戻って」


「ミンティア」


「本当のニムのために」


「ミンティア」


 アイトさんが。


 近づく。


「何?」


「一つだけ」


「……」


「お前と俺が兄妹だった時間」


 ミンティアさんを見る。


「それまで偽物だったことにしなくていいだろ」


「……」


「ニムじゃなくても」


「……」


「お前は」


 一瞬。


 言葉を選んだ。


「俺の妹だった」


「……っ」


 ミンティアさんが。


 泣いた。


 声を出さずに。


 ぽろぽろと。


「ずるいよ」


「何が?」


「そんなこと言ったら」


 笑う。


 泣きながら。


「夢、終わらせたくなくなるじゃん」


「終わらせなくていい」


「駄目」


 今度は。


 はっきり。


「もういいの」


「……」


「それが聞けたから」


 ミンティアさんは。


 少し笑う。


「私たち夢魔には」


「……」


「家族がいないんだ」


「……」


「だから」


 ただ。


「兄妹って、どんなものなのかなって思っただけ」


 寂しかった。


 そう言わなかった。


 でも。


 分かった。


「アイトさん」


 私は言う。


「その人を」


 ミンティアではなく。


「妹だと思ったのは」


 夢魔に操られたから?


「……」


「違いますよね」


 アイトさんが。


 頷く。


 最初は。


 ニムの姿だから。


 そう思ったかもしれない。


 でも。


 今は違う。


 正体を知っている。


 それでも。


妹だった。


 そう言った。


 なら。


 それはもう。


 夢魔が作った設定ではない。


 アイトさんが。


 自分で選んだ関係だ。


     ◇


「ミンティアさん」


「はい?」


「夢を終わらせたら」


「……」


「あなたはどうなるんです?」


「分かりません」


「消える?」


「多分」


 アイトさんの顔が変わる。


「そんな――」


「大丈夫」


「何が大丈夫なんだよ!」


「私は夢魔だよ」


 ミンティアさんは。


 笑う。


「人間じゃない」


「だから何だよ!」


 アイトさんが。


 初めて怒鳴った。


「消えていい理由になるのかよ!」


「……」


 私は。


 少しだけ。


 胸が痛くなった。


 夢魔。


 敵。


 倒すべき存在。


 ずっと。


 そう呼んできた。


 でも。


「夢を終わらせる以外に」


 私は聞く。


「アイトさんだけを目覚めさせる方法は?」


「……分からない」


「なら」


 考える。


「いったん、このままでも――」


「駄目です」


 ミンティアさんが。


 私を見る。


「お兄ちゃんは」


 もう。


「帰らないと」


「どうして?」


「私が」


 目を伏せる。


「帰したいから」


「……」


 アイトさんが選んだ。


 残りたい。


 ミンティアさんが選んだ。


 帰したい。


 どちらも。


 相手のため。


「面倒ですね」


「ネルさん!?」


「家族って」


 私は。


 つい。


 口にした。


「自分の幸せより、相手の幸せを勝手に決めたがるものなんですかね」


「……」


 誰も。


 答えなかった。


 私も。


 答えを知っているわけではない。


「でも」


 私はミンティアさんを見る。


「ナイトメアは大丈夫なんです?」


「え?」


「あなたが夢を壊したら」


 完全に。


 命令違反だ。


「怒るでしょう」


「……」


「夢魔は、人間を夢の世界で幸せにするために作られたんですよね」


「はい」


「それなのにあなたは、自分から人間を現実へ返す」


「……」


「裏切りだと思われません?」


 ミンティアさんは。


 少しだけ。


 困った顔をした。


「でも」


 やがて。


 笑う。


「話せば分かってもらえると思います」


「……」


「だって」


 ナイトメアも。


「人間を幸せにしたいんでしょう?」


「……」


「だったら」


 夢だけが幸せじゃないって。


「ちゃんと話せば――」


 言葉は。


 最後まで続かなかった。


     ◇


 変な音がした。


 何か。


 柔らかいものが。


 床へ落ちたような。


「……え?」


 最初。


 何が起きたのか。


 分からなかった。


 ミンティアさんの身体は。


 そこに立っている。


 でも。


 首がなかった。


「……」


 床。


 桃色のカーペット。


 その上を。


 何かが転がる。


 顔。


 さっきまで。


 笑っていた。


「……ミンティア?」


 アイトさんが。


 呟いた。


 一秒。


 二秒。


「ニム!!」


 叫び。


 身体へ駆け寄る。


「ニム! ニム!!」


「……」


 私は。


 動けなかった。


 血。


 赤い。


 夢魔にも。


 赤い血が流れている。


 そんな。


 どうでもいいことが。


 頭に浮かんだ。


「違うね」


 声。


「夢だけが幸せじゃないなんて」


 いつから。


 そこにいたのか。


 少年。


 十歳くらい。


 笑っていた。


「だって現実なんて」


 ミンティアさんの死体を。


 一度も見ない。


「つらいことばっかりじゃないか」


 エメラルドさんが。


 震える。


「ナイトメア……」


「あ」


 少年が。


 少し嫌そうな顔をした。


「その呼び方やめてくれない?」


「……は?」


「僕はナイトメアなんかじゃないよ」


 両手を広げる。


「人間を悪夢みたいな現実から目覚めさせる」


 笑う。


「日の出の使者」


「……」


「だから」


 胸へ手を置いた。


「トワイライトメアって呼んでほしいな」


「……」


 私は。


 床に転がるミンティアさんを見る。


 アイトさんが。


 その身体を抱いている。


 泣いている。


 そして。


 もう一度。


 少年を見る。


「嫌です」


「え?」


「ナイトメアで十分です」


     ◇


「そんなに怒らないでよ」


 ナイトメアは。


 本当に分からない。


 そんな顔をしていた。


「何か悲しい誤解があるみたいだね」


「誤解?」


「うん」


「今」


 指差す。


「ミンティアさんを殺しましたよね」


「ああ」


 軽い。


「あれ?」


「……あれ?」


「僕の所有物だよ」


「……」


「僕が作ったんだから」


 何を言われているのか。


 一瞬。


 理解できなかった。


「夢魔は」


 ナイトメアが続ける。


「僕が作った偽物の生命」


「……」


「人間の心を理解するために、感情らしいものも与えたけど」


 肩をすくめる。


「生命って呼べるようなものじゃないよ」


「……」


「道具」


 それだけ。


「壊れた道具を捨てて」


 何が悪いの?


「……」


 第1話。


 チェルシーが。


 エヴァンスを消した。


どうせ全部消えるもの。


 あのとき。


 何故か。


 私は腹が立った。


 今なら。


 少し分かる。


「違います」


「何が?」


「ミンティアさんは」


 さっき。


 自分で決めた。


「あなたの命令に逆らったでしょう」


「だから出来損ないなんだよ」


「違う!」


 自分でも。


 驚く声が出た。


「自分で考えたんです!」


「……」


「アイトさんを現実へ帰したいって」


 ナイトメアを見る。


「あなたに命令されたからじゃない」


「……」


「自分で!」


「それが?」


「それが」


 生命じゃないなら。


「何なんですか!」


 ナイトメアが。


 笑った。


「面白いなあ」


「……」


「僕が作った感情に」


 人間が。


「本気で怒ってる」


「……」


「素敵だね」


 心の底から。


 感心しているようだった。


「人間の感情って」


「……」


「どうでもいいものにも意味を見つけられる」


 ミンティアさんを。


どうでもいいもの。


 そう呼んだ。


「だから僕は」


 嬉しそうに。


「人間が好きなんだ」


「……」


「人間には」


 夢が必要だ。


「嫌なものが何もない」


 苦しみも。


 病気も。


 裏切りも。


 死も。


「そんな世界で暮らせたら」


 幸せ。


「そう思わない?」


「思いません」


「どうして?」


「嫌なものがないから」


 幸せ?


「それ」


 私は。


 床を見る。


「あなたが決めることじゃないでしょう」


「またそれ?」


「何度でも言いますよ」


 ケビンさん。


 ティアナさん。


 ロレッタさん。


 アイトさん。


 ミンティアさん。


「本人に聞け」


「……」


「勝手に」


 何を望んでいるか。


「決めるな」


 ナイトメアは。


 首を傾げる。


「でも」


「……」


「人間自身だって、自分が何を望んでいるか分かってないじゃないか」


 少し。


 言葉に詰まった。


「だから」


 笑う。


「僕が分かってあげるんだ」


「……」


「その人の心を読んで」


 もっとも強い願いを。


 もっとも痛い傷を。


「叶えてあげる」


「……」


「それの何が悪いの?」


 第5話。


 ローラさんの恋人。


 怒りだけを。


 願いだと決められた。


「全部ですよ」


「全部?」


「人の心って」


 一つじゃない。


「誰かを殺したいくらい憎んでても」


 同時に。


「許したいかもしれない」


「……」


「死にたいって思ってても」


 同時に。


「生きたいかもしれない」


 私だって。


 父が。


 いなくなればいいと思ったことは。


 何度もある。


 でも。


 あんな死に方をしてほしかったわけじゃない。


「一個だけ抜き出して」


 それを。


「この人の本心です、なんて」


 決める。


「それが間違ってるんですよ」


「……」


 ナイトメアは。


 少しだけ。


 考えた。


 でも。


「やっぱり分からないな」


 笑った。


「まあ」


 両手を広げる。


「時間をかければ分かってもらえるかな」


「必要ありません」


「怒ってる?」


「見れば分かるでしょう」


「じゃあ」


 ナイトメアは。


 自分の頬を指差した。


「一発殴る?」


「……」


「それで気が済むなら」


 笑う。


「好きにしていいよ」


「本当に?」


「もちろん」


「パンチじゃなくても?」


「好きに――」


 私は。


 一歩。


 踏み込んだ。


 蹴った。


「ふぐぉっ!?」


 股間を。


     ◇


「……」


 ナイトメアが。


 床へ崩れ落ちた。


 エメラルドさんが。


 何とも言えない顔で私を見る。


「何です?」


「い、いや」


「好きにしていいって言いましたよ」


「そうですけど」


「急所を狙うなとも言われてません」


「そうですけど!」


「それに」


 私は右手を上げる。


「これは戦いです」


 ウェイクリング。


 光。


「《夢幻創造》」


 金塊。


 現れる。


「ネルさん!」


「ここで」


 ナイトメアを。


「終わらせます」


 女神様の仕掛けは。


 まだ完成していない。


 逃げられるかもしれない。


 でも。


 目の前。


 油断している。


 今なら。


「死んでください」


 金塊を。


 振り下ろす。


 その直前。


 黒。


「……!」


 空間に。


 穴が開いた。


「メア様!」


 女。


 飛び出してくる。


「チェルシー!」


 第1話。


 最初に会った夢魔。


「ここは退きます!」


「待ちなさい!」


 チェルシーが。


 ナイトメアを抱える。


「離せ!」


「次は」


 こちらを見る。


「覚悟しておきなさい」


「それはこっちの――」


 二人。


 黒い穴へ。


 消える。


「……」


 金塊だけが。


 床へ落ちた。


     ◇


「逃げられた……」


 やっと。


 見つけた。


 ずっと。


 探していた。


 ナイトメア。


 手の届くところまで来た。


 なのに。


「くそ……」


「ネルさん」


「分かってます」


 追えない。


 ブラックホールのようなものも。


 もうない。


 私は。


 そこで。


 ようやく。


 後ろを見た。


「……」


 アイトさん。


 ミンティアさんを抱えている。


「ニム」


 呼ぶ。


「ニム……」


 さっき。


 本人から。


私はミンティア。


 そう言われた。


 それでも。


 アイトさんは。


 ニムと呼んでいた。


「……」


 訂正する気には。


 なれなかった。


     ◇


 夢の世界が。


 ゆっくり崩れ始める。


 ミンティアさんが死んだからだろう。


「アイトさん」


「……」


「戻ります」


「……うん」


 声が。


 小さい。


「ごめんなさい」


 何に対する謝罪なのか。


 自分でも分からなかった。


 助けられなかったこと。


 ナイトメアを逃したこと。


 夢を終わらせること。


「君が謝ることじゃない」


「……」


「俺は」


 ミンティアさんを見る。


「こいつと会えてよかった」


「……」


「それだけは」


 こちらを見る。


「夢じゃなかったと思う」


 世界が。


 白くなる。


     ◇


 現実。


 アイトさんは。


 目を覚ました。


 泣いていた。


 私は。


 何も言わなかった。


     ◇


 ローラさん。


 サンデーさん。


 皆には。


 今日あったことを話した。


「ナイトメアが」


 ローラさんの表情が変わる。


「直接現れましたのね」


「はい」


「やはり」


 ルビーさんが言う。


「挑発は効いてたってことか?」


「分かりません」


 ミンティアさんを。


 処分するために来ただけかもしれない。


「でも」


 夢魔側が。


 動いた。


「一歩前進ではあります」


「……」


 誰も。


 喜ばなかった。


 当然だ。


「ミンティアさん」


 サンデーさんが言う。


「ナイトメアに逆らったんですね」


「はい」


「他にも」


 少し考える。


「同じような夢魔がいるのかな」


「いるかもしれません」


 チェルシーも。


 ナイトメアを慕っている。


 でも。


 ナイトメア自身は。


 夢魔を道具としか思っていない。


 全員が。


 同じように考えているとは。


 もう思えない。


     ◇


 夜。


 日記を書いている。


 今日は。


 変な日だった。


 偽物の妹。


 そう呼べば。


 簡単だ。


 ニムの姿をした。


 夢魔。


 でも。


 アイトさんは。


 正体を知ってからも。


妹だった。


 と言った。


 なら。


 あの二人の関係は。


 いつから本物になったのだろう。


 最初から?


 途中から?


 正体を知った瞬間?


 ……。


 多分。


 そんな境目を探すこと自体。


 意味がないのだろう。


 騙されて始まった。


 それは事実。


 偽物の姿だった。


 それも事実。


 でも。


 そのあと生まれたものまで。


 全部。


 偽物になるわけじゃない。


 第3話で。


 ロレッタさんが。


 そう教えてくれた。


夢だったとしても、本気だったことまで夢にはならない。


 今日。


 少しだけ。


 その意味が。


 前より分かった気がする。


 それから。


 もう一つ。


 ナイトメアは。


 夢魔を。


偽物の命。


 と呼んだ。


 自分が作った道具。


 だから。


 壊してもいい。


 私は。


 あれだけは。


 絶対に認められない。


 何から生まれたとか。


 誰に作られたとか。


 そんなことより。


 本人が。


 自分で考えて。


 自分で選んだなら。


 その瞬間から。


 少なくとも。


 私は。


 その人を。


 物とは呼べない。


 ……。


「ネルさん」


「何です?」


「もう寝ないんですか?」


「もう少し」


「明日も朝早いですよ」


「分かってます」


 エメラルドさんが。


 ベッドへ戻る。


「……エメラルドさん」


「はい?」


「もし」


 聞いてみる。


「あなたが、実は誰かに作られた偽物だったらどうします?」


「は?」


「明日いきなり」


あなたは本物の妖精じゃありません。


 そう言われたら。


「……」


 エメラルドさんは。


 少し考えた。


「困りますね」


「それだけ?」


「だって」


 欠伸をする。


「今までの私が消えるわけじゃないでしょう?」


「……」


「ネルさんと会ったことも」


 笑う。


「夢魔と戦ったことも」


「……」


「指輪を落としたことも」


「それは消していいですよ」


「酷い!」


「寝てください」


「ネルさんが聞いたんでしょう!」


 うるさい。


 でも。


 少し。


 気分が軽くなった。


 今までの自分が。


 消えるわけではない。


 か。


 覚えておこう。


 おやすみなさい。

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