ep.29 先手交代 _ 前編
アートベルトによる『子猫ちゃん』の擲弾の爆発音が、厩舎郡に轟いた頃。
フーランは、ゴダと激しい攻防戦を繰り広げていた。
ダダダッ、と肉球に青い燐光を帯びさせながら素早い打撃を打ち込むも、ゴダは物ともせず銀鱗の両腕で受け流す。
「ぐっ…!?」
お返しと言わんばかりに、フーランの空いた腹に重い一撃が捩じ込んだ。
残骸を壊しながら、フーランは後方に吹っ飛ぶ。
追撃する気配に気づいた。フーランは崩れた体勢を立て直し、地面に両足をつくが、驚異的な脚力で追いついたゴダの重い拳がすぐさま迫った。
「ッチ…!」
間一髪。両腕で防御を取ったフーランだったが、骨が軋むほどの拳の重さに、思わず舌が鳴る。
上から伸し掛る重量に、耐えきれなくなって片膝がつく。口端から流れる一筋の血が、腹に食らった攻撃の凄まじさを物語っていた。
「ふむ…、中々に丈夫な肉体だ。圧殺するのは難しいな」
頭上から、暢気な小声が聞こえた。
フーランは、目尻を更に釣り上げて歯を食いしばる。力が分散しないように体全体で踏ん張った。
(クソッ!たかだか腕しか強化してねぇのに、この重さは尋常じゃねぇ…ッ!)
こちらを見下ろすゴダを睨みつけるが、フーランは焦った。
立ち上がろうとすれば体勢が崩れ、大きな隙が生じてしまう。このままでは、本当に『圧殺』されるのがオチだ。
(とにかく、この詰め詰めの間合いをどうにかしてぇところだ…ッ!)
思い立って、勢いよく口を開いた。
ゴダが僅かに眉を顰めたが、構うものかと思っているのはお互いにそうだ。
重圧をかけられ続けて、ついに足元の石畳が、バギィッ!と割れ始めた。
気流が目に見える程の勢いで空気を吸い込み、フーランは風船のように両頬を膨らます。
ボゥッ…!と口腔一杯に空気を喰らったフーランの口端と瞳から、青い焔が漏れ出した。
何かを察知したゴダが離れようとするが、射程圏内だ。
「吹っ飛べぇえええッ!!」
軽くなった両腕を広げ、搔っ開いた口から、勢いよく青い焔の球が撃ち出した。
ゴダが退くよりも早く、青い焔球は彼を捉える。
ドォオンッ!と大きな爆発音が響き、眩しい爆光が辺り一帯を包んだ。
巻き起こった爆風は周辺の残骸を吹き飛ばしながら、塵へと変えていく。
攻撃魔術・攻城破砲――。
フーランが有する空気を操作する飛行魔術と、八猫拳を融合した、攻撃型魔術だ。
その破壊力は、『四つの国』の分厚く強固な城壁にすら穴を開けることができる。
す、と嵐のような風が収束した頃、フーランは一匹、息を荒くしながら地面に両膝をつけて座り込んでいた。
「は…は…、ったく…。この魔術はあんま使いたくねぇってのに…っ」
急速に枯渇した魔力の影響で、耳が垂れ下がる。立ち上がろうとするも、足が上がらない。
あれ程の攻撃を食らわせても、焦りは消えない。むしろ、消耗し切った身体の状況も相まって、より加速していく。
「今の魔術は、さすがに効いたぞ」
ピンッ、と立ち上がる猫の耳が声を捉えた。
忌々しく、そして悍ましい。
あの攻撃を食らっても尚、声の抑揚は乱れない。砂煙からゆるりとした足取りで、ゴダが現れた。
上裸全体にかすり傷を負い、攻撃の余波でズボンは所々破けている。口端から見えたのは、生物たらしめる赤い血。
人なのだとようやく理解できたが、フーランは、平然と振る舞うゴダの姿に最早呆れて笑みが零れた。
「バケモンかよ、おめー…」
「貴様の主人に比べれば大した事はないだろう」
「はっ、ウチんとこの坊でもモロに食らったら立てるかどうかすら怪しいぜ…。まぁ…こんな攻撃なら避けちまえるだろうがな」
「……使役精霊が死ぬとどうなるのか、見物ではあるな」
ゴダが、片腕を引き、構える。
無駄話に付き合ったが、そろそろ終わりのようだ。
フーランは震える足を気合いで制御し、何とか立ち上がる。
今までのように俊敏には、もう動けない。それは、ゴダにも悟られている。
決着はついたも同然だった。
「消えてなくなるだけだ。精霊なんて、そんなもんだぜ」
「骸も残らない哀愁は汲んでおこう。貴様の名も、自分の中に刻んでおく」
「ありがてぇこった。…おら、とっととやれよ」
「では……、さらばだ」
ゴダが片腕を引き切ったまま両足に目一杯の力を込め、迫ってくる。
目にも止まらない速さで、一気に距離は縮まった。
ゴダの拳が死を告げる弾丸のように突き出され、フーランの胸部に到達した。と、思った。
ガキィンッ!と銀鱗の拳は間に割って入ってきた何かによって、阻まれた。
「……ようやく決心がついたか、『運び屋』」
ゴダが、ふ、と口角を引き上げた。
ギッ、と灰色がかった青い瞳の鋭い眼差しが、ゴダを睨みつける。
ゴダの拳を大刀で受け止めたのは、ハイン・リッヒ、その人だった。
※ ※ ※
一切迷いがない力強さを、その刃から感じた。それまで対峙したどの彼女とも違う。
ゴダは、揚々と語りかけた。
「そのまま傍観を決め込むつもりでは、なかったのか?」
「入る隙がなかったのよ。それと太っちょ猫の魔法で吹き飛ばされたから出遅れただけ」
ぐっと柄を持つ両手に力を込めたハインが、フーランに視線だけを送る。
「ぼんやりしてて悪かったわ、フーラン。……こっからは、私がコイツをブチのめす」
「ようやくお出ましかよ…、遅せぇぞ。どんだけビビり散らしてんだ、おめー」
「………、」
フーランの軽い挑発にすら乗らないハインから、異様な気配が漂う。
それを感じ取ったのか、思わずフーランが耳を後ろへと引き下げた。
ただならぬ雰囲気に態度を改めて、ハインに耳打ちする。
「ビビり女、やる気なら一向に構わねぇが気ぃつけろよ。相手は魔術の効力で素の体も強化されてやがる」
「うん…、」
「忠告はそんだけだ。オレは、少し離れた場所で休む。……頑張れよ」
助言に耳を傾けながらも、こちらへの注意は欠かさない。牽制するような凄まじい闘気には、感心してしまう。
フーランが言い残した後、残り少ない魔力を振り絞り、真上へと飛び去った。
気配が遠くへ消えると、その場は異様な静けさに包まれる。
ゴダとハインは、互いの出方を見計らうかのように睨み合った。
だが、それも長くは続かない。
両者同時に踏み込みに力が入り、鍔迫り合いが激しさを増す。
銀の鱗を纏う拳と大刀の刃の間から、火花が散った。
互いに、後退することはない。
「くっ…!」
埒が明かない互角の力量を悟ったのか、ハインが力一杯に大刀を薙いだ。
ゴダは、とっさに両腕で剣筋を受け止めたが後ろへと突き放される。不覚にも、間合いを空けられた。
ハインが、地面を蹴り、瞬時に距離を詰める。
咆哮と共にゴダの目前に大刀の切っ先が迫った。反射的にあしらうように左腕で真横へと弾く。
他愛もない、と思ったのも束の間。
「!」
刃が弾かれた反動を利用して体を回転させたハインが、刀の持ち手を変え、逆方向から大刀を振るう。
自らの首元に向かってくる刃に気圧され、真横に飛び退いた。
剣筋の軌道を急転換させて地面に突き刺し、それを支点にしたハインから強烈な回し蹴りが放たれる。
「ぐぅっ…!?」
予測できなかったゴダは、目を剥き、ハインの硬い脛が横っ面にめり込む。
容赦なく蹴り抜かれ、ゴダはまた瓦礫の山に突っ込んだ。
すぐに体制を整えて飛び起きるが、ぐら、と視界が歪む。
体を立たせようと、無意識に片脚が踏ん張った。
衝撃の後にやってきたのは、熱した石を宛がわれたかのような激痛だ。
ゴダは、驚愕した。あの細身の一体どこに、並の巨体よりも『重い』自身を蹴り飛ばす力があるのか。
目の前の女は、悠々と地面に刺した大刀を引き抜く。真剣さからか、目は据わっていたが、すぐに攻撃は仕掛けてこなかった。
「……あんた、降参する気はないの?」
白旗を振れ、という無碍な質問だ。
歪んだ視界が正常に戻り、姿勢を正す。聞かれたことに対して、怒りどころか滑稽に思えた。
大刀を軽く振って、空を切る音が聞こえる。
「降参するなら、見逃すわ」
「…笑わせるな。貴様が今ここで自分を見逃そうとも、ベンジャミン・ラビットソンが手を下すだろう。すでに仲間もやられている。……今更、引き下がれると思うか?」
「……そうね、そうだった」
自虐的に鼻で笑い飛ばせば、ハインが諦めたように呟く。
持ち上げた切っ先が、こちらを射貫いた。
「私もタダで負けるほど優しくはないわ。無粋なマネをして、ごめんなさい。…全力でブッ倒す」
ハインの体が前に揺らぐと、詰め寄る。
迫る気配に、ゴダは何もしなかった。それが奴の目測を狂わせる、と考えたからだ。
振り下ろされる剣筋が、自らの腕に向かっていることに気づいた。
パリン、と硝子が割れるように銀の鱗が消える。
「っ…!」
振り下ろした刃は、ゴダの腕を断つことなく『すり抜ける』。
剣筋に迷いが生じた隙をついて、
「が、あっ…!?」
ゴダは、ハインの横っ面を『素手』で殴りつけた。
蟀谷に拳をまともに食らった女は、地面に叩きつけられる。
「やはり、そうなのか…」
切れた額から血を流すハインを見下ろし、確信する。
緊張から呼吸が少し乱れ、冷や汗を流れた。こうも、綺麗に成功するとは思わなかった。
「貴様の刀……。『生身』の人間を斬ることが出来ないのだな」






