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王都への旅たち

王立騎士養成アカデミー。それは軍事を含む所定の学力と体力と技術そしてセンスを認められた者だけが入ることが許される学びの場。いわゆるエリートとなるための教育機関だ。兵として軍に入った場合、よっぽどの功績を上げない限り、出世はせいぜい下から数えて7番目ぐらいである。しかし、王立騎士養成アカデミーは、指揮官を目指す将来の司令官候補者の選抜を目的として作られたもので、このアカデミーに入学できるということは、この時点で貴族の爵位を得ていることになる。したがって平民、貴族、王族、種族の垣根はなくこのアカデミー内ではすべてが平等に扱われる。もちろん倍率は高い。試験全体を通して合格者は一割にも満たない。だからこそ、これに合格した者は憧れの的となり、さらなる地位と名誉を得るチャンスを与えられる。


送迎会から一週間が過ぎた、初夏の穏やかな朝。空は澄み渡り、深い群青色がどこまでも広がり、水平線では淡い水色と溶け合っていた。ルールカとエリーゼは軍服に似た学生服を身にまとった姿で海を眺めていた。アカデミーは王都にあるため、そこに向かう魔導船に乗りに来ていたのだ。


「なんであんたと一緒なわけ?」


「たまたまの偶然じゃないかしら。これも重なったら運命じゃない?」


エリーゼがいつも通りとぼけて言う。アカデミーからこの日に出航する魔導船に乗船するように通達が来たわけだが、エリーゼ以外にも学生はいる。


「知らない中じゃないから別にいいんだけど、よくもまぁ都合が合うわね。」


「相性がいいんでしょうね。私たち。」


「はぁ・・・。そうね。あんたそういうエルフだったわね。」


呆れを通り越してため息をついて、ルールカは目の前に広がる海原を眺めた。波は穏やかで、陽光を浴びてきらめく水面は、まるで無数の宝石が散りばめられたかのようだ。遠くから聞こえる波が岸辺に打ち寄せる、規則的で優しいさざめきの音は、まるで船底を優しく撫でる子守唄のようだった。風は気持ちがいいほどのさわやかさで、潮の香りと、遠くの森から運ばれてくる青々とした草木の匂いが混じり合ったそれが頬を優しく撫で、髪をそよがせるたび、微かな塩味が唇に残った。雲一つない晴天で、遠くの水平線には、空と海が溶け合うような淡い青が広がっていた。足元の砂浜は、まだ夜露を含んでひんやりとしており、一歩踏み出すたびに微かに湿った砂の感触が足の裏に伝わる。砂と塩の混ざった匂いが、旅立ちの期待と共に胸の奥をくすぐる。


「さぁ行こう。ルールカ。」


エリーゼに促されて2人並んで船の方へと歩いていく。港に接岸した魔導船から一目でわかる水夫たちが降りてきて、ルールカとエリーゼの全身をくまなく視線で確かめた。


「アカデミー証を。」


2人のアカデミー証を確認してから、無言で乗船を促した。いざ乗り込むと、魔力を動力にして航行する開発された新造船のせいか無駄な装飾はないが、全体に整備が行き届いた清潔な軍船だ。


2人が案内された船室には狭いながらも、3段重ねの寝台が左右にあり、そこには先客がいた。


「・・・こんにちは。あなた達もアカデミーですか?」


緊張と安心が混ざった顔で話しかけてきたのは、ウェーブがかかった濃い目の茶髪で少し背の低い女の子だった。毅然としたルールカとは真逆でやわらかな印象を抱いた。


「そうよ。私はルールカ・アンチュア。こっちは同郷のエリーゼ。エルフよ。あなたは?」


エルフと聞いて、女の子は少し驚いた様子だったが、すぐに自己紹介を返した。


「えっと、ミルキ・ゴーンドといいます。ルールカ様、エリーゼ様、どうぞよろしくお願いします。」


ミルキは、少し緊張しながらも、にこやかに微笑んだ。


ミルキの反対側の寝台に腰を下ろして、ルールカは柔らかい口調で言葉を重ねた。


「様はやめてほしいな。ルールカでいいよ。」


「愛をこめてエリーと呼んで。」


エリーゼのふざけた態度に、ミルキは一瞬呆気にとられたものの、すぐにふわりと笑みを浮かべた。


「ふふ、エリーゼ様は面白い方ですね。でも、ルールカ様のおっしゃる通り、私も『様』はなしで、ミルキと呼んでいただけると嬉しいです。」


彼女は相手の冗談を受け止めつつ、自分の希望も穏やかに伝えることで、場の雰囲気を和ませた。


「無視はしないでほしいんだけど、あなたがゴーンドということは。もしかしてあのブランドの?」


「はい。おっしゃる通りです。実家は武器を専門とする鍛冶屋です。」


「高ランク冒険者ご用達で有名なゴーンド・・・これから先末永く付き合っていきたいわね。」


武器を取り扱うものなら憧れと羨望の眼差しを向けるゴーンドブランド。他国でもそのブランド名は高く評価されている。いわばこの目の前にいる可愛らしい女の子は豪商、大商人、大富豪の娘となる。


口調も表情もにこやかなエリーゼだが、その内心は本音と打算の戦いが始まっていた。


「そうできたらいいですね。エルフ。エリーゼの高名は噂に聞いていますよ。」


「あら光栄ね。噂ほど頭の出来はよくなんだけれど。」


そう言ってミルキの髪の毛をすいはじめた。


船室でミルキが自己紹介を終えると、エリーゼはすぐに彼女の髪の毛に目を留めた。


「髪の毛よく手入れされているわね。」


そう言いながら、エリーゼの指がミルキの指先をそっと撫でた。


「く、くせが強くって毎日ケアしないとダメでして……」


ミルキは少し恥ずかしそうに答えた。


「それだけ大切にされているのね。女の髪は命と言うし、あ、指が少し荒れているわね。」


ミルキは「ひゃぁ!?」と小さく声を上げ、肩をすくめて身を引いた。


その顔はみるみるうちに赤くなり、視線は宙を彷徨う。


「か、鍛冶も私やってましてそれで……」


としどろもどろに言い訳を始めた。


エリーゼは、その言葉の裏にあるミルキの真摯な努力と、鍛冶仕事への義務感を瞬時に読み取った。彼女にとって、それは家業を継ぐ者としての責任感であり、同時に、その指先の荒れが、彼女がどれほど真面目に家業と向き合っているかの証でもあった。そして、エリーゼはミルキの言葉の端々から、彼女が持つ天性の社交性を感じ取っていた。初対面の相手にも臆することなく、自然と相手の心を開かせる才能。それは、書物からは決して得られない、人間関係の機微を読み解く「生きた知識」だった。


「鍛冶仕事。素晴らしいわね。家業を継ぐというのは大変なことでしょう。でも、ミルキ。あなたはそれだけじゃない。誰とでもすぐに打ち解けることができる。それは、このアカデミーで多くの人々と協力していく上で、何よりも大切な才能よ。その指先の荒れ具合は、あなたの真面目さを物語っているけれど、あなたの笑顔は、どんな武器よりも人々の心を惹きつけるわ。」


エリーゼはさらに顔を近づけ、ミルキの耳元で囁いた。その声には、相手の心を揺さぶるような計算された甘さが含まれていた。ミルキは全身を硬直させ、


「誰とでもうちとけるだなんて……耳はダです!!?」


と、ほとんど悲鳴に近い声で叫んだ。その瞳は大きく見開かれ、完全にパニック状態だったが、エリーゼの瞳の奥には、獲物を追い詰める捕食者のような、しかしどこか楽しげな光が宿っていた。彼女は、ミルキの純粋な反応を観察することで、その内面の強さと脆さを探ろうとしているかのようだった。そして、エリーゼの問いかけは、ミルキの心に深く響いた。自分の指先の荒れが、単なる恥ずかしいものではなく、家業への真摯な取り組みの証であると指摘され、同時に自身の社交性が才能であると気づかされたことで、ミルキはこれまで漠然と感じていた自身の役割と、新たな可能性を、より鮮明に意識し始めたのだ。


髪の毛からはじまり、そこから徐々に手が広がっていく。このままほっておいても面白いかな?とルールカは思ったが、そうすると本当に後戻りできなさそうな雰囲気だったので、その前にエリーゼの首根っこつかんで止めることにした。


「エリーゼ、そこまでよ。ダメよ。」


「きゃん・・・残念・・・」


解放されたはいいが息も絶え絶えのミルキにルールカは気遣って声をかける。


「大丈夫?」


「はぁはぁ・・・わたし・・・」


「エリーゼの性癖よ。気に入った子を見かけると、すぐに手をだすのよ。困ったものね。」


「・・・え?」


「大丈夫よ。私がそばにいるから。」


優しくミルキの肩に手を回して落ち着かせる。


ふと、船室のドアがゆっくりと開いた。遠慮がちに顔を出したのは、ルールカとエリーゼよりも背は同じぐらいの猫耳を生やした美少女だった。くるりとした瞳を持ち、うすい黒を帯びた髪が肩口まで伸びている。


「えっと・・・お取込み中?また後で来た方がいいかな?」


「どうぞ。入って。皆で自己紹介をしていたのだけれど、あなたも参加してくれる?」


エリーゼがさわやかな笑顔で歓迎し、美女は部屋に入ったところで自己紹介を始めた。


「ぼくはレイニです。狩人の子だよ。どうかよろしく仲良くしてね。」


美女がそう名乗った瞬間、3人の目が一斉に集まる。


「狩人・・・」


王立騎士養成アカデミーにおいて階級など関係ない。才気あふれるものなら物乞いだろうが歓迎する。それほどに才能に恵まれているのだろう。そう理解してルールカは名乗りを上げた。


「ルールカ・アンチュアよ。よろしくね。」


「アンチュア?!」


相手の名前を聞いた途端、レイニは憧れの英雄を見るように目を輝かせた。急にぎこちなくなって口をごもごもさせる。そんな様子を眺めてルールカは眉根を寄せた。


「・・・ちょっといきなり何?」


「そ、そのぼくは・・・」


レイニが覚悟を決めたように顔を上げた。


「ぼくの村が野盗に襲われたときに、アンチュア家の騎士様が助けに来てくれたんだ。だからそのえっと・・・ありがとうございました。」


「いや、わたしじゃないから。」


謝意を身体全体に表すようにして頭を下げるレイニだが、それを聞いたルールカには心辺りが見つからない。


「ならご家族の方ね。」


「あぁ・・・そういうことね。」


アンチュア家の騎士と言えば、養父に兄が2人。このなかの誰かがこの子の村を救ったのだろう。騎士としての努めを果たしたにすぎないが、助けてもらった側からしてみれば感謝の気持ちが絶えないのだろう。


こそばゆさに視線を彷徨わせるルールカにかわってエリーゼが紹介を始める。


「私はエリーゼ。ルールカと同郷よ。で、彼女はミルキ・ゴーンド。お金持ちなのに自分で鍛冶もするのよ。すごいよね。」


「ちょ、ちょっとその言い方は誤解を招きますよ・・・」


ミルキが慌てて訂正しようとするが、タチの悪いことに内容的には間違っていない、事情をよく知らないレイニはそのまま素直に受け入れた。


「なるほど。自分の武器は自分で作るか・・・うん。すごいね!」


「違いますから!」


改めて訂正も含めてミルキが自己紹介を終えると、ぐらりと足元が揺れた。船が出航したのだと察してエリーゼが指示する。


「自己紹介も終わったし、とりあえず腰を落ち着けましょうか?王都まで3日間の船旅よ。楽しみましょう。」


「そうね。じゃぁ寝台を決めて荷物をまとめますか。」


「ねぇ。ミルキ。君はどの体位が好き? うふふ・・」


「あの寝台を決める話ですよね?体位関係ないと思います。」


「一番上が良い!!」


各自の寝台に腰を落ち着かせると、再度会話が弾んだ。


出航してから半日ほどが過ぎた頃。日は沈み食事を取り就寝にはまだ早い時間帯。船旅はまだ始まったばかりだが時間を持て余すことになる。将棋をさすもの、本を読むもの、お茶を淹れるものとそれぞれ出来た暇をつぶしていく。


「かなり揺れてきましたね。窓から海面を見たんですが波がたかかったです。」


「強い風の影響を受けているみたいね。魔導船じゃなかったら思っていたよりも長い船旅になっていたかもしれないわ。」


ミルキからお茶を受け取りながら、エリーゼはルールカとレイニが対局する将棋盤に視線を向けた。


「レイニは何連敗中?」


エリーゼの問いに、レイニは将棋盤から顔を上げず、


「うっ……」


と小さく呻いた。口元は悔しそうに引き結ばれ、猫耳がぴくりと震えている。


「もう……数えるのも嫌になるくらいです……」


と、消え入りそうな声で呟いた。その瞳には、負けず嫌いな光が宿っていた。


「返す言葉がないほどに負けているのね。でも、将棋の強さイコール指揮官の才覚ってわけじゃないわ。」


フォローをいれるエリーゼの言葉に、ルールカが乗っかってきた。


「そういえば、アカデミーじゃあ将棋差しながら、他の授業を受けるらしいんだけど、なにか意味あるの?」


「司令官ともなれば、2つ3つの仕事を同時にこなせないようならキャパオーバーで潰れるだけでしょ。」


のんびりと茶をすすりながらエリーゼは続ける。


「同時処理の能力を養うにはいいと思うけど、どうせなら目隠しした方がいいわ。」


「・・・なんで?」


「将棋を戦争に当てはめるなら、盤上が戦場になる。実際に戦うときに空の上からの視点で戦場を見渡せる?」


「・・・無理ね。敵部隊の動きは推測するしかない場合がほとんどだわ。味方にしたって指示通りに動いてくれない可能性がある。」


「そう。敵と味方の位置情報から把握するところから戦いが始まっている。そのために必要なのはイメージ力。目隠しでそれが鍛えられるとは言い切れないけど、想像力の盤上を頭の中に描くことは出来る。そうすることで初めて盤の上で兵の動きがイメージでき・・・」


すらすらとした見解を述べていたエリーゼの言葉が、突然、船体を襲った激震によって遮られた。それは、これまでの穏やかな揺れとは明らかに異なる、まるで巨大な何かに船底から突き上げられたかのような、全身を貫くような衝撃だった。船全体が悲鳴を上げ、4人は全員、座っていた椅子から投げ出されるように体制を崩した。船底からは、木材が軋み、水が噴き出すような不穏な音が響き渡り、甲板を叩きつける雨粒の音は、まるで嵐の到来を告げるかのように激しさを増していく。


「…なに?」


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