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セイギとルールカ

シルヴィ王女率いる近衛騎士団が、元鉱山基地を目指して南下し始めたという報がセイギの元にもたらされた。彼女らをこのまま帰すわけにはいかない。待ち伏せして、そこで攻勢をかけるつもりだ。


セイギは地図を広げ、指で一点を指し示す。


「ここだ。クタの集落から南へ進むと、この岩石地帯に入る。ここを戦場とする。」


セイギの指が地図上の一点を指し示す。カイが地図を覗き込み、眉をひそめた。


「岩石地帯ですか……。」


緑の色合いが減り、砂と石の地面が目立ち始める。足音は乾いた砂を踏みしめる鈍い音に変わり、馬蹄を打ち砕くような黒い礫と、人の背丈ほどもある尖った岩塊がざらにある。そこはまさに、生命の気配すら感じさせない不毛の地、世界の終焉を告げるかのような荒野だった。空は常に鉛色に淀み、太陽の光さえも届かないかのような陰鬱な雰囲気が漂っている。遠くに見える岩山は、まるで巨大な怪物が横たわっているかのようで、その威圧感が兵士たちの心を重く圧し潰す。風の乾いた摩擦音だけが響く、荒涼とした場所……岩の隙間を吹き抜ける風が、まるで亡霊の囁きのように耳元を撫でる。


ハリーが不安げに周囲を見回す。


「……ここで待ち伏せですか?」


その言葉と共に、ハリーの足元からは、灼熱の鉄板を踏みしめるかのような、岩のざらついた感触が伝わってきた。乾いた風が頬を撫で、土埃と焦げ付くような石の匂いが鼻腔を刺激する。まるで火薬と硫黄が混じり合ったような、鼻の奥をツンと刺す匂いが、戦場の到来を告げているかのようだ。兵士たちの顔には、すでに疲労の色が濃く浮かんでいた。


この光景を前にして、不安気にハリーが言う。その隣で、カイが力なく首を横に振った。


「無理だな。ここには何もない。水も食料も節約して七日分がせいぜいだ。補給の目途が立ってないのにここで待ち伏せなんて自滅行為だ。」


明らかな正論だった。ハリーが岩に腰を下ろす。


「じゅあ、どうするのよぅ・・・」


その問いにカイは黙りこみ、セイギに視線を送る。彼らの長い沈黙の後に、


「来た。」


じっと静観を決め込んでいたセイギが、そこに待っていた待ち人がやって来るのを見つけて声を上げた。


その声で、ハリーとカイが一斉にセイギが見ている方向に振り向くと、その視線の先で馬に乗った兵士達が岩場に手こずりながらも進んでくるのが見えた。やがて彼らはセイギたちの前までやって来る。


「報告します。ヒオレド大佐からの伝令です。セイギ中佐にお目通りを願いたく。」


名指しされたセイギが応対に前に出る。


「早速で悪いんだけれど、状況を詳しく教えてくれる?」


「はっ。シルヴィ王女率いる近衛騎士団をこの地に追い込む形で進軍を開始しております。兵数は五千ほどで駆け付けられることでしょう。」


そう聞いてセイギは、


「いつぐらいに到着予定だい?」


「シルヴィ王女率いる近衛騎士団にもよりますが、おそらくは6日後には。」


その数字を聞いて、セイギは思案顔になる。


「シルヴィ王女率いる近衛騎士団が明後日にはこの場所に来るとして、援軍は4日後だね?」


「そのようですね。申し訳ありませんが、私の立場からではこれ以上の情報がありません。」


「わかりました。六日後にお待ちしております。」


セイギは毅然と応えて、地図を広げて見せる。


「大佐に伝えてほしい。僕たちはこの辺りで陣を敷いて、そこでシルヴィ王女率いる近衛騎士団を迎い撃ちながら援軍の到着を待つ。陣地の正確な位置まではまだ決めてないから指定できないけれど、三日後から狼煙を焚いておくからそこを目指してほしい。大佐はそれを見て全速力で駆け付ける。そういう段取りでいいかな?」


「はっ。承りました。」


伝令兵が了承したことを見て、セイギは懐から紙を取り出し、何やら書き込んだ。それを伝令兵に渡す。


「くれぐれも全速力でお願いしますよ。と、ヒオレド大佐にこのメモと一緒に伝えてほしい。」


「承知いたしました。ヒオレド大佐にお伝えします。」


「うん。よろしく。」


伝令兵からの報告は、まるで蜃気楼のように掴みどころのない幻影を語るかのようだった。あるいは、遠い昔の夢の残滓のように、現実味のない響きを帯びていた。


「ヒオレド大佐の援軍は五千人。到着は早くても六日後かと……」


セイギは地図を広げ、指で一点を指し示す。


「ここだ。クタの集落から南へ進むと、この岩石地帯に入る。ここを戦場とする。」


その言葉の裏で、彼の瞳には誰も読み取れない深謀遠慮の光が宿っていた。伝令兵に渡されたメモには、表面上は援軍の要請が記されていたが、その隅には微かな筆跡で「偽装」とだけ書き添えられていた。伝令兵が去った後、セイギは夜空を見上げ、苦笑気味に呟く。


「四日間で勝敗を決しろというわけですね……。いや、四日間で全てを欺き、勝利を掴む、か。」


彼の言葉は、風に乗り、岩石地帯の奥深くへと消えていった。


そんな彼にハリーとカイが心配して声をかけてきた。


「し、凌げるのですか?」


ハリーが震える声で尋ねた。


「本気なのか?4日間守り切ればいいわけだが、あのルールカというサキュバスがいるんだぞ……」


カイもまた、不安を隠せない様子で続いた。


2人の不安をなだめるようにして、セイギは両手を挙げて見せる。


「まぁ。落ち着こうか。この岩石地帯に誘導してくれるのは非常に有難いことだよ。騎獣部隊の攻撃に身を隠すところはいっぱいあるからね。平原で真っ向から勝負するよりは勝率は遥かに高いよ。」


「そうだとしてもだ。向うの方が数が多いんだぞ!」


カイが食い下がった。元鉱山基地からの兵に増援を足しても500がせいぜい大隊1部隊。対するシルヴィ王女率いる近衛騎士団は700強と聞いている。


カイの懸念にセイギは首を横に振って見せる。


「ハリーにカイ。僕はここを戦場の地だと決めたけれど、陣地はまだ決まってないんだよ。どう戦うにしろまずは有利なところを探そう。」


そう告げた上でセイギは地図に視線を移した。


「進軍を再開させよう。岩石地帯に入ったといっても、さらに奥にいけば地形はより複雑さを増すはずさ。地平線まで続くかのような灰色の岩の連なりは、まるで巨大な獣の背骨のようだ。防衛戦に向いた調度良いところがあるはずだよ。」


*****************************************


ヒオレド大佐に追われる形で南下を進めているシルヴィ王女率いる近衛騎士団もまた、騎獣部隊から報告を受けている。敵勢力が待ち伏せしていることを。


「どうやら向こうは岩石地帯に待ち構えているようだな?迂回でもするか?」


「わざわざヒオレド大佐の軍が誘導しているのです。誘いに乗るしかないのでしょうね。」


シルヴィ王女と言葉を交わしつつ、エリーゼは相手の行動について思索を巡らせる。どう待ち伏せしているのか?が、伝令兵から次の報告を持たされて一旦、思索を止める。


「報告したします。南西六キロの地点に敵陣を確認。」


敵の現在地を目指して、歩きづらい岩石地帯の中、エリーゼは慎重に軍を進めていく。頃合いを見て、戦闘機を借りて、彼女はそこから敵勢力の現状を眺めた。


見渡す限り岩だらけの周囲一帯の中でも、さらに特徴的な地形がそこにあった。まず、広範囲に亘って盛り上がった岩場が、大きな灰色の丘を形作っている。それもひとつではなく、互いの距離を開けずに、同じような隆起がいくつも並んでいた。大勢の兵士達が、その上や周りを忙しなく動き回っているのが見て取れる。しばらく観察した後、エリーゼは口を開いた。


「突出した岩場が密集している場所を選んで、その上と合間に兵を入れることで防御陣地としているのね。恐らく岩場の上には狙撃兵が配置済み、全周からの攻撃に対して迎撃態勢を取っていると見るべきでしょうね。兵達が身を潜めて、岩の影、窪地を最大限に利用して・・・岩にも細工を施している、か・・・」


「しかし、これなら戦闘機で空から攻撃を仕掛ければ、簡単に敵兵を殲滅できるのでは?」


戦闘機を操縦している騎獣部隊の兵がそう言うと、エリーゼは首を横に振って見せる。


「多分だめね。岩石に邪魔されて効果的な射撃は出来ないわ。何度も旋回しなくちゃならないし、そのうち撃ち落とされるわね。それに煙幕を向こうは張って来るはず。風向きはこちら側に向いているから上空からの目隠しになって、同時に高い位置からの射撃も無効にしてくるはずよ。」


「え?煙幕だけならその下に潜ればいいのでは?」


「そうなると低空飛行になって狙われやすくなる。それに動力内部に混入した場合、飛行が出来なくなる可能性があるのよ。まぁ長時間吸い込んだ場合なんだけどね。いずれにしろ、戦闘機は偵察に専念してもらうほかないわね。」


眼前の光景を眺めながら、エリーゼは鋭く分析する。


「わかる範囲だけだけれど、それぞれの岩場の形がばらつきがありすぎて、登りづらいところもあれば、緩すぎるところもある。ある程度、細工してそこに誘きよせる・・・最終的には兵を回すことで臨機応変といったとこかしら。」


この地形による強みと弱みを読み取って口にする。視界に映る光景からエリーゼは敵の防衛力を見積もっていく。


「自然の要塞を構築するには、まだ時間が十分に足りない。と、なると向こうは時間稼ぎが目的といったところね・・・」


現状をそう見てとって把握すると、エリーゼは部隊に戻った。


「部隊を4つに編成するわ。ルールカを隊長に騎兵隊100。西から攻勢をかけて。リナを隊長にトルイ・タフィ騎兵隊150。東から攻勢をかけなさい。レイニを隊長に歩兵部隊200。南から私たちの前から攻める。残りはシルヴィ王女護衛兼歩兵部隊よ。岩石地帯が戦場になります。相手は潜伏して、偽装したりして待ち伏せているはずよ。考動は慎重に。行動は速やかに。指示は追って伝えます。」


その指示に頷くと、隊長となる3人はすぐに周りの部下を呼び集める。細かい采配を任せることにする。現場での即断、即決がこの戦場では不可欠な要素になるはずだ。


エリーゼは軽く溜息を零す。今回の相手はセイギ中佐だろうと見当がついていた。勝っても負けても、シルヴィ王女が無事ならこちらは問題ない。出来るだけ犠牲は少なくしたいが、どうせやるのなら勝利を目指すのみ。ただ向うのセイギ中佐の思惑がわからない。元鉱山基地の件もあるのだろうけど、シルヴィ王女率いる近衛騎士団に勝利して戦功をあげたい。といった野心じみたそういった雰囲気は感じなかったが、何か目的があるのは察することはできるが、果たして個人的なことなのか?はたまた、暗躍じみたことなのか?兵達の動きを観察しながらそんなことを考えていた。


****************************************


せり出した岩場が庇となって形作る、浅く広い洞窟の中。セイギ中佐率いる増援を加えた大隊に含まれる隊長たちが整然と肩を並べていた。


「戦い方を説明しようか。」


総指揮を務めるセイギがそう口火を切った。


「僕たちは今、全軍を率いて岩石地帯に入って、防衛戦に向いた岩場を選んで兵を配置している。大きな岩場が距離を開けずに密集した拠点。これを見てくれ。」


指示された机の代わりにされた岩に、8つの小さな岩が防衛陣地に見立てて置かれている。


「見ての通り、この防衛拠点は8つの岩場から構成されている。中心に3つ。それを囲い込む形で5つ、計8つだ。僕たちはそれぞれの岩場に部隊を配置したうえで、他の岩場の仲間と連携しつつ、援軍の到着までシルヴィ率いる近衛騎士団を足止めする。ここまではいいね?」


目を向けて確認する。問題視する者はいなかったので、話を進める。


「各岩場に名前が書いてあるのは、そのまま君たちが配属される岩場だ。隣の岩場を誰が守っているのかそれぞれ把握しておくように。さて、今僕たちが居るのがここ。8つの岩場の中心部だ。奥まった位置にある上に、外周の大半が切り立った崖になっているので攻められづらい。加えてこの場所、大きく窪んだ岩場の中に身を隠せるから、司令部を置く場所としてはふさわしい。言うまでもなく。ここを落とされれば終わり。その右隣にある岩場も直接司令部の盾になり、東側からの攻勢に対する迎撃の要にもなる。ここが落とされてしまうと、全体の陥落は時間の問題になるので重要な拠点。」


隊長達がくいるようにして見ている側で、セイギは言葉を続ける。


「で、中心の最後にあたるここは、岩場の体積としては一番小さいけれど、ここもさきほど同様重要な拠点になる。司令部の盾になると同時に、南側からの援護に向かえる。ここも当然堕とされるわけにはいかない。」


中心の3つの岩場が最重要と、念を押してからセイギは周りに視線を移す。


「中心の3つを守る形で君たちには行動を起こしてもらいたい。相手がどう攻めてくるのかによっても、変わって来るからね。臨機応変に対応してもらいたい。」


セイギは外周の5つの岩をちょんちょんと触って


「つまり、任された岩場を可能な限り守ることによって、中心の3つも同時に守ることに繋がる。そうして援軍が来る四日後まで、部隊全体の交戦継続維持を保ち、それで僕たちが勝つ。シルヴィ王女率いる近衛騎士団が700強に対して、僕たちは500。拠点を守りに徹すれば防衛は十分可能なはず。空からの騎獣部隊の心配はいらないよ。各岩場で煙幕を放てば、視界を遮断できる。もちろん敵軍にも及ぶから脅威にはならない。」


そう言いきって、セイギは正面から隊長達と向き直る。


「この戦いの勝利によって、サマールルがキラエルに対して優位に戦局が傾くだろう。だってあの戦乙女に勝つんだよ。勢いがつくさ。そのことを踏まえて君たちに1つ聞いてもらいたいことがある。いいかい。僕たちはシルヴィ王女の命を奪ってはいけない。彼女を捕獲することが最大の目的だ。彼女を通してキラエルに揺さぶりをかける。間違っても殺したらダメだよ。そんなことしたら、逆にキラエルが敵討ちとか言って、奮い立ってしまうからね。だからさ、四日間守り抜いて、援軍で彼女たちを包囲して、投稿を促すんだ。いいいかな?」


強い意志を瞳に宿して、セイギは言い切った。防御という手段を用いて、より大きな勝利を勝ち取る。この戦いの意図をはっきりと示すことで、彼らの士気に火を灯す。


「現時刻をもって作戦を開始する。総員行動開始!」


「「「「はっ」」」」


*****************************************


午前6時過ぎ、エリーゼの予想通り各岩場から煙幕がもうもうと立ち込め、岩石地帯は煙に覆われた。と、同時にルールカ隊が動き出した。彼女たちが跨るのは、ダッチという冒険者御用立ちの魔獣だった。ダッチは長距離をものともせず、継続速度は馬よりも早い。乗り心地は最悪ではあるが、どんな悪路でもその2本の足で走破できる。その二本の強靭な脚は、荒々しい岩石地帯の不規則な足場をものともせず、まるで平地を駆けるかのように軽やかに地面を蹴り上げた。急峻な斜面も、鋭利な岩の連なりも、ダッチにとっては障害ではなかった。その姿は、岩の海を滑るように進む、まさに荒野を駆ける風のような「冒険者の友」と呼ぶにふさわしかった。あるいは、旅人の足元を照らす北極星のように、彼らを導く存在だった。その機動力は、まるで岩石地帯を縫うように疾走する稲妻のようだった。


ルールカ隊は基本的にダッチの確保を目的にして捕まえては、チャームによって従わせて部隊全員分を確保したら、トルイ・タフィの部隊にも協力した。


おかげで軍馬ではないが騎兵としての格好はついたが、いかんせん乗り慣れない為にほとんどの兵が乗りこなすために時間を割くことになった。そのおかげもあってか、長い時間接しているうちにチャームなしでもダッチは懐き次第に兵達も乗りこなすことができるようになった。


「総員、前進」


淡々とルールカの声が響く。足場が悪い中でも騎兵隊は隊列を乱さず行進し、西側に敵陣営との間合いを詰めていく。


一見してダッチという鳥型の魔獣に跨っているというのもあるのだが、ルールカ以外の兵達は片手に盾を持っている。彼らは盾を構えて敵陣にへと一歩一歩近づいていく。


「前列!もっと屈め!」


その命令に騎兵たちは身を低くして盾に隠れるようにして身を縮める。


「武器を構え!」


一斉に各々が得意とする武器を構える。騎兵達が手にするのは、剣、槍、魔装銃、ハンドガン、魔反動砲と様々だ。


騎兵隊の動きに敵も気づいたようで、目の前の岩場から魔装銃を差し出してきた。迂闊に姿を晒せば撃たれることを恐れた敵兵達は、頭を下げて岩場に隠れる。


高所からの優位性と煙幕による視界不良によって余裕がある敵側とは裏腹に、ルールカは動じることなく指示を下す。


「全軍!突撃!」


命じられた騎兵隊が岩場に向かって全速力で向かっていく。岩石地帯の攻防戦が幕を開けた。


*****************************************


「―――ハック隊長から報告。鳥型の魔獣に跨った騎兵隊と交戦を開始します。規模は100。盾を持って乗り込んでくると推察されるとのことです。」


通信を受け取った通信兵が状況を報告する。司令部でそれを受けつつ、セイギは張り詰めた面持ちで腕を組んだ。


「・・・予想通りハック隊長の方面から攻めて来たか、それはいい。だけど鳥型?」


「冒険者が愛用する鳥型の魔獣のことでは?」


隣りに立つハリーがその知識を伝える。


「どんな魔獣なんだい?」


「非常に乗り心地が悪いとしか・・・」


「ふ〜ん。一見して威力偵察に思えるけれど、それはないはず。こっちの目論見は知れているわけだから、時間をかけて今更探りを入れる意味がない。かといって騎兵隊であの岩場は登り切れないだろうしね・・・」


「陽動ということですか?」


想定的ながらも相手の行動をそう判断を下して、セイギは通信兵に声をかける。


「ラニック隊長、ドンバ隊長に警戒を促してくれ。隣が攻められているからといって、意識をそっちに持っていくなよ。向こうはそれを狙っている可能性がある。まだ始まったばかりだ。持ち場を守り切ることに専念しろとね。」


「はっ!」


内容を復唱した上で、通信兵は通信を飛ばす。と、すぐ後に通信に別の通信が入った。


「バリンツ隊長、ワンゴ隊長も交戦開始するとのこと。バリンツ隊長も銃撃戦、ワンゴ隊長は鳥型の騎兵隊です。敵の規模はそれぞれ100ほど。」


追加されていく情報の中で頭の中でイメージしつつ、セイギは考え込んだ。


「東に南と三方向から来たか・・・これですでに向こうは半数の兵力を当ててきている。」


「カイには知らせなくっていいの?これも陽動かもしれないけれど・・・」


「カイなら言われるまでもなく勝手に動くさ。相手もいきなり中心地に突っ込んできたりはしないはずだよ。いざとなればこちらからも兵を送り出せるしね。」


東側の心配はしてなかった。カイ騎兵隊長の信頼は確かなものだ。


「となると・・・騎兵隊がきな臭いね。どう考えても騎兵が活躍できる地形ではないはず。」


ここにきてサマールルに冒険者が少ないことによる弊害が露わになる。セイギは漠然とした危機感を感じて、無意識に爪を噛んだ。


視界が悪い中でも、 一切の躊躇いもなく岩をその二本足で蹴り上げて、ジャンプしながら登るダッチに跨った騎兵隊の視線は確かに岩石に陣取る敵を確かに見据えていた。


「総員!やつら魔獣に跨ったまま攻めてくるぞ!直ちに防戦しろ!!」


顔を青ざめさせてハック隊長が叫ぶ。まさかこんな形で登ってくるとは夢にも思っていなかった。兵士たちの間には、ざわめきと共に恐怖が伝播する。次の瞬間、彼らの口から悲鳴のような報告がもたらされた。


「き、来ます!もうすぐです!!」


岩壁の向こうから、不気味な影が蠢く。二本足の魔獣ダッチの影、そしてその背に跨る騎兵隊の姿を見たハック隊長が、血走った目で声を張り上げた。


「撃て!撃て!撃て!」


魔装銃の乾いた雷鳴のような炸裂音が一斉に響き渡り、岩石を登り切った騎兵隊に嵐のような鉛色の雹のような弾雨が降り注ぐ。あるいは、無数の蜂が群がるかのような弾丸の嵐が襲いかかった。しかし、そのほとんどは分厚い壁にぶつかる石のような鈍い音を立てて構えられた盾で防ぎきられ、兵士たちの心には灼熱の砂漠を彷徨うかのような、じりじりと焼ける焦燥感が募る。あるいは、燃え盛る火種が胸の奥で燻るような焦燥感に苛まれた。その焦燥は、まるで底なし沼のように兵士たちの精神を蝕んでいく。そうこうしている内に、次々と騎兵隊が岩場を駆けあがって来た。夜空に咲く花火のように散る銃火の閃光が、兵士たちの顔を死人のように青白く照らし出し、恐怖と疲労の色を際立たせる。舞い上がる土煙は亡霊のように戦場を覆い、盾に刻まれた無数の弾痕が、血と汗の激しい戦いを物語っていた。


「「「うぉおおおおおお!!」」」


大地を震わせる轟音のような雄叫びと共に、迎撃の弾幕を盾で受け止めきった騎兵達が津波のように荒々しい勢いで陣地に雪崩れ込んで来る。もはや魔装銃の射程が意味をなさない間合いで白兵戦が始まった。金属が悲鳴を上げるような甲高い音が響き、生臭い血の匂いが死の香りのように風に乗って鼻腔を刺激する。防御の遅れた兵士たちが為す術もなく刃に、魔弾にかかり次々と倒れていく。灼熱の炉のように熱を帯びた岩肌を蹴り上げ、侵入を果たした騎兵隊はますます燃え盛る炎のように勢いついて陣地の奥へ食い込んでいく。


「怯むな!押し返せ!態勢を立て直すんだ!!」


焦りに駆られたハック隊長が叫ぶ。このままでは総崩れになる。そう確信を抱いた彼は、努めて冷静になって戦況を把握しようと努める。


「総員!撤退だ!防御拠点はここだけではない!速やかに逃げろ!」


その命令は、兵士たちの耳に、地獄の底から響く救いの声のように届いた。彼らの顔に、明らかな安堵の表情が浮かぶ。限られた兵力、ここを放棄したところでまだ立て直せる。確かにそれは正しい選択だっただろう。


上官の命令に従って、速やかに兵士たちが行動を起こす。しかし、その中の何人かが逃走する方向とは別の方向に目を奪われた。およそ人間の動きとは思えない速度で疾走し駆け抜ける、ピンクプラチナの髪が靡くその姿に。


「……なんだあれは?!」


一人の兵士が呆然と呟く。その隣の兵士が、恐怖に引きつった声で叫んだ。


「どうした!?早く逃げろよ!」


だが、その声は届かない。目を奪われた者たちの首から鮮血が舞い、倒れ込む兵士を飛び越えて、ピンクプラチナの髪が絶望の兆しを纏って舞い踊る。翻る二本の剣。舞い散る血が幻想的な光景を彩る。


「―――」


「ひっ」


「あ……」


兵士たちの最後の声が重なる。サマールルの兵士たちの中に、この刹那的な美の意味を理解しているものはいない。恐慌をきたす彼らの目前で、ルールカは妖艶に嗤う。その笑みは、彼らの魂を凍てつかせるほどに残酷だった。


「疾っ!」


2本の剣が疾風と共に吹き抜ける。兵士達が一心不乱に打ち出した魔弾を剣で一刀両断してみせ、反す剣で無慈悲に命を絶ち切っていく。散り際の花が風に吹かれて舞う。その光景を愉しむ乙女のようにルールカは剣を振るい続けた。


敵陣の真っただ中を斬り進む、彼女の斬撃を誰も止める者はいなかった。


ルールカが気づいた頃にはもう全てが終わっていた。周りを見渡せば死屍累々。ここの防衛拠点を奪い取った。


「ダメだ!ハリー」


部下たちを連れてハック隊長の応援に向かおうとする彼女だが、セイギはそれを断固として押しとどめた。双眼鏡を覗きこんだまま、温度のない声で彼は続ける。


「もう手遅れだ・・・陥落している。」


開戦からわずか一時間もかからずに、ただそれだけの間にもたらされた結果だった。ハリーは声もなくその場に立ち尽くし、セイギは周りの通信兵に命令を出し続ける。


「ラニック隊、ドンバ隊に伝達、撤退してくる味方を掩護、回収して。ハック隊への支援はいらない。すでに陥落した。繰り返す、ハック隊は陥落。」


司令部から告げられる凶報が重く響き渡る。事実を伝え終わると、セイギは椅子に腰を下ろし、ため息をついて額を押さえた。


「・・・ダッチという魔獣を知らな過ぎた。」


「・・・」


「我々は騎兵を「馬に乗った兵士」と定義し、岩石地帯ではその機動力が失われると判断した。しかし、ダッチは馬ではない。その強靭な脚力と、岩を掴むかのような蹄は、垂直に近い岩壁すらも踏破する。それは、我々の常識を根底から覆す、まさに「冒険者の友」だった。まいったね。」


冒険者が愛用していることはセイギも知ってはいたが、魔獣で、乗り心地が悪いから軍に採用されていないものだと思っていた。灯台もと暗しとはまさにこのことだった。ダッチという魔獣が岩石地帯をものともせずに騎兵としての役割を果たし、こちらの度肝を抜いて、しかも大幅に戦力を削ってくれたわけだ。いい勉強になった・・・


「これがシルヴィ王女率いる近衛騎士団だ。冒険者の知識も戦争では重要なことだと、そのことをこの一時間の間に痛烈に叩き込まれた思いだよ。」


独りごちる彼の口元には苦笑が浮かんでいた。瞼を閉じて数秒、思考を整理し、切り替えてセイギは命令を下す。


「ハリー。ラニック隊、ドンバ隊に狙撃兵を回して、占領された防衛拠点に威圧をかけてくれ。向うの兵を落ち着かせるな。」


状況への対処を済ませると、すでに奪われた防衛拠点を眺めて、セイギは呟く。


「さすがだね。ルールカ。でも負けないよ。」


ルールカ隊が奪取に成功し、次に狙うのはそこから見下ろせる位置にある北西にある防衛拠点だった。この位置からなら魔装銃の射線が煙幕があろうともダイレクトに通るからだ。とはいえ南西からも防衛拠点からもルールカ隊を見下ろせるので、防戦一方には回らない。従って、ルールカ隊を挟んだ形で銃撃戦を交わす戦況となった。


それと並行して、東、南側でも持続的な攻撃が行われていた。レイニ隊は魔装銃による銃撃戦が中心で、消耗戦を狙ったものである。まだ敵軍に余力がある現時点でリスクは侵さず、兵の疲労と補給品の損耗を促している。リナ隊は騎兵の機動力を屈指していたが、ダッチの走破性を知られたことによって警戒感が増し、突破口を見いだせずにいた。


「弾を節約しろ!相手との距離が遠い間は撃つな!いざというときに魔力が足りなくなるぞ!」


東、南側を支援するカイ騎兵隊長は、もちろん敵の狙いをわきまえていた。だが、それでも神経戦が続くことは避けられなかった。煙幕に覆われた視界の中、兵士たちは常に耳を澄ませ、微かな物音にも過敏に反応する。敵の行動が消耗狙いの嫌がらせなのか、本気で突撃に出てくるのか、はたまた陽動なのか、彼らは判断に迷う。煙幕を張り優位に立ったつもりが、向こうは光や音を巧みに使って、移動、突入、離脱といった隠蔽効果を最大限に引き出し、兵士たちは完全に疑心暗鬼に囚われていた。遠くで響く魔獣の咆哮は、地獄の底から響く呪詛のように兵士たちの耳に不気味にこだまし、緊張感を一層煽る。乾いた砂利を踏みしめる微かな足音は、死神の足音のようにいつの間にかすぐそこに迫っているかのような錯覚を生み出し、彼らの心臓は狂った時計のように不規則なリズムで脈打っていた。


「ちっ……こっちがやりたかったことを向こうはそっくりそのまま使ってきやがる!」


カイ騎兵隊長は怒りとともに吐き出す。たった一時間で防衛拠点が堕とされたという事実は、兵士たちの心理に大きな暗闇を空けてしまい、その隙をつかれた形だった。彼らの顔には、疲労と、いつ襲い来るかわからない敵への恐怖が色濃く浮かんでいる。


「上等だ!来るなら来いや!やってやるぜ!」


カイの怒声は、兵士たちの不安を一時的にかき消す。しかし、戦いは日が暮れるまで続けられ、ハック隊が陥落してから日没までの間、近衛騎士団が本格的な攻勢に出てくることはなかった。それでいて、今にも突撃に移るかのような陽動はずっと続けられ、セイギ隊の兵士たちを存分に苦しめた。彼らは、いつ終わるとも知れない緊張と疲労の淵に沈んでいく。


徐々に暗闇が満ちる空の下、セイギは食事も摂らずに思考を巡らせていたが、兵士たちの間には、絶望にも似た重苦しい空気が漂っていた。硝煙と血の匂いが混じり合った湿った空気が肺を満たし、遠くで響く銃声が、彼らの疲弊した心臓を直接叩くように感じられた。その空気は、まるで死の帳のように重く、兵士たちの肌にまとわりつく。


「奪還しましょう。セイギ中佐!置かれている兵の数はそう多くはありません。ラニック隊の援護があれば十分に可能です。」


その夜、敵に思うままに翻弄され続けた隊長達がそんな提案をセイギに持ち掛けた。が、セイギは首を振る。


「・・・ダメだ。奪い返したところで兵が足りない。陥落した時点で50人近くも戦死しているんだ。その分を他の防衛拠点から回したところで全体の防御力が下がるだけ。」


「しかし、このままでは、ドンバ隊が守る防衛拠点を守り切れません。明日には陥落する恐れが・・・」


「そうならないようにハリーを向かわせているんだ。少なくとも今夜は安心してもらっていい。戦況がどう転ぼうとも後3日だ。そこまで耐えてほしい。」


不安気な顔を並べる隊長達に向かって、セイギは力強く言い切った。そして、その言葉に応えるようにしてハルー隊が活躍した。


「静かに・・・狙え・・・撃て。」


西側の防衛拠点では、ハリー自ら指揮を執り、鍛え上げた部下ともども、陥落された拠点周辺の魔獣を闇夜に紛れて次々と討ちぬいていた。


同じ魔装銃を使う味方でも射撃の腕の練度が違った。射撃、砲撃でも戦い方に長けた彼女らは少数精鋭ながらも奇襲戦を繰り返していた。


「ガァ・・」


「クェ!」


ダッチ達が次々とその命を堕としていく。セイギからの指示で、ハリー隊は、騎兵隊の足を集中的に潰していく。


「・・・」


次の狙いを探して、ハリーは暗闇に紛れる。


*****************************************


「どうも、ダッチが狙われているようだな。」


南の防衛拠点から離れた野営地から双眼鏡越しに眺めて、シルヴィ王女はそう呟く。その内容は、隣にいるエリーゼにむけたものだった。


「無理もないか。高低差がある岩場を苦も無く登っていくダッチに脅威を感じないはずがない。兵に死傷者が出てないことを想えば、まだいい方か。」


シルヴィ王女の話を聞いた上で、エリーゼは


「ダッチが狙われているのは、ルールカに対する警戒ですね。彼女の速度を減速させることで、実質的な時間稼ぎができるからです。ルールカとまともに立ち会える戦力が向こうにはない。ということですね。」


シルヴィ王女はそこで息を飲む。戦争というものは集団であり、たった一人に対して重圧を感じることなど、彼女の常識から外れていた。


「ルールカはそれほどか・・・では、どうする?このままダッチを殺されるのを見ているだけか?」


「むざむざと戦力を失うわけにはいきませんよ。もとよりこのつもりだったんですが、あっちが先に奇襲をかけてくるのならこちらも問答無用で行きます。昼も夜も敵に休息を許すつもりはありません。」


そう言い切って、彼女は部下を呼び出した。


ハリー隊がその姿を消したその頃合いに、レイニ隊の面々が行動を開始した。


「前進。」


レイニの声が闇の中に響く。ルールカが奪取した防衛拠点から北西に位置する陣地に100の部隊が間合いを詰めていく。射程距離圏内に入ったところで足を止めて、


「魔装銃、構え。」


身を低くして一斉に武器を構えた。兵士達が敵陣を見据えて並ぶ。


彼らの動きに敵側も気づいたと見えて、次々と敵兵が現れる。


「射撃!撃て!!」


そんな彼らに動じることなくレイニは命令を下す。不気味なほど静かに命じられた兵達は引き金を引く。


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北西に陣どる敵兵達は夜間にも関わらず安定した応戦を続けていた。


「撃て!こちらはすでに防衛拠点を1つ奪われているのだ。絶対に死守だ!撃ち殺せ!」


指揮下を務めるドンバ隊長の声が響き渡る。すでに司令部には連絡済みだ。戦闘開始から20分が経過していたが、銃撃による負傷者は0。高所に陣取った上で岩を盾にしながら戦っている彼らは、下からの射撃に対して身の安全が保障されている。


「こちらも射撃開始!」


その恩恵は、岩場の下で戦っている兵士達にも届いていた。高所の利を持たない代わりに、高所からの援護射撃が届けられる。それぞれの岩場で隠れつ撃つ。敵が突っ込んで来たら後退して距離を保ち、深く入ってきた敵兵には、高所の味方と協力して激しい銃撃を放つ。


こうした戦い方を続けている限り、彼らの損害は最小限に抑えられる。相手側が一方的に消耗していくだけだ。


「・・・攻め方がぬるいな。」


司令部で戦況を見守るセイギは、夜間の攻勢が昼間とは打って変わって緩慢であることに違和感を覚えていた。シルヴィ王女率いる近衛騎士団がこの程度の攻撃で終わるはずがない。何らかの奇策を企んでいると直感する。


「・・・いいさ!どんな奇策でこようとも、その時はその時だ!」


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南の防衛拠点から離れた野営地で双眼鏡を覗くエリーゼは、セイギ隊の防衛が予想以上に堅固であることに舌打ちした。


「くそ……。やはりあの男、一筋縄ではいかないか・・・」


昼間の猛攻で疲弊しているはずの敵兵が、夜になってもなお粘り強く抵抗を続けている。特に、ドンバ隊長の指揮する北西の拠点の守りは異常なほどだった。


「まぁいいわ……。」


エリーゼの脳裏に、ある作戦がレイニにすでに伝えられてある。それは、敵の目を欺き、一気に戦況をひっくり返すための、大胆な一手だった。彼女は静かに部下を呼び出した。


ドンバ隊長とハック隊長は、長い付き合いだった。彼の敵討ちもあって、奮闘するだけの理由がある。戦場で数々の視線を乗り越えて、そのたびに酒を酌み交わして生を喜び合った戦友だった。そうやって彼の事を思い浮かべながら、敵の方向に視線を投げ飛ばして、ふと違和感を覚えた。


「なんだ・・・?なにかがおかしい・・・?」


目に映るのは、目くらましの魔弾を放つ敵軍の姿。その様子にどこに違和感があるのか?夜間での銃撃戦だ。光弾があってもおかしいことはない。その光でこちらの位置も把握できるわけだから混じっていても不思議に思わないし、この手の対策は済だ。


だが、違和感がどうしてもぬぐえないドンバ隊長がじっと敵軍の動きを見ていると、やっとその違和感の犯人がわかった。敵軍が放つ光弾の数が当初と比べて多く放ってくるのだ。


「明るい?」


それだった。が、意味が分からない。昼間のような明るさを敵側は求めてどうしようというのか?ドンバ隊長が考えあぐねているうちに光弾の数は増える一方だった。


「おかしい!通信兵。司令部に報告しろ!」


「はっ!」


「これも奇策の類か?それともまさか?!陽動かこれは?!」


ドンバ隊長が叫んだ瞬間、それまで視界を焼くほどに輝いていた光弾が、まるで嘘のように一斉に消え失せた。


「は?」


彼らの視界を占めていた光が、その全てが一斉に消え去ったのだ。


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「総員。突撃準備!」


命じられた兵士達が目隠しを取り去り、ダガーを魔装銃に差し込み武装を槍のように使える銃剣に変える。


「左右に分かれて突撃する!駆け足だ!遅れるな!」


レイニ隊全員に緊張が奔る。


「突撃!いくぞ!!」


一切の躊躇いもなくレイニは命令を下した。それに従って兵達が岩を蹴って駆け上がる。その目が敵影をしっかりと見据えていた。


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「総員!警戒態勢を維持しろ!やつら攻めよせて来るぞ!」


ドンバ隊長が叫ぶ。光弾の撃ち止めを彼はそのまま突撃の開始だと判断した。


「各班長、敵の動きを報告しろ!やつらはどう動いている?どこから攻め上がってくるのだ?」


しかし、返事は返ってこない。


「隊長・・・」


「どうした?早くしろ!手遅れになるぞ!」


「し、しかし・・・」


兵士たちの口から、困惑と恐怖が入り混じった声が漏れる。網膜に焼き付いた残像が消え去ると同時に、彼らの視界は絶対的な闇に包まれた。何も見えない。ほんの数秒前まで確かにそこにいたはずの敵影も、目の前の岩壁も、隣に立つ戦友の顔すらも、全てが闇の中に溶け込んだかのようだ。


兵士たちは、まるで目隠しをされたかのように、手探りで武器を構え、耳を澄ませる。しかし、聞こえるのは自分たちの荒い息遣いと、遠くで響く銃声、そして、闇の奥から忍び寄る、不気味な足音だけだ。足元の小石が擦れる音、乾いた風が岩肌を撫でる音、そして、微かに漂う血の匂い。五感が研ぎ澄まされるほどに、彼らは自分たちがどれほど無力な状況に置かれているかを痛感した。


「な、何も見えません・・・」


恐怖に染まった声が、闇の中でこだまする。彼らの目は、あまりにも急激な光の変化に対応できず、一時的な盲目状態に陥っていた。瞳孔は必死に光を取り込もうと開いているが、網膜の錐体細胞は機能を停止し、桿体細胞が活動を開始するにはまだ時間が必要だった。この一瞬の空白が、彼らにとっては永遠にも感じられるほどの絶望だった。


兵士達のいう通りだった。さっきまでは確かに見えていたはずのものが、まるで見えない。


「バカな・・・なぜだ?」


事ここに及んで、彼は敵軍の狙いを悟った。増え続ける光弾を見つめ続けた結果がこれなのだ。光に慣れ過ぎた目が、突然暗闇に堕とされれば、必然こうなる。


ドンバ隊長の頭の中で、忙しなくこの状況をどうにかしようと思考を巡らす。しかし、それを待ってくれるわけもなく、兵士達からの悲鳴が耳朶に響いた。


「き、来た!もうすぐそこです。」


各所に黒い影が浮かぶ。あまりにも早くに登って来た敵軍に対して、ドンバ隊長はパニックになって叫んだ。


「と、とにかく撃て!撃ちまくれ!うてぇぇぇ!!!」


だが、すでに登り詰めた敵兵は、銃口が明後日の方向に向かっているのを見て取ると、一斉に突撃し、容赦なく斬りつける。


「「「うおおおぁぁぁ」」」


一気苛政の勢いと、取り乱して喚き散らす声が激突する。


敵味方が入り混じる戦場の中、もはや勝敗は決していた。防衛拠点を守っていた兵士達の心は挫かれ、押し寄せる敵の勢いに完全に呑まれ、態勢を立て直す余裕などどこにも見当たらない。指揮官のドンバ隊長は最後まで抗ったが、そこまでだった。


こうして一日で2つ目の防衛拠点を奪取した。


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ドンバ隊長が守る防衛拠点が陥落した報はすぐにセイギの元に届いた。


「・・・やられた。だが、これは想定内だ。」


セイギは冷静に呟いた。敵軍の攻撃は、確かに意表を突くものだったが、彼の思考はすでにその先を見据えていた。水面下で繰り広げられるエリーゼとの知略の応酬は、たった数分の報せが戦局を左右するほどに熾烈を極めている。


司令部の洞窟は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。壁に立てかけられた地図には、すでに二つの防衛拠点が赤い印で塗りつぶされている。しかし、セイギの瞳は、その赤い印のさらに奥、ルールカが今まさに進軍しているであろう一点を捉えていた。疲弊した兵士たちのうめき声が遠くで響く中、彼の胸には、敗北の苦さとは異なる、静かな、しかし確かな覚悟の炎が灯っていた。


「ルールカ…君はどこまで来る?そして、僕の用意した舞台で、何を魅せてくれる?」


その問いは、戦場の緊迫感とは裏腹に、どこか甘く、そして期待に満ちていた。彼が仕掛けた「偽装」の舞台は、彼女を深部に誘い込むための布石。そして、その終着点には、彼自身が立っていた。静かに、しかし熱を帯びた感情が、セイギの心を支配し始める。この戦いは、もはや単なる戦略ではない。彼と彼女、二人の運命が交錯する、避けられない「再会」の瞬間が、刻一刻と迫っていた。


翌朝、一睡もとらずにセイギはあらゆる戦術、戦略を練っては破棄してを繰り返し2日目の朝日を迎えた。昨日の夜はあれから両軍ともに動きは見当たらなかったが、明らかにセイギ側は心身共に疲労を抱え込んでしまった。


通信兵からの報告にセイギは適切に指示を送り、南の方角を眺めながら敵軍を観察していた。ここからでも岩場の上に上がれば見えるのだ。彼の指示は油を撒くことだった。単純なようで効果は覿面だった。足を滑らせる敵兵が続出した。


そしてもう1つ。小隊から分隊に分けて、それぞれが独立させて散兵戦術を施している。迎撃したかと思えば、囮役になったりと、その場その時の状況で様変わりさせている。事前に行動方針だけ伝えているだけだ。


二つの防衛拠点が奪われたことによって、降り注ぐ銃撃の密度は増していた。煙幕を利用し遮蔽物を盾にしての撃ちあい。お互いに慣れてきて、命中率は下がる一方で疲労の蓄積は溜まる一方だった。兵士達の焦りも募る。時が募れば募るほどに厳しく攻め立てるシルヴィ王女率いる近衛騎士団のプレッシャーは尋常ではなかった。


誰もが神経を過敏にさせる中、時間だけはゆっくりと過ぎていく。やがて2日目の夜が訪れる。日中は持ちこたえようとしたが、ここからまた長い夜の始まりだった。


あぁ・・・セイギに逢いたい。


東側の防衛拠点に援軍に来てからというもの、セイギとは顔を合わせていない。まだ一日しか経ってないのに、どうしてか長く感じてしまう。ここが戦場だからだろうか?いや、違う。彼とは何日も顔を合わせない日はいくらでもあった。だから理由が他にある。


「そっちは、こっちに来て射撃に加わりなさい!あなた達は一旦休んで。」


兵士達でごった返す岩場の上で、ハリーの声が毅然と響き渡る。最初の軍議でワンゴ隊長が任された防衛拠点に援軍で来ているわけなのだが、向こうの騎兵隊の攻勢が強いのだ。ハリーは全力で射撃を撃ち続けていた。少し前までは、少数精鋭の射撃部隊だったはずなのだが、


「もっと光弾を放ちなさい!敵が見えてない!」


この戦場でセイギ中佐から頼られるたび、ハリーの胸には熱いものが込み上げた。彼と共に戦い、彼の力になれることに、これほどまでの喜びを感じるとは思わなかった。しかし、その喜びの裏側には、常にルールカの影がちらついていた。彼の視線が、戦場のどこかにいるであろうルールカを追うのを感じるたび、ハリーの心の奥底には、冷たい寂しさが募っていく。


これは、ただの上官への忠誠心なのか? それとも、決して認めたくない、抑えきれない恋心なのか……。私には、その判別さえつかない。ただ、彼がルールカの名を口にするたび、この胸が締め付けられる。私は、彼の隣に立つ資格がないのだろうか……?


その感情は戦場の喧騒の中で静かに、しかし確実に膨らんでいった。頬を撫でる夜風が、まるで彼の指先のように感じられ、ハリーは夜空に上がる狼煙を見上げた。


硝煙と土埃の混じった空気を深く吸い込むたび、その問いは、答えの見えない暗闇の中へと、彼女の秘めたる想いと共に消えていった。鉄錆のような血の匂いが鼻腔を強く刺激し、胃の奥から込み上げる吐き気を必死に抑え込む。汗と泥にまみれた兵士たちの体臭が、重苦しい空気と混じり合い、戦場の過酷さを嫌というほどに感じさせた。。しかし、その喧騒の中、一瞬の静

寂が訪れたかのように、ハリーの心は遠い日の記憶へと誘われた。セイギ中佐が初めて自分を認めてくれたあの時の、温かい言葉と、彼の優しい眼差し。その記憶が、戦場の冷酷な現実の中で、彼女の心にささやかな光を灯した。


サマールルでも有名な軍閥の家系で3女の生まれの彼女は、エリート街道をまっしぐらだった。今もセイギというその若さで中佐にまでなった将来有望株の副官に任じられている。我ながら見事な順風満帆なキャリアだと思う。素晴らしいと自画自賛する。


ハリーは政争、権力闘争、派閥争い、といった事には興味がなかったが、最近になってすこし考えるようになった。成績が優秀で、軍事面では多少顔が効くが女だ。3女の彼女は親が勝手に婚約者を決めてしまう。個人の意思や恋愛感情などは考慮されない。家の利益、権力、政治的な思惑。義務と役割を押し付けられる。いわば道具だ。以前まではそれでいいと思っていたし、その教育になんの疑問を抱いたこともなかった。


それが・・・若き上官を得たことで、その考え方を改め直し始めた。


しかし、ここ最近の私はおかしい。思い返してみればシルヴィ王女率いる近衛騎士団が現れてからだ。セイギの様子が変わった気がする。仕事に対する彼の姿勢は変わらずだ。むしろ精力的だとも言える。でも、ルールカという名を聞いた辺りから彼は、たまに上の空だ・・・


その背中を見るたびに胸の奥がズキッと痛みを感じる。


「騎兵隊が来るわ。狙撃兵!狙い撃ちにしなさい!」


視界の端に映る敵兵の動きに、ハリーは即座に命令を下した。その声には、戦況への冷静な判断だけでなく、どこか苛立ちにも似た感情が混じっていた。セイギ中佐がルールカの名を口にするたび、胸の奥に燻る嫉妬の炎が、まるで毒蛇のように心臓を締め付ける。その苦痛が、彼女の集中力を研ぎ澄ませる。この感情をどうすればいいのか、その答えを見つけられないまま、ハリーはひたすら敵を撃ち続けた。魔装銃の反動が、手のひらに刻まれた命の重さのように響き、硝煙の匂いが、心に巣食う闇の香りとなって鼻腔を刺激した。一射ごとに、ルールカへの複雑な感情が、敵兵の命と共に散っていくかのように感じられ、どこか心が軽くなるのだった。


私は元々砲撃手。着弾予測を行い、離れた敵を打破するのが仕事だった。だが、こうして敵を目前にして、敵の命を狩り取る。最初のころは驚きもあったが、慣れてくると激しく沸き上がって来る感情が収まるのを感じる。


「防衛が崩れかけているわ。誰か早く応援にいきなさい!」


全体の士気が落ちている分、ハリーは即座に補って見せる。もうこうやって声を張り続けている。ギリギリの戦いも良いところなのだ。それなのに、彼の笑顔を思い浮かべると自然と力が漲ってくる。


「司令部に連絡して!残存兵が3分の1を切ったわ。援軍を要請して!」


通信兵に怒鳴りつけるようにして命令して、別の事に思考を続ける。ハリーはもう認めている。セイギのことが異性として好意を持っていることを。いつの間にこの感情を抱くようになったのか?わからない。訓練中なのか?戦場の中でなのか?それとも事務仕事をしている最中なのか?いつも彼の背中を見て、戦術を学び、人生観を教わり、彼の人なりを知って、気が付けばこれが恋だと気づいた。


「負傷者は速やかにポーションを、死んだ者は、端っこに寄せておきなさい。」


セイギ中佐との付き合いが長くなるにつれ、ハリーは彼がただ一人の女性 -ルールカ -しか見ていないことを痛感させられた。それでも、彼女は彼の傍を離れることができなかった。彼が飲み物を求める前に差し出し、乱れた服装を整え、彼に近づく女性には毅然とした態度で接する。打ち上げの席では必ず彼の隣に座り、ルールカを想う彼の横顔を見るたびに、胸の奥で『私を見て』と叫び続ける。その声は決して届かないと知りながらも、彼女の心はセイギへの一途な想いと、決して報われない諦念の間で揺れ動いていた。


「弾幕が弱いわ!もっと気合いれなさい!」


勝手に想い慕っていることは分かっている。でも、そう願い続けてもいいでしょ?ルールカよりも誰よりも、一緒にいる時間は私が一番長かったのだから、ただ異性として見てほしい。それだけでいい・・・でも、悔しい・・・


「・・・」


ふと、気づく。ここでルールカを殺してしまえばいい。きっと彼は嘆き悲しむだろう。そこで私が寄り添って・・・ふふ・・・


「・・・ハリー副官!」


聞きなれた声が耳朶を打ち、彼女はハッとして素敵な妄想を打ち切って隣を見る。戦いの喧騒にかき消された部下の言葉が、ようやくハリーの耳に届いた。


「司令部からです。現時刻を持ってこの防衛拠点を放棄する。損害を最小限に抑えて撤退せよ。とのことです。」


通信を受けた兵士が、喧騒に負けじと大声で伝える。その内容を理解した途端、ハリーの表情が綻ぶ。セイギのもとに戻れる。そこで辺りを見渡した。残存兵の数はもう30もいない。


激戦が続いたことで、ここを放棄することになんの躊躇いもない。残存する兵をまとめて司令部を中心に防衛を強化するのだろう。


素直に命令を受け入れるにしても、全員が即座に撤退行動をおこすわけにはいかない。退却に向けて、少しずつ移動しながら、敵兵を牽制しなければならない。


「・・・・」


今すぐにでも彼女は行動を起こしたいが、そういうわけにはいかない立場でもある。


「・・・私が殿をする。各自悟られないように順次、撤収。」


部下たちが訴えるような視線を無視して、彼女は敵に銃口を向ける。その銃口の先には、セイギの隣に立つ資格を得るための、最後の試練が横たわっているかのようだった。


「副官!我々は最後まで残ります。先に行ってください!」


「ダメよ!ワンゴ隊長が倒れた今、私がここの責任者です。司令部から損害は最小限と指示を受けている。私が囮役の方がいいのよ。」


「それはそうですが、ハリー副官が最優先です。セイギ中佐の補佐を出来る方はあなたしかいないのですから!」


「大丈夫よ。私の腕は知っているでしょう?あなた達に続いて逃げてみせる。だから指示に従いなさい。」


反論を打ち消して、ハリーは部下達が逃げやすいように、敵兵を誘導しながら射撃を続行する。ここに押し寄せる敵騎兵の攻勢は強い。タイミングを逃したら、全滅してもおかしくはない状況だ。それではセイギの要求に応えられないし、彼女もそれが許せない。


「ハリー副官!敵兵に動きあり!突撃です・・・」


しかし、そのタイミングを許してくれるような甘さを、敵の指揮官は持ち合わせていなかった。


*****************************************


「総員!突撃準備!です。」


命令に応じて、全騎兵隊が一斉に各々の武器を手にする。ダッチはいくらか殺されたが、それでも50騎は残っていた。迎撃ラインの後退が見受けられる。その兆候をダボは見逃さなかった。この防衛拠点の放棄だ。だからこそここで攻め切るチャンスでもある。


この防衛拠点に対して、リナ隊は攻めあぐねていた。主に北側の斜面から圧力をかけ続けていた。全周を囲って押し包む形を取りたかったが、そうすると挟撃をくらい、銃撃が通らない箇所を探して求めた結果が北側だった。上手く誘い込まれたという実感が伴うが、弾幕の隙間がなかなか見つからず、強行手段を取って無駄な犠牲を嫌った結果だ。


しかしここにきて敵は防衛拠点からの撤収に動き出した。となれば北側に拘る必要性がなくなる。迎え撃つ側から追われる立場になるのだ。単純な心理を考えても後者の方が消極的だろう。しかも退却となれば、まず死にたくないという感情が沸いて来てもおかしくはない。つまり積極性がなくなるわけだ。ここで一気に叩く!


「突撃!です!!」


浮足立った敵兵。そこを一気に貫くために、これ以上ないタイミングでリナの号令がかかった。


*****************************************


押し寄せる騎兵隊を前に、次々と味方が倒れていく。迎撃などかなうはずもなく、刻一刻とその瞬間が差し迫って来た。


「くぅ・・・」


見込みが甘かった。ことを彼女は痛烈に感じていた。敵はまるでこちらが今から撤退することが分かっていたかのようなタイミングで仕掛けてきたのだ。脱出するに際して、弾幕を集めて敵兵を寄せ付けなかったところから、攻めあがって来る。これでは、まともに撤退などできようがない。


「ハリー副官!もう撤退は無理です!なら最後まで戦わせてください!」


「・・・」


ハリーを退けて、部下たちは死地と定めて踏み止まる。彼らの顔には、死を覚悟した兵士特有の、しかし確固たる決意が宿っていた。意地がそうさせているのもある。だが、彼らはすでに覚悟は出来上がっていた。ここまできて逃げる選択は彼らには元々なかった。死んでいった仲間たちに報いるため、一人でも多く道連れにしようと、彼らは銃を構える。


「ハリー副官を守れ!」


その声は、絶望的な状況の中で、彼らの最後の希望を託すかのように響いた。ハリーは辺りを見渡すも、もう望みなどない。


「ハリー副官だけでも逃げ道を作るぞ!」


「ああ!いざとなったら俺を肉壁にでもなんでも使ってくれ!」


兵士たちの叫びが、ハリーの耳に突き刺さる。彼女の思惑とは裏腹に、部下たちは残り僅かな時間をハリーを逃がすことに全力を注ぐ。


「あなた達、何を言っているの……!」


ハリーを守るように騎兵隊の攻撃をいなし、そらす。彼らは全員が敵の足元を狙って射撃を放っている。ポーションがあるとはいえ一時的に時間稼ぎができるはずだった。かたくなにハリーを無視し続ける兵士たちに、ハリーは絶句するしかなかった。そこまで彼らと仲が良いわけではない。せいぜい挨拶程度の関係だ。迫る敵軍を前にして心理的に追い詰められるほど、人は自分の事しか頭に残らないはずだ。だから、どうして?と。


「おい!俺が司令部の方に斬り込む。セイギ中佐の事だ。きっとこの状況を察してくれているはずだ。」


一人の兵士が剣を引き抜き、敵陣へと駆けていく。相打ちになり、お互いの返り血で真っ赤に染まる中で、彼の口から絶叫にも似た催促がほとばしった。


「行け!」


それを追う形でハリー達が司令部がある方角に走る。隣を通り過ぎた際に見たその横顔は、死を覚悟した清々しい微笑みを浮かべていた。


「―――」


岩場の端まで敵の追撃を振り払って、なんとかここまでたどり着けた。それまでに何人もの仲間が犠牲になってくれたおかげもある。


そこで司令部のある岩場を見下ろせば、味方の狙撃手がしっかりと構えて待機してくれていた。


「やっぱりセイギ中佐はこの状況をいち早く察してくれたんだ!敵軍が背後から駆逐されています。逃げられますよ!ハリー副官!!」


「あ……」


ハリーの目から大粒の涙が溢れ落ちる。セイギだけではない。ここまで身を挺してくれた部下たちへの、感涙の涙だった。


「ハリー副官!いいですね!?先に降りて行ってください。こっちはあなたが降りきるまで守り切ります!」


部下の声が厳しく耳を打つ。魔装銃を構えながら、彼は続ける。


「あなたは我々の未来だ。生きてください。」


その言葉に押されて、ハリーは慌てて周囲に視線を巡らせる。こちらに迫って来る騎兵隊相手に必死に銃撃を撃ちこんでいる部下たちの姿。


「…………」


両手で頬を張って、彼女は気持ちを切り替える。呆けている場合ではない。彼らが稼いでくれた時間を無駄にできない。それに、自分が早く降りれば、まだ助かる命が増えるかもしれない。


「ありがとう……先に降りて待っているからね……」


そう言い残してハリーは岩石を降り始めた。そのハリーを狙う敵は司令部からの狙撃手が狙い撃つ。上では部下たちが今度こそ、騎兵隊と正面衝突したところだった。


「あ……」


「おらぁ!!」


「くっそ……!」


いくつもの部下たちの断末魔の声が聞こえてくる。それでも彼女は止まることなく降りていく。彼らの事は、一生、生き続ける間は忘れない。と心に誓った。彼らの犠牲の上に、自分の命があるのだと。


その夜、ワンゴ隊長が守ってきた防衛拠点が陥落。これで3つの拠点を奪取することになり、同時に風上側に陣営を築くことが出来、北、南から挟撃によるシルヴィ王女率いる近衛騎士団が怒涛の攻勢を仕掛けた。


その攻勢に対してカイ騎兵隊長の指揮の下、堅持される。「ここが堕とされれば終わる」そんな脅迫概念の覚悟の下、傷心のハリー副官が、奮戦し立ち塞がった。


深夜まで続いた攻防戦は熾烈を極めた。戦死者は続出し、不眠不休を強いられた者たちの中から、力尽きた者達が倒れていき、死体に死体を積み重ねて、その全てを踏み越えて戦い抜いた。


防衛2日目が終わり3日目を迎える深夜の時間帯、司令部を中心にして兵士達が疲労のあまり地面に腰を落とした。


「今日は終わったのか?」


「・・・あと二日・・・」


「やっと日付がかわるぞ・・・」


憔悴しきった表情で兵士達が呟く。口の中に広がる鉄の味は、血の誓いのように自身の負傷を嫌でも意識させる。乾ききった喉は、焦げ付いた荒野のように水分を求め、唾液を飲み込むことさえ困難だった。彼らの足元からは、鉛のように重い疲労が這い上がり、全身を絡めとるようだった。


が、そんな彼らの背中に、カイ騎兵隊長の声がかかる。


「疲れているのはわかるが、まだ終わってない。交代でいいから警戒を続けろ!」


その声に慌てて兵士達が腰を上げる。だが、今日までの2日間、援軍が来るのは明後日だ。この状況ではたして守り切れるのか?一抹の不安が彼らの顔に現れているようだった。


「援軍が来るのが二日後、明日に備えて十分に休養をとって、総攻撃か?」


周囲の部下たちに聞こえないように、口の中でカイは呟く。煙幕を張って射撃による命中率は下がっている。岩場を上手く利用して守りに徹する。これだけしか手はないのか?


「この状況を覆すことができるそんな戦法は・・・ないか。」


現実と妄想を頭の中で想い描いて、セイギはどう考えているのだろうか?と、カイは司令部に視線をむけると、その先に空に向かって、狼煙が上がっているのが見て取れた。開戦から同じ光景だ。援軍がこれを見てまっすぐこちらに向かって来ているはずだ。


「はぁ・・・はぁ・・・」


魔装銃を背にハリーが、満身創痍の姿で司令部の中に入る。浅い洞窟の中には重傷者が寝かされていて、体臭と血臭でむせ返っていた。


「・・・セイギ・・・中佐。」


ハリーがそう声をかけると、奥にいたセイギが顔を向けてくれる。目元にくまを刻んだセイギはハリーの生還に笑顔を向けて歓迎する。


「よかった無事でハリー。」


「はい・・・何か手伝うことは・・」


そう気丈に応えて見せるが、セイギの真剣な目を見ると、力なく顔を伏せた。


「ハリー。とにかく休もう。夜明けまでまだ時間がある。」


「・・・はい。お言葉に甘えさせていただきます。セイギ中佐は?」


「総指揮官は僕だよ。おちおち寝るわけにはいかないよ。」


そう微笑んで応えつつ、セイギは立ち上がった。


「外の様子を見てくるよ。夜風に当たって頭をスッキリさせてくる。」


通信兵になにかあったらすぐ呼んでくれと、告げた上でセイギは司令部の岩場を登った。夜空に広がる満天の星空を見上げて


「ルールカ。君も今この夜空を見ているのかな?」


夜明け前の司令部。セイギは一睡もせず、地図を広げていた。疲労困憊のハリーが横で眠りこけている。彼らの未来を左右するこの戦い。ルールカへの個人的な想いと、サマールルの未来を背負う指揮官としての責任。二つの感情が、彼の胸で静かに、しかし激しくせめぎ合っていた。やがて、夜空に最後の星が消え、東の空が白み始める。セイギは深く息を吐き、立ち上がった。彼の瞳には、迷いを断ち切った静かな決意が宿っていた。


翌朝。この日は両軍ともに煙幕攻撃を打ち上げてから、戦いが始まった。


「うわぁ・・・」


カイ騎兵隊長が思わず声を上げた。


赤色の煙が血の津波のように押し寄せ、たちまちの間に周囲一帯を覆っていく。向かい側の敵の姿が全く見えなくなり、同じ防衛拠点を守る味方でさえ見えづらくなった。視界は赤一色に染まり、兵士たちの顔は恐怖と混乱で歪む。煙の奥からは、敵兵の叫び声や銃声が不気味に響き渡り、まるで地獄の業火に包まれたかのような錯覚に陥る。セイギ隊が使っている煙幕は灰色、シルヴィ王女率いる近衛騎士団が放ったのは赤色で、風上を陣取った相手はここで存分に赤い軍服と赤い煙幕による恩恵を受けることになり、兵士達の動揺の声だけが増していく。


「お、落ち着け!慌てるな!冷静になれ!こっちだって煙幕張ってるんだ!」


半ば自分に言い聞かせるようにカイ騎兵隊長が叫ぶ。


「全員、迂闊に持ち場を離れるな!煙幕に隠れ潜んで敵は一気に攻めてくるぞ!」


兵士達の表情が青ざめる。こうして彼らの地獄が始まった。


******************************************

「突撃!」


総攻撃の号令のもと、北側に布陣する、ルールカ隊、リナ隊が一斉に動き出す。赤に染まった空間を隠れ蓑に、中央の敵陣を目指して、一気に攻勢を開始した。


「「「「おおおおおおおおおお」」」」


セイギが開戦から続けていた煙幕攻撃。隠蔽効果、視界不良、欺瞞効果と風上に布陣することでその恩恵は確かにセイギ側にとっては有利な状況だった。それをシルヴィ王女率いる近衛騎士団が奪取したことにより、ゲリラ戦法に切り替えた。元氷族が部隊の中に居るおかげでこの効果は絶大なものになる。これを狙って最初から風上を優先的に攻めて来たわけだ。援軍が到着まであと一日と差し迫った今。今日で終わらせる。そんな気概を感じさせる鬨のこえだった。


******************************************


「見えない!敵が見ないぞ!」


「たった一日でいいのに・・・もつのかよ・・・」


赤色の煙幕の中、兵士達の悲鳴が響き渡る。赤い色の煙幕は予想以上に彼らの精神に絶望を与えていた。この2日間で敵軍の強さを肌で感じているからこそ余計にだ。


「闇雲に撃つな!こっちの場所を知らせるだけだぞ!敵が近づいて来たら一斉射撃だ!」


彼らは元鉱山基地出身者ばかりだ。こういったゲリラ戦の経験は皆無であり、それが今の戦況を作り上げている。だからといって投げ出すわけにもいかず、この圧倒的な不利な状況を飲み込んで戦うしか彼らの生きる道はなかった。


一方、ここまで積極的な戦闘をしてこなかった南側にも、シルヴィ王女率いる近衛騎士団は容赦なく攻め立てた。司令部の上で、敵の影に気づいた兵達が血相を変える。


「セイギ中佐に報告しろ!岩場の間から、敵軍が侵入してきます!」


「撃て!あそこを抜かれたら終わるぞ!」


「はっ!」


しかし煙幕のおかげで狙いが定まらず、射撃兵達が焦りを募らせる。


「弾幕を張れ!敵がどこにいるのかわからないなら、撃て!撃て!撃ちまくれ!!」


「魔力が持ちませんよ!」


「どちらにせよここを抜けられたらそれでお終いだ!魔力が切れたら白兵戦に移行するだけだ。撃て!」


力強く言い切った指揮官に、兵達はその命に従うほかなかった。


「来るぞ!敵を突き刺せ!!」


「「「「おおおおおおおおおおおお」」」」


兵達からの怒号が迸る。刃と刃がぶつかり合い、火花を巻き散らす。乗り込んできた敵兵相手に射撃がまともに当たらないので、カイ騎兵隊長か白兵戦で応じる。


「怯むな!」


「押し返せ!!」


「引くな!!!」


もはやパニック寸前の兵達を懸命に叱咤激励しながら、カイ騎兵隊長は断固として防衛ラインを崩さなかった。その目は血走り、鬼気迫る迫力を纏っている。


しかしその奮戦をあざ笑うかのように、死傷者の数は増える一方を辿る。焦燥感が次第に全身に纏わり付きだした頃あいに、


「突撃が来ます!」


無情にも再び敵兵が押し寄せる。


もう何度目になるのか数えることも忘れたカイ騎兵隊長が率先して、押し退ける。それを見た兵士達が怒号を叫ぶ。カイ騎兵隊長もそれに加わって叫ぶ。士気はそれで持ち直った。だが、このままでは時間の問題だった。


****************************************


「決定的だな。」


後詰めの兵力が整然と立ち並ぶ南側で、シルヴィ王女と並んでエリーゼがその光景を見やり、シルヴィ王女がそう呟いた。その目はすでに、戦いの終わりを見据えている。


「どうやらこのまま勝てるな。エリーゼ。この流れをもはや覆すことなどできまい。」


シルヴィ王女がそう言った後に、後方から通信兵の声がかかった。


「エリーゼ総司令官に報告します。南よりおよそ5000の軍勢が接近中。進軍速度と残りの距離から計算して、明日にはここへたどり着くと予想されます。」


シルヴィ王女の顔が緩む。彼女が抱いた勝利の確信が確実になった。


「明日ならもはや問題あるまい。」


「・・・そうですね。しかしどうも腑に落ちません。」


エリーゼは考え込むようしてそう応えた。


「・・・なにか仕掛けてくると?」


「この状況下で今更、仕掛けてくるとは思えませんが、相手があのセイギ中佐だと考えると、いくらなんでも脆いのではと。」


増援を得たとはいえ、もともと彼が指揮する部隊ではないことは連携を見て取っても、わかることだった。元鉱山基地に赴いた時も、少数精鋭だけで元鉱山基地の兵だけで兵力なら足りていたはずだ。そこからこちらが奪回したことによって彼らは、生き残った兵を動員して増援を受けたまでは良かったが、やはりというべきか練度が違うのだ。予想にすぎないのだが、セイギの指揮にまともに対応できているのは、そんなに数はいないはずなのでは?


それを踏まえての今回の待ち伏せだ。何か策があってもおかしくはないと勘繰るのはおかしなことではない。だが、実際にはこの展開だ。エリーゼとしてもいい方向で予想外なのは良いことだと思っているが、予想外すぎて逆に困惑している。


「いずれにしろ、向こうが負けを認めるまでは油断できませんね。」


そう言ってエリーゼはまた深い思考に陥る。


「そうだな。」


エリーゼのその言葉にシルヴィ王女は諦観に努める。まだ勝敗は決してはいないのだ。早計だったな。と深く反省する。


******************************************


「司令部の前に設置したバリケードがもう長く持ちません!」


その報告に、司令部にいる面々が凍り付く。その知らせはまるで、死刑宣告のようにその場の全員に重く響き渡った。兵士たちの顔には、疲労と絶望、そして諦めが入り混じった表情が浮かぶ。しかし、その絶望的な報告の中、セイギは一つ深呼吸をした。その息は、凍える夜の空気のように冷たかったが、彼の心は研ぎ澄まされていく。彼の脳裏には、ルールカとの再会という、個人的な「舞台」の幕開けが鮮やかに描かれていた。


「ふーっ」


セイギはもう一つ深呼吸をして頭の中を整理する。今の現状を正確に把握する。


三日目の防衛戦。五つあった司令部を囲んでいた防衛拠点はもう奪われ、司令部を含む三つの拠点が直接攻撃を受けている。カイ騎兵隊長が奮戦しているおかげで、相手はそちらに戦力を割いている状況だ。


開戦時点では五百人の総兵数は、二百人弱。もっと少ないかもしれないが、残存兵は司令部を中心にして防備を固めている。シルヴィ王女率いる近衛騎士団が来るまでの時間を使って、この辺りには三つのバリケードが作られた。そのうちの一つがもう間もなく突破される。他の二つも時間の問題だろうが、まだ維持している。


「この二つのバリケードを利用して、全兵力で相手の侵攻を食い止める。煙幕のせいで射撃には期待できないが、バリケードが突破されたとしても、進入路は狭い。ここで叩くだけ叩く。上手くいけば、押し返せるかもしれない……」


セイギはそう呟いたが、彼の言葉には、兵士たちの心に響くような確信はなかった。彼らもまた、この状況の厳しさを肌で感じている。


「ないね……」


甘い見込みを跳ねのける。勝ち筋が見えた状況で、あのルールカが悠長に身構えるわけがない。間違いなく一気に突破しにかかるはず。条件が許す限り、最大限の攻撃力を持って突き通すだろう。そのまま僕の首を撥ねに来る。と、


「あぁ……」


ルールカの接近を感じ、セイギの胸に微かなざわめきが走った。恐怖でも、怯えでもない。むしろ、高揚に近い、魂を焦がす熱のようなものだった。しかし、すぐに彼はその感情を理性で押し殺す。指先で地図の上の岩石地帯をなぞる感触は、まるで冷たい現実をなぞるかのようだった。思考を戦術へと強制的に引き戻す。この戦いは私的なものではない。サマールルの未来を左右する、重要な作戦だ。だが、それでも彼の口元からは、抑えきれない本音が漏れた。その声は、乾いた砂漠の奥底から湧き上がる泉のように、渇いた心に響いた。


「待ち遠しいな。また君に会える。」


それは指揮官としての冷静な判断と、一人の男としての個人的な恋心がせめぎ合う、複雑な呟きだった。彼の心は、戦場の緊迫感と、ルールカへの募る想いの間で激しく揺れ動き、その狭間で軋むような痛みを覚える。兵士たちは、その指揮官の複雑な感情を知る由もなく、ただ迫りくる敵の足音に、最後の抵抗を覚悟していた。


「第二皇子様。」


天幕の外から声をかけて、了承の声を聞くとセイギは天幕の中に足を踏み入れた。


「セイギか?戦況はどうだ?」


剣と剣がぶつかり合う甲高い金属音、耳をつんざくような魔装銃の炸裂音、そして兵士たちの悲鳴と絶叫が、まるで嵐のように天幕の外から押し寄せてくる。その轟音は、天幕に施された魔法陣をもってしても完全に遮断しきれず、微かな振動となって地面から伝わってきた。ここだけが、外界の地獄から切り離されたかのような静寂を保っていたが、その静寂すら、戦場の喧騒を際立たせる不気味な前触れのように感じられた。


地面の上に、豪華な長椅子が据えられている。その上には高貴さを湛えた肥え太った青年が横たわっている。彼の名前はハルトン第二皇子その人だ。戦場の喧騒がすぐそこまで押し寄せているというのに、彼は豪華な長椅子に気だるげに身を預け、優美な侍女にブドウを「あーん」と食べさせてもらっていた。その光景を横目で見たセイギの脳裏には、泥と血にまみれて戦う兵士たちの姿がよぎる。怒りにも似た感情が胸の奥で渦巻いたが、彼はそれを表に出すことなく、淡々と告げた。


「第二皇子様。今作戦の内容はもうしたためましたか?」


その声は、感情を押し殺した分だけ、普段よりも一層冷たく響いた。


甘露のような果汁に満足そうに味わうと、ハルトン皇子は再び瞼を閉じて、


「もう終わっている。そこにあるだろう?」


その書面に目を通したセイギが先ほどの質問に応える。


「順調です。もう間もなく我々の勝利が確実なものとなるでしょう。」


「そうか。大儀である。なら終わったら起こしてくれ。俺はまた寝る。」


そうハルトン皇子が呟き、侍女の身体を引き寄せる。


「では、失礼いたします。おやすみなさいませ。」


そう言葉を残してセイギは天幕を出ていく。天幕には外からの音を遮断できる魔法陣が組み込まれているおかげで、第二皇子は外の状況がわかっていないし、外に出ようとも思ってはいないようだった。


ヒオレド大佐からの増援に、初陣のハルトン第二皇子が含まれていた。皇妃の第二子である彼の存在は、セイギにとって重荷以外の何物でもなかった。政争には興味がない。だが、この戦いの結果が、彼の未来を左右するであろうことは明白だった。ヒオレド大佐が彼をこの戦場に送り込んだ真意を、セイギは漠然と察していた。それは、邪魔な存在である第二皇子を、戦場の混乱の中で「事故」として処理しようとする冷酷な思惑ではないかと。


外に出ると、陣地の中央にはずらりと並んだ部下たちが、整列して無言で出迎えていた。


「待たせたね。準備は出来てる?」


彼の問いに応じて、隊列の中からハリーが進み出る。


「現時点で全兵力を招集しております。カイ騎兵隊長の部隊についても、すでに定位置において防衛ラインで交戦中です。」


そう告げると、ハリーはセイギに向かって魔装銃を差し出した。


「行こうか。」


「はい。」


「二手に分けるよ。ハリー達は、最前線の防衛ラインの守備、僕たちは、バリケードが突破されたら、攻め寄せる敵兵を迎え撃つ。以上だ!健闘を祈る。」


ハリーは微笑みで応じて、彼は決戦に向かう一歩を踏み出した。指示を受けた全兵がそれぞれの配置に向かって走り出し、セイギ自身もまた彼らの後を追っていく。


*****************************************


もう間もなく突破できるバリケードを前にして、騎兵隊とルールカは二本の剣を握りしめて、まっすぐに敵陣を見据えていた。


やがて、突撃の勢いにもしぶとく耐えていたバリケードが力尽きるようにして崩れ落ちた。崩れる間際にその風圧が赤い煙幕を吹き飛ばし、ほんの少しの間、敵陣の様子が見晴らした。視界に映ったのは、岩場の合間の積み上げられた岩の防壁。それらに身を潜めて魔装銃を構える兵士達。さらにその向こうには、彼らを率いる指揮官、セイギがいた。


その一瞬。ふたりは確かに、お互いの視線を合わせた。


「突撃!」


即座に号令が下った。剣が指し示す方向に向けて、部下達が一斉に駆け出す。同時に射撃音が鳴り響き、突撃を迎え撃つ形で無数の魔弾が飛んでくる。盾でそれを防ぎそのまま駆け込んでいく。


「「「「うおぉおおおおおお」」」」


敵兵に走り寄りながら、槍を繰り出し、赤い煙幕の中で激しい激突が始まった。


魔弾、光、煙幕、音、それらが飛び交う中、両軍は熾烈に戦う。


「左が弱まっている!狙われているぞ!」


相手の騎兵隊の動きを観察して予測する。セイギは部下たちを細かく動かす。兵力が限られている以上、ルールカのフェイントを織り混ぜた攻勢に対して適切に対応してみせる。彼女の狙いは隙が出来たら、そこからの一点突破だろう。


煙幕の合間を縫って、一瞬だけルールカの姿が目に焼き付いた。その獰猛な瞳の奥に、かつて共に過ごした日々がよぎる。この戦いが終われば、彼女は……。セイギは一瞬、思考を止めたが、すぐに頭を振って意識を戦況に戻した。今は、目の前の戦いに集中するしかない。


どの部分が集中的に狙われているのか?どの部分に誘いこもうとしているのか?その予測と予備動作を、見誤ってはならない。1つのミスがそのまま敗北に直結する。今は、そういう次元の戦いなのだ。


「弾幕をもっと狭めて密度を高めろ!左右から挟み込むイメージだ。相手は縦列に突っ込んでくる気だぞ!弾幕を集めろ!」


采配の1つ1つが綱渡りそのものだ。細かく適切な部下への指示は薄皮一枚で成り立っている。その負担は指揮官と共に、従う部下にも圧しかかる。ただ並べて銃撃戦だけで守り切れるのなら、どんなに楽なことか・・・


「射程がない。白兵戦に入れ!」


そう言いながら光弾を撃ちこむ。煙幕が邪魔をして気休め程度の効果しか得られないが、それでも無意味ではない。至近距離での白兵戦で、一瞬の隙が生死の分かれ道になる。経験を積み重ねるほど、光弾の使い処を熟知する。


「今度は右を警戒!煙幕に紛れ込んでいるぞ!」


指揮を執るセイギの立場からは、視界の悪さが忌々しい。大勢で固まってくるなら補足しやすいが、少数で隙を狙ってくる部隊となると、とても目だけでは追いきれない。見えない箇所は推測と、部下に委ねるしかない。ルールカの方でも同じような状況で、一筋縄でいかない相手に対して、想像力を屈指した読み合いを頭の中で繰り広げている。


「かはっ!」


「ぐぅ!」


戦況の過酷さが増す一方で、命をぶつけ合う兵士達は、敵を貫いた直後に、別の敵兵から背中を突き殺され、岩々は兵士達の血潮で染まる。似たような光景はあっちこっちで起きている。セイギとルールカの直属部隊なのだ。仲間同士で信頼し、信用して互いの背中をまかせられるそんな親密性を合わせ持っている。だからこそ熾烈さも増していく。


「う・・・」


「・・・あぁ・・・」


兵士達の口から苦悶の声が漏れ聞こえる。その半分は死に対する恐怖に対するもので、もう半分は戦友を助けられなかった口惜しさだ。相手が向かってくる以上、迎え撃たねばならず。ポーションで助けられる命だったそれが、消えていく。


「「「「うぉぉぉぉおおお!!」」」」


戦友の死を悲しむことが許されない環境で彼らは心の中で泣きながら戦う。


全力で守勢に回っていたセイギ達だが、部下たちの奮闘があってもなお、戦線は否応なく後退を余儀なくされる。騎兵隊の勢いが岩場の防壁を利用して、速度が増しているのだ。


*****************************************


「・・・」


次第に奥に向かって狭まっていく敵陣を見据えながら、ルールカは判断を下す。


「これより、中央突破し、敵勢力を制圧する!」


それを聞いた騎兵隊の顔つきが変わる。彼らもまたその命令を待っていたのだ。


「先に私が行く。他は間を置かずについてきなさい!」


二本の剣を握る手に力がこもる。視線を先に向け、疾走に備えてダッチに指示する。精神を集中させて、そして


「全騎、全力突撃!」


放たれた矢のごとく、部下たちと共にダッチを駆る。起伏が激しい岩石地帯であろうとも、ダッチの足取りは揺るぎをみせない。降り注ぐ魔弾は、ルールカの二本の剣によって、まるで舞い踊る蝶のように軽やかに弾き飛ばされる。その剣閃が描く軌跡は優雅でありながら、最前列の敵兵を容赦なく斬り裂き、鮮血の花を咲かせる。その一撃一撃に、彼女のサディスティックな歓喜と、獲物を追い詰めるサキュバスの本能が宿っていた。次の獲物目掛けて、騎兵隊は疾走する


「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


最高のタイミングでの突撃だった。迎え撃つ敵兵にはそれを受け止めるだけの兵力が間に合わない。突撃に気づいて振り向いた敵兵には、抵抗の余地もなく蹴散らして踏みつぶす!


「まだまだイクわよ!」


掃討が済んだところで、ルールカは迷わず次の獲物を追い求める。


****************************************


「ルールカ!」


すぐにセイギは、気づいた。煙幕もあり、岩石による遮蔽物があって直接相手の動きが見えているわけではない。後退してくる部下たちの切羽詰まった様子、響き渡る鬨の声。その後につづく圧倒的な圧力。その全てが、ルールカが先陣をきって駆けていることを物語っていた。


「左右に別れて挟撃の準備!突撃の軌道を塞ぐな。彼女を通せ!」


指示を飛ばし相手がやってくる方向に視線を向けて、待ち構える。


*****************************************


「疾!」


2本の剣が命を絶ち斬って駆ける。3人の敵兵が首を撥ねられて倒れ込んだ。直後に真横から魔弾を放たれたが、身体を動かすだけで躱し、間髪入れずに射手を斬り伏せる。


「3人付いてきなさい。他は殲滅しろ!」


左右両端から中央に向かって奥行きを深めていく隊列で、斜めに並んで魔装銃を構える敵兵を見て、すぐさまルールカはその意図を察知し、部下たちに指示を下した。


包囲が目的と分かる陣形、その最奥に横列に射撃部隊が展開させている。その中にセイギが立っていた。


一目でわかった。僕を殺したければここまで来い!と、まるで甘い誘惑のようにセイギの声が聞こえた気がした。彼の挑発に乗せられていることは百も承知。だが、この状況で彼が何を企んでいるのか、その全てを暴き、打ち砕くことに、ルールカは抗いがたい興奮を覚えていた。


「セイギ!」


ルールカは一切の迷いも見せず、

「蹂躙せよ!」


「「「「うぉっぉぉぉぉぉぉ」」」」


騎兵隊たちが鬨の声を上げて疾駆する。敵将を目指して一斉に攻めかかる。ルールカを先頭に3騎が守る形で追随。残りの騎兵隊は左右に分かれて、敵兵を駆逐させながら中央を目指す。


数の揃った射撃隊ならいざ知らず、纏まった数ではない魔装銃の射撃頻度の数はたかが知れている。左右から撃ちかけられたところで、盾で守られているおかげで損害などない。迷わず敵将の元へ全力で向かえばいいだけだ。


「迎え撃てぇぇぇ!!」


敵兵は騎兵隊が突撃してくるのに合わせて、魔装銃を撃ちながら前進を始める。戦列を狭めていき激突寸前まで撃ちまくり、ぶつかり合う瞬間に白兵戦に切り変え激しく火花を散らしていく。


「駆けろ!駆けろ!駆け抜けろ!!」


ルールカは微塵も動じない。ここで包囲攻撃に移られるのは当然の流れであり、それをわかっていての正面突破だ。騎兵隊の突破力を最大限にして、彼女らを止めることはできない。


それこそがセイギの狙いだと、ルールカはとうに察していた。この中央突破は、彼が意図的に導いたもの。自分が深部に誘い込まれていると知りながらも、彼女は速度を緩めない。むしろ、獲物を追い詰めるかのように加速させた。罠が仕掛けられているのなら、それを撃ち破るのみ。セイギが何を仕掛けてくるか、その全てをねじ伏せる覚悟が、彼女の瞳に宿っていた。


「疾!」


敵兵を斬り伏せたところで、ルールカの視界が一気に開けた。熱を帯びた血と硝煙の匂いが混じり合った風が、彼女の頬を撫でる。その生々しい香りが、サキュバスとしての本能を刺激し、全身にゾクゾクとした快感が奔る。敵兵が織りなす戦列を超えたのだ。もはや彼女達の前に立ち塞がるのはセイギを守る10人ほどの兵が残るだけだ。セイギとの距離は100メートルもない。ただそれだけを詰めればこの戦いは終わる。あの敵将を討ち果たせば、勝利の甘美な味が、もうすぐそこまで来ている。握りしめた剣の柄が汗で滑り、手のひらに食い込む感覚が、彼女の集中力を研ぎ澄ませる。岩石地帯特有の、足元から伝わる不規則な振動が、常に彼女の平衡感覚を試していた。その振動は、まるで大地そのものが彼女の勝利を祝福しているかのようだった。


******************************************


「来たか、ルールカ……!」


最奥で待ち構えるセイギの胸に、長年の想いが奔流のように押し寄せた。煙幕と岩石の遮蔽物で直接姿は見えない。しかし、後退してくる部下たちの切羽詰まった悲鳴、大地を揺るがす鬨の声、そしてその後に続く、獲物を追い詰める獣のような圧倒的な圧力。その全てが、ルールカが先陣を切って、彼の元へと駆けていることを物語っていた。彼の胸には、恐怖とは異なる、魂を焦がすような高揚感が渦巻いていた。


「…ようやく。」


セイギは、彼女がここまで辿り着くことを予期していたかのように、冷静に、しかし声の奥には抑えきれない熱を宿して指示を飛ばす。ルールカの強さ、そして彼女が何よりも「戦い」を、そして「彼」を求めていることを、彼は誰よりも理解していた。だからこそ、彼はこの「再会」のための舞台を用意したのだ。


硝煙と血の匂いが混じり合った風が、彼の頬を撫でる。それは、まるで彼女の吐息のように感じられ、セイギの心臓は狂おしいほどに高鳴った。この一瞬、戦場の全てが彼と彼女のために存在しているかのように思われた。


******************************************


「―――」


ふっと頭の隅に置いてあった、セイギとの過去の記憶が蘇った。初めて出会った頃の、まだ幼かった彼の顔。共に学んだ日々。幾度となく交わした言葉、そして視線。長年の付き合いの中で、互いのことを知り尽くしているがゆえの、この抗いがたい感情──戦場で彼と対峙するたびに蘇る、あの頃の純粋な憧れと、今目の前で彼を追い詰めることに感じる、サキュバスとしての歓喜。その二つの感情が、彼女の胸で激しくせめぎ合った。


彼の瞳の奥に宿る、自分への揺るぎない信頼と、どこか期待に満ちた光。それは、サキュバスとしての本能が求める「情欲」とは異なる、もっと深く、もっと純粋な「渇望」を呼び起こす。彼を傷つけたい、彼の絶望を味わいたいというサキュバスの衝動と、彼に認められたい、彼の隣に立ちたいという、かつての少女の憧れ。その相反する感情が、ルールカの心の中で嵐のように渦巻いていた。彼女の剣は、どちらの感情に従うべきか、一瞬だけ迷いを見せた。


「……殲滅する!」


ルールカは自らの感情を押し殺すように、あるいはその葛藤を振り払うように、強く言い放った。その声は、一瞬だけ微かに震えたように聞こえたが、すぐに獰猛なサキュバスの本能が優位に立ち、彼女の瞳には獲物を狩る者の冷酷な光が宿った。号令と同時にダッチが駆けだし、魔装銃を構えた銃兵も動きだす。ルールカが先陣を切って3人がその後を追う。彼女の剣は、過去の記憶を断ち切るかのように、迷いなく敵兵へと向かっていく。


この先に罠があることは先刻から承知している。今の状況はセイギが意図的に導かれたもの。この事実を忘れるわけがない。多分、狙撃兵が潜んでいるはず。この場所で落とし穴、逆茂木もなくはないがダッチの機動性があれば問題なく対処は可能だ。なんならダッチを踏み台にしてもいい。やはり狙撃手。これが妥当な結論に至る。セイギまでの間合いまでの間に必ずいるとルールカはダッチに跨りながら、いつでも動けるように視線を巡らせる。はたしてどこから狙ってくる?左右に聳え立つ岩場から?もしくはもっと高い位置からか?間合いまでの間にある岩陰からか?もしくはセイギの背後に聳え立つ岩山からか?いずれにしてもルールカなら躱しきれる自信があった。銃口が向けられるたび、殺意が肌を撫でるように感じられる。そのゾクゾクするような感覚こそ、彼女が最も渇望する『情欲』の形だった。魔弾が放たれる瞬間、その軌道を読み、剣で弾き飛ばす。命のやり取りの中で、彼女の身体は熱を帯び、血が沸騰するような高揚感に包まれる。敵兵の絶望と苦痛が、彼女のサディスティックな歓喜を一層煽り立てる。その狂おしいまでの興奮が、ルールカの剣技を常識を超えた領域へと押し上げる。剣は彼女の身体の一部となり、まるで生き物のように敵を求め、斬り裂いていく。セイギが仕掛けたこの舞台で、彼女の『性癖』とも言える殺意への興奮は、どうしようもないほどに高まっていた。


セイギまでの距離が縮まっていく。残り30メートルをきったところで、岩場に隠れて潜んでいた敵兵が迎撃してきた。その瞬間、ルールカの二本の剣が、夜空に煌めく流星のように閃いた。剣身は弧を描き、放たれた魔弾を寸分違わず弾道を逸らし、まるで意思を持つかのように敵兵の隙間を縫って突き進む。立ち塞がる兵士は、彼女の優雅な剣舞の前に為す術もなく、鮮やかな血飛沫を上げて倒れていく。煙幕に混じって血が風に乗って舞う。その光景は、ルールカにとって最高の舞台であり、欲情に身をまかせている今の彼女に、ただの兵達では太刀打ちできるわけがない。


また1人また1人斬って前進するに従って、やがてセイギが待つ終着点へと辿り着いた。


「・・・綺麗だ。」


面と向かったルールカに、セイギは笑顔で彼女を褒める。


妖艶に嗤う表情、相手の理性を試すような潤みを帯びた瞳、しなやかでいて傲慢、無駄がないようでどこか時間を先伸ばすようなしぐさで、血に濡れた2本の剣をセイギに向ける。数えきれない兵を斬って浴びた返り血が、どこか中毒性のある匂いに感じられる。


セイギは息をするのも忘れたかのようにして、ただ、ルールカを見つめていた。


反す言葉はない。一瞬のうちに間合いを詰め、何の躊躇もなく2本の剣が奔る。首を撥ねる。それ以外の目的を持たない2本の刃が瞬間的に止まった。


「ーーー?」


下からだったか・・・ルールカは本能的にそう確信して、銃声と同時に身を翻した。魔弾は彼女の髪の毛を僅かばかり撃ちぬいて、そのまま彼方へと消えていく。


「さすがだよ、ルールカ」


セイギは満面の笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には、彼女の戦いぶりに対する純粋な称賛と、そして、捕獲対象である彼女を追い詰めたことへの複雑な感情が混じり合っていた。指先でルールカの背後を指し示す。


「でも、残念。チェックメイトだ。」


その言葉には、勝利の確信と共に、どこか名残惜しさのような響きが含まれていた


ルールカの背後を指し示すセイギの指先。その視線の先に、南側の本陣が白旗を翻しているのが見えた。


「僕の勝ち。」


その言葉が、岩石地帯に静かに響き渡った。この瞬間、ルールカはセイギの深謀遠慮の全てを悟った。援軍が遠い地の幻影であったこと、そして、その幻影に踊らされ、自らが深く誘い込まれていたこと。悔しさよりも、彼の知略に対する純粋な驚嘆が、彼女の胸に熱く広がった。。戦いの喧騒が嘘のように静まり返った岩石地帯に、二人の声だけが響く。まるで、世界に二人だけになったかのような錯覚に陥る。


「…セイギ…」


かつて呼んだことのないような、苦くも甘い、悔しさを帯びた呟きが、彼女の唇から漏れた。その声は、岩石地帯を吹き抜ける風に乗り、彼の耳に届くことはなかったが、彼女自身の心には、確かにその響きが刻まれた。それは、サキュバスとしての本能が求める「狩り」の終わりであり、一人の女性としての新たな「始まり」を予感させるものだった。


セイギは、勝利の確信に満ちた笑顔でルールカを見つめた。この戦いは、彼にとって単なる軍事作戦ではなかった。彼女の心を掴み、彼女を「捕獲」するための、壮大なプロポーズだったのだ。そして、そのプロポーズは、見事に成功した。岩石地帯に広がる静寂は、二人の間に新たな物語が始まることを告げていた。この戦いの結果は、サマールルとキラエルの未来を大きく変えるだけでなく、セイギとルールカ、二人の運命を永遠に結びつけることになるだろう。


セイギがヒオレド大佐に託したメモには、周到な欺瞞作戦が記されていた。軍勢の半数を使い、昼間から大々的な偽装工作を行う。広大な岩石地帯の彼方、砂塵を巻き上げながら進む部隊は、遠目には数千規模の大軍に見えた。兵士たちは、日中の太陽の下でわざと松明を掲げ、その炎が風に煽られて大きく揺らめく様は、遠方の偵察機や観測者には「多くの人員が動いている」という錯覚を植え付けた。


彼らはあえて目立ちやすいルートを選び、ゆっくりと、まるで重厚な巨人が大地を踏みしめるかのように進軍した。日没時には大規模な野営地を設営し、大量の焚き火を燃やし、その煙と炎が夜空を焦がす。それは、食料や物資を潤沢に抱えた大軍が、悠々と休息をとっているかのような印象を与えた。偵察機からの報告は毎日、その「遅々とした進軍速度」と「巨大な規模」を強調し、シルヴィ王女やエリーゼの耳には「援軍の到着は早くても四日後」という確信めいた情報が届けられた。彼らは何度も計算を重ね、その報告に疑念を抱くことはなかった。


しかし、その裏で、残りの半数の部隊は、夜の帳に紛れて急速に進軍していた。松明はおろか、わずかな灯りすら一切使用せず、兵士たちは暗闇を味方につけ、最速最短のルートを突き進む。岩陰に身を潜め、足音を殺し、まるで影のように移動する彼らの存在は、敵の観測網には一切捉えられなかった。セイギは味方兵士にも「援軍は四日後」という偽情報を徹底させ、彼らがそれを励みに戦うことで、敵にさらなる確信を与えていた。この昼夜の規模偽装こそが、シルヴィ王女率いる近衛騎士団を欺き、勝利への道を切り開くための、セイギの秘策だったのだ。


「戦闘停止!両軍ともに武器を捨てて両手を掲げろ!」


セイギが張り上げた声に応じて、彼の部下達から武器を捨てる音が響く。それにならうようにして、ルールカも武器を捨てて、ダッチから降りる。するとルールカ隊のメンバーも武器を捨てた。


「どうかな?負けを認めてくれる?」


セイギは真っすぐルールカの瞳に問いかける。


「・・・えぇ・・・負けたわ。認める。」


素直にルールカは敗北を認めた。岩石地帯に陣取るサマールルの青い軍服を着た兵士達が整列してこちらを俯瞰して見下ろしている。どうあがこうとも敗戦は濃厚だろう。


「そう。よかったよ。ここで負けたら格好がつかないからさ。」


ピクっとその言葉にルールカの記憶が刺激される。


「では、改めて、僕と結婚してください。」


セイギは真っ直ぐにルールカの瞳を見つめ、右手を差し出した。その真剣な眼差しは、初めて出会った頃から変わらない、彼女への純粋な想いを宿していた。ルールカの胸は微かに高鳴る。長年の付き合いの中で、互いの良い面も悪い面も知り尽くした二人だからこそ築き上げてきた、特別な関係。それは、彼女にとって何よりも確かなものだった。


「まだ、ダメかな?」


セイギの問いに、ルールカは視線を逸らし、小さく首を振った。


「…うん。まだダメね…あんたのそういうところ、嫌いじゃないから。」


その言葉に、セイギは少し残念そうな顔を見せたが、すぐに嬉しそうに笑った。彼はルールカの性格をよく知っていた。彼女が「まだ」と言う時、それは決して「永遠にない」という意味ではないことを。そして、彼女の心の中に、サキュバスとしての本能とは異なる、人間的な感情が芽生え始めていることを、セイギは誰よりも理解していた。


「そうか!でも、次には『うん』って言ってもらうよ。」


セイギは確信に満ちた笑顔でそう告げた。


「え!?ちょっと…」


「前は『嫌』の一言だったよね?でも、今は『まだ』だよ。これは確かな前進だよ!でしょ?」


セイギの、彼女の心を読み解き、一歩ずつ距離を詰めていくような強引さに、ルールカは呆れたようにため息をついた。しかし、その表情の奥には、どこか嬉しさが滲んでいた。彼の言葉が、彼女の心の奥底に眠っていた、人間としての「愛」への渇望を、ゆっくりと揺り起こしていくかのようだった。


「あんた…相変わらず強引ね…」


「君には調度いいだろ?」


「あんたにだけよ!」


ルールカの口元には、困ったような、しかしどこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


ぷいっと横を向いて、このやりとりも前に言ってたな・・・と、その瞬間だった。殺意を感じて視線を上げた。自分ではなく別の方向に魔装銃を構えた兵が見えた。と同時に鳴り響く銃声。一体彼は何を狙い撃ったのだろうか?そんな疑問を


「気にしないでいいよ。こういった戦場ではよくある流れ弾ってやつ?運悪く当たっちゃうことあるよね?そんな感じ。」


その言葉に呆れと苦笑が漏れた。サマールル側の問題なのだろう。キラエルは関与しないでほしいそういいたいわけだ。


気が付けば当たり前のようにセイギとこうして会話を交わしている。さっきまで殺し合いをしていた仲なのに、不思議と彼との関係は自然で、自分を見てくれている。そろそろ本気で彼と向き合わなければいけないな・・・そう思っていたところだった。


「ルールカ!」


セイギが真剣な眼差しを向けてきている。思わずドキっとしてしまうルールカだ。


「もう1つ約束があったはずだよね?」


「?」


ルールカは首を傾げて見せた。


「え〜と。それなんだけどさ・・・」


セイギが下の方に視線を向けて、小声で言ってくる。その視線の先を追ってみれば


「―――」


ぷちっと何かが切れる音がした。絶対零度の視線でセイギを見れば彼は、潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。


「・・・」


しばらくの間睨みあい、折れたルールカが履いていた下着を脱ぎセイギに渡す。


「あんた!今度は絶対に殺す!」


顔を真っ赤に染め上げてルールカは去っていった。セイギは受け取ったそれを、大事に抱え込んで、軍服の懐にしまい込んでいた箱に入れた。


「重要ミッション完了!」


ルールカの背中に敬意を込めて敬礼した。


司令部に戻ったセイギの耳に、通信兵からの報告が飛び込んできた。


「セイギ中佐!第二皇子が、流れ弾に当たり……」


通信兵の言葉の続きは、戦場の喧騒にかき消された。セイギは一瞬、表情を凍り付かせたが、その凍り付いた表情の奥には、微かな動揺が宿っていた。すぐに深く息を吐き、その吐息は、凍える夜の空気のように冷たかった。冷静な声で命じた。


「負傷兵の回収を優先しろ。第二皇子の遺体は後で丁重に運べ。」


彼の脳裏には、豪華な長椅子でブドウを食べる第二皇子の姿がよぎった。その姿は、セイギの目には、ただの無駄な存在、政争の道具としか映らなかった。第一皇子しかいない現状で、帝王の子は残しておきたいという建前は理解できる。だが、シルヴィ王女との婚姻が大まかに決まった今、期待されることもなく、ただ生かされているだけの第二皇子の存在は、サマールルの未来にとって何の益ももたらさない。


そして、その背後には、冷徹なヒオレド大佐の顔が浮かび上がる。セイギは、この結末が避けられないものであったことを、どこかで理解していた。しかし、理解と感情は別だった。


……サマールルの未来のためには、排除すべき無駄だったのだ。そう、自分に言い聞かせた。


セイギは、誰にともなく呟いた。偽装作戦の成功、ルールカとの約束、そして第二皇子の「事故死」。全てが彼の計画通りに進んだ。だが、その胸には、勝利の歓喜とは異なる、冷たい虚無感が広がっていた。彼は、この戦いが「サマールルの未来のため」という大義名分のもとに行われたことを、自分自身に言い聞かせた。しかし、個人の命が、まるで歯車のように消費されていく現実に、彼の心は微かに軋む。その軋みは、彼の理想と現実の乖離を物語っていた。この勝利は、本当に「正しい」ものだったのか?彼の問いは、夜の闇に溶けていった。その問いは、彼の心に深く根を下ろし、やがて彼の行動原理に変化をもたらすことになるだろう。彼は、この戦場で得た「勝利」の代償として、何を失い、何を得たのか。そして、その「正しさ」を、これからどのように見出していくのか。その答えは、まだ見えない未来の中にあった。彼の視線は、遠くの夜空に瞬く星々に向けられ、その瞳の奥には、新たな決意の光が宿り始めていた。


******************************************


敗北、そして白旗を掲げる判断を下したのは、シルヴィ王女本人だった。


サマールルの軍勢に囲まれたことで、勝利の意志は完全に断念せざるをえなかった。ヒオレド大佐の到着までの間、亡くなった兵達を集めて、生き残った者たちと一緒に簡略では追悼の義をおこない彼らの死を悲しみと敬意をこめて黙祷を捧げた。


その中には、流れ弾に倒れたハルトン第二皇子の遺体も静かに横たわっていた。彼の死は、戦場の悲劇として処理され、ヒオレド大佐の思惑通り、誰からも咎められることはなかった。


この戦場において、個人の意思はあまりにも無力だった。ハルトン第二皇子は、自らの意思とは無関係に、権力争いの道具として送り込まれ、そして「事故」として処理された。


戦いは終わり、武装解除された彼らはヒオレド大佐の軍勢に囲まれ、帝都ヨルンザムで軟禁状態に置かれた。しかし、それは実質的な歓待だった。シルヴィ王女は、キラエル、サマールル、マルセイザ共和国の三カ国間で取り決められた通り、レオリオン第一皇子との結婚が決まっていたため、ミルキと共にヒオレド大佐が紹介する貴族たちとの会談に駆り出される日々を送る。


一方、エリーゼはサマールルの図書館に籠り、好みの女性と親密な関係を築き上げていた。セイギは、勝利の余韻に浸ることなく、戦場で負傷した兵士たちの治療や、失われた命への弔いに奔走していた。たまに時間を作ってルールカとお忍びで街へ繰り出し、つかの間の自由を楽しんでいた。レイニは、支給されたサマールル男性用の軍服に身を包み、女性たちからの熱い視線に居心地の悪さを感じていたが、リナはシバ大佐のもとで、鍛錬に明け暮れる日々を愉しんでいた。


他の騎士団たちも、それぞれの時間を思い思いに過ごす。そんな日々が一か月を過ぎた頃、キラエルからの使者が訪れ、シルヴィ王女率いる近衛騎士団は故郷へ帰還することになった。


「王都入りする。」


シルヴィ王女が力強く宣言した瞬間、その言葉は、彼女自身の複雑な感情を映し出していた。近衛騎士団を率いて王都に入ることは、表面上は帰国の儀式であり、レオリオン第一皇子との婚姻によって、命令違反の咎は帳消しとなっていた。だが、彼女の心は、歓喜とは程遠い、重苦しい感情に支配されていた。数ヶ月前、クーデターによって大きく変貌した王都の姿を目の当たりにする不安。そして、王女として、そして一人の女性として、この激動の時代を生き抜く覚悟。それらが渦巻いていた。


彼女は、この王都入りが、単なる帰還ではないことを予感していた。これは、新たな戦いの始まりだ。政略結婚という名の鎖に繋がれ、王国の未来を背負う重責。愛のない結婚が、果たして真の平和をもたらすのか。その問いが、彼女の胸に深く突き刺さる。それでも、彼女は逃げなかった。静かに、しかし力強く、その運命を受け入れようとしていた。瞳の奥には、一抹の寂しさと、揺るぎない決意が宿っていた。


宮殿の敷地内には、王族と大貴族が起居するための邸宅が数多くある。数か月前、レオリオン第一皇子が主導し、一部の有力貴族がこれに呼応して起こしたクーデターの発生と同時に、現王の寵愛を受けていた第二王子を支持する派閥の家主は大半を失っていた。しかし、家屋そのものは健在で、家具や調度品が荒らされた跡はない。これは、第一皇子派が「王国の綱紀粛正と、長年の腐敗を一掃する」という名目を掲げ、無分別な略奪行為を厳しく禁じたためであり、今回のクーデターが、単なる権力闘争に終わらず、より広範な政治改革を目的としていたことを示している。シルヴィ王女の目には、この静かな王都の様子が、クーデターの冷徹な効率性と、第一皇子派の周到な計画性を物語っているように映った。


そんな邸宅の中の1つで、シルヴィ王女は厳重な警備の下に寝起きしていた。重厚な扉の向こうには常に騎士が控えており、廊下を歩く足音さえも厳かに響く。しかし、邸宅の内部は驚くほど手入れが行き届いており、豪華な絨毯が敷かれた広間には、埃一つない調度品が並んでいた。シルヴィ王女は、朝には侍女と共に静かに朝食をとり、日中は届けられる書状に目を通したり、側近との短い会談を重ねたりと、限られた自由の中で王女としての務めを果たそうとしていた。その姿は、囚われの身でありながらも、決して気高さを失わない王女の矜持を示していた。


強欲と慈善


どこか息苦しい感覚を覚えながら、ゆっくりと意識は現実に引き戻されていく。


微睡む感覚から現実に感覚が慣れてくと、自然と手足の感触がはっきりと伝わってくる。次第に全身の感覚が覚醒して、最初に感じたのは身体に纏った衣服の違和感からだ。きらびやかな見た目で、派手な装飾品がいくつもついた真っ白なドレスだ。


いつの間にこんな結婚式にでも着るドレスに身を通したのか?記憶がなかった。


重厚な扉が開くと、宮殿の奥深くに続く聖堂までの通路が現れた。シルヴィはそのまま歩を進めると天井のフレスコ画から降り注ぐ薄暗い光が、祭壇前の長大なテーブルをわずかに照らしている。そして、その向こうには、皮張りの椅子に、金色の鎧を纏った私が座っていた。


同じ顔、同じ髪、全く同じの無表情。その姿は、まるで完璧に磨き上げられた鏡像が、奥行きを持って三次元の世界に出現したかのようだ。私は息を吞むことさえ忘れ、心臓だけが不規則に脈打つのを感じた。相手は動かない。ただ、真っすぐに見つめ返してくる。まるでこの瞬間、世界の均衡が静かに崩壊したかのように、聖堂全体が冷たい沈黙に凍り付いていた。


軋む床板を踏み越え、聖堂の内部へ。ステンドグラスの光が虹色のシミを作り出す先に、そこには、肩肘をついて頬杖をしたもう一人のシルヴィが待っている。


「ようこそ、シルヴィ王女・・・いやシルヴィ皇女と呼べばいいか?」


声まで同じ。自分の声なのに、他人の声を聞くような奇妙な響きが、聖堂のヴォールト天井に吸い込まれていく。テーブルの上には、2つの杯が置かれていた。


「そこに座れば良かろう。立ったままでは話も出来ぬ。」


彼女は微かに口角を上げ、指先を軽く叩いた。その仕草もシルヴィ自身のものだった。


「まずは、この度、キラエルの平和という大義のため、かくも重い決断を心より感謝と敬意を表そう。そなたの献身が、何世代にもわたるキラエル国民の安全を保障することになる。」


「・・・平和という大義を心に刻み、必ずやこの身命を全うする所存だ。何世代にもわたる国民の平和という言葉を胸に、誠心誠意、両国の駆け足となれるように尽くそう。」


「そなたのその決意こそが、キラエルの、そして両国間の平和を確かなものとなろう。重ねて、心より感謝を。」


ここで一度、深く頷き、目を細めた声のトーンが下がる。


「しかしだ。平和とは、美辞麗句で飾られた犠牲の上には築かん。真の平和とは、盤石な利益によって成り立つものだ。正直に問おう。シルヴィ皇女、望みは叶ったか?」


その言葉にかすかに眉をピクリとさせて


「平和という大義の為に命を懸けると決めた。ならば、その平和の代償は、私が決める。そしてその代償は決して安いものではない。」


皇女の言葉を無感情な表情と声で


「そうだな。決して安いものではなかった。両国間で戦争が勃発し多くの数えきれない民がその命を失くした。そのきっかけを作ったのもそなたで、拡大させたのもそなただ。それで、何を代償に求めた?」


「先にも言ったであろう?停戦だ。戦争は、単なる過去の出来事ではなく、この先にも様々な形で未来まで影響を及ぼし続ける。いわば災害だ。それを早期に終結させることが、私の望みだ。」


「ふふっ・・・それが本当の本心で望んだことか?」


「そうだ。望んだことだ。」


ドレスを纏ったシルヴィ皇女の言葉は、否定はしないが、その上で王族としての責務と立場を象徴する。しかし、その瞳の奥には、微かな揺らぎが見て取れた。


もう一人の鎧を纏ったシルヴィ王女は、その揺らぎを見逃さなかった。


「…そうか。だが、その『代償』は、そなたにとって、どれほどの重みを持つのか。サマールルの第一皇子に『君は不幸な生まれだ』と言われ続け、味方のいない人質の立場で、彼だけが声をかけ続けてくれた。その『蔑む行動』が、政略結婚を勝ち取るための原動力となった…そうではないか?」


皇女シルヴィは、言葉を失い、視線を伏せた。その指摘は、彼女の心の奥底に秘めていた真実を、容赦なく暴き立てた。


シルヴィは、宮廷の華やかな生活の裏で、キラエルとの間に不穏な空気が漂い始めていることを敏感に察知していた。長年培われた王族としての知識は、単なる小競り合いでは終わらない、大規模な戦争の兆候を彼女に告げていた。しかし、人質としてサマールルに囚われ、「不幸な生まれだ」と蔑まれ続ける日々の中、彼女には味方も、自らの意思で状況を変える力もなかった。このままでは、自身もまた無力なまま流されてしまう。そんな絶望的な状況の中、彼女の心には、自身の「居場所」を求める強い渇望が芽生えていた。


ある時、シルヴィは偶然にも異世界人が住むという隠された村を訪れる機会を得る。そこで彼女は、この世界には存在しない「産業革命」に繋がる画期的な知識と技術に触れることになる。それは、戦争の様相を一変させる可能性を秘めた、まさに運命的な出会いだった。


そして、その村で彼女は一人の男、セイギ・スドウと出会う。彼の瞳の奥には、飾り気がなく、混じりけのない純真で清純といった、素直で真っすぐな少年のそれだった。それは、ルールカと「本気で戦ってみたい、また会いたい」という、戦いへの純粋な渇望と、ある種の執着にも似た恋愛感情だった。シルヴィは直接ではないが、その感情の存在を確信する。そして、彼女の頭の中で、一つの大胆な計画が形作られ始めた。このセイギの「純情な感情」を利用すれば、停滞した状況を大きく動かすことができるかもしれない。


シルヴィは、異世界で得た知識とセイギの感情を巧みに利用し、サマールルに戦争を起こさせるよう仕向けた。それは、多くの犠牲を伴う、冷徹な決断だった。しかし、彼女にとっては、これが自身の「居場所」を求める強い渇望に忠実に従った。


戦争が勃発すれば、人質である彼女はキラエルに帰還することになる。そして、そこで彼女は停戦に向けて、文字通り命を懸けて奮戦するだろう。異世界の知識をサマールルに流し、戦況を有利に進めさせることで、彼女はキラエルを敗戦に導く。


この一連の計画の最終的な「代償」は、政略結婚だった。しかし、サマールルで人質として孤独な日々を送っていたシルヴィにとって、第一皇子だけは「君は不幸な生まれだ」と言われ続ける彼女に、唯一、声をかけ続けてくれた存在だった。その蔑む態度から次第に、彼女の心には、複雑な感情が芽生えていた。


キラエルは苦戦を虐げる避けられない運命だったが、彼女はそれを逆手に取った。この戦争を通じて、第一皇子に「私に興味を抱いてもらいたい」という、個人的な願いを叶えようとしたのだ。戦争を誘発し、停戦に貢献することで、彼女は単なる人質ではなく、一国の女性としての存在感を示し、彼に自身の価値を認めさせようとした。


こうして、シルヴィ王女の行動は、自身の「居場所」を求める個人的な欲望、キラエルへの復讐心、そして第一皇子への複雑な感情が入り混じった、壮大な計画として展開されていった。


「…私は、私の居場所を求めていたのかもしれないのかもしれない。キラエルとサマールルの間に戦争の兆しを感じ取り、異世界人の村で得た知識、そして…セイギの歪んだ感情を利用した。全ては、私がキラエルに帰り、停戦に向けて奮戦し、そして…彼に、私に興味を抱いてもらうため…。」


彼女の声は震え、微かに涙が滲んだ。


「その代償が政略結婚であることは、初めから望んでいた。だが…それでも、彼が私に語りかけてくれた言葉、その優しさが…私の心を捉えて離さない。これは、本当に『平和』のためだけの決断だったのか…それとも、私の個人的な『我儘』が、この全てを招いたのか…。」


もう一人のシルヴィは、静かに彼女を見つめていた。その金色の鎧は、まるで彼女自身の冷徹な理性を象徴しているかのようだった。


「…その答えは、そなた自身の中にある。真の平和とは、盤石な利益によって成り立つもの。だが、その利益の裏に、個人の感情や欲望がどれほど絡み合っているのか…そなたは、その全てを抱えて、それが強欲とは思わぬか?」


皇女シルヴィは、ゆっくりと顔を上げ、もう一人の自分と視線を合わせた。その瞳には、迷いと苦悩、そして、それでもなお前へと進もうとする強い意志が宿っていた。


「…、『強欲』なにが悪い。」


彼女はそう言い切ると、一瞬、自嘲するように口元を歪め、しかしすぐにその表情は研ぎ澄まされた刃のように鋭くなった。目の前の杯を掲げ中身を飲み干した。琥珀色の液体が喉を潤すたび、彼女の心に新たな力が漲るかのようだった。


「ふふ…認めるか。では、そなたはこの先何を望む?このまま、レオリオン第一皇子と婚姻を結び子でも授かって安寧とした日々を望むか?」


もう一人のシルヴィの声は、冷たく、しかしどこか諭すようだった。聖堂の薄暗い光が、彼女の無表情な顔を一層厳しく見せる。


「…安寧など、望んでいない。ただ…サマールルの民たちに戦い以外の喜びを知ってもらいたい。彼らが新たな文化や技術に触れ、笑顔で満たされるその光景こそが、私の存在をこの国に深く根付かせ、揺るぎない居場所を与えてくれると信じているからだ。」


皇女シルヴィは、言葉を詰まらせた。その白いドレスは、彼女の心の重さを映すかのように、ずしりと彼女の肩にのしかかっているように見えた。


「それは偽善だな。だが、それもまた強欲だな。異世界人の知識、セイギの感情…それらを利用し、戦争を誘発したのは、他ならぬそなた自身だ。その結果として、多くの民が命を落とし、そなたは政略結婚という対価を得てサマールルもその手に治めるつもりか?それも、そなたが望んだ『居場所』と『平和』のためではなく己自身の為に。」


もう一人のシルヴィの言葉は、皇女シルヴィの心の奥底に突き刺さる。彼女は顔を覆い、震える肩を必死に抑えようとした。


「…わかっている。全ては、私が望むこと。…私が得た異世界の知識は、この国の産業を根底から変える力を持つ。民は飢えから解放され、新たな技術は生活を豊かにするだろう。そして、この政略結婚は、キラエルとの間に盤石な平和をもたらし、永きにわたる安定を築く。私の『強欲』が、結果として民の『慈善』に繋がるのだと、私は信じている。」


「ならば、その責任と義務を背負うか?そなたの行動によって動き出した歯車は、もう止めることはできない。ならば、そなたが為すべきことは、ただ一つ。その歯車を、そなたが望む未来へと導くことだ。」


もう一人のシルヴィは、立ち上がり、ゆっくりと皇女シルヴィの前に歩み寄った。金色の鎧が、カチャリと音を立てる。


「そなたは、もはやただの皇女ではない。自らの意思で、この世界の命運を左右する力を手にしたのだ。その力を、恐れるのか?それとも、その力を使いこなし、そなた自身の欲を満たすか?」


その言葉に、皇女シルヴィはゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた瞳の中に、再び強い光が宿り始める。


「…そうだ。」


「ならば、迷いを捨てよ。そなたの『強欲』が、この全てを招いたというのなら、その『強欲』を、民たちにとって『慈善』へと変えるのだ。そなたが望む『欲』を、そなた自身の手で築き上げよ。」


もう一人のシルヴィは、祭壇前の長大なテーブルに置かれた杯を指し示した。


「さあ、そなたの決意を示せ。この杯に手を伸ばし、そなたの道を歩む覚悟を。」


皇女シルヴィは、深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。その瞳は、もう迷いを含んでいなかった。彼女は再び、目の前の杯に手を伸ばした。その指先は、今度は迷うことなく、杯の縁に触れた。


「…私は、この全てを抱えて、歩む。この道が、たとえ『強欲』と謗られようとも、私は私の『居場所』を、そして…私の『欲望』を、この手で掴み取る。」


彼女はそう言い切ると、杯をしっかりと握りしめた。その指先には、もはや微塵の迷いもなかった。聖堂の薄暗い光が、彼女の決意に満ちた横顔を静かに照らし出し、その瞳の奥には、未来を見据える揺るぎない光が宿っていた。


「ふふ…その覚悟、見事だ。そなたの『強欲』が、真に民の『慈善』へと繋がるか、この目でしかと見届けさせてもらおう。」


鎧のシルヴィは、ドレスのシルヴィの肩にそっと手を置いた。その手は冷たい金属の感触でありながら、どこか温かい、不思議な感覚を伴っていた。


「だが、そなた一人では、この壮大な計画は成し得まい。そなたの隣には、共に歩む者たちがいた。彼女らにも、そなたのこの決意を知る権利があるはずだ。」


そう告げると、鎧のシルヴィの瞳が、聖堂の奥深くを見つめた。その視線の先には、何もなかったはずの空間が、ゆらりと揺らめき始める。まるで水面に波紋が広がるように、光の粒子が舞い上がり、やがて五つの人影が朧げに浮かび上がった。


「…エリーゼ、ルールカ、レイニ、ミルキ、そしてリナ。今、この夢の中で、そなたの真の願いと覚悟を見届けてもらう時が来たのだ。」


鎧のシルヴィの声が聖堂に響き渡ると、光の粒子はさらに輝きを増し、五つの人影は徐々に鮮明な姿を現し始めた。彼女たちは、まだ夢の中にいることに気づかないまま、戸惑いの表情で周囲を見回している。ドレスのシルヴィは、その光景を静かに見つめながら、新たな戦いの幕開けを予感していた。


そして、鎧のシルヴィは、集まった五人の顔を一人ずつ見つめ、静かに、しかし力強く告げた。


「そなたたちには、この先、自由に生きることを許す。過去の因習に縛られることなく、そなたたちの望むままに、それぞれの道を歩むが良い。」


困惑と、しかし微かな希望の光が、彼女たちの瞳に宿る。エリーゼは理知的な表情で腕を組み、ルールカは獰猛な瞳の奥に静かな炎を灯し、レイニは戸惑いながらもその言葉の意味を深く考え、ミルキは不安げにドレスのシルヴィを見つめ、リナはただ純粋な眼差しでその言葉を受け止めていた。


「だが…このシルヴィの覚悟は、そなたたちにも伝わったはず。建国の勇者、キラエル、アンチュア、ハインツ、シューゲルト、ペルニウス…彼らが築き上げたこの国の未来を、そなたたちは、このシルヴィの代わりとなって、その戦いに身を投じ証明する覚悟があるか?」


聖堂に沈黙が訪れる。五人の視線が、ドレスを纏ったシルヴィへと向けられた。彼女の瞳には、迷いも、偽りもない、揺るぎない決意が宿っていた。その姿に、エリーゼが、ルールカが、レイニが、ミルキが、そしてリナが、一人、また一人と、静かに、しかし確かな光をその瞳に灯していく。


やがて、ルールカが口を開いた。その声は、かつての戦場で見せた獰猛さとは異なり、静かで、しかし確固たる響きを伴っていた。


「…承知いたしました。我らは、シルヴィ王女の覚悟を、この身に刻み込みます。建国の勇者たちの意志を継ぎ、シルヴィ王女の代わりとなって、あなた様のために戦いましょう。」


他の四人も、それに続くように深く頷いた。彼女たちの表情には、迷いの影はもうなかった。それぞれの心に、新たな使命と、自由への希望が宿った瞬間だった。ドレスのシルヴィは、その光景に、静かに、しかし深く、目を閉じた。彼女の「強欲」が、今、確かに「慈善」へと転じようとしている。


シュークルトとリナ


「―――!?」


真横から飛び込んでくる影への反応にリナは遅れた。


宙に浮いた身体が自分よりも大きな質を持った盾の直撃を喰らい、そのまま横っ飛びに跳ね飛ばされる。不意を突かれてそのまま真横に飛ばされ、そこで待ち構えていた盾に自ら激突し、全身に叩きつけられる衝撃。


鈍い痛みと、骨が軋むような痛苦にうめき声を上げ、リナは咄嗟に転げまわる形でその場を離脱し、回復魔法で治療を済ませて身体を起こす。


「・・・です。」


眼前に盾を構えた敵の姿があった。拳を構えて、相手の懐に飛び込もうとした瞬間、リナの腹にまたしても衝撃が襲う。リナがその衝撃を吸収できず浮きあがる身体に、真上から盾で殴りつけられそのまま地面に叩き込まれた。


「―――」


うつ伏せになったリナに、追い打ちが迫る。勢いと質量の両方のダメージをくらいさらに蹴りつけられて激しく転がった。そのまま吹き飛ばされ地面に投げ出される。


凄まじい攻撃に咳き込みながら、リナは身体を起こしながら回復魔法を施し、顔を上げた。


リナをいきなり襲ってきたのは、盾を構えた恰幅の良い金髪の青年だった。周りには彼を守るようにいくつかの盾が宙に浮いている。リナはその青年の名前を知っていたシュークルト。シールド魔法の使い手、王の守護者という肩書が示す通り、彼は最北の地を治めていたかつての名君だ。


「シュークルト・・・」


魔力を込めて呪いの縄を発動させる。途端に激痛が全身を隈なく奔るが、リナはそれを満足気に味わい、そのままシュークルトに向かって一気に迫る。呪いの縄の力によって大幅に戦闘力を上げた攻撃だ。シバ大佐にも届いた渾身の一撃。


「・・・」


リナの渾身の一撃が、シュークルトが突き出した盾によってまるで鋼鉄の壁に阻まれたかのように塞がれる。盾1つでリナの打撃が全て受け止められていた。受け流しも、衝撃もない。それは物理法則を無視したかのような絶対的な防御だった。たった1つの盾に。


動きが止まったリナに容赦のないシュークルトの攻撃が襲う。顔面に、腹に、背中に、腕に、足に、腰に、腹に。盾を使っての乱打を浴びせる。


地面に叩きつけられ、蹴飛ばされて、転がり、転がされる。


身体中の激痛を全身で味わい、仰向けの状態で転がり止まったところで、鉛色の空を見上げる。回復魔法ですぐさま立ち上がり、ここで魔力回復ポーションを飲む。その液体が喉を焼くように流れ込み、全身の細胞が悲鳴を上げながら再生していくのを感じた。


「ふ~。」


シバ大佐との戦いで魔力切れをおこして継戦が出来なかった反省点を鑑みて、リナはいくつかの魔力回復ポーションを常に携帯している。これでリナは万全の態勢で再度シュークルトに挑める。


シュークルトは、リナの行動をただ見て佇んでいるだけだ。シールド魔法もそのまま展開させて、さぁ来い。とでもいうようにリナを見ている。


対峙してリナは考える。決して俊敏だとは思えない体形でありながら、展開されるシールド魔法の範囲を無視して攻撃を与えることが出来るとは思えない。脳裏に描かれる無数の攻撃パターンは、瞬く間にシュークルトのシールドによって打ち砕かれる。


「です。」


先の攻撃は力任せにシールドに塞がれた。なら、速度でシールドを躱して攻撃に転じる。


無言のシールドが、踏み込むリナを迎え撃つ。


宙に浮いていたシールドの1つが、打撃というには鋭さが全く違う。それはシュークルトが生み出したシールドによる圧撃。シールドの質量をもってして敵を圧し潰す。その一撃は、まるで巨大な鉄槌が振り下ろされるかのような破壊力だった。


猛然と迫るシールドが、躱すリナの髪を掠める。その風圧に小柄なリナの態勢が崩れる。小回りが利くリナはそこで踏ん張り、さらに踏み込みを見せて、懐に潜り込むはずだった。


「―――」


なのに、懐に入ったリナの真下から、シールドが真上に打ち上げられる。強引にのけ反り躱しきる。盾職。ただ守りに徹することだけが仕事ではない。いかに工夫して思考を巡らせて最大限に己の本懐をまっとうできるのかが、勇者と呼ばれる所以なのだ。


圧撃を躱し続けて、隙が出来た死角から狙っても防がれる。まるで迷宮に閉じ込められたかのような八方ふさがりとはまさにこのことだ。


圧撃を躱し、圧撃を屈んで躱し、圧撃を飛んで避け、圧撃を反らして、圧撃を渾身の打撃で相殺させて、圧撃を転がって回避して、圧撃を蹴ってその反動で離脱しようと試みて、圧撃の追撃が真上から直撃を受けてリナは圧し潰される。


「ぐ・・・」


リナの全力の回避行動に、どうにかこうにか躱し続けても最後には捕まり圧し潰される。この攻撃で全身の骨がひび割れて身体がいう事を効かない。ただ這いつくばっているだけのリナにさらなる追い打ちは来ない。立ち尽くすシュークルトにトドメをさす意図がないからだ。


「――――」


同じ姿勢、同じ眼差し、喘ぐ敗者を見下ろしているわけではない。ただ、彼は向かって来い。そう無言で訴えかけてきているようだ。


勝つ!負ける予感、予兆など振り払え!


負けた言い訳などない。それは死にも等しい。


勝つ。英雄譚に名を馳せる勇者シュークルト。キラエルと共に戦い大陸を1つに纏めた立役者。だからなに?リナは今を生きている。それは勝つと同じ同意語だ。


心も体もボロボロだ。全身の神経が千切れるような痛みが駆け巡り、それがとても心地いい。けれど今はそんな快感、悦楽、淫楽などどうでもいい。ただ目の前に立ち塞がる強敵に勝ちたい。その純粋で、狂気にも近い一言だけがリナの頭の中を占める。


無言のシュークルトと、ふらふらのリナが相対する。


ふらつくリナが地面に力をこめて踏み出した。直後、シュークルトの盾が動き出す。


否、動かされた。


「―――」


リナはふらつきながらもステップを踏み続け、次第にゆらゆらと掴みどころのない動きに変わり、残像を残す。リナがスピード重視のスタイルに切り替えた結果、残像が複数になる。


リナが近づくたびにシールドが攻撃に転じるもそれは、残された残像だった。それが1つ1つシールドが襲いかかることによって、シュークルトと本人を守るシールドの数が減る。この一瞬のチャンスをリナは見逃さなかった。


リナの身体がシュークルトを捉えた。瞬時に火力重視のスタイルに切り替えて拳がシュークルトの腹に吸い込まれる。くの字に折れ曲がったシュークルトにリナの猛撃が炸裂する。打撃、蹴撃、肘、膝、頭、かかと、全てがシュークルトに入る。


勢いに任せて追撃、追い撃の猛攻を続けるリナだったが、シュークルトと目が合った瞬間に悪寒を感じ取った。


そして同時にシュークルトの反撃が始まった。


盾というものは大きければ大きいほど、それを構える物をより多くの攻撃から身を護る防具だ。一般的にそう思われているし、実際にその通りだ。だが、シュークルトの考え方は違っていた。複数のシールド魔法を展開できる戦闘技術を備えている彼は、逆に小さな盾を作り出した。竜の鱗ぐらいまでサイズを縮小させて、それを無数に展開させてみればどうなるか?


それは1匹の蛇のような生き物のように動き、敵をリナに襲い掛かる。不意に現れた盾の蛇は、まるで獲物を狙う猛獣のようにリナに襲い掛かり、地面に叩きつける。


「う・・・」


苦鳴が思わず漏れたが、それだけに留まらず、盾の蛇が豪雨のようにリナに降り注いだ。


その圧倒的な圧撃に、視界は天地を一瞬で見失い、まるで全身が爆砕されたかのような衝撃がリナを支配する。何が起きているのかリナは、それだけは理解している。必死に生存本能だけで回復魔法で治療に宛てるが、それが追いつかないほどの苛烈さ。


数分間その圧撃が続き、さらに数分間を使ってリナは身体を起こすことだけまで回復して、立ちあがった。シュークルトは静かに、血まみれのリナを見つめるのみ。


「・・・勝つ・・・です。」


喪失感、無力感、敗北感を全て飲み込んで、魂の奥底から湧き上がるような勝利の渇望に縋り、シュークルトに戦いを挑む。


リナの目の焦点はまだ定まってはいない。それでも彼女は戦闘態勢をとった。


それを見届けたシュークルトが静かに動く。さきほどと同じように盾を蛇の形にして、迎え撃つ。


「はぁぁぁぁぁぁ!」


リナは戦闘においても生活においても気合、咆哮、叫びといった感情を吐露したことはない。それだけシュークルトに勝ちたい、負けたくない、魂を揺さぶるような本能だけが彼女を吼えさせた。


疾走につぐ加速を加えて、リナは向かってくる盾の蛇の頭に乗りそのまま駆け昇る。その行動が予想外だったのだろう。シュークルトの反応が一拍遅れた。


突き上げる拳が、シュークルトを穿つ。肉を鋼が撃つ鈍い響き、しかし撃ったのは胴体ではなくその間に挟み込まれたシールドだ。


「はあぁぁぁぁ!!!」


シールドに阻まれながらも、リナは咆える。猛然と猛烈と猛攻による猛追。シールドおかまいなしにリナの全身の武器が猛威を振るってシュークルトを穿つ。


リナは無心だ。


シュークルトによるシールド攻撃に怯むことなく、傷つき、血が舞い、圧撃を喰らいながらも、ただ無心に攻撃を繰り返した。


その時だ。シールドが砕け散った。他のシールドもひび割れを起こしている。


「―――!!!」


振り回す蹴りがシュークルトの頭部に蹴りつける。その衝撃に揺らぐ。さらにひねりを加えての蹴撃。この攻撃はさすがに効いたのだろうシュークルトが大きく下がった。


「はぁぁぁぁ!」


さらなる追撃。しかし、それはシールドによって阻まれ、直後にシールドのよるラッシュにリナは晒される。左右から叩きつけられ、真下から顎を跳ねあがられ、真上からの圧撃。


膝がぐらつき、ぐらつく身体を気合で踏ん張り、シールドを搔い潜ってシュークルトに拳を届ける。そのままシュークルトの身体に組み付く。シールドで圧撃を加えて引きはがそうともがくが、リナはそれを許さない。


本能だけの行動で、そのまま組み付いたまま、リナは真上に跳び、まるで獲物を捕らえる猛禽のように重力を味方につけ真下に直下降。地面に叩きつける。


頭に直撃されて意識が朦朧とさせるシュークルト。それでも立ちあがった彼にリナはここぞとばかりに攻め立てるも、シュークルトもそれに応戦する。


お互いただの殴り合いの形となった。シュークルトはシールド魔法を消して、リナは殴られたら、殴り返す。躱す、避ける。そんな動作は一切度外視した、意地と意地のぶつかり合い。なんの戦略も戦術もなにもない。


拳が相手の横面を殴り、殴り返される。言葉は無言。しかし意志だけははっきりとしている。勝つ!たったそれだけだ。


いつまでも続く激しい殴り合いが、やがて終わりを告げる。


「あ・・・」


目を見開いたリナの眼前で、シュークルトの姿が一瞬で崩れ落ちた。


シュークルトの姿が足元から、次第にその存在が消え失せていく。あまりにも呆気ない終焉にリナは呆然と眺める事しかできない。


「見事だ。」


そう言ってシュークルトはその姿を消した。その後には黒く重厚な石とシルバーを組み合わせたリングが「概念を喰らう猛き意志」そう刻まれてそこに残されていた。


ペルニウスとエリーゼ


広大な円形闘技場の、きらびやかな貴賓席。そこは血と砂塵の舞う殺伐としたアリーナとは隔絶された、別世界のようだった。大理石のテーブルには精緻な銀のティーセットが並び、芳醇な香りを立ち上らせる紅茶が湯気を立てている。


そこに座るのは、濃い赤い軍服を身に纏った男装の麗人エリーゼだった。日の光さえも濾過するような透明感のある肌、夜明けの空の色を映したような澄んだ瞳。彼女は指先まで優雅な所作でティーカップを持ち上げ、ゆっくりと琥珀色の液体を喉に潤した。その口元に微かな笑みが浮かぶのは、紅茶の繊細な風味に心を満たされているからだろう。


彼女の背後には、2人のメイドが控えている。1人は金髪で背中まで髪を伸ばしているほうが風精霊のセレス。彼女は銀器のポットを両手で抱えて持っている。水色の髪を肩まで伸ばしている方が水精霊のレイン。エリーゼの前に砂糖菓子を綺麗に並べている。どちらもメイド服を着た美女だ。


そして、そのエリーゼの左肩には、小さいながらも威厳に満ちたドラゴンが砂糖菓子を咥えて、小さく「うめぇ」と喉を鳴らす。エリーゼがカップを置くと、そっとそのドラゴンの頭を撫でると、火の精霊イグナイトは満足気に目を閉じ、ゴロゴロと喉を鳴らす。


足元では、小人の土精霊クレイがメガネをキラリと光らせて、分厚い本を開いて読書に勤しんでいる。その姿はどこかこの場にそぐわないけれど、エリーゼはその小さな小人に向けて微笑んだ。


闘技場の中央には女性的な顔立ちのペルニウスが1人佇んでいた。その姿はまるで幻だったかのように、エリーゼには見えていない。セレスが淹れてくれた紅茶を楽しみ、ひと時の会話を楽しんでいた。


「おい!エリーゼ。そろそろ相手してやらないと可哀そうではないか?」


会話がひと段落したところでイグナイトがそわそわしながらそう告げる。


「そうよね・・・どうしようかしら?」


エリーゼは首を傾げてみせるが特に困った様子ではない。むしろ、久しぶりに精霊たちと交わす言葉の響きが、戦場の喧騒で疲弊した心を絹糸のように優しく撫でるようだった。ティーカップから立ち上る芳醇な紅茶の香りが、彼女の心の奥底に、ささやかな安らぎをもたらす。その温かさが、指先から全身へとじんわりと広がるのを感じた。


「相手をしてほしいんだろう?ここは俺の出番だろ?」


イグナイトがうきうきしながら言う。久々に身体を動かして戦いたいのだろうし、好戦的な性格も拍車をかけている。


「イグナイト。前はあなただけで片付けてしまいましたよね?なら、私に譲ってもいいとおもいません?」


レインがそう言って反論し、自分が戦いたいとそう願う。


「そう言う話なら、私だって権利を主張しますよ。」


セレスがこれにくってかかる。


3人の精霊のやりとりを眺めて、小人に聞いてみる。


「クレイはどうする?」


「勇者ペルニウスだな。3人で行って来い。わしはここで読書に励んどる。流れ弾の心配はするな。エリーゼに危害は及ばせん。」


しゃがれた声でそう返事を返すと、そのまま本に没入してしまったようだ。


「勇者か!面白い。」


イグナイトはそう言ったかと思うと、我先にと闘技場の中央まで飛んで行ってしまった。


「まったく・・・」


「仕方ないドラゴンです・・・」


レインとセレスがそう零して、後を追って行ってしまった。残されたエリーゼは。ふふっと笑ってその後ろ姿を嬉し気に見送った。


精霊3人がペルニウスに向かっていくのを見送りながら、エリーゼはティーカップをそっと置いた。彼らの無邪気なまでの闘争心と、ペルニウスの揺るぎない強さが織りなす戦いを、彼女は静かに、しかし深い興味を持って見つめていた。


精霊3人が向かうと、ペルニウスは弓を構えて背中の矢筒から矢を抜き出した。狙いを定めると矢継ぎ早に3本の矢を放つ。


「おっと。」


イグナイトとセレスとレインがそれぞれ躱して、勇者ペルニウスとの戦闘が始まった。


炎と水と風が、ペルニウスに襲い掛かるもそれを巧み躱して、反撃の矢で応戦し、激しい攻防戦が繰り広げられる。


ペルニウスの矢は、風を斬り、大気を薙ぎ、その軌道は変幻自在。あさっての方向に放ってみせても狙った標的を外さない。前後左右、跳躍し、跳ね回りながら矢で精霊たちを強襲する。その一連の動作は舞っているようなそんな錯覚をおぼえさせるほどだ。


外れた矢は、地面に突き刺さり辺り一帯を抉れて、削れて爆ぜさせる。その威力は凄まじいの一言だ。乱れ撃ちによる四方八方から襲ってくる矢を、涼しい顔で、3人の精霊はこれらを躱すなり、弾いたりと迎撃する。


今度はこちらの番だと言わんばかりに、3人の精霊の攻勢が増していく。さすがのペルニウスもその威圧感に気圧されて、一転して逃げに徹する。


一度、距離を置いたところでペルニウスに、セレスが仕掛けた。姿を風に乗せて視界から消えてみせると、ペルニウスの背後にいつの間にか現れたセレスは迷うことなく、首を狙った。


と、その瞬間だった。セレスの身体が大きく弾かれた。前を向いて弓矢を構えていたのにも関わらず、放った矢が真後ろに飛んできたから、セレスは慌てて飛び退ったということだった。前を向きながらでも、狙ってペルニウスは後方に矢を放てる戦闘技術が備わっているらしい。


セレスとのやりとりの間に、レインが今度は水を鞭のようにしならせて、叩きつける。が、それはペルニウスの火を纏った矢が迎え撃ち、激しい蒸発音とともに霧散する。その隙にペルニウスはさらに矢を放つ。


火の蛇のような動きで口を大きく開き、レインを飲み込んだ。レインはその攻撃に咄嗟に水の盾を形成して難を逃れる。


間を開けずに今度はイグナイトが口を開いて、火の玉を放った。一直線に放たれた巨大な火の玉。ペルニウスはそれを避けるでもなく、火の矢を放つ。火の玉と、火の矢が激突して、巨大な火の玉は大きく狙いを反らして、ペルニウスはその余波に吹き飛ばされる。


ここで3人の精霊が相手の力を認めたのか、イグナイトの燃え盛る火の玉がペルニウスの退路を塞ぎ、レインの水の鞭がその足元を絡め取る。その一瞬の隙を、セレスが風に乗って背後から襲いかかる。三位一体の攻撃は、まるで完璧に調和した舞踏のようだった。


火、水、風の猛威がペルニウスが転げまわる勢いで一心に逃惑う。その顔には、苛烈な攻撃に対する集中と、しかしどこか楽しむかのような微かな笑みが浮かんでいた。燃え盛る火の玉、迫る水龍、あらゆるものを斬り裂かんばかりの竜巻、喰らった瞬間にペルニウスはそこで終わる。ことを悟っているのか、猛然と走り、跳び、躱す。それでもペルニウスは応戦する。


3人の精霊と勇者ペルニウスの乱戦が激化する。苛烈さと熾烈さが増す中でペルニウスは避けながらも、目を瞑って凌いでいた。聴覚、嗅覚、視覚、味覚、触覚すべての五感を集中させ魔力を練り、ひたすら矢の先端に収束させていた。あらゆる攻撃手段が通用しないと早々に見切りをつけたペルニウスは逃げ回りながらも、チャンスを窺っていた。


それは3人の精霊がひと固まりになるその時だ。それが今、訪れた。全身全霊を込めて弓を引く。収束された魔力が小さな太陽と化す。すさまじい熱量と衝動と破壊エネルギーを携えた3本の矢が精霊達を捉えて放たれる。


回転の加わった最大級の渾身のペルニウスが放った3本の矢が放たれたと同時に、その強度に耐えきれず愛用の弓が砕け散る。小さな太陽と化した3本の矢がイグナイト、レイン、セレスに向かって差し迫る。視界どころか世界をも焼けつくさんばかりの矢は、もはや超常を遥かに超えた一矢だ。


回避は不可能、防御などそのまま吞み込まれる。ならば出来ることは1つしか残されていない。迫りくる矢に、精霊たちは


「「「―――」」」


己が持てる最大の魔法で応えるのみ。激突。


刹那の静寂、世界が白い閃光に飲み込まれた。太陽の灼熱を凝縮したような波動、闘技場だったものが、石粒、塵、砂、全ての物質が蒸発へと一瞬で様変わりし、その後に残されたのはまるで神の指で大きく抉り取られたかのように、巨大なクレーターだけを残して消え去った。


爆発のエネルギーが風や熱となって、エリーゼの元にも届くが、クレイの土魔法によって遮られる。そして破壊の余波がなくなると、全てが何もなかったかのような静寂に包まれた。


「ふぅ・・・」


イグナイトのそのつぶやきは、いくら精霊であろうとも危機一髪だったことを物語っていた。


それでも、イグナイト、レイン、セレスは健在でどこか晴れ晴れとした表情を浮かべていた。それだけペルニウスが得難い強敵だったのだろう。


そしてエリーゼの手元にはどこからか現れたネックレスがそこにあった。外枠はアンティーク調で中にはダイヤモンドのキラメキが光っている。そのネックレスには、「光を放つ羅針盤」と刻まれていた。エリーゼはそっと指でそれをなぞり、その輝きの中に、新たな旅路への予感を見出したかのように、静かに目を閉じた。


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