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反撃

「頃合いね。そろそろ一戦交えるわよ。」


本部の天幕の中、軍議の席でエリーゼが口にした一言に、同じ席に着いた全員が耳を疑った。


「そろそろって・・・そもそも普通の持久戦すらできない戦力差があるからこそ、こっちは苦労して距離を維持して牽制してきたんでしょ?」


ミルキがそう疑問をぶつける。それを当然なものだとエリーゼは頷いた。


「その通りよ。その結果が今の現状よ。予想よりは進軍が早いけれど想定内に足止めが果たされているわ。」


「なら何も問題ないじゃない?このままヒットアンドウェイで戦線を維持できれば……」


「ミルキ。いつまでも敵に主導権を握られてしまっては、いずれ防勢作戦は崩れるわ。だから、攻められる時は攻める。それが『起動防御』よ。単に後退するだけでは、敵は常に優位に立ち、我々は疲弊するばかり。敵の意表を突き、一瞬でも彼らの思考を停止させる。その隙に、我々が次の手を打つための時間を稼ぎ、戦場の流れをこちらに引き寄せるの。」


ルールカが冷静に声をかける。その内容にミルキは囲んだテーブルに身を乗り出した。


「・・・まって、そうなるといくつかの情報が必要になるわね。」


「敵の配置および集結点、おおよその戦闘力と戦闘方法、どの攻撃目標を選択するのか?そしてそれにどう攻撃してどのような状態なのか?リナ。君から詳しく聞かせて。」


シルヴィ王女殿下の横にちょこんと座った氷族の娘はそう頼まれて頷き、テーブルに置かれた地図を手元に引いた。


「このお山は私たちの庭です。使兵の連中が歩いている大雪原も隅から隅まで、多くの氷族が食料を求めて探索しつくしました。です。」


強く日焼けした肌に、左右に分けたツインテールの黒髪の真ん中に小さな角、くりっとした大きな瞳、丈の短い衣服からのぞく肢体は年下なのに妙に色っぽい。名はリナ・アナーク。氷族族長エスエム・アナークの娘で、その身には古の鬼の血が色濃く流れている。彼女たちは王国側の要求を飲み協力関係とあいなったわけだが、これには氷族特有の事情が関わってくる。弱肉強食の世界で彼ら彼女らは生きている。当然強き者が権力を持ち、弱きものはそれに従う。シンプルに考えて族長エスエムを倒したことによって、氷族は王国側もしくはルールカの傘下に与したということだ。


リナの説明が続く。敵側の動き方、考え方、攻撃方法、防御方法などなど後方から観察してそれを詳細にまとめあげて、さらに氷族がもともと砦や拠点としている地点を地図で示してくれる。


「というわけで、氷族が敵側の情報と大雪原の地形を把握しているわ。リナ。その知識を踏まえたうえで戦闘が可能だと言うわけね?」


「はい。私たちは数では敵わないから、昔からこんな戦法を磨き上げてきました。最北軍の時もそうだったので間違いありません。です。」


「・・・複雑だけれど、だとするならエリーゼ。向こう側もそれを予測していると考えると・・・」


レイニにそう水を向けられ、エリーゼは首を振った。


「そう想定してなおかつ相手の予想を上回る攻撃を仕掛けなくっちゃいけないの。レイニ。マルセイザ共和国軍が進軍した段階でこちらが大きく反撃に出ると思う?」


「・・・可能性はなくはないけど低いね。だって僕たちは時間を稼ぐために後退行動をとっていたわけだし。」


「そう。こちらに明確な反撃を予想しない限り、防勢形態の必要性には思い至らないはずよ。もちろんそれも想定内で考えている可能性もあるわ。」


「・・・仮にそう仮定していたのなら、もうとっくに部隊を編成してなくちゃいけないからね。でなければ別動隊を用意しておくとか?・・・どちらにせよ敵にそんな動いた様子はない。」


ルールカが説明を補足して、ミルキが控えめに手を挙げる。


「でも、大雪原の罠についてどうなの?あぁも簡単に対処してきたということは、向こうもイレギュラーに対して、即対応できると思うんだけれど・・・」


「その点については私も驚いているわ。でも、だけれども、現場の状況をよく観察して思いついた対処方法だと思うの。その誰かが、その作業をスムーズに進めることが出来る権限を持っているのは確かなようだけれど、私たちのヒットアンドウェイで相手の出方を見ていても。その人物はあくまでも権限はあるかもしれないけれど、発言権は大きくない。そう判断できるわ。」


それもまた1つの懸念事項ではあるのだが、わからない事が多すぎるので、エリーゼはこのことは一旦棚上げして、話を進める。


「その罠に関しても、全てを解除できるほどの規模は見込めないわ。せいぜいが進行方向だけ。あっちはおちおちと私たちに時間を稼がせるつもりはないみたい。」


「そこで奇襲をかける。そういうわけだな。逃げる、それを追いかける、その構図に仕掛けておいて、タイミングよく相手にダメージを与えると。」


シルヴィが話をまとめた。エリーゼはそれに頷き


「この戦いが始まる前から、シャドーファントムがこの雪山に潜伏していた。その間に彼らは土地勘もあって氷族の拠点なんかも把握して情報を送っているはずよ。・・・となると、マルセイザ共和国軍に氷族のゲリラ戦法を知らないわけじゃないと思うの。」


「つまり、マルセイザ共和国軍は攻勢か防勢かの作戦にどちらを優先するか揺れているということね。」


「防勢は向こうにとっては出来るだけしたくない作戦よ。その分だけ、最北軍が逃げ切れる時間を与えてしまう。でも、その時間は私たちにとっても十分に撤退できるわけじゃないの。だからチャンスが見込めるのならここで敵を釘付けにしたいの。」


はっきりとそう言ったことで、この場の全員の意識が静態的から動態的な行動に意識が切り替わった。が、ふとレイニは不安を覚えた。


「攻勢と防勢の両方を相手が取ってきたらどうするの?向こうは数も多いのだし・・・」


ミルキははっとして声が上がる。でも、エリーゼはそれに首を振ってみせた。


「それもあるかもしれないわ。でも、私たちは本来は減ったとはいえ8000人程度の兵力よ。攻め込む立場になれば戦力の分散はよろしくないわ。」


「それなら、一部を遊撃隊にするとか。1000,2000なら?」


「まだこんな序盤でそれはないわ。情報によればマルセイザ共和国軍に騎兵隊は多くない。歩兵が主力であって、どうしても機動性に劣るわ。つまり、遊撃隊を編成したとしても使い捨てにする場面が今なのか後なのか?こっちはその動向をみて迎撃に走ればいいだけ。」


「バリケードもあります。うまく使いまわせば戦力差があってもなんとかなりそう、です。」


リナがそう補足すると、シルヴィが手を挙げた。


「・・・1ついいか?シャドーファントムはどう対処する?」


「後方の監視は氷族がしているし、精霊達とも干渉できています。この大雪原は一望できますからね。誰にも悟られずに私たちの背後をつくのは本物の影じゃないと無理です。」


「・・・なら、いいのだが・・・」


今一つ納得がいかないシルヴィ王女殿下だったが、それ以上はなかった。その様子を見やりつつエリーゼは先のシャドーファントムが現れた時に精霊たちが隠れてしまったことを思い、それを背景にしても現状は問題ないと判断を下した。そのままレイニに視線を移した。


エリーゼが練った構想で、大部分の懸念事項がなくなったし、必要性が増した。でもまだ残る不安がレイニの口から零れた。


「・・・ここからさらに敵の増援があった場合は?」


これにはエリーゼは即答できなかった。じっくりと時間をかけて言葉を探してから告げる。


「・・・その可能性は限りなく0だと思うけれど、もしそうなったら詰みね。どうしようもないわ・・・」


その最悪の未来予想図で、周りの空気が重くなった。


どう立ち回ったところで、どうにもならないそんな状況。若い彼女らの頭の中には想像力がたくましく描かれてしまった。


「・・・その時は安心してくれ私が白旗をもって投降しよう。そうしたならば犠牲も限りなく抑えることができるであろう?」


シルヴィのその言葉に一瞬で空気が凍りついた。


「・・・そうならないように最善をつくす。・・・ということで、次に話を移すわ。」


シルヴィを除く全員が頷いた。なんとか凍りついた空気を取り戻そうとエリーゼは本題に入る。


「反撃に移るといっても、もちろん真正面から攻撃をするわけではないわ。ここからはどうやって攻撃するかの話を詰めていきましょう。もちろんなるべく犠牲は少なくなるようにね。」

*****************************************

「ぐぬぬ……」


朝日が昇って進軍が再開されて早、昼近く。サーハド大将は断続的に叫んでいた。隣の副官は最初のうちはなんとか、とりなしていたが今はもう無視を決め込んでいた。


「遅い!遅い!!遅い!!!」


目の前に誰もいないのに大将は叫び続ける。周りにいる兵士たちも永遠にこの叫び声を聞かされて辟易としている。さすがに士気に大きく関わってきそうだなと副官が大将に声をかけた。


「……大将。」


「ふん。遅いものは遅い。何か間違っているか?」


セイギはため息をついた。この人の能力は高いのだが、いかんせんせっかち過ぎるのだ。なによりも士気がもたないのだ。


「氷族が得意としたゲリラ戦法です。うかつには手を出せません。」


「わかっておる……しかし、こうなってくるとそろそろ防勢について考えておかないといかんのう。」


そう言いつつも、サーハド大将は今朝の時点で全面的に攻勢にまわるように指示をだしていた。どこかの総司令官とは違って、確かな戦略、戦術に基づいて行軍を行っている。


「かぁ!!イライラするのう!!ちょこまか進軍をじゃましてからに!!!潔く真正面から向かってこいや!!」


「お気持ちはわかりますが。が、これが戦場です。」


「教官みたいなことを言うな。まぁそろそろ向こうも本格的な奇襲を仕掛けてくるのは事実だ。さっさと防勢陣形の編成を考え……」


そう考えついたところで正面から「大将!!」と呼ぶ声が響いた。


ほどなくして馬に乗った伝令兵がやってきて、素早く降りて敬礼した。先ほどまでの叫び声が聞こえていたらしく、その顔には恐れがありありと浮かび上がっている。


「どうした?」


「ほ、報告します。正面なのですが、どうやら敵が待ち構えている模様です。」


「な・なに??」


大将は目を丸くして、その報告が本当かどうか自分の目で確かめることにした。セイギともども連れ出していく。


兵をかき分けて、前に進んで行く。緩く登り坂になっている雪原を登って双眼鏡に目を通してみる。そこには白い世界しかない。それしかない。そのはずだったのだが、


「……敵影だと。しかも正面から真っ向勝負か?」


肩透かしを食らった気分のサーハド大将がそう言った。その言葉通り雪原の先には相手部隊が展開されていた。彼らがいるのはここから10キロメートルぐらい先で回りには他の部隊は存在しない。単独行動。そう結論にいたってしまう行軍行動だった。


「どう思う?なぜやつらは正面からのこのこやってきた。」


大将は後ろについて来ているセイギに答えを求めた。


「それはもちろん正面からガチ勝負を仕掛けてきたのでしょう。」


「おい!冗談を聞きたいわけではないぞ!!」


そう凄んでみせるが副官は悠悠と首を振ってみせた。


「冗談ではありませんよ。罠です。」


「ここまであからさまだと、拍子が抜けるわ!!」


「とにかく敵はここで我らに防勢陣営をとらせて時間を稼ぎたいのかもしれませんね。」


「はっ!!素直にゲリラ戦で抗えばよかったものを、欲張ったなキラエル!!」


それを横目で見ながらセイギは急に真顔になって口を開いた。


「大将。戦闘となったとして、それが終わるころにはもう夜になっていることでしょう。」


忠告めいたセイギの声に促されて、サーハド大将も厳しい視線を敵影に向ける。


「……だろうな。これも罠にふくまれるのか?」


「はい。わざわざ誘いこんできたのです。暗闇の中の戦闘を向こうは視野に入れていると考えるべきです。」


もっともな指摘だった。サーハド大将は腕を組んで思案する。セイギは、大将の思考を先読みするように言葉を続けた。


「敵は根本的に時間を稼ぎたい。我々が攻勢に出なければ、彼らは無理に戦闘を開始することはないでしょう。しかし、夜間の戦闘は視界が悪く、兵の練度と装備の差が如実に表れます。彼らは、その混乱に乗じて、我々の戦力を削ろうとしているのです。」


「……ここは守りに徹するか?」


「さすがです。しかし、ここは攻めるべきでしょう。敵は時間を稼ぎたい。ならば、我々が時間をかけずに攻め潰すことで、彼らの目論見は崩れます。夜闇は、我々にとっても、むしろ有利に働きます。」


「……」


「ここは誘いにのって一戦交えるしかないでしょう。だとしてもこちらの有利は変わりません。あちらは一回の負けがかなりの消耗になるはずです。我々は今回悪くって引き分けたとしても次の手を考えるだけでいいのです。」


サーハド大将はそれを聞いて納得した。


「攻撃大勢を整えろ!」


「はっ!!」


命令を受けた兵士たちが身をひるがえして本陣に走っていく。戦闘開始だ。


****************************************

地平線に日が沈み始める。夕暮れ時だ。西の空から茜色に照らされたダイヤモンドダストが幻想的な風景を作り出し、まるで凍てついた空気が宝石の粉となって舞い踊るかのようだった。その美しさは、同時に魂を削るような寂寥感を伴い、兵士たちの心に重くのしかかる。


寒い。雪山に来ておいて今更だが、軍服で暖を保てているからと言って肌が晒されているところは針で刺されるような雪の冷たさが染み渡り、吐く息は白い霧となって瞬く間に凍てついた。遠くで風が唸る音が、まるで死者の嘆きのように聞こえる。


もう間もなく日が沈み闇が訪れるだろう。視界は月明かりだけが頼りになる。見渡しの良い大雪原にある丘の上。お互い敵と一戦を交えるのは良い条件だった。


「来たわね!」


エリーゼが率いる300人強が待機している反対側。雪原をまっすぐ進もうとする敵軍を挟み撃ちにする位置で、ルールカ率いる300人の兵士たちは息を潜めて雪原でも起伏があるその影に隠れていた。


大勢の人影が視界に映りこむ。月明かりしかない状況では、正確な数や装備までは理解できない。だが、その密度や物音や隊列からその規模は1000を超えていると推測できた。偵察にしては多すぎる数だ。


完全なる接敵機動・・・マルセイザ共和国軍の規模から考えるとほとんど全力投入に近い。こちらの戦力も正確にわからない状態で大胆な行軍。


とはいえ、もっと少数による偵察部隊を送り込んできたところで、彼らが持ち帰る情報を得る前に全滅させていただろう。そうなるのならどっちみち、こうなるのだから、ここは敵将を褒めるべきなのかもしれない。


少数の敵を叩いて勢いをつけたかったけれど、実戦とはそう都合よくはいかない。


この状況を受け入れつつ、ルールカは兵たちに合図を送った。


進軍を塞ぐ形でクレパスが存在する。その地形を有効活用してそこにバリケードを築き20門の魔装砲改を展開させる。遮蔽物に隠れて砲兵たちがそこで待機している。全指揮をとるシルヴィ王女殿下は双眼鏡を覗きこんで、射程距離2キロに近づいてきた敵兵をしっかりと捉えていた。


この距離なら向こうが同じ性能の魔装砲を装備しているのなら射程にはいるはずなのだが、撃ってくる気配は感じない。砲撃戦なら相手より上に陣取ったこっちの方が有利だ。すぐに反撃を返す余裕があちらにはあるのかもしれないが。


数の利はわかるが、ずいぶんと積極的な考え方をするものだとシルヴィ王女殿下は思う。歩兵、騎兵が撃って出る前の、いわゆる攻撃準備砲撃は攻めの基本だ。砲撃で可能な限り隊列を乱して、戦力を削ったうえで接敵攻撃に臨む。普通はこうだ。


まぁ、魔装砲改が向こうには実戦投入されていない可能性もあるわけでもある。


双眼鏡を覗くのをやめると、シルヴィ王女殿下は、全軍指揮官として、そこから開戦の火ぶたを上げる命令を下した。先制のチャンスだ。


まばゆい光の玉が防御拠点から射出された。黒い塊だった敵の兵士たちの姿が生まれ、突然の眩しさに怯む大軍が照らし出される。


「「「撃てぇぇぇ!!」」」


指揮官たちの号令の下、その一軍を目掛けて20発の砲弾が一斉に撃ち込まれる。迸る風と音の奔流が戦いの始まりを告げた。


「・・・先制は頂いたわね。」


数秒前の静けさはどこへやら、耳を裂くような喧騒の中、ミルキの指揮下のもと砲兵ともども照らし出された光を目掛けて魔装砲を撃ち続けていた。


圧縮された空気が炸裂音と共に鳴るたびに、魔装弾を食らった敵がまとめて倒れていく。


「次弾!装填!!」


魔装砲は次弾を装填するのに魔装銃に比べて時間がかかる。この時間ロスをいかに改善するかが次の課題だなとミルキは考えて、そして砲撃を続けた。彼女の脳裏には、魔装砲の構造図と弾道計算が瞬時に展開され、次に撃つべき最適な角度と威力が導き出されていた。ドワーフの血が騒ぐ、技術者としての本能が彼女を突き動かしていた。


「撃てぇ!!」


「ふぅ……」


魔装銃改。新たに実装された兵器を持つ以上、それにふさわしい活躍をしなければいけないという自覚がレイニにはあった。そして、その引き金を絞るたびに、彼の内側から湧き上がる抗いがたい「愉悦」が、全身を駆け巡る。それは、獲物を仕留める狩人の本能であり、同時に、危険な状況下で極限まで研ぎ澄まされた感覚がもたらす、ある種の性的興奮にも似ていた。


「まだ、足りない!もっともっと……!」


もはや遊撃と呼べる銃撃にレイニの中で狩猟していたころを思い出す。相手は魔獣ではないし魔物でもない。撃ち放った銃弾が敵兵の頭を粉砕する。ここまでで撃ち漏らした敵はいない。すべて正確にとらえていた。


レイニは位置を変えながら射撃を撃ち続ける。エリーゼとルールカの部隊を隠れ蓑にして彼らは確実に敵兵を始末していく。迎撃戦において通常は腰をすえて射撃を続けるのが理想なのだが、位置が特定されれば、それを振り切ってから再び腰をすえて射撃……そんな悠長なことはやってられない。


だから、初めから動くことを前提にするのだ


「全員、僕たちに気づいていそうな敵を優先して狙え。彼らがいなくなればどこから狙われているのか敵は混乱を招く。僕たちは狙撃手。それを忘れるな!」


部下たちにそう命じている間も一切休まずに、レイニはもくもくと立ち位置を変えて撃ち続ける。彼の瞳は、獲物を追う獣のように鋭く、スコープの向こうの敵兵のわずかな動きも見逃さなかった。その一挙手一投足が、彼の「愉悦」をさらに高めていく


****************************************

「ふむ。苛烈だのう。」


防御拠点から離れて5キロの地点で、サーハド大将は大勢の護衛に囲まれていた。


「ここでは、様子がよくわからんな。かぁあ!じれったいのう!おい!若造!!もっと前に出られないのか?!」


「これでもギリギリですよ。ついさっきそこまで砲弾が飛んできましたよね。」


セイギが冷静にそれをいさめた。ここは防御拠点からやや左側に陣取っているため、流れ弾が飛んではこないけれど、戦場の様子が分かりづらいという反面があった。一軍の将としては当然の位置取りなのだが、大将自身は不満いっぱいだ。


「お気持ちはわかりますが、将自ら先陣を切っていた時代はもう遠い昔ですよ。」


そんな言葉でたしなめてくる若い男の顔をにらんでから、不愉快さを露わにして舌打ち1つした。


「ちっ!まぁいい。で、合図を待って第2攻撃を送り込むぞ。盾兵の準備は?」


「完了しております。」


部下からその返答を受けて、サーハド大将は満足気に頷いた。


「盾兵2000を突っ込ませる。いいのだな若造?」


「えぇ。単なる力押しでどうにかなる相手ではなさそうですし、ここは予定通りにいきましょう。」


****************************************

「斉射来るわ!伏せて!!」


起伏で出来た影に伏せながらエリーゼが指示した命令に、部下たちはすぐさま従った。一瞬遅れて魔弾の豪雨が降り注ぐ。


「負傷者は?」


「は、はい」


副官が部下たちの報告を受けている間に、影からそろそろと顔を出して、エリーゼは戦場の様子をじっと眺めた。


「・・・敵の迎撃に、こっちも釣り合っているわね。魔装砲も戦果を挙げている。レイニもよくやってくれているわ・・・ん?」


敵の負傷者で溢れかえっている視界の中で、奇妙な物が映った。大きな盾を持った大人数の兵たちが前線にあがってきたのだ。


「盾隊か・・・なるほど。思っていた以上にしっかりと基本に忠実ね。実戦経験がないなんていう先入観は捨てたほうがいいようね。」


エリーゼが眉根を寄せて感心していると、そこで副官の声が聞こえた。


「隊長!3名が重傷を負ったため、後方に送られました。これで我々の部隊は残り73名です。」


「わかったわ。この場所はもう限界よ。移動するわ。ここから先は盾を持っている敵を狙っていくわ。みんなそのつもりで。」


「「はい!!」」


いい返事に背中を押されて、エリーゼは雪原を走り出す。全員体力が著しく消耗していたが、ここで疲れたからといって速度を落とすわけにはいかない。まだ勝敗の天秤は敵味方どちらにも傾いていないのだ。


エリーゼの行動から遅れて、敵の盾隊の影響がシルヴィの目にも見える形で表れ始めた。


「あの盾はやっかいだな・・・」


バリケードの隙間から様子を窺いつつ、シルヴィは口元をゆがめた。魔装砲の着弾地点に添う形で展開された盾部隊は、1つ1つなら砲弾にとって大した障害にもならないが、お互いに支え合う形で密集されることによって無視できない壁になる。地面に突き刺した大盾を軸にして、そこに命中した砲弾の角度をうまく反らすように構えている。その結果、せっかく撃った砲弾が敵に損害を与えきれていない。


「砲身の角度を右にずらせ!盾をよけて撃て!!」


その命令が問題の根本的な解決にならないことはシルヴィにもわかっていた。ここで注目するべき点は、あれらの盾によって、敵が砲弾から逃れられる進路が出来つつあるということだ。


「今は点に過ぎない盾も、ここまま並べられては面となる。それを利用されるようになれば、この防勢拠点に近づいてくる敵兵がぐっと増えるか・・・」


阻止する。とシルヴィは口の中で呟いた。しかし具体的な対策が思いつかない。大盾隊を蹴散らすには、接敵隊を送り込まなければならないが・・・あの激しく撃ちあう戦場のなかで、そんな真似が果たして出来るのか?


「総司令官!伝令です!!」


思案にふけるシルヴィのもとに、緊迫した様子をまとった伝令兵が走ってきた。隣にもう1人伝令兵がいる。その時点でシルヴィはその内容が分かった。


「接敵突撃に出て、大盾隊の排除に向かいます。」


「やはりそう来たか・・・だがまだ早い!危険な接敵突撃は可能な限り後に回すべきだ!」


「その判断が戦況を変えることになります。単に進軍の遮蔽物というより、何か運ぶために砲弾から守るためだと思われませんか?」


その伝令兵の言葉にシルヴィはぞくりとしたものが背中を走るのを感じた。この状況下で敵が持ち出してくるもの。彼女の知識にその候補が思い当たる。


「だが、そうなると砲を一度停止する必要が・・・」


「いえ!続けてくださいと仰せです!!砲弾は接敵突撃隊の先に狙いを定めて砲撃し、その間に大盾隊の排除に当たります。」


味方の頭に飛び込んでいき、敵軍を目減りさせる。砲撃のミスが許されないことを前提とすれば、それは確かに良案でもあった。散々悩んだ末に結局シルヴィはその案に折れた。


「・・・わかった。伝えてくれ。ただしくれぐれも無茶をするなと。」


シルヴィはそういうとミルキに視線を送る。


「射線変更!!準備が出来上がったら光激で合図を送れ。味方に当てるなよ。以上だ。行け!!」


「は!!」


指示を受けた伝令兵が一目散に駆けていく。死ぬなよ。そう想い。その背中をシルヴィは見送った。


*****************************************

「しっ!!」


裂けた敵の首筋から鮮血が舞い散る。生温かい飛沫がルールカの頬をかすめ、鉄錆の匂いが鼻腔を焼く。ピンクプラチナの髪が乱れ、二本の剣が嵐のように舞い、まるで戦場の中心に咲く血の薔薇のようだった。ルールカは部下の兵士たちとともに、守りを固めた敵兵を相手に疾風怒濤の戦いを見せていた。その瞳の奥には、血と歓声に満ちた戦場での「狩人の愉悦」が妖しく煌めいていた。


「攻撃を緩めないで!砲が射線を変えたことで、奴らは守りを固めてくるわ!!」


大盾を装備した兵を守り続ける敵兵をまずは片付けなければならない。


どこをとっても隙らしい隙は見当たらない。だからこじ開けるわけだが、それを簡単にそうさせないとする敵兵の猛反が続く。


「「「おぅ!!」」」


剣に槍に、魔装銃を握った部下たちがこの乱戦に近い状況にあっても敵を葬っていく。ここまでの戦場で経験を得ている彼らは決して数の不利を言い訳にしない。


ただ、問題はあった。ルールカ隊と他の部隊が入り交じっているため、連携が欠けているということだった。はっきりいって寄せ集められた最北軍の兵士たちとルールカ隊の兵士たちの練度が違っていた。だから、


「隊長!チャンスです。敵が引いてきました!!」


そう兵士の1人が叫んだ。ルールカが視線を向けると、確かに敵兵の包囲が急に数を減らしている。ここが絶好の攻めどころに違いはしないが、ルールカは素直に喜べなかった。


「変ね・・・このタイミングで、敵は断固守勢するはず・・・」


嫌な予感を感じたルールカは、すぐさま部下たちを押しとどめて慎重に様子を探った。が、他の部隊出身の彼らはそのままチャンスだと受け取ってしまったらしく、そのまま盾兵を追いかけていく。


「ダメ!!待ちなさい!!罠よ。」


「・・・」


そうは言われてももう止められない。ルールカ隊と他の部隊が離れて行く。一緒に追うべきか迷ったルールカだったが、その視界にふと、その光景が映った。


敵兵が下がって行った先に、魔装銃を構えた銃兵が横列に並んでいる。敵兵が一旦距離を取りたいのも当然だった。射撃するのに味方が邪魔になる。


「・・・待って!!」


悲願も空しく、魔装銃の魔弾が迸った。同時に先頭を走っていた味方がまとめて倒された。


*****************************************

「かかった!!斉射緩めるな!!」


サーハド大将の命令を受けて、マルセイザ共和国軍の使兵たちが一斉に魔装銃を撃ち放つ。


空気の炸裂音が重なって響き渡る。視界に映る最北軍の兵士たちに容赦なく叩きつける。


「最高のタイミングですね!」


その様子を、セイギはやや後方から眺めていた。


「副官どの!頭を下げてください!反撃が来ますよ。」


使兵の1人に頭を押さえつけられてセイギがかがみこむと、その頭の上を魔弾が通り過ぎていく。最北軍からの応射だった。見れば周りの護衛からも何人か被弾した者たちがいる。


「・・・的確な反撃だね。向こう側にも射程が伸びた魔装銃を配備しているのは本当のようだ。多分あそこから。」


懲りずに立ちあがろうとする副官にさらに頭を押さえつける使兵。


「不用意に立ちあがらないでください。お願いですから・・・」


「・・・単純に射程が伸びた結果がこの戦果を得られるわけじゃあない。確かな射撃技術が備わっていなければならない。なかなか厄介な敵さんだね。」


そう推測するセイギの視界の端で、隊列を崩された魔装銃部隊が見える。200人余りの彼らは後方の味方と入れ替わり態勢を立て直す。そうしている間に恰幅のいい身体がセイギに向きを変える。


「どうだ!今なら敵は負傷者の回収に手を取られている。」


「さすがです。まだ生きている彼らを見捨てるわけがない。ということですね」


にやりと笑ってサーハド大将は颯爽と立ち振る舞って使兵たちを振り返った。彼は大声で叫ぶ。


「叩きつぶすぞ!!攻城兵器を出せ!!」


******************************************

しまったと後悔したときには、もう目の前に敵の波が迫っていた。双剣を構え、ルールカは傷ついた部下たちをかばい、敵の前に立ちはだかる。


「隊長!俺らのことはいいから逃げてくれ!!あなたが死んだら・・・」


足を負傷した部下が叫ぶ。その声が途切れる間もなく、彼の息の根を止めようと迫る敵兵を、ピンクプラチナの髪の彼女は振り向きざまに一閃、鮮血が雪に散った。


「そんなことを言う暇があったら、どうにか生き残れる道を探せ!それまでは私がここで皆を守る!!」


返り血を全身に浴びたルールカが断固として拒否する。先ほどの魔装銃による猛攻で、彼女の部隊はすでに十名以上の死傷者を出していた。負傷者にポーションを使おうとする兵士たちに、敵兵が殺到する。


「来い!!……!?」


敵兵の波に紛れるように、巨大な破城槌を乗せたそりが次々と雪原を滑り、防衛陣地へと向かっていく。ルールカたちのいる場所は砲撃の射線から外れており、敵はこの隙を突いて攻城兵器を移動させているのだ。大きな槌がすぐ隣を通り過ぎ、その周囲の敵兵が一斉にルールカたちに襲い掛かる。


「しっ!」


多勢に無勢。部下たちが次々と倒れていく中、ルールカはらんらんと目を輝かせ、敵勢を斬り裂いていく。その目覚ましい活躍に、複数の敵兵が銃口を至近距離で向けてきた。


防げるかな?避けるか?全身に極限の緊張が走ったその刹那、まばゆい閃光が敵兵の目を焼き、同時に轟音と共に魔弾の豪雨が降り注いだ。


「ルールカ?無事?」


聞き覚えのある声に振り向けば、エリーゼが自らの隊を引き連れ、魔装銃を手に駆け寄ってくるのが見えた。一瞬、安堵の表情が浮かびそうになったが、ルールカの口からは警告の言葉が飛び出した。


「エリーゼ!後ろ!!」


仲間を助けることに集中する彼女らの背後には、新たな敵の一団が迫っていた。ルールカの警告も届かぬ喧騒の中、


「わかっているわ!」


そう言ってエリーゼは振り返りもせず、杖を構えて敵を迎え撃った。彼女の杖から放たれた精霊魔法が、後方の敵兵を吹き飛ばし、その動きを一瞬で止める。


「なっ……!?」


その後の光景は、敵兵たちの理解を超えていた。弾雨と怒号が飛び交う戦場で、エリーゼとルールカが指揮する二つの部隊は、まるで一つの巨大な生物のように連動した。正面の敵にはルールカの剣が嵐のように舞い、背後の脅威はエリーゼの精霊魔法が瞬時に排除する。


「右側面に展開する。囲い込め!!」


「左側面に展開しなさい。友軍を守り切りなさい!」


ほぼ同時に下された二つの命令は、互いの不足を補い合う完璧な歯車だった。ルールカ隊が敵の隊列を分断し、そこにエリーゼ隊の魔弾が正確に撃ち込まれる。バラバラだった部隊の戦力が、まるで意思を持つかのように合わさり、敵兵を翻弄していく。


それは、単なる二つの部隊の連携ではなかった。互いの呼吸、思考、そして次の動きまでが完全に同調した、まさに「一つの生き物」のようだった。その動きは流麗にして苛烈、敵兵はただ翻弄されるばかりだった


「「疾っ!」」


この凄まじい連携の締めに、エルフとサキュバスの隊長が背中合わせで戦場の中心に立った。そこに至るまでお互いに言葉はおろか、目くばせすらしていない。


「撤退するわ。」


「30秒!その間に負傷者の回収する!」


たったそれだけ言い交すと、二人は再び別れて動き始めた。負傷者の元に走り寄ったルールカは助け起こしながら声をかける。


「ひとりでも多く負傷者を助ける。」


「「はい」」


部下たちは大急ぎで怪我人にポーションをかける。それから30秒の短い間に、生きている者たちを回収すると、すぐさま全員で撤退行動に移った。


そのころ、防勢拠点があるバリケードには、すでに3つの巨大な破城槌が鈍い音を立てて突き刺さっていた。木材が軋む生々しい音が雪原に響き渡り、守備兵たちの神経を逆撫でする。破城槌の黒い影が、夕暮れの薄暗い空の下で不気味に蠢き、それに群がる蟻のような敵兵の姿がはっきりと見て取れた。


「来るな!来るな!!」


守備兵の一人が叫んだ。その声は恐怖に震え、喉は張り裂けそうだった。冷たい雪が頬を打ち、硝煙の苦い匂いが鼻腔を焼く。耳朶を打つ爆音は、もはや思考を麻痺させるには十分だった。目の前では、巨大な破城槌にしがみつき、怒涛の勢いで迫りくるマルセイザ共和国軍の使兵たちが、血に飢えた獣のように吼え、まるで地獄の門が開いたかのように押し寄せてくる。一人、また一人と、仲間が血を噴き出して倒れ、白い雪の上に鮮烈な赤の染みが広がっていく。


「絶対にここは通さない!!」


別の兵士が、折れかかった槍を構え直し、必死に叫んだ。その瞳には、故郷で待つ家族の笑顔が浮かんでいたのかもしれない。手足の感覚が麻痺するほどの寒さの中、押し寄せる敵の数はあまりにも多く、彼らの抵抗は、まるで押し寄せる津波に立ち向かう小石のようだった。絶望が、冷たい雪のように彼らの心に降り積もっていく。だが、その胸の奥底には、まだ微かな希望の炎が揺らめいていた。


「まだだ、まだ通らせない…!」


彼らはそう信じ、歯を食いしばって剣を振るい続けた。金属がぶつかり合う甲高い音、魔弾が空を切るヒュンという音、そして兵士たちの断末魔の叫びが、雪原に満ちる。槌を登ってくる敵に魔弾や槍を与えてやりながら、バリケードを守る兵たちは確実に追い詰められていた。破城槌を出してきたからだ。敵の衰えはなく、むしろどんどん敵兵の数を増して勢いをつけてきたのだ。


「もう、限界か……」


ついにシルヴィの口から、押し殺したような一言が漏れた。即席のバリケードは、すでに悲鳴を上げ、今にも崩れ落ちそうだった。敵に取りつかれた時点で撤退するしかないことは、最初から分かっていた。しかし、その「時」が、これほど早く訪れるとは。


「わずかな連携の綻びを突かれた、……?」


指揮官としての責任が、鉛のようにシルヴィの胸にのしかかる。彼女の脳裏には、バリケードの向こうで必死に戦う兵士たちの顔が次々と浮かんだ。彼らを「見捨てる」という命令を下すことの重みが、胃の腑を締め付ける。この判断が、どれだけの命を、どれだけの未来を奪うことになるのか。王族としての責務と、一人の人間としての感情が、激しくせめぎ合っていた。


「早く戻ってきてくれ...!このままでは、あと数分ももたない……!」


シルヴィは唇を噛み締め、祈るように呟いた。その声は、硝煙と血の匂いが充満する雪原に虚しく響いた。


だけれど、幸いにも、その痛みが報われる時が来た。そとから合図を受けて、バリケードの左端を塞いでいた氷を兵たちが取り払う。激戦、激闘を生き延びた兵たちが続々とそこから姿を現した。


「戻りました。指揮官どの。早速ですが撤収しましょう。」


駆けこんでくるエリーゼが声を張り上げる。その後に続いてルールカの姿を確認したシルヴィは心底ほっとして、それに応えた。


「あぁ!そなたらの帰りを待っていた!撤退するぞ!」


「ミルキとレイニは?」


「もう撤退している。そなたらが最後だ!」


エリーゼたちの部隊と入れ替わりに、魔装砲がバリケードの縁に近づいていった。そこで狙いを定めて一斉に掃射させる。すぐに装填して次弾を発射させる。


「よし!全砲撃ち尽くせ!!撃てぇ!!」


指示に合わせて20砲の魔装砲から一斉に魔弾が放たれて、バリケードに押し寄せていた敵を倒す。その一瞬の怯みを逃さずに、シルヴィは続く命令を下した。


「撤退を開始しろ!魔装砲も出来るだけ回収する。殿はルールカだ。魔装銃を撃ちながら下がれ!ちゃんと逃げ道は用意してある。いいか!くれぐれも前に出て戦おうとするな。後退だ!!」


*****************************************

「あぁ〜残念!これは逃げられましたね。」


ようやく破城槌がまとまってバリケードに取りついた時点で、スドウ・セイギはため息をついた。今夜中に決戦を終わらせるその可能性が潰えたことを。


「おい!若造!!今何と言った?逃げられただと?」


もう数分前から魔弾が飛んでこなくなった戦場に、サーハド大将が振り返って睨んできた。そう問われたセイギも素直に返答する。


「こちらの兵がバリケードを制圧する前に、まんまと撤退を始めました。」


「見ればわかる!このままバリケードを制圧して追撃に出ればいいだろう?我らの勝ちだ!!」


「いえ!追撃に間に合いません。おそらくあの向こうには大きなクレパスがあったはずです。そのクレパスを渡り切った頃には、我々と敵軍との間に、昨日までの同じ距離が出来上がっていることでしょう。」


その推定を根拠付けるように、バリケードの向こう側から使兵たちの悲鳴が叫び聞こえていた。しばらくその絶叫を聞いていたサーハド大将だったが、状況を理解するにつれて、その肩が震え始める。


「バ、バカな!?では、敵はクレパスを背にして戦っていたとでもいうのか??」


「実際そうだったんですよ。だから夜を選んだ。状況が不利になれば即撤退行動を起こす。ただ、これは言うほど簡単なことではなく、あちらにとってもタイミングが非常にシビアです。早すぎれば戦場で戦っている味方を回収できず、遅ければクレパスと我々に挟みこまれる。だから、我々は一気に破城槌を送り込むことでそのタイミングを奪うつもりだったのですが……結果として今一歩のところで逃げられました。」


「ではなんだ!!我々は負けたのか!?これだけ犠牲にしておいて何も状況は変えられずに……だと……」


「いえいえ。そうではないですよ。結果こそ逃げられましたが、確実に敵を追い込んでいますよ。」


そのセイギの言葉に大将はうさん気な視線を送る。が彼は構わずひるまず説明を始めた。


「この戦いの最大の収穫は情報です。敵側は極めて優秀な将によって指揮されていますが、その総兵数は大隊でいうと3隊ぐらいでしょうか?こちらが受けた損害を見てもそれくらいが妥当です。ここで兵を出し惜しみする意味が向こうにはありませんからね。」


「……」


「実際にはもう少し多いかもしれません。氷族に協力をとりつけているかもしれませんが概ね間違ってないと思います。」


白髪の青年がすらすらと見解を述べる。その内容にサーハド大将も少しずつ耳を傾け始めた。


「こちらの被害は小さくありませんが、それでも戦死者、重傷者合わせたところで1000を超えていません。対して向こう側は?善戦したと思いますよ。でも、100やそこらは確実に減ったことでしょう。お分かりでしょう?全体の比率を考えれば敵側の方が大打撃を受けているのです。一時の勝利は幻想に過ぎません。」


「……若造!それは詭弁だ。ここの防御隊を蹴散らしたところで我々の戦場はここではない。最北軍基地を攻めねばならぬのだ。」


「認めます。しかし肝心なのは我々は負けたわけではないということです。攻めきれませんでしたが、どこから見ても負けてない。つまりまだまだ積極的に攻められるということです。」


不敵な笑みを崩さずにサマールル帝国軍少佐スドウ・セイギは言った。この言葉は今を表しているのではない、これから事実にするという自信の宣言であった。彼の脳裏には、先ほどの戦場で見たピンクプラチナの髪のサキュバスの姿が焼き付いていた。「ルールカ。やっと君に逢えるね」。彼は、この撤退戦の裏に隠された敵将の意図を正確に読み取りながらも、その心はすでに、戦場の外で彼女と再会する甘い夢に囚われていた。それは、彼が追い求める抗いがたい「恋」だった。


*****************************************

直接戦闘に参加しなかったリナ・アナーク達氷族にも、この戦いがどんなに激しいものであったかは、運びこまれてくる怪我人の数から察することができた。いや、察するしかなかった。天幕の中は、血と汗と、そして消えゆく命の匂いが混じり合い、鉄と泥と絶望が絡み合ったような、息苦しい空気が充満していた。


そんな環境下で、回復魔法が使えるリナは運び込まれてくる怪我人の治療にあたっていた。生と死の境界線をさまよっていた患者の顔には、恐怖と絶望、そして「生きたい」という本能的な叫びが刻まれていた。ある兵士は、意識が朦朧とする中で故郷の母親の名を呼び、その声は雪原に響く銃声や爆音の残響と混じり合い、断末魔の叫びとなってリナの耳朶を打った。またある兵士は、幼い娘との約束を呟きながら、その細い息を引き取った。その握りしめた手には、冷たくなった指に固く握られた色褪せた家族の絵が握られていた。リナは、彼らの命の灯が一つ、また一つと消えていくのを目の当たりにする。


遺体はまた別の天幕に運び込まれ、怪我の状況によってはそこに直接運ばれていた。ポーションや回復魔法を使っても間に合わない、もはや死体と変わらない者たち。彼らの目は虚ろに天井を見上げ、その口からは、最期の言葉ともつかない呻きが漏れていた。その一つ一つが、リナの胸に鉛のように重くのしかかる。それはまるで、彼女自身の未来を蝕む、冷たい死の気配のようだった。


「……今、息を引き取りました。です」


リナは、震える声で五人目の死を告げた。胸に魔弾を受けた最北兵の男性は、運び込まれた時にはまだ意識があった。しかし、その命の灯は、彼女の目の前でゆっくりと、しかし確実に、死の暗闇へと沈んでいった。リナは、ただその光景を見つめることしかできなかった。脳裏には、あの日の光景が何度もフラッシュバックする。父を失ったあの日、自分は何もできなかった。そして今、またしても……。


遺体を挟んだ向かい側で、同僚の男が嗚咽を漏らした。亡くなったのは、幼い頃からの友人だという。その痛ましい姿に、リナの胸も締め付けられる。


「……なんで……」


その言葉は、リナ自身の心の叫びでもあった。なぜ、こんなにも多くの命が失われなければならないのか。なぜ、自分は何もできないのか。無傷で済んだ部隊は一つもない。各部隊で数十人以上の死傷者が出ており、特にルールカ隊の被害は甚大だった。隊長クラスは無事だったとはいえ、状況は絶望的だった。その中で、リナは自身の無力さに唇を噛み締めた。昨日まで敵として殺し合っていた者たちへの憎しみと、目の前で失われていく命への哀れみが、彼女の心の中で複雑に絡み合い、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。この戦いが、一体何のために行われているのか、彼女には理解できなかった。ただ、目の前で消えていく命の重さだけが、ずしりと心に響き、その重圧に押し潰されそうになっていた。


「……」


生と死をさまよっていた最後の兵が息を引き取ったことで、リナは治療する相手がいなくなった。張り詰めていた糸がプツリと切れたように、彼女は怪我人で呻く天幕からそっと出ていく。外の冷たい空気が、熱を持った頬を撫でた。


真夜中に移動した防御拠点はその全体は静かだった。手の空いた兵たちは横になり、仲間と言葉を交わすことなく黙って焚火を囲んでいる。その大勢は一声も発さずに炎をじっと見つめる形で眠っている。その有様は、いっそ不気味でさえあった。リナは、燃え盛る炎を見つめながら、故郷の家族を失い、居場所を失い、憎しみに囚われていた自分を。


「あ……そうだった。花を忘れてた……」


歩き出して、しばらくしてリナはそれに気が付いた。花を供える。という行為は死者に対して供養することが氷族にとっては習わしだった。しかし見る限りそんな花が咲いているような場所はない。陽が当たるところなら期待は出来るが、ここで花を探すのは無理だった。


歩きながら花を求めて探し回ってみたものの、やはり見当たらなかった。せめて祈りでも捧げようとして遺体を収容している天幕に向かった。


「あ……」


天幕の中に入ろうとして、逆に出て行こうとしたルールカと正面から鉢合わせた。少しの沈黙が流れた。


「……こんなところでどうしたの?ここは遺体の安置所よ。」


先に口を開いたのは、ルールカだった。


「……知ってます……です。」


そういって、リナは気が付いた。自分がどれだけ探しても見つからなかったものを、目の前の彼女は両手に持っていることに。


はっしてリナは天幕の中を覗き込んだ。


「あ……」


横たわる死者たちの胸に小さな色とりどりの花が添えられていた。天幕の中にある遺体全てに小さな草花が輝いて見える。


「どこから……花を……?」


「……陽があたっていたところから採ってきたのよ。故郷に還してあげたいけれど今は出来ない。だから……ね。出来ることをしたいのよ……」


手の中に残った数輪の花を見ながら、ルールカはそう言った。


「死者に花を手向けるのが氷族の習わしです。奪ってきたもの、ここで生まれたもの関係なく死は平等だと教わってきました。です。」


そういって躊躇いを飲み込むために数秒間を置いて、リナは頭を下げた。


「ごめんなさい。私の力が及ばなかったせいで救える命を救えなかった……です。」


「やめて……ね?」


ルールカはその謝罪を即座に拒んだ。


「謝ることなんてない。私たちは昨日まで殺し合ってきたのだから、こうして回復魔法を使ってくれるだけでも恩に着るわ。」


リナはそれを聞いて俯き加減に首を横に振った。


「最北軍に、私の家族が殺された。仲間を、友達を殺された。憎い、忌々しい、大嫌い...!ルールカ、あなたが父を討った時、私はこの手であなたを殺してやりたいと、そう思った。この憎しみは、決して消えることはない……です。」


リナの震える声は、ルールカの耳には、かつての自分自身の叫びのように響いた。その声には、抑えきれないほどの感情が込められていた。


「でも!……私は、この気持ちを、どうしたらいいのか……わからない……です!このまま憎しみに囚われて、ただ死を待つだけなんて……そんなのは嫌です……!」


ルールカは、リナの肩を強く掴み、その瞳を真っ直ぐに見つめた。その眼差しは、リナの心の奥底を見透かすようだった。まるで、彼女自身の内なるサキュバスの本能が、リナの心の闇を見抜いているかのようだった。


「なら、強くなりなさい。憎いなら、忌々しいなら、大嫌いなら、その感情を力に変えなさい。強きものが尊ばれるのが、あなたたちの掟なのでしょう?誰よりも、誰にも負けないくらい、強くなりなさい!その憎しみを、生きる力に変えるのよ!」


その言葉は、リナの心に深く突き刺さった。まるで、凍りついた心臓に熱い血が流れ込んだようだった。憎しみに囚われたままでは、何も変わらない。ルールカの言葉は、リナに新たな道を示した。それは、父の仇を討つためではなく、自分自身の弱さを乗り越え、大切なものを守るための「強さ」を求める道だった。その瞬間、彼女の心に、微かな光が差し込んだ。ルールカ自身もまた、異世界での経験や内なるサキュバスの本能と向き合い、「強さ」の意味を問い続けてきた。だからこそ、彼女の言葉には、単なる励ましではない、深い共感と確かな説得力があった。


「・・・」


リナは、その言葉の意味を噛み締めるように黙り込んだ。強さ。それは、彼女が最も欲していたものだった。


「でも、ね。この戦いが終わるまで待ってほしいの。この戦いの間だけは、私たちに協力してほしい。」


そう懇願するルールカの視線を受けて、リナはふと、後ずさった。協力。それは、憎むべき相手と手を組むということ。しかし、心の奥底で、何かが変わり始めていた。


「・・・あなた達は・・・この戦いに勝てるのです??」


その問いには、かすかな希望と、拭いきれない不安が入り混じっていた。


「・・・逃げ切ったら勝ちよ。」


その言葉は、リナにとってあまりにも現実離れしていた。この兵力差で逃げ切れる。と彼女は言う。可能性は低いと思う。だが、だからこそ問いたい。


「もし、この戦いに負けたら・・・!その時、私はどうすればいいのですか…!」


その声には、恐怖と、そして最後の拠り所を求めるような切実さが宿っていた。


「そこは安心しなさい。必ずその時は生き残って見せるから。だからその時はあなたが私の首を撥ねて頂戴。その覚悟があるから、私は戦える。」


躊躇なくその言葉を聞かされて、リナの中でカチリと覚悟が決まった瞬間だった。ルールカの瞳に宿る、揺るぎない決意が、リナの心を強く揺さぶった。彼女は、この人に、この言葉に、賭けてみようと思った。


雪原にポタポタと涙がこぼれ堕ちる。一度堰を切ってしまえば、泣きじゃくるしかなかった。あふれ出す想い出に歯止めが効かない。悲しみ、悔しさ、そして新たな希望が混じり合った涙だった。困ったな。とルールカはリナを抱きしめてそっと抱きしめるしかなかった。その温もりが、リナの凍てついた心をゆっくりと溶かしていくようだった。


****************************************

「う〜ん。いい朝だ。」


朝日に向かって目を細めながらスドウ・セイギは1つ伸びをした。その表情はどこまでも清々しい。


「・・・」


彼が天幕の中で歯磨きをしているところに、影が1人現れた。トルーク・ファルケ。シャドウファントムのリーダーだ。眠らない彼にとって朝の挨拶は無縁の言葉のようだ。


「おはよう。ドルーク。いつもいきなりだね。で?今日はどんな情報を持ってきたんだい?」


そういって白髪の青年の口角が吊り上がった。


「・・・」


「ふむ。やはり敵は1500人ぐらいの兵力で、魔装銃の飛距離が伸びた装備をされていると、それと魔装砲か……まさに昨日の戦闘で猛威を振るっていたやつだね。」


トルーク・ファルケからの情報を確認しながら、セイギは淡々と頷いた。しかし、次の報告で彼の表情が微かに揺れる。


「ほかには……?ほう……強いサキュバスがいると?」


トルークの無言の肯定に、セイギは資料に目を落とす。そこに記された「ピンクプラチナの髪色」という記述に、彼の心臓が、戦場に似つかわしくない甘い鼓動を刻んだ。


「これが運命の仕業だとしたら、なかなかロマンチックだね。」


彼は自嘲気味に呟いたが、その瞳の奥には、確かに戦いとは異なる、ある種の期待が宿っていた。


「・・・」


戦場に似つかわしくない感情を膨らませるセイギを見やった影がため息をついた。


「こほん!と、とにかく方針は決まったよ。」


セイギは誤魔化すようにして咳払いして照れ隠しをした。


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