ep.15 易しい世界縮小図
ドッ、と砂袋を蹴るような音がした。それは、一定の間隔で聞こえてくる。
路地の路肩で、カイルが芋虫のように蹲っている。
リーダー格の男は、表情を変えることなくカイルの腹を蹴った。
「ぐぇっ…!」
痩せた肉に、ドッ、と爪先がめり込む。
何度かそうしているせいか、カイルの防御は崩れて脱力した。
棍棒で殴られた膝は、通常の倍近く腫れ上がって周りの肉は赤黒く変色し、出血している。
「オラ。へましたんだから、嬲られ役くらいにはなってくれよ」
男はしゃがみ込むと、カイルの髪を掴みあげた。
カイルには、その手を振り払う力すら残っていないようだ。ただ弱々しく咳き込んで、口端から血を流している。
「俺は、優しいだろ?生きる価値があるんだかねぇんだかよく分からねぇお前らを簡単に殺さずに、ちょっとはその価値を見出してやってんだ。優し過ぎて、涙が出るよな」
「う…ぅ…、」
髪を掴む手に力を込めつつ、男はカイルの頭を軽く揺さぶる。
反応の鈍さからして、意識を失う寸前だろうか。
男は、大きな溜息を零して手を離す。糸の切れた人形のように、ごとりとカイルの頭が落ちた。
手の平には、抜け落ちた髪が絡まっていた。男は、「うげ…」と薄気味悪そうに声を漏らして、払い落とす。
虫の息なのか、カイルの肋の上下運動は、小さくなっていく。
膝から流れる血は、出血死を招くほどではないにしろ意識を奪うには十分で、彼の目は虚ろだ。
そんなカイルを見下ろして、男は片足を少しずつ持ち上げた。
「安心しな、俺ぁ優しい男だ。テメェのお友達も、すぐ『そっち』で会わせてやるよ」
バキッ、と躊躇なくカイルの横っ面を踏み抜く。
枯れ木を踏んだ時のような感覚が足の裏に伝わったが、気にしない。
意識を失ったか、死んだかも区別がつかないカイルの顔から足を下ろす。
ぱっくりと割れた膝の傷口から化膿して野垂れ死のうが、踏みつけたことで首の骨が折れて死んでいようが、どちらでも良かった。
誰も、『ロストチルドレン』を気にかけないのだから。
施しをしようなんて考えるのは金銭的に余裕がある人間か、よっぽど頭の中に花が咲いている馬鹿だけだろう。
(さて…、あっちはカタがついたか?)
男は、もう一人の子供を追って行った仲間たちの下へと向かおうと歩き始める。
しかし、一歩、進んだところで。
「?」
何かの気配を感じて、爪先に落とした視線を持ち上げる。
そこには、
「…………、」
通常の倍もある、やけに生々しい白ウサギの頭をした『人』が立っていた。
迸る血のような色彩の、瑞々しい目玉がこちらを向いている。
作り物か、と思って凝視していると、白く長い睫毛の生えた瞼がぱちりと開閉した。
男は、ぎょっと顔色を変えて後ずさる。
ウサギの頭をした『人』は、細身で長身だ。こんな蒸し暑い地域には似合わない装いをしている。フードの淵にファーをあしらった黒いジャケット、サイズにゆとりのある黒のパンツ。
年季が入った少し汚れの目立つ、脛より下の編み上げブーツを履いて、革製の白い手袋をしている。
中身が人間だということは、確かだ。
奇妙な格好をしたその者は、一向に言葉を発さず、不気味なほど直立不動だ。
『人間』かどうかを確かめるために、おずおずと口を開く。
「お、おいおい…、ここいらで祭りかなんかやってんのか…?」
「……、」
「仮装だっけか?よく出来てるな、本物かと思ったよ」
「………、」
出で立ちこそ気味が悪いが、何もアクションがない。
それを考慮して、危害を加えるような人間ではないと判断した。
何もしないのなら、恐れることはない。
男は、背筋を伸ばして胸を張ると威圧する。
「ここは、祭りの会場じゃねぇぞ。とっとと大通りに行きな」
「そこにあるのは、アタッシュケースですか?」
突然、ウサギの頭の中から物腰の柔らかい男の声がした。
男は驚いて、僅かに肩が動く。
ちらりと視線を落とすと、自らが蹴っ飛ばした茶革のアタッシュケースがあった。
中身は、何枚かの荷札が纏まった紙束一つと、ドライフラワーの花輪だけ。
男は動揺を隠すように、ウサギ頭に視線を戻す。
「…そうだな、」
「アタッシュケースを開いたのは、あなたですか?」
「あぁ?俺は知らねぇよ。触ってもいねぇし、開けてもいねぇ」
「そうですか」
妙に、単調な話し方だ。柔和な声色だが、恐ろしく抑揚にブレがない。
(コイツ…、『運び屋』か?)
男が疑いの視線を向けていると、ふと足元に何かが通り過ぎるような感覚があった。
「なんだ…?」
咄嗟に足元を見れば、手の平に収まってしまう程の小さな白ウサギたちが、懸命に走っていた。
男は、そのまま無数の小さなウサギたちを目で追う。
すると、そのウサギ達は、アタッシュケースの下に潜り込み、背中で押し上げて立ち上がった。
数十匹で息と力を合わせてガタガタと背中の上でアタッシュケースを揺らしながら、ウサギたちは『親玉』の元へと駆け寄っていく。
ウサギ頭の人間は、しゃがみ込んで、運ばれてきたアタッシュケースを見た。
「うーん…。取っ手は破損してますが、『荷札』は無事ですね。にしても何ですか?この配達品の少なさは…。これでよく生活できますね、あの人」
小首を傾げながら、この場にはいない誰かに対して悪態をつく。
男は呆気に取られて、その様子を眺めていた。
しかし、
「う…、」
か細い子供の呻き声を聞いて、我に返る。
慌てたようにそこに目を向ければ、嬲りに嬲ったカイルの下に潜ろうとする手乗りウサギの姿が見えた。
「て、テメェらッ!やめねぇか!」
男は怒鳴りながら足を払い、ウサギを追い払う。
流れからして、カイルを運ぼうとしていることは明らかだ。
それだけは、何としても阻止しなければならない。どういった手段を取るのかは不明だが、カイルから情報を聞き出す可能性がある。
いや、そのつもりで運ぼうとしているに違いない。
「こンの…ッ!蛆虫がッ!」
男は、必死でカイルの下に潜ろうとする小さなウサギを、まるで害虫のように踏み潰した。
「キッ…!」とウサギが小さな鳴き声をあげて、ぐちゃりと潰れると、足元には血の代わりに白くキラキラと光る粉雪が広がった。
明らかに魔術によって生み出されているのにも関わらず、潰してもこれといった現象は起きない。
(な、なんてことはねぇじゃねぇか…)
男は冷や汗を拭いながら、そう安堵した。
束の間、
「ッ!!」
背筋を、刃物で撫でつけられるような悪寒が走る。
「酷いなぁ、あんな小さな生き物を踏み殺すなんて」
ガクガクと膝の関節が、笑い始める。
おかしい、こんな気温の中で。
そんなこと、有り得ない。
ここは、砂漠だ。日中は、呻くほど暑い。
なのに、なぜだ。
この、吹雪の中を進むような寒気は――。
思わず、震える体を両腕で囲う。
男は、地を這うように流れてくる『冷気』の方へと、恐る恐る目を向ける。
「ひっ…!」
夜行性動物のように、その目を不気味に光らせる無数のつぶらな目――。そして、しゃがんだまま、男を一点に見つめる白ウサギの大きく赤い目玉があった。
多数の視線から、目を逸らすことができない。いや、許されなかった。
この寒気は、『殺気』なのだと気づく。
目を逸らせば殺される。逃げようとしても殺される。
無数のつぶらな目と赤い瞳が、訴えている、告げている。
「殺す」と。
男が、わなわなと怯えている最中、小さなウサギたちがカイルを運び始めた。
あれを奴の手元に行かせるわけにはいかない、情報が漏れてしまう。そうなれば、どの道、終いだ。
そう思っていても、身動き一つできなかった。
※ ※ ※
「ご苦労様でした、皆さん」
少年の身柄は、手乗りウサギたちによってクラウンの元に運ばれてきた。
クラウンは、男から視線を外して少年を見る。だが、周囲の手乗りウサギたちは男を監視し続けた。
「あー…、こっ酷くやられてますね。これは、オズを呼ばないとダメそうだ。話は、もう一人の子供から聞くことにしましょうか」
「あ!アタッシュケース!」
今後の方針を立てていると、後ろからハインがやってきた。
クラウンはしゃがみ込んだまま、彼女を見上げる。
「遅いですよ、何してたんですか?」
「あんたが置いてったからでしょ!おかげでまた絡まれたわよ!」
合流して早々、喧しい文句が飛んでくる。
すると、彼女の後ろにいた褐色肌の少年が、青ざめた顔で飛び出した。
「カイルっ!」
手乗りウサギたちの背中の上で横たわり、意識を失っているカイルに駆け寄る。
今すぐ揺すって安否を確かめたいのだろう。だが、痛ましい怪我を見て、思い留まったようだ。
「カイル…、カイル、ごめんな…」
地面にへたりと座り込んで、大粒の涙を流しながら項垂れている。
それを見てハインも少年の隣に座り込み、背中に優しく手を添えると、こちらに目を向けた。
「…この子の容態は?」
「大怪我ですが、命に別状はありませんよ。気を失っているだけです」
「だって、良かったわね」
ハインが、少年に向かってにこりと微笑んだ。
少年は少し固まってから、再確認するようにクラウンを見る。
クラウンは、ウサギの耳と人差し指をピンと立たせると、
「大出血サービスで治療もしますよ。もちろん、金銭は要求しますけど」
「あんたねぇ…、」
ハインから冷めた視線を向けられたが、気にしない。
だが、少年だけは違ったらしい。
「ありがとう…っ、ほんとにありがとう…っ。何でもするっ!何でもするよ俺!それでカイルの怪我が治るなら…っ!」
仲間の命が助かる。そのことに、何より感激しているようだった。
ハインは、懸命に涙を拭う少年に優しく微笑んだ後、『これでもまだ金銭を要求するのか』と咎めるようにジト目で見てきた。
その視線と少年の様子を見て、若干居心地の悪さを感じれば、痒くもないウサギの頭を掻いた。
「冗談ですよ。何も要りません」
「よく言った!それでこそね」
「半ばハインさんに咎められたようなもんですよ。本当ならお金は頂戴したいところです」
「何か言ったかしら?ウサギ野郎」
「いえ何も」
満面の笑顔で、背中の大刀を引き抜こうとするハインに寒気を感じて、クラウンは食い気味に答える。
そんな穏やかな空気を断ち切るように、
「話はついたか…、運び屋さんたちよぉ」
それまで立ち尽くしていた男が、ようやく口を開く。
恐ろしげに男を見る少年の前に、ハインが庇うように出た。
男が視線を流すと、そこには一本の斧が転がっている。
それに気づいたクラウンは、静かに立ち上がった。
「懸命な判断だとは思いません。やめた方が良い」
男が何を仕出かすか、分かった。先手を打つように諌めるが、男は軽く笑う。
恐らく運び屋のアタッシュケースを奪う計画が失敗した時点で、雇い主か運び屋に始末されるのだろう。だが、この結末は、どうやら男の中では予想外だったらしい。
この男に残された道は、僅かな可能性に賭けて運び屋に襲いかかるしかないのだ。
「先に忠告しといてやる。俺たちを雇った奴も、相当な手練だ」
「……、」
「精々頑張んな、クソッタレ運び屋共」
男は吐き捨てた後、斧を素早く拾い上げた。
ありったけ咆哮して、猛り狂った戦士のように駆け出す。
クラウンは、色褪せた黄金のリボルバー『アルトン』を、腰のホルスターから抜いた。
ハインの制止する声が聞こえたが、わざわざ止まる必要はない。
アルトンの照門越しに男の目を見て、クラウンは思った。
男が、虫ケラと見なしていたはずのロストチルドレンが、その命を繋いでいる。
最高に皮肉めいた構図だと、きっとこの男も死の間際に思ったことだろう。
瞬間、路地に時鐘のような轟音が、けたたましく響いた。






