17.ライオン
塔の窓から、メアリーたちは湖を見つめていた。
巨大な水柱が夜空へ舞い上がる。
メアリーは胸の前で両手を握る。
「カラボスさん⋯⋯」
動物たちも、息を呑んで見守っていた。
湖面が揺れる。
――ザバァッ!!
黒竜の頭が水面から現れた。
「まだ生きてる!」
リスが叫ぶ。
黒竜は苦しげに咆哮しながら、再び湖へ沈んでいく。
しばらくすると、また浮かび上がる。
息を求めるように。
だが、その身体はもう思うように動かない。
翼は力なく垂れ下がり、湖面を叩くだけだった。
苦しそうにもがく黒竜の姿は、悪の魔女ではなく、熱にうなされる患者のように見えた。
黒竜はもう一度だけ空へ首を伸ばす。
そして。
――ゴオオオオオオオ……
長い断末魔が湖へ響いた。
その巨体はゆっくり横倒しになり、水面へ静かに浮かぶ。
湖畔には静寂だけが残った。
しばらくして、一人の青年が岸へ姿を現す。
全身ずぶ濡れで、肩で荒く息をしている。
妖精の剣を杖代わりにしながら、塔へ向かって歩いてくる。
「デジレさん!」
メアリーが立ち上がろうとする。
火の精霊だけが、苦い顔をしていた。
「……胸糞悪ぃ。」
動物たちが振り向く。
「どうしたの?」
火の精霊は目を閉じ、小さく息を吐いた。
「契約だからな。」
誰にも聞こえないくらい小さな声だった。
やがて右手を静かに掲げる。
「――『サイゴノイチゲキハセツナイ』。」
暖炉の炎がふわりと揺れた。
赤い火の粉が部屋いっぱいへ舞い散る。
メアリーが瞬きをする。
「……あれ?」
リスが首をかしげる。
「ぼくたち……何を見てたんだっけ。」
ウサギがその場へ座り込む。
キツネも力が抜けたように床へ倒れた。
メアリーも瞳を閉じる。
「なんだか……眠……。」
身体がふらりと傾く。
火の精霊が支えると、そのままベッドへ静かに寝かせた。
穏やかな寝息が聞こえる。
部屋にはメアリーと動物たちの寝息だけが残った。
火の精霊は全員の寝顔を見回し、小さく呟く。
「これで……約束は果たしたぞ。」
窓を開く。
その小さな身体は炎の球体となって空中へ浮かび上がった。
湖畔へ降り立つ。
黒竜は静かに横たわり、かすかに胸だけが上下していた。
火の精霊は、その巨大な瞳を見上げる。
「……最後に望みはあるか。」
黒竜は弱々しく唸る。
……グルル……
火の精霊は静かに頷いた。
「そうか。」
目を閉じる。
「――『アンラクシ』。」
暖かな炎が黒竜を包み込む。
苦しそうだった呼吸が、ゆっくりと穏やかになっていく。
そして最後に、黒竜は安らかな表情のまま、静かに息を引き取った。
黒い鱗が、少しずつ色を失っていく。
尾の先から、翼へ、胴体へ。
漆黒だった身体は、やがて鈍い緑色へと変わり始めた。
火の精霊は、その様子を黙って見守る。
「……最後まで、お前らしいな。」
石化はゆっくりと全身へ広がる。
やがて黒竜の巨体は縮み、翼は消え、角も尾も失われていく。
残ったのは、湖畔を静かに見つめる一頭の青銅のライオンだった。
穏やかな表情で前を向き、誰かを待ち続けるように座っている。
火の精霊はライオンの頭をそっと撫でた。
「これからも、あいつらを見守ってやれ。」
湖には、風の音だけが静かに流れていた。




