ep.16 按図索駿
耳鳴りが、まだ続いてる。
まるで焦げたような、硝煙の匂いが鼻についた。
ダンは、ハインの腕の中で両耳を塞ぎ、急速に息を上げる。
今までに聞いた怒声や罵声とは全く異なる、大きな音。
バクバク、と心臓が勝手に鼓動を早める。
背中から伝わる人肌の温もりで、逃げ出さずにいれた。背後はどうなっているのか、全く分からない。
見ることさえ、叶わなかった。少しでも身動げば、ハインの腕の力が強まるからだ。
見せないようにしている。その意図は、幼いダンでも理解できた。
「…振り向かないで。そのまま耳を塞いで、目をつぶって」
ダンは、ハインの言うことに素直に従った。なぜなら、その声色からは、努めて怒りを顕わにしないようにしていたからだ。
それから、ゆっくりとダンの背中から温もりが離れた――。
※ ※ ※
クラウンは、石畳の溝を縫うように流れていく血を眺めた。
撃ち出された弾丸は、綺麗に一直線に飛んで、男の眉間を貫通した。
骨を砕き、脳味噌を突き進んで、また骨を砕いて外に飛び出した弾の後を追うように、脳髄の混じった血が流れていく。
男は膝を折り、その体は後ろに倒れていた。
(狙ったわけじゃないけど…、なんかすごい格好)
えらく不格好な死体に、クラウンは淡々とした感想を思った。
運び屋なら、こんなことはよくある光景だ。
しかし、それを強く咎める気配が一つ。
振り向かずとも、伝わっていた。だが、同時に湧いた疑問は、口をついて出る。
「それで…。ハインさんは、なぜそんなに怒ってるんですか?」
ダンから離れて、こちらに体を向けたハインの顔は伏せられ、表情は見えない。
それでも、服の繊維の隙間を貫通するほどの激しい『怒気』を感じる。
質問には全く答えないが、ちらりと上げられた瞳は、青く煌々としていた。
歯は強く食い縛られて、滾る憤怒が垣間見える。
クラウンは何をどう弁明すれば、彼女が納得できるのか少し考えたが、良い方便が出てこない。
だから、
「別に『こんなの』、大したことでも何でもないでしょう?」
素直に言ったが最後。
ハインの両手が、クラウンの胸倉を掴みあげ、強く引き寄せた。
「一体、どういうつもりなのよ…ッ」
「何が、」
「明らかに数はこっちが有利だったじゃない…ッ!」
「はい、」
「なのに、撃ち殺すなんてッ!!」
激しく揺さぶられながら、クラウンは戸惑った。
ハインの言葉の意味が、彼にはよく理解できなかった。
「つまり…?」
「情けはなかったのかって聞いてんのよッ!」
その質問に、クラウンは答えあぐねた。
あ、う、とハインに激しく前後に揺さぶられ、声が漏れるくらいだ。
(揺さぶられすぎて頭が回る…、気持ち悪い…)
どうにか離れてくれないだろうか、と考えていたその時。
ひくり、と白ウサギの耳が反応した。
「全くその通りだな」
ハインの意見に同意する声が、一つ。路地の更に奥の暗がりから上がった。
クラウンはハインの両手首を掴み、彼女の揺さぶりを止める。
思いのほか強い握力に、ハインは一瞬驚いた。
クラウンの白ウサギの赤い目玉は、すでにハインを写していない。
彼女もまた視線の先を追う。
「その女の言う通り、情けはないのか?」
路地の暗がりから現れたのは、黒衣を纏った一人の男だ。その後ろから、もう一人、巨躯な男が続く。
クラウンは、特に言葉を発さなかった。
ようやく胸倉からハインの手が離れて、向き直る。
「誰よ、あんた達」
黒衣の男は、彼女の問いを無視して、地に転がる射殺体を眺めながら静かに口を開いた。
「…容赦がないな。多忙な運び屋は、相手の命乞いの時間すら惜しいのか?ベンジャミン・ラビットソン」
その名を呼ばれた瞬間、隣にいたハインが目を剥いて、こちらを見た。
何か言いたげな顔をしていたが、それは強く握り締めた手の平の中に留めたようだ。すぐに目の前の男たちを睨みつける。
何より現れた二人からは、直感的に異様なものを感じていた。
「…殺られる前に殺る理論の信奉者なもので」
クラウンは答えながら、リボルバーのチャンバーを左に押し出し、弾数を確認する。
チャリ、と色褪せた黄金色の大口径リボルバー『アルトン』のグリップ底にある、ウサギを模したチャームが揺れた。
今にも火蓋が切られてもおかしくない状況だが、弾を込め直す猶予はあるようだ。
黒衣の男が、死体から視線を持ち上げ、こちらを見る。
「……相手から得られる情報は、考えないのか」
「それは…、一理ありますね。でも、僕は痛いのが嫌いなもんで。血みどろになってまで、相手を生け捕りにするのは御免です」
後ろに手をやり、腰にあるポーチの中から弾丸を一つ取り出して装填する。
男は、クラウンの受け答えに嫌悪感を抱いたのか、眉間に皺を寄せる。
「聞き出す前に殺してしまえば良い、と…。化け物め。その気味の悪い姿と似つかわしいじゃないか、振る舞いも言動も」
「やだな、こんな愛らしい顔をバケモノ呼ばわりなんて傷つきますよ」
クラウンは、勢いよくチャンバーを回した。
ガラガラ、と回り始めたルーレット盤のように騒がしい音を立てる。
クラウンの言葉に、黒衣の男は純粋に思ったらしい。
「命を奪うことに全く躊躇がない者を、果たして『人間』と呼べると思うか?」
この世の者を見るような目ではなかった。
言い知れぬ怒り、侮蔑、嫌悪、負の全てがその瞳には込められている。
クラウンが手首に勢いをつけて、ガチャ、とチャンバーを銃器に収めた。
チャラけた態度を改めて、クラウンは真剣な議題に対して『自論』を持ち出す。
「銃だろうが木の棒だろうが武器を握り、立ち上がった時点で、命のやり取りは始まっている。にも関わらず、勝てないと分かれば、待て、と言う。…何を待てと?始めたのは、僕じゃない。待って欲しいのは相手の都合で、それを聞くか聞かないかは、僕の『権利』です」
「権利……?権利ときたか。全くもってお前達『運び屋』は驕りが過ぎるな。戦いにおいて、己が主導権を握ってると勘違いしているようだ」
蔑むように笑われたが、意に介さない。クラウンには、揺るがない事実があるからだ。
「実際、僕らは強いですから。強くないと『あなた方』のようにアタッシュケースを強奪しようとする輩が、わんさかやって来るので」
少し考えれば、突然現れた相手の目的くらいは見当がつく。
その言葉に今まで応酬していた黒衣の男は、押し黙った。
何よりも肯定する無言の様を見て、思った。所詮は同じ穴の狢だと。
クラウンは話を戻して、尋ねた。
「例えば僕が『待て』と言ったら、あなたは命もアタッシュケースも取らずに見逃してくれますか?」
男は、寄せていた眉間の皺を伸ばして真顔になってみせる。
「場合と人によるだろうな。だが、お前のような化け物じみた殺人鬼は容赦なく殺す」
「優しいですね。でも、あー…、今のはさすがに傷つきました」
珍しく声のトーンが、落ちてしまった。
こうも面識のない人間に真正面から殺意を剥き出しにされると、案外居心地が悪いものだ。
気を取り直して、『敵』に銃口を向ける――。






