第四話 誰の正義で戦うのか
L.E.1012年、5月8日。
五日ぶりの日記になる。
別に、書けないほど忙しかったわけではない。
ロレッタさんのことがショックで、寝込んでいたわけでもない。
普通に旅をしていた。
隣町へ行って。
商品を売って。
宿を探して。
食べて。
眠った。
いつも通りの生活だった。
ただ。
日記を開くたび、
夢だったとしても、私が本気だったことまで夢にはならない。
あの言葉を思い出した。
何かを書こうとすると、そこから先へ進めなくなる。
だから閉じた。
それだけだ。
◇
「エメラルドさん」
「……」
「エメラルドさん?」
「…………」
朝。
宿屋のテーブルに座ったまま、エメラルドさんはぼんやりしていた。
ここ数日ずっとこんな調子だ。
食事も少ない。
妖精の食事量なんて元から知れているので、実際に減っているのかはよく分からないですが。
「おーい」
目の前で指を振る。
反応なし。
私は四次元袋から金貨を一枚取り出した。
机へ落とす。
ちゃりん。
「何ですか!?」
「反応した」
「何の実験ですか!」
「良かったです。生きてますね」
「私を何だと思ってるんですか!」
ようやく怒った。
その方がまだエメラルドさんらしい。
「で?」
「……何がです?」
「ここ数日、ずっと何を考えてるんです?」
エメラルドさんが黙る。
「私に話せないことならいいですけど」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ聞きます」
「強引ですね」
「今さらでしょう」
エメラルドさんは小さく息を吐いた。
「夢魔のことです」
「でしょうね」
「私」
少し躊躇してから続ける。
「最初は、夢魔って悪い奴らなんだと思ってました」
「はい」
「人間を夢の中へ閉じ込めて、魂を食べる悪魔。だから女神様の命令通り、倒さなきゃいけないって」
「はい」
「でも」
ロレッタさん。
名前は出さなかった。
出さなくても分かる。
「夢魔が見せた夢の中で、幸せだった人もいた」
「いましたね」
「アルフォートも、本気で人間を幸せにしたいみたいでした」
「多分」
「だったら」
エメラルドさんが顔を上げる。
「私たちが正しいって、どうして言えるんでしょう」
「言えませんよ」
「……え?」
「私たちが絶対に正しいなんて、誰にも言えないでしょう」
エメラルドさんが目を丸くした。
「じゃ、じゃあ」
「でも、私は夢魔を止めます」
「……どうしてです?」
随分と難しいことを聞く。
私は朝食のパンをちぎった。
「ロレッタさんは、最後には自分で選びました」
「はい」
「ここが夢だって知った。自分が死にかけていることも知った。それでも最後まで走るって決めた」
「……」
「私は、それを止めませんでした」
今でも。
あれが正しかったのかは分からない。
もしかしたら無理やり目覚めさせるべきだったのかもしれない。
あと数時間。
あと一日。
現実で家族と過ごせた可能性もある。
それはもう、誰にも分からない。
「でもアルフォートは、最初にロレッタさんへ何も聞いてない」
「……」
「夢に入りたいですか。二度と目覚めなくてもいいですか。現実で残っている時間を捨ててもいいですか」
一つも。
「弱っているところへ勝手に入って、夢を見せて、目を覚ませなくした」
「それは……そうです」
「だから私は止めます」
「でも、人を幸せにしたいという気持ちは――」
「本物でしょうね」
そこを否定する必要はない。
「善意があるなら何をしてもいい、とは思いませんけど」
エメラルドさんは俯く。
「じゃあ、夢魔は悪ではない……?」
「さあ」
「さあって!」
「私、悪とか正義とか、そういう話あんまり好きじゃないんですよ」
商売なら簡単だ。
買う人。
売る人。
互いに納得した金額で取引する。
それで終わり。
でも人間はそうはいかない。
「相手にも事情がある。それを理解する」
「はい」
「その事情を理解した結果、それでも相手を止める」
「……はい」
「別に矛盾しないでしょう」
ロレッタさんは幸せだった。
アルフォートはロレッタさんを幸せにしようとした。
その二つは認める。
それでも。
勝手に人の人生を決めるな。
私はそう思う。
「相手が悪だから戦うんじゃなくて」
言いながら、自分でも考える。
「自分が、これは許せないと思うから戦う。それで十分じゃないですか?」
「……それが、ネルさんの正義ですか?」
「そんな立派なものじゃないですよ」
「でも」
「呼びたいなら好きにしてください」
エメラルドさんはしばらく考えていた。
「私の正義……」
「はい」
「私は女神様のお役に立ちたいです」
「なら、それでいいんじゃないですか」
「そんな単純でいいんでしょうか」
「複雑に考えたところで、やることは同じでしょう?」
「……それもそうですね」
少しだけ。
いつもの顔に戻った。
「それに」
私は残っていたパンを口へ放り込む。
「今日は、その女神様に会わせてもらいたいんです」
「え?」
「ナイトメアを倒す方法について、相談があります」
◇
ナイトメアは夢から夢へ移動できる。
少なくとも、アルフォートたちの話を聞く限り、その可能性は高い。
だったら。
仮に私がナイトメアを見つけたとしても、
「はい、さようなら」
と別の夢へ逃げられたら終わりだ。
倒す以前に、戦闘へ持ち込めない。
「何か、逃げられなくする方法が必要です」
「私には思いつきませんね……」
「私にもです」
「堂々と言わないでください」
「だから神頼みですよ」
「本物の神様に言うと、神頼みってそういう意味じゃない気がしますね」
そういうわけで。
天界へ行くことになった。
◇
天界。
名前からして雲の上にでも神殿が浮いているのかと思っていた。
実際、だいたい合っていた。
「……高い」
城門の向こう。
白い石造りの街。
そのさらに向こうには、地上では見たこともないほど青い空が広がっている。
端から下を覗けば雲海。
「落ちたら死にます?」
「多分」
「帰ります」
「来たばっかりですよ!」
ウェイクリングで地上へ戻れるので、実際に歩いて帰る必要はない。
それにしても。
天使。
妖精。
精霊。
神。
詳しく説明すると長くなるらしいので、エメラルドさんには、
「強い順に並べて」
と頼んだ。
「そんな単純に分けられません!」
と怒られた。
なので説明は省略する。
重要なのは、
女神ダイアモンドはめちゃくちゃ強い。
以上です。
◇
「あら」
城内を進んでいると、扉の前に立つ天使がエメラルドさんを見た。
「まだ生きてたのね」
「どういう意味ですか!」
「冗談よ。相変わらず真面目ねえ」
天使は笑う。
「下界で失敗して泣きながら帰ってくると思ってた」
「失敗なんかしてません!」
私は黙ってエメラルドさんの右を見る。
左を見る。
「……何です?」
「いじめられてたんですか?」
「違います!」
「半分くらいはいじめられてたわね」
「あなたは黙っててください!」
天使はくすくす笑った。
でも。
「ま」
声が少しだけ柔らかくなる。
「無事でよかったわ」
「……」
「何よ」
「別に」
エメラルドさんが目を逸らす。
面倒くさい二人だ。
「女神様に報告?」
「はい」
「今ちょうど別件の報告を受けてるわ。少し待った方が――」
そのとき。
扉の向こうから声が聞こえた。
『南方の大地震は危険度B。復興支援を急ぐべきです』
『ウィルドニアの紛争はA。このままでは国家そのものが崩壊しかねません』
随分と物騒な話をしている。
『分かりました。そちらについては引き続き――』
『それより女神様』
別の声が遮った。
『最近、危険度Eのエターナルドリーマー事件に必要以上の労力を割いていると聞いております』
「……」
『現時点では被害も限定的。大地震や紛争と比べれば、優先すべき事件ではございません』
『放置なされてはいかがです?』
少し。
間。
『……お前らさ』
女神様らしき声の調子が変わった。
『今、小さいから潰すんだろうが』
エメラルドさんの肩がびくっと跳ねた。
「女神様、怒ってますね」
「怒ってますね……」
『地震が起きた後に地震そのものを殴って止められるか!? 戦争が始まった後で、はい明日から平和ですってできるか!? そっちは時間かけてどうにかするしかねえんだよ!』
神様というより、現場監督みたいな怒り方だった。
『だがエターナルドリーマーは違う! 今ならまだ被害者は少ない! 夢魔の数だって限られてる!』
ばん。
机でも叩いたのだろうか。
『Eだから後回しじゃねえ! Eのうちに終わらせるんだよ!』
「……」
私はエメラルドさんを見る。
「好きかもしれません、あの人」
「尊敬という意味ですよね!?」
◇
少しして。
二人の天使らしい女性が部屋から出てきた。
顔が引きつっていた。
「で、では本日はこれで……」
「今後のご判断には、くれぐれもご注意を……」
捨て台詞だけ残して去っていく。
扉は開けっぱなし。
「閉めていけ」
中から女神様の声。
二人は戻ってきて扉を閉めた。
「……」
「……」
「ちょっと面白いですね」
「笑っちゃ駄目です」
また扉が開く。
金髪。
青い目。
見た目だけなら、絵画に描かれる女神そのものだった。
「エメラルドか」
「お久しぶりです、女神様」
「入りな」
部屋へ入る。
女神様は大きな椅子へ腰掛けた。
「そっちの人間は?」
「ネル・パースです。旅商人をしています」
「旅商人?」
女神様の眉が動く。
「エメラルド」
「はい」
「私は、なるべく強い人間を探せと言ったよな?」
「……はい」
「何で旅商人なんだ?」
「それには深い事情が」
「指輪落としたんでしょう」
「ネルさん!?」
女神様がエメラルドさんを見る。
エメラルドさんが目を逸らす。
「……落としたのか?」
「……はい」
「それをこいつが拾った?」
「……はい」
「勝手にはめた?」
「そこは私が悪いですね」
しばらく。
沈黙。
「はっはっはっは!」
女神様が笑った。
「面白え!」
「笑い事じゃないですよ!」
「いいじゃねえか。結果的に仕事してるんだろ?」
「まあ……」
「で」
女神様が私を見る。
「外れないんだろ?」
「はい」
「外してやろうか?」
「……」
一瞬。
本当に一瞬。
返事が遅れた。
一週間前。
この指輪を拾った日。
私はどうにかして外したかった。
石鹸を使った。
引っ張った。
指を切られるのは嫌だと騒いだ。
夢魔なんて知ったことじゃないと思っていた。
「ネルさん?」
「いえ」
右手を見る。
緑色の石。
「外さなくて結構です」
エメラルドさんが私を見る。
女神様も。
「いいのか?」
「はい」
「もう巻き込まれただけじゃなくなるぞ」
「分かってます」
「これから先、死ぬかもしれない」
「それも」
「夢魔と戦う義務なんて、お前にはない」
「知ってますよ」
だから。
「自分で決めます」
女神様が少し目を細めた。
「私はナイトメアを倒したい」
「理由は?」
「気に入らないからです」
「は?」
「勝手に人の夢へ入って、勝手にその人の幸せを決める」
ロレッタさん。
ケビンさん。
ティアナさん。
「夢を見ること自体が悪いとは、もう思ってません」
言葉にすると。
ようやく自分の中でもはっきりした。
「夢の中で生まれた感情まで偽物だとも思いません」
ロレッタさんとのレース。
あれは本物だった。
「でも」
人間には。
「起きるか、夢を見るか。それくらい自分で決める権利があるでしょう」
「……」
「それを奪う奴が気に入らない」
女神様が笑った。
「なるほど」
「なので、外さなくていいです」
「いい目してやがる」
「顔もいいですよ」
「そこは聞いてねえ」
この神様。
話が早くて助かる。
◇
「女神様」
エメラルドさんが口を開いた。
「私、少し迷っていました」
「何に?」
「夢魔にも、夢魔なりの正義があるんじゃないかって」
「あるだろうな」
即答だった。
エメラルドさんが驚く。
「認めるんですか?」
「何で認めない?」
「でも――」
「自分が正しいと思ってない奴が、こんだけ大掛かりなことするかよ」
女神様は頬杖をつく。
「あいつは本気だ」
その言い方が。
少しだけ引っかかった。
ナイトメア。
敵の親玉を語っているというより。
よく知っている誰かを語っているように聞こえた。
「本気で、人間のためになると思ってる」
「なら、話し合えば」
「無理だ」
静かな声だった。
さっきまでとは違う。
「……どうしてです?」
「もう話す段階は過ぎた」
女神様が窓の外を見る。
「こうしている間にも、人間が眠らされ続けている」
「でも、人を殺そうとしてるわけじゃ――」
「死んだ奴もいる」
エメラルドさんが黙る。
「直接殺すつもりがなくてもな」
ロレッタさん。
女神様は彼女のことを知らないはずなのに。
私にはその名前を呼ばれたように感じた。
「それに」
女神様は続ける。
「人間を幸せにしたいなら、まず本人に聞けって話だろ」
私は思わず女神様を見る。
目が合った。
「……同感です」
「だろ?」
「ネルさんと同じこと言ってる……」
「当たり前だろ」
女神様が笑う。
「こいつは私が作った道具を使って戦ってるんだ。多少見る目はあると思いたいね」
「指輪を拾っただけですけど」
「余計なこと言わなくていいですよ!」
◇
「それで」
私は本題へ戻す。
「ナイトメアを逃がさず、倒す方法はありますか?」
「ある」
女神様は答えた。
あまりにもあっさりと。
「あるんですか」
「ああ」
「じゃあ教えてください」
「嫌だ」
「帰りますよ」
「短気だな!」
「だって聞きに来たんですよ!」
「あるとは言った。今使えるとは言ってねえ」
女神様が椅子へ深く座り直す。
「今は守りを固めてる段階だ」
「守り?」
「被害拡大を抑える。ウェイクリングを配る。夢魔について調べる。奴らがどうやって夢から夢へ移動しているのかも含めてな」
「じゃあ攻める方法は?」
「準備中」
「どれくらい?」
「分からん」
「神様なのに」
「神様を万能だと思うな」
もっともだ。
神様が何でもできるなら、そもそも私たちは必要ない。
「ただ」
女神様の目が鋭くなる。
「奴がこちらの用意した場所へ入ったなら、逃がさない方法は考えてる」
「……!」
「それ以上は聞くな」
「どうして?」
「夢魔は人間の心を読む」
なるほど。
「私たちが知ってしまえば」
「お前らの頭から漏れる可能性がある」
「信用されてないんですか?」
エメラルドさんが少し傷ついた顔をした。
「逆だ」
「え?」
「信用してるから、知らなくていいことを背負わせない」
女神様がエメラルドさんを見る。
「捕まったとき、知らないことは吐きようがないだろ」
「……」
「お前は嘘が下手そうだからな」
「それは否定できません」
「そこは否定してくださいよ」
でも。
理にかなっている。
「分かりました」
私は頷いた。
「必要になったら教えてください」
「ああ」
「その代わり」
女神様を見る。
「最後には私も呼んでください」
「最後?」
「ナイトメアとの最終決戦です」
笑われるかと思った。
ただの旅商人。
夢魔を三人見ただけ。
まともに倒したと言えるのは二人。
そんな人間が、世界規模の事件の最終決戦へ出たいと言っている。
でも。
女神様は笑わなかった。
「怖くないのか?」
「怖いですよ」
「死ぬかもしれないぞ」
「それ、さっきも聞きました」
「逃げたくなるかもしれない」
「逃げるかもしれませんね」
女神様の眉が上がる。
「でも」
怖くないと言うのは嘘だ。
絶対に逃げないと今ここで断言するのも、少し違う。
「逃げたとしても」
私は右手を見る。
「多分、また戻ります」
「……」
「そういう性格みたいなので」
ロレッタさんのところへも。
ティアナさんのところへも。
結局行った。
「だから、呼んでください」
女神様は。
しばらく私を見ていた。
「ああ」
やがて笑った。
「期待してるぞ、ネル・パース」
◇
天界から戻る。
右手の指輪を見る。
「ネルさん」
「何です?」
「本当に良かったんですか?」
「何が?」
「ウェイクリング」
「ああ」
外そうと思えば。
もう外せる。
それが分かった。
「別に」
手を下ろす。
「必要なくなったら、そのとき外してもらいますよ」
「そうですか」
「それまでは使います」
「……はい!」
エメラルドさんが笑った。
ここ数日で、一番いつも通りの笑顔だった。
それでいい。
◇
宿へ戻ってから、エターナルドリーマーについて調べた。
近くの温泉宿で、従業員が一人眠ったまま目を覚まさなくなったらしい。
「行きますよね?」
「温泉宿ですか」
「はい」
「無料で泊めてもらえますかね」
「ネルさん!」
「人助けにも休養は必要でしょう」
明日の予定が決まった。
◇
L.E.1012年、5月9日。
「わはははは! 我が名はキノコーン! 人間に最高の夢を見せる者!」
「待てい! 最高の夢を見せるのは、このタケノコーン様だ!」
「お前たち、夢魔同士で争ってどうする! このキコリーンが仲裁してやる!」
「「お前はキコリーン!」」
「……」
三人並んでいた。
「エメラルドさん」
「はい」
「昨日、夢魔にも夢魔なりの正義があるって話しましたよね」
「しましたね」
「こいつらにもあります?」
「多分……」
「じゃあ、その正義ごとぶっ飛ばします」
「雑になってる!」
五分後。
三人とも倒した。
思想以前の問題だった。
夢魔にも色々いるらしい。
◇
L.E.1012年、5月10日。
温泉最高。
無料。
ご飯も美味しい。
布団もふかふか。
「もう一週間くらい泊まりません?」
「駄目です!」
「人間には休む権利があります」
「夢を見る権利の次は休む権利ですか!」
「大切ですよ」
夢の中へ閉じ込められるのは御免ですが。
温泉宿へ自分の意思で引きこもるのは、かなり魅力的だと思う。
同じ「ここから出たくない」でも。
自分で決めたなら、随分違う。
たぶん。
そういうことなのだろう。
では。
明日からまた、真面目に働きます。




