挨拶と魔術と逃亡と④
スコルはシスターに案内されるまま寝室へ入り、ベッドにメアリーを下ろした。
それからアーサーと共にシスターたちの手伝いをして、約三十分。……ようやく時間が取れた。
「ヨハン神父は談話室にいるよ。僕は少し着替えてくるから、先に行っていて。」
改めてアーサーを見ると、その服が彼自身の血と泥で汚れていることに気付いた。
外にいた時はあまり気にならなかったが、こうして室内で見ると、少し異様に映る。
「あとはお風呂に入るだけなんだけど、このままソファに座るのはちょっとね……。」
アーサーは困ったように頬を掻いた。
二人がいるのはキッチンを出てすぐの場所で、シスターたちが頻繁に行き来していた。
アーサーは少し早口に、スコルへ談話室の場所を説明した。
「談話室は玄関からすぐ左の扉だよ。扉に『談話室』って書いてあるから、分かると思うんだけどね。」
スコルは短く頷いた。
「……おう。」
それを確認すると、アーサーは付け加えた。
「じゃあ、着替えてから行くって、ヨハン神父にも伝えておいてよ。」
そう言って、アーサーは玄関へ向かい、鍵を開けて外へ出ていった。
スコルはその姿を見送ると、自分も玄関へ向かい、教えられた通り左手の扉に視線を向けた。
『談話室』。
確かにそう書かれていた。
スコルはノックをためらった。
そんな上品なこと、したことがなかった。だが、相手は初対面の年寄りだ。それも神父ときている。
しばし迷った末、意を決して扉を叩こうとした、その時だった。
「そこに居るのだろう? 入りなさい。」
扉の向こうから、優しい声が届いた。
すべてを見透かしたようなその声に促されるまま、スコルは扉を開いた。
ガチャリ、とドアノブが鳴り、蝶番が軋む。
視線の先では、ヨハン神父が部屋の魔石ランプに灯を点しているところだった。
最後の一つに灯を点すと、ヨハン神父はソファに腰を下ろした。
腰を庇っているのか、その動作は緩慢で、待つ間の沈黙が妙な緊張感を生んでいた。
「……お座りくださいな、冒険者様。」
スコルは一瞬、眉をひそめた。
「……スコル、だ。」
ヨハン神父は小さく頷き、たっぷりと蓄えた顎髭を撫でながら、おおらかに笑った。
「失礼失礼。――スコル殿。腰を落ち着けて、少し話そうじゃないか。」
促されるまま、スコルは扉からソファへと足を運んだ。
足の裏が浮くような、得体の知れない居心地の悪さに言葉を詰まらせたが、ひとまず用件だけを伝えた。
「アーサーなら着替えに行った。」
ヨハン神父は、何でもないことのように答える。
「分かっとるよ。この孤児院は壁が薄いからの。話し声は聞こえていた。」
少し意地が悪い、底の見えないジジイ。
それがヨハン神父に対するスコルの第一印象だった。
ヨハン神父は怪訝な目を向けるスコルに気付いたのか、ゆったりと続けた。
「アーサーが居ない間に聞きたいことがある。」
唐突な切り出しに、スコルは眉を寄せた。
「……何だ。」
ヨハン神父は、わずかに目を細めた。
「《《あれ》》を、どう思う?」
直球の質問。
あれをどう思う? それだけで、スコルは何を言わんとしているのか分かった。
事情はまだ話していない。しかし、ヨハン神父の言葉は、まるですべてを見通しているかのようだった。
スコルの警戒が顔に出ていたのか、ヨハン神父は笑って続けた。
「ふほほ、そんな顔しなさんな。……ただ、第三者からの印象を知りたかっただけなのだ。」
ヨハン神父は手を腹の辺りで組み、背もたれにゆったりと体を預けた。
「わしらは、二年間彼を見てきた。そのせいで贔屓目が出てしまう。」
小さく息を吸い、何かを思い返すように、長く息を吐き出した。
「……たった二年。されど二年。しかし、彼の全てを知らない。だから、知りたいのだ。」
その言葉に、スコルは少しも迷わず答えた。
「無計画自己犠牲死にたがり野郎。」
ヨハン神父の表情が固まった。
「……思ったより散々じゃのう。」
呆れたようなヨハン神父の表情に、スコルは少し安心した。
どこか心当たりがあるように見えたからだ。
「別に、何も考えていないわけではないと思うが……。」
ヨハン神父は庇うように言うが、スコルは間髪入れずに返した。
「俺にしちゃ無計画だ。」
その容赦ない一言に、ヨハン神父は口をつぐんだ。
そうよなぁ、とでも言いたげに、少し考えてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「目の前に危機に陥っている人間がいれば、少し、《《ほんの少し》》、自身の能力を過大評価するきらいはあったが……。」
スコルは呆れたように顔をしかめた。
「少しってレベルじゃねぇよ。」
ヨハン神父は唸り、顎髭を撫でた。
「ぐぬぬ……やはり、甘いか。」
その様子を見ても、スコルは容赦しなかった。
「甘めぇよ、あんたら。止めねぇと、下手したら死ぬぞ。」
死ぬぞ。
その一言で、和んでいた空気が張り詰めた。
スコルは構わず続ける。
「普通、自分も生きて帰る前提で計画を組むもんだ。」
スコルはアーサーの頼りない背中を思い出し、言葉を継いだ。
「……『もしも』が起きた時にどうするか。それも考えておくべきだ。そんな備えもせずに、目の前に困っている人間がいれば、ろくな策もなく飛び出す。そういうのを無計画って言うんだよ。」
ヨハン神父はスコルの言い分に、黙って耳を傾けていた。
スコルはメアリーの言葉を思い出し、続けた。
「あのシスター、シスターメアリーが言ってたぜ。アーサーについていくと決めたのは自分だってな。自分の判断も、足掻きも、間違いだったと言わないでくれ、だとよ。」
真っ直ぐにこちらを見据え、そう言い切ったメアリーの姿が脳裏に浮かぶ。
『私は、アーサーさんが教会に来てからの二年間、ずっとあの人を見てきました。……その姿を見て、私も自分にできる最大限のことをしようって、常日頃から思うんです。』
あの時、メアリーの視線は少しも揺らがなかった。
『あの人が、最大限に努力するのであれば、私もそれに倣いたい。そう、思っています。』
「……覚悟を決めたんだろうよ。それは分かる。」
スコルは苦々しく言葉をこぼした。
「だがな、覚悟がありゃどうにかなるって話じゃねぇ。あの時、引くことだってできた。なのに、シスターは残った。」
ヨハン神父は口を挟まなかった。
スコルはその沈黙を気にすることもなく、言葉を続けた。
「俺が間に合ったから、あの時間稼ぎは成立した。あの時点で、シスターも、アーサーも限界だった。……じゃあ、俺が遅れていたら?」
スコルは言葉を切った。
何も答えないヨハン神父と、視線が交わる。
「……こっからは、俺自身の考えだ。」
スコルは視線を逸らさず、言葉を継いだ。
「シスターメアリーは、成人しているとはいえ、まだ十代の、右も左も分からねぇ甘ったれたガキだ。そんなガキに、あの男は……あまりにも眩しすぎるだろうよ。」
スコルは考え込むように、視線を床へ落とした。
メアリーの言葉を聞いた時、そう思ったのだ。
「進む道を探しているうちに、火に吸い寄せられる虫みてぇに、盲目的にあいつの……アーサーの背中を追い始めている。」
スコルは静かに言葉を切った。
しばしの沈黙の後、再びヨハン神父へ視線を戻す。
「とにかく、影響が出ている。あいつの自己犠牲を盲目的に美化すんな。」
そこまで聞くと、ヨハン神父はそっと口を開いた。
「……話は分かった。耳の痛い話だの。」
そして、少し髭を撫でつける。
「年老いた者は、若者を導く道標になるべきだと、わしは常々思っておる。……しかし、導いた先にあるのが光ではなく、あの世へ誘う火だったとしたら……ぞっとする。」
ヨハン神父は背もたれから上体を起こし、少し前のめりになった。
「メアリーは、こちらでどうにかする。少し時間はかかるが、どうにかするしかないだろう。」
一拍置いて、ヨハン神父は続けた。
「少し、依頼がある。これは長期の依頼だの。」
依頼、という言葉に、スコルの視線が鋭くなる。
「……。」
ヨハン神父はその反応を見届けると、ゆっくりと口を開いた。
「それはな――」
・・・




