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ハインリッヒの旅枕  作者: えくぼ えみ
第一部 相容れない運び屋
32/141

ep.30  先手交代 _ 後編

 

 まるで目の中に水が入ったように、視界が何重にも見える。子鹿のように体を震わせながら、立ち上がろうと身を起こす。


「ぐッ!」


 だが、その体はあえなく蹴り飛ばされた。


 魔術で強化されていなくともゴダの蹴りは凄まじく、小石のように転がる。


 それでも、ハインは大刀(たち)を手放さなかった。


「完全な『魔術だけに対抗する刀』か…。だが、そのカラクリが分かってしまえば、何と対処しやすいことか。諸刃の剣だな」


「はっ…、るっさいわね…。こっちは今まで生身一つで戦ってきたようなもんなのよ…。正規の仕事しか()けてないと、こんなゴリッゴリな戦闘…やらないっての……ッ」


 腹に食らった蹴りの痛みで息がしづらい。何とか片足を地面につけて立ち上がる。


 地面に突き刺した大刀の(つか)の底に両手を重ねて置き、よろめく体を支えた。


(フーランが言っていた素体の強化までは、斬れなかった……。単純に身体能力が高いなら、魔力が弱くて刀が反応しなかったってことかしら……)


 瞼を閉じて、蟀谷(こめかみ)から流れる血を強く(ぬぐ)う。


 忌々しそうに顔を(しか)めながら、「ほんと…天邪鬼な武器ね」と柄を握り締めて奮い立たせる。


 ゴダが呼吸を整えたところで、両者の戦いに再び火蓋が切られる。


 強化魔術を付与していない生身で、ゴダが飛び込んできた。


 最早大刀(たち)は武器として機能しない状況だ。とっさに右に転がるように避ける。


 猛牛さながらのゴダの突進で、積み上がっていた瓦礫が粉砕された。


 しゃがみ込んだハインは、大刀(たち)を鞘へと収める。


「ッ!」


 ドガァッ!とゴダが突っ込んだ瓦礫から、大きな屋根の残骸がすぐさま飛んできた。


 上体を逸らし、間一髪で残骸は顔の上ギリギリを通過する。倒れないように片手を地面につけた直後、ゴダが迫ってきた。


 拳を叩き入れようとするが、ゴダの前腕を蹴った勢いで後ろに側転する。


 その怪力は、健在らしい。ハインを捉え損なった拳は、木板のように石畳を軽々と叩き割る。


「なんつーパワーしてんのよ…!」


 荒い息を吐いても、体の内は熱くなるどころか、ぞっと冷えた。


 真正面からぶつかるには、分が悪い。だが、このまま回避を続けても、体力が消耗していくだけだ。


 ハインは素早くローブを脱ぎ、背中に鞘に収めた大刀を体から下ろす。


 脱いだローブを両手で巻き取り、勢いよく走り出した。


 体勢を整えようとしていたゴダが、迫ったハインに驚く。反撃しようと拳を振るが遅い。


 動揺から乱れたゴダの拳の軌道は、読みやすかった。


 寸でのところで、拳がハインの横っ面を(かす)めた隙をつき、


「ぶふっ…!?」


 そのまま()両手で巻き取ったローブをゴダの顔面に被せ、ハインは真正面から彼の両肩に乗っかる。


 逆肩車のような体勢から、左手側のローブを少し(たゆ)ませて、ゴダの右脇腹から体を(くぐ)らせ、右肩の関節を固めるように彼の背後に回った()


「ぐ、ぅっ…!」


 前屈みになったアンバランスな体勢と顔面を覆うローブで、平衡感覚が乱されたゴダが地面に倒れ込む。


 ハインは、両手でローブを目一杯に引っ張りあげた。


 ゴダの背中に(うずくま)るような体制で押さえつけ、股の間と腕で挟んだ彼の右腕を更に反対側へと引き倒す。


 ゴダの右肩の可動範囲は限界寸前で、肩甲骨の皮膚と筋肉に深い(みぞ)が刻まれた。


(気絶しろ…ッ!)


 ギチギチ…ッ、とローブが軋むような悲鳴を上げる。ハインは心で念じながら、負荷をかけ続けた。


 ゴダの首は、引っ張られて後ろへと仰け反る。


「ふッ!ぐ…ッ!!」


 じたばたと体を動かし、左手でローブを剥がそうと抵抗する。


 口と鼻を塞ぐローブと、後ろへ(もた)げる首元。右腕を引き倒したことで胸部が突き出され、急激に気管支が締め付けられているはずだ。


 ローブの細やかな縫い目から、苦しげな息が漏れ出ている。


 視界も呼吸も奪われた厚布の下で、ゴダの目玉が上を向いていく。


 ローブを剥がそうとしていた左手が地面につき、土を掻き集め始める。


 そして。


「く…っ、か……ぁ…」


 強張っていたゴダの全身が力を失い、筋肉が弛緩していった。


 その様子を見たハインは、ローブを持つ両手と、右腕を引き倒していた力を緩ませる。


「ふっっはあああぁあ…っ!」


 ゴダの意識が、落ちた。


 ハインは大きく息を吐きながら勝利を確信し、全身に張り詰めた力を一気に解放する。


 うつ伏せる大男の背中の上で、大の字になった。


 今にも飛び出てきそうな心臓の高鳴りと、空っぽになったかのような脱力感。


「絶対…、明日は筋肉痛になるわね……」


 乱れた呼吸で、胸は大きく上下する。


 強敵の背に寝転がって見上げる夜空には、幾千もの星が輝いていた。



 ※



 ハインは、休息を終えて身支度を整えていた。


 先程の戦闘で雑に放置した大刀(たち)を再び帯刀する。その上からローブを羽織った。


「っと……」


 足元がふらつくも、何とか持ち堪える。


 蟀谷(こめかみ)から流れる血は緩やかなものになり、大したことはない。


 関節という関節が(きし)むような感覚が全身を(さいな)む。肩と首を回して、凝り固まった筋肉を(ほぐ)した。


 激しい戦闘の名残は、残っているようだ。


「フーランと合流しないと。ウサギ野郎の進捗も気になるし……」


 気掛かりなことを口にして、移動しようと思った。


 だが。


 ぴくっと、何かが動く気配を感知して、ハインは勢いよく振り返った。まるで指先が動いたような、そんな小さな気配だ。


 まさか、と戸惑いと緊張が再びぶり返す。


 完全に絞め落としたはずのゴダから、それを感じ取った。


(あそこから意識を取り戻したっていうの…!? あと数時間は起きないと思ってたのに…ッ!)


 すぐさま、ハインは臨戦態勢に入った。絞め落とすことが不可能だったとしたら、次の策は決まっている。


 背中に帯刀した大刀(たち)の柄を掴んだ。刃で斬れないのなら、鞘か峰で殴打する他ない。


 だが、あの強靭な肉体に通用するかは定かではなかった。


 相手の出方の予測と自身の戦略で、思考が覆い尽くされる。


 考えれば考える程、額からは冷や汗が流れ、柄を掴む手に力が入った。


「ぅ…うぅ……」


 恐れていた事態は、見事的中した。


 わずかに意識を取り戻したゴダが、(うめ)きながら起き上がろうとしている。


「タフって範疇じゃないでしょ…!あんたッ…!」


 沈めるなら、今しかない。ゴダは、まだ四つん這い状態から立てそうにない。


 これで、片をつける。ハインは歯を食いしばり、一目散に突撃する。


 最後の一撃を与えようとした…その時。


 ドォオンッ!! という凄まじい音と共に嵐のような衝撃波が巻き起こった。


「っ!?」


 ハインは驚いて、腕で飛んでくる砂利から顔を守ると急停止する。


 疾風は、すぐに止んだ。


 そして、


「あぁん…?なんだ?なんか踏んじまったか?」


 随分と呑気で無愛想な声が聞こえた。


 (つぶ)っていた目を開けると、現れた者を見て呆気に取られる。


「ふ、フーラン…?」


「あ?よう、ビビり女。休んで体力も魔力も多少は戻ったからよ、助太刀しにきたぜ」


 ニヤッと笑ってみせたのは、精霊(ケット)(・シー)のフーランだ。


 新たな敵の襲来かと警戒していたハインは、拍子抜けして笑ってしまう。


「申し出はありがたいけど……、その必要はなさそうよ?」


「はぁ…?まさか、もう片づけちまったのか?」


「というより、たった今片づいたって感じかしら」


 フーランが、言葉の意味を図りかねて太ましい首を傾げる。


 ハインは、人差し指でフーランの足元を軽く指した。


 視線を下ろしたフーランが、「ぅお!」と片足を上げて驚く。


 そこには、ハインの何倍もの重量と凄まじい落下速度によって、地面にめり込んだゴダの姿があった。


 フーランは、慌ててそこから立ち退く。


「妙にふにょっとしたもんの上に降りたとは思ってたが……」


「弱ってる敵の背中にあんな速度で落ちてくるなんて、あんたも意外と容赦ないわね」


「わざとじゃねぇ。魔力が回復したっつっても、空を飛んだり降りたりの細けぇ制御がまだ出来ねぇんだ」


 すたすたとこちらに歩み寄るフーランは、ふてぶてしい表情だ。


 頭三つ強も離れたところから、釣り上がった猫目が見下ろしてくる。


「ま、いいや。こっちが片づいたんなら、とっととクラ坊んとこに

 行くぞ」


「ああ…、そうね」


 その申し出には、あまり乗り気にはなれなかった。勿論、確認する予定ではあったが。


 フーランが、話を続ける。


「そこに()してる野郎の仲間で、オレ達が最初に出くわしたヤツは、かなりやべぇ。戦闘用魔具で武装してやがったからな。

 ……ムカっ腹の立つことにオレやアートベルトは弱っちぃ魔術師やら人間やらには脅威的な存在だが、強い魔術師や強い魔具で武装した人間には他愛もねぇ存在なんだよ」


 ようやく、ハインは俯いていた顔を上げた。


 やる気のなさが顔に出てしまっていたのか、碇型の口唇から呆れたような溜息が漏れた。


「……オレは猫だ。人間同士の確執なんて正直どうでも良い。だが、おめーの持ってるその刀は、魔術に対抗できる代物(しろもん)なんだろ?」


「なんで、それを……」


「猫様の耳をナメんじゃねぇよ。普通の猫でも耳は良いんだ。こんくれぇのデカさになりゃ、その倍以上の範囲の音は拾えんだぜ?そこのデカブツとの会話に聞き耳立てることくらい朝飯前だ」


 得意げにニヒルに笑ったフーランは、再び真剣な面持ちを見せて、ハインの左肩にポンっと手を置いた。


「ま、おめーが着く頃にはクラ坊が対処してるかもしんねぇがよ。下手に信頼できるほど立派じゃねぇんだ、うちのクラ坊(あるじ)は。オレにとっては、まだまだケツの青いガキだ。……心配になんだよ」


 人間味のある言葉に、何だか和んでしまった。ハインは少しだけ微笑むと、肩に置かれたフーランの手を取る。


「助けるも何も、アイツがアタッシュケースを取り戻すまでは協力するつもりよ。アイツには借りもあるし、返すには良い機会ね」


 握手を交わして、普段通りの快活な笑顔を見せれば、フーランは、ふ、と頬を緩ませる。


 ハインとフーランは、先を急ぐように今度こそその場を後にした。


「…ところで、これって徒歩で行くの?」


「ったりめぇだ。何回も言ってんだろ、オレの魔力は全回復してねぇんだ」


「でも、細かい制御が出来ないだけでしょ?なら、乗っけてよ」


「オレはともかくとして。おめーだけ空から落っこちたりでもしたら、挽肉(ミンチ)になんぞ?それから、オレを魔輪代わりにすんじゃねぇや。ブッ飛ばすぞ」







文章内にある『※』と記載されている表現にモデル有。吉野正人選手の『フロムジャングル』がモデル。ストーリー内ではこの技を派生させた表現。

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