交渉
お互いの軍が停戦を意味する白旗を立てるのを見て、ルールカの騎兵隊は速度を止めた。戦闘停止の命令も徐々に戦場に行きわたっていく、争いは次第になくなっていく。
白旗はあちらこちらで挙がっていたが、交渉は部隊の指揮官同士の話し合いで行われる。ルールカは少し考えて、騎兵の数が一番整っているところを選んで近づいていった。彼女が連れている騎兵と、相手側の騎兵はほぼ同じ数のようで、気になった。
目的地を定めて馬を進めていたところに、相手の隊長格がこちらに馬を向けてきた。
「カイ・パダック。サマールル少将直属騎兵隊長だ。」
突然の名乗りにルールカは目を丸くした。
「・・・私は、ルールカ・アンチュア。第一王女直属近衛騎士よ。」
ルールカは毅然とした態度に整えて、名乗り還す。カイはそれに深く頷いた。
「一騎打ちを望む。王の剣と謳われるアンチュアと真剣勝負がしたい。」
全身から覇気が迸る。それをルールカは怯まずに受け止めた。
「停戦中よ。明らかに条約違反にならない?」
「マルセイザ共和国軍とだ。サマールルはその停戦を受け入れていない。」
「なら問題ないわね。」
カイ騎兵隊長が引き抜いたグレイブを見て、ルールカの身体が武者震いを起こした。
ミスリル製の光沢が眩しい刀身。銀の輝きと鋼を凌ぐ強さを持ち、非常に貴重で芸術的な金属だ。剣の道を志すものなら誰もが一度は手にすることを願う、この世で最高の武具の1つがこれだ。
そのグレイブに刺激されて、ルールカは2つの剣を腰元から抜き放ち、自然と構えをとった。その表情には気負いはなく、握る剣には無駄な力みもなく、全身の佇まいには一切の隙をみせない。
「行くぞ!」
一騎打ちの開戦の合図とともにカイ騎兵隊長の馬が地面を蹴った。迎え撃つルールカの間合いに踏み込んだ瞬間、目が追い付かない速度でグレイブと双剣の応酬がはじまった。
一合目。顔面に向かって繰り出されたグレイブの刺突に対して、ルールカはその刀身を反らす形で片方の剣を突き出した。しかしそれを予測してグレイブを回したカイ騎兵隊長の動きによって空を切ることになる。
槍と一刀が絡み合うことなく終わった一瞬、回されたグレイグの石突が迫る。
力強さはカイ騎兵隊長に利がある。ただし護拳が装備されたルールカの1剣はその利を上回る。この条件下の中での攻防は先手ではなく後手に軍配が上がる。瞬時に判断を下したルールカはフェイントをおり交ぜられた槍檄を、惑わされることなく護拳で撃ち落とす。
「ふぅ・・・」
完全に迎え撃たれたカイ騎兵隊長だが、なおも攻撃の手は緩めない。頬に傷をつけられながらも身体を沈めて刺突を躱し、馬の背中に顎が付くほどの低姿勢で相手の懐に潜り込む。そこから1本の剣をすり抜けて、腰に差してあった小剣で斬撃を繰り出した。が、ルールカはそれを馬から真上に飛びのいて斬撃を躱し、そのまま顔面目掛けて渾身の蹴りを打ち込んだ。
「ぐっ・・・」
咄嗟にグレイブを盾にして直撃は避けれたものの、衝撃は吸収できずに馬もろとも後退を余儀なくされる。そんな不安定な態勢のところに、ルールカの容赦ない追撃が迫る。振りかぶり重力を味方につけた降り下ろされる双剣に、カイ騎兵隊長は渾身の力でグレイブで受け止める。
「おおぉぉぉぉ!!」
それをただ受け止めるだけに止めない。横に構えたグレイブで双剣を食い止めてからの一瞬、続いて双剣の斬撃を受け流す形で見事に威力を反らして見せた。回避と同時に小剣で袈裟切り一閃し、紙一重で躱される。刹那だ。足場のない空間で宙を舞うルールカに、攻撃を通す1本の筋が出来上がった。
「はぁ!!」
すかさずカイ騎兵隊長が繰り出したのは、クレイブによる刺突。直撃すれば全身をハチの巣状態に穴が空いてしまうほどの連檄を、しかし、ルールカは羽によって身体をわずかに流すことによって回避して魅せる。それと同時に1本の剣が敵の馬に届いたが、その結果は肉を裂く手ごたえではなく、硬い鎧に阻まれた感触だけが彼女の手に伝わった。
「はっ・・・」
「ふぅ・・・」
数秒間の攻防を経て再び仕切り直し。
お互い興奮と緊張の表れなのかそれとも歓喜なのか?その証拠に口元には微笑が浮かんで見える。
「強いな。予想以上だ。王の剣とは伊達ではない。」
カイ騎兵隊長の言葉に、ルールカの胸に一瞬、誇りと同時に重圧がよぎった。「王の剣」という称号は、彼女に与えられた栄光であると同時に、決して揺るがぬ強さを求められる宿命でもあった。その重圧は、サキュバスとしての自由奔放な本能とは相容れないものであり、常に彼女の心の中で葛藤を生んでいた。
「・・・開国から今まで今でも王の剣と称される。その意味が解る?どんなに優秀な血筋に恵まれようとも、結局のところはその時代に沿って努力を惜しまなかっただけに過ぎない。その実態は驚くほど淡々と努力を積み上げてきただけ、ただ愚直にそれだけよ。」
さらりと言い切ったルールカに、これがアンチュアが最強と言われる所以かと、カイ騎兵隊長は引きつった笑いを浮かべた。数多の先人たちの血の滲むような修練の果てに終わりはない。アンチュアにとって最強という頂は存在しないのだ。しかし、ルールカ自身は、その「最強」という終わりのない道を、時に孤独に感じ、時にその重圧に押し潰されそうになることもあった。彼女の心の中には、常に「これで本当に良いのか」という葛藤が渦巻いていた。それでも、彼女は王女シルヴィへの忠誠と、この国を守るという使命のために、その重圧を背負い続けていた。
「先に言っておくわ。どんなに優れた技量をもっていたとしても私には勝てない。アンチュアを王の剣の座から引きずり下ろしたいのなら、その先に或る物を見せなさい。」
2本の剣の切っ先を向けて、サキュバスの少女はそう言い放った。聞いたカイ騎兵隊長の笑みが深まる。
「そのようだな!出し惜しみはナシだ!!」
不敵にそういうと、何度か呼吸を整えて、カイ騎兵隊長は力を抜いて構えを直した。その雰囲気の変化にルールカの表情が引き締まる。戦意に満ちた先ほどまでの構えとは明らかに質が違って見惚れる。どこまでも何に対しても自然体の構えだ。
「・・・来い。というわけね。いいわ。」
1合目とは逆に、今度はルールカが攻める姿勢を取った。片方の剣を中段に構えて、グレイブの間合いを警戒して、受けに回ったら相手の手首を狙いに行く。
闘志がぶつかり合った先ほどとは趣が変わって、視線を交差させる段階から息詰まる攻防が展開されていた。切っ先を向けて間合いを詰めるルールカに対して、あくまでも自然体を崩さないカイ騎兵隊長。その落ち着きぶりは不気味でもあった。
「・・・・・・」
「・・・?!」
違和感がルールカの剣先を鈍らせる。理由はわからないけれど、何かがおかしい。言葉に表現できない漠然とした奇妙な感覚がある。
その奇妙さがルールカにとっておおいに期待させてくれる。未知との遭遇できる緊張感を楽しみつつも、1度は鈍ってしまった剣先に集中して前に出る。
「・・・・・・」
あと数センチ、あと数ミリ、ルールカの剣先が刺突の間合いに入る。
「・・・・・・」
だが、右腕の1本の剣を突き出す直前、すでに刺突の態勢に入ってしまったタイミングで、ルールカはこの違和感の正体に気づいた。そう。自分と相手の息遣いがまるで一緒に重なっているのだ。
「・・・!」
彼女が刺突を繰り出したのとまったく同じタイミングで、見てからの反応ではあり得ない完全に一致した動作で、カイ騎兵隊長は身体を横に捌いた。剣先が胸元をかすめていくのも全く構わない。自然と下を向いていたグレイブの穂先が瞬時に力を取り戻し、ルールカの喉元に真っすぐに迸った。
「!!??」
穂先が確かな手応えをえた。首の皮を裂いた感触。だが、そこまでだった。肉と骨には届かなったことを悟ると、迷わず後ろに下がった。直後だ。彼がいた場所に1本の剣の一閃が煌めく。
「ちっ・・・」
間合いを取り直したカイ騎兵隊長は開口一番に舌打ちした。その目の前には、首筋に浅い傷をつけたルールカが、惜しみない感銘をうけて立ち尽くしている。
「・・・私の呼吸を合わせて、行動を、いえ考動を読、まれた?」
ぼんやりとした言葉が零れた。
「同調効果。ミラーリングともいう。これが俺がたどり着いた最強への道だ。お前が言ったその先に或るものだ。」
それだけ言うと、カイ騎兵隊長は自然体の構えに戻った。全身の肌が奮える感触と共に、ルールカは剣を構え直し、自分の首筋を傷つけた一撃を想う。
同調効果。応用技の一種なのだろう。だが、相手の動きを見てからのカウンターとは次元が違う。先手と後手の概念を壊しかねないほどの、タイミングの一致は、どの瞬間に相手がどう動くかを知っていなければ出来ない。カイは、長年の鍛錬と、相手の微細な動き、呼吸、そして心の揺らぎさえも読み取る天性の才によって、この境地に達したのだ。それは、彼にとって単なる技術ではなく、相手と一体となり、その「存在」そのものを理解しようとする、ある種の哲学でもあった。
では、その未来予知と攻撃予測を可能にしたものは何が原因なのか?経験に裏打ちされた洞察力は当たり前として、もっとも大きな要素は呼吸だろうか?息を吸い、息を吐き、息を止める。それ自体が様々な行動の最前提として考えられる。突き詰めていけば、相手の呼吸を完全に把握することが出来るのであれば、先々の考動を読み取れるのかもしれない。ただの推測に過ぎないが、おおまかに間違っていないという結論にいたる。ルールカは、カイのその研ぎ澄まされた感覚に、畏敬の念さえ抱いた。
「・・・ゾクゾクさせてもらったわ。もう一瞬でも気を許していたら死んでいたわね。」
「・・・来い!」
カイ騎兵隊長はどこまでも自然体だった。明鏡止水。そんな境地と呼ばれる状態だ。殺意や戦意といった邪念がない。何のわだかまりを抱かず、澄み切った志が落ち着いた静かな心境で相手を見れば、相手の隙が見えてくる。強さという答えを求めて探し続けて、1つの結論に達したということなのだと、ルールカは深く感じた。そこにはもはや歓喜と感喜に溢れて陶酔感に浸ってしまうぐらいにだ。
「もちろんよ。イカせてもらったお礼はさせて戴くわ。」
そう宣言して、ルールカは再び2本の剣を構えた。
「・・・」
1つ深呼吸して心を整える。
「・・・」
馬を一歩前に進めさせた。続けて馬の背を蹴って跳びあがる。足場がない空中を舞う。この相手に対して無謀といえるその行為。だが、彼女は何も考えていない。それはもう人として何も思ってはいなかった。
「しっ!!」
間合いが重なり、剣先が奔った。同調効果でそれに応じようとしていたカイ騎兵隊長は、刹那、危険を感じて受けに切り替えた。
双剣とグレイブが激突して火花を散らし、それからルールカという名のサキュバスの剣舞が始まった。
袈裟切り、右なぎ、左なぎ、真っ向斬り、逆袈裟切り、刺突。連なる連撃は絶えまなく、カイ騎兵隊長はそれを瀑布に撃たれるような思いで受け続ける。反撃を挟む余地はどこにもない。一撃を受けた次の瞬間には、次の一撃が迫っている。耐える以外に何もできなかった。
明鏡止水。強さを求めてたどり着いた一つの道。同調効果によって迎え撃つはずだったが、最初の一撃目から崩されていた。
呼吸を重ねようとも、彼女は息をしていない。それだけならなんら問題はなかった。呼吸以外にも同調効果を得る方法はいくつかある。このまま息を繋ぐその時まで待っていてもいい。
だが、違うのだ。彼の目の前で起こっているのはそういったレベルではないのだ。
感情がない。理性がない。この女には衝動と欲動が入り混じった本能しかない。
刃をはらんだ怒涛の中で必死に命を繋ぎながら、彼はその異様さに戦慄した。
彼が極めた明鏡止水とは、突き詰めていけば相手の行動・考動を読んで合わせ撃つものだ。こう来るだろうだろうからこう斬る。こう来たのでこう受ける、こう出てきたのでこう捌く。相手の立場になって水鏡になることによって隙をつく。
だが、この女には思念というものがない。ただ双剣が切る、斬る、キルその意志だけがそこにあるような猛撃の連撃。そんなものを受け続けるうちに、彼は気づく。こちらの反応などろくに見てもいないということに。
「おぉぉぉ・・・」
恐怖と絶望と悲嘆が叫びとなって口から零れだす。両腕が痺れて限界を告げてくる。その刹那、無口な仲間の顔が浮かんだ。
トルーク!いつもいつも言葉が足りないんだよ!強い。じゃねんだよ!強すぎるんだよ!!
「・・・」
グレイブが硬い音を立てて地面に落ちた。一拍遅れて体中に痛みが追ってきたが、カイ騎兵隊長は俯くことは許されなかった。ふところに潜り込んだ彼女が下から刃を首に突きつけているからだ。
「これがわたし。」
互いの息遣いが感じられる間近で、ルールカは彼にそう告げた。
「殺しはしないわ。ここであんたに死んでもらったら私たちの立場がなくなるのよ。わかるでしょ?」
「・・・あぁ・・・理解した。」
敗北を受け入れてしまったカイ騎兵隊長には、もはやなにも語ることはできない。
「あなたは強い。またしましょう。」
そう告げてルールカは相手の馬上から飛び降りる。
外野の兵士たちが見守る中、ルールカはそのまま自分の騎馬隊のほうに馬を向けた。双剣を鞘に納めて、ごく自然とその場から離れて行く。
一方で。
「交渉を始める前に、ひとつ要求するわ。全使兵に「そこから動くな」と指示をだして頂戴。」
「・・・」
「あなたを解放させた途端に妙な動きをされたら、うっかりあなたを殺してしまうからよ。こっちも同様の命令を下すわ。」
乱戦が収まったからには、一刻も早く解放されたかったサーハド大将はこの提案に渋い顔を示した。隊列の復帰がそのまま不利に繋がる敵側の立場を考えれば、当然の要求ともいえる。
「・・・負傷者はどうする?」
「それは認めるわ。ただし武装を解除した上よ。」
エリーゼが即答する。サーハド大将は数秒考えた上で、ここは素直に受け入れた。
「・・・わかった。受け入れよう。全部隊に通達する!別命あるまでそこを動くな!負傷者の介抱は認めるが、武装を解除した上だ!」
「仲間の介抱を除いて、皆、そこから動かないで。」
2人の指揮官からのその命令に従って、兵たちは負傷者の介抱にのみ専念し、これでようやく解放されたサーハド大将との交渉の場が整った。
「交渉を始めましょうか。」
「あぁ・・・いいだろう。お前たちにはこのまま全面降伏を要求する。このまま戦闘を再開させたところで、お前たちに勝ち目はないし、我らも無駄な犠牲を払いたくはない。降伏後は捕虜として身柄を保障することを約束しよう。こちらからは以上だ。」
「あなたが言いたいことは理解したわ。その上で、拒否よ。」
こちらの有利は変わらないと主張するサーハド大将だが、エリーゼは迷わず受け入れない。両者の間で空気が一気に重くなった。
「その判断は愚かだな。兵を無駄に死なせるような真似は感心しないな。」
「心配してくれてありがとう。でもこれ以上1人だって死なせるつもりはないわ。」
「そういうのなら、降伏しろ!ここまでの戦いでお前たちの兵力は我らの半分にも満たないことはわかっている。斬新な用兵術は認めるが、それもここまでだ。純粋な数と数の勝負になればこちらが必ず勝つ!お前たちには全滅か?降伏か?選択は2つしか用意されていない。」
「本気でそう思っているのなら、交渉している時間の無駄だわ。今すぐ戦闘を再開しましょう。」
エリーゼが冷たくそう突き放すと、サーハド大将の表情が引きつった。バカげている泥沼化された戦争を続けたくはない大将の心理をついて、彼女は強気に出ている。
「こちらからも要求を出すわ。ここで戦闘をとり止めて、あなた達は一旦後退してもらいたい。どうせ私たちはあと2日もしたら、ここを離れる予定でいるわ。ここで引いたところで、あなた達の失った時間はたったの2日きりよ!」
「・・・ふん!こんな馬鹿げている戦争なんてわしは1秒だって御免被る。だからと言ってむざむざ引くわけにはいかぬのだ。マルセイザ共和国軍の国旗を掲げているのだ!!」
「この条件に妥協できないとすると、お互い引いた方が負けになるし、引かなければ否応なく殺し合いになるわ。」
「繰り返そう。最後に残るのはわしらだ!くだらない消耗戦となろうが、その選択しか選べないのなら仕方がない! 腹を決めよう。だが、お前らに、その覚悟はあるのか?」
1つ念を押した形で、サーハド大将は相手の様子を窺った。エリーゼの表情が嫌味に歪む。
「ないわ。」
「なに?!」
「まず、私は死の覚悟なんて最初から決めてないわ。そして、仮に殺し合いになれば、最後に生き残れるのはあなた達じゃない。」
「・・・馬鹿馬鹿しい!!ハッタリもいい加減にしろ!今日まで索敵を送った上でお前たちの兵力はだいたいわかっているのだ!」
「・・・解釈がズレているようね。生き残るのはあなたたちじゃないと言ってたけど、別に私たちが生き残れるとも言ってないの。」
「・・・?何が言いたい?」
「単純な言葉のあやよ。あなたはさっき「最後に生き残るのはわしらだ」っと言ってたけれど、わしらの、その中にあなた、つまりサーハド大将本人が含まれていなければ成立しない話よね?」
不敵に笑ってそういった瞬間、彼女からお願いされた精霊たちが、サーハド大将の胸元に向かって一筋の光を当てた。その突然の行為に、周りの使兵たちが血相を変える。
「ま・待って!どういうつもりだ!!」
「動かないで。あなた死ぬわよ。」
エリーゼの制止に、声を荒げようとしたサーハド大将が硬直する。
「胸に当たっている光の意味がわかるかしら?射撃の的に見えるでしょう?というか、実際に的になっているのよ。」
その発言に、サーハド大将が今度こそ凍り付いた。途端に忙しくなる周囲に彼女は視線を送って、口元をつり上げた。
「この場から見える位置にはいないわ。驚くことないでしょう?飛距離が伸びた魔装銃を装備していることは知っていたはず。」
エリーゼは大きく肩をすくめて見せた。マルセイザ共和国軍の大将の顔に、汗が次々と浮かび上がる。
離れた場所で狙いを定めて魔装銃を構える兵士。それが果たして本当に存在しているのか・・・いくら考えたところでサーハド大将に知るすべはない。彼にはおおよその兵数を把握することは出来ていたとしても、正確に魔装銃がどこに配備されているのかまではわからない。そして、この脅迫めいた交渉が問題なく実現できるのだ。
シャドー・ファントム。
彼女は心の中で呟いた。それはかつてシルヴィ王女殿下自身が「そこにいるかもしれない恐怖」と呼んだもの。
不可知の領域。それに怯える人の本能に訴える技だった。
「助かったって思っていたでしょう?でも違うのよ。あなたが今少しでも動いたらそれが合図となって魔弾が跳んでくるわ。射撃の腕は確かな部下を選んでいるのよ。」
「・・・交渉中の攻撃行為は許されないはずだ!お前は戦時条約に違反するつもりか??」
「確かに交渉中なら条約違反よ。でもね。あなたが動いた瞬間に交渉はお終いなのよ。お互い合意あって初めて成立するのが交渉だから、それに見切りをつけるタイミングは双方の自由よ。もちろん白旗をあげて停戦している間は攻撃できないんだけれどね。でもね。見ての通り白旗は最初から1本だけ。上げ下げには手間暇がかからないのよ。あなた次第でいつでも下ろす準備は出来上がっているわ。」
白旗を両手で掲げている味方を横目に、ますます嫌味にエリーゼは続ける。平然とこなしているように見えるが、自分と部下たち全員の命がかかっているだけに実際は冷や汗を流しての去勢だったりする。
「・・・こんなもの!交渉でもなんでもない!ただの脅迫だ!たとえ条約に違反していなくとも、戦時条約の理念に対して許されるはずがない!!」
「そうね。じゃあ聞くけど、戦争中に行われる交渉と脅迫の何が違うの?どちらも武力をちらつかせてより良い条件を引き出そうとするじゃない。あなたはただ、自分の命が助かりたいから、交渉を脅迫と言っているに過ぎないわ。」
「・・・」
「条件が合わないのならお互い実力行使に打って出る。その考えは共通しているはず。ただ違うのはあなたを最初から殺せる有利な立場に置き、あなたはその事態に対する備えがなかった。その1点だけなのよ。」
静かな口調で反論を許さない。この屈辱にサーハド大将は毛が無い頭を掻きむしりたい衝動にかられた。
「・・・すべて・・・これまでの戦闘はこのための伏線だったのか?」
「・・・現状を理解してほしいの。どうしても引かないのなら、私は交渉決裂とみなして旗を降ろして、真っ先にあなたの命を奪う。それで指揮系統を壊して皆でバラバラに逃げるの。愚かしいやりかたかもしれないけれど、それでも1つの戦法よ。私はそれを実行に移す。で?あなたは結局どうするの?」
エリーゼの問いにサーハド大将の頭の中はフル回転した。出まかせだ。それはわかっている。本当に殺すつもりなら最初からやっているし、いくらでもその機会はあったはずだ。
そういった状況からハッタリだと言い切れる。だが、それでもどうしても死の恐怖が付き纏う。
それを無視することは勇気と呼ぶものもいるだろう。1度命が助かって、今度はその死を自分の選択肢で選べるのだ。家族の顔が脳裏に浮かぶ。死にたくはないと切に願ってしまった。
「……わしが……死さえも厭わないと言ったら?」
それでもサーハド大将は、最後の威厳を保とうと虚勢を張った。エリーゼは黙ってかぶりを振る。その瞳は、彼の奥底にある「生きたい」という本能を見透かしているかのようだった。
「それでいいなら私は一向に構わないわ。けれど、たった2日間のロスをサマールルに責任転換させるのも手よ。とはいっても大将という肩書はそうは言ってられないのかもしれないけれどね。選択は任せるわ。だけど、その選択が、どれだけの兵士の命を無駄にするか、その覚悟はおありかしら?」
エリーゼの言葉は、サーハド大将の心に深く突き刺さった。彼の脳裏には、故郷で待つ家族の顔、そして、この戦いで失われた多くの兵士たちの顔が浮かんだ。死を厭わないという言葉の裏には、生き残った者への責任と、これ以上の犠牲を出したくないという、彼なりの覚悟があった。
「・・・」
どこまでも揺さぶってサーハド大将を弱気にさせる。死にたいのか?と言われれば誰だって首を振るだろう。彼はあまりに生と死を実感し過ぎた。それゆえに本能から生きたいと願ってしまう。
「・・・要求を呑もう。こちらが後退する段取りを話し合おう。」
その一言がマルセイザ共和国軍の大将から出た瞬間に使兵たちは耳を疑い、その動揺が隊列の端々まで伝わった。エルフのエリーゼは快く頷いた。
「素直な決断よ。サーハド・メラシャド大将殿。」
交渉は成立した。しかし、サーハド大将の胸中には、屈辱と、そしてこの戦いの裏に潜む「何か」への疑念が渦巻いていた。彼は、このエルフの少女が、ただの戦術家ではないことを直感していた。一方、エリーゼの瞳の奥には、新たな策謀の光が宿っていた。彼女の目的は、単に時間を稼ぐことだけではない。この戦いは、まだ序章に過ぎないのだと、強く印象付けるかのように
彼らの後退はまず武装を解除してから始まった。魔装銃を捨てさせ、馬を逃がす。互いの戦力差が少なくなったところで、ようやくエリーゼはサーハド大将を照らしてした精霊魔法を止めた。
「さてと・・・とりあえず負傷者を担いで、私たちについて来てもらおうかしら。知っていると思うけれど、この奥に峡谷があるの。そこを渡り終えるまでね。」
そう言うと彼女は生き残った兵たちを集めて隊列を纏めた。ここで久しぶりに敵味方が入り混じる状態が解消されたわけだが、それに伴って見え始めた最北軍の現状に、マルセイザ共和国軍の誰もが目をむいた。
「おい!終わったぞ!起きろよ!」
「な・・・ないも見えない・・・」
「ポーションがないの・・・誰か!お願いします!助けて!!」
苦痛に呻く声が折り重なる。少数で泥沼の奇襲戦を行ったための当然の末路だった。剣で身体を裂かれたものがいる、馬に踏みつけられて骨が見えているものがいる、すでに虫の息の者がいる。死傷者の数を数えるよりも無事なものを数えた方がずっと分かりやすい。重傷者を含めた生き残りは、当初の半分以下だ。
「・・・この有様で、お前は戦闘を継続すると言ってたな?」
「そんな事いったかしら?」
しらばってくれるエリーゼの態度に、サーハド大将の頭が怒りと悔しさでくっきりと血管が浮き上がる。だが、すでに交渉を終えて同意してしまった以上、ここからの仕切り直しは現実的に不可能だった。
「早く行きましょう。私たちとしても、負傷者を助けたいの。」
「・・・ちっ・・・!」
死亡者を残して、まだ動けるものは負傷者を担いで、エリーゼは出発する。その後ろでマルセイザ共和国軍も続いた。
「・・・おい!」
沈黙の敵味方の行軍がしばらく続いた後、ふいにサーハド大将が口を開いた。エリーゼは軽く首を傾げた。
「・・・なに?」
「西側の戦況はどうなっている?」
そう聞かれて、エリーゼは数秒間を置いて答えた。
「もうとっくに撤退しているわ。相手に気づかれることなくね。」
「・・・・・」
別動隊がこちらに向かっている可能性があるのではないかと期待したのだろうと察したエリーゼだったが、すでにシルヴィとレイニには指示を送って峡谷の向こうまで後退させている。どうやって気づかれないように撤退出来たのかはシルヴィに任せてある。そのやりとりが済むとまた沈黙が流れた。
さらに歩くこと1時間ほどで目的の場所にたどり着くと、峡谷の向こう側には、シルヴィ・ミルキ・レイニが揃って部隊を展開させて待っていてくれていた。
目頭が熱くなる想いだった。本隊に合流するようにって言ったのに・・・
「さぁ早く皆行って頂戴。」
エリーゼの声が仲間の背中を押す。ルールカもそれに頷いて隊を先導して次々と崖を下って峡谷を渡らせて行った。自身も最後の1人になったところで足を向ける。だが、そこで声が飛んできた。
「待て!お前は何のために戦う?」
エルフが足を止めた。踵を返して敵軍の将と真っ向から視線を合わせた。
「マルセイザ共和国はキラエルとサマールルのかたわらで共和制を保ちつつも、いずれ3か国すべてマルセイザを模範として魔獣、魔物を真の敵と定めた様々な思想を広めるつもりだ。エゴだけをぶつけた無益な戦争は滅び、世界は争いがなくなり繁栄を謳歌する。その実現のためにわしらは、生涯を賭して在り続けねばならない。そのためにはこの戦いも必要だったと信じている。」
そう言い切って、サーハド大将は強くエリーゼを見据えた。彼の瞳には、揺るぎない信念と、それを貫くための覚悟が宿っていた。しかし、その信念が、多くの血と犠牲の上に成り立っているという現実から目を背けているかのようにも見えた。
「だが、お前はマルセイザ共和国にその信念に泥を塗った。世界平和が遠のいた。だから問う。お前は何を思って戦う?その行為が一体どれだけの犠牲を払うことになるのかわかっているのか!?」
信じて止まないその問いは、大きく的を外していた。サーハド大将は、自身の理想に酔いしれ、目の前の現実を見ようとしていない。その傲慢さに、エリーゼは静かな怒りを覚えた。しかたなくエリーゼは応えた。
「・・・あいにくと戦いたかったわけじゃないのよ。私は、ただ守りたかっただけ。あなたのように、大義を掲げて多くの命を犠牲にするような真似は、私にはできない。」
エリーゼの言葉は、サーハド大将の「世界平和」という大義とは対極にある、個の命を重んじる彼女の信念を静かに語っていた。
「守りたかった?守ることこそが戦いになるはずだ。だからこそ人々は神に救いを求めなければならない!1人1人が神に祈りを捧げれば国も変わり生まれ変わる!」
サーハド大将の言葉には、揺るぎない信仰と、それに基づく絶対的な正義があった。しかし、エリーゼの目には、その信仰がもたらす悲劇が透けて見えていた。
「・・・なるほど。で、そういった国を創るために戦争が起こるって寸法ね。よく出来た仕組みね。」
サーハド大将はその返答にただ怪訝な面持ちになった。エリーゼの言葉の裏にある皮肉と、自身の信仰への根本的な問いかけを、彼はまったく理解しきれていないのだ。その困惑が伝わってきて、エリーゼはため息をついた。彼の瞳には、未だに理想の輝きが宿っている。それは、彼女がとうの昔に捨て去った、甘美な幻想だった。
「無駄だと思うけれど、あなたに1つ言っておくわ。あなたが、あなた達が神を信じる理想の現実を追うごとに争いごとは増え続けていく。」
「??」
「わからない?自分自身が信じ込んだ神を、誰かが否定したとしたら?あなたはそれを受け入れられる?それとも押し付けて信じこませる?それが結局争いごとの種になる。」
それを最後にしてエリーゼは今度こそ踵を返した。冷たい雪原に、彼女の言葉だけが響き渡る。
「信じる者は救われない。全ての神は幻想よ。」
その言葉は、サーハド大将の心臓を直接掴むような衝撃を与えた。彼の信じてきた世界の根幹を揺るがす、あまりにも冒涜的な響き。
「・・・ふ!ふざけるな!!」
遠ざかっていくエルフの背中めがけて、サーハド大将は叫んだ。その瞳に憎悪の炎を燃やして。しかし、その憎悪の奥底には、微かな動揺と、これまで疑うことのなかった自身の信念への、初めての亀裂が走っていた。エリーゼの言葉は、彼の心に深く、そして静かに突き刺さったのだ。




