シルヴィ・キラエル王女
白い砂浜に、エメラルドグリーンの波がゆっくりと打ち寄せる。波は囁くような音を立て、ただ白いレースのような泡を残しては、静かに引いていく。遠くには、水平線と空が淡い絵の具のように溶け合い、まるで夢の境界線のようにぼんやりと霞んでいた。潮風が頬を優しく撫で、遠くから磯の香りが微かに漂ってくる。
岩場に打ち砕かれた波が、激しい飛沫を上げる。潮風が頬を叩き、髪を乱す。足元の岩は、長年の波の浸食で滑らかになり、黒く光っていた。その岩の隙間からは、塩の匂いと共に、磯の生き物の匂いが立ちあがる。
太陽が海を照らし、水面には無数の光の粒が踊っている。その光のきらめきは、まるで無数の宝石が水面に散りばめられたかのように、息をのむ美しさだった。海鳥の甲高い鳴き声が、遠い空から聞こえてくる。
夕焼けが、海面を赤く染める。波の色は、刻一刻と変化し、深い藍色へと変わっていく。砂浜には、2つの影が長く伸び、波の音だけが、永遠に続くかのように響いていた。
満月が海を照らす夜。銀色の光の道が、水平線から足元までまっすぐに伸びている。波の音は、昼間とは違い、より深く、力強く聞こえた。寄せては返す波のリズムが、静かな夜の浜辺を支配している。
海岸沿いの道は、風に揺れる椰子の木が並び、潮の香りが漂う。デッキに上がると、生ぬるい空気が流れ込んできた。道の向こうには、青い海がどこまでも広がり、その景色に目を奪われ、ここが敵地だと言うことを忘れそうだ。
サマールル領に面する港の本来の姿がそこにあった。キラエル空軍、海軍の艦隊がそう集結してしまえば、この見事な景色は見る影もない。
この港からおよそ20キロの地点にサマールルの基地が存在している。元鉱山の地形を利用して作られており、周辺には樹林帯、次に600メートルの山肌、さらにそれを抉るような形ですり鉢状に掘り進められた竪穴。最後にはその内部と外部に作られた集落だ。非戦闘員は住んでいない。軍人のみだ。ここを迂回して陸軍の援護に回りたいところだが、挟み撃ちに合う可能性が高く、無視できないので、まずは攻略を勧めなくってはならない。
「守るのは簡単で攻めるのが難しい。自軍の拠点にすれば頼もしい反面、籠城されると非常に厄介な場所。というわけね。」
空軍艦隊旗艦飛行船司令部にて、エリーゼは偵察隊から持たされた情報を精査していた。
「今回はこちらが攻めるわけだから、当然、籠城戦を選択だよね。」
同様に司令部に集まった6人がそれぞれの見解を述べる。すでに麓の樹林を囲い込み、一部では木々を斬り払って、サマールル軍基地を包囲していた。敵勢力は立てこもって、進軍したいキラエル軍と銃撃戦を交わしている。
6人が戦況を推し量っているところに、司令官が2人、部下たちを率いてやってきた。一人は体格の良い壮年の男性で、もう1人はノーヴァン総司令艦長だ。
「援軍に感謝する。厳しい空戦をよく制してくれた。シルヴィ王女率いる近衛騎士団たちよ」
開口一番に、壮年の男性サンルーフ・ハインツ海軍艦隊総司令艦長は敬礼と共にそう言った。
初めて目にする上官に、ミルキ、レイニ、リナはきょとんと目を丸くするが、他の3人は一見して事情を察して敬礼を返した。わざわざこちらまでやってきたのはシルヴィ王女がいるからであろう。それと戦乙女、軍神と兵士たちから崇拝されている王女を一目見たかったのだろう。彼もシルヴィ王女のファンのようだ。
「お忙しいところ恐縮です。ノーヴァン空軍司令官艦長、サンルーフ・ハインツ海軍艦隊総司令艦長。サマールルの元鉱山基地について皆で思案しておりました。」
「おぉ!そうかそうか!頼もしい限りだなエリーゼ嬢。」
上官がそう言って上機嫌に褒める隣で、彼の副官が王女の前で跪く。
「王女殿下の御配慮に、心より感謝申し上げます。」
「う・うむ。苦しゅうない。」
「はっ。では、誠に恐縮ながら、これにて私めは指揮に戻らせていただきます。」
そう言って身を翻して、彼は立ち去ってしまった。その背中を呆気に取られて見送る王女と近衛騎士団にサンルーフが慌ててフォローを入れる。
「バシュ副官は非常に生真面目でな。ちょっと堅苦しい性格なのだ。」
そう仕切り直すので、気にしない事にする。本来ならばバシュ副官の方が正しいのだが、シルヴィ王女はそういったことは気にしないのでこれまではこれでよかったが、王都に戻ったならば意識を切り替えなければならないなと。思う5人だった。
さて、挨拶も終わり戦線に送る物資の指示を滞りなく終える。
「では、状況の説明が欲しいところですね。」
エリーゼがそう求めると、サンルーフは決まりが悪そうに後頭部を掻く。
「・・・戦況は見ての通りだ。包囲はあらかた完了しているのだが、いかんせん守りが硬くてな。迂闊に手がだせん。消耗戦を狙っていこうか?という段階だな。」
「確かに・・・こういうケースだと補給線を絶って、時間をかけて投降を促すのが定石ですよね。」
ミルキがそう言う。守備力に優れた城塞や砦の攻略には、時間と大量の戦力が伴う。優れた防衛拠点に敵勢力が立て籠もったら、それだけ苦労が伴うわけだ。そのために、正面きっての正攻法と搦め手が多く使われる。
「でも。包囲が済んでいるのなら、補給線もいずれ絶つってことでしょう?このまま見てるだけで敵の方が勝手に尽きるんじゃないかな?」
レイニがそう尋ねると、
「いずれはな・・・だが、いつになるのかがわからん。中に水場はあるみたいだし、食料だって貯め込んでいるはずだ。加えて厄介なところが元鉱山ということだ。どこか知らない道が隠してあるかもしれん。」
サンルーフ司令官艦長が応える。
「なるほど。たしかに細かい所までは内部はわからないですよね。確実なのは補給線を潰すだけになりますね。」
ルールカがそういって思案する。
「だったら手段に拘る必要がないのではないか?」
ノーヴァン司令官艦長が言う。
「排便を投げ込むとか、挑発するとか、盛大に酒盛りして見せるとか?」
エリーゼが真剣な顔でそう呟く。その言葉の裏には、すでに彼女の中で具体的な「手段」が形作られつつあることを、誰も知る由もなかった。
それぞれが意見を交わす中で、サンルーフ司令官艦長が両手を叩いて意識を向けさせた。
「まぁ、とりあえずこれで締めよう。夜も遅い。また明日検討しよう。」
次の日、エリーゼとルールカはサンルーフ司令官艦長に呼ばれて海軍艦隊船の司令部にやってきていた。
「敵との会談に付き合ってもらいたい。」
2人がやって来るなり切り出した。
「君らも知っている通り、こういう状況では直接の戦闘と同じくらい心理戦が重要になってくる。そのために面会の場を設けるのは常套手段なんだが、今回は向こうがこれに応じて来てな。あっちの指揮官と話し合いが行われることになった。」
「こちらが制海権、制空権を抑えているからですか?」
「そうかもしれない。あっちも勝ち目がない戦いはしたくはないだろうし。降伏勧告を告げにいくつもりだったんだが・・・」
サンルーフ司令官艦長はテーブルに腕を組んで眉根を寄せた。
「相手があの死神が住まう峰々の防壁で指揮を執っていたセイギ中佐なのだよ。」
「なるほど。一度対戦している私達に同席して反応をみたい?というわけで」
「ふむ。そうだ。これは俺の独断と偏見なのだが、彼と君らはなにかの因縁みたいなものを感じるのだ。」
「・・・この流れだと私は護衛という立場でよろしいので?」
サンルーフ司令官艦長はそれに頷いた。エリーゼとルールカは了承の意味も込めて敬礼で応える。
両勢力の会談の場は、港と元鉱山の調度まんなか中にある平たい丘で行われることになった。
両軍は交渉旗を掲げている。これを掲げているかぎり戦闘行為は条約で禁止だ。互いの合意がない限り旗を降ろすことも出来ない。
「キラエル海軍司令官艦長サンルーフだ。交渉に来た。2名の同伴を認めてもらいたい。」
サマールルが用意した天幕で護衛している2人の内1人の兵が、中に入って確認を取って来る。ほどなく許可を得て、3人は中に足を進めた。
「ようこそ。おいでくださいました。どうぞ、こちらへ・・・」
3人を迎えた相手の声が、最後の方で止まる。ルールカを見てしまったからだ。
広い天幕の中央に、大きなテーブルが1つ置かれている。手前には3つの椅子が用意されていて、相手側は1人だけ座っている。その背後に2人が立っている。引き締まった短髪の水色の女性と巨躯の男、カイ騎兵隊長だった。
目は合ったがお互い無言を貫いて、交渉の幕が開けた。
3人が着座してから、お茶を出されても誰も声を発しなかった。5分ぐらいは確実に経過しているのだろうか、ひたすら重い空気だけがこの空間を支配している。そんな中で、最初に声を挙げたのはサンルーフ海軍艦隊司令艦長だった。
「こほん。自己紹介をしよう。海軍艦隊司令官艦長サンルーフだ。今回は私がこの交渉の場の責任者の立場にあたる。」
「・・・失礼いたしました。サマールル中佐セイギ・スドウと申します。」
お互いに名乗りを上げてから、そばに居る部下の紹介に移った。
キラエル側はエリーゼ、ルールカ・アンチュア
サマールル側はカイ、ハリー
簡単に名乗っただけで終わる。
「では、早速だが本題に入る。セイギ中佐。降伏は考えてないか?」
「ない。負ける根拠が見当たらないのでね。」
「そうは言うが、制空権、制海権はこちらにある。兵站が続く限り戦い続けるのは良い結果にならないと思われるが。」
「まぁ、たしかに制空権を奪われたのは痛い。だとしても戦い方はいくらでもある。心配には及びませんよ。」
サンルーフの言葉にセイギは余裕を持ってそう応える。その受け答えに、虚勢を張っているようにも、若さに勢いで言っているようには見えない。この相手にはこの状況を覆すだけの根拠があるのだと、そう思わざるを得なかった。
「・・・ところで中佐ともあろうお方がこんな辺鄙な所にくるなんて、相当サマールルは人材不足が深刻なのでは?」
サンルーフが押し黙ったところで、エリーゼは静かに、しかし場の空気を一変させるような一言を呟いた。その瞬間、天幕の中の空気が凍りつき、それまで聞こえていた微かな物音さえも吸い込まれていくようだった。彼女の視線は、セイギ中佐の微かな動揺を見逃さず、彼の若さゆえの自信の裏に潜む焦りを正確に捉えていた。エリーゼの言葉は、まるで鋭利な刃物のようにセイギのプライドを抉った。しかし、彼は表情一つ変えず、むしろ口元に微かな笑みを浮かべた。その瞳の奥には、一瞬の動揺がよぎったものの、すぐに冷静な光が宿る。
「どんな勝算を抱えているのか知らないけれど、ここはすでにキラエル軍が全周包囲網をされている基地です。そんな危険な場所に、若き有能な将校をサマールル軍上層部が任せようとは思えないわ。少なくともキラエルなら、そんな将来有望な将を犬死させる命令は下さないわね。」
「それだけ信用されている。と解釈はできないかな?この基地は重要な拠点でもある。敵軍の真っただ中に放り込まれた友軍を窮地から救って見せる。それだけの実力が備わっていると判断を下したのでは?」
「物は良いようね・・・でも私は現実的に考えて、この状況を好ましいとは考えていないはず。」
セイギの眉がピクリと動いた。その反応に満足しつつ、エリーゼは続ける。
「そちらの軍上層部は、どちらかというと「護れ」ではなく、制空権、制海権を失った時点で「放棄も視野に入れろ」と考え方を変更したのじゃないのかしら?そのほうが賢明な判断だと思われます。このまま持久戦を選択して、そこから始まる泥沼に浸かる攻防戦。味方には援軍が必ず来る。それまではなんとしてもここを死守しろ、という割にサマールルが今の時点でこの基地を維持したいとは考えづらいのよ。」
じっとエリーゼの話しを聞きながらもセイギは静観を保っている。何らかの情報をこの場で得たいエリーゼは、話の方向性を変えてみる。
「・・・ところで、これは私にとって意外なんだけれど、サマールルは今回の戦争で後手に明らかにまわっているわ。こっちの進撃に対して情報が不十分だった。情報戦が空回りしている。そう推測できるのだけれど。」
相手の出方を探るための脇道だったが、エリーゼのとっては懸念の材料でもあった。空戦、海戦の状況を見るにサマールルの増援、援軍の気配を感じない。キラエル側の防諜活動が活躍していると見ることもできるが、どこか違和感がぬぐえない。
「・・・なんにせよ。あなた方はここで交戦を進める。となると、援軍は来るというわけだけれど、本当にきてくれるのかしら?上層部はどこまであなたをフォローしいてくれるのかしら?」
セイギの口元がわずかに浮かんだ。
「援軍は来るよ。エリーゼ嬢。誰だってあなたが先ほど言った犬死はしたくないさ。」
「確かに来るのでしょうね。でも、それはこの基地に対してかしら?その若さで中佐にまでなったあなたの為ではなく?どちらなのかしら?どっちの選択を選んだとしたら援軍の規模は違ってくる。基地なら万単位だろうし、あなた達だけならそこまでの軍単位の規模はいらない。
「そう思ってくれるならそれでいいよ。エリーゼ嬢。勝手の推測してもらって結構。」
「味方には大軍が増援に向かっていると伝えて、自分たちはさっさと尻尾まいて逃げる。兵達に希望を与えておいて、こちらを足止めする。援軍と合流を果たし、死力を尽くして守り抜いた兵達に英雄のごとく颯爽と現れて敵を撃退すると・・・現実を無視した妄想家かなにかかしら?」
額に青筋が浮かびあがったが、セイギは深呼吸1つ吐き出して、
「・・・勝手に言ってくれるのは結構なことです。が、交渉相手は確かサンルーフ総司令艦長だったはずでは?」
「え?あ・・・あぁそうだな。」
ここでエリーゼは特に執着せずに押し黙った。
「要するに要約すると・・降伏はしない。徹底抗戦しつつ援軍が来るのを待つ。そんなところでいいか?」
「ええ。最初からそう言ってます。」
「そうか・・我々としては無益な交戦は希望しないのだが、1つだけ疑問が残るな。なぜこの基地に拘る?」
サンルーフ総司令艦長は対面の3人を眺める。答えを求めているわけではない。彼らがこの質問にどう反応するのか?それを見極めたかったにすぎない。
「先を見据えた展望だと言っておきましょう。仮にですが、ここを取られたらまた我々は取り返します。無駄に争いを繰り返したくないだけですよ。」
セイギ中佐はそう言い放つ。そう言ってから彼は席を立った。
「これで交渉はお終いです。」
有無を言わさぬセイギの声が、心理戦の終止符を打った。
「結局のところどう思う?」
司令部まで帰りつき、サンルーフ総司令艦長は2人にそう尋ねた。エリーゼはそれを首で横に振る。
「正確なところはわかりません。あのセイギ中佐が援軍を要請している段階ですし、軍本部では頭を抱えてこんでいる最中かもしれません。会談の中では判断が付きませんでした。」
エリーゼがそう見解を述べる横で、ルールカも同意して頷く。
「色々と勘繰る要素があったけれど、基地を守り、援軍が来る。というのは事実のようね。ところでエリーゼ、セイギがああも自信満々な態度を崩さないのは、なにかしらのこの状況をひっくり返せる起死回生の策があると思うんだけれど、どう思う?」
「そうね・・・何かがあることは間違いなさそうね。でもそれがなんだかわからないといったとこかしら。援軍がくるにしても、こちらは早々に対処できるし、空、海からきたところで同じ。補給路さえ押さえておけば、後は自滅をまつだけでいい。」
「時間を稼ぐというのが向こうの狙いとか?」
「それは当然あるのでしょうね・・・例えば元鉱山ということもあって、地下からやってきて奇襲を仕掛けてくる。まぁなくはないけれど・・・あのセイギ中佐の態度を見る限りそれはないわね。」
エリーゼとルールカがそれぞれ会談で得た情報から、推測をもとにしてあれこれと意見を交える。そのまま2人のやりとりを見守っていたサンルーフ総司令艦長は仕切り直すように手を叩いた。
「推測と憶測を重ねたところで拉致はない。初心に戻ろう。今の私たちは、立て籠っている敵勢力を速やかに退けて、陸軍の救援が主な任務だ。」
「そうですね。1度足元を見つめ直しましょう。」
「はっ。」
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「油断ならない連中だったな。」
元鉱山に掘られた竪穴の内部、広い敷地に拡げた天幕の中。セイギ、カイ、ハリーの3人のみで会談の内容を吟味していた。
「元鉱山基地を守り切る、キラエル側に思い込ませるためだったのにな、向こうは額面通り受け取ってくれそうにもないな。」
巨躯のカイ騎兵隊長がため息交じりにそうこぼす。
「ごめんね。心理戦では負ける気がしなかったけれど、向こうはなかなかしたたかだったよ。」
「いえ、そんな・・・セイギの方が・・・」
ハリーはセイギを心配げに見やる。
「エルフの、エリーゼ・・・彼女が一番の切れ者だね・・・」
「ああ、そうだな。セイギが迂闊な事を言わないように神経を尖らせているなんて姿初めて見たぜ。」
セイギは苦い顔で頷いた。表情には出してはいないが長い付き合いの仲間にはわかってしまったらしい。
「厄介なのがやってきたが、どうする?」
「もちろん防衛戦は続けるさ。多数の敵軍に少数の自軍で耐え凌ぐ。当初の作戦通りだ。」
「まぁそうだわな。だが、それにこだわり過ぎてもどうかとおもうぞ。臨機応変でいいんじゃないか?」
「あぁ。それはわかっているさ。相手の出方次第だね。全面的に攻勢に出てくるのなら、こちらは死力を尽くして守りながら、逃げるさ。」
「また器用な言い方しやがって・・・」
元鉱山基地攻略戦
「そうなのか?」
場所を変えて空軍艦隊旗艦司令部にてシルヴィ王女の声が響く。エリーゼが考案した提案に対しての反応だ。
「そんな真似ができるのなら、利敵行為にもならんな、しかし、後々非難の対象にならないか?行為がバレた場合は言わずもがな、戦争犯罪の処罰の対象になる可能性はないのか?」
淡々とした声が、ノーヴァン司令官艦長、サンルーフ総司令艦長と後ろに並んだ近衛騎士団6人に問いただす。発案者のエリーゼはしかし、穏やかな笑顔を向けている。
エリーゼは一歩前に出て、説明を始める。
「ここはサマールルの領内であり、我々はここの土地勘がありません。そんな中、捕虜の食事を手配しなければいけない状況で、現地の食材を使用したとしても致し方ないとは思いませんか?私たちは知らなかったのです。ここが大事な所ですからもう1度言います。無知だったのです。不可抗力だったのです。ならば致し方ないですよね?」
その瞬間だった。くっと。シルヴィ王女の口から耐えかねたように笑みがこぼれたのだ。それも愉快気に。
「ふふふっ。確かにな。捕虜の食事に飲み物を用意することは当然の義務だ。キラエルの食材では口に合わぬかもしれぬ。だからわざわざ気を使って現地で食材を確保してきた。と、そうだな?」
「はい。戦時条約というものはなかなか難しい問題ですね。」
エリーゼが微笑む。その横でルールカは苦笑いを浮かべていた。
「よかろう。それで進めてくれ。ただし、我々は何も知らなかった。いいな!」
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会談から3日後の昼間、セイギのもとに一報の報告が訪れた。
「中佐殿。報告です!」
司令所に伝令が駆け込んでくる。良からぬ報告だろうとセイギは眉をひそめていぶかしむ。しかし、その報告は意外なものだった。
「友軍の小隊がこの陣地に到着して、合流を求めています。海軍か空軍所属のもののようです。」
「・・・はっ?」
表情をこわばらせつつ、セイギは立ち上がった。敵軍に捕まっていた仲間が落ち延びてきた。素直に聞けば朗報以外の何物でもない。しかし、そんな都合のいい話があるはずがないのだ。
「この基地はすでにキラエル軍に包囲されている。友軍が逃げてこられるはずがない。変装した敵ではないの?」
「いえ、間違いなく友軍です。この基地にはもともと海軍と空軍とも繋がりがあります。その中に顔見知りの兵が多く見受けられます。認証の魔術具で識別済みです。敵兵も混じってはおりません。」
「まじで?!」
仲間の受け入れに関わる問題なので、伝令兵の報告には熱が入っている。セイギが判断しかねているのを見て取ると、隣のハリーが声をかけた。
「セイギ中佐、私が見てきましょう。兵達に聞けば事情がわかるかもしれません。」
「・・・う〜ん。頼めるかなハリー。罠が紛れ込んでいるのかもしれない。君の目で確かめて判断してくれ。」
刺客が紛れている可能性だってある以上、セイギが直接見に行くわけにはいかない。役目を託されたハリーは、敬礼するとそのまま出て行った。その背中を見送りながら、セイギはこの事態の謎を考え込んだ。
基地の頂上付近にたどり着くと、そこに多くの兵達が集まっているのがハリーの目に入った。近づいていくと見知った顔があった。カイ騎兵隊長だ。
「ハリーか。セイギはなんて言ってた?」
カイの言葉に、ハリーは首を横に振って見せる。
「怪しんでいます。まずは私が確認を取ってからになりました。」
言いながら、警戒している自軍の兵達をかけ分けてみると、そこにはサマールルの軍服を着た40人余りの兵達が囲まれているのが目に入った。
いつでも発砲できるように兵達に指示を下し、ハリーは白旗を持っている隊長に声をかけた。
「バンム隊長!事情を窺います。あなただけこちらまで来てください。」
指名を受けたバンムと呼ばれた隊長が、急いでやって来た。護衛の兵に命じて彼を拘束する。とは言ってもただ、肩を抑える程度だ。
「よく無事に帰還してくださいました。しかし、状況が状況なのでこのような対応になって申し訳なくおもいます。私も早く皆様にくつろいでいただきたいのは山々なのですが、早急に事情をお聞かせいただけませんか?」
「は、はい・・・えっとどこから説明したものか・・・」
「皆さまは海戦でキラエル軍と戦い、敗れ捕虜になっていたはずです。そこからどうやってここまでたどり着くことが出来たのですか?」
ハリーが補足して、バンム隊長が話し始めた。
「それがですね・・・我々も不可解なのです。我々は脱走など致しておりません。キラエルの連中にいきなり連れ出されて、この基地付近まで連れられてきたのです。」
「で、そこから目を盗んで逃げて来たと?」
「違います。ですから、我々は1度も逃げようとは思ってはいませんでした。いずれサマールルの味方が助けてくれるものだと信じていたのです。抵抗もするわけではなく我々は何をされようとも耐える所存でしたが、彼らはいきなり我々を解放して去っていったのです。こうなってしまえばこの基地に戻るしかなかったのです。」
説明を終えると書類を懐から出してきた。「バンム海軍隊長以下40名を捕虜労役の義務より解放する。」日時、時刻、押印と略式であったが確かな正式な書類だった。
「不備は見当たりませんね・・・条約に基づいた内容のようです。」
「・・・つまり我々はなんの代償もなく捕虜から解放されたと本当に信じても?」
「えぇ・・・間違いありません。不可解ですが、形式上問題もありません。」
その言葉を聞いたバンム隊長は仲間のもとに行き喜びを分かち合った。その光景を見ながらハリーとカイは顔を見合わせるのだった。
「……相手の狙いがわかった。」
ハリー・カイが持ち帰って来た報告に、セイギは苦りきった面持ちになった。
セイギの脳裏には、エリーゼのあの不敵な笑みが蘇っていた。あの会談で、彼女は既にこの策を胸に秘めていたのかもしれない。捕虜解放。一見すれば人道的な行為だが、その裏に隠された冷徹な計算に、セイギは戦慄する。兵站の消耗、内部からの混乱。それは、この堅牢な基地を内側から崩壊させる、最も悪辣な手段だ。元鉱山の岩壁は、まるで彼の心の壁のようにそびえ立ち、その隙間から吹き込む冷たい風が、サマールルを守るという使命と、目の前の非情な現実の間で激しく揺れ動く彼の心を、容赦なく抉っていた。
「2人が思っていること通りだ。敵は何の見返りも求めずに捕虜を返還するわけがない。これはれっきとした攻撃だよ。」
「では、バジム海軍隊長達は、敵に寝返ったと?」
「違うね・・・彼らは味方だよ。彼らの説明にはおそらく何も嘘は含まれてない。ハリー、カイいいかな?今回の小隊は手始めに過ぎない。これから先も何度も何度だって送ってくるはずなんだ。そうやって兵を増やすことで、こちらの兵站を減らそうとする。シンプルな攻撃なんだよ」
言われた瞬間、ミラーはハッと目を見開いた。カイも腑に落ちた様子で額を叩く。
「・・・そういうことか・・・くっそ!言われてみれば盲点だったな。」
「発想自体は昔からあるんだ。籠城戦で立ち籠った敵の足を引っ張るために、周辺の町から一般の民衆を送り込む。こういった行為は昔から当たり前のように行われていたからね。・・・でも、時代が変わり、戦争にも「互いにこれだけは守りましょう。」というルールが定められて行く。それが国家間の相互利益に基づく「戦時条約」なんだ。その条文の中で、一般民衆を戦争に利用してはいけない、捕虜に関しても同じように取り決めがあるわけだ。」
「・・・条約には、捕虜を虐待してはならないとはあっても、捕虜を解放してはいけないとは書いてないですね・・・いえ、正確には「生存手段が確保不可能な状況での放置」は虐待に該当したはずですが、それも捕虜にとっての敵地で放り出した場合に限って適用されると記憶しております。」
「そうだな。ここはサマールルの国内だし、友軍の基地の傍まで連れて来られているんだ。くそっ!悪質な嫌がらせだぜ!やっていることは時代遅れなのに、条約に問題がねぇと来たもんだ!」
感心と憎しみを同時に抱きながら、カイは舌打ちする。そんな彼の隣でミラーは首を振った。
「いいえ。この時点でセイギが敵の狙いを見抜いた以上、我々は捕虜に受け入れを拒めば良いだけの話ですよ。」
シンプルに解決策を提示する副官、ダメなんだと答えた。
「・・・出来ないんだ。送られてきた捕虜は受け入れるしかない。」
「セイギ・・・お気持ちはわかりますが、ここは冷酷な判断も必要なのでは?」
「わかっているさ。もとより戦争というものはそういうものだよ。小を切って大を生かす。指揮官として僕は、迷わずそうするさ。けれどね・・・問題はそうじゃないんだ。」
納得できないミラーは眉根をよせる。
「考えてみてほしい。ここの基地はキラエル軍が制空権、制海権を奪われたことによって孤立無援になった。放棄するにしてもここは堅牢な基地だ。ここもキラエルに取られたとなってしまえば、この地に彼らの拠点を築くことになり、サマールルはその分、余計な兵力が必要になってくる。そうされないために僕が派遣されたわけなんだけど、彼らと接する時間はあまりにも短い。だから信頼も信用も薄い。」
「あ・・・」
「だからこそ、見捨てない事が彼らの信頼を勝ち取るんだ。逆に言えば、そこが揺らいだら統率も一緒に崩れ去る。結局見捨てられるんだな・・・てね。無理もないさ。誰が危険を顧みずに助けに来てくれるものかと・・・」
「で、でも、敵は条約違反を無視しているわけではないでしょ?だったら捕虜を拒んだところで、酷い結果にならないんじゃないでしょうか?降伏をしめして戻れば、少なくとも殺されることもないと・・・」
「そうだね。そうかもしれない。敵に期待するのは愚かだと言う者はいるだろうけれど、この敵に関しては、ここで条約を無視した行いをするほどバカじゃないことだけは確かだよ。実際には虐殺はしなくとも、やったように見せかける演出はするはずさ。捕虜たちの姿が見えなくなったところで、銃声と悲鳴を響かせれば、本当に虐殺しているように思えるよね?」
「そ、そんな・・・」
「そのくらいはやってくる相手だよ。実際にそうなったときに仲間の兵達はどう思うんだろうね?不安、悲しみ、怒り、憎しみ、それらの感情がそのままキラエルに向けられるだろうか?いや、そうはならないさ。助けられた仲間を見捨てた僕も、負の感情の対象になってしまうよ。」
そう説明してサイギは深く溜息を零した。
「あのエルフは・・・エリーゼと言ったかな?彼女はそこまで計算してこの策を実行していると考えてほしい。先日の会談でうっかりと顔に出してしまったのかな?それともなにかヒントを与えてしまったのか?いずれにせよ、付け入る隙を与えてしまったようだ。」
頭を軽く自分で小突いて、絶え間なく思考を回転させる。
「・・・捕虜になった以上、彼らは武装を解除されて送られてくるよね?この基地には余分な武器はないし、食い扶持ばっかり増えて、戦力にもならない・・・と。」
「こっちに有利な物がなにもないな・・・」
「いえ、1つあるよ。穴掘りさ。すっかり向こうのペースに嵌りそうだけれど。そうは簡単にはいかせないさ。僕らにはまだ切り札が残っているからね。」
低い声で言いつつ、セイギは外の景色を眺める。露天掘りの竪穴から横に掘り進む形で無数に開いた坑道に、大勢の兵士たちが出入りしていた。
「じゃんじゃん掘り進めよう!あのエルフをアッと驚かせてやる!」
「あぁ!!」
「よし!ハリー。捕虜がまた来るだろうから正式に迎え入れて、なるべく丁寧に接してあげてね。」
「はい!」
「2人とも頼むね!」
下された命令に力強く頷いた2人は持ち場に赴いていく。その背中をセギは信頼を込めて見送った。
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「さ~て、いつまでもつのかしら?」
数日後、エリーゼを始めとした6人は、捕まえた現地の野生豚を解体して焼いていた。
「さっきので、捕虜はシイラ少佐とキーンス隊長以外すべて送ったよ。」
ミルキが感心したように呟く。鉄板を囲んだ面々は、焼きあがった豚肉に舌鼓をうつ。目の前に敵がいるというのに、キラエル陣営は緊張感が乏しかった。
「よくまぁ、あんな悪質な方法を考えついたわね〜。エリーゼが敵側だったら私、ゾッとするよ。」
「ふふ・・・。敵の嫌がる顔が目に浮かぶわね。籠城戦で大人しく守ってればいいなんて私の前では、あり得ないわ。この手の嫌がらせなんていっぱい持ってるんだから。」
「活き活きしているエリーゼなんて、初めて見た気がする・・・。」
「こういった手口が性に合っているのよ。悪い笑顔をしているもの。」
呆れたルールカの言葉に、6人が笑う。
最初に送った捕虜とその時に監視していた兵士は、同じ場所で同じ食事を取っていた。引き渡しまでは問題なく済んだが、その夜に監視していた兵達が体調を崩した。調度同じぐらいのときに解放された捕虜も苦しんでいたはずだった。
そして次の日から、キラエルの兵士達が次々と体調不良を訴えかける。シルヴィ王女を始めとする幹部が集まり、捕虜を全員解放しようと決断に至ったわけだ。人道的な観点からサマールルに説明して、引き取ってもらう。もちろん捕虜達は健康だ。
しかし、彼らが居たキラエル艦隊内は感染症が流行っているという話に尾ひれがついて、捕虜を引き取ったはいいがサマールル基地内も大混乱に陥った。
これによって、食料はもちろんのこと、ポーション類も大幅に在庫が減ることになった。で、これを仕掛けたエリーゼは数日で回復することは知っていたので特に問題視もしない、部下たちにも心配ないと言って、平常業務に付かせた。とは、言っても監視しかやることがないので、暇な者たちは熱帯雨林で採集と狩りの活動を主に任せていた。
煙霧草
茎は細く、葉は銀色で、朝露を吸ったように光る。花は淡い紫色で夜になるとほのかに発光する、熱帯雨林の奥深く、特に湿度が高く、日光が差し込む限られた場所にのみに群生している希少な植物。この胞子を吸い込むと、数時間後から激しいくしゃみと涙、全身のかゆみ「悪霊の呪い」「瘴気」に取りつかれたと信じ込みパニックになる。
眠り姫の涙
小さな白いユリのような花、熱帯雨林の薄暗い林床にひっそりと生息する、夜行性の植物。飲むか、嗅ぐかで寝ても寝ても疲れが取れず、不眠症のような状態になります。次第に幻覚をみるようになり、現実と幻覚の区別がつかなくなります。最終的には判断力の低下、指揮系統が混乱する。
蛇口の花
熱帯雨林の特定の水辺で、サボテンのような多肉質で茎の先に小さな赤い花を咲かせる。特に水質のいい場所に生息する希少な植物。飲むと、喉の渇きが収まらず、体調不良を訴え始める。
「いやいや、私もこういうのは好きだぞ。やられたくはないが。何であれ、攻守がなくてなによりだ。お互いに死傷者が出ないしな。」
「ですです。」
リナが肉を頬張りながら合槌をうつ。
今回の採集で率先して参加を表明したのはリナだ。
彼女のこの知識は、アカデミーの時間が空いた時に、ルールカは冒険者として、食べられる魔獣、魔物を、レイニは知識のない動植物を、リナは氷山で生まれ育ったゆえの好奇心だ。それぞれが好きな時間に調べていくうちにエリーゼが現れて、彼女は逆に食べられない、害になる。そんなものを探し出したことから、この策の発端だったりする。
サマールルに上陸するわけだ。それ相応の知識が必要とされ、キラエルの常識が通用しないかもしれないという恐れも思うところがあった。
なので熱帯雨林で怖いのは虫だとわかっていたので、あらかじめニーム、ユーカリ、シトネラを入れて虫除けを作ってある。すでに兵達にはこれを満遍なく体中にぬってあるので今のところ問題は発生していない。
マンゴー、パパイヤ、バナナ、ヤシの木を食後のデザートで締め、それぞれが持ち場に戻って部下たちに食材を振る舞った。
6人が再び揃ったのは次の日の夕方だった。
空軍艦隊旗艦飛行船の司令部が、彼女らの定例の集合場所になっていた。
「表面上は何事もなかったように振る舞っているわね。」
「まぁ。最初の捕虜だけだったから、混乱も落ち着いてきたころじゃないかしら。」
ルールカの言葉にエリーゼが元鉱山の地図を広げて答えた。
「いくら堅牢と名高い基地といっても、食料がなくなったらどうするのかな?」
「問題はそこよね。諦めて降参はないだろうし、補給路は全て監視済み。仮に強行突破で援軍が来たとしても、私たちの包囲網はそう簡単に破れないわよ。まぁそうなったとしても基地内は飢餓状態でしょうけどね。」
「飛行船でくるとか?遥か上空から基地を狙って落とすだけなら可能なはず。」
「レイニが居るのならそれもこうりょするわ?でも風の影響も考えるとさすがに現実的な考えじゃないわ。それに連隊でくるようなら、こっちにはノーヴァン司令官艦長がいるからね。空は心配ないわよ。」
「なら海・・・サンルーフ総司令官がいるからこちらも問題ないね。なら陸?それもないかエリーゼが監視してるから・・・ってことはもしかして地下?」
テーブルの上に広がった地図を見て、レイニが言う。エリーゼはその言葉に頷いた。
「鉱山と坑道は切っても切り離せないの。基地が包囲されたら脱出用かもしくは包囲網から離れたところからの奇襲。昔からある定番中の定番よ。補給路としても活用できるわ。」
「そんなの現実に可能なの?熱帯雨林で地盤が惰弱なんでしょ?包囲網をくぐるにしても相当長いトンネルになるよ。その頃には戦争終わってたりして。」
「相当に長いトンネルは必要ないみたいなのよ。この地図は昔、ここに遺跡があった頃の地図なんだけれど、少し掘れば外に繋がるのよ。包囲された時点で、トンネルの掘削作業が始まっているかもしれないのよね。」
エリーゼはそう言いながら、手元の地図の特定の箇所を指でなぞった。その場所は、かつて熱帯雨林の奥深くで発見された、微精霊が多く生息する希少な植物「煙霧草」の群生地と重なっていた。彼女の瞳には、すでに攻略の糸口が見えているようだった。
地図を見るミルキが難しい顔をする。一方エリーゼはもう一枚地図を取り出して、目を向けていた。
「基地から、3キロ先・・・この辺りまでトンネルを掘り進めれば、私たちに発見されることなく連絡が取れるかもしれないわ。私が警戒しているのはそこ。糸口を与える可能性があるの。」
「どうやって調べる気・・・・あ・・・っそっか。ドワーフ。」
「そう。ミルキ!御願い。」
エリーゼがミルキに手を合わせたところで、慌ただしく兵が入って来た。伝令兵だろう。
それから2時間ほど経ったころ、ノーヴァン司令官艦長の艦長室に。隊長以上の士官達が全員、緊急招集を受けていた。
「なんだ?一体?」
「何かあったのか?」
「敵に何か動きが?」
「・・・」
隊長たちのざわめきが空間に満ちていた。艦長室自体は50人が入れる規模だったが、その数に近い人々がひしめいていると、さすがに手狭に感じられる。召集と並行して大急ぎで家具などは端っこに追いやられているがこの有様だった。
近衛騎士団を代表する5人は前の方で陣取っている。5人の前にはノーヴァン司令官艦長とサンルーフ総司令艦長の2人が隊長たちに向き合う形で立っている。余程の緊急事態が起こったのだろう。次第に不安な空気が漂い始めた。
「・・・来ました。」
多くの隊長クラスがやきもきしながら待っているところに、ついに召集を求めた本人が現れた。その瞬間、艦長室を満たしていたざわめきが、まるで潮が引くように静まり返った。誰もが息を呑み、その一点を見つめる。
そこに立っていたのは、濃い赤い色の軍服を纏い、背筋をピンと伸ばしたシルヴィ王女だった。彼女の瞳は、どんな嵐の中でも揺るがない深海のように澄み渡り、その場にいる全員の視線を吸い寄せる。軽く頷くと、彼女は司令官艦長の真ん中に、まるでそこに立つことが当然であるかのように静かに歩み寄った。
目の前の顔ぶれに視線を一巡させてから、シルヴィ王女はゆっくりと、しかし確固たる声で口を開いた。
「私たちは、今、くだらない戦争の最中にいる。」
その第一声は、隊長たちの顔に緊張と困惑を走らせた。軍の命令とはいえ、誰もが望んで人殺しをしているわけではない。その片棒を担ぐ王族が、自らそう宣言したのだ。場の空気は一瞬にして凍りつき、誰もが次の言葉を待った。
「激戦と言っても過言ではない、海戦、空戦を制し、私たちは今この地にいる。サマールルとの戦闘の中で、優秀な幕僚、数えきれないほどの勇敢な兵士達が命を落とした。彼らの血と汗が、この地の土に染み込んでいる。」
彼女の言葉は、共感を求めるような甘い響きではなかった。淡々とした、しかし魂に直接語りかけるような声は、聴衆の心を深く揺さぶる。
「だが、その勇敢な兵達の犠牲を払ってまで勝ち取ったこの地を、捨てろ!と、命令が下った。理由はクーデターだ。詳細は分かってはいないが、私たちに届けるはずだった補給物資が塞き止められているらしい。だから、帰還せよ、と。最優先は私の身柄だとな…。」
シルヴィは、兵士たちの顔に浮かぶ絶望の色を正確に読み取っていた。彼女自身もまた、本国の混乱と、孤立無援という現実に、一瞬、心が折れそうになる。その瞬間、彼女の脳裏に、サマールルの宮殿で一人、異国の言葉を学ぶ幼い日の自分が蘇った。誰にも理解されず、ただ「人質」として扱われたあの孤独が、今、再び胸を締め付ける。しかし、ここで自分が弱さを見せれば、彼らの希望は完全に潰えるだろう。彼女の脳裏には、この地で散っていった兵士たちの顔が鮮明に蘇る。彼らの犠牲を無駄にはできない。王族としての責務、そして「戦乙女」としての誇りが、彼女を突き動かす。この絶望的な状況を覆すには、理屈ではない、魂を揺さぶる言葉が必要だ。
「それは…当然の措置では?」
前列にいた一人の隊長が、震える声で問いかけた。彼の声には、故郷への帰還を願う兵士たちの切実な思いが込められていた。周囲の隊長たちも、それに同感するように静かに頷く。シルヴィ王女は、その隊長の顔をじっと見つめ、その瞳の奥に宿る不安と、それでもなお王女の言葉を待つ忠誠心を読み取った。
「その言葉、有難く私の胸の中に閉まっておこう。」
シルヴィの声は、一瞬、静寂を切り裂いた。彼女の視線は、故郷への帰還を願う隊長の顔から、絶望に沈む兵士たち一人ひとりの瞳へと向けられる。その瞳の奥に、彼女はかつて自分自身が感じた、見捨てられることへの恐怖を見た。
「だがな…私は皆も知っている通り、戦乙女であり軍神だ。補給が来ない?味方の増援が見込めない?それがどうした。私は止まらない。ここで引き返せば、我らの勝利を信じて散っていった者たちの魂が救われるのか?否だ!我々が成し遂げるのは、単なる勝利ではない。この戦いの歴史に、キラエル軍の不屈の精神を刻み込むことだ!苦難の道となるであろう。だが、我らはかの勇者、キラエル、アンチュア、シューゲルト、ハインツ、ペルニウスの加護を持つキラエル軍だ!だから、前に進め!勝利を掴め!道を切り開け!」
彼女の言葉は、凍てついた大地を打ち砕く雷鳴のように深く突き刺さった。兵士たちの瞳に、再び戦う意味と希望の炎が宿る。それは、彼女自身が孤独の中で見出した、唯一の「道」でもあった。
クーデターという本国の混乱、絶たれた補給路。それら全てを乗り越え、この地で勝利を掴むことこそが、散っていった仲間たちへの最大の弔いであり、キラエル軍の誇りを示す道だと、彼らは王女の言葉から確信した。
長い間を置いてから、シルヴィ王女はゆっくりと瞼を開き、その場にいる全員を見渡した。彼女の視線は、一人ひとりの兵士の心に、確かな決意の火を灯していく。
「信念を宿す者。」
「決意の刃。」
「揺るがぬ誓い。」
「概念を喰らう猛き意志。」
「光を放つ羅針盤。」
その言葉を言った瞬間、
「キラエル王国第一王女シルヴィ・キラエルが命じる。この合い言葉を胸に刻み、馳せ参じろ!かつて混沌と化していた大陸を駆け抜けた勇者たちの加護に守られた精強なるつわもの達よ。勝利を掴み取れ!」
夜闇に沈んだ元鉱山サマールルの基地の麓。山上に立て籠もる敵勢力を取り囲む形で陣取っていたキラエル軍は、その圧倒的な有利な状況から一転して、夜を徹して攻勢の準備を進めていた。
「急げ!大盾を組め!夜だからこそ攻めるなら今だ。敵が寝静まっているうちに攻めるぞ!」
数刻前とは打って変わって、ノーヴァン司令官艦長とサンルーフ司令官艦長がそれぞれの艦で檄を飛ばす。それを受けて走り回る兵士たちの熱気のせいで、ただでさえ寝苦しい熱帯雨林は、よりいっそう蒸し暑さを増していた。
今回、空、海軍で動員された兵力は、1万余りだ。それが今、シルヴィ王女の号令の元、汗水たらして駆けまわっている。
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「―――撃て!!」
鉱山へ上る山道から、「12砲」の魔装砲が一斉に魔弾を噴き出した。山道を駆け上がるキラエル兵達に襲い掛かり、後退を余儀なくされる。
「このまま近づけさせるな。気を抜くなよ!!」
鉱山に穴を空けた窓から多数の魔装砲と、バリケードの上部や除き窓から突き出す無数に置かれた樽、山道に侵入させない防御線だ。何人もこの道を通さない。彼らのその意志が、もっとも強烈な形で具現化されているようだった。
「いきなり攻勢に出てきたが、指揮官は若いな。力押しでこの鉱山を突破できるわけがないだろう。」
立て籠もって魔装砲の指揮をするのは、叩き上げのサマールルのガコル砲撃隊長だ。この元鉱山基地に古くから常駐しているベテランの軍人だ。歩兵から現場指揮の視野の広さを買われて、砲撃指揮官の任を任されている。
「そのまま怯えていろ。向かって来てもらっても結構だが、その頃はハチの巣だ。」
薄笑い表情で口元を歪ませる。ふと見渡せば、仲間の多くもまた、同じだった。
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「さすがは堅牢と言われるだけの基地だわ。まさに隙間がないってやつね。」
双眼鏡越しの敵陣を眺めながら、砲撃にさらされる味方を眺めつつ、唸り声を漏らす。
「元鉱山を軽微の損害でなおかつ、早急に奪取なんて本来なら、とても無理な命令よね・・・」
螺旋状に山道を登る形で坂道があり、所々に魔装砲が装備されているのだ。うかつに近づけば集中砲撃を浴びることになり、戦死者が量産されることになる。
「でも、私たちはこの基地を今日中に奪い取る。そうよねリン。」
「はい。その通りです。」
ぼやく上官の隣で、副官がはっきりと返答する。
「大分、敵を引き付けたようだから次の段階に移行しましょう。」
副艦は綺麗に敬礼して、駆けだしていく。
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「ん?!」
防御線から注意深く戦況を見守っていたガコル砲撃隊長は、敵の動きに敏感に反応を示す。鉱山の坂道を無視して大盾を持った兵達が展開し始めたのを見て、何をする気なのか?わからなくとも指示を出す。
「あの大盾を持った奴らを狙え!」
指揮官の命令から間を置かず、鉱山から伸びる魔装砲の砲口が魔弾を発射する。重力を纏ったその魔弾を前に、兵達は怯む様子を見せない。砲撃の合間を縫って反撃射撃を撃ってくる始末だ。
「無駄なことを・・・奴ら何か狙いがあるかもしれん!撃ち殺せ!撃て!撃て!!」
負けじと反撃を命じる。500メートルもない距離での撃ちあいだが、双方とも相手に当たらない。キラエル側は正確には大盾で防いでいるが、サマールル側はほとんどばら撒くようにして砲弾を撃ちまくる。
「あの大盾・・・頑強な作りだな!構うことない!撃て撃て!!」
彼はそう言い切った。元鉱山基地に立て籠もってまだ物資の蓄えは十分にある。全力で撃ち続ければ、先にキラエルの方が根を上げるだろう。そんな確信もあって、指揮を下していく。
「「「「おおおおお」」」」
恐怖という壁をかなぐり捨てて、大盾を構えて前進するドワーフ達。
全員の喉から迸る咆哮は、戦意の表れというよりも、死への抵抗と例えた方が正しいだろう。空から押し寄せる魔弾、地面を撥ねる銃弾・・・ほんの些細な不運だけで、容易く彼らの命を奪っていくことだろう。
「隙間を作るな!頭を低くして進め!」
大盾を構えて前進するドワーフの集団の中にミルキの姿があった。
「来るよ!構えて!」
魔弾が地面に着弾して爆ぜる轟音。
「怯むな!立ち止まったら死よ!」
どのドワーフ達も必死の形相だ。それでも彼らの歩みは止まらない。いや止まれない。
「もうあと少し!皆、全力で耐えて!!」
ミルキが叫ぶ。目的地まで近づくにつれて、弾雨の激しさが増していく。
「「「「うおおおおおお」」」」
大盾を構えて砲弾を防いでいるが、その衝撃は凄まじいの一言だ。腕は痺れ、体中から痛苦の悲鳴が挙がる。さすがの強度を誇る大盾に罅が入る。それを目にしたドワーフが死神の吐息を間近に感じた時だ。ようやく元鉱山の岩壁まで辿りつくことが出来た。
「よし!着いたわ!!大盾で囲みなさい。早く!」
指示を受けたドワーフ達が大盾を囲むようにして、大盾と大盾の中に安全地帯を作り出す。
「はぁ・・・」
「着けた・・・」
安堵の息が盛大に漏れる。自分たちが作った大盾の強度には自信を持っていたが、これだけの砲撃に晒されて生きた心地がしなかった。ドワーフの頑強な肉体と、何よりも仲間を思う心が、彼らをこの弾雨の中を突き進ませたのだ。
「まだ終わってないのよ!ちゃちゃとしなさい!」
荒い呼吸を吐くドワーフ達に、容赦なく次の指示を命じる。
「大槌だして!ここよ。」
背負っていた大槌を両手で握って、ドワーフ達が岩壁に向かいあう。彼らの大槌は、単なる武器ではない。何世代にもわたって受け継がれてきた採掘の技術と、岩を砕くドワーフの魂が宿る、まさに「相棒」だった。
「ここに穴を空けて!魔装銃が入ればいいわ。そんなに大きくなくっていいから、きっちりと貫通させて」
ミルキが示す箇所に大槌で岩壁を叩き始める。が、渾身の力で叩きつけてもビクともしない。それどころか跳ね返ってくる振動に手が痺れる始末だ。それでもドワーフ達は黙々と作業を続ける。
「・・・終わったら酒が出るんですよね?」
1人のドワーフがぽつりとそう呟いた。それを聞いたミルキが首を縦に振る。
「えぇ。もちろん!たらふく飲んで頂戴!なんならこの基地にある酒も飲み干してもいいってエリーゼから了承を得ているよ。」
「ほほぅ・・・。ここの基地にある分も・・・お前ら!聞いたな?気合入れろ!!飲むぞ!!」
「おぉ!酒だ!酒だ!!酒だ!!!」
俄然、ドワーフ達の士気が上がった。酒に目がない彼らのその姿にミルキは弾雨の中であっても笑って見せる。ドワーフにとって、酒は単なる嗜好品ではない。それは、過酷な労働の後の最高の報酬であり、仲間との絆を深める聖なる水だ。ミルキは、その文化を理解し、彼らの心を奮い立たせる術を知っていた。
「分かっていると思うけど、この作戦が成功しなかったら、お・あ・ず・け・よ」
「ははは!エリーゼ嬢が考えた作戦だ。失敗などあるもんか!!」
同じような答えが返ってきて笑う。その瞬間だった。岩壁に穴が空いた。ドワーフ達の目がキラリと光る。その穴を目掛けてどんどん穴を拡げていく。
「ミルキ!どうだ!」
喜色をにじませてドワーフが叫んだ。中を覗き込むと空洞になっていて、その奥に深い闇を覗かせている。
「やったわね!魔装銃撃つから、ちゃんと守っててよ。」
ドワーフ達と入れ替わり、ミルキが魔装銃を穴に入れて構える。
「え~と・・・空気より軽いから上の方を狙って・・・」
ミルキはエリーゼの言葉を思い出して、引き金を引いた。
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一方、防御線の上では、ガコル砲撃隊長が相手の意図を測りかねていた。
岩壁まで突進した後、そこで固まって何やら細工を施していることは想像がついた。ついたが、それが何に繋がるのかがわからなかった。大盾の集団を見下ろして眉根を寄せる。あんな少人数で工作を施そうとしてもお粗末すぎる。せいぜいが穴を空けるので精一杯だろう。
「やはり、向こうの指揮官は若いな。経験不足だ・・・」
と、その時だ。鉱山内で大爆発が起こった。
その衝撃と轟音で報告を待つまでもなく、ガコルにもすぐに異常が起こったことが分かった。ぎょっと顔を強張らせたものの、ともあれ被害と損害を把握しなくてはならない。だが、彼らを襲う災難はここからだった。
「おい!何があった?」
いつまでたっても報告にやってこないので、ガコルは下層に向かって、困惑しきった部下を見つけ出して問いただした。
「そ、それが・・・何かが爆発したはずなのですが、弾薬庫には異常が見当たらないのです。」
その奇妙な報告を聞いて、ガコルも当惑する。
「ふざけるな!じゃあ何が一体爆発を起こしたんだ!火元を徹底的に・・・」
探せ。そう口にしかけたガコルは、ふいに身体のバランスが崩れるのを感じて言葉を詰まらせた。辛うじて身体を支えていたが、その足元を見た瞬間に悪寒が背筋を駆け上がった。
「・・・床が・・・」
一緒になって足元を見た部下がそれに続く。
「床が抜けてます!」
そこにはあろうことか、床を構成している石材が沈み込んで下に落ち窪んでいた。それも一か所だけではない。足場全体がゆがみ、ひしゃげて、今にも崩落しそうな勢いだ。
「なぜだ?」
疑問を口にした途端、激しい震動がやってきて壁に床が崩れ落ちる。今まで立っていた足場が飲み込まれるようにして、部下ともども致命的な落下を始めた。
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「・・・来た、です。」
岩壁の震動からその気配をいち早く感じ取ったリナは部下たちを後退させた。
その直後、元鉱山を襲う異変が極みに達した。堅牢を誇っていた基地が、リナ達の目の前で崩落を始める。まさしく圧巻の出来事だった。
積み木細工のように崩れていく様は、サマールルの兵達の悲鳴と絶叫が凄惨に彩る。彼らにとって予想外の青天の霹靂だっただろう。
「すげぇ・・・」
「本当に崩れた・・・」
「さすがはエリーゼ様だ・・・」
呆然と声を漏らす部下たちをよそに、リナはぽっかりと空いた岩壁を見つめる。いまやあれだけ激しかった砲撃も銃撃も一切ない。彼女らを阻むものは何もなかった。
地下の天井や鍾乳洞、あるいは遺跡の天井付近には、ガスが溜まりやすい性質がある。これをメタンガスと呼ぶのだが、エリーゼは捕虜を引き渡すときに密かに精霊たちと契約した微精霊を忍ばせていた。
エルフ族に代々伝わる精霊との交信術は、彼女が幼い頃から磨き上げてきた能力だ。肉眼では捉えられない微細な精霊の囁きは、ガスの濃度や流れ、さらには地下の微細な亀裂までをも正確に把握することを可能にする。精霊たちの情報は、彼女の頭脳の中で瞬時に分析され、鉱山内部の最も脆弱な一点を指し示した。その微精霊達からの情報をもとにしてガスが溜まっている個所から一番近い場所に穴を掘り、そこに火種を点けることで鉱山内部から爆発を引き起こした。
この一連の策略は、数日前の捕虜解放と感染症の流言飛語が、サマールル基地内の食料とポーションの在庫を大幅に減らしていたという事実と結びつき、セイギ中佐が「これはれっきとした攻撃だよ」と見抜いた通りの効果を上げていた。兵站を消耗させ、内部から崩壊させるというエリーゼの冷徹な計算が、今、目の前で現実となっていた。エルフが持つ悠久の時を生きる彼女にとって、短期的な損害よりも、長期的な戦略的優位を確立することが何よりも重要だった。精霊の囁きは、常に森の均衡と調和を求めるが、エリーゼは今、その力を「戦い」という不調和のために使っている。その葛藤が、彼女の瞳の奥で静かに燃えていた。
とはいっても、ガスが溜まっている箇所がわかったとしても外から穴を空けている間に、敵からの集中攻撃にさらされるわけなので、かなりの度胸が必要になってくる。
そこで酒を餌にドワーフ達が活躍することになったわけである。ミルキは良い感じに巻き込まれた形だ。
「敵軍討つ、です!」
「「「はっ!」」」
リナの掛け声で部下たちが基地に雪崩れ込んでいく。残っている敵兵の殲滅にかかった。運よく落下の際に生き残った者たちもいて、人命救助もかねての捕虜扱いとなる。
*****************************************
「・・・・どういうことなんだ、これ?」
異様な緊張に包まれた中で、坑道が開通した報を聞きつけて彼は早速、見にやってきたわけだが後方の方で爆発音が響き渡ると、兵達の悲鳴と絶叫が彼の耳にまで届いてきた。
セイギが来た坑道の先を見れば、土煙が舞っていてその先を見通すことが困難だった。両脇にはハリーとカイも揃っているが2人とも唖然とした表情だった。
「何かが爆発した模様ですね・・・でも火器類に関しては徹底していたはずなのですが・・・」
ハリーが慎重に言葉を選んで口にする。元鉱山といえど閉ざされた空間もある。火器類の取り扱いに関しては厳重に管理していた。それには、隣のカイも同意を示す形で頷いていた。
「弾薬庫に火を放たれたのか?」
そんな訳がないと、彼の言葉には言外に含みが込められている。基地内の兵達はもとより、引き取った捕虜にしても身元も確認済みだ。それでも何か暗示や洗脳されている可能性もあったので彼らは隔離していた。
キラエルで感染症の疑いもあったのでそれも込みだ。だから、火を放つという行為は味方に裏切者が混じっていたことに繋がるが、それも考えづらい。セイギも内心で同じ意見だ。この光景から、その原因の推測に頭を素早く回転させる。
「エルフ・・・そうか!精霊か!精霊を使って天井に溜まっていたガスに引火させた・・・ということか・・・失敗したな。僕が前線で見てれば兆候を見つけられたかもしれない。」
「そうかもしれないが、それにしてもいきなりじゃないか?向こうは籠城戦を見越して包囲網を敷いたことで有利に進めていたんだ。わざわざ、無理して攻めてこないだろう・・・」
カイが腕を組んで唸る。援軍が来るまで粘って守る。それが籠城戦だ。それにここはこの先重要な拠点となることは明白だった。近くには軍港があり、キラエルとも海沿いになるが最短だ。陸、海。空と戦術も戦略も補給にしても頻繁に使われることだろう。
それが分かっているからキラエルにしたって空撃に及ばないのだ。出来れば、損傷なく手に入れたいと思っていてもおかしくはなかった。
「イレギュラーが発生した、ということでしょうか?オチオチと時間をかけてられなくなった?そんな理由が。」
「だとしたら、相当なことが起こったということだね。キラエルそのものを揺るがす出来事が。」
「揺るがす?」
「そうだね・・・例えばクーデターとか?」
セイギは口にする。
「第1王子と第2王子のクーデターさ。」
「え?!そんなこの時期にですか??。」
「うん。たぶんそう。補給路が封鎖されて本来なら帰国するはずなんだ。」
いくらこれから重要な拠点が目の前にあるとはいえ、補給路も増援も見込めないのに攻勢に転じようなどとは思いもつかないだろう。それが戦乙女といわれる所以なのかもしれない。
「・・・いや、よそう。今はここから戦略的撤退だ。残っている兵達をかき集めて逃げよう。」
このままここにいたら敵に捕まってしまう。この基地はおしいがまた取り返せばいいだけの話だ。今は、次にどうするかそれだけを考えよう。
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サマールルの帝都ヨルンザム。その奥に佇む宮殿内にある華麗に虚飾された会議室の中で、シバ・オルマン大佐と、ヒオレド・シノ大佐が対面で座っているが、お互い着席早々から一言も会話を交わしていない。
元々仲が良いわけでなく、お互いに関心がないだけだ。サマールル国内は、キラエルとの戦争に加え、皇位継承を巡る不穏な動きが表面化し始めており、軍内部にも動揺が広がっていた。そんな情勢下での第一皇子からの招集は、彼らにとっても無視できないものだった。
待ち時間はそれほどでもなかった。2人の大佐が到着から20分程で、ようやく姿を現した。
「少々遅くなってしまって申し訳ないですねお二方。」
サマールル第一皇子レリオン・サマールル。
彼は優雅な笑顔を浮かべ、常に温和な言葉を口にする。その物腰はどこまでも柔らかく、誰に対しても礼儀正しい。しかし、その瞳の奥には冷たい光が宿り、柔らかな声の裏には鋭い刃が隠されているかのようだ。
彼の優しさは、あたかも獲物を油断させるための罠のように感じられる。一目見て人望を集める理想の皇子。しかし、内側には全て計算し尽くした、冷酷な策略家の顔が潜んでいる。この不安定な国内情勢を、彼は自らの権力基盤を固める好機と捉えているかのようだった。彼にとって、この戦乱は、自らの地位を盤石にするための絶好の舞台に過ぎなかった。その冷徹な策謀の根底には、幼い頃から命を狙われ続けたことによる深い孤独と、決して他者に心を許すことのできない猜疑心が横たわっていた。
そんな第一皇子からの呼び出しだ。サマールル国内がごたごたとしている中でも、2人の大佐も応じない訳にはいかなかった。
「早速だが、今回の召集の理由を聞こうか?」
第一声、シバ・オルマン大佐が問いかける。彼はサマールルの中でも猛将と名高い猪獣人だ。戦いこそが全てであり、力こそ正義であり、強さこそ真実。その言葉通りの人物像だ。だからこそ第一皇子であろうと言葉遣いを改めることはしない。
「シバ大佐。そう慌てないで下さいよ。まずは一杯お茶でも一緒に啜りませんか?これでも慌てて来たんですよ。喉が渇いてしまってて。」
「ならば、さっさと用件だけ言って、ゆっくりと飲めばいい。」
「相変わらずですね。とりあえずアイスティ御願い。」
あくまでも不遜な態度を崩さないシバ大佐だ。どんな時でも遜らず、上官であろうと怯まず噛みつく。彼はそんな性格の持ち主だ。
レリオン皇子は構わずに使用人に飲み物を頼む。
「私も気になるところなので早急に教えて貰いたいですね。第一皇子。」
ヒオレド大佐もストレートに問いただす。彼は智将と呼ばれる狐の獣人だった。論理的、分析的、常に冷静沈着そんな言葉が似合う人物像だ。シバ大佐とは違って、相手の立場によって言葉使いを巧みに変えることができる計算高いそんな性格の持ち主だ。
「・・・せっかちだね、二人さん。まぁいいでしょう。シイラ少佐が率いる海軍、空軍が敗戦していることはお二人共ご存じだと思います。その相手がキラエルで今有名な王女様、シルヴィ・キラエル王女殿下というのももちろん知っていると思います。さて、そこで堅牢と名高い元鉱山基地で籠城戦になったわけですが、そこが先日、たった1日で陥落しました。パチパチ・・・。」
そこでアイスティーが届いたのでグイっと飲んでからまた続ける。
「元鉱山基地にはセイギ中佐を派遣させていたのですがね、これがちょっと目を離した隙にまんまとやられてしまい、彼は今逃亡生活の真っ最中なわけです。彼の心配はこの際無視しておいても自力でなんとかすることでしょう。さて、問題はキラエル軍です。おかしな事にキラエル本国では現在クーデターが起こっていまして、それでも戦乙女と呼ばれるシルヴィ・キラエル王女殿下は我が国、サマールルを進軍中です。」
またアイスティを一口飲みつつ二人の顔を窺う。
「どうですか?興味がわきませんか?戦乙女と戦える機会なんてそうそうこれからないですよ?」
ここでシバ大佐が反応を示すが
「待ってください。クーデターが発生しているのなら当然、補給にしろ増援にしろ見込みがないのではありませんか?なぜそんな状態でむざむざとサマールルに進軍なんてするんですか?自殺願望でもあるのですか?」
ここで一番重要な点をヒオレド大佐が指摘する。その視線を受け止めつつレリオン第一皇子は肩をすくめて答えた。
「さぁ?としか言いようがないですね〜。彼女はサマールルを侵略したいというほどの野心家ではないはずです。休戦もしくは停戦を目論んでいるとおもうんですよ。だから、もう少し戦果を稼ぎたいのでは?そうすれば、クーデターさえもうやむやにしてもお釣りがくる。従ってキラエル王国は現状維持に努めることができると思っているのかもしれませんね。」
そう言って掴みどころのない微笑みを浮かべる。
「現実的な話をすると彼女の判断は妥当です。クーデターを鎮圧しに帰国したところで、鎮圧などそうそう片付くわけがないんですよ。その間に我々サマールルが攻め込んだ日には碌な抵抗もできずにキラエル王国は沈むはずでした。」
「そうであろうな。だからセイギ中佐があそこで陣を張っていたわけだしな。」
「えぇ。彼には臨機応変に動くように伝えてありましたからね。シバ大佐のいう通りですよ。ともあれ、キラエル軍が進軍しているのは間違いないことです。補給もないし味方もいない。そんな現状に彼女はどう対応するのか?見てみたくないですか?」
すらすらと述べつつ、レリオン第一皇子は二人を同時に眺める。
すなわちシルヴィ・キラエル王女殿下の身柄を確保しろと、そう言いたいわけだ。
「いいだろう。キーンスは目にかけていたからな。どんな相手に負けたのか見てやるか。」
「こちらもだ。セイギが2度も何も出来なかったなど信じ難いからな。私が行こう。」
2人が席を立った瞬間にレリオン第一皇子が声を上げる。
「お二人で競争ですね。マナーを守ってくださいよ?二人ががかりでかかったら、いくらなんでも彼女が可哀そうだ。」
「「もちろんだ」」
「それともう一つ。我が弟の第二皇子を連れて行ってあげてほしいな。まだ彼は初陣を果たしてないんですよ。」
「ふん。足手まといはいらん。」
シバ大佐はそのまま振り向くこともなく出て行った。
となると
「いいですよ。我が隊で面倒をみましょう。今後役にたつやもしれませんからね。」
そう言い残してヒオレド大佐は手を振って出て行った。
「ふ~。」
と、レリオン第一皇子は深いため息を吐いた。サマールルの最強戦力相手にいくら皇子の立場といっても緊張というものは感じるものだ。さてと、2人の大佐がどう動くのか?が楽しみだ。
進行とリナの冒険譚
元鉱山基地を奪取し、その復旧作業を始めているドワーフ達を眺めながら、エリーゼは今後の方針を近衛騎士団全員、集めて説明を行っていた。
「基本的には、事前に予定した地図に記した場所に向かってもらいます。補給物資が見込めないので、道中、採集に狩り、それから集落や村なんかもあると思うのでそこで各自の判断で補給してください。」
総勢800名。装備は魔装銃、魔反動砲、ハンドガン、ダガーだ。これは基本装備であって各自の好みで変更してもらっても可だ。ルールカの2本の剣がいい例だ。
総指揮官はエリーゼ。その補佐、秘書はリン・カリュード。シルヴィ王女はこちらに同行。兵数260。
副総指揮官、ルールカ・アンチュア。兵数100。道中、馬かもしくは騎乗できそうな魔獣、魔物を発見次第確保。
近接・騎馬部隊隊長、トルイ・タフィ。兵数100。道中、馬かもしくは騎乗できそうな魔獣、魔物を発見次第確保。
中・長距離部隊長、カーズ・サガ。兵数100。魔装砲を積んだ馬車が20台を運搬する。
軍事物資、補給・生産・開発、総責任者ミルキ・ゴーンド。副責任者はテッツ・ハラダー。ドワーフ隊10人を含む。武器、防具などのメンテナンス及び魔獣、魔物の解体作業。基本エリーゼと同行。
レイニ。兵数100で歩兵及び魔装銃隊を率いる。
リナ・アナーク。氷族を中心に構成された兵数100.
騎獣騎士隊は偵察及び運搬作業に従事。敵が騎獣隊で迎え撃ってくる場合はそれにあたってもらう。兵数30。
800人が同時に移動となれば、ただ動かすだけでも簡単な作業ではない。もし全員が同じ方向に進軍を開始してしまえば、長蛇の列となってしまう。それは非効率だ。
兵力が多い場合は、基本的に「分散進軍」が用いられる。ひとまず小分けにして、それぞれ別ルートを通って進ませて、あらかじめ指定しておいた目的地での合流を目指す。という方針だ。こうすることで全体の移動がスムーズになり、かつ中継点における滞在の負担も分散される。
が、もちろんリスクはある。戦力を分散させるわけだ。今回の目的は戦果を求めての行軍であり、できれば名が知れた将校クラスとの戦闘をもって撃破。確固撃破されて戦力を削がれるような事態だけは避けなくってはいけない。
対策としては、進軍中の部隊間の距離をなるべく縮めて通信で連絡を取り合う。場合によっては後方から援軍を派遣してもらう。
「進軍速度は求めてないので、サバイバル活動に専念してもらって、敵勢力と接触する場合に備えて、準備を怠らない事。」
エリーゼは近衛騎士団の顔ぶれをざっと眺めてから、
「では、現時刻より、サマールル領内に向けた進軍を開始する。総員、行動開始!」
エリーゼが視線を込めてそう言うと、彼らは敬礼で返す。
残りの戦力、ノーヴァン司令官艦長は空軍、サンルーフ総司令艦長は海軍、それぞれが元鉱山基地を管理しシルヴィ王女に危険が差し迫った場合は即座に行動に移し、場合によっては帰還してもらう形に概ね落ち着いた。奪取した軍港を失ってしまえばもうキラエルの地に足をつけることは不可能だろう。だから進軍する兵数は可能な限り厳選し、二人の司令官に留守を預けた。
進軍から開始して4日目になって、順調に北上を続けていたリナが率いる部隊は、近くに村があることを知り、そこに向かうため進路を変更させた。
隣に居るのは氷族からの付き合いで、ついて来てくれているダボが双眼鏡を眺めれば、その視界に映るのは、味方も部隊も一定の距離を保ちつつ進軍していた。
互いにいつ敵勢力と接触するのか、緊張感を伴っているのは相変わらずだが、ここでの方向転換に異存はないようでリナ達の部隊と足並みを揃えてくれるみたいだ。
その村の名はトルイという。サマールル領内の村に、キラエルの戦闘服のままで入ってしまえば、ひと悶着が起こることは予想できた。
リナは上着を脱ぎ、隊員たちと共にマントを羽織った。元氷族の者たちも同じように身なりを整え、彼らと一緒であれば、少しは警戒心を和らげられるだろうとリナは考えた。
村に入ると、キラエル王国とは異なる、どこか質実剛健とした雰囲気を感じた。建物は石造りが多く、人々の表情にも、厳しい自然と隣り合わせの生活が刻まれているように見える。土と、かすかに混じる獣の匂いが鼻腔をくすぐり、湿った空気が肌にまとわりつく。遠くからは、子供たちの賑やかな笑い声と、家畜の鳴き声が、のどかなハーモニーを奏でていた。村の家々からは、魔導ランプの柔らかな光が漏れ、夜の闇をほんのりと照らしていた。キラエルでは、夜の闇を魔導ランプの煌々たる光が照らし、冬の寒さも魔導暖炉の熱で忘れさせる。だが、この村では、夜は星明かりと揺らめく炎の灯りが主で、冬の夜には家族が暖炉の周りに身を寄せ合うのが常なのだろう。魔導技術の恩恵は、都市の豊かな生活と、辺境の素朴な暮らしの間に、深い溝を刻んでいた。この差は、シルヴィ王女が異世界人から得た知識と魔導学を融合させた「魔導産業革命」がもたらしたものであり、都市部では生活水準を飛躍的に向上させた一方で、辺境の村々にはその恩恵が届きにくく、新たな格差を生み出していた。
食料と水が目的だったので、村人に聞きながら散策した。しかし、村人たちの視線は、リナたちの身につけたキラエル軍の制服に、警戒とわずかな敵意を滲ませていた。キラエルでは、騎士団の制服は信頼と敬意の象徴だった。だが、ここでは、それは単なる『異国の兵士』を示すものに過ぎない。彼女の心に、異文化の壁と、それにどう向き合うべきかという新たな問いが生まれた。
そんな中、真っ白な板に1つ星が描かれた看板を見つけた。
冒険者ギルドだ。マルセイザ共和国を基幹とする魔獣、魔物の討伐を専門とする斡旋所といったところか。
リナは、ルールカから聞いた冒険者ギルドの話を思い出した。キラエルのギルドはもっと活気があり、様々な種族の冒険者で賑わっていると聞いている。ここはどうだろうか。好奇心が赴くままに、リナは冒険者ギルドの中に足を踏み入れた。
扉を開けると、古い木が軋む音がした。ギルドの中は、薄暗く、空気が淀んでいる。埃っぽい匂いが鼻をつく。カウンターには誰もいない。奥から聞こえるのは、くたびれた男の小さな咳払いだけだ。壁には色褪せた依頼書が数枚貼られている。どれもずいぶん古いもののようで、ほとんど読めない。
広々としたホールには、いくつもテーブルと椅子が並んでいるが、そこに座っている者は誰もいない。中央の暖炉には火も入っておらず、ただ静かに佇んでいる。ここは、冒険者が集う活気がある場所というよりは、忘れ去られた倉庫のようだ。
ぼんやりと外の光を眺めていると、自分が場違いなところにいるような気がしてきた。ルールカから教えてもらった、冒険者ギルドとのあまりにもの違いにリナは間違えてしまったのだろうかと、そんな不安が胸の奥で小さく膨らんでいく。特に用事があったわけではないのでこのまま出ようか?と考えたところで呼び止められる。
「ちょっと待った!お嬢ちゃん!」
見た目の印象とは裏腹に、くたびれた男がリナを見て、物凄い勢いでやって来た。視線が顔から、身体に向かうのをリナは感じて、妙に気恥ずかしくてうつむいてしまう。
「ようこそおいでくださいました。冒険者の登録ですよね?」
「え?違い・・・」
リナは思わず言葉を詰まらせた。ただ興味本位で覗きに来ただけ、とは言えそうにない雰囲気だった。
「では、こちらに記入をお願いします。わからないところがあったら、聞いてください。」
強引に登録用紙を渡される。リナは困惑しながらも、キラエルの騎士である自分が、敵国サマールルの冒険者ギルドに登録することへの一抹の不安を感じた。しかし、これも情報収集の一環かもしれない、と自分に言い聞かせた。記入項目は、名前、性別、特技、年齢・・・それだけだ。本当にこれだけでいいのかと、思わず疑ってしまうほどに簡素だった。
「あ、字と文字は読めますか?」
「大丈夫、です。」
リナは頷き、とりあえず書いてみることにした。キラエルの者だけれどいいのかな?とは思うけれどバレたとしても特に問題はないだろうと勝手に判断した。
書いて手渡すと、白磁の小板にブロンズの色が付いたペンで記載した情報をそのまま書いていく。それが終わると男が呟くと、その白磁の小板が一瞬光った。
「はい。これで登録完了です。これを持って別の冒険者ギルドに行ったときに見せれば、あなたの情報が職員にわかるようになります。クエストの達成と、失敗、魔獣、魔物の討伐数などですね。失くした場合は再発行で銀貨3枚必要になりますので、くれぐれも気をつけてくださいね。死亡された場合は、冒険者ギルドにすぐにわかるようになってますので知人、友人をお探しの場合は職員に聞いてもらえば、どこの冒険者ギルドで依頼をこなしているとかもお教えできますが、その際にはフレンドリー登録をお願いしてます。それと・・・」
饒舌に話してくれるが、目をぱちくりさせて、リナはよくわからなかった。キラエルでは、騎士団の規律と任務が最優先される。個人的な依頼を受けて活動する「冒険者」という存在は、彼女にとって新鮮であり、同時にどこか自由すぎて戸惑うものだった。特に、報酬のために魔獣を討伐するという考え方は、彼女の騎士としての使命感とは異なるものだった。
「まぁ。わからないとこがあったら、なんでも聞いてください。その都度説明いたします。」
「はい、です。」
と、頷いてしまった。
「あなたは新人なのでブロンズになります。クエスト達成率が挙がると、階級が上がります。次はアイアンですね。ぜひ目指して下さい。さて、依頼ですが、あちらに張り出されていますが、常時クエストでゴブリン討伐は、討伐証明にあたる耳をそいで持ってきてもらえればそれで受理と達成報酬をお支払いできますので、見つけたらどんどん始末してくださいね。」
にこやかに、職員の男はそう言う。
リナは別に登録をしに来たわけではないと正直に言おうかと思ったのだが、職員の表情を見て、やはり何も言えなかった。しかし、目の前の村人たちがゴブリンに苦しめられている現状を考えると、騎士として、そして一人の人間として、彼らを助けたいという気持ちが湧き上がってきた。
「では、これで登録は終わりです。簡単な地図ですがこちらをどうぞ。参考にしてください。」
ペコリと頭を下げて受け取る。呆気ないほどに登録は完了してしまったようだ。どうしようか・・・ギルドを出て部下たちと合流しようと探してみれば、何やら住民ともめている最中だった。
「あんたら用兵かなんかでしょ?娘が!ゴブリンに攫われたみたいなの!助けてよ!!」
「家もだ!どうか娘を・・・」
「お願いします。お願いします!」
マントを羽織っているとはいえどう見ても、強そうなそんな職業に見られる部下たちだ。
娘の安否を願う親たちに囲まれてすっかり困り果てていた。
彼らは、自分も含めてだが、こういった状況には慣れておらず、サマールルの人間ではないから余計に圧し通ることも出来ない。
キラエルでは、このような事態には騎士団が即座に対応する。しかし、ここはサマールル。敵国の兵士である自分たちが、どこまで介入して良いのか、リナは判断に迷った。
「冒険者ギルドに頼んだんですか?」
思わずリナが声をかけてしまった。
彼女は言葉足らずの割には、好奇心が旺盛な性格だが、心の中で失敗したなと後悔した。だってどう受け答えしたらいいのか咄嗟に言葉が出ないのだから。リナのその声に、親たちが殺到する。
この村というより、サマールルは軍人を尊う風習が昔から定着しており、冒険者を目指すものはそういないらしい。
若い連中は皆、軍人を目指して育っていく。なので、ここ最近ゴブリンの被害が急激に増えたことに対応が追い付いてない状況だと言う。
軍にも要請は出しているらしいがいつくるかが、目途が立っていない。そんなところにガタイの良い連中がやってきたもんだから、こういった有様になった模様だった。
リナは話を聞いているだけだった。向こうから勝手に話をしてくれるものだから、それにのかっている。
ゴブリン退治か……。
冒険者ギルドに登録したばかりのリナでも依頼を受けられる、いわば初心者用のクエストだ。エリーゼからも魔獣、魔物の討伐には積極的に取り組むように言われているので、やってみることにする。
ゴブリンの巣穴。いや、果たしてそれを住処と呼ぶのは正しいのだろうか?洞窟や洞穴の類ではない。明らかに人工物。古びた遺跡の入り口が、草木に覆われてひっそりと口を開けていた。
見張りには、小柄で緑色の肌をしたゴブリンが二匹。錆びた粗雑な槍を構え、警戒心なく入り口の脇に佇んでいる。彼らは群れを形成し、数の多さを恃む狡猾な魔物だ。個々の知能は低いが、統率者がいれば連携して襲いかかる。その俊敏な動きは侮れないが、脆い身体は魔装銃の一撃で容易く貫通する。リナ隊は、そこから離れた茂みに身を潜め、魔装銃を構えていた。
「撃て!」
リナがそう命令を下す。
瞬間、右にいたゴブリンの首にまっすぐ魔弾が貫いた。同時に、左のゴブリンの頭が炸裂する。二匹は声も上げられず、その場に倒れ伏した。
辺りを警戒し、リナは慣れた手つきで二体のゴブリンの死体から耳を剥ぎ取り、魔石を回収した。アカデミーでも散々、魔獣、魔物の類とは対戦してきているので慣れた手つきで処理が終わる。この耳が、討伐の証明となるのだ。
白亜の壁に囲まれた狭い通路は、徐々に下り坂になっているようで用心深く降る。光源は乏しいのだが、夜間でも訓練も厳しくおこなっていたので、このぐらいの暗さならば特に問題はなかった。
下り坂の石畳の通路を、リナ達は足音を立てずに緩く傾斜がかかった螺旋状に下っていく。今のところゴブリンの気配は感じないが、見張りを立てていたことから、ゴブリン達を統率できる上位種の存在がいるのだろうと予想が出来ていた。
下り道が終わると、そこで右と左に道が分かれている。どちらに進むか、部下が身を屈めて微かな音を拾う。
「左にゴブリンがいる模様です。」
「なら右に、です。」
部下の言葉にリナは即座に応えた。右には何も音がしないらしい。
なら何があるのだろうかと、疑問が湧いたからだ。
全員右に進んで間もなくのとこだ、むっとするような臭気が漂い出した。べたついた空気、吐き気を催すほどの匂い。
「うっ・・・」
部下の何人かが呻いて鼻を咄嗟につまむ。
「・・・」
奥に進むにつれて臭気は濃くなり、リナも思わず口元を抑える。糞尿、腐った肉、汚物、極めつけは死人だった。
それは連れ去られた村人の娘だったものだ。近くで確認しなくとももう息がないことはわかる。四肢には無残な傷跡、肌がわからないほどに赤黒く変色して、頭が潰れている。
残虐、残酷そんな言葉が咄嗟に出てくるだろうけど、こういった光景は以前にも体験している。魔獣だろうが魔物だろうが、人族だろうが悪意に満ちていればそう珍しいことではない。
このままでは、彼女達は報われないだろうと、回収して一旦茂みまで戻って来た。ここで休憩を挟んで今度は左の道に進む。臭気に充満した空間で麻痺した嗅覚を回復させて、今度こそゴブリンの討伐だ。
左の道は一転して、まるで迷路のごとく入り組んでいた。敵の侵入に対して、四方八方からや、入り口を狭くした構造だったりと、物理的に阻止して精神的にも圧力をかけて攻撃がかけられる作りになっていた。
だが、こういったことも訓練の一環であったので、警邏のゴブリンに出くわしても順調に始末した。リナ達一行は遭遇するゴブリンを逃すことなく全て片付けていくと、広大な空間に出る。
そこには待ち構えていたかのように、ゴブリンの集団がいる。2、30匹ぐらいだろうか?
「構え!」
リナが淡々と指示を送る。
「撃て!」
その声には無機質な冷たさを纏っていた。
約30匹のゴブリンが僅か1分も経たずに全滅する。辺り一面ゴブリンの血の海だ。
この中で耳を削って、魔石を回収するのか・・・と、全員がうんざりとした顔をした時だった。ずんと、大気が震えた。静寂の中で、その衝撃だけが轟いた。
ゴブリンというよりはもはや巨人といったほうが早い。醜悪な顔には、見るもの全てを凍り付かせるような不気味な笑みが浮かんでいる。鋭い牙やギョロリとした目が特徴的で、巨大な棍棒を軽々と持ち上げていた。
その巨体はゴブリンの群れを従える統率者の威厳を放ち、その知能は単なる野獣とは一線を画す。先の偵察で、脅威となりそうな人族は見当たらなかったことから、この町を蹂躙し、新たな上位種に進化を遂げる野望を抱けるほどに、ゴブリンキングの知能は発達していた。ミナは、獣人特有の鋭敏な嗅覚で、ゴブリンキングの放つ威圧感の中に、獲物への執着と、支配欲を感じ取っていた。その匂いは、彼女の獣人としての本能を刺激し、警戒心を一層強めた。
「ガァ!」
ゴブリンキングが吼えるような叫びと、痺れるような殺気をリナ達に突き刺した。その瞳には、配下の魔物たちへの絶対的な支配と、目の前の獲物への冷酷な殺意が宿っている。
「これで終わり、です?」
リナが両手を組んでポキポキと指の音を鳴らす。その視線は、ゴブリンキングの巨体と、その中心にある魔石の位置を正確に捉えていた。
「1人で戦いたい、です。」
1人前に出たリナに対して、ゴブリンキングは容赦なく巨大な棍棒を叩きつけた。石床が無残に砕け散る鈍い音が響き、地面が揺れる振動が足元から伝わる。その一撃は、リナを塵一つ残さず消し去ろうとするかのような、純粋な破壊衝動に満ちており、まるで世界そのものが彼女を拒絶しているかのようだった。
リナは瞬時に躱し、まるで風に舞う蝶のように、しかしその動きは獲物を狙う猛禽の如く鋭かった。一直線にゴブリンキング目掛けて、小さく、早く、その距離を詰める。ゴブリンキングの腹の前に躍り出ると、鋼のような蹴りを放ち、その衝撃が巨体を揺るがす。
間髪入れずに放たれる打撃の連打は、まるで嵐の前の静けさから一転した激しい雷鳴のように、ゴブリンキングの巨体を揺さぶった。ゴブリンキングの巨体がよろめき、その醜悪な顔に驚愕の色が浮かぶ。リナはさらに、その顎に狙いを定めて蹴撃をかまし、宙返りからの渾身のかかと落とし。
ゴブリンキングの顔が無様に石畳みに沈み込み、鈍い音が遺跡の奥深くに響き渡った。
「おしまい、です?」
リナは首を傾げてゴブリンキングに聞いてみる。
「ぐっぅぅ……」
と、まだ生きていたようだ。
「Death!」
ゴブリンキングの頭を思いっきり蹴飛ばした。
ゴブリンの殲滅を果たし、村娘達の亡骸を村に送り届けたリナ達は、村人に歓迎された。家族達は泣きながらも、娘を連れ帰ってくれたことに大変感謝してくれた。
リナは長椅子に座り、村人たちの喜びに満ちた顔を眺めていた。幼い頃、母から教えられた『皆を守る』という抽象的な使命が、今、目の前で具体的な形を帯びている。ゴブリン討伐を通じて、彼女は初めて、自分の『力』が、直接的に誰かの悲しみを取り除き、笑顔を取り戻すことができるのだと実感した。それは、彼女の心の奥底に、これまで感じたことのない温かい光を灯した。そして、戦いの中で身体を駆け巡る「痛み」が、いつものように「快楽」へと転じるのを感じた時、リナは新たな発見に震えた。この「快楽」は、単なる自己満足ではない。村人たちの安堵の表情、仲間たちの信頼の眼差し、そして、母の教え。「この痛みは、彼らを守れた証だ。この快楽は、彼らの笑顔と共に存在する。」痛みという名の快楽に身を震わせる自身の本能と、誰かを守るという使命感。二つの感情が交錯する中で、リナは確かに一歩、前に進んでいた。彼女の「快楽」は、もはや孤独なものではなく、仲間との絆の中で輝く、新たな「力」の源となっていた。
その日の夜はその村でやっかいになり、食料と水を分けてもらうことが出来、ギルドに行けばあの男性職員が腰を抜かしながらも、報酬とブロンズからアイアンにランクを上げてくれた。
そのまましばらく滞在していかないかと、さんざん歎願されたがやんわりとお断りして、再度進軍に赴く。この報せは全部隊に通達されて、村や村落を見つけたら積極的にクエストをこなすように厳命されることになった。補給もそうなのだが、サマールルの情報を得るのは恩を売る方が良いと判断が下されたからだ。
冒険譚②
藁の寝床からゆっくりと身を起こす。見慣れない部屋の天井を見上げ、まだ残る眠気を振り払うように、大きく身体を伸ばした。着慣れた、しかし何度も繕いを重ねたボロボロの服に袖を通すと、微かに石鹸の香りがした。
そうだ、ここはボルイの町。食料と水の補給のため、昨夜からお世話になっている場所だ。いつものように部下たちにクエストを任せ、私は町を散策することにした。人々の日常の営みを、もっと深く観察したかったのだ。
これまでの旅で訪れた町々で耳にしたのは、キラエルとの戦争が本格化して以来、軍人が魔獣討伐に来なくなったという話だった。
その影響で、魔獣や魔物が頻繁に暴れ出し、残された老人、子供、そして女性たちは、不安と恐怖に怯える日々を送っているという。軍も対策のために派遣を送ってはいるようだが、いつ来るか分からない救援を待つだけでは、命の保証もない。
そんな状況の中、私たちリナ隊はどこに行っても歓迎された。物資の補給と引き換えに魔獣を討伐する。それは、私たちにとっても、町の人々にとっても、まさに「WIN-WIN」の関係だった。
しかし、私の心には、単なる取引だけでは割り切れない、ある種の責任感のようなものが芽生え始めていた。
さて、町を歩く私の目に飛び込んできたのは、荷車が轍に深くはまり込み、途方に暮れる少女の姿だった。今にも泣き出しそうな顔で助けを求めるその瞳が、私を捉える。
迷わず駆け寄り、荷車を押し上げる。少女はハンナ、私と同じ13歳。よく喋る快活な子で、寡黙な私とは正反対だからこそ、すぐに打ち解けることができた。
荷車を動かすだけでなく、その日一日の仕事を手伝ってやると、ハンナは満面の笑みで「ありがとう!」と何度も繰り返した。その純粋な笑顔が、私の心の奥底に温かい光を灯した。そして、その夜はハンナの家でお世話になることになった。
部下には「心配いらない」とだけ伝え、私は久しぶりに、誰かの温かい家庭に身を置くことになった。
東向きの窓から、朝の光が差し込む。窓辺に置かれた小さな花瓶の野花に、露がきらめいていた。
「おはよ。良く眠れた?」
不意に、元気な声が聞こえる。ハンナだ。
「おはよ、です。」
窓の外では、まだ少し冷たい朝の空気の中、牛たちがのんびりと草を食んでいる。遠くからは鶏の鳴き声が聞こえてきた。
「朝ごはん出来てるよ。お腹ペコペコなの。早く食べよ。」
「うん、です。」
リナは微笑んで、ハンナの後をついていく。食卓には、すでに彼女の母親が席についていた。
「おはよ!」
「おはよ、です。」
母親もハンナと同じで元気いっぱいだ。親子だからだろう。食卓には、チーズにパン、牛乳を使った温かいスープ。全て牧場で手作りされたものだ。
「いただきます。」
サマールルでの食膳の文化、マナーに倣い、リナもそう言ってから食事を食べ始めた。キラエルでは、食事の前にこのような言葉を口にする習慣はなかった。彼女は、この短い言葉に込められた意味を、その場の雰囲気から静かに読み取ろうとした
命への感謝。食べる肉、魚、野菜、パンなどの食材は、動植物の命や自然の恵み。その命を頂くことへの感謝の気持ちが込められている。
食事への感謝。料理を作ってくれた人、その材料を用意してくれた人、そして食事を共にしている人への感謝の気持ちが表されている。
食事の合図。家族や仲間と一緒に食事をするときに皆で「いただきます」と言うことで、「さぁ今日も一日頑張りましょう。」という意味合いもある。
リナは牧場の仕事を知らなかったので、アンナに頼んで教えてもらうことになった。
搾乳。決まった時間に牛の乳を搾る。
餌やり水やり。牧草だけでなく、トウモロコシなども混ぜるそうだ。
牛舎の清掃。牛が快適に過ごせるように、糞尿を取り除き、寝床を綺麗にする。
健康管理。牛の体調を観察して、異常がないかをチェックする。
母親も「興味があるのならやってみてごらん。」と、陽気に応えてくれた。
黙々と作業を続け、太陽が真上を過ぎると、アンナがバスケットを手にしてやってきた。
二人は並んで芝に座り、サンドイッチと冷えた牛乳で昼食を摂った。時間が、のんびりと流れるのを感じる。
あらかた作業を済ませると、明日届ける荷物を荷車に積み込んで、今日一日の仕事は大体終わりだ。配達は二日に一回なので、今日は休みだった。
そんな日は牧場を歩き回る。魔獣、魔物への警戒のためだ。なにかしらの兆候があるらしい。リナは牧場の端から端まで歩き回り、泥に塗れた小さな足跡を見つけてしまった。
その足で母親の元に向かい、足跡のことを確かめると、母親はギルドに大急ぎで向かった。
冒険者ギルドに息を切らして向かった母親だったが、そこには職員以外誰もいなかった。いつもの光景といえばそうなのだが、今は切実に問題だった。
彼女は通りに出ると、大きく、怒鳴るような声で叫んだ。
「誰か助けておくれ!」
通りゆく住民が振り返る。
「魔獣の群がやって来るよ!」
ざわめきが起こった。
「・・・逃げよう。」
「どこに・・・」
「なら皆で守ろう!」
「・・・無理だ。」
「あ、あのキャラバンの連中に頼み込むか?」
「そ・そうだ。きっと・・・」
「魔獣の群なんだろう?軍に来てもらった方がいいんじゃ?」
「よし、俺がいっちょ走って行ってくる。」
こういった兆候は昔から伝わっている。魔獣、魔物が下調べに来て、そのまま何もせずに帰った場合は、スタンピード、もしくはそれに匹敵するほどの大群が近い内にこの町を襲う。村や町は、その日のうちに跡形もなくなるだろう。もちろん、住んでいる者たちの命などあるわけがない。
「やっぱり今から逃げよう!まだ時間はあるはずだ。今から町を放りだして皆で逃げれば、命は助かるはずだ。町は・・・町は・・・また再興したらいい。軍に言えば保証金だって出してくるはずだ・・・なぁ・・・そうしよう・・・」
その場が、その言葉を聞いて静まり返った。誰もが絶望的な選択肢を前に、顔を青ざめ、うつむいていた。
その時だ。
「わ・わたしがやります。です。」
リナの声が響いた。しかし、その声は住民たちのざわめきにかき消されそうになるほど、か細く、頼りなく聞こえた。
住民の視線が一気に向けられる。その視線は、幼い少女に向けられた不信と諦めが入り混じったものだった。
その視線にたじろぐも、リナはもう一度、今度ははっきりと口にした。
「退治する、です。」
だが、それでも住民たちの反応は冷ややかだった。
「お嬢ちゃん。気持ちは嬉しいが、君には無理なんだ。君だけじゃない。ここにいる全員で立ち向かったところでダメなんだよ・・・」
住民の一人が、疲れ切った声でそう言った。残りの住民たちも同じ気持ちなのか、落ち着かない様子で口々に囁き合う。
「そうだよ、軍だって来ないんだ。どうしろって言うんだ。」
「命だけは助かるうちに逃げた方がいい。」
「この町を見捨てるのは辛いが、他に道はないだろう…」
彼らの言葉には、この町を見捨てたくないという悲痛な思いと、しかしどうすることもできない無力感がにじみ出ていた。女、子供、老人がほとんどで、若者も男手もない現状では、魔獣の群れに立ち向かうことなど、到底不可能に思えたのだ。
その時、住民達の間からダボが飛び込んできた。
「リナ!」
彼の声は、住民たちの絶望的な囁きを打ち破るかのように響いた。
「俺たちに任せてくれないか?必ず魔獣、魔物の群からこの町を守って見せる。」
「おぉ・・・」と、住民達がどよめいた。いつの間にか、リナを中心にして、ダボ、レオン、ミナ、ゴウといったリナ隊の面々が静かに、しかし確固たる存在感を持って並び立っている。彼らの真剣な眼差しは、住民たちの不安を和らげるには十分だった。
それでも、まだ疑念を拭いきれない住民がいた。
「で、できるのか?本当に?」
「出来ない事は我々は言わない。出来る。それだけだ。」
ダボは揺るぎない声で言い放つ。その言葉には、確かな自信と覚悟が込められていた。レオンは静かに弓を構え、ミナはハンドガンを軽く揺らし、ゴウは巨大な両手剣を肩に担ぎ、それぞれが無言の同意を示した。
住民達は、リナ隊の面々を改めて見つめる。彼らの表情は真剣そのもので、その瞳には、これまでこの町で見たことのない「強さ」が宿っていた。リナは、母親の「力で皆を守る」という教えが、この瞬間に具体的な形を帯びているのを感じていた。
「本当に助けてくれるの?」
「俺たちがダメだったんなら逃げればいいんじゃないのか?今から荷造りだけでもしておいて、ヤバそうなら逃げればいいさ。そのぐらいの時間稼ぎはしてやるさ。」
ダボの言葉は、住民たちの心に現実的な希望の光を灯した。元氷族のダボは、故郷を魔獣に襲われた経験から、何よりも「生き残る」ことを重視していた。彼の言葉には、住民たちの恐怖を理解し、現実的な選択肢を与える優しさが滲んでいた。全滅するかもしれないという恐怖ではなく、「もしもの時は逃げられる」という選択肢が、彼らにわずかながらも心の余裕を与えたのだ。
「それでいいのか?本当に構わないのか?」
誰かがそう呟いた。
「構わないさ。これでも魔獣、魔物退治には自信がある。任せてくれ!これでも冒険者やってるからな。」
ダボは力強く言い放った。その隣で、レオンは静かに弓を構え、ミナはハンドガンを軽く揺らし、ゴウは巨大な両手剣を肩に担ぎ、それぞれが無言の同意を示した。
レオンは冷静沈着なエルフで、遠距離からの精密な射撃でリナを援護する。
ミナは陽気な獣人で、罠の設置や撹乱を得意とし、リナの戦術に柔軟性をもたらす。
そしてゴウは寡黙なドワーフで、その巨体と怪力で前線を支え、リナが自由に動ける空間を作り出す。彼らは皆、リナの秘めたる強さを信じ、その成長を間近で見守ることを誇りに思っていた。
その言葉を聞いた住民たちは、互いに顔を見合わせ、やがて一人、また一人と、ゆっくりと頭を下げ始めた。それは、諦めではなく、新たな希望を見出した者たちの、深い信頼の証だった。
「すまん。頼む・・・」
「良いですよね?これで。」
ダボが振り返ってリナに同意を求める。
「・・・うん、です。」
リナは満面の笑みで頷いた。その笑顔は、住民たちの心に、確かな安堵と希望をもたらした。彼女の心には、母親の教えと、自身の『痛み』がもたらす力への確信が、静かに燃え上がっていた。ゴブリン討伐を通じて、彼女は初めて、自分の『力』が、直接的に誰かの悲しみを取り除き、笑顔を取り戻すことができるのだと実感した。それは、幼い頃に母から教えられた『皆を守る』という抽象的な使命が、具体的な形を帯びた瞬間だった。
この後すぐにリナ達のメンバーは動き始めた。
その日の夜。魔獣、魔物を率いるオーガロードの長い夜が始まろうとしていた。月が中天に差し掛かったところで、オーガロードは号令をかけた。
ぎゃあぎゃあ騒ぐゴブリンを先頭にして大群が動き出す。背丈の低いゴブリンは木の盾というにはお粗末な、木の板を構えている。彼らの視界の先には、灯りがある。
そこには人族が住んでいる。これから奴らを蹂躙する。さんざん嬲りものにして晒しものにしてやると、オーガロードはゲタゲタ嗤った。まずは牛、羊を殺し腹を満たそう。それから町を襲い、住民どもを皆殺しにする。
魔獣、魔物でも上位種は知恵が備わる。先の偵察で、脅威となりそうな人族は見当たらなかった。時折そういった人族がいることは知ってはいるが、この眼下に見える町にはそんな存在はいない。だからここを蹂躙し新たな上位種に進化を遂げる。そんな野望を抱けるほどにオーガロードの知能は発達していた。
やがて先陣を切っていた盾持ちのゴブリンが、急にふらつき倒れた。そしてまた一匹、また一匹と、立て続けに盾持ちのゴブリンがバタバタと倒れていく。驚くオーガロードに、瞬く間に赤い影が現れる。
敵だと?
「ガオォー」
オーガロードが甲高い声で喚けば、ハウンド。犬型の魔獣が吼えると火の玉が放たれた。その火の玉を避けて見せると、ハウンドの頭に魔弾が突き刺さる。ぱくぱくとハウンドは口を開きながら、倒れて死んだ。
「ガァオ」
オーガロードは、すぐにゴブリンに迎撃するように命じる。そしてすぐさま、ばたばたとゴブリンの群が魔装銃によって倒れる。全体的に見れば大した被害ではない数だ。だが、オーガロードは怒りを覚える。
「ガガッォォォ」
コボルトの軍団を叱咤し、オーガロードは向かわせる。数が多い。こうなると射撃の有効性が距離が縮まることによって失ってしまう。ダガーとハンドガンを手にして、敵味方入り乱れる乱戦が始まった。剣戟音と射撃音が響き渡り、血の匂いが夜の草原に舞う。悲鳴、絶叫、金切り声が聞こえるたびに一匹、また一匹とコボルトが倒れて減っていく。月の下、草原に唸り声が聞こえだす。豚の姿をしたオークどもが、突き進んでくる。
「!?」
それを見て取ったリナ隊は、一目散に後退を選択した。その背後には魔反動砲を構えた部隊が待ち構えており、その豚目掛けて一斉砲撃を繰り出す。
けたたましい絶叫が夜の闇を切り裂く。
「総員かかれ!」
ダボの命令が響くと、兵士たちはダガーを魔装銃の先端に取り付け、次々とオークに突き刺していく。
「レオン、援護射撃お願い、です!」
リナの声が飛ぶ。
「了解!」
レオンは素早く弓を引き絞り、魔獣の群れの側面から矢の雨を降らせた。その矢は正確に魔獣の急所を捉え、次々と動きを止めていく。
「ミナ、罠の準備、です!」
「へいへい!リナちゃんの言う通りにね!」
ミナは軽やかに駆け出し、地面に魔導式の地雷を設置していく。数匹のオークがそれに触れると、閃光と共に爆炎が上がり、周囲の魔獣を巻き込んで吹き飛ばした。
「まだまだ、こんなもんじゃないわよ!」
「ゴウ、前線維持、です!」
「おうよ!俺が通しゃしねぇ!」
ゴウは巨大な両手剣を振り回し、オークの突進を真正面から受け止める。その一撃は大地を揺るがし、オークの群れの進撃を寸断した。
リナ隊とオーガロード率いる軍勢の戦いは、完全にリナ隊が圧倒していた。
元より、例外を除けば、軍隊と魔獣、魔物の群れが真正面から戦えば、人族が負ける要素はほとんどない。彼らは人族と戦うわけではないのだ。魔獣たちは奇襲されることには慣れていない。
「胴体を狙え。やつらは魔石が弱点だ。」
「殺せるときに殺せ。やつらは痛みも恐怖も感じない。」
「距離を保て、接近戦しかやつらは知らない。」
「真っ先に撃て。」
「背中を見せるな。常に動け。洞察力を鍛えろ。」
これらはアカデミーにおける魔獣、魔物に対する心構えだ。ゴブリンであろうとドラゴンであろうと関係ない。わずかな隙を見せた瞬間に、やつらは容赦なく襲いかかってくる。
縦横無尽に魔獣、魔物の大群を次々と葬り去っていくと、その奥にぬうっと巨大な影が聳え立つ。トロールだ。その巨体は、まるで太古の山脈が隆起したかのように頑強で、並の攻撃では傷一つ付かなかった。さらに、驚異的な再生能力を持ち、たとえ四肢を失っても瞬く間に回復する。その皮膚は厚く、魔装銃の魔弾さえも容易には通さない。
「ウワアアアアア!」
凶暴性を伴う野蛮な叫び声が木霊する。巨人かと見紛うばかりの巨体。血に濡れた棍棒を握りしめている。トロールは再生能力を過信し、力任せに兵士たちに突進してきた。あっという間に兵士たちに囲まれ、魔反動砲の集中砲火を浴びる。血飛沫をあげ、巨体が揺らぎ、血まみれになって地に伏した。しかし、その傷は見る見るうちに塞がっていく。
「頭部か心臓を狙え!再生能力を持つトロールには、致命的な一撃が必要だ!」
ダボの叫びが響く。兵士たちはトロールの再生能力を警戒しつつ、弱点への集中攻撃を試みる。しかし、その巨大な体躯は容易に弱点を晒さず、兵士たちは再生する傷口に再び魔弾を叩き込むという、絶望的な戦いを強いられた。
「なぜだ!?」
オーガロードは、目の前に広がる一方的な戦場を見て呆然とする。剣戟と銃撃、悲鳴と断末魔の叫びが入り混じる。もともとこの戦いは奇襲だったはずだ。奪うはずだった。なのに、どうしてこうなる?オーガロードの目は血走り、燃え盛る炎が灯る。
「ぐわああああああああ!!!」
喉から絞り出すような雄たけびが、戦場の喧騒にかき消された。握りしめた拳からは血が滴り、その滴が地面の泥に吸い込まれていく。いや、これは血ではない。この熱く煮えたぎる感情は、憎悪だ。すべてを狂わせたこの愚かな人族どもへの、純粋な憎悪だ。オーガロードはゆっくりと、しかし、確実に、理性の鎖を自ら断ち切った。
この屈辱を、破壊したいという、純粋な衝動のみがオーガロードを突き動かした。
「―――です。」
無機質で、淡々とした声が、その行く手を阻んだ。オーガロードは思わず足を止める。
目の前には、強く日焼けした肌に、左右に分けたツインテールの黒髪の真ん中に小さな角。くりっとした大きな瞳、丈の短い戦闘服からのぞく肢体は小柄なのに、妙に色っぽさが増していたリナが立ちはだかる。
こいつが何者なのか、オーガロードには分からなかった。だが、その意図ははっきりと分かった。
「ぐおおおおおおおぁあああああ!!」
オーガロードは、理性をかなぐり捨てた獣の雄叫びをあげ、リナに襲い掛かる。その手に握られた巨大な戦斧は、まるで地獄の門番が振り下ろす裁きの刃のようだった。大きく振りかぶって放たれた必殺の斬撃を、リナは紙一重で躱す。
その動きは、まるで風に溶け込むかのように滑らかで、オーガロードの視線から一瞬にして消え去った。躱した勢いそのままに腕を伸ばし、オーガロードの腹にめり込ませる。内臓を揺らすような鈍い衝撃が伝わるが、オーガロードはうめき声の代わりに、横合いからの戦斧の一閃で反撃する。
リナはそれを屈むことで回避してみせ、オーガロード目掛けて疾走。低く、より低く身をかがめて加速するその姿は、獲物に襲いかかる猛獣のようだった。リナはオーガロードの脛に回し蹴りを叩きつける。その一撃は、巨体のバランスを崩すには十分だった。
「ぐああああっぁああああ!」
絶叫が響き渡る。オーガロードは額から冷や汗を流し、それでも無茶苦茶に戦斧を振り回す。舞うように、踊るように、リナは躱し続け、宙に舞ったその瞬間に回転蹴りを決める。
「が・・・は・・・」
オーガロードの身体が浮くと同時に、これまで経験したことのない衝撃と激痛が襲う。膝をつきそうになりながらもそれに耐え、戦斧を振りかざした。その刹那にリナが動き出す。それを見込んでオーガロードは地面を蹴って土をぶち撒ける。視界いっぱいに広がった泥塊をリナは振り払う。その一瞬の隙をオーガロードは見逃さない。リナ目掛けて戦斧が振り下ろされる。
そこへぶつけるように、リナは腰に装着された魔反動砲を掲げた。
耳をつんざくような甲高い音が響き渡り、青白い火花が夜空を裂いた。リナは押し寄せる衝撃に踏ん張り、オーガロードに差し迫る。その表情は苦痛に歪んでいた。
さらにオーガロードは力任せに戦斧の軌道を無理やり変えてリナに斬撃を加える。リナは戦斧の鋭い刃を凝視し、その刃に乗った。正確には斧の上だ。そのまま斧を伝って、オーガロードは眼前まで駆け上がると、打撃、蹴撃の猛烈な連打を浴びせる。
オーガロードの顔はみるみるうちにズタズタに姿を変えていく。顎を蹴り上げ、かかと落としで地面に叩き落とす。それでもオーガロードが頭を上げようとしたところを、リナは魔反動砲を構えて待ち構えていた。オーガロードが口を開くのを。
「Death。」
その瞬間、リナの脳裏に、幼い頃の母の優しい声が蘇った。
「リナは他の子より、力が強いのだから、その力で皆を守ってあげなくちゃダメよ。」
ハンナや町の人々の、不安と希望が入り混じった笑顔が、走馬灯のように駆け巡る。この町を守る。その強い使命感が、リナの全身に漲る。
そして口を開いた瞬間に魔反動砲がオーガロードの口内に侵入し、突き当りで爆発。同時にオーガロードの口から上が爆発によって吹き飛んだ。その耳をつんざくような爆音は、リナの耳には歓喜の調べのように響き、内臓を揺さぶるような衝撃と、全身を駆け巡る痛みが、彼女の存在をこれ以上なく鮮やかに実感させた。彼女の瞳は、舞い上がる血飛沫と硝煙の中で、まるで研ぎ澄まされた宝石のように輝いていた。
死んだ。オーガロードの骸を足蹴にして辺りを見渡す。そちらの方も戦闘は終わっていた模様だった。一面、魔獣、魔物の死骸だらけだ。そういえば討伐証明はどこだったっけ?と今更ながらリナは頭を抱え込んだ。
町に帰れば、住民たちが待ち構えていて、わっと歓声を上げて感謝の言葉を永遠に述べた。完全勝利である。冒険者ギルドの職員は責任を持って討伐数、及び報酬、ランクアップなど、数が多すぎるので事後になるが受けもってくれるそうだ。それは非常に有難い申し出であり、即了承した。
町は大騒ぎだ。盛大に盛り上がり、酒や肉など、一年に一度ぐらいしかしない宴が繰り広げられる。リナは疲れたのか、長椅子があったのでそこに座って喜ぶ住民たちを眺めた。すると、
「ありがとう・・・」
泣きそうな顔でハンナが隣に座ってそう言った。
「ううん。冒険者、です。わたし。」
「助けてくれて・・・」
「・・・うん、です。」
「何かお礼がしたいの。」
うるうるとそう訴えてくる彼女に、
「ん~」
と、悩んで
「シチューが食べたい、です。」
「シチュー?」
意外な返答に首を傾げるハンナ。
「うん。食べたいです。」
そう言ってリナはハンナの肩に頭を乗せて、微かな寝息を立てた。
戦闘後の高揚感と疲労が混じり合う中、リナは自身の身体を駆け巡る痛みに、どこか満ち足りたような感覚を覚える。この痛みが、彼女にとって自身の存在を深く実感させる「快楽」である。
「よっぽど疲れちゃったんだろうね。」
ハンナの母親がリナの髪をそっと撫でる。頬についた埃をぬぐってやり
「リナの為に、シチュー作ろうかハンナ!」
「うん!」
幼い頃、母に厳しくしかられた記憶は、今も鮮明に残っている。近所の子と鬼ごっこをしていたはずなのに、私が少し本気を出して追いかけたら、相手の子は勢いよく転んでしまい、腕をひどく擦りむいて泣き出した。その子の腕から滲む血を見た時、幼い私は自分の『力』が、意図せず誰かを傷つける可能性を初めて知った。どうしていいか分からず立ち尽くす私に、母は静かに、しかし有無を言わさぬ口調で諭した。
「リナは他の子より、力が強いのだから、その力で皆を守ってあげなくちゃダメよ。誰かを傷つけるためにその力を使ってはいけないわ。そして、どんな時も、相手に敬意を払いなさい。言葉遣いは、心の表れです。」
その言葉は、幼い私の心に、まるで熱い烙印のように深く刻み込まれた。この強大な力をどう制御し、どうすれば誰かを傷つけずに済むのか。そして、この不器用な口調が、どうすれば自然と相手への敬意を示すものになるのか。幼いながらも、私はその問いに向き合い始めた。それは、私という存在の根幹を揺るがす、最初の葛藤だった。特に、力の奔流が身体を駆け巡るたびに、無意識に誰かを傷つけてしまうのではないかという恐怖が、常に胸の奥底に燻っていた。だからこそ、言葉を選ぶように慎重になり、感情のままに言葉を紡ぐことができなくなっていったのだ。そんな日の晩御飯は、決まって牛乳と鶏肉を使った温かいシチューだった。母の作るシチューは、何よりも私の心を癒してくれた。何度もおかわりをねだっては、また母に軽くしかられたけれど、その傍らで父と母が優しく笑い合う光景は、幼い私の心に深く温かい記憶として刻まれ、今も私の行動の原点となっている。
出陣、猛将シバ・オルマン
もとよりこの町を出発してから、丸一日が過ぎて、リナ達は周囲の警戒を保ちつつ、北上に進軍を進めていた。
一見して危険な気配はどこにも見当たらない。ひたすら広がる緑の平野。のんびりと草を食むウサギの家族の群の他には、べつだん何もない。あまりにも平和な時間が続くので、兵士たちの中には緊張を緩め出す者たちまでいる。が、
「・・・なにか嫌な予感がするんだよな。いや、クエストに慣れ過ぎたか?」
そんな彼らの小隊を率いる副官のダボは、町を出てからやたらと落ち着かない様子だった。そんなことを呟きながら、彼は辺りを見渡して地理を確認して、またホッと緊張を緩める。その繰り返しだった。
過剰に神経質になっているという自覚は、もちろんあった。だが、だからといってこの行いをやめるつもりはなかった。その心配が取り越し苦労で終わるならそれでいいからだ。
「・・・地形が単純だからこそ、危険がそこに隠されている。か・・・」
アカデミーで教わった教訓を、ダボはぼそりとつぶやく。なだらかにどこまでも続く平原は、裏を返せば小細工が効かない地形とも言える。元氷族の立場からして考えれば逃げ場がどこにもないに等しい。もし、自分たちよりも大きな敵勢力に出くわせば、数の差がそのまま勝敗に繋がるだろう。その場合を想定してどこに逃げるのかを常に頭の中で考えてしまう。
つまりは、敵影の早期発見と敵勢力を常に想定しておくことで、生存率が上がる。それを決して怠ってはならない。アカデミーで散々言い含められてきたことだった。
「騎獣部隊が索敵しつつ、味方の小隊とは、互いに距離を開けずに行軍。・・・大丈夫。今日もこれで問題ないはずだ。うん。」
また、自分に言い聞かせるように、精悍な体つきの青年は何度も確認を怠らなかった。
エリーゼの予想によれば、この行軍中に遭遇する敵勢力は、最大でも大隊規模に留まるはずなのだ。キラエルと海上で交戦中のサマールル軍は港がある軍港に集結をしている模様だが、サマールルも国内情勢は不安定らしい。
だからこの辺りには敵兵がおらず町、村落に魔獣、魔物の被害が出ても早急に対処が出来ない。とはいっても、キラエル軍が元鉱山基地を奪取された報は届いているはずなので、そろそろ敵勢力が現れてもおかしくはない状況でもある。直接、元鉱山基地を大規模な勢力で奪おうとするならば、騎獣部隊が早急に報せを届けるはずだ。そうなれば進軍は中止して戻ることになる。それを踏まえた上でまだサマールルからの動きが見えない以上、行軍が継続されている。
問題は敵兵が精鋭部隊だった場合だ。一個中隊の歩兵なら、リナ隊で十分に対処できる。それ以上ならば友軍と合流すればいい。騎兵隊中隊以上だったなら、速やかに撤退すればいいだけの話しだ。今のリナ隊たちは身軽なのだ。食料に水や補給品は現地調達で済んでいる。騎兵から逃げ切れないことは絶対にない。仮にその仮定が覆ったとしても、シルヴィ王女が逃げる時間ぐらいなら稼げるはずだ。
「・・・そうだ。こっちはちゃんと備えているんだ。どんな形で襲われたって対応出来る。隙も見当たらない。だから、頼むから、何にも起こらないでくれよ・・・」
現状の安全を一巡させて、ダボの思考は結局、神頼みに行きついた。その表情のあまりの真剣さに、隣のレオンが声をかけるべきか迷っていると、ダボの願いを打ち破って警報を知らせる通信が響き渡った。
「―――!」
ダボの全身神経が両耳に集中する。兵士達にも緊張が奔る。ダボは耳を澄ませると、ぴっぴっぴっと三回、後はその繰り返しだ。敵襲を告げるモールス信号の中で、そのパターンの意味を読み取ると、
「敵騎兵が接近中だ!襲撃に備えるぞ!隊列を組め!!」
命じる声に迷いなく、兵達は緊張感を伴って目の覚めるような動きで隊列を整える。
小隊の内、20人ずつが別れて5つの方陣が出来上がり、リナを中心にして兵士たちの戦列が四角形を形成した。
「敵勢力、目視に入ります。」
「いそげ!迎え撃つか、逃げるのか?時間が欲しい。」
彼らの中心でリナを隣に置いて、ダボは、双眼鏡で迫りくる敵の姿を求めた。
「数は30?!」
通信から騎獣部隊からの空からの報せだった。ダボはどうするのか?判断に迷うところだった。騎兵が30なら問題はない。しかしだ・・・
さらに判断を迷っているところに、敵勢力が水平線から、砂ぼこりを巻き上げて迫る騎兵集団の姿が映り、ダボは口元を歪めた。
「早い!迎え撃つぞ!総員魔装銃を構え!!」
方陣を形成する兵達全員が、その命令に応じて各々の魔装銃を構え狙いを定める。
一列目は地面に膝を突き、二列目は直立させる。リナ達は屈む形で一列目に銃身を差し込むようにして、それぞれが射撃体勢に入る。そうやって形の上では完成を見せた方陣の中心で、ダボはなおも双眼鏡を睨むようにして凝視し続けていた。
「馬車?散開し始めた!!・・・なんか馬車とは違うぞ!?」
「30ぐらいです。楽勝じゃないですか?」
レオンは愛用の弓を引きその優れた遠視から見た敵勢力を舐めてかかる。その声を聞きながらダボは舌打ちを打った。ただの馬車ではない。1頭の馬に人が3人程乗れるだけの構造をした車体を牽引している。車体には車輪が取り付けられているおかげで、馬の負担は軽く速度は速い。一人が馬を操り、もう1人は盾を持ち、最後の1人は弓を構えている。馬の負担を減らすためか重装備の鎧ではなく、軽装な皮鎧のタイプだ。
騎兵隊と比べたところで、その重量と速度に乗った勢いが合わさり、比較などしてもいたしかたないだろう。圧倒的な破壊力を伴っている。
「突っ込んでくる気だ!まじかよ・・・」
リナ隊全員に言えることだが、初めて見る存在だった。いや、過去に活躍した兵器だったかもしれない。アカデミーの教育の中でそんな兵器があったらしいという記憶が蘇る。
「有効射程に入ります。リナ!」
焦りに似た感情に囚われるダボの横でリナは、迷いなく号令をだした。
「撃て!馬を狙って、です。」
「「りょ!」」
号令とともに、魔装銃の破裂音がした。放たれた無数の魔弾が敵騎兵を迎え撃つ。盾によって防がれるも、斉射を繰り返す。だが、敵の勢いは止まらない。
「来る!魔反動砲を高く構える、です!」
間近に迫った馬と引かれた車体。その速度と重量感は嵐の中で暴れる津波にも似ている。恐怖に引きつらせる兵士たちの中心で、リナは覚悟を心に刻んでその刹那まで視線を逸らさずに敵騎兵の波を睨む。
馬はその防衛本能から、自分より目線の高い障害物を前にすれば足を止める。よって高く掲げた魔反動砲を嫌がるはず。騎兵対歩兵戦での基本的な考え方だった。そう教わっている。もし、前列が潰されたとしても、方陣を組んでいるので持ちこたえることができるはず。
緊張感が増す兵士たちの目前で、馬車まがいの敵騎兵隊が方陣に到達する。地鳴りのような蹄の音が迫り、衝撃に備えた兵士たちが身構える。
が、予想された衝撃を伝えることはなかった。視界がふいに暗くなる。空から射していた日の光が、頭上を通過するチャリオットによって遮られたためだ。
巨大な影が兵士たちを覆い尽くし、馬の荒い息遣いと革の軋む音が間近に響く。あり得ない光景に唖然とする兵士達。その無防備な上空から、頭部に向かって馬と車体の重量が容赦なく打ち付けられた。
「え??」
魔反動砲の柵を軽々超えてくる馬車まがいの騎兵隊。悪夢じみた状況を前にして、加速する思考が、ダボに一つの記憶を呼び起こさせる。
ダボが生まれるずっと前に存在した。兵士が乗り込んで戦うための重要な兵器。チャリオット。圧倒的な機動力、多様な攻撃力、心理的な圧迫感。しかし馬に直接乗って戦う騎兵の技術が発展するに従って衰退して過去の遺物とされた古代兵器といってもおかしくはない代物だ。
そんな代物を率いるのは、青い軍服に身を包んだ猪獣人の猛将。シバ・オルマン大佐だ。先頭を駆け抜ける彼が乗るチャリオットは一人乗りで、車体を引く馬はドラフト・ホース。魔獣だ。巨大で筋骨隆々で物理的な強さは他のチャリオットを引く馬とは比べ物にならない。
「そんなのありかよ・・・」
悲鳴にも似た慟哭がダボの口から放たれた。戦いこそが全てであり、力こそ正義であり、強さこそ真実。サマールルの戦神。理不尽と、不条理がいま、考えられる中で最悪の形で、リナ隊の目の前に存在する。
「ふん!」
と鼻を鳴らした。その言葉に、わずかな嘲りが含まれているようだった
舞い上がる土煙、飛び散る飛沫、味方から響き渡る絶叫と悲鳴。血塗られた大地のただ中で、シバ・オルマン大佐は無表情に駆け巡る。圧倒的な速度と力で、敵だけでなく大地までも粉砕し、絶大な破壊力を巻き散らしていた。
「こんな化け物、どうやって止めろって言うんだ…!」
猛烈な勢いのままチャリオット部隊は、騎手が手綱を引くと、鉄の車輪が火花を散らしながら横滑りし、砂煙を巻き上げながら大地を滑るようにして急旋回する。そしてそのまま歩兵隊の方陣に向かって突っ込んでいく。
チャリオットはその高い破壊力とは裏腹に、小回りや、起伏のある坂道や岩がゴロゴロと転がる凹凸がある地形にはその攻撃力を活かすことが出来ない。だからこそ廃れた兵器だった。
しかし、異世界人からの知識で車輪と車軸、サスペンションに魔導学の技術を応用した「魔導緩衝装置」が組み込まれたことで、チャリオットの運用は劇的に変化した。魔力によって路面の凹凸を瞬時に感知し、車輪の回転速度とサスペンションの硬度を自動調整することで、悪路でも速度を落とさずに走行できるようになったのだ。これにより、古代の遺物とされていたチャリオットは、現代の戦場において再び猛威を振るう「動く要塞」へと変貌を遂げた。
馬には馬鎧を装備、正面の敵からの攻撃を防ぐことが出来、側面からは車体の乗っている兵士が盾で守る。従って、馬たちは躊躇なく敵陣に突撃し、敵らが混乱させている間に、後続する仲間のチャリオット部隊が一気に壊滅させしめる。横に逃げようとも、弓矢、槍、剣と様々な攻撃手段を備えているので、チャリオット部隊の突撃に晒された敵陣営は反撃の機会さえ与えられずに壊滅する。それがシバ・オルマン大佐率いるチャリオット部隊だった。
「・・・ふん?」
部下たちの姿を後方で見守っていたシバ・オルマン大佐が敵の陣営が思った以上に崩れていないことに訝しむ。
目を凝らして観察してみれば、方陣の内側で円陣を組んで、チャリオット部隊に対処する傍ら、突撃を逸らすように移動しているのだ。その中心では、まだ幼さが残る女の子が必死に声を張り上げている。
「怯むな!耐えて、離れたら反撃!です!」
味方に檄をとばしつつ、彼女は率先して戦闘に加わっていた。獲物は持っていない。素手。格闘術だろうか?だからこそチャリオット部隊の車体に飛び乗って予想外の反撃を喰らっているのだ。
「・・・ふん。」
その奮戦を見て取ると、シバ・オルマン大佐は衝動的に手綱を引き、敵方陣に、自ら飛び込んでいく。
「ふん!」
チャリオットから振るう槍で手近な敵兵の命を狩り取っていく。早々に3人を仕留めたところで、女の方でもシバ・オルマン大佐に気づいたようだ。決意を目に宿し、標的を変える。
「ふ!!」
と息を吐いた。その短い音には、揺るぎない決意が込められているようだった。
一直線に獲物と定めた女にドラフト・ホースを駆けさせる。女が狙われていると気づいた兵士たちが守りに入るが、その対応は遅い。進路を塞ぐ彼らを、まるで何もなかったかのように、チャリオットで轢き殺す。
「ふん!」
接敵するその瞬間、リナと目が合った。さぁどうする?戦乙女の眷属よ。右に逃げれば槍で首を撥ねる。左に跳ねても槍で首を撥ねる。馬の上にくるか?運命は変わらぬぞ!
だが、リナの行動はシバ・オルマン大佐の予想を裏切った。刹那だ。リナは突っ込んでくる馬目掛けて、下に潜り下あごを蹴り飛ばした。その衝撃に対してドラフト・ホースは、脳震盪を起こす。4本の足がふらつき、立っているのがやっとの状態だ。
意表を突かれたシバ・オルマン大佐は、視界から消えたリナを探す。その途中、歴戦の勘が働いたのか、とっさに上体を伏せた。その真上を魔反動砲の魔弾が掠めていく。
彼が驚き背後を振り向けば、魔反動砲を構えたリナの姿がそこにあった。
「ほう!」
狭い車体の中で二人が対峙する。魔反動砲は初速が遅いためリナは魔反動砲を放り投げ、シバ・オルマン大佐と格闘戦に挑んだ。その闘志を見るや、彼も槍を捨て格闘戦を繰り広げる。
車体に乗り込んだ状態で交差する二人の攻防戦。ドラフト・ホースが走る中で足場はぐらつき安定感などない。そんな中でも互いに打撃、蹴撃を繰り返し、膝、肘、頭、あらゆる自らが備えている武器で討ち合う。
狭い車体の中での攻防戦だ。小柄なリナの方が手数は多いが、与えるダメージは少ない。当たった瞬間を狙ってシバ・オルマン大佐が繰り出す剛拳は、一発でも受ければそれでお終いだと言わんばかりの猛威だ。
しばらくの間、リナとシバ・オルマン大佐の激闘が続けば、さすがに周りの兵士たちが敵味方なく気づく。が、その中にもあって上空から、銃撃音が聞こえた。
「リナ副隊長!今、助けます!」
空から戦闘機がチャリオット部隊を強襲する。その銃撃がチャリオット部隊を次々と被弾させていく。
が、その成果は大した被害を与えてはいなかった。盾で守りに入られてしまっている。
「ちっ・・・到着が遅れた。もう陣形を保ててない。」
仲間を救うために、偵察任務で騎兵30騎だけ?というのに違和感を抱いていた彼は、リナ隊を心配して戻って来たのだ。来てみればすでに崩壊寸前の有様だ。チャリオット部隊をなんとか引き離さなければならない。そう己に課して、彼はひたすら敵部隊を狙う。
*****************************************
異変をさとったチャリオット隊が視線を辿ると、そこには見慣れない空を飛ぶ騎獣が銃口を向けてきている。
引き時だと悟ったチャリオット部隊の副官がすぐさま交戦を断念させる。それはシバ・オルマン大佐であってもだ。
「うわさに聞く、キラエル軍の戦闘機です。撤退しましょう。早急に!総員撤退だ!」
まだだ!と本気でそう考えていたシバ・オルマン大佐だったが、辺りを見て潮時だと認めた。
その背中にしつこく魔弾を降り注いでくれたが、味方の安全圏まで確保されたようだと判断をしたのか、逆方向に向きを変えて離れて行った。
ドラフト・ホースの傷をポーションで治してやると、シバ・オルマン大佐は、その濃い戦歴に刻まれた新たなる敵に思いを馳せる。
「戦乙女の眷属リナか・・・レオリオンが言った通り着た意味があった。」
猛将は嬉々としてそう呟く。予想外の抵抗を受けて、予想外の反撃を喰らった。その事実に彼の全身の血が沸騰するような興奮を覚えた。彼の胸の内に湧き上がるものは、底知れぬ飢餓感だった。
抑えようのない笑みが口端から零れる。今回は親衛隊のみでの参戦だった。相手が100にも満たない少数なのでこちらが合わせた形だったが、この小さな戦場で、これほどの「獲物」を見つけられたことに、彼は心底から満足を得ていた。
「あぁ…戦いこそ全てだ。そして、お前こそが、この飢えを満たす唯一の存在だ。」
恋人と再会を果たしたかのような狂おしいまでの歓喜を顔に浮かべ、猪獣人は呟く。これが戦場、これが戦い、これが命。
彼は、この幸運な出会いを、まるで神からの贈り物のように噛みしめていた。次こそは、この「飢餓」を完全に満たすまで、存分に戦い尽くそうと、その獰猛な瞳の奥で誓った。
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敵部隊の撤退を見届けたリナ達は、その時点で戦闘をやめて、負傷者に駆け寄った。
「ポーション。早く、です。」
方陣だったものが、崩壊し味方が負傷によってうめき声を上げている。
「ダボは?レオン大丈夫?」
負傷者たちの中、ミナは恐慌に近い表情を浮かべてダボ、レオンを探す。ゴウは無事だったようだ。ほどなくしてダボの声が耳に届いた。
「こっちだ。レオンも多分無事。ポーション頼むよ。もう切れちまった・・・」
仰向けになって自分を呼ぶダボの姿を見た瞬間、ミナは安堵のあまり涙がこぼれそうになった。彼女はそのままダボに駆け寄っていく。
「ダボ、無事でよかった。もうダメかとおもったよ・・・」
「あぁ・・・俺も正直、なんで死んでないのか不思議でしょうがない。リナが守ってくれたんだ・・・ついこの前まで俺たちの方が守ってやる立場だったのにな・・・信じられないや。」
いつの間にか成長していくリナに寂しさを滲ませる。自分の不甲斐なさを嘆いている彼を、落ち着くまでしばらく待ってから、ミナは周りを見渡して口を開いた。
「被害が甚大ね・・・敵は少数だったけど、あんなの初めて見たよ。」
「あれは、チャリオットだ。昔の戦場で活躍した兵器で、シバ・オルマン大佐。サマールルで猛将と呼ばれる大物が率いたチャリオット部隊だ。」
その名前を聞いてもミナは首を傾げて見せる。
「あの戦神だぞ!戦いこそが全てであり、力こそ正義であり、強さこそ真実。そんな言葉を信条に掲げている根っからの戦バカだ。ホント、リナが居なければ俺たち全滅してたぜ。」
と、いいつつポーションを口に含んだ。負傷したとはいえ、復帰できないほどではなさそうだった。いくらポーションでも切断した個所や、内臓がどうしようもなくやられてしまった回復の兆しはない。そうなったら死を待つのみだ。
「・・・チャリオット部隊と最初に接敵したとき、あいつら飛びやがったよな?あんなのあり得ない。馬車みたいなのが跳ねるんだぞ。それこそ、ルールカ隊が相手だったとしても被害は大きかったはずだ。」
「やっぱりそうだよね〜。あんな重量物が飛ぶなんて、夢みたいだった・・・本当に、怖かった・・・」
「だよな?それをリナはあんな立ち回りして、シバ・オルマン大佐と一騎打ちに持ち込んでさ〜。なんか驚きを通り越して感動したぜ!―――と、とにかく、俺たちはもっと鍛えないといけないんだ。リナを守るのは俺たちだ。」
口角を飛ばしてダボが叫ぶ。そうやってリナを褒めつつ、自分の情けなさを暴露してから、やっと落ち着いたのか、周りを眺めた。
「小隊は壊滅だな・・・全然歯が立たなかった。被害を考えると一旦退き返して、本隊と合流しないといけないな・・・」
「いっそ、村や町に行って重傷者を預けようよ?」
「う〜ん。それもありか。一旦戻って重傷者を預けてから友軍と合流もありだな。エリーゼ総司令官に報告だな。」
ダボはそう言って、リナに判断を委ねることにした。二人で話し合ったところで最終的にはリナが隊長であり、報告の義務は生じるわけだ。とにかく今は負傷者の治療に専念する。
そのリナは助けに入ってくれた騎獣部隊の1人にしきりに感謝していた。
リナ隊は一旦道を引き返して、先日お邪魔したロイという名の町に到着したのは、その日の夕方のことだった。
ロイの町は森林地帯に隣接したところにあり、そこで重傷者を預けてそのまま、近くの丘で野営することにした。魔獣、魔物に襲われたと言い訳したところ快く、重傷者を預かってくれた。
自分たちはその魔獣、魔物を討伐すると言って町から出てきたわけだ。キラエル軍だからというのもあるが、またチャリオット部隊に強襲された時には近くの森林に逃げ込めば高所の有利性もあるが、退避も出来るからだ。
先の戦闘での死傷者、重傷者を除き、リナ隊の総数は30人だ。明日、友軍と合流をはたしてから、一旦軍港に戻ることになった。シバ・オルマン大佐が出てきた方をエリーゼは深く受け止めたらしい。
「初っ端からこうまでやられちゃうと、なんだか悔しいね。」
「だな。でも相手はシバ・オルマン大佐率いるチャリオット部隊だぜ?みんな同じ結果だったぜ。」
「まぁそうなんだけどね。でも、なんか一矢報いてやりたくならない?チャリオット部隊だっけか?初見は仕方ないとして、次はリナに頼りっぱなしはないよな。何か手はあるだろ?ダボ。考えてくれよ。」
「お前な~」
ダボとゴウが喋っている隣りで、ミナが野営地に向かってくる仲間の姿を捉えた。
「レオンが帰ってきた。周囲の状況がわかるよ。リナちゃん」
それから間もなくして、周囲の索敵を終えたレオンが、リナ、ダボ、ボウ、ミナが揃っている場所にやってきた。彼は水を煽るようにして飲むと報告を始める。
「周辺2キロの索敵、並びに友軍の位置を把握してきた。今のところ、チャリオット部隊は見当たらなかった。だけれど、東へ30キロ進んだ先に、敵勢力が潜んでいる可能性がある。」
「やっぱり、30騎は威力偵察だったんだね。」
「そうかもな。シバ・オルマン大佐率いる部隊なのかはわからなかったが、そこまで近づくと危険が伴うからな。ただ向こうも変装してきているかもしれない。ありゃどう見ても軍人の統率がとれた動きだ。その辺りは要報告お願いしますよ。」
レオンがリナに向けて言う。
リナは頷くと
「明日に備えて皆、休息です。」
「は~い」
それぞれが応じて交代で見張りを行う。休息をとる。眠れるうちに眠っておく。以前の戦いで嫌というほど痛感したことだった。
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早朝、シバ・オルマン大佐率いるチャリオット部隊の群が、土煙を巻き上げて大地を駆け抜ける。その総数は30騎。昨日と変わらず親衛隊だけの構成だ。
そのチャリオット部隊はリナ隊とは別の友軍の元にへと。疾走して走り抜ける。彼らが早々に友軍を補足できたのは偶然ではなく、必然だった。れっきとした戦略に基づく結果だ。リナ隊はほぼ壊滅に追い込み、新たな敵勢力を模索して駆逐する。キラエル軍がこの地に小隊に分けて進軍している情報はすでに把握している。端的に言って、作業効率を優先させたわけである。
戦乙女の眷属達がリナ隊と同じぐらいの抵抗をみせるのなら、それはまたシバ・オルマン大佐にとっては面白い。それに付き従う親衛隊からしてみれば全くもって楽しくはない。そんな上司と部下の間で起こった意見の食い違いを晴らすために、とりあえず他の敵勢力に攻勢をかけてみようとなったわけである。
大したことがないとわかれば、憂さ晴らして帰還する。脅威と感じるなら、即戻って一軍を率いるつもりだ。つまるところ威力偵察の続きというわけだ。
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リナ隊はその緊急通信を受け、速攻で友軍の元へと急行した。
丘の上から戦況を見下ろしたダボは、思わず息を呑んだ。
「こ、これは……」
間に合ったと言うべきか、それとも遅すぎたと言うべきか、その判断を付けかねた。広大な平原には友軍の屍が累々と倒れ伏し、戦列は見る影もなく崩壊している。その惨状を作り上げたチャリオット部隊は、友軍からやや離れた位置に集まり、止めの一撃に備えて今にも飛び出そうとしていた。状況は末期に近く、カーズ・サガ隊長が無事でいるかさえも怪しい。だが、それでも戦闘は続いており、自分たちにはまだ干渉できるチャンスが残っている。そう判断を下すと、ダボはごくりと唾を飲み込み、腹を決めた。
「救援に入る。この場から掩護射撃を執り行う。プランAだ!」
リナはこくりと頷き、指示を受けた兵士たちが即応して動き出し、それぞれの持ち場に向かって戦列を整えていく。その時、敵情を見守っていたレオンが声を張り上げた。
「チャリオット部隊。友軍を無視してこっちにやってくるぞ!」
ダボは歯を食いしばる。
「や、やってやろうじゃねえか!」
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一方、目の前の敵兵に対する止めを後回しにして、シバ・オルマン大佐は丘の上に現れた新手に視線を向けた。劣勢の友軍を助けるために馳せ参じ、丘の上からの援護射撃を試みようとする敵兵。その存在を無視して、目の前の敵兵を先に仕留める選択肢もあったが、あまりにも手応えがなさ過ぎて、もうどうでもよくなってきたところだった。そこで現れた新手だ。一目見て、昨日の敵だと確信を抱いた。そうなってくると、彼の血が騒ぎ出す。副官も丘の上から銃撃を浴びることにはいささか気に食わないらしい。目の前の敵勢はもう風前の灯だ。いつでも始末できる。チャリオット部隊を率いる二人がそろってそう判断した。
「大佐!敵が丘の頂上から横列を組んでいます。」
「ほぉ・・・」
高所の利を最大限に活用するには、頂上が最適だ。友軍に馳せ参じてそのまま、こちらに進撃するそんな愚直な指揮官ではないようだ。冷静に周囲の状況を俯瞰している。
こちらはチャリオット部隊だ。例えば騎兵隊だろうと坂に差し掛かれば速度を落とす。到達までの時間が伸びて射撃も打ち放題だ。しかもこちらからの射撃の命中率はないに等しい。
「ふん。」
と短く呟いた。その声には、意外な発見に対するかすかな感嘆が滲んでいた。
シバ・オルマン大佐の指示を受けて、疾走するチャリオット部隊が隊列を組んでそのまま斜面に向かって駆け上がる。
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「敵チャリオット部隊、そのままこちらに突っ込んできます!」
「撃て!です。」
部下からの報告にリナは命令を下す。その隣でダボも射撃を撃ちながらも思考を巡らせていた。
「・・・」
チャリオット。教科書通りの構造ではないことは分かっていたつもりであったが、平気で坂道を、速度を落とさずに突き進んでくる。その脅威に今さらながら舌を巻く。このまま射撃をしていても向こうは頂上まで駆け上ってくるだろう。大した被害も出さずに。その未来予測を承知の上で、彼は射撃を続ける。胃がヒリヒリと痛みを訴える中、部下たちは次の指示を待ちながら銃撃に専念する。
「・・・」
タイミングだ。まだだ、まだ・・・
その視界には今なお迫りくるチャリオット部隊の列が映っている。こちらから見えるということは、あちらからもこちらが見えていること。俺達がここに居るってことだ。チャリオット部隊が完全に頂上に乗り込んだ瞬間でなければ、こちらの狙いが見抜かれてしまう。
心臓の鼓動が早まっていくのを感じながら、ダボは頭の中でイメージし、カウントを唱える。
自分たちの策を踏まえれば、数秒間しかこちらの有利な時間はない。そう思うと、今にも吐き気を覚える。
だが、その我慢が限界に達する寸前で、チャリオット部隊の先頭が頂上にあと一歩まで迫った。この瞬間にダバはあらん限りの声で大声を張り上げた。
「プランAに移行する。総員急げ!!」
その命令に兵達が一斉に動き始めた。リナもまた彼らと一緒に行動を共にする。
猶予時間は数秒。その刹那の行動が、この戦いの勝敗を分ける。
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チャリオット部隊の先陣を切った兵が頂上まで駆け昇った瞬間に、敵兵を突き刺すために槍を構えていたのだが、そこには静寂とともに敵兵の姿がどこにも見当たらなかった。そんなはずはないのだ。さっきまで散々銃撃をかましてきてくれたのだ。お返しにと、こちらは我慢して登ってきたのだ。
訝しんだ、その時だった。車体の足元から突如として、魔弾が撃ち破って来た。銃声がさらに続く。それが爆発的な連鎖となって、まるで地獄の釜を開いたような銃撃の嵐がチャリオットの下から襲った。
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チャリオットがあの重量でも坂道を登ってくるだろうと、ダボは予想していた。そこで彼はあらゆる方向から、どうやって?チャリオット部隊に勝つのか。その方法を頭の中で何度も繰り返して、破棄して、繰り返して、破棄してを思考を繰り返し、ある策を思いついた。
チャリオットは弱点を克服した。凹凸であろうと坂道であろうと、その突進力は凄まじいの一言だ。しかしだ。それを逆手に考えれば光明も見えてくるもの。戦闘機からの一方的な空からの攻撃はひとまず置いておいて、対歩兵戦での想定をイメージしてみる。
すると、条件がいくつか必要になるが、あるにはあった。そこがここの丘の上だ。たまたまの偶然だった。カーズ隊長の救援に駆け付けた時に留まった丘が、ダボが想定していた条件にピッタリだったのだ。頂上のふちに窪地がある。そこは調度、人一人が壁沿いに背を向けて潜んでみれば、麓から勢いよくやってきた者たちからしたらそこには誰もいない。突如消えたと思うだろう。そう長い時間は稼ぐことは出来ないが、少なくとも数秒は必ず敵は空白の時間を作るはずだ。
そこへ、銃撃戦から切り替えて、窪地に隠れたリナ隊は、魔反動砲を片手で撃って、もう片方で魔装銃を撃った。その先は勢いよく頂上に現れたチャリオット部隊の下だ。馬に当たるのもよし。車体をぶち破って、敵兵に当たってもよし、なんなら車輪に当たってもよかった。
どこに当たってもいいが、それはチャリオット部隊が通り過ぎる数秒間だけだ。その時間だけは全力集中だった。
その数秒間だけ一方的な狩りの時間だ。反撃の余地はまったく与えない。馬、兵士の命を奪い去る。チャリオット部隊の最大の武器が仇となり、下から撃ち放たれる弾雨を彼らは受け入れるしかなかった。
さらに丘を越えて自分たちの番が回って来るまで、後に続く後続達にはこの惨状が伝わらないことだ。彼ら全員、先行する仲間に続いて突撃するしか手はない。
そして致命的なのが、丘の頂上で被弾を浴びたものの無事に済んだ者たちだ。ここにあらかじめミナが罠を仕掛けてある。地雷だ。そこに踏み込んだ瞬間に爆発が起こり、致命的なダメージを負うことになる。
「うぉ・・・おぉぉぉx!!!」
精鋭のチャリオット部隊が削られていく中で、シバ・オルマン大佐は身を震わせて戦慄し、そして歓喜していた。自分の見込みを覆して除けた指揮官の恐るべきしたたかさを. 己に陥った苦境を思い知り、シバ・オルマン大佐は久々のあまり興奮して、腹を揺すって高笑いした。
「くくく・・・くくく・・・・この俺を策略で嵌め殺すつもりか!」
チャリオット部隊の最後をシバ・オルマン大佐が頂上を通過し、罠が仕掛けられているのを見破ってチャリオットの速度を緩める選択肢はない。ここで止まれば、弾雨が叩き込まれるのは必然。
それは、生き残った部下達も一緒だった。追い撃つリナ隊。迎え撃つチャリオット部隊の生き残り。二つの勢力の視線がぶつかり合い、絡み合い、せめぎ合う。そこに息つく暇もなく接近戦が始まった。もはや隊列も何もない。意地と意地のぶつかり合いだった。
しかし、シバ・オルマン大佐の周囲だけは、そこには敵はおろか味方の気配はない。彼の目の前に立っていたのはリナのみだった。
「―――」
口元が自然と笑みを浮かべ、武器を捨て、チャリオットから降りた。彼女とは本気で己の力で叩き潰したかったからだ。
「シバ、大佐?です?」
それはどう呼んだらいいのかを、問いただす言葉だった。
「シバだ。」
こくり頷いたリナがその場から跳躍して、回し蹴りの先端がシバ大佐の側頭部を狙い定める。
「リナ!!」
次の瞬間、回し蹴りを受けた衝撃で、丘の上に爆風が吹き荒れた。吹き抜けるリナの全身の凶器が、シバ大佐目掛けて殺到し、炸裂するたびに縦横無尽に破壊を巻き散らす。
「くくく!」
叩きつけられるリナの凶器が、シバ大佐の胴体を打ち、そして削る。掠り傷を負ったものの全ての攻撃をシバ大佐はすべてその腕で受けきった。
だが、せっかくの先手を無駄にすることなく、リナの追撃は留まることを知らない。シバ大佐の懐に潜り込むと、踏み込んだ地面がめり込み必殺の打撃がシバ大佐の腹を捉えて放たれる。それを両手で受け止めるも、その衝撃は地響きと土煙が濛々と立ち込めてシバ大佐は受けきった。
「しっ!」
「ふん!」
受け止められた腕を起点にしてのかかと落としだ。さしもの彼でも体重をのせたかかと落としを無防備に受けるわけにはいかない。捕まえていたリナの腕を離して、距離をとろうと下がろうとするも、それはかかと落としを切り替えて地面を蹴りつけ追いすがる。
しかし、それはシバ大佐も予想していたのかすでに迎え撃つ準備が出来上がっている。そこへリナは足首を狙い、態勢を低くして回転回し蹴りの一撃。
ダメージはないが、足止めを喰らったシバ大佐。すでにリナは攻撃態勢に入っている。
「おらぁぁぁ!」
シバ大佐は咆哮と共に、リナから放たれる連打の打撃を、それに合す形で相殺する。小柄だが、確かな攻撃力を備えているリナをそのまま受けるのは危険すぎる。シバ大佐は咄嗟に切り替えて殴り合いの形で防いだ。
肺活量が上回るシバ大佐は、リナが瞬間的に攻撃を止めた時に、前蹴りを放つ。リナの胴体に大気を穿ち、岩をも砕きそうなつま先はそのまま吸い込まれていく。しかし、その場で身体を後ろに引き、仰け反って前蹴りを紙一重で躱し、続けざま足元を薙ぎ払いにかかる。
「くっ」
シバ大佐はジャンプして回避に成功するが、風圧が鼓膜を掠めた直後、シバ大佐の側頭部に後ろから回ったリナの蹴りが炸裂する。
浮いた状態でのその蹴撃はシバ大佐にまともに当たり、まるで巨木が倒れるかのように吹き飛び、鈍い音を立てて地面に叩きつけられた。
舞い上がった土煙が視界を遮り、鼻腔に土と汗の匂いが満ちる。一瞬の静寂が訪れる。呼気が乱れ、シバ大佐は怒りと、そしてどこか愉悦を宿した瞳でリナを探すが、すでにリナは動いていた。彼の口からは、血の混じった荒い息が漏れていた。
目にも止まらない速度で、シバ大佐を蹂躙する。打撃、蹴撃、肘打ち、膝打ちといった打撃のコンビネーションは、まるで荒れ狂う暴風雨のようだった。上下左右、あらゆる方向から繰り出される攻撃に、シバ大佐は翻弄され、その巨体が揺らぐ。
暴威が過ぎ去った後には、辛うじて立ち尽くすシバ大佐の姿があった。しかし、その顔には深い傷と、血が滲んでいた。
「・・・くくく。楽しくなってきた。」
見開かれたその瞳には、無邪気な狂喜と歓喜が歪んで見えた。夥しい血を流してはいるが、その仕草には一切の戦意の衰えが見当たらない。戦いだけが生きがい。そんな本能に似たシバ・オルマン大佐という名の猪獣人がそこに立って居る。
その圧倒的な存在感と威圧感を前にして、リナの魂は畏れを喰らい歓喜として吐き出した。
眼前に佇む異貌だ。人族という枷を脱ぎ捨てて、猪という野獣の姿をさらしたシバ・オルマンがそこに居る。喉から漏れ出す吐息は、心胆から底冷えするような圧迫感が身体の端まで纏っていることはわかる。
「―――」
リナは瞑目する。それから目を開くと、軽い調子で、眼前の猪獣人へと距離を詰めた。
身を低くして身構えた猪獣人は、前足を振りかぶり、薙ぎ払うように放った。その一撃は、掠めただけでもリナの身体を一瞬で粉々にさせるだけの威力を秘めている。
その刹那。
屈み。蹴撃を躱したリナの身体はその懐に吸い込まれるようにして入り込み、そして膝を曲げて拳を突き上げた。
「―――」
胴体にめり込む拳が、猪獣人の身体を真下から打ち上げる。打撃の威力に身体が曲がり、猪獣人の口から苦鳴が漏れる。その衝撃波は空気をつんざき、弾ける。リナはそのまま連打をかまして、下がった頭の後頭部目掛けてかかと落としを決めて、猪獣人の頭を地面に踏みつける。
地面を削り、猪獣人は身をひねって強引に態勢を整えて、リナを猛襲する。が、まるで風に身を委ねるようにして躱し続けて、カウンターを突きこんでいく。首に、わき腹に、背中に、顔面に直撃する。
猪獣人の攻撃は空振りするばかりで、一撃もリナに届かない。その猛攻は、まるで荒ぶる嵐が岩山を削り取るように、刻一刻と丘の姿を変貌させていった。
猪獣人の本能に従ったシバ・オルマンの存在感は圧倒的だが、その蹂躙力は多対一のときにこそ発揮される類のものだ。もちろん本来であれば個と対したとしても遅れをとることはない。ただ、その相手をする個が、人域を超えた戦闘力を持つ場合は話が変わって来る。
体格差に差があるその肉体は、大きな的になり、力任せの攻撃は隙を生み、圧倒的な力は、その力故に攻めに、逃げにどちらにも偏ることが出来ず、結果として動きが鈍重さを抱えることになる。冷静に、状況を分析出来れば、それを察することができる。だが、それは個が、人域を超えた戦闘力を持っているからこそだ。
それを裏付けるようにして、リナの打撃が猪獣人を打ち抜き、土煙を上げて地面を滑っていく。そして、
「・・・です。」
その一言を呟いたリナの身体が大きく揺らいだ。魔力の枯渇を感じながら、リナは自分の身体が崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。全身の筋肉が軋み、骨の髄まで響くような鋭い痛みは、リナにとって苦痛であると同時に、抗いがたい至福の衝動でもあった。特に、強烈な打撃が内臓を揺らすたびに、彼女の意識は研ぎ澄まされ、世界の色が鮮やかに、音の粒が明瞭に感じられる。それは、自身の存在をこれ以上なく鮮烈に実感させる魂の震えだった。
鬼族特有の回復魔法の素質を持つリナは、訓練で肉体が悲鳴を上げても、その痛みを回復させながら限界まで鍛え上げてきた。魔力が尽き、回復魔法が使えなくなった時の激痛は、常人であれば精神を蝕むものだが、リナにとっては、自身の存在を深く、そして鮮烈に実感させる至福の瞬間だった。
この時、彼女の瞳は普段よりも一層澄み渡り、思考は研ぎ澄まされ、身体は痛みに呼応するように、かつてないほどの俊敏さと破壊力を発揮する。周囲からは、無表情で淡々と敵を屠ると称されるが、その内側では、痛みという名の狂おしい快楽に身を震わせ、唇の端には隠しきれない恍惚の笑みが浮かんでいた。まるで、その痛みが彼女の心臓を鼓動させ、血潮を滾らせる燃料であるかのように。
「・・・ふぅ。」
短い恍惚とした吐息を吐き、ふらつきそうになる足で地面を蹴る。その直後に猪獣人の猛撃が襲う。地面が跳ねあがり、岩の散弾がリナに当たる。鮮血を巻き散らしながらも、猪獣人を蹴り上げて、苦鳴に歪む顔面に向かって顎を蹴り上げる。その勢いのままさらなる追撃を試みた瞬間に身体の力を急激に失った。
「・・・」
「―――」
間一髪。失った力によって、態勢を崩したことによって、猪獣人の拳が宙を舞う。死を間近に味わい、全身を駆け巡る激痛を味わいながら、リナの意識は朦朧として虚ろになりぼんやりとこの至福の時を愉しんでいた。
戦いの高揚感に似た興奮が、リナの唇を綻ばせる。柔らかな微笑に、猪獣人の拳がリナの顔面に直撃する。魔力がなくなったおかげで回復魔法が使えない。
ダイレクトな衝撃がそのまま彼女に伝わる。快い感触。痛い。悶絶。抉られる。多幸感、充足感、夢見心地。もっと・・・もっと欲しい・・・もっと・・・その先を感じさせて・・・・。肩が落ち、膝が崩れる.深く息を吐いた後に血が口から零れ落ちる。
その瞬間を猪獣人は見逃すはずがない。度重なる攻撃を受けて満身創痍の形相がリナに向く。リナの身体に渾身の拳を叩きつける。
だがそれを、
「「「「リナ」」」」
その瞬間、リナの身体は強引に思いっきり後ろへ投げ飛ばされて、リナが居たその場が即座に破壊され地面が粉砕される。
誰かの手によって放り投げられたリナは、宙に浮かびぼんやりと空を眺めた。空が綺麗だな。そんな感慨を抱いて、背中から地面に打ち付けられて息を詰めながら、まだ生きてると実感した。一体だれがこんなことを?と把握したかったが、もうリナは首を動かすこともできなかった。
リナの代わりに入れ替わったのは、ダボ、レオン、ミナ、ゴウの四人だった。リナの反応がおかしくなったことで、慌てて飛び込んできたみたいだ。だからといって彼らに何が出来るというわけではない。
「――――」
猪獣人も、リナとの愉しいひと時を邪魔をされて、激高して、瞳は瞳孔が大きく開き、白目が赤く充血し、感情の昂ぶりに伴い眉毛が吊り上がり、形相をさらに険しくさせる。
このままでは、四人とも猪獣人の餌食だ。即座に逃げることを求められる場面で、彼らは何を考えてのことか、両手を広げてお互いの肩を組み地面を踏み閉めて、猪獣人を強く睨みつける。
「「「「リナを守る」」」」
猪獣人と四人が真正面からぶつかり合う。タックル同士の直撃。四人は軽々と吹っ飛び、地面を抉るようにして打ち付けられる。それでも彼らは、ふらふらになりながらも立ち上がる。
彼らの身体は悲鳴を上げ、視界は霞んでいた。しかし、その瞳には、倒れ伏したリナを守り抜くという、ただ一つの強い意志が宿っていた。ダボは、リナがこれまで見せてきた圧倒的な強さと、決して仲間を見捨てないその背中を信じていた。レオンは、寡黙なリナの内に秘められた優しさと、彼女がこの町の人々を救った姿を思い出し、弓を構える手に力を込めた。ミナは、リナの不器用ながらも真っ直ぐな言葉に触れるたびに、彼女の純粋さを感じていた。ゴウは、リナがどれほど自分たちのことを大切に思っているかを知っていた。彼らにとって、リナは単なる隊長ではなかった。彼女は、彼らが信じ、守り抜きたいと願う、希望そのものだった。その揺るぎない信頼が、彼らの折れかけた心を支え、再び猪獣人へと立ち向かう勇気を与えていた。
次こそはリナを狙い定めた猪獣人にまたしても四人は立ち塞がってみせた。しかもその後ろにはリナ隊の部下たちも勢ぞろいだ。それから何度も何度も、彼らは吹き飛び、何度も立ちあがって立ち塞がる。
次第に、徐々に猪獣人の血の高揚感が薄れていく。理性の瞳にシバ・オルマン大佐が目覚めた時には、まだ彼らは満身創痍で今にでも倒れそうなほどなのに、それでもリナを守っていた。
「―――」
「・・・・」
「ふ・・・ん」
シバ・オルマン大佐が冷静さを取り戻した様子で、その場にどかっと座った。それを目前でリナ隊の彼らは警戒はするも立っているだけで精一杯なのだ。しばらくの間、奇妙な沈黙が続いた。
両陣営達が掲げる白旗が立ったことで、丘の頂上での決戦は終わりを告げる。
とはいえ、歩兵隊30対チャリオット30騎による乱戦につぐ激闘で、両方残存兵力は僅かな数だった。それでもシバ・オルマン大佐とリナの一騎打ちは、頭に血が上った兵士達にも鮮明にその光景が視界に映り、必然と2人を見守る形で戦闘は収まっていた。
そうやって二人の戦いが終わりを迎えると、それぞれが味方の負傷者にポーションを与えて回る。厳しく激しい戦闘だった。両勢力ともに大勢の死傷者が出ていた。その中には長く共に戦場で戦った仲間、家族同士で仲が良かったもの、ポーションの効力が効かず死を待つばかりのもの。
「さぁ。我々はもう行こうか。」
チャリオット部隊の副官が少数の兵を連れて、丘を歩いていく。そこにはまだまだ凄惨な光景が広がっていた。チャリオットがほぼ機能を果たせていないのだ。馬は無事なのが散見されるが、乗り込む車体部分はもうどうにもならない有様だった。
彼らを視線だけで見送っていると、
「シバ、大佐・・・」
ドラフト・ホースに跨り、重い足取りのシバ・オルマン大佐をリナの声が止めた。
全身を包帯でぐるぐるに巻かれた姿はリナだ。シバ大佐に視線を向けている。
「また・・・戦いたい。・・・です。」
と言いつつ、上目遣いでお願いする。
「いつでも来い。相手になってやる!」
その言葉を聞いたリナの表情がパッと花が咲いたように輝く。
「次は本気で良く。お前もそのつもりでいろ。」
「はい、です。」
「俺の獲物は剣と盾だ。無論、鎧を着こんでいる。今回と同じ結果になると思うなよ。次はお前を、この飢えを満たすに足る「最高の獲物」として迎え撃つ。」
シバ・オルマン大佐はそう明かす。この猛将は相手に合わせて戦うのが常らしい。本来は一軍でチャリオット部隊の大隊でやってくるのが大佐という地位に座る者だ。30騎だけというのは異例中の異例であり、さらにリナに合わせて、格闘戦で対峙した。武人というより、闘争本能の塊そのものだ。
「ふん!待ってやる。お前がどれほど強くなるか、この飢えた心臓が震えるほどの戦いを期待しているぞ、リナ。」
シバ・オルマン大佐はそう言ってから口を閉ざした。その瞳の奥には、抑えきれない闘志と、新たな「獲物」を見つけた獰猛な歓喜が宿っていた。彼の戦いは、歯ごたえのない敵との戦闘から与えられる終わりのない欲求不満だった。
勝利という満足感は一瞬で消え去り、また新たな敵を追い求める。それはまるで、底なし沼のような渇望に、永久に埋まらない飢えと言い換えてもいい。リナとの出会いは、その飢えに終止符を打つ可能性を秘めた、唯一の光明だった。
熾烈、猛烈、激烈、そんな単語が彼の背中を見送るリナは感じ取っていた。いつの日にか、彼ともう一度再戦したいと、そう願い、そう熱望した。その時までに、自分はどれほど強くなれるだろうか。シバ・オルマン大佐という壁を乗り越えることが、リナ自身の「力」を制御し、真の強さを手に入れるための試練だと、彼女は直感していた。




