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マルセイザ共和国進軍

「??なにこれ?」


進軍が始まりたどり着いた先で見たものは、規律と統率の全てを失って暴徒と化した、兵士たちの姿だった。


「なにをしておる!貴様ら!責任者は誰だ!?」


シルヴィがそう繰り返して叫ぶと、やや離れた小屋から中年の士官らしき男が苦笑いを浮かべてやってくる。隊長らしきその中年男性はズボンのチャックを閉めて歩いてきた。その顔には、長引く戦いによる疲弊と、見て見ぬふりをしてきた罪悪感が入り混じっていた。


「これはこれは王女様。このようなところまでお越しくださって恐悦至極でございまする。」


「はぁ??そんな挨拶などどうでもよい!どうなっておる?」


シルヴィが言葉を荒げて言うと、その隊長はすました顔で


「今は少々彼らの戦意が高まり過ぎてしまっているだけでございまする。長く苦しい戦いの間に溜まりにたまった鬱憤を吐き出しているだけでございます。戦場ではよくあることです。もうしばらく経てば自然と落ち着いてもとに戻りまする。」


彼の言葉は、もはや詭弁に過ぎなかった。戦場の狂気は、兵士たちの心に深く根付いた『闇』を解き放った。略奪、暴行、強姦…かつては禁忌とされた行為が、ここでは『常識』と化し、彼らの人間性を蝕んでいく。これは、単なる敵との戦いではなく、己の内なる獣との戦いでもあった。


「それまではどれだけの暴挙を許すつもりだ!戦闘行為以外でも略奪、暴行、強姦はたとえ敵地だろうと禁止されているだろう。非戦闘員ならなおさらだ!ここの責任者のお前が責を問われるとは思わないのか?」


ちっと中年の隊長が露骨に舌打ちした。世間知らずだな。とでもいうように。彼の視線は、シルヴィの純粋な怒りを嘲笑うかのようだった。


「現場には現場のやり方というものがあるのですよ。王女様はこれが初陣なのでしょう?戦場とは綺麗ごとばかりですませられない・・・」


「話にならんな!言いたいことがそれだけならば、勝手に収拾させてもらう」


憮然とする中年隊長を無視して、シルヴィ王女はその隣を通り過ぎた。エリーゼたちも一切の異論もなくそれに続いた。後ろで文句を言っているようだが、誰も聞き耳を持たない。彼らの心は、もはや目の前の惨状を収拾することにしか向かっていなかった。


目の前の惨状をどう収拾させたものかと考えているシルヴィにエリ-ゼが即意見をした。


「シルヴィ王女殿下。私とルールカの隊を向かわせてください。」


「ダメだ。暴れている兵が多すぎる。」


「まだ間に合うかもしれません。重要度の高い氷族がまだ残っているかもしれません。手遅れになる前に。」


シルヴィはふむ。と考える。


「王女殿下。私からもお願いします。騎士として見過ごせません。」


「・・・よかろう。ただし、固まって動け。それと友軍だ。殺すなよ。」


その言葉に感謝して、エリーゼとルールカの隊は動き出す。効率を上げるためにある程度分担して手分けして捜索する。


「あの建物が一番大きいわ。行くわよ。」


そう言ってルールカは走り出す。部隊も皆それぞれ追随する。ルールカが先に目的地に着いたが、そのまま突っ込むことはしなかった。中にいる兵士たちが驚いて攻撃をしかけてくるかもしれない。


「味方よ。入るわよ。」


部屋の中に響き渡るような大声でそう前置きしてから扉を開けた。


部屋の中に入ったルールカを出迎えてくれたのは、下半身丸出しで仲間同士で殴り合っている狂った兵士たちだった。彼らの目には、もはや理性のかけらもなく、ただ欲望と暴力だけが宿っていた。


「俺が先だって言ってるだろうが!!」


「うるせえ!尻にも穴があるだろう!」


「てめえらの体液にまみれた穴なんざ使えるか!!」


我先にと殴り合う兵士たちの足元で、手足を縛られた少女が怯えて縮こまっている。エスエム族長の面影があるなとルールカは一瞬そう思った。その少女の瞳には、絶望と恐怖、そして人間への深い憎悪が宿っていた。


「ねぇ・・・いい加減にしなよ。おまえら!!」


ルールカの声が低く重く響く。彼女が本気で怒りを表すときはこうなることを部下たちは良く知っている。彼女の心の中では、騎士としての誇りと、サキュバスとしての本能が、激しくせめぎ合っていた。この兵士たちの姿は、彼女自身の「闇」を映し出しているかのようだった。


さすがに兵士たちも突然の乱入者に気が付いたようだ。3人いたうちの1人がルールカの階級章を見て


「・・・外からやってきていきなりほざいてくれるけれどよ。俺らは最北軍の先鋒隊なんだがな。てめえら王女様を守るためにいるだけのやつらに聞いてやる義務がどこにある?こいつは族長の娘だ。いまから拷問して情報を吐き出させるんだよ。なぁ?止める理由があるのか?言ってみろ!」


この開き直りにルールカの何かが切れた。いろんな根拠を並べ立てて説き伏せるつもりだった。実際に頭の中でそれらを考えていた。だが、


「あぁ?!」


そう威圧をこめて相手に近づくと、振りかぶった手を軽く相手の右頬に叩きつける。きわめて単純な平手打ち。つまりいつもの彼女らしくないやり方だった。その一撃には、彼女が抑え込んできたサキュバスの本能と、騎士としての怒りが込められていた。


「ぐぅ・・・」


パチンと綺麗な音を立てて相手はしりもちをついた。その兵士の顔には、驚愕と同時に、どこか安堵のような表情が浮かんでいた。まるで、誰かに止めてほしかったかのように。


「速やかにこの場を鎮圧して。」


一連の出来事を見ていた部下たちは、ルールカに言われると速やかに行動に移った。3人の兵士たちを拘束して身動きできなくする。ルールカは怯える少女に近づいてさりげなく服の乱れ具合を確認して、間に合ったようだとほっと息をついた。その安堵は、少女が無事だったことだけでなく、自身がまだ「騎士」としての心を失っていないことへの安堵でもあった。


ルールカは縛り上げた兵士たちを冷めた目で見下す。


「・・・ただの獣ね。」


その言葉は、兵士たちへの軽蔑だけでなく、自身の内なる「獣」への戒めでもあった。


保護したエスエム・アナークの娘をシルヴィ王女殿下のもとに預けると、エリーゼたちは本格的に暴走している兵士たちの鎮圧にあたった。


すぐに収まったりしなかったが、大音量で鐘を打ち鳴らすと、身体にしみ込んでいた軍人としての習慣が効果を発揮しだした。「俺、何をしている?」そう思った兵士たちが順々に正気を取り戻していき指揮官による直接の声と合わせて、どうにかこうにか規律と統率を取り戻していった。


「・・・ふぅ・・・やっと静まったか。だが、相当な被害をだしてしまったな・・・」


そこらに転がった氷族の女子供の区別がつかない見るに堪えない死体を見眺めながらシルヴィ王女はため息を吐いた。その光景は、彼女の脳裏に焼き付いたサマールルでの記憶と重なり、胸の奥底に冷たい痛みを走らせた。民を救うための「うまく負ける」という計画が、結果としてこれほどの惨状を生み出してしまったことに、彼女は深い無力感を覚えていた。


一方、その惨状をよそに、後方から戦況を見守っていたドラング総司令官が兵士たちに声をかけていた。


「よくやった諸君!氷族にはもう組織だった反抗は出来ないはずだ!!」


彼の声は、勝利の歓喜に満ちていたが、その言葉は、血と泥にまみれた兵士たちの心には、虚しく響くだけだった。空気が読めないのだなとエリーゼたちはそろって思った。彼らの視線の先には、もはや人間としての尊厳を失いかけた、獣のような目をした兵士たちがいた。彼らは、ただ命令に従い、殺戮を繰り返すだけの存在へと変貌していた。


だが、中身のない総司令官の演説にうんざりしてきたエリーゼの耳に、ふと精霊の声が届いた。1つの雪山を超えたあたりからだ。その声は、かつてないほどの悲痛な響きを帯びていた。精霊は、この地の悲劇と、これから訪れるであろうさらなる惨劇を、彼女に訴えかけているかのようだった。エリーゼがその声に気づいて、ようやくそれが警告だと理解する。それは、単なる敵の接近を告げるものではなく、この戦場に巣食う、より深い「心の闇」の到来を告げる警鐘だった。


緊急の偵察部隊を編成して、エリーゼたちは山道をひたすらのぼった。ひときわ高いところまで登りつめると、死神が住まう峰々の防壁のそこから一望できる場所だった。晴れていて絶景を楽しめた。


だが、目的はそれじゃないと探索を始める。まずは望遠鏡で見渡してみる。しかし何も見つからない。


しばらくそうして望遠鏡を眺めてそろそろ諦めようか、そんな頃合いで、目の良いレイニがそれを見つけた。


「…エリーゼ。」


「なに?何を見つけた?」


「エリーゼも見て。あ...あれ…」


レイニが震える手で望遠鏡の先を促してくるので、エリーゼはそれにならって覗き込む。彼の言う通りの視点の先を彼女はレイニと同じものをみた。


「…」


息が止まる。そこに人族の集団がいた。それも数にして万を超える軍団だった。


「本気?」


大軍の中央に旗がひらめく。真っ白の布地に1つ星。それを意味するのはマルセイザの国旗だ。それはそのまま軍隊となると、


「マルセイザ共和国軍…」


この山脈を挟んでキラエル王国とサマールル帝国が存在する。その2国の間にマルセイザという小さな国家があった。どちらにも加担せずに干渉しない。それがマルセイザという名の国のありかただった。だが、


幻覚であってほしいとエリーゼは本気で思った。


「…あの国が国旗を掲げて軍を出してくるのは、自分たちが信じる神が地上の悪と不正義を一掃する行為を代行する時だったわね?」


「こっちに向かって来ているよ…」


「…」


いつの間にか皆が望遠鏡を同じ方向を見て呟く。エリーゼは望遠鏡越しに大軍勢を見ながらうまい手だと素直に評価した。


氷族を扇動して、侵攻を遂行させる。だけれど、それはあくまでも低い可能性だと考えていた。気温が低く高低差が高い雪山だ、軍隊を動かすには相応なリスクが付きまとう。そう最北軍のようにだ。だからマルセイザ共和国を巻き込んだ。どうやってあの国をこの地に訪れさせたのかは定かではないが、確かな軍勢が迷わず向かって来ている。


「レイニ。あの軍との距離を測れる?」


「エリーゼ?」


「その結果から私たちの残された時間を計算するのよ。追い付かれる前に全軍撤退できるだけの時間をね・・・」


戦線から引き上げる。ただそれだけなら問題はない。手荷物をすべて捨てて山を滑り落ちるようにして逃げればいいだけ。でもその場合、いまだかつて経験したことがない他国の侵攻を許してしまうことになる。氷族との戦いで疲弊しきっている最北軍に満足に迎撃態勢を整えることができるのだろうか?


否だ。


結局時間がかかる。水の月の到来、全軍を撤退させて、救援が来るまでの時間・・・


「本当にやってくれるわね・・・」


苦労して仕事を片付けたつもりが、さらに積み重なって増していく。もうすべてを投げ出したくなった感情をどうにか抑えるエリーゼの表情は曇った。


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