ep.34 小さな不幸
黒い霧のような波動が、一帯に吹き荒れた。
それを肌で感じたクラウンは咄嗟にアルトンを撃とうとするが、
「!」
カチンと撃鉄が当たるだけで銃弾は射出されない。
何度も引き金を引いても、チャンバーが回るだけ。まるで、火薬が湿気っているような――。
「まずい…!」
気づいたクラウンは、ブクタスに向かって走り出す。
その瞬間、足が縺れて転倒。同時に建物から建物へと繋がっていた飾りのロープが引きちぎれて、頭上から落ちてきた。
「クラウン!」
すかさずハインは駆け寄り、クラウンの上に被さったロープを取り払おうとする。
「僕は平気です!それよりも奴を!」
指示されたハインは、ブクタスの方を見た。
いつの間にか立ち上がって、よろよろと歩き始めている。
逃走を、続けるつもりだ。
「あいつ…!」
ハインは追いかけようと走り出す。が、ロープがハインの足に引っかかり、「ぅわっ!?」そのまま転倒した。
確かにロープを踏んづけていたのかもしれない。それでも、いきなり誰かが両端を引っ張るようにロープが張り詰めるだろうか。
ハインは、驚きを隠せず身を起こす。
「な、なんで…!?」
「呪術です!発動源が彼の肉体に移ったんだ!今はまだ小さな不運で留まってますが、あのまま逃がせば、念が蓄積され続ける。そうなれば、いずれ排除意識を持つだけで直接手を下すことなく人が死にます!」
ロープの蔦から抜け出したクラウンは、急いでハインの足に絡みついたロープを解く。
「そ、そんなことって有り得るの!?」
「そういうものなんですよ!呪術は!」
二人は立ち上がって、ブクタスを追いかける。
だが、彼らの進路を塞ぐように頭上の別のロープが切れた。
同じ手を二度は食らわない――。あっさりと見切った二人は、一歩後ろに避ける。
走り出そうとすると、今度は商店の窓の外に掛けていた植木鉢が落ちてきた。
「危ない!」
「わっ!?」
クラウンはハインを突き飛ばし、後ろに植木鉢は落ちて衝突は免れた。
その間にもブクタスは、足を引きずりながらまた別の路地に入っていく。
そこまで距離は離されていない。このまま走ればすぐ追いつくはずだ。
そんな思いで二人は、路地に入った。
が、
「きゃっ!」
「たっ!」
路地に入った瞬間、ハインが木箱に足を躓いた。前にいたクラウンの服を掴んでしまい、そのまま彼を倒してしまう。
転んでは立ち上がる、その繰り返しだ。
「ど…、どうなってんのよ!」
「小さな不運です!奴の近くにいるだけで僕らも巻き込まれている…!」
「運が悪くなってることは分かるけど!いくらなんでも!」
命に関わるような大きなことではない。だが、こうも地味な不運が立て続けに起こると苛立ちが湧いてくる。
目には見えないが、現にこうして起こっている。言い知れない不快感で、ぷつぷつと肌が粟立った。
「呪術を起こす器が意志を持った肉体に移ったことで、より一層強くなったのか…!」
クラウンは、忌々しそうに呟きながら立ち上がる。
よろけながらも前進するブクタスは、もう直、路地から抜ける――。
ハインと共に再びブクタスの後を追いかけた。
「渡すものか…、わたすモノか…、渡スものカ……」
呪詛のように呟きながら、ブクタスはのろのろと歩き続ける。その様は、まるで自我を失った隷属兵士に似ていた。
ハインとクラウンは、大事そうに木製の六面体を抱える丸っこい後ろ姿を捉える。
「待ちなさい!」
「来るなァあぁ!」
追い払うように振り返りざまにブクタスは叫んだ。
その瞬間、近くに停車していた馬車に繋がれた馬が悲鳴のような嘶きを上げて暴れ出す。
「ッ!?」
「嘘でしょ…!?」
不可思議な方向で、なぜかそのままハインらに突っ込む。左右に分かれて、二人は飛び退き回避する。
馬車は街灯に激突し、その衝撃でギギギと不快な軋み音を上げて街灯が倒れてきた。
「クラウン!」
「っ…!」
倒れた先にはクラウンがいたが、前転して更に回避。倒れた街灯に巻き込まれなかったが、今度は建物二階の鉄柵に引っ掛けていた植木鉢が頭上めがけて落ちてくる。
すぐさま駆けつけたハインが、クラウンを庇うように倒して大刀で植木鉢を斬った。
真っ二つに割れた植木鉢の隙間から、いつの間にか現れた兵士たちが降下してくる。
「な…!?」
咄嗟のことでハインの体は一瞬硬直した。クラウンはアルトンを向けるが、腕を持ち上げた瞬間に脱臼した箇所に鋭い痛みが走り、反応が遅れる。
コンマ数秒の出来事。一瞬の判断と小さな不運が積み重なり、彼らに逃げ場は一切与えない。
ハインが身構えた、その時。
兵士たちの一帯に、雨が降った。
微かな青白い色を帯びた光の線、雨音よりもけたたましい空を切る音――銃弾の雨だ。
「今度はなに…?」
気づいた時には無数の銃弾を受けた兵士たちが、その場に倒れていた。
ハインは、窮地を脱したが呆然とした様子だ。
「なんとか間に合ったようね」
ガキンッ、と空薬莢が飛び出す音に交じって頭上から声がかかった。
ハインがそこへ目を向けると、
「クリスティーナさん…!」
「ハァーイ!」
陽気に答えたクリスティーナは、優雅に手を振っていた。
『ウルバン』を片腕に抱え直して、建物屋上から身軽そうに降り立つ。
「全くあなたがついていながら、何やってるのよ〜」
「…面目ないです」
クラウンはそうは言うものの、どこか不満そうな顔だ。
立ち上がった彼にクリスティーナは近寄って、肩を軽く叩く。
「もう一つ貸しね」
「まさか一日でクリスティーナさんに二つも貸しを作ることになるなんて…。一番の不運ですね」
皮肉めいた言葉を聞いても、クリスティーナは意に返さずやんわりと微笑む。
ハインとクラウンの無事を何とか確保したクリスティーナは、周囲を見渡した。
「ところで、呪術の発動源はどうなったの?」
尋ねられた二人は、はっとした様子で辺りを見回す。
つい先程まで視界内に捉えていたブクタスの姿がない。
「逃げられた…」
クラウンが独り言のように呟く。
だが、ハインはふと何かに気がついてある場所に駆け寄る。必然とクラウンも後に続いた。
そこは、ブクタスの姿を最後に見かけたところだ。
道沿いに赤黒いラインが、先へと続いている。
「これって…」
変色し始めた血の跡だった。気づいたハインは、振り返ってクラウンを見る。
「終わりにするわよ」
これで今度こそ最後だ。互いの目の奥には、そんな強い意志が宿っていた。
「あ…!ちょっとー!」
全く状況を把握できていないクリスティーナは呼び止めようとするが、二人の背中は何かに導かれるように走り出す。






