終章 ep.1 舌の裏に硬貨を
現行、102番地。
イェロヴェルリの兵士たちが起こした騒乱の被害は、大きかった。
数多の銃痕が残った外壁、積雪したように道端に積もるガラスの破片──。
102番地の住民たちは箒で、ガラスの破片を枯葉のように掃き集める。
乱射した銃弾に倒れた亡骸の傍で肩を震わせ、泣き声を押し殺す者もいた。
身元の確認が取れた後、作業に当たっていた別の者が静かに麻袋を被せる。その表情はどこか暗く、虚ろだ。
各々が後始末に追われている最中、その者たちはやって来た。
道を挟んで対面した二店の扉にそれぞれ『扉渡り』の魔術陣が現れると、同時に扉は開かれる。
「あれは……、」
住民の一人が手を止めて、そこへと目を向ける。周囲にいた人々もそれに気づいた。
一つの扉から最初に出てきたのは、口を開けてピンクの舌を見せ荒い息遣いをする黒い長毛の子犬。
その後ろに、白いワイシャツと黒のスラックスという質素な装いのやつれた男、キュルヴィ協会の協会長ジョージ・レイヴィックが続く。
対して、向かい側の店からは聖職者のような服装に身を包んだ数人の集団が出てきた。
先頭に立つのは、白髪の精悍な顔つきをした壮年の男だ。
「キュルヴィ協会の協会長じゃないのか…?」
「あっちは、『舌の裏』だぞ……」
「レングス・ア・モネーって、あの世界樹論者の集まりの?」
一人の男が何の気にしに言うと、聖職者のような一団の一人の青年が聞きつけた。
男を、えらく据わった目で見つめ無言で咎める。
「バカ…っ、やめろって…」
ギクリ、と思わず心臓が鳴ってしまうような視線に他の住人が諌める。
ともかく、謎の聖職者紛いのような集団と鉢合わせたジョージは、先頭に立つ皺の深い壮年の男と睨み合っていた。
「造幣係がこんなところで何してやがる?」
「挨拶もなしか。相変わらず血気盛んな男よ…」
堅苦しい口調の壮年の男は、半ば呆れ混じりに零した。続けて、
「貴殿こそ、ここで何をしている?」
「ウチの運び屋の後始末だ。派手に暴れやがったツケに、始末書と反省文を書かせに来たんだよ」
ジョージが面倒くさそうに答えると、壮年の男はふと周囲に目を向けた。
102番地の惨状は、すぐそこに広がっている。男は、再びジョージを見ると、どこか愉快そうに微笑む。
「…躾がなっていないようだな、貴殿の所の『運び屋』は」
「そういうテメェんとこは、相変わらず金儲けの説教でも説いてんのか」
「口が減らぬ奴め…。それも確かに良案だが、我々は換金をしに来たのだ」
「仕事?」
喧嘩にも入らない言葉の掛け合いをしたジョージは、男の話を聞いて訝しげに繰り返した。
壮年の男は、遊び半分な態度から一変して真剣な面持ちで聞く。
「宛先人は既にいないのだろう。キュルヴィ協会の規定では、宛先人が不明もしくは死亡した場合、その配達品を処分する筈だが?」
「イェロヴェルリの献上品目当てか…。野良犬みてぇにどいつもこいつも嗅ぎつけやがって…」
男の目的に気づいたジョージは、苛立ったように呟く。
予想外の横槍を初っ端から入れられてからというもの、ジョージは胃のムカつきを抑えられずにはいられなかった。
「ウチの規定を持ち出したところで、テメェらに渡すつもりはねぇぞ」
「息巻いているが、この番地の住民はそれを承知すると思うか?国による数多の破壊行為により、至る所で損害が出ている。その修繕費は一体誰が出資する?一介の協会如きが、その損害を賄えると?」
諭されるような言い方は癇に障るが、ジョージは大人しく町の方に目を向けた。
番地の住人たちの視線が集まっていたが、ジョージが見るなり、皆が一様に目を逸らす。
どうやらこの番地の総意は、壮年の男の言う通りらしい。無言の意思表示に、ジョージは軽く舌を打つ。
壮年の男は、彼が事実を受け取ったと見て、話を続けた。
「城下番地の献上品は、最早返送することも叶わないはすだ。仮に返送すればこの事態に国側は勘づく。何かあった、とな。その先の事を考えられないほど、貴殿も惚けてはいないだろう」
「物資洗浄しようって腹積もりか?献上品を綺麗さっぱり換金してその金を102番地の修繕費に宛てがうことで、存在を隠滅する。中身の宝石類は他所の富裕層に売り飛ばして代金はテメェの懐に入れ、残った貴金属は熔解して硬貨に製錬し直すって流れか。
確かにこんだけの騒ぎがありゃ並の協会は願ったり叶ったりな案だろうな…。が、俺からしてみれば小狡い商談にしか聞こえねぇ」
男の意見はもっともらしいことに聞こえるが、ジョージにとっては冗談の内にも入らない粗末な話だ。
暇を潰すようにジョージは、ポケットの中から正方形の薄い銀のケースを取り出して開ける。中には数本の煙草が入っていた。
「貴殿の見方はともかく、配達品の処分費が浮いたと思えば安いものだろう。…これでも我々は譲歩しているのだ」
「譲歩?何の話だ」
ジョージは、男の切り口上に心当たりがないように聞き返しながら煙草を手に取り、ライターで火をつけた。
男は、慈悲深い眼差しから、睨みつけるような鋭い眼光に変わる。
「白々しいぞ。貴殿の協会にいる『テンシ』は、元はと言えば我々の監視下に置いていた異質な存在だ。一介の協会にその身を預けることすら、甚だしい。それをイェロヴェルリ献上品の物資洗浄で手を打ってやろうと、わざわざ我々の方から持ちかけているのだ。それでも多少貴殿の方に天秤は傾いているが…な」
「おいおい、大袈裟な言い方するじゃねぇか。持ちかけてる?預けている、ねぇ…。頼んだ覚えも身に覚えもねぇもんばっかだな」
ジョージは嘲け笑うと、紫煙を目一杯吸い込んで吐き出した。
続けて、反論する。
「そもそもアイツは自分の意志でウチにいるだけだ。ただでさえ穀潰しが多い上にカツカツなんだよ、こっちは。引き取り先があるなら俺は一向に構わねぇ。むしろウチで面倒見てる分、月額計算して請求書でも送りつけてやりてぇよ」
「その件については、今は先送りにしておこう。いずれは決着をつけねばならないが、貴殿の悪童ぶりに付き合っていては話が進まん。要約するが、献上品は我々で処理する。一切の横槍は無用。決定で良いな?」
「あいあい、どうぞお好きに」
ふざけたような面倒くさそうな口調で、ジョージは男の案にようやく同意した。
だが、それでも懸念は残る。
「まぁ…、そうしたとしても完全に証拠隠滅することは出来ねぇぞ。要は早いか遅いかの違いだ。どの道、イェロヴェルリとの全面的な緊張状態は避けられねぇ」
ジョージの口ぶりは真剣だが、壮年の男はそこまで大きなこととは捉えていないようだ。
伸びた真っ白な顎髭を撫で付けながら、「ふむ…」と考え込む。
「当面の時間稼ぎにはなるだろう。イェロヴェルリと言えども、そう容易く外界に手は出せまい。奴らに『蒼馬の長子』のような芸当はない上に、前王族による君主制から軍部主導の政権に変わったことで国内はあらゆる意味で疲弊状態だ。外界侵攻の為、戦争を始めたくとも慢性化した資源枯渇の影響でそれは叶わないだろう。枯れた土地と共に死に逝くことしか出来ない何とも哀れな国よ…」
男は、哀愁深い眼差しで空を見上げる。
イェロヴェルリに限らず、大国の内部情勢は今だ謎が多い。その足がかりとも言える今回の接触は、より詳細が知れることだろう。
その報告を待つジョージは、後から合流するクリスティーナの顔を思い浮かべて視線を落とした。
すると、壮年の男はまた彼に目を向けて、
「それに貴殿も証拠隠滅とやらの為に、ここに赴いたのではないのか?」
「……テメェには関係のねぇ話だ」
「ああ、そうだった。汚れ仕事は、貴殿ら協会の仕事だったな」
互いの領分に深く言及することは控えている。それが暗黙の了解であり、男はうっかりを装って言った。
男のわざとらしい寸劇に付き合っていられなくなったジョージは、どこかへと向かう。
男は、彼の背中を目で追いかけた。
「一人くらいは残しておけ。土にも還れず、ただ虚無に放り込むのは惨い所業だ」
「腹が減ってんだ。残す訳ねぇだろ」
「全く…、節操のない獣が」
助言を無視するジョージに、男は溜息を零してやれやれと首を振る。
男の傍に控えていた聖職者風の青年は、耳打ちをした。
「カロン神父、そろそろ」
「分かっている」
壮年の男――カロンはそう言うと、青年は軽く頭を下げて一歩後ろに引き下がる。
それから、カロンは遠ざかるジョージの背中に向かって声を張り上げた。
「レイヴィック、ヴェルディに宜しくと言伝を」
「テメェで言いやがれ」
同じくらいの声量で悪態が返ってきた。
それに対してカロンは柔く微笑むと、ジョージとは反対の道―102番地の住人たちに向かって歩き出す。
聖職者風の青年や修道服の女たちが、それに後続する。
「諸君、仕事だ。世の均衡を保つ為、公明正大な眼で厳正なる取引をしよう。金の成る木も全ては『大地の聖母』の聖寵による御業。粛々と跪拝せよ」






