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悪夢

時は遡ること1年前の事。


とある冒険者が目印らしきものがなにもない、見る人が見ればただの林道を急いで歩いていた。その冒険者はこの先に1つの集落があることを知っていてひたすら足を進めていた。


斜面の先、木々の遮りを超えた空にたなびくのは、日々の営みの煮炊きか、鍛冶かなにかの工房のそれかもしれない白煙だった。いずれにしろそこに誰かが住んでいるということの証拠だった。


今はそれで充分だ。


近辺に大型の魔獣が出現して、多くの冒険者が名乗りをあげて討伐に向かった。が、その全てが全滅した。辛うじて生き残った者たちからその情報を手に入れて彼はギルドに依頼されて周辺に住まう人たちの安否と、避難を告げにやってきたのだ。


魔獣を警戒して息を潜めながら、やっとここまでたどり着けた。自然と額から汗が流れる。それを拭い去りホッとした気持ちで集落に向かう。


入り口に足を踏み入れた時、彼は誰でもいいから人を探して視線をさまよわせたが、違和感に気づいて眉を寄せた。


一見、集落にはなにもおかしいところがないような気がする。


しかしだ、明らかにどこかおかしい・・・


涼やかな天気で風が心地よい。昼寝を楽しんでもいいし、外で動いていても気持ちがいいほどだ。なのに、なぜだか人の気配がどこにも感じられない。


なら、あの白煙はなんなんだろう?そう疑問を抱き正体を確かめるために足を運ぶ。火のないところには人の手がないはずがない。危険かもしれないが、何かの手掛かりになるだろう。


が、しかし、彼は結局何も見つけることは出来なかった。


白煙の元に到着してみたが、誰もいない。ただ薪木に弱弱しく火が燃えているだけで、周囲を探っても見渡しても人気はどこにも見当たらなかった。


今度こそ、はっきりとした警戒感が彼を襲った。


これまでの道のりで疲労は蓄積されているが、それとは違った意味で呼吸が早まり、心臓の鼓動が高まる。それらの不安に急き立てられながら、近くの民家の扉を叩いて開けた。


反応がない。嫌な予感しか感じられない。もぬけの殻だ。


集落総出で何かの催しのために全員外に出掛けているのだろうか?そんな冗談が頭を過る。そのまま隣へ、またその隣へ、勢いよく次々と中に侵入する。見つかったら泥棒扱いになってしまうだろうか・・・そんなことにはならない。誰もいないからだ。


いよいよこの状況に恐怖心が掻き立てられる。


この得体のしれない悪寒がここにいてはいけない気がして、必死に逃げようと出口に向かって走り出した。


ふいに足が何かに躓いて転んでしまう。石だ。集落を歩き回って人を探し回っているときから気にはなっていた。やたらと石が多いなと・・・民家の中は特に多く、何度も足を取られそうになった。意識してなるべく石がないところを選んで走ったわけだが、結局転んでしまい。盛大に顔を地面にぶつけた。


大分疲労が溜まっているなと、感じる。当然だ。依頼を受けてから食事は挟んでも睡眠はとっていない。それだけ非常事態なだけに早くこのことを知らせることが彼の仕事内容だった。


ブルブルと膝が笑う中、再び立ち上がると出口に向かって走りだした。


おそらくこの集落には誰もいないのであろう。間に合わなかった。何が原因なのか、何の理由があるのか?全く分からない。でもその解らないことをギルドに知らせる。情報を持って帰ることも彼に依頼されている内容だった。


出口を出ることが出来、彼はほっとして安堵の息を吐いた。ゆっくりと後ろを振り返り目に着いたのはたなびく白煙だった。先ほどよりも細くなり今にも途切れてしまいそうな寂寥感を与えてくれる。もう1度周囲を見渡してみる。やはり誰も見当たらない。


そう誰もいないが不思議と石が多く転がっていた。


彼は、探求しようとは一切思わなかった。ここは危険だ。冒険者としての感がそう叫んでいる。このままをギルドに報告すればいい。余計なことに首を突っ込むな。時間の無駄だし、命の無駄でしかない。死にたくない。


彼はそう呟きながら、ふらふらとした足取りで来た道をすすむ。と、また石に躓いてしまった。しまったと気づいた時にはもう遅かった。勢い余って地面に転がる。


呻くようにして、転んでしまった原因を探して足元を見た。


石に成り代わった子供だった。


「は??・・・」


目を見開き、恐怖に顔を染めたような子供の石像。こんな所に無造作に子供の姿かたちをした石像が捨てられているわけではないはずだ。つまり・・・そういうことだ・・・


そうして、目を反らして続けてきた現実を、集落に誰もいないことをようやく受け止める。


転がっていた石は集落の者たちの成れの果てだろう。不自然過ぎるのだ。集落のそこかしこに石が転がっている。彼が報せを届ける前にすべてが終わってしまっている。この子は逃げ出そうとしたのだろう。でも逃げ切れなかった。


魔獣だ。


容赦のかけらもかけずに集落を襲い、あらゆる命を石に変え、その存在したことすら許さずに粉々に砕いた。


生きるものは誰もいない。が、逆に生きてない物はそのまま。


恐怖を超えて、いっそ畏怖さえ感じてしまうほどだ。


頭が回らない。身体が言うことを効かない。起きた事実は理解した。だが、否定する。


何が起きて、何が起こったのか?知りたいとは思わない。知ろうとも思わない。でも解っていることは1つだけあった。魔獣だ。


それに、この惨劇はここだけではないはずだ。きっとあたりの集落も誰も生き残っていないだろうと予測できてしまう。


恐怖を通り越して感覚が麻痺してきたところに、遅れて恐慌が襲ってくる。それは冒険者となって何度も命の危機を乗り越えてきた彼にとってもそうだ。


歯がカチカチと鳴る。


膝がガクガクと震える。


冷や汗が、背中を伝う。


逃げる。


引きずるように、這うように、動かない身体で必死の形相でとにかくこの場から離れたい一心で・・・


怖い、恐ろしい、助けて・・・


思考が恐慌に染まって、這いつくばった指先に焼け付くような激痛が奔った。


「あがぅ!」


激痛に絶叫し、彼は引きはがすようにして右手を振り払った。焼かれるような痛みは手のひらまで及んでおり。彼は傷ついた右手に目を落とす。


指が全部なくなっていた。


「・・・は??」


茫然と、唖然と、愕然として彼は右手を凝視する。


真っ赤に染まる掌。指があった付け根から血が大量に湧いてくる。


早く逃げ出さなきゃ・・・


とにかくここからの脱出を、それだけを頭の中に描いて身体を動かそうとする。だが、先ほど以上に身体が言うことを効いてくれない。次に左手に激痛が広がった。


「・・・あがっ!」


声にならない絶叫が喉から漏れ出す。


苦痛に喘ぐ口が吐き出した空気を取り戻そうとして息を吸い込んだ瞬間だった。身体の中にまで違和感が紛れ込んできた。


胸が硬直し呼吸ができない。吐く、吸うたったこれだけのことすらできない。脳に酸素が届かない中で彼の眼だけは忙しく巡らせる。


一体何が起きているのか?わからない。全身の感覚がどんどん失われていることだけははっきりと伝わってきた。


腕も足ももげる。痛みはない。そうして首から下までが粉々に砕けていく。喪失感が増す。


今更ながらに彼は思った。死ぬんだと。


もう何もわからない。


もう何も見えない。


もう何も聞こえない。


首の先から次第に石になり砕けていく。


依頼を受けた冒険者の1人がこの世界から消えた瞬間だった。


これもとある冒険者の物語だ。


魔獣から逃げて、その途中洞窟を発見したのでそこに逃げ込んで、さらに数時間が経ったころだった。


彼は5人パーティの内の生き残りだ。魔獣との戦闘が不利になったことを悟ったリーダーが逃してくれたのだ。次々と仲間が犠牲になって彼を生かせてくれた。いっそのこと死んだ方がよかったかもしれない。そう思うが、仲間の形見を家族に友人に恋人に届けなければいけない。へし折られそうな精神の中でなんとか自分を保っている。


「みんな・・・」


ところどころ傷つき痛みと共に苦痛が口から漏れる。洞窟を進むたびに意識が散らばってしまうほどの激痛が襲ってくるが、それがまだ生きている。その証拠だった。


進む彼の手には、仲間の形見である魔道具がある。魔力を流せば淡く輝き洞穴を照らしてくれる。持ち主はリーダーの恋人だった女性だ。そんな彼女に命を救われてまた助けてもらっている。自分がひどく情けない。同時に申し訳なかった。また目の奥から涙が湧いてくるのを感じる。もう枯れるほどに涙を流し、泣き喚いたのにまだ尽きない。


「生きる・・・」


彼は、立ち止まりそうになりながらも外を目指して歩き出した。


数時間はそれから経っただろう。長く細い洞窟を抜けると、岩に塞がれた出口に差し掛かった。


ここまでやってきて彼は途方に暮れてしまう。目の前の岩の大きさは1つ1つは人の身長ぐらいだ。それが3つ。重なってしまえばとても彼1人では動かせないだろう。


力が足りない。ここまでで体力も気力も魔力も尽き欠けている。戻ったところで一本道だったという記憶を探してみる。枝分かれした道があった覚えがない。あるいは探せば見つけ出せるかもしれない。


「どうする・・・?」


今まで張り詰めてきたものが途端に崩れていく。脱力し、非常な現実に嘆く。頭を岩にでも叩きたい衝動にかられて目の前の岩に触れた瞬間だった。


然るべく質量を感じさせる岩が、ふいに粉々に砕けた。


前のり岩に手をつこうとした彼は蹈鞴を踏み、転びそうな身体をどうにか踏ん張り、降り注ぐ夕焼けに身を包み込まれた。


「神!?」


想わす手を合してしまうほどに、夕日は神々しく尊さを彼に与えてくれた。


森のかなた、夕日が沈みゆく黄昏時。次第に夜が訪れる。


しばらく祈りを捧げた彼は、周囲を見渡した。


見渡す限り木が続く。森の中。この光景に見覚えがあった。魔獣討伐の際に、より多くの村に滞在したのだった。まだ一日は経ってないから覚えている.たしか村人が何かあったときの避難場所にこの辺りに抜け道を作ったという話を聞いたようなきがする。


「とにかく助かった・・・」


目的の場所はわかっている。


縋る気持ちで彼は歩き出し、暗くなってくる森の中をすすんだ。


村を目指して、頭の中で状況を整理するつもりが、思い出される記憶の欠片が魔獣に対して憎悪が芽生える。


4人の仲間を想い、感謝と謝罪で心が荒む。


魔獣を思い出して、殺意、憎悪、怨嗟が彼の胸をはちきれそうに軋み立てる。


復讐、敵討ち。彼の頭の中を駆け巡る。


そして、それは彼の身に起こったひと時の奇跡だったかもしれない。


最短の距離を踏破して目的地が見えた。


森を潜り抜けた瞬間だった。村からの一切の音が途絶えたていた・・・


村の入り口まで到着した彼は、あまりの静寂に戸惑いを見せた。


しん。とした沈黙が包む無音の世界。


「だ、誰か!!」


不安を乗せたその言葉に、誰もかれも反応を示さない。石になっているからだ。


この元凶の記憶を辿ってみれば、魔獣しか思いつかない。


「やつのせいか?・・・・」


理解が追い付かない光景に嘆く彼の足元が固まり始める。


不安が恐怖に染まる。


気づけば腰まで石に成り代わっていた。痛みはもはや感じない。徐々に石化が昇ってくる。


「・・・」


全身に石化が進み、もはや感覚すらなくなっている。


ふいに襲ってくる寂寥感と無力感。


迫る死。


そして生を放棄した彼が最後に見たのは、それは大きな蛇だった。


これはとある恋人の話だ。


人が乗れる鳥型の魔獣ダッチに跨った、ドワーフの男性と人と呼ばれる女性が、2本足で草原を力強く地響きを立てながら走り抜けていた。


後ろ足で地面が撥ねるほどの脚力に速度が増し空気抵抗によって視界はかなり悪い。だから2人はゴーグルを装着して口元にマフラーを巻いて、支障を軽減させる。


辺りは一面緑に染まった世界だ。変わるのは空気の流れと陽の沈む角度だけ。走行を続けていると自然と思考に堕ちる。


魔獣との距離はかなり引き離されたはずだ。


辺り周辺の村落は、はっきりと言って間に合わなかった。避難、誘導もできなかった. ただ脅威だけしか得られず、何も成果を得られなかった無為な時間だけ。


ダッチは長距離をものともせず、継続速度は馬よりも早い。乗り心地は最悪で貴族様には不向きだが、冒険者にとっては頼れる存在だ。ダッチで駆けまわって魔獣に遭遇する前に回避し迂回して村落を訪れては、被害を目のあたりにして魔獣から逃走する。


「やっぱり生き残りはいない・・・」


と、何度目かになるか分からない悔しさに無力感で思考が埋まる。


あと1日早ければ間に合ったかも?が、それは自分たちも危険域に遭遇するわけで、結局は何もできなかったであろう。


横目で彼女はドワーフの彼を見る。名前はゴーンド。


彼は鍛冶職を専門としている生粋のドワーフだ。今回は恋人。つまり自分の護衛としてついて来てもらっている。もしも魔獣と遭遇すれば、彼は率先して自分の身を犠牲にできるだろう。あるいは一緒に死んでくれるかもしれない。


2人でこのまま生きて暮らして逝きたいな。そう思えるほどに彼女は彼に惚れている。いざ、それを口に出そうとすると、声がだせないアサミだが。


一心不乱に槌を振るうその背中に一目ぼれをした。短足、胴長のドワーフに恋する1人の異世界からやってきた乙女だ。正直タイプではない。でも、なにかわからない感情が湧いてきてこれが恋だと気づいたときには彼から告白されて恋中になった。


はたしてこのまま無事に戻れるのだろうか?


考えただけで背筋に悪寒が漂い、思わず肩を抱いてしまう。


心臓が高鳴る。嘔吐感がせりあがっていく。彼女は冒険者ギルドとして魔獣討伐が次々と失敗した原因を追究するために派遣された云わば調査団の一員だった。


もちろんその時は10人規模の調査団を編成してあくまでも調査であって遭遇は想定されていなかった。戦闘は考えず調査を優先させるために足が速いダッチを駆り、調査団も臨機応変に対応できる速度重視の冒険者を選んだ。


だが、結局魔獣に遭遇してしまって散り散りになり、それぞれ任務を遂行するために現状動いている。調査が進むたびに精神的にストレスが溜まり、睡眠も満足にできていないことから、アサミの体力と気力を蝕んでいる。


今、自分を保てているのは、この世で信用できるゴーンドの存在がそばにいてくれるからだ。


村落の悲劇に、魔獣の脅威にアサミの精神状態は不安定に揺れている。あの魔獣を討伐出来るなどと想像できないし、逃げ切れるなどとは思えない。


時間は限られている。だからアサミにはゴーンドがそばにいてくれていることに安堵感と安心感を得られている。今は。


もしも、仮の話しだ。そのゴーンドが目の前で殺されてしまったとしたら……考えるだけでも恐ろしい。その思考が脳裏をよぎるたび、アサミの心臓は警鐘のように激しく脈打った。


「だめよ!ネガティブに考えたら!」


ときおり、思考の泥沼に沈みそうになる自分を、必死に、そして震える声で奮い立たせる。時間の経過とともにその声は小さくなり、不安が胸を締め付ける。それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。


少しでもポジティブにならなければ。彼の隣で、未来を、数年先のことを思い描く。結婚して、子供ができて……そんな温かい未来を想像するたび、凍てついた心がじんわりと溶けていくのを感じた。だから、今、伝えなければ。この気持ちを。


「ねぇ……ゴーンド。……その、帰ったらさ……」


決意を固め、顔を真っ赤に染めたアサミの言葉は、しかし、あっけなく遮られた。


「アサミ!前に誰かいるぞ!」


ゴーンドの緊迫した声が、彼女の告白の言葉を空中に散らした。


「・・・え?!」


と聞き返すアサミはゴーンドの視線を追いかけて、ダッチが走る前方の先にいくつかの人影を見つける。


「!!」


「アサミ〜!!無事だったか〜。俺らも無事だぞ~」


両手を振り、大声を張り上げて呼びかける。調査団全員がそこにいた。


「いやぁ〜。全員無事でなにより。ゴーンドがいるから無事だろうとは思ってたけどさ。でも心配だったよ!」


ダッチを止めた2人を出迎えて、調査団の代表として1人の青年が笑顔で言う。


冒険者で斥候、罠、隠れる、逃げるといったシーフを専業する格好だ。魔獣に遭遇した際に一番に逃げ出していたが、彼の実力ではそれが賢明な判断であったとも思える。


ともあれ。


「全員無事なのね?」


「怪我もなにもしてないよ。アサミとゴーンドを探そうとして、置いて帰れるわけがない。ってそんな仲間想いのみんなだよ。」


シーフの青年を見渡し、背後に控えている調査団に視線を送る。全員頷きを返してくれる。


ダッチが全員分そこにとどまっており、各々くつろいだり食事をしたりしている。


アサミとゴーンドが全員の安否の確認が終わると、2人を囲むようにして、これまでの情報を語り始めた。


内容は、アサミと同じようなこと。村落は全滅。魔獣の仕業であろうか石化されている。生き残りはない。例えば魔獣のテリトリーについてなどだ。そこは冒険者だ。さすがといったところか。


正直、ここで足を止めて情報をやりとりする時間はない。いつどこで魔獣が現れるかもしれないからだ。話がひと段落を終えたところでアサミは立ち上がる。


「今から、出るんですか?もう夜ですし、むやみに動いたら危ないですよ。ここは見晴らしがいいですし、魔獣が現れてもすぐに警告できます。今夜はここで野営して明日に備えるのも良いと思いますよ。」


と、出立しようとするアサミとゴーンドをシーフの青年が引き留めた。


彼の言う通り、すでに夕闇が訪れている。しばらくすれば視界はなくなり、魔道具で灯りを灯して進むことになるだろう。より魔獣に狙われる可能性が増す。


焚火もしているし、確かに野営をとっておいた方がいいかもしれない。


「あせっても良いことなんてないですよ。体を休めることも大事です。」


ふむ。と、ゴーンドが、


「そうだな。いざというときに動けないようでは困る。ここで野営して落ち着こうか。」


「・・・そうね・・・」


2人きりではない。今は仲間が居る。休める時に休めなくてはこのままでは持たない。そう悟ってゴーンドの言葉にアサミは肩を落として頷いた


調査団が車座になって寝袋にくるまる。警戒も兼ねて交代で身体をずっと休める。


「・・・サミ。起きろ。アサミ。」


呼びかけに、意識が揺り起こされて感覚が目覚めていく。


肩に優しく手が触れる気配。顔を持ち上げてぼんやりとした瞼をこすって意識を覚醒させる。すると、視界に映りこんできたのは見慣れたドワーフの顔だった。


「おはよう。ゴーンド・・・」


無意識からの覚醒に、彼がそばにいることに胸の奥が弾む。が、そういえば2人ではなかったと思い出し、抱きつくのを我慢した。


彼に甘えたい気持ちを抑えつつ、アサミはゴーンドの対応を待つ。このまま羞恥心を晒してもいいと覚悟を決めたものの、彼は普通に、


「そろそろ夜が明ける。出発しよう。」


言いながら彼はダッチの方に顔を向ける。鳥型の魔獣に荷物を積み終わって準備完了だ。


鳥というだけあって暗闇ではダッチは走れない。だが、少しでも灯りがあれば彼らは十分に役割を果たしてくれる。


「ごめん・・・わたし交代もせずに寝入って・・・」


「いや。問題ない。朝食はダッチに跨りながらになる。悪いが急ぐぞ。」


「えぇ。もちろん」


寝袋をさっさと片付けてダッチに跨る。


「行こうか。」


先行してシーフの青年が声を挙げると、続いて調査団が動き始めた。


そうこうして真っすぐダッチを走らせていると、次第に夜が明けて朝日がはっきりとわかった。草原から大森林の中をそのまま走る。突き立つように伸びる木は多く、生い茂る枝から葉が朝日を浴びて1つ1つ咲き誇るように象徴している。


森林浴を楽しむアサミをほっておいて他の調査団はクールに手綱を捌いている。これで、このままの進路ならデンルークに戻れるだろう。陽の光は木に遮られて、やがて照らされる。その繰り返しで突き進む。


そうして、意識を元に戻して、アサミは気づく。


「あれ?さっきまで先頭を走っていたシーフ君はどこに行ったの?」


視線を巡らせても、そこを走っていたはずの人物が見当たらない。


索敵で移動したのか?と、アサミは後方を確認したが、そこには別の人物が速度に合わせてダッチを走らせているだけで、シーフの姿はない。


「まさか、また逃げ出したとか・・・?」


「どうした?アサミ」


「先導していたシーフ君が居ないのよ。索敵に警戒しているとか?」


気づいてないゴーンドに、アサミは苛つき交じりに言い返す。すると、その事実に首を振って辺りを見渡した。


「・・・いない!?どこいったんだ?」


・・・


そんなやりとりを経て、彼を探して一時停止する。そこは相変わらず大森林の中だ。はぐれるわけがないのだ。だって彼を先頭に目印にして走らせてきたのだから・・・


・・・


と、じっと木と木の間を見つめている最中。視界が急に霞んだ。


まるで空間が滲んだかのように不鮮明な感覚が、アサミの瞼が瞬きを繰り返す。そうしたところで違和感はますます増していった。それがあまりにも不気味で不安感を煽ってくる。


だからというわけではない。ただたまたまだったのだろう。仲間の1人を間に挟んで、得体の知れないその正体を知りたくって・・・


「え・・・」


アサミは仲間を挟んで、あまりにも大きな蛇と目が合った。


シャーという威嚇が辺り一面に轟き渡り、大きな魔獣が蠢いた。


威圧を伴う風を浴びて、アサミはまるで殴られたような錯覚に陥った。


「―――!!??」


全身に叩きつけられるような感覚に身体が浮き、そのままダッチから放り出されそうになる。とっさに力をこめたが、その先には何も届かず地面へとそのまま転落。する前に、


「アサミ!!」


脇を抱えられて強引に引力から引きはがすようにして宙に舞う。魔獣が蠢く視界の端で、ゴーンドがアサミを救う。ダッチを駆る姿が映る。


彼はその厳つい横顔に戦慄を浮かべ、叩きつけられる威圧に睨みつける。


「!!」


口を開き、ゴーンドが気合を込めて吼える。


だが、彼のその裂帛ですら、魔獣の脅威に呑まれて届かない。


吐き出すような魔獣の吐息が、生きる物を石に変える呪いが迫る。


饐えるような匂いだ。それが届く前から鼻孔を刺激して吐き気を催す。すさまじい速度と範囲で逼る。その直後。


「あ!?」


再び抱えられたような感覚がしたかと思えば、そのまま前へと向かって一気に奔り抜ける。アサミは抵抗もできずにそのままゴーンドに身を任せた。魔獣の姿が徐々に遠ざかる。


大蛇。バジリスク。そんな情報が現実逃避とともに脳裏に広がる。


共にいた仲間がその吐息に飲み込まれて石化するのをアサミは見た。


生きる者がその色を失い石像と化す。蠢くバジリスクはそれをいとも容易く粉々にして塵にへと変えた。


そのあまりにもの光景にアサミの頭が真っ白になる。衝撃的な惨状。わずかな差で生と死が別れた瞬間だった。その意識を戻してくれたのが、


「左へ!」


すぐ耳元で怒鳴りつけるゴーンドの存在があったからだ。


刹那、急旋回によって遠心力にともない身体が振り回される。鈍い痛みが全身に抗議を挙げてくるが、ぐっと我慢する。


「逃げ切るぞ!!」


見れば、同じように生き残った仲間たちがどうにかこうにか付いて来ている。


覚えのある顔たちがバジリスクの襲来によって必死の形相に変貌している。速度を緩める。後ろを振り返る。諦めた瞬間に死が待ちかまえているのがわかる。


「あぁ・・・神よ。主よ。救いたまえ・・。」


呪文を唱えるように仲間の1人がそう呟く。


完全に虚ろな目で生気を失った姿に、アサミはバジリスクという驚異の象徴を実感する。本の中で英雄譚の中でしか登場しない化け物は、読んでみて大変なんだな。といった感想しかなかった。だが、いざ実体験して遭遇してみればその時載っていた本をもっと詳しく深く読んでおけば良かったと後悔するしかない。


目を見開いて、口元を震わせる。心ここにあらずのその仲間1人。彼は恐慌状態になっており、ダッチに過度な命令を下して速度を上げている。


彼の気持ちは理解できる。ゴーンドがいなければとっくに死んでいたか、こうなっていたであろう。アサミは抱かれた状態のまま視線を後方に向ける。バジリスクの姿を求めて目を凝らす。


「逃げ切れた?!」


「わからん。だが油断するな!」


後ろを、横を、上を見渡して、大蛇の姿を探し求めるアサミ。見つからないことがさらに恐怖を加速させる。アサミがバジリスクを見たとき、その目はアサミより大きかった。


目玉1つでその大きさということは、バジリスクは人1人丸呑みできるということになる。


「こっちは全力で奔っている・・・追いつけるわけがない・・・」


楽観的だろうか?


ダッチの速度はこれまでの中でも1番早い。彼らだって死の脅威は伝わっているはずだ。しかも持久力もある。いかなる大蛇であろうともそうそう追いつけるわけがない。


「何人残ってる?」


「5人だ。」


なるほど半数がもう失っている。


アサミはせっかく無事に再会を果たしたのに、数瞬の出来事でそれを失ったことに唇をかみしめる。タイミングが悪すぎた。朝を迎えて一直線にデンルークにむかっていた。全員このまま帰れるだろうと思っていた。


「とにかくここから・・・」


そうして窮地を脱したのではないかと思考を巡らせた視線の先。つまり進路上の横から


「―――!!??」


ちろりと大きな爬虫類の舌先が目の前に迫ってくるところだった。


シューと威嚇が響き渡り、その圧倒的な暴威と暴力にダッチたちが縮みあがる。足をもつれさせて転倒する。ゴーンドに抱かれていたアサミも危うく地面に放り出されかける。


必死に彼の腕にしがみついて、見える脅威に・・・はっきりとバジリスクの両目が見えた。


この瞬間にアサミはさらに後悔を募らせる。バジリスクと遭遇し、逃げ惑う現状。それはここから生き延びた後のことを思い描くのではなく、全力で生き延びるという方向に意識を向けていなくってはいけなかった。


「ちっ!」


ダッチごと丸呑みできるだけの頭が迫りくる瞬間、舌打ち1つして、地面を蹴りつけて真上へアサミを抱え込んだままゴーンドが弾け飛んだ。片手には愛用の大槌がいつの間にか握られている。


「左だ!」


「左。ひだり。ヒダリ・・・」


大槌を真上からバジリスクの頭上に叩き落とす。どす黒い血を噴出させながら、わずかでも息を吐き出させない。大地にクレーターが出来る程の衝撃がバジリスクを襲った。その横を転倒したダッチを助け起こして再び跨って一心不乱に左へと逃げる仲間たち。


ゴーンドも再びダッチに跨り後ろにアサミを乗せる。


「やったの?!」


アサミの希望交じり声に


響く威嚇。蠢く地鳴り。背後から迫る死という名の重圧。がそれに応えてくれる。


殺意、殺気、憎悪が追ってくる。ダッチの速度を上回るバジリスク。追い付かれるのは時間の問題だった。アサミ達が逃げ切れる目など全くない。


なにかないの?


だが、いくら考えたところで明確な打開策など見当たらない。


どうする?どうしよう・・・


「アサミ。これを受け取ってくれ。」


「え!?なに?」


突然横合いから声をかけられたアサミに押し付けるように渡されたのは、小袋だった。そのずしっとした重みに顔をしかめて袋の感触でそれがなんなのか?を悟る。


こんな場面で、託される荷物というのは・・・


無理やりにでも渡してきた仲間の小剣士に、それがどういった意味を持つのか?アサミは堪え切れず相手を睨みつける。


「・・・何てものを渡してくれるの?どうしようというわけ?」


「俺らがバジリスクを引き付ける。その間に、お前らは逃げ切れ。」


はっきりと、決意を含ませた声で小剣士はそう告げた。


その言葉にアサミは押し黙る。その間にも小剣士、槍士、弓士の3人が互いの動きを確認し合う。


「ゴーンド。逃げ切れよ!ついでに俺らの形見をギルドに届けてくれ。後で家族が取りに行くよ。」


「待て!死ぬつもりか?」


やりとりを聞いていたゴーンド。行くなという止める彼は、前だけを向いて必死にダッチを走らせている。そんな彼を見て彼ら3人は口元を緩めてアサミを見て離れて行く。


「あんたら・・・生きて戻るつもりがないの?」


彼らの決意に顔を曇らせるアサミ。


彼らの名前は聞かされていない。もともとこういった場面に出くわした場合、アサミを最優先で戻させる契約だったため、不要な感情を抱かせないために敢えて名前を知らせていなかった。


「待ってまって!・・・まだ追い付かれてないわ。」


手綱から片手を離して彼らを手で追う。遠ざかるその存在を僅かでも繋ぎとめようとする。


「生きろよ。」


悲壮感が零れ出しそうになる中、3人は1つため息を漏らす。


「俺たちの分まで。」


・・・


なに言ってるの?とアサミは言葉を返したかったが、彼らは後ろを振り向いて遠のいていく。


バジリスクの元に近づいていく。


そしてそれが彼らを見た最後の姿だった。


あぁ・・・


ダッチの揺れに、それが空白になった意識を揺り起こすアサミは現実に目を向けようとする。


後ろを振り向かない。走り続ける。逃げ続ける。気が付けばゴーンドと2人きり。残りの仲間とははぐれてしまったようだった。


バジリスクが、またいつ姿を現すかもしれない。だからひたすらダッチを走らせるのみだった。


果てのない逃走が続く・・しかし、それは唐突に終わりを告げた。


視線の先にぼんやりと光が見えた。


「行こう・・・」


ゴーンドがポツリと呟き、アサミも後に続く。


2人のダッチは速度を落として、街道に沿って歩みを続ける。


人里が近づくにつれゆっくりとゆっくりと速度を緩めて進む。


そこは木々に囲まれた小さな村だった。バジリスクのテリトリーには及んでいないのだろう。調査範囲から外れていて今回初めて訪れる場所だ。


「あれ?お客さん?」


ふいに子供の声がして、それが自分に声をかけられたことにアサミは動揺する。


そこには小さな人影がいくつも連なっている。


「冒険者?」


「旅人?」


「珍しい」


客が珍しいのだろう。口々に指さして興味津々に顔を向けてくる。


アサミが久々に感じる人々の生活を証明させる白い煙や、どこからか聞こえる笑い声、その安堵感が、今まで張り詰めていたものが途切れるようにしてプツンとアサミの意識が切れた。


アサミが次に目を覚ました時、最初に目に入ってきたのは、蜘蛛の巣がかかった天井だった。


簡素な天井はこの村では当たり前で装飾などは一切ない。民家の1つだった。


背中に感じるのは固く、チクチクと藁が肌をさして、自分がとりあえず寝台に寝かされていることはわかった。


「・・・ゴーンド・・」


寝台の横で椅子に腰を掛けて静かに目を瞑っているドワーフの彼がいた。


重そうな鉄製の鎧を着た厳つい顔ともじゃもじゃの髪。胴長短足でけっしてかっこいいわけではない。本職は鍛冶師。熱された鉄を前にして大槌を振るうその背中が印象的で、アサミが恋に堕ちた瞬間だった。


ゴーンドの姿に気づいた瞬間、アサミは真っ先に身体を起こして、彼の手をとった。


眠っていたのだろう。彼女に気づいた彼は目を覚ましアサミを見つめる。その顔が安堵していることがわかり、にこっと笑って見せた。


「・・・心配ないようだな?」


言いながら、身を寄せてゴーンドの伸ばした手がアサミの頭の上を撫でる。


「うん。」


ゴーンドは淡々とアサミが意識を失った後を語る。子供たちが大騒ぎして村中から大人たちがやってきてひと騒動が起こり、ひとまず様子見で宿屋を1室借りて今に至っている。


申し訳なさそうにするアサミに、ゴーンドは肩をすくめて


「無事ならなによりだ。」


そう言ってゆっくりと頭をまた撫でた。


身体には異常はないようだ。アサミは起き上がって全身をほぐし外に足を向けた。


「まだ間に合うみたいだから、村の人たちを避難させよう。」


そう言ってゴーンドを連れ出した。


小さな村だ。目的はすぐに片付く。


村長に事の事態を話し終わり、アサミとゴーンドは村を歩いていた。


その歩みがやがて止まる。


「ケタケタケタ。アサミ。ゴーンド。」


シーフ姿の男が、狂笑を浮かべて待ち構えていた。


「おや?おやおや?他の調査団の皆様方は一体どこにいるのですか?別行動とかですか?」


立ち塞がるようにして道を立っているシーフが首を傾げてそう愉快気に尋ねてくる。


「あれれ?もしかして?もしかして?大蛇に襲われてしまったとか?ですか?お2人はそれを犠牲にして生き延びたとか?ですか?」


身振り手振りでそう訴えてくるシーフの男。こいつ・・・。


「そうよ。命からがら逃げてきたのよ。」


「あぁ・・・なんと不運で非運。不幸を背に背負ってあなた達は彼らの犠牲を糧にして生き延びている。素晴らしき強運、幸運,僥倖を持っているのですね。」


シーフの男は楽しそうに、笑っている。


その姿を見て、アサミは内心がざわつくのを感じた。彼は解っているのだ。


「そんなあなた達を残して、この村に生きる者すべてを石化して粉々になって根絶やしにしましょう。石化は嫉妬の証。神を至上とする僕が全てを無に帰す。あなた達には生き証人となって人々に恐怖を脅威を畏怖を、伝えてもらいましょうか。」


そう言い終えると、首を傾けて彼の身体が歪に蠢く。次第に大きくなり、圧迫感を纏った大蛇に姿を変える。


はっきりと明確な死の象徴、アサミとゴーンドは言葉を失った。


バジリスクの周囲に、まず微かな、しかし確実に空気が軋む音が響き渡った。その音は、まるで古い骨が砕けるような不快な響きを伴い、肌を粟立たせる。付近一帯の木や草や花は、見る見るうちに生命の色を失い、ひび割れた灰色の石へと変質していく。


土は乾ききった砂のようにサラサラと音を立てながら崩れ落ち、その冷たい塵が風に乗って鼻腔を刺激した。温かかったはずの空気は一瞬にして凍てつき、生気のない重い沈黙が全てを包み込む。


人の話し声や鳥のさえずり、風のざわめきさえもが、ぷつりと糸が切れるように途絶えた。ただ、どこからともなく響くバジリスクの狂笑だけが、その無音の世界を不気味に引き裂いていた。呆然と、茫然と、あるいは凝然として、アサミとゴーンドは、目の前で繰り広げられる色彩のない、音のない、そして生命の匂いが完全に失われた光景を、ただ見つめることしかできなかった。


さっきまで生きていたものが石となり塵と化し、そこには何も痕跡を残していなかった。


この村に残されたのは、石と化した骸だけではない。人々の間に広がる、見えない『悪意』の塊だ。バジリスクは、ただ命を奪うだけでなく、心に巣食う闇を増幅させる。この惨状は、その『悪意』がもたらした最悪の結末なのかもしれない。


「なんで・・・」


奮えるアサミの声が色彩のない音のない世界にふいに響いた。


身体の芯まで恐怖心が沁み渡り、死という感覚すら見失って、暗い淀んだ泥沼に沈み込んでいくような現実感の喪失。


なぜ、あそこまで憎悪を撒き散らすの…?まるで、私たちの『生』そのものを否定しているかのようだ。彼らは、私たちが手を取り合って困難に立ち向かうこと、未来を信じることに、底知れない『悪意』を抱いているのかもしれない。


全身が全てが飲み込まれる瞬間に、不意に光が差し込んだ。


あれほど寒気が駆け巡り、手足の震えは止まらず、もうだめだと絶望と諦めの概念に思考が停まった世界に温もりと優しさに包まれた声が聞こえた。


「・・・」


「アサミ」


「・・・」


跨るダッチの振動が容赦なく現実を叩き込んでくる。


呼吸を整えて、手足の感覚を確かめる。目の前の光景を受けとめる。


生きている。


そしてなにより、


「アサミ」


アサミを抱きかかえるようにしてダッチを駆るゴーンドが心配げに見る姿があった。


「ゴーンド」


「アサミ」


気づかわし気に、ゴーンドはその厳つい顔を憂い浮かべると


「もう少しの我慢だ。デンルークはもうそこだ。」


「・・・うん。」


アサミは堕ちないようにしがみつくようにしてゴーンドの腕に縋った。


草原をダッチが早足で駆けて、緩やかな傾斜を登って行く。


相変わらずの乗り心地の悪さに顔をしかめたゴーンドの視線は真っすぐに向いていた。デンルークまでの道のりは間違ってない。


思えばこれまで鍛冶職一筋で、鉄と炎と向き合う日々の中、ゴーンドはただひたすら槌を振っていたと想う。


己の存在になんの迷いもなく、仲間と共に笑い合い、助け合い、より良いものを作り上げようと切磋琢磨と研鑽を積み上げてきた。


だが、そうして充実した生活に満足していたゴーンドは、アサミというかつてないほどの出会いに明確な意識を持って歩み始めている。


調査団を経てようやく意を決した。アサミと一緒にいつまでも共に居たいと。


バジリスクとの遭遇が、ゴーンドの中で、肉体的にも精神的にもアサミがかけがえのない存在だと、はっきりとそれを教えてくれた。


「・・・ンド?」


1つの決意を秘めた眼差しは先を見据え、抱きかかえる手に思わず力が入ってしまう。


断られたらどうしようか?と心の重圧が圧し掛かる。が、受け入れてくれたのならどれほど嬉しいことか・・・


「・・・ゴーンド?」


ダッチの手綱を操り、森林の中に向かう。木の根や枝の間を巧みに避けて速度を緩めて進む。


見覚えのある街道が視線に映ったが、ゴーンドの心の中の天秤は忙しく不安と喜びに傾いている。


ふいにダッチを停めて、ゴーンドは日陰に入り視線を真っすぐに向ける。視界に映るのはデンルークを取り囲む壁と、その壁の切れ間にある門に並ぶ人々の群れ。


バジリスクの脅威はとりあえずなくなったわけであり


「・・・ゴーンド!!」


ダッチの背中で、ゴーンドの心は激しく揺れ動いていた。デンルークの城壁が視界に映り始めるにつれ、安堵と同時に、言いようのない焦燥感が彼を襲った。バジリスクとの死闘は、彼の鍛冶師としての自信を根底から揺るがした。己の腕には絶対の自信があった。しかし、あの圧倒的な脅威を前に、武力も魔力も持たない自分では、大切なアサミを守り抜く自信が、どうしても持てなかったのだ。このままデンルークに戻ってしまえば、再び日常に埋もれ、この胸に抱いた恐怖と無力感を、そしてアサミへの切なる願いを、言い出す機会など永遠に訪れないだろう。いや、見つけられないだろう。そんな弱気な思考が、彼の心を支配し始めていた。


「ねぇ??どうしたの??」


縋っていた両腕に力が入ったアサミの不安気な顔。


意識を改めてアサミに向けると彼女の恐れは当然なものだろうと納得する。バジリスクに襲われて2人だけ生かされたのだ。また嫌な悪夢のような出来事が待ちわびているのだろうかと危惧して心配するのは当たり前だ。


「悪い。アサミ。デンルークに戻って来たぞ。」


「ほ。急に黙り込むもんだから焦ったじゃない・・・」


溜息を漏らして、アサミが安堵する。


ゴーンドの声に危うさがないとわかり、先ほどまでの態度が何だったの?と訝し見る。


「すまない。心配かけてしまったな。もう大丈夫だ。ちょっと考えことをしていてな。」


「いいのよ。・・・悩みごとは解決した?」


目と目を合わせて真摯に告げる言葉に、アサミは気にしないでと応じる。こんなやりとりさえ相手の気遣いを忘れない彼女の優しさにゴーンドは喜び、そして、アサミの問いかけに


「アサミ」


真っすぐに彼女の瞳を見つめる。


ウェーブがかかった茶髪が風に揺れて彼女の双眸にゴーンドが映し出される。小柄な身体を包む一切装飾がなく、清潔感があるパリっとしたスーツ姿が割と似合っている。


「はい。」


頬が赤く染まり、唇が緊張感を伴い、目がうるうるとしだして涙をこらえる。


名前を読んで返事が返ってきただけのことなのに、ゴーンドはこれまでかつてないほどの緊張感に包まれた。


「・・・引っ越しをしよう。冒険者ギルドに報告して今日は疲れを癒して次の日から荷物を纏めよう。鳥車の空きがあればすぐに借りよう。大荷物になるから2台は必要な・・・。」


「ん?引っ越し・・・??」


ゴーンドの言葉に疑問を口に出す。その瞳には戸惑いがあり、欲しい言葉ではなかった。


だが、彼はその言葉を言い出すことができずに先延ばし。


「鳥車がタイミングよく空いてなかったら、その間は食料やら水やら買い溜めしておこう。と・・・着替えも必要だな。」


魔法がある。水魔法を持つ者を雇うこともできるが雇うよりは買って確保していた方が経済的には選り良いし、新しい門出だ。出来るだけ2人で過ごしたい気持ちもある。


「え?・・・とゴーンド??」


「あ・・・と、すまない。またしばらく携帯食が続くな。」


旅にはつきものの保存食や携帯食はやたらと塩が効いており塩を齧っていると表現した方が早い。野生の動物がいたら迷わず狩りに走るがそうそう都合よく遭遇などしないし、わざわざ道を逸れて探し回った日には魔物や魔獣なんかも襲ってくる世界だ。出来るだけ道草を食わずに目的地に向かう。それが安全な鳥車の旅路である。だから我慢と忍耐に頼るしかないわけだ。


いつもと違った話し方にアサミは唇を少し尖らせてみせて


「ゴーンド?どうしたの??」


「・・・すまない。今、言う・・・」


厳つい顔をさらに困惑顔で引きつった顔でゴーンドはそう告げる。


そうして何度も深呼吸を繰り返して


「アサミ」


彼女の名前を呼んで、ゴーンドは真剣な眼差しで見つめて、それに応えるようにしてアサミも次なる言葉を待っている。


「俺と一緒にいつまでもいつまでも暮らそう。どこか遠くで。」


ゴーンドは、喉の奥から絞り出すように、しかし、はっきりとせりあがる想いを告げた。その言葉には、バジリスクとの死闘を経て、アサミを何よりも大切に思う彼の切実な願いが込められていた。


「……え?」


告げられた言葉は、確かにアサミが待ち望んでいた愛の告白の一つだった。だが、最後の「どこか遠くで」という唐突な言葉に、彼女の心には盛大な疑問符が付き纏う。その戸惑いの表情を見たゴーンドは、一瞬、断られてしまったのかと絶望に似た感覚に襲われたが、それでも、この想いを伝えきらねばと、必死に言葉を続けた。


「これから二人でデンルークを出て、ずっと遠くへ向かおう。バジリスクがいないなら、どこだっていい。アサミと一緒なら、それが俺の全てだ。」


彼の言葉は、彼女への深い愛情と、同時に、拭いきれない恐怖と無力感を滲ませていた。


「ちょ……ちょっと……」


「どこまでいけばいいのかわからないし、曖昧な旅になると思う。途中で街やら村やらに寄って、必要な物を買い足していこう。」


ゴーンドの必死な言葉に、アサミは焦燥感を募らせる。


「だから、待ってって!!」


アサミがたまらず声を荒げて、彼の言葉を遮った。


「デンルークを出る?ってどういうことよ?」


「バジリスクから逃げるんだ、アサミ。ここにいたらいずれまた襲われる。だから、どこか遠くに離れて、田舎にでも二人で暮らそう。」


鍛冶職人としての己の腕には絶対の自信があった。しかし、バジリスクという圧倒的な脅威を前に、武力も魔力も持たない自分では、大切なアサミを守り抜く自信が、どうしても持てなかったのだ。その無力感が、彼にこの逃避行を決意させた。


「逃げる?!」


「そうだ。西の端っこにでも行こう。そこで小さな家を建てて、しばらくしたら鍛冶をしてどこかの街に売りにいって金を稼ぐ。慎ましい暮らしになるかもしれないがきっと幸せにする。」


なにもかも放り出して、全てを投げ出してでも、逃げ出す決意を宣言する。その逃避行に、今まで培ってきた友人、知人、家族に後ろ指を刺され、怨嗟の念もすべて自分が責任を持って受け止める。アサミだけがそばにいてくれれば十分だ。


「・・・ゴーンド」


しかしアサミは首を振る。それは否定だった。いきなり何もかも捨ててどこか遠くに逃げようと言われたところで頷けるはずがない。けれどゴーンドの気持ちは伝わってきた。理解はするけれど納得は出来ない。


「嫌だよ私……」


アサミは酷く悲しい面持ちで、しかし、はっきりと拒絶した。ゴーンドの言葉は、彼女が待ち望んでいた愛の告白の一つだった。だが、同時に、彼の心に巣食う恐怖と無力感が、彼女の胸を締め付けた。このまま彼の提案を受け入れたら、彼が、そして自分たちが、これまで築き上げてきた誇りや信念が、全て無に帰してしまうような気がしたのだ。涙が滲む瞳で、アサミは絞り出すように言った。


「だって……カッコ悪いじゃない……」


それは、彼を愛しているからこその、彼女なりの精一杯の叱咤だった。彼が、困難から逃げ出すような人間ではないと、アサミは誰よりも知っていたからだ。


・・・断られた・・・


アサミの顔を見てゴーンドに脱力感が襲った。好意を抱いてくれているだろうと思っていたのだが、違ったみたいだ。ドワーフと異世界人。ひょっとしたら自分と結婚してもいいのではないかと・・・儚い夢だった。解っていたはずだったのに・・・何を期待してしまっていたのだろう・・・


「今すぐではなくっても、いい・・・だから・・・」


すでに振られたというのに、ゴーンドのくちから出たのは諦めの悪さだった。言葉を続ければ、もしかしたら心変わりしてくれるかもしれない。だから・・・


「・・・ゴーンド。私も考えてた。」


アサミは目を瞑ってそう呟く。


「田舎に行って、まずはどこか落ち着ける貸家を探してそこで2人で住む。手持ちのお金だけだったらすぐに底をつくから、まずはなんでもいいから安定した仕事見つけて・・・」


アサミはその整った顔を僅かに上に向けて


「私は冒険者ギルドで色々と教育を受けているし、異世界の知識もあるから仕事先はそう困らないわ。ゴーンドには最初のころは肉体労働してもらうかもしれないけどね。」


鍛冶職にしか興味がなく、それ以外の収入の得方を知らないゴーンドだ。知らない土地では一先ず汗をかいてもうほかない。


「生活が安定したら、鍛冶が出来る環境を探して・・・そこのあたりはゴーンドが仕事中に見繕ってね。2人で働いて1年?2年?ぐらい?かな?そうやって環境に慣れてきたらその・・・子供が生まれて・・・ドワーフとのハーフのきっと腕白な子が出来て、弟、妹もいて可愛い子たちに恵まれるわ。」


頬を染めたアサミはイヤイヤと首を振る。


「楽しいこともあれば、悲しいこともあって、時には怒ることもあって、でも嬉しいともあって家族で仲良く寄り添って、ゆっくりと同じだけ時間が過ぎて・・・」


「・・・アサミ?」


「ゴーンドと一緒なら。何でもない事が充実で満たされて幸せに感じるわ。」


「・・・なら」


一緒にと続く言葉が


「ゴーンドが、カッコ良かったらなら、私はその未来を本気で望んだわ。」


美醜。その種族としてもどう抗っても覆しようがない現実がゴーンドに襲い掛かる。崩れてしまいそうな脱力感と疲労感。かろうじて泣き出さないように涙をこらえた。


「・・・ゴーンドと一緒に暮らそう。って言ってくれたのは素直に、心の底から嬉しい。でも、ダメなの!」


アサミはゴーンドを睨むように見つめて


「逃げちゃダメ!なにもかも放り投げてしまったら、ゴーンドがかっこ悪くなっちゃうじゃない・・・」


「―――」


アサミは何がいいたいのだろうか?ゆるゆると顔を持ち上げてゴーンドは彼女を見つめる。


「ゴーンド!負けて、逃げて、諦める。そんなの誰だって出来る。」


「・・・」


「でも・・・」


アサミは毅然とした瞳でゴーンドを射抜く。


「ゴーンドにはそれは似合わない。」


ゴーンドとアサミの瞳がぶつかり合い。


「ゴーンドが私の事を想ってくれて逃げるという選択肢を選んだことはわかるわ。、でも。だからこそ、ゴーンドには立ち向かってほしいの。」


アサミははっきりと口にする。


「ゴーンドは、絶対に諦めないし、途中で放り出したりしない。負けず嫌いな漢らしいドワーフだってことは知ってる。」


「え?!いや・・・」


「ゴーンドの背中が好き。ゴツゴツとしたその筋肉が好き。笑うと子供みたいな表情になるのが好き。猫を可愛がっている姿が好き。」


「え・・・っと・・・??」


「だから今まで通りカッコいいゴーンドを好きになったあなたを、見せて。」


間近でアサミの目が潤んでいる。容姿ではない。彼女は彼自身の今までの在り方を否定したことを嫌っているのだと理解した。


「・・・アサミ。」


その呼びかけに、アサミはゴーンドの穏やかで優しげな瞳に応じる。


「俺は、お前を愛している。」


「私も愛してる。」


ゴーンドの告白に、アサミは嬉し気にそのまま頷く。


その言葉が、彼の胸に深く、温かく響き渡る。バジリスクとの逃避行を経て、アサミを何よりも大切に思う彼の切実な願いが、今、確かな形となった。俺に武力もなければ魔力もない。あるのは鉄と炎を打つだけの鍛冶の腕だけだ。バジリスクに対して無力な気持ちは変わらない。だが、それは、以前のような絶望的な感情とは全く違う、新たな決意に満ちたものだった。アサミを守る。必ず。だから、この手で最高の武具を造って魅せる。彼女の柔らかな髪が頬をかすめ、微かに甘く、彼女の香りが鼻腔をくすぐる。この腕の中にいる彼女を、二度と危険な目に遭わせない。その強い決意が、抱きしめる腕の微かな震えに込められた。この二人の愛が、後にキラエル王国にその名を轟かせ、随一と謳われる鍛冶屋の礎となる。この壮大な事業を推進するアサミが原動力となり、ゴーンドが鍛え上げる魔鉱石製の武具が、バジリスクとの戦いを支える柱となることを、彼らはまだ知らない


「俺に武力もなければ魔力もない。あるのは鉄と炎を打つだけの鍛冶の腕だけだ。」


バジリスクに対して無力な気持ちをそのまま伝える。でもそれは、前の感情とは全く違う。


「この手で最高の武具を造って魅せる。」


だから


「手伝ってくれるか?」


手を差し出し、アサミに問いかける。


「冒険者の力がいる。鍛えに鍛え上げた武具があってもそれを使いこなしてくれる者がいなければ意味がない。だから最強の冒険者を探してくれないか?」


「まかせて。あなたレベルに見合う最高の冒険者を連れてくるわ。」


「あぁ。まかせた。」


彼女の手をとり引き寄せ、目と目で誓い交わす。


「これが終わったら結婚しよう。」


ゴーンドの逞しい胸板に顔を押しつけたアサミの頬には、熱い涙が止めどなく溢れていた。バジリスクとの逃避行を生き延びた安堵と、彼に抱かれているという現実が、彼女の全身を震わせる。彼の肌から伝わる熱と、力強く脈打つ鼓動が、アサミの肌を直接撫でるように響き、彼女はまるで甘い熱に溶かされていくような感覚に陥った。


ゴーンドは、震えるアサミを強く、しかし壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめた。彼女の柔らかな髪が頬をかすめ、微かに甘く、彼女の香りが鼻腔をくすぐる。この腕の中にいる彼女を、二度と危険な目に遭わせない。その強い決意が、抱きしめる腕の微かな震えに込められた。


「……アサミ……」


ゴーンドが喉の奥から絞り出すように名を呼ぶと、アサミはゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳で彼を見つめた。その視線が交錯した瞬間、言葉にならない熱が2人の間を駆け巡る。それは、ただの安堵や感謝だけではない、もっと深く、肌を焦がすような互いを求め合う情熱だった。アサミの唇が微かに開き、熱い吐息が漏れる。


「……ゴーンド……」


アサミの唇から漏れる彼の名が、ゴーンドの耳朶を甘く刺激する。彼は、アサミの小さな顎をそっと持ち上げ、その潤んだ唇に自身の唇を重ねた。極限状態を乗り越えた後の、生と欲が混じり合った、情熱的な口づけ。互いの息遣いが混じり合い、熱が肌から肌へと伝播する。それは、2人の間に生まれた、新たな関係性の始まりを告げるかのようだった。


「彼女を守る。必ず。だから自身最高傑作を造って魅せる……」


ゴーンドは、アサミを抱きしめたまま、心の中で固く誓った。この唇に触れた温もりを、二度と失うものか。その決意は、彼の鍛冶師としての情熱を、さらに燃え上がらせるのだった。



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