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ヒオレド・シノ大佐との暗躍


「シルヴィ王女よ。君は生まれながらにして不幸で、そして哀れだ。」


憐憫を込めた瞳で少女を見つめて、少年はそう告げる。


深く澄んだ瞳に、一目でその質の高さがわかるロイヤルネイビーの仕立て服。清潔感と高貴な雰囲気を際立たせる服装を常に身にまとっている。彼はそういう少年だった。自分の地位に見合った格好で、常に同じ笑顔を浮かべている彼に、関心と畏怖を抱いていたことを覚えている。


「なぜ君は不幸なのか?何度も言うよ。それは君がキラエル王国の王族として生まれたからだ。これほどの不幸は他にはないと僕は思う。というのも、君がここにいる理由は、栄光でも富でもなく、過去のツケ、悪化した人間関係、あるいは積りに積もった失策の責任だけであり、高貴な立場にいるにも関わらず、その報いを一身に受けている、極めて過酷な状況を背負わせられている。」


人の心を和ませる人懐っこい笑顔も、シルヴィと向き合う時だけは静かな冷笑にすり替わる。怒鳴るわけでも、責めるわけでもなく、顔を合わせるたびに少年はただただ、彼女を哀れんだ。そういう道徳観と倫理観の喪失へと導いていた。


「次に、なぜ君が哀れなのか?それはサマールルの地で育ったがために、自らの境遇を理解するだけの賢明さを身に宿してしまっているからだ。君はとても賢い。だからこそ、間違いの後に正解を見れば必ずそれに気づく。君はもう我が国の腐敗に気づかない振りをすることが出来ない。君が無知だったのなら良かったのだが、その安穏はすでに奪い去られている。」


少年の言葉に棘はないが、ある種の毒を含んでいる。それはまるで、静かに血管を巡る遅効性の毒のように、時間をかけてシルヴィの思考を侵し、価値観を歪ませていく。ゆっくりと、しかし確実に、その未来を奪っていくのだ。


「あちらの王室は君を政略上の人質として預けたつもりでいるようだが、僕にはそのつもりはない。この国に滞在する間、僕が君に与えるものは第一に訪問客としての自由だ。好きな場所を見て回り、好きな人々と交流を持ち、好きなだけ検分を広めると良い。要望があれば案内人もつけよう。だが、こちらからは強制はしない。行く先々で君を歓迎させるような真似はしない。そんなことまでして良い国を演出するつもりはない。理由は簡単だ。ありのままを見て、ここが王国よりも遥かにでたらめな国であることは知ってほしいからだ。」


大きな自由と小さな束縛。それは一見して健全な教育とさえ映るが、その成果として生まれるのが、目的を持たない人間よりもはるかに禍々しい、仕組まれた運命と宿命を背負う人間である


「ただし忘れてはいけないよ。君はあくまでお客様だ。どれほど長い時をここで過ごそうとしても、僕は決して君を受け入れることはない。それを忘れない為にも、王国に帰れるのなら速やかに還りなさい。サマールルを知った上で帰国した時こそ、君は本当の意味でサマールルを知ることが出来る。今日にいたるまで王室がなしてきた全てを、その果てしない虚しさを悟ることになるだろう。」


ついに耐えきれなくなって、シルヴィは両手で耳を塞ぐ。だが、逃げられない。少年の声は苦も無く掌を突き抜けて、気が狂いそうなほど繰り返す。


「シルヴィ王女。あなたは、生まれながらにして不幸だ。」


少年の笑みが歪み、周囲の情景が移り変わる。視界を埋め尽くすように現れたのは、飢えて、痩せこけて、汚れた大勢の人々。血走った眼を向けて、彼らは何かを叫んでいる。声は聞こえない。しかし、救いを求めていることだけはシルヴィにもわかった。


ふと、彼女は彼らが何を求めているのかが知りたくなった。馬車の窓を開けた瞬間、途端に悪臭が彼女を打ちのめした。


腐り切った生ものの臭い、汚泥、排泄物が混じり合い、そして何よりも絶望と汗の混ざった人族の匂い。宮廷の芳しい香りに慣れたシルヴィにとって、それは地獄そのものだった。ハンカチを口と鼻に押し当てても無意味で、粘つくような空気が喉の奥に絡みつき、息を詰めて身体が硬直する。嗅覚そのものが麻痺し、意識が遠のくような感覚に、彼女は戦慄した。


再び周囲の情景が移り変わった。気が付けば、シルヴィは綺麗な真っ青なドレスに身を包み大広間に立っていた。天井には、人の背丈の三倍はあろうかというアーチ状の梁で支えられ、その上部には巨大なステンドグラスがはめ込まれていた。


しかし、夜が深まるにつれ、ホールを支配するのは窓の光ではなく、無数に灯された銀の燭台と、天井から吊るされた巨大な鉄製のシャンデリアである. そこには、王国の紋章が織り込まれた深紅の絨毯が敷き詰められ、参加者の足音さえも壮厳な響きに変えていた。


高く設置された楽師の台座からは、リュート、フィドル、フルートが織りなす優雅で軽快な旋律が絶え間なく流れだしていた。その音楽に合わせて、広間の中央では豪奢なドレスを纏った貴婦人たちと、銀の鎖帷子を思わせる刺繍を施した騎士たちが、夢見心地で舞踏の輪を広げている。


長大な食卓には、子羊の丸焼き、七面鳥の香草詰め、果実酒を注いだ金銀のゴブレットが所狭しと並べられ、その豊かさが王国の権力と繁栄をひっそりと誇示していた。集う人々は豪放に笑い、囁き合い、熱狂と歓喜の渦中にあった。


シルヴィはその中を進み、同い年ぐらいの女性が集っている輪に挨拶を兼ねて声をかけた。


すると会話が、まるでガラスが割れたようにピタリと止まった。特に、シルヴィと目が合った方の女性は、さっきまでの明るさとは一転して、その表情には氷のような無表情が浮かんでいた。鼻をかすめるように向けられた視線は、汚物を見るかのような拒絶の刃で塗り固められていた。自分が居る場所ではないことを強く感じて、シルヴィはその場を離れた。


どれだけ経ったのか。手足がちぎれるかと思うほどに全力で走っているうちに、ようやくシルヴィは走るのを止めて、息を整えながらバルコニーの端に寄りかかった。そこへ一人の少女が追いかけて来たのか一歩ずつ近寄って来る。


一体誰なのか。面識は一切なかった。相手は深く俯いていて、肝心の顔がわからない。体調が悪いのではないのかと心配になり、シルヴィは彼女に手を伸ばした。綺麗な金髪の彼女もそれに応えるようにして手を伸ばしてきた。


そこに握ったナイフを持って。そのナイフがシルヴィの身体の中に深々と突き立てられると同時に、熱い液体が胸元に広がり、ドレスが鮮血で真っ赤に染まる。


「え?」


喉から絞り出すような声が漏れる。力を失った体が倒れる。それでもなお、金髪の少女はシルヴィに馬乗りになり、肉を抉るような音を立ててナイフを振り下ろし続ける。


「どうして戻って来たのよ!どうしてそのままサマールルに居座らなかったの?どうして?どうして?・・・」


憎悪に満ちた執拗なその行為に、


「なんで?私がお前の代わりに行かなきゃいけないのよ!!」


そこで、シルヴィは腑に落ちた。表面上取り繕ってはいるがサマールルは腐敗しきっており、誰も好んで行きたがらないのだと


「―――殿下、どうされましたか!シルヴィ王女様」


けたたましいノックの音に、シルヴィの意識は現実に引き戻された。全身からひどい汗をかき、寝衣が湿って不快だった。


夢だったのか……。


全身からひどい汗をかき、寝衣が湿って不快だった。あの悪臭、人々の絶望、そして裏切りのナイフ……。夢の残滓が、まるで現実のように生々しく脳裏に焼き付いている。大きく溜息を吐き、シルヴィは寝台で身体を起こす。その瞳には、一瞬の動揺がよぎったものの、すぐに冷たい光が宿った。


「…大事ない。少々悪い夢でも見ていたようだ。」


彼女は護衛にそう告げたが、その声は微かに震えていた。しかし、その内では、夢で見た『サマールルの裏側』が、自身の計画にどう影響するかを冷静に分析し始めていた。


馬車の窓から差し込む陽の光に目を細めつつ、シルヴィは外を眺める。朝日を受けて影を落とす野営地に建てたテントと、その上で空を舞う野鳥の群。彼女の夢とは裏腹に、どこまでも穏やかな朝の光景だったが、その光さえも、彼女の心に深く刻まれた悪夢の影を完全に払拭することはできなかった。


全軍揃って合流を果たし、元鉱山基地に戻るために、シルヴィ、エリーゼ、ミルキは鬱蒼とした森に隣接されたクタという名の集落にたどり着いていた。滞在期間は3日ほどだ。それまでに用事を済ませておかなければいけない。


藁ぶき屋根の素朴な家屋が並んでいて、その間を子供たちが元気よく走り回っている。収穫時期は終わりに近づいているのか、立ち話に花を咲かせるものや、日当たりが良いところで寝そべって、そのまま居眠りを決め込んでいるものもいる。この光景だけでも、のどかで穏やかな集落だと察することができた。


3人で住人達の様子を眺めながら、集落の奥へと進んで行く。まもなくして地面に半ば埋もれた形で作られた、ひときわ大きな建物の前にたどり着く。その建て方に加えて、窓が全て閉じられているのが不思議だった。


周囲にはキャラバンを装った兵士達が、食料や水といった補給品の購入や、冒険者ギルドでクエストを受注していたりと、賑わっている。


3人はそのまま大きな建物にただ1つだけ作られた入り口の扉に向かう。エリーゼとミルキにはこの中での発言は禁止している。確認のために2人に視線を投げかけると、了承の意味で頷いて見せた。


入り口に立つ警備の者に一言二言伝えると、扉に手をかけて開けてくれる。下に続く階段があり、シルヴィが先に入って2人もそれに続く。やや急な階段が下に続き、一歩ずつ慎重に降りていく。


それほど長い作りではない階段を降りきると、3人は仄明るい空間にでた。内部の広さは地下の割には広く、頭上を見上げれば意外なほどの高さがある。いくつかの部屋に区切ってあって、3人が一番奥の部屋にノックをすると、


「おお、ようやく来てくれましたか。」


内側から、あからさまに歓喜を滲ませた声が出迎えた。促されるままにシルヴィは椅子に腰掛ける。エリーゼとミルキはその後ろに控えていた。張り地の薄い、しかし座り心地に良いモダンなデザインだ。飾り気はないが、室内の家具はすべて計算された配置と洗練されたデザインで統一されている。


周囲を眺めると、無駄なものが一切ない。壁はプレーンな白で、唯一飾られているのは抽象的なモノクロのアート。テーブルの上には、水差しとグラスだけが置かれている。一見すると簡素だが、静謐で重厚な雰囲気があるまさに隠れ家的な部屋だった。


シルヴィの対面に座ったのは、集落の者たちと一緒の装いを纏う狐獣人。その外見は一見して住人と区別がつかないが、彼の表情は常に薄い笑みを湛えており、何を考えているのかを読み取れない。それはまるで、感情の機微を一切映さない能面のようだった。


相手の出方を待つ彼の瞳の奥には、常に盤石な計画を練る策士の光が宿っていた。


「待たせたようだな、すまない。」


「いえいえ。お構いなく。あなた様と言葉を交わす日を心待ちにしておりましたので。」


ヒオレド大佐は、薄い笑みを浮かべたまま、シルヴィ王女の表情を注意深く観察していた。彼女の言葉の裏に隠された真意を探り、自身の計画に利用できる要素はないかと、その知略を巡らせる。彼の脳裏には、レオリオン第一皇子の孤独な生い立ちと、彼がシルヴィ王女に抱く特別な関心が鮮明に描かれていた。この会談は、単なる情報交換ではない。互いの思惑が複雑に絡み合う、高度な心理戦の始まりなのだと、彼は確信していた。


「そうか、では早速だが、話を詰めようかヒオレド・シノ大佐。」


それを聞き届けたヒオレド大佐は、笑みを浮かべた。


「まずは、ここまでよくご無事に実行されましたね。」


肩をすくめてヒオレド大佐は言った。その視線の先でシルヴィが微笑んでいる。


「さて、なんのことだ?」


シルヴィは、とぼけてそう応えて見せた。彼女の心臓は、静かに、しかし確実に鼓動を速めていた。ヒオレド大佐の言葉の一つ一つが、自身の計画のピースを埋めていく。しかし同時に、彼の言葉の裏に潜む真の意図を見抜こうと、その鋭い洞察力を働かせていた。この狐獣人が、どこまで自分の手の内を読んでいるのか。そして、どこまでが彼の真意で、どこからが誘導なのか。彼女の脳裏では、複雑な計算が高速で繰り返されていた。


「サマールルとマルセイザ共和国、そして氷族。王国を巡る三つ巴の戦争。この構図が作り出されるまでの経緯は、今にして思えば作為の匂いに満ちています。」


ヒオレド大佐は一呼吸置いて、シルヴィ王女の反応を窺う。彼女は無言で、しかし鋭い視線を返した。


「まず、死神が住まう峰々の防壁への進軍。あれを出したのは私です。ユリウス・タフィーが氷族の手に落ち、戦争が始まった。最北の兵を中心に軍が急遽編成され、シルヴィ王女率いる近衛騎士団も戦場に駆り出された。それだけでも、十分すぎる話でした。」


一旦言葉を切って、ヒオレド大佐は水を口に含んだ。


「あの時期の最北軍の士官たちの立場に立てば、兵士たちの士気をあげるために王女様を利用する判断それ自体は納得できます。シルヴィ王女は当初からその目的で『近衛騎士団』を率い、あの戦いでの活躍によって名声を得た。戦意高揚の象徴としてはもってこいの存在になった。だが、それははたして正当な評価なのかどうかと考えると疑問点があります。まずは、マルセイザ共和国。あの国は他国に干渉しないことはご存じだと思いますが、実際には軍を率いて死神が住まう峰々の防壁まで進軍を進めてきました。それはなぜか?シルヴィ王女様。あなたの命を狙っていたからです。彼らからしたらあなたは強欲という名前を持った悪魔だ。あなたが異世界人から持たされた知識と魔導学を組み合わせる技術をこの世に出してしまったおかげで、産業革命がサマールル内で一世を風靡しました。おかげで様々な問題を抱え込むことになりますが、もともと至上戦争主義の国です。戦いに勝利するための技術を求めます。それが今の魔導船、飛空船といった産物です。今なお開発は進んでおりますよ。より多くの人を殺す殺人兵器を。


「異世界からの知識は、確かにこの世界に革新をもたらしました。しかし、それが必ずしも人々の幸福に繋がるとは限らない。むしろ、争いを加速させるだけの『劇薬』となり得ることを、私たちは今、目の当たりにしているのです。」


ヒオレド大佐の言葉は、技術革新の光と影を浮き彫りにしていた。


ヒオレド大佐の言葉を聞きながら、シルヴィは内心で冷たい嘲笑を浮かべた。戦場で血を流し、兵士たちを鼓舞してきた「戦乙女」としての誇りが、彼らの手のひらで踊らされているかのような屈辱が胸をよぎる。しかし、同時に、それが彼女自身の計画の一部であるという冷徹な事実が、その感情を押し殺した。




「こういった経緯がありサマールルから客員を要請がありました。しかし、これだけではまだあなたの計画には不備が生じる。そんな恐れに似た思考が味方を作る。とういうことに至ったわけです。国王は王族の血を正当に継承しているあなたに戦争に加担させようとは思ったことはないでしょう。今でも考え方は変わってないはずです。ですから、今、マルセイザ共和国に極秘で赴いて、停戦の要請をしているはずです。次に、第一王子。本来なら彼は戦争が始まる前にシルヴィ王女を手元に呼び戻したかったはずです。次期王としては、味方が多いに越したことはないですし、あなたは女性だ。使い道は色々とある。となると、第二王子があなたの標的となったわけです。」


ここまでの話しを黙って聞いていたシルヴィ王女の表情には変化はなにもない。


「彼はシルヴィ王女を嫉み、というよりも嫌悪している節がある。それは第二王子のみならず、王族を取り巻く貴族たちにも多く見受けられた。元サマールルで育った王女という烙印が、彼らに好意的な感情を抱かせないのだ。サマールルとの交易は歴史的に見ても馬が合いません。こちらから見てもそうだったでしょう。シルヴィ王女になんの罪もないことは承知の上ですが、どうしても親身に接することができなかった。そこで王女様の計画をしり協力することになった。」


「ふむ。それで?」


「死神が住まう峰々の防壁の麓にある元鉱山基地略奪作戦はあなたが言い出したことだった。そして、攻略戦が始まり落ち着いたところを見計らって第二王子がクーデターをおこした。王国内は戦乙女のシルヴィ王女の活躍に期待し注目した。そこで第二王子は行動をとったのでしょう。本人ではなく懇意に接してくれている佞臣が・・・」


「クーデターを起こされたところで私に何の得がある?」


シルヴィは冷ややかに問う。その問いは、ヒオレド大佐の言葉を試すかのような響きを帯びていた。彼女の瞳の奥では、すでに答えを見出しているかのような、深い思索の光が揺らめいている。


ヒオレド大佐は薄く笑い、その瞳に深い光を宿した。


「得、ですか。それは腐敗した貴族の粛清、そして組織の代謝を促す、まさに断捨離と呼ぶべきでしょう。長年澱みきった王国の血を入れ替える、絶好の機会です。」


ヒオレド大佐は、まるで未来を予見するかのように静かに語る。


「出兵を望んだのも、命じたのもあなた様で、お膳立てに乗せられた佞臣達は私たちが確信的に誘導したとも知らずにクーデターを起こした。これは、単なる王位継承争いではありません。王国の根幹を揺るがし、新たな秩序を築くための、壮大な計画の一端に過ぎないのです。」


シルヴィは、その言葉に微かに口角を上げた。彼女の瞳の奥には、ヒオレド大佐の言葉を遥かに超える、深遠な思惑が宿っているかのようだった。




「サマールルに向かうのに、シルヴィ王女様は飛空船を使い空路を選択された。名目上は前線にいることになりながらも、移動の間はお客様扱いになる。良くも悪くも危険からは遠ざけられる。と、私どもはそう考えていました。しかし、レオリオン第一皇子は空軍に精鋭部隊を派遣したわけです。その真意はわかりません。シルヴィ王女を脅威に思ったことは確かな事実です。」


シルヴィ王女は腕を組んで話を促す。


「まぁ、シルヴィ王女率いる近衛騎士団の活躍と新兵器もあって、その采配は結果として裏目に出たわけですが、なんにせよ王女様は無事に元鉱山基地までたどり着くことが出来、私どもは一安心といった心境だったのです。堅牢とも名高い基地です。そう簡単に堕とせるわけがないと高をくくっていたわけですが、そんな矢先に元鉱山基地が数日と持たず陥落する報を聞き耳を疑いました。あの基地にはセイギ・スドウという異世界人ですが優秀な部下を回していました。できるだけ長期戦を見越して。」


繋ぐ言葉が苦みを帯びていく。


「クーデターが起こることを知っていたので、私たちの方では高みの見物を決め込む腹でしたので、後手に現状回っているしだいです。それにともなってこの辺り一帯は軍を配備しておりません。できるだけ戦乙女の危害を及ぼしたくないというのもありますが、レオリオン第一皇子は静観を決め込んでおりましたので、ただ、そうはいっても敵軍をこのまま徘徊させるわけにはいきませんので、もう数日の後一軍が向かうことになるでしょう。」


「第一皇子に何か心境の変化があったのか?」


「さぁ?わかりません。ただ意識はしているとは思います。」


「ふふふ・・・レオリオン第一皇子は、この状況を読み切っていなかったとういうわけか」」


シルヴィ王女の笑い声が木霊する。




「はい。私はただ望み続けただけです。あなた様ならば、ひょっとしたら、あるいはレオリオン第一皇子の心を溶かしてくれるのではないかと期待するだけです。」


「ヒオレド大佐。お前の望みはそれだけか?」


問われた瞬間、ヒオレド大佐はシルヴィ王女と視線を合わせた。




「それは私にではなく、ご自分にでは?」


「?・・・どういう意味だ。」


「無自覚の御様子で。」


そこで言葉を切って、ヒオレド大佐は言葉を繋げる。


「・・・未だ帝位に至らず。心より信じられる者が周囲にはいないという点で、数いる皇子の1人でしかなかったレオリオン第一皇子は孤独だったはずです。これは全ての皇族に共通して言えることですが、打算を抜きに心を通わせられる人間という存在はいないのです。平民であれば家族や友人といえる者が、皇族にとっては同じ血を分けた兄弟姉妹であっても油断ならない危険な存在になります。宮殿での生活とはすなわち、帝位継承を巡る争いを差すものであって、それは殺し合いにまで発展します。」


サマールルで生まれた皇族が生きる環境の歪さを、語る。


「そんな抜き差しならない環境で育っていけば、孤独感は否応にも高まり、際限なく肥大する猜疑心と共に、心を許せる誰かをそばに置きたいという願望も果てしなく求めていってしまいます。そして、そこに一人の例外が現れたとしたら、自分と違う血を引きながら、その立場はなんの後ろ盾もない他国から人質として送られてきた王女様。彼女が生きていようが死んでいようが、どちらでも良いし、適当に言い訳ができる。友好関係を象徴するためだけの存在。そんな、しがらみのないあなたにこそ、彼は純粋な興味を抱いたのではないでしょうか?」


シルヴィはヒオレド大佐の言葉に、微かに眉をひそめた。レオリオン第一皇子の孤独が、まるで自身の過去と重なるかのように感じられたのだ。彼の境遇に、自分と同じような『しがらみ』を感じ、彼女の心に、これまで抱いたことのない『純粋な興味』が芽生え始めていた。その感情は、彼女の瞳の奥に、それまでとは異なる柔らかな光を灯し、張り詰めていた天幕の空気を、わずかに和らげたように感じられた。


「それが私にちょっかいをかけてきた理由か?」


シルヴィの言葉には、皮肉と本音が半々で込められていた。だが、その声の奥には、長らく凍てついていた心が、微かに解け始めるような響きがあった。


「レオリオン第一皇子がご誕生されたころの話です。陛下のお子は5人おられました。それから3年も経たずに上の兄が首を絞められ亡くなり、その翌年にもう一人の兄が毒を盛られ亡くなりました。同時期に皇子が1人行方不明になっておられます。実に恐ろしい話だと思いませんか?」


「・・・帝位を争う兄弟間が、激しいことは知っている。まともな死に方ではなかったことは、他人から聞いている。だとすれば、レオリオン第一皇子も同じ運命を辿る危険があったのであろうな・・・」


「いえいえ。レオリオン第一皇子の場合は、生活する最中ではなく、それよりも前、この世に生まれ堕ちた瞬間に訪れたのです。」


語り口が暗い迫力を帯びる。


「あの当時は熾烈さを増す一方で、実子達の争いに、陛下は心を病んでおいででした。そこには有力貴族達の利権も大きく関わっており、いかに帝王の立場からやめろと言ったところで止まりませんでした。もはや子供なぞ作らん!帝王の心理がそんな痛ましい状態にある一時期に、レオリオン第一皇子はお生まれになりました。」


悲嘆をにじませてヒオレド大佐が言う。


「残されたのは1人の皇子のみ。ここで新たな子が生まれなければその皇子が帝位を継ぐことになる。そう思った産婆が生まれたばかりのレオリオン第一皇子を地面に落とそうとしたのです。彼女はその場で殺されましたが真相は、皇妃の命令でした。一人目の子を失くしていた皇妃は残った我が子を帝位につかせてやりたいと願ったのでしょう。親心といってしまえば聞こえはいいですが、ここは帝室。許された行為ではなかったのです。だが、ここでもう一人の皇子を失うわけにもいかず。その場は産婆の命だけで済みました。」


シルヴィ王女は黙って聞いている。


「レオリオン第一皇子の命が狙われたのは、その一度きりではありません。何度も繰り返し狙われ続け、当時の私たちはあらゆる手を尽くして魔の手から救いました。そして同時に、帝位を巡る争いに終止符を打って差し上げたのです。その経験が、彼に深い孤独と、同時に他者を深く見抜く洞察力を与えました。だからこそ、彼は打算のないあなたに、特別な関心を抱いたのでしょう。」


その両目にはもはや慈しみすら宿っていた。


「もうご理解頂けたことでしょう。私はレオリオン第一皇子の保身を第一に考え、その望みを叶えるべく奔走するただのしがない狐獣人なのです。シルヴィ王女。あなたもレオリオン第一皇子に興味を抱いた御一人なのでは?」


「皇族としてではなく、一人の人間としてレオリオン第一皇子を受け入れろ?そう言いたいわけだな?」


シルヴィはヒオレド大佐の言葉に、微かに眉をひそめた。レオリオン第一皇子の孤独が、まるで自身の過去と重なるかのように感じられたのだ。彼の境遇に、自分と同じような『しがらみ』を感じ、彼女の心に、これまで抱いたことのない『純粋な興味』が芽生え始めていた。それは、長年張り巡らせてきた心の防壁に、微かな亀裂を入れるような感覚だった。その感情は、彼女の瞳の奥に、それまでとは異なる柔らかな光を灯し、張り詰めていた天幕の空気を、わずかに和らげたように感じられた。


ヒオレド大佐はそこで恭しくその場に跪いた。


「シルヴィ王女様は、数々の試練を乗り越えられました。レオリオン第一皇子の皇妃としての資格は十分に揃っております。いつでもお出迎えにまいりましょう。ただし、1つだけ困ったことに、どうしてもシルヴィ王女率いる近衛騎士団と戦いたいと強く希望する者がいるのですよ。不遜な行為とは存じますが、最後に試練として御受けしていただけませんか?」


「ふん。それは政略結婚の申し込みのつもりか?まぁ・・・よかろう。これで停戦の道は切り開かれたか・・・」


一方、レリオン第一皇子もまた、ヒオレド大佐からの報告を受け、シルヴィ王女の行動を分析していた。彼女の予想外の行動や、兵士たちの士気を鼓舞する姿に、彼の冷徹な計算の中に、微かな「予測不能な要素」が加わっていた。


「戦乙女…ただの王女ではない、か。面白い…。」


彼の唇には、初めて出会う未知の存在に対する、純粋な好奇心と、かすかな愉悦が浮かんでいた。この「興味」が、彼の緻密な策謀にどのような「揺らぎ」をもたらすのか、あるいは、彼の「孤独」な心に、どのような変化を促すのか、それはまだ誰にも分からない。


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