逃亡とシスターと琥珀と②
アーサーとヨハン神父の話を聞きながら、スコルは呆れると同時に、感心もしていた。
メアリーの使った術式は、確かに非効率なものだった。しかし、その効果は非常に優れている。
対象の質量や魔力量に左右されず、動きを封じることができる。
十分な魔力量を持つ者が、適切な場面で扱えば、きっともっと有用な魔術だったのだろう。
だが、今回の状況は最悪だった。
魔力が尽きれば倒れかねない。倒れたら詰む。そんな状況で、選ぶべき術式ではなかった。
「……シスターは戦闘要員ではない。ゆえに、聖魔術と、一般魔術の中でも自衛に使える不殺の術式だけを教えておったが……術式を見極めるための基礎知識も必要じゃな。」
ヨハン神父は何かを考え込むように、しばらく黙っていた。
そして、改まった口調で続けた。
「今日の事情は分かった。アーサーもメアリーも、無茶をしすぎじゃの。」
ヨハン神父はひとり納得したように頷くと、ふと窓の外へ目を向けた。
夜空には星が散り、魔石灯の少ない通りは月明かりだけが頼りだった。
「ふむ。」
小さくこぼすと、ヨハン神父はスコルに向き直った。
「今日はもう遅い。……魔獣も凶暴になる時間じゃの。泊まっていきなさい。」
「いや、俺は――。」
「リリィや、寝床の準備はできておるか?」
「おい、爺さん……。」
スコルの返答などお構いなしに、ヨハン神父は廊下に控えていたリリィへ声をかけた。
コンコン、と扉を叩く音がして、シスターのリリィが姿を現す。
「失礼いたします。客人用のベッドは、すでに整えております。」
そう告げると、リリィはスカートの裾を軽くつまみ、カーテシーをした。
「俺はまだ――。」
「今日は本当に世話になった。ここはひとつ、わしからの気持ちだと思っておくれ。」
ヨハン神父は抗議するスコルに、穏やかな笑みを向けた。
「僕からも、お礼を言わせてほしい。」
今度はアーサーが口を開いた。
「でも、言葉だけじゃ足りない気がするんだ。だから、せめて今夜くらいは、僕たちの気持ちだと思って受け取ってほしいよ。」
「……ぐ……。」
スコルは言葉に詰まった。
しばらく何かを言い返そうとしていたが、やがて観念したように吐き捨てた。
「……分かったよ、クソ!」
・・・
「……スコル様のお体に合う寝巻きをご用意出来ませんでした。申し訳ございません。」
「いや、寝れりゃいいが……。」
頭を下げるシスターリリィに、スコルは居心地悪そうにそう返す。
それを皮切りにリリィの行動はエスカレートしていった。
「風呂の準備が出来ました、どうぞ浴室へ。」
「食事の準備が出来ました。どうぞ食堂へ。」
「食後の冷菓はいかがでしょう?」
「お、おう。」
食事が終わったらデザート(冷菓という高級品)まで出される始末。
(……むず痒くなってきた。)
入浴の際に「お背中を流しましょうか?」と聞かれたときには、さすがのスコルも珍しく動揺した。
「リリィってば、お客さんが珍しいから張り切っているんだよ。」
アーサー曰く、あれがシスターリリィの性格らしい。
過剰ともいえる世話焼き。
それを淡々と、クールにこなすのが強烈に印象に残った。
アーサーも最近になってようやく、自分でできることには手を出さず、見守ってもらえるようになったという。
そう話しながら、アーサーは自分の左腕に目をやり、笑っていた。
少しぐったりした様子のスコルの耳に、慌ただしい足音が飛び込んできた。
どたどたと廊下を駆ける音が食堂へと近づき、勢いよく扉が開け放たれた。
「あそぼ! あそぼ! ね?」
「僕が先だよ! どうやったらそんなに大きくなれるの?」
「わー! スコル、ご飯終わったの?」
「待ちなさい! 『スコルさん』でしょ? 大人には礼儀正しくしなきゃダメよ!」
子供たちの後を追って駆け込んできたのは、まだ幼さの残るシスターだった。
腰に手を当て、ぷりぷりと怒っている。
だが、そんな姿を見ても、子供たちはまるで言うことを聞かない。
「へん! うっさい、ナナミ!」
「黙りなさい!」
ナナミは大股で歩み寄ると、口答えした黒髪の少年――シンの頭に拳骨を落とした。
ガツン、と鈍い音が響いた。
「――いってぇ! ……ぐっ……ミズキねえ! ナナミが暴力振るうんだ! 虐待だ!」
「…………ぐぅ…………。」
「もう! どこでも寝るんだから!」
ナナミの後ろでは、グラマラスな体つきのシスターミズキが、立ったまま眠っていた。
「はいはい、ベッドで寝ましょうねー。」
そう言って、眼鏡をかけたシスターが、慣れた手つきでミズキの頬を軽く叩いた。
「イオナねぇちゃんも大変だよな。」
「客人の前で情けないったらありゃしないのよ。……では、失礼しましたー。」
軽く挨拶すると、イオナはミズキを連れて食堂から出ていった。
「……なんだ、こいつら。」
そもそも、依頼先の人間に興味などなかった。
それなのに、何もしなくとも情報が波のように押し寄せてくる。
個性が、強すぎる。
「ここのシスターたちは、優しくて、個性的で、楽しい人たちなんだよ。」
アーサーは微笑みながら、どこか誇らしげにスコルへそう言った。
困惑するスコルのもとへ、小さな人影が近づいてきた。……アンナだ。
何やらもじもじとしている。
スコルは何も言わずにじっと見つめ、アンナの言葉を待った。
やがて、アンナは控えめに、そっと呟いた。
「私、スコルお兄さんと、ナナミお姉ちゃんと、寝たいな。」
「はああああっ!?」
アンナが照れくさそうにそう告げた直後、ナナミの奇声が、人でぎゅうぎゅうになった食堂に響き渡った。




