序章 氷霊の息吹 _ 外界 三十年前
肌に纏わりつくような熱気が立ち込めた。人の手によって掘り進めたことで、ごつごつと隆起した岩肌が続く。かんかん、と絶え間なくつるはしが岩壁を叩く音が反響した。
ぽっかりと空いた洞穴のような魔石採掘場の入り口から、側根のような坑道が続く。大人三人がすれ違うのも一苦労なせせこましい道幅だ。
その中で、鉱夫たちが服に大きなシミを作りながら汗を流す。
「そうか、お前んとこも子供が生まれるのか」
「ああ。そこまで腹は出てねぇけど、嫁は悪阻で参ってるよ」
二人の鉱夫が、談笑に花を咲かせていた。一人は四十代くらい男で、汗や砂汚れのあるタンクトップを着ている。
もう一人は、その男より一回り若い男だ。半袖を肩まで捲っていた。それぞれ、所々刃こぼれした年季の入ったつるはしを肩に担いでいる。
休憩から戻った二人の鉱夫たちは、足元に敷かれた不安定なレールの枕木の上を歩く。
「そりゃ大変だな。滋養に良いもん、たらふく食わせてやらねぇと」
「そうしてやりたいな。この仕事もいつまで続くか分からねぇ」
若い男は、新婚で娶った妻と自身の仕事について心配していた。一方で、もう一人の男には家庭がなかったが、同じように先を案じている。
滲んだ不安は、本来めでたい話すら顔色を曇らせた。四十代の男は、溜息まじりに「だな……」と共感して続ける。
「奴らも、最近ここにすっかり姿を見せねぇ。そろそろ閉山の準備を進めてるのかもな」
「言われてみりゃそうだな。来てるのは、下っ端の連中か?」
「ああ。大方、金で雇われてる外界のゴロツキ連中だろうな。話した感じじゃあ、あんまり気分良かねぇ」
「なんだそりゃあ。やなことでも言われたのか」
「いや、そういう訳でもねぇんだが……。ただ直観的なもんだ」
胡散くさい連中の態度を思い返して、四十代の男は曖昧に答えた。
若い男は、直接対面したことがないようで「ふーん…、」と相槌する。強面な相貌でがさつだが、男の直感を疑ってはいない。単に想像ができず、若い男はそれ以上言及しなかった。
四十代の男は、懸念を振り払うように気を取り直して続ける。
「まぁ、こんな話したところでどうにもならねぇな。閉山したら、そん時はそん時。ここにいる皆、おまんま食いっぱぐれるだけだ」
「そうだなぁ、なるべくそうならねぇで欲しいけどよ」
二人の鉱夫は、悪い冗談でも豪快に笑い飛ばした。
この小さな村に新たな命が誕生する。若い男だけではなく、同時期に他の鉱夫たちの家庭にもそれは芽生えていた。まるで、春の萌芽を告げるように男の下には連日慶事が舞い込んだ。
家庭はないが、それでも満面の笑顔で知らせる彼らの顔を見るだけで活力が湧くものだ。
そろそろ持ち場に着く。今日も仕事に精を出そう。つるはしを担ぎ直して、心の内で意気込んだ時だ。
「魔素溜まりだッ!」
奥から、緊迫した大声が坑道に響く。
は、として男は前を見た。瞬間、眼前が閃光で真っ白に染まった。
魔石採掘場の坑道から、約二km。一輪台車一杯に魔石を積み、運び出す鉱夫たちがいた。
黒曜石のようにも見えるが、鉱石の中にはぼんやりとした光が閉じ込められている。魔石は、太陽を反射して凹凸があるためか、表面は水面のような光を放つ。
台車を押していくと、平地があった。
そこには何十個という木箱があり、更に十数人程度の鉱夫がいる。周りには一輪台車があって、積載された魔石のサイズから、その属性まで細かく仕分けていた。
鉱夫が押していた台車を止めると、一息ついて汗を拭う。
「ったく…、やってらんねぇな」
仕分けをしていた鉱夫が、ふと不満げに零した。
持っていた魔石を仕分け用の木箱に入れることなく、しばらく手に持つ。
「こんなところで、ちんけな作業やってるよか、つるはし持って岩叩いてる方が気楽だ」
「なんだなんだ、気が滅入ってるなぁ。今日はちょっとした休みだろ?張り切るのも良いが動ける体がなきゃあ、稼げねぇぞ」
台車で運んでいた鉱夫が元気づけるように、声をかける。
仕分け係の鉱夫は、頬杖をついて浮かない顔をする。手に持っていた魔石を、そのまま木箱の中に放り投げた。
「一日中魔石と睨めっこしてたら、体がなまっちまってどうにかなりそうだ。感覚が鈍って、魔素溜まりをぶち当てるよかマシだろ」
台車一杯にある魔石をまた一つ手に取って、仕分け係の鉱夫は鬱屈とした気持ちを口にする。
魔石を運び出した鉱夫は、「それもそうだな」と軽く笑って同感した。
そう言われるも、釈然としない。相手は今し方坑道で仕事を終えた一方で、こちらはしがない仕分け係の立場だ。気持ち良く汗を流した鉱夫には、持て余した活力を上手く発散できない男の状況を深く理解することはできないだろう。
力んだ気持ちが妙に気が緩む。仕分け係の鉱夫は杞憂を取り払うように、仕事に取りかかった。
台車にある魔石を手に取ろうとした時だ。
「?」
から、と山積みになった魔石が少し崩れる。
その瞬間、ゴゴゴ…!と足元から骨の髄に響くような地鳴りがした。
「な、なんだ?」
ぐら、と地面が大きく揺れた。ふらつきそうになる足を踏ん張って、体制を維持する。台車に山積みになった魔石は、次々と転げ落ちた。
その場にいた鉱夫たちは、驚くも逃げ出さず、様子を窺うように留まる。
幸いにも揺れたのは、一瞬だけ。地震だろうか、と思うもやはり気がかりだ。
「お、おい!あれ!見てみろ!」
奥で仕分けていた鉱夫の一人が、遠くを指さしながら声を張り上げる。
導かれるように、男たちが振り向いた。その先には、魔石採掘場の山がある。
そんな、まさか、と誰もが愕然として目を向いた。
「なんだよありゃあ……」
脱力したような間抜けな声が出た。
それまで快晴だった空は、黒く濁り、雲は天に吸い込まれるように渦巻く。断続的な閃光を幾度も放ち、腹の底に響くような音が心を脅かす。
まるで、絶対零度に吹雪かれて凍裂する木のような…はたまた深海に響く海鳴りのような咆哮が、暗澹の空に轟いた。
魔石採掘場の山頂を、獲物を捕えた鷲のような手が抉るように掴む。太陽を遮るように巨大な翼を広げ、長首を天へと伸ばし、叢生のような乱杭の牙を剥き出して唸る。
牙の隙間から吐き出した呼気は、雪煙のようだ。鋼のような銀髯は風に靡き、細めた鋭い眼で下界を睨めつけた。
実物など見たことがない。人々の想像で生み出されたと思い込んでいた。神話時代における御伽話だと。
けれど、それは現実だったのだと確信した。その姿に畏怖して、自然と誰かが名を呼んだに違いない。
「竜だ………」
まるで、幻想を見たように。呆然と、誰かが呟いた。






