終章 ep.2 どんな呪いよりも
102番地のある区画。
際限なく噴水から流れる水音が、心地良い。それに耳を傾けていると心が落ち着く反面、感覚が研ぎ澄まされていく。
ここに訪れてからまだ二日しか経過していない。それが、随分昔のように思えた。
景観が美しく、どこか奥ゆかしい雰囲気の町は、今や焦燥感のあるひりついた空気が漂っている。
霰のようにそこかしこにガラスが飛び散って、店内は嵐がやって来たように引っ掻き回され、住人たちはその後始末に追われていた。
比較的被害が少なかった店は、感傷に浸る暇もなく営業を再開している。
その一店に、ハインはいた。軒先で三角座りになって、町の住人たちを眺めている。
その眼差しには杞憂が滲んでいた。それもそのはずだ。
彼女の性分ならば、じっとはしていられないだろう。こんな事態を引き起こしたのは、確かにイェロヴェルリの兵士たちによるものだが全てに非があるかと言えば、断言しがたい。
応戦する形になったとは言え、ハイン達もまた戦闘に参加したことには変わりないのだ。
住人たちからしてみれば、迷惑どころの騒ぎではない。罪滅ぼしではないが、それでもやらないよりはマシなはずだ。
ガラスや瓦礫を撤去作業をやらなければならない。そんな義務感だけが先走って、今の状況が無責任に感じた。
ちらりとハインは、後ろにある店内に目を向ける。
こじんまりとした魔具を取り扱う雑貨店では、クラウンとクリスティーナの姿が見えた。
今のハインは、店先で飼い主を待つ飼い犬と変わらない。
クラウンがここから動かない限り、目に見えない『首輪』で強引に引っ張られ、無言で待てと命じられる。
我ながら、的を得た比喩に思わず嘆息が零れた。
そして、再びハインは買い物に耽ける飼い主を呆れて待つ犬のように町を眺める。
※
白ウサギの生首を被ったクラウンと、クリスティーナは店内の木製ラックの前に肩を並べている。
一通り、クリスティーナはクラウンからある事情説明を受けていた。
「ふーん、そういうことね」
聞き終えたクリスティーナは、納得したように答える。
あくまで事情は理解した、ということだ。不満がないといえば、嘘になる。
「それで、クラウン。あなたは、それで良いの?」
「良いって何がですか?」
「このままで良いのか、てことよ」
手に取った魔具を棚に置くと、クリスティーナはクラウンを見た。
クラウンはクリスティーナと見合ったが、どこか叱責するような鋭い眼差しに呆気なく目を逸らす。
「……分かっています」
「それなら、」
「言っておきますが僕の言葉の意味は、このままは良くない、ていうことです」
「…どういうこと?」
クラウンの意図を汲み取れなかったクリスティーナは、小首を傾げて聞き返す。
心なしか普段の声よりも一音低く感じた。
少しばかり彼女の琴線に触れてしまったか、と思ったがクラウンは淡々と続ける。
「僕にとって『今』の状況が、一番困ります。一刻も早く抜け出したいのが本音ですよ。…枷は、もう懲り懲りなので」
「……全部、一人で抱え込むつもり?」
「抱え込むって何の話ですか?僕は僕がやりたいようにやって、その尻拭いも僕自身がやる。ただそれだけです」
それが当然だと言うようにはっきりしていて、それでいてどこまでも冷静だった。少しの機敏も感じさせない。
鉄のように冷え切っていて、人間味がないのだ。
まるでヨハネスのようだ、とクリスティーナは漠然と思った。口ぶり自体には抑揚があるが、その中身は彼女と遜色ない……。
クリスティーナは、変わり果てたクラウンを憐れむような目で見る。
「こんなことになるなら、あなたから目を離すんじゃなかった……」
「老婆心を持つと老けますよ、クリスティーナさん。それに教えてもらったことは、ちゃんと役に立ってます」
茶化したように言うものの、クラウンはどこか面倒くさそうに対応する。
それでもクリスティーナは、根気強く続けた。
「あなたに教えたのは、人殺しの技術よ。でも、本当に教えなきゃいけなかったことは、もっと別のことだった」
「さっきから一体何の話ですか?僕は感謝して…」
「それがあなたの選んだことなら私に止める権利はないわ。でもね、一言だけ言わせて、クラウン」
話が見えなくなったクラウンを遮るように、突然クリスティーナは彼の肩に手を置く。
一瞬、クラウンは体を反応するが、クリスティーナの手の平の力が少し強くなった。
彼女の真摯な視線が彼には眩しく感じたが、それでも逸らすことは許されない。
「幸せになりなさい」
やけに脳裏に響く言葉だった。同時に過ぎるのは、過去の記憶だ。
逆光でその顔は見えないが、口元に優しげな微笑を携えて、こちらを見る二人の女性の姿――。
その姿が、目の前のクリスティーナと重なって見えた。
デジャブだ。頭ではそんなことはないと否定しても、そんな既視感のある幻覚は嫌に胸をざわつかせる。
だから、クラウンは何も返せなかった。
クリスティーナは、彼に背を向ける。
「ジョージが来ているみたいだから、私は行くわ。あなたもせっかく観光地に来たんだから、ゆっくりして行きなさい」
「………、」
「それじゃあ、また。協会で会いましょ」
何も言わないクラウンに対して、クリスティーナはひらひらと手を振ると、そのまま店から出ていく。
クラウンは、ただその姿を見送った。
ちりんちりん、とドアベルが細やかに鳴った頃。
呆然とした様子でラックに並べられた魔具を見ると、品定めのふりをする。
頭の中は、衝撃で一杯だった。鈍る思考力と反対に、クリスティーナの言葉が呪詛のように巡る。
馬鹿馬鹿しいと思っていても、クラウンは言わずにはいられなかった。
「…どんな呪いよりも効きますね、その言葉は」
※
クリスティーナが店を出てから、数分置いてクラウンも退店した。
結局、買い物はしなかった。ただクリスティーナと並んで出ていくことが、居心地が悪かったのだ。
だが、ここにも一つ、居心地の悪いものがあった。
店先で座り込んでいるハインと目が合うが、彼女は早々にクラウンから目を逸らす。
「…クリスティーナさん、行っちゃったわよ」
「そうですね。協会長と合流するらしいです」
「ジョージと…?あいつ、ここに来てるの?」
ハインが、えらく不機嫌になって聞き返す。相変わらず折り合いが悪いようだ。
察したクラウンは、「はい、まあ」と誤魔化しながら答える。
「ふーん…」と興味なさげにハインは相槌を打つ。
クラウンは、気づかれないように赤い目でちらりと彼女を見下げる。
傷心したように眉尻を下げるハインを見て、また何かに罪悪感を感じているのだろうとクラウンはすぐに分かった。
自身のことより、いつも周りに与えた影響ばかりを気にする。
傲慢だ、といつの日にか彼女に言われた言葉を思い出した。自分のことは棚に上げて、人にはずけずけと物申す。自意識過剰だ、その方が傲慢だ、とクラウンは思った。
誰に対してそんなに責任感を感じるのか、彼には理解できなかった。ハインが見る視線を辿る。
その先に、多くの人々がいた。どうやら、あれが彼女の無駄な責任感を駆り立てているようだ。
あの人の数だけ責任感を感じていることに、クラウンは呆れた。
キリがないにも関わらず、健気に一つ一つに罪の意識を感じて、それを償おうといきり立つ。
もっともハインは、ここから十五mは動けない。
今すぐにでも駆け寄りたい彼女の気持ちを押さえつけているのは、言わずもがな……。
見えない『枷』で、行動を制限されているからだ。
そう思うと、クラウンの手首の傷が疼痛し始めた。クラウンは、隠すようにジャケットのポケットに手を突っ込む。
枷が嫌いだと懲り懲りだと言いながら、自身は他者に枷をはめた。棚上げしていたのは、どうやらクラウンも同じらしい。
表情や態度に出やすいハインとは違って、彼には無類のポーカーフェイスがある。
白ウサギの生首の下で、どんな顔をしているか、誰も知る由はない。
それを良いことに、クラウンはその枷を有効的に活用する。
「ここにいてもお店に迷惑がかかります。…行きましょう」
「どこによ?」
「良い場所、知ってるんです」
枷は懲り懲りだ。そこに、偽りはない。
だが、それ以上に――。
彼女の勝手な罪悪感に付き合うのは、もっとうんざりだ。






