ギルドと仕事と挨拶と④
見つけた。
アーサーたちはローブの子供と魔狼たちの背後に潜んでいた。
子供を中心に、前方二匹、左右で一匹ずつ、後方一匹。
幼子相手に過剰とも言える包囲網。子供は完全に動けなくなってしまったらしい。
状況が悪い。後方の魔狼をもし討伐しても、前方と左右の魔狼にその場で襲われてしまう。
しかも現在進行形で、子供との距離が詰められている。
アーサーはメアリーに小さく耳打ちをする。
「メアリー、聖魔術は使えそう?」
「あ、は、はい。」
聖魔術とは、魔術の姉と言われる存在である。
形態は同じ。聖人が神からの聖句を人の言葉へ翻訳、それを引用し、神の奇跡の断片を行使する学問ーーそれが魔術。
魔術は技術。数多な魔術の公式を使用すれば簡単な魔術は行使出来るが、それを応用するためには大元となった聖句の理解度が必要となる。
簡単に説明すると、魔術は酒に数多のジュースを混ぜたカクテルなのに対し、聖魔術は酒に炭酸水や、水を混ぜたものに近い。
つまり、余計なものを混ぜずに、人が扱いやすい状態にまで薄めた、非常に聖句に近い魔術形態を指す。
「まず、僕に隠匿の魔術をかけてほしい。それから、僕が出る。」
「――っ!」
メアリーは声を上げそうになり、慌てて口を塞いだ。
危ないですよ、という言葉を寸前で飲み込む。
「護身用のナイフしかないけど、あの子を保護する隙くらいは作れるはずだ。そしたら、防御結界と目くらましを間髪入れずに発動してほしい。」
アーサーが手短に作戦を伝えると、メアリーは戸惑いながらも小さく頷いた。
心配そうに眉尻を下げながら、アーサーの背に右手をかざす。
“隠者の沈黙”
それは聖魔術の一種。
他者の認識から術者の存在を覆い隠す、殺傷を目的としない聖魔術の一つだった。
音もなく、隠匿の魔術の特徴、無唱・無音。相手に魔素の変動を悟らせない術式。
術の効果は、術者の想像力に依存する。
完全な消滅は不可能だが、メアリーはあの魔狼の視界からアーサーの存在が《《三十秒間、木々として認知》》されるように、構成した。
三十秒間は、メアリー隠匿魔術の限界。ーーしかし、それでも今の状況では十分に優秀。
息を呑む。
躙り寄る魔狼は、子供からすでに五メートルを切っていた。
二十五秒……その段階で、アーサーは右の太ももの皮ベルトに固定されていたボタンを外し、折りたたみナイフを取り出した。
二十秒……息を潜める。狙うは後ろもも。血管の太いところ。ーー致命傷まではいかないが、動きは鈍る。
十九、十八、十七、十ーーアーサーは駆け出した。
足音は、ぬかるむ地面がクッション代わりになって吸収される。疾走する音、無防備な目の前の魔狼の太ももに、思い切りナイフを突き刺した。
硬い肉を突き進む感覚が、手に伝わる。
「グオオオオ!!」
突然の激痛に身を捩る魔狼の無防備な右脇腹を、アーサーはそのまま蹴り上げた。
「キャイン!!!!」
悲鳴をあげて、左へ吹き飛び地面を転がりーー体勢を立て直し、傷などなかったかのように襲いかかる。
「くっ!メアリー!」
その言葉と同時に、距離を詰めていた魔狼たちも一斉に飛びかかってきた。
鋭い牙をこちらに剥き出して、爪で地面を削り、その牙が襲い掛かろうとしていた。
アーサーは咄嗟に子供の腕を引いて、自分が盾になるように、抱え込む。
「ーー我が盾よ!!」
初級防御魔術が発動し、アーサーたちと魔狼たちのほんのわずかな隙間に、幾何学模様を浮かべた光の膜が展開された。
その光の膜に魔狼たちの鼻先が激突するのと同時に、メアリーが叫んだ。
「光あれ!!」
――閃光。
網膜に焼き付くほどの強烈な光が、魔狼たちの眼前に顕現した。
その光は、邪を祓う聖なる光。
邪を祓う光について記された聖句から、光にまつわる一節のみを引用した、目くらましの術である。
対象となるのは、害をなそうとする存在。術者自身と、術者が味方だと認識する者には、その効力が及ばない。
「ギャッ!」
短い悲鳴が上がる。
突然の異変に、魔狼たちは何が起きたのか理解できていないようだった。
地面に伏せ、顔を土に擦りつけるもの。闇雲に駆け出し、見当違いの方向へ逃げるもの。
反応は様々だった。
その隙を逃すまいと、アーサーは呆然と立ち尽くす子供の腕を引いた。
メアリーもすぐさま駆け出す。
二人は言葉を交わすこともなく、来た道を走り始めた。
「はぁっ!はぁ、はぁっ!!ヒ、」
引き攣る呼吸は、メアリーからのもの。
元々魔力量の多くない彼女にとって、間髪入れず三回の魔術行使は大きな負担になっていた。
子供を真ん中に、メアリーたちの背後に周り、背後を確認しながらアーサーは走る。
メアリーの体力が限界だ。子供も息が切れている。
魔術が使用出来ないアーサーは、本当に申し訳なく思う。
ナイフはさっきの戦闘で刺し捨ててしまった。自分はハンデがある。
いざという時に、力が出せない。本当にメアリー頼りの作戦だった。
しかし、こうやるしかこの子を助けることはできなかった、と言い訳が脳裏を過ぎる。
(言い訳がましい……二人をどうにかして守らないと。)
走りながら、頭の片隅でそうごちる。
思考が身体から切り離されていくような、疲労による奇妙な浮遊感。
限界を訴える身体を、脳内に満ちた興奮が無理やり突き動かしていた。
――視界の端に、影が見えた。
視線だけを向ける。
赤い閃光……閃光?
いや、違う。
鈍く光る赤い帯が、まっすぐこちらへと迫ってくる――!
あ、と思った瞬間、アーサーは子供を突き飛ばした。
「――ぐ、ぁがッ!」
次の瞬間、アーサーの身体が弾き飛ばされた。
背中が木の幹に叩きつけられ、肺から空気が押し出される。
「アーサーさん!!」
悲鳴のようなメアリーの声。
地面にそのままずり落ち、立ち上がろうとしたが、腹部にのしかかる重量を感じた。
右腕に食い込む、鋭く硬い何か。
皮膚が引き攣れ、温かいものが腕を伝う。
顔にかかる、生ぬるい空気。
そこでようやく理解した。
先ほどの個体より、二回りも大きな魔狼が突進してきたのだ、と。
狙いは、完全に子供だった。
あの赤い閃光は、この魔狼の瞳。縦に裂けた瞳孔が、アーサーを射抜く。
牙が、近い。
赤黒い口内が、生臭い息が――顔前に迫る!
右腕に食い込んでいるのは爪だった。
アーサーは皮膚が裂けるのも厭わず、腕を引き抜く。そのまま魔狼の喉元を右腕で押さえ込んだ。
噛みつかれかけたのだ。
寸前のところでアーサーが抵抗し、顔を背けたことで、どうにか直撃だけは免れることができた。
どこからか、歌が聞こえる。
視界の端に、淡く白く光るメアリーの姿が映った。
一定の音階をなぞるように声を発し、淡い光に包まれた彼女の足元には、聖なる光が走って魔法陣が描かれ始めていた。
アーサーは魔狼の牙を近づけまいと、必死に抵抗する。
右腕が痺れる。
時間がない。
せめて子供だけでも連れて逃げてほしい。そう願いながら、アーサーは叫んだ。
「……ぐ、はや、くっ! 逃げて!!」
それでも、メアリーは祈り続ける。
歌は聖歌。祈りを天へ捧げるための、魔術行使。
メアリーの額には大粒の汗が滲んでいた。激しい疲労が、容赦なく彼女の身体を苛む。
視界が歪む。それでも、彼女は目の前から視線を逸らさない。
歌が終わる。
メアリーは乾いた喉で、祈りを捧げるように、そっと言葉を紡いだ。
『天は高く、陽は突き刺す。主よ、何故我らを拒絶するのですか?』
声が滲む。
確かに口を開いているのはメアリー一人のはずなのに、その祈りはどこか二重に響いて聞こえた。
それは冷徹な言葉。
自らの不幸に喘ぎ、天を仰ぎ、それでもなお容赦なく降り注ぐ陽へと向けられた、“呪詛”だった。
そっと、天へ右手を伸ばす。
魔素を吸い上げる。できる限り多く、自分の魔力だけでは足りない術の行使を、外界の魔素で補うために。
甲高い駆動音とともに、中規模聖魔術が起動する。
「崩れゆく天塔、人は地へ、天は遠く!!」
――幾何学模様の光の針が顕現する。
「はあああああっ!!」
メアリーは叩きつけるように、魔狼の“影”を刺し貫いた。
その瞬間、右腕にかかっていた抵抗が、ふっと消えた。
「え……。」
思わず、戸惑いの声が漏れる。
目の前の魔狼は、身動き一つしない。ただ、恨めしそうにアーサーを睨みつけている。
これは、一体……?
「アーサーさん!! そこから逃げてください! ……くっ! あんまり持ちません!!」
光の針の端が、じりじりと削れていく。
輪郭がノイズのように揺らぎ、明滅を繰り返していた。
その様子を見て、状況を理解するより先にアーサーは慌ててもがいた。
魔狼の動きは封じられている。だが、アーサーの上には依然として巨体がのしかかっていた。
右腕一本では、どうしても抜け出せない!
「アーサーさん! 早くっ!! うううううっ!!」
両腕を突き出して、魔力を回す。高濃度の魔素で神経が焼け、悲鳴を上げる。
喉の奥から鉄の味がする。
「分かっている!動かないんだ!」
どうにか隙間を作って体を捩ると、目の前の魔狼の口が、微かに動いた。
まずい。
本当にまずい。
どうにか這って、下敷きの状態から脱出するが――
「もうダメえええ!!!」
絶叫。
涙と汗が頬を伝い、メアリーは顔を伏せた。
「――やっと見つけたぜ。」
低く、唸るような男の声。
ゴウッ!!
空気を引き裂くような音とともに、目の前の魔狼が一瞬にして消えた。
いや、消えたというより、吹き飛んだと言ったほうが正しかった。
鋼鉄の具足に覆われた脚が、蹴り抜いた姿勢で止まっている。
もう一方の太い脚は地面を深く踏みしめ、巻き上がった土と光のカケラが周囲に舞っていた。
見覚えのある背中。
赤銅色の短い髪が木漏れ日を浴び、真っ赤に燃える。
吹き飛ばされた魔狼は、地面を転がりながらも体勢を立て直し、再び襲いかかってきた。
「ぶち飛べ、犬っころ!!」
魔狼が脇目も振らずに男へ飛びかかった、その瞬間。
大剣が、飛びかかる魔狼の腹をすくうように、下から跳ね上がった。
「グガッ!!!」
押し潰されたような声とともに、魔狼の巨体が天高く舞い上がった。
そして、一拍遅れて――轟音。
地面へと叩きつけられた。




