ゴブリンとホブゴブリン
二人のミッションはまだまだ続くので退屈を感じさせる暇はない。
この日は、クランクとロールのエルフの案内で魔物の調査に出かけていた。背丈も性別も年齢もまちまちの4人組が荷物を積んだ馬と並んで原野を進んでいく。
「・・・なんだか二人と話すのって久々?」
「そうね。・・・。あれだけミッションに追われているとゆっくりもしてられないわ。」
自分たちを取り巻く環境の変化に二人は軽い戸惑いを感じていた。それを和らげようとして、積極的にエルフたちが話しかけてくる。
「二人が毎日ミッションばっかりで、こっちは寂しかったよ。」
クランクの言葉に、ルールカは微かに口元を緩めた。異世界に来てからというもの、セイギとのミッションに追われる日々だったが、こうして気兼ねなく話せる仲間がいることは、彼女にとって心地よいものだった。
「ルールカちゃんは、いつも真剣だから、たまには僕たちと馬鹿な話でもして笑ってほしいな」
クランクはそう言って、ルールカの肩を軽く叩いた。
「急に付き合いが悪くなるんだもん。もう飽きられたかとおもちゃった。」
ロールの冗談交じりの言葉に、ルールカは「そんなことないわ」と小さく答えた。故郷では決して見せることのなかった、素直な感情。彼らとの交流は、ルールカの心の壁を少しずつ溶かしていく。ルールカは、彼らとの他愛ない会話の中で、故郷の厳格な騎士団では決して味わえなかった「仲間との一体感」を感じていた。それは、個の力だけでは乗り越えられない困難があることを、彼女に教えてくれるものだった。
「全部親父のせい!」
「すみません。」
セイギの言葉に、ルールカは小さく肩をすくめた。そうこう雑談をかましながら進んでいくうちに、4人は調査の基点となる山小屋へと到着した。彼女は、この異世界で得た「仲間」という存在の温かさを、改めて噛みしめていた。
そうこう雑談をかましながら進んでいくうちに、4人は調査の基点となる山小屋へと到着した。見晴らしのいい丘の上にしつけられているだけの粗末な小屋。雨風を凌ぐだけの簡素極まりないものだった。
彼らは2、3泊の調査なので次々と荷物を運び始める。定期的にチェックしているとはいえ本当に小屋としての機能をはたしてくれるのか怪しい限りだ。それらを見越しての野営道具。留まる場所はここでなくっても問題ない。
「準備整った?ロール」
リュックを背負ったクランクが尋ねる。その後ろで水を飲んで一息ついていたロールが、え?と一瞬顔をこわばらせた。
「・・・もう?」
「当たり前でしょ。早いにこしたことはないよ。」
顔が急に険しくなる同僚に、ロールはおそるおそるむきあい。
「もうちょっと・・・まって。」
早くしなさい!とチョップを受けるはめになった。
「あ~ぁ」
二人が小屋から離れて行く背中を窓から眺めつつセイギのため息。残しっていった救命弾、子供二人分と予備の荷物。「奥に行ってくるから留守番していて」そう言い残して早々に出かけて行った。
「今回の魔物はゴブリンなんでしょう?私たちもここで何かできないの?」
「ないこともないけど、ここから異常がないか見張っていればいいだけだから。ただ、ほら見ればわかるように」
気が抜けた声で話しつつ、セイギは窓の外に広がる光景を示す。森林が広がっているだけで特に目新しい興味をひくものがない。
「この辺りにゴブリンが見つかってさ。今回の調査は、この辺りにゴブリンが集落を作ってないかの確認なんだよね。僕としてはここで待っているよりも一緒に探し出して追い払いたいというか」
「子供なんだからしょうがないじゃない。危険なところにわざわざ連れていっても足手まといにしかならないわ。とにかく今夜の分の薪を整えるわよ。」
「え~・・・それもそうか。じゃあ薪を準備してくるから君は斧を持ってきてよ。そこ入って右に確か斧があったはず。」
そう伝えると一旦彼女と別れて、セイギは小屋の裏側に向かった。回り込むとそこには積みあがった薪がすぐに目に入る。が作業台となる切り株が見当たらない。
「あれ?ここになかったっけ?」
きょろきょろと辺りを見渡して探して歩いているとふいに躓いた。起き上がってその原因を見下ろせば枯れ葉に埋もれた切り株だった。
「なんだ埋もれちゃってたのか。」
手足を使って周りから枯れ葉をよけていく。その作業を続けていると、後ろから枯葉を踏みしめる音がした。自然とルールカが来たものだと考えてセイギは口を開いた。
「ちょっと待って。切り株が埋まっててさ・・・」
切り株の前にしゃがんだまま、セイギは振り返り、そして涎を垂らした酷く汚れた全身を緑の肌をもつ小鬼と視線を合わせた。
「え???」
#
「いくらなんでも大きいでしょう。とれないわ。」
壁に掛かっている斧を眺めつつ、ルールカはため息をついた。
「大人しか来れない場所ってことはわかるけどそれにしてもデカいわよ。・・・小斧はないのかしら?」
そうそうに諦めてごそごそと周囲を探しだす。無駄に物が多い小屋らしくあってもおかしくはないのではないか。そう考えていたところに、裏手から声が響いた。
「コブリンだ!」
聞こえた瞬間。彼女は間髪いれずに小屋を飛び出していった。右手にはしっかりと小物を握っている。冗談とは思えない緊張感を帯びた声だった。
駆け足で小屋の裏手に回ると、顔をこわばらせたセイギの正面で、1体のゴブリンが醜悪な顔でニヤっと笑った気がした。彼女は息をのむ。余裕をもってこちらの様子を楽しんでいる。そんな佇まいだ。
「しっ」
とっさの判断でルールカは小物を投げつける。突然の奇襲にコブリンは慌てて飛びのき、そのすきをもってセイギを助け出してそのまま全力で滑り込むようにして小屋に飛び込んだ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
扉をしめて鍵をかけながらセイギは息を整えようとする。その間にルールカは窓に駆け寄り、外の様子をうかがった。
「いきなりゴブリンが出てくるとは思わなかった。」
「僕だって思わなかったさ。もっともっと奥の方で発見されていたんだよ。」
ルールカに視線をやりながらセイギは言った。その瞬間、外を見ていたルールカの表情が険しくなる。
「・・・やっぱり1体だけじゃないみたい。」
それを聞いたセイギは彼女の隣から外の様子をうかがって、息を飲む。1、2,3,4体。ここから見えるだけでゴブリンが小屋の周りをうろついているのだ。
「まずい・・・かも?」
口元を引きつらせてセイギはつぶやいた。その隣のルールカも口元をきつく結んだ。
体感的に2,3時間は経った。救命弾はすでに撃っている。にも拘わらず二人が小屋に立てこもってからそれだけの時間が過ぎ去っている。だというのに一向にクランクとロールが戻ってくる様子が見えない。そして救命弾に最初は驚いて警戒感をもっていたゴブリン達は次第に余裕を取り戻し、今では楽しんでいる素振りも見える。
「どう料理しようか?そういうこと?」
窓際に立ったルールカがつぶやく。彼女の心はすでに臨戦態勢をとり、その腰には長さが異なる2本の剣が差してあった。もしものときを予想しての備えだったが、まさかの展開だった。しかし、相棒のセイギの方は今一つ腑に落ちない顔をしている。
「・・・おかしいな。本来ゴブリンは知恵がまわらない魔物のはずなんだ。斥候みたいな真似はしないし、救命弾で驚いて逃げ出してもいいはずなんだけど・・・」
「とにかく、向こうが去ってくれない以上、対策を考える必要があるでしょうね。この小屋はお世辞抜きにしても頑丈には出来てないから、力任せに破られてしまうこともあるわね。それに時間の問題も・・・」
「・・・わかっている。このまま夜を向かえば不利になるのは目に見えている。」
今までで最大の危機感をこめてセイギはいった。ルールカもそれにうなづく。
「こちらは2人. そして向こうは10体。数の上でも負けて夜目が効かない僕たちが小屋から出たら右も左もわからなく逃げられたとしても迷子になるかもしれない。」
「ゴブリンは強い者たちは襲わないけど、弱い生き物には容赦がないと聞くわ。このまま立ち去ってくれるなんて希望は捨てるしかないわね。」
彼女の気配が鋭さを増す。そんな彼女を見てセイギは真剣に尋ねた。
「今までゴブリンと戦ったことは?」
「ないわ。獣はいるけどさすがに魔物は初対面よ。1体ならなんとかできる自信はあるけど10体・・・それに」
窓の外に視線を戻しつつ、ルールカは続ける。
「ゴブリンの中にひと際大きい個体がいるのよ。たぶんホブゴブリン。あの1体だけは他と違うわ。強さと知恵が備わっている。1対1でも勝てるかどうかといったところかしら。」
騎士の目から見た冷静な戦力分析に、セイギは軽くわらってみせる。
「・・・よかったよ。君、じゃあちょっと片付けてくるとか軽く言って本当に飛び出してたりしそうだったから。」
「失礼ね。これでも女の子やってるのよ。期待を裏切って悪いわね。」
「だから安心したんだって。僕だって一人じゃ勝ち目ないよ。でも君と僕で2人いる。」
軽い口調でそう言うと、部屋の中を少年は改めて見渡し始めた。
「こっちの武器は、まず君の2本の剣と部屋に置いてあった弓、それ用の矢が20本。他には雑然とした日用品と食料品ってところかな」
今ある物資を把握して、そこから出来ることを想像して、セイギがルールカに向き直る。
「今回のミッションは小屋を包囲しているゴブリンの殲滅。これを僕と君でやり遂げる。最終的にはクランク達と合流する。期限は朝日がのぞき来るまで。異論は?」
その方針を聞いてルールカは迷わず首を縦に振った。
「ないわ。作戦を立てましょう。」
やがて夜が訪れた。
そして小屋の扉がゆっくりと開いていくと同時に小屋の中を照らしていた灯りが漏れ出していく。外ではざわめきに似た騒動が起こったが次第に収まっていく。
「近づいてきた」
臨戦態勢に入った小屋の中、扉に向かって左側の壁を背にルールカが小声で警告した。反対側のセイギはそれを聞いてうなずく。
「早めにきた。くるわ。」
ゴブリンの群れが押し寄せる中、ルールカは冷静に状況を見極めた。短剣で敵の注意を引きつけ、その隙にセイギが仕掛けた魔法の罠へと誘導する。一瞬の閃光の後、爆炎が轟き、敵の陣形は崩れた。彼女は迷わずその間隙を突き、二本の剣が舞う。それは、力任せの攻撃ではなく、計算し尽くされた流麗な剣技であり、敵を翻弄しながらも確実に仕留めていく。剣が敵の肉を断つたび、背筋を駆け上がるゾクリとした快感に、ルールカは微かに唇を湿らせた。
頭では次の攻撃を冷静に分析しながらも、胸の奥では、この『狩り』を終わらせたくないという甘い誘惑が渦巻いていた。敵の断末魔が耳朶を打つたび、ルールカの心臓は高鳴り、その音はまるで甘美な調べのように彼女の魂を揺さぶる。眼前に広がる血飛沫の舞いは、彼女にとって抗いがたいほどに魅惑的で、その瞳の奥には狩人としての純粋な愉悦が宿っていた。彼女は、ゴブリンたちの恐怖に歪む顔を、まるで芸術作品を鑑賞するかのように見つめ、その命が消えゆく瞬間を心ゆくまで堪能していた。
罠にかかった仲間に続いて複数のゴブリンにも容赦なく剣を突き刺す。苦痛に悶える声が闇中に響き渡ったことで警戒心を強めたゴブリン達は正面から近づいてこなくなった。
「6体始末したわ。」
「ホブは?」
「いないわ・・・」
ルールカの言葉を遮る形で小屋の裏手の壁が激しく軋みを上げた。二人がそちらを振り返るのは同時だった。
「まさかこっちは陽動だったわけ?」
一旦この場を離れてセイギは攻撃を受けている裏手に向かう。ルールカはどうするか迷ったその瞬間、ふと気配を感じて扉の方を警戒した。
闇の奥に目を凝らす。するとわずかな月明りのもと、小屋から離れた位置からひときわ大きなゴブリンが走り出すのが見えた。この中で一番の体格をほこるホブゴブリンだ。
「これが本命?!」
扉の手前で跳躍した。その刹那の一瞬でルールカは内開きの扉をけって閉じる。
扉に阻まれる形でホブゴブリンの侵入は辛うじて食い止められた。
「危なかった・・・そっちは大丈夫?」
「とりあえず補強してみてる。」
木材を引っ張り出してセイギが叫ぶ。
それを聞いたルールカは扉から視線をそそいだままだった。
ややあって、魔物の気配が薄れていった。
「ひとまず撤退するようね・・・」
窓から外をうかがいつつルールカは言う。時間にしてわずか数分間の攻防戦。想像以上の濃密な戦いだった。
「あれで引いてくれるとおもう?」
裏手の壁を補強しつつ、ルールカにそう聞いた。
「こちらに戦う意思があることはゴブリンには伝わったはずよ。あとは、・・・ゴブリンの性格とプライドで決まるでしょうね。」
作業を手伝いながらルールカは答えた。
「プライドなんかあいつら持ってるのかな?ホブは知恵が回るみたいだけど。」
「あれで引かないとしたら次はどんな手を使ってくるのか・・・。」
警戒感を口に出したその時にお腹の虫がくぅ~と鳴り響いた。
「・・・そういえば何も食べていなかったわ。」
「飯にしよう。お腹がすいていては戦もできない。」
頷きあうと、二人はリュックの中から出したパンにかじりついた。
「この戦いは他に終わらせえる方法はないのかな?」
「あるとすれば私たちが凌辱されて犯されて孕むまで続いたあとだけね。」
あくまでも冷静にル-ルカは現実を語る。それを聞いた途端、セイギは租借していたパンを喉に詰まらせて慌てて水を飲みこむ。ごくりと盛大に喉がなった。
「僕は男だよ!それはあいつらには関係ないか。しょうがない向かってくるのなら本気をだそう。」
月が中天にかかったころ、小屋の灯りがふっと消えた。
「肩に当たったけど足止めにもならなかったわ。」
「うん。了解。」
真っ暗な部屋の中に、緊張感を帯びた二人の声が響きあう。
窓から小物を放ったルールカの一投がゴブリンにあたったけど向かってくる速度は落ちなかった。
ランタンを消したことで、屋内と屋外の明暗が逆転している。ゴブリン達は小屋の中が見えないが、2人には月明りで外の様子がよくわかるのだ。敵を狙い撃つには調度いい条件だった。
「もう1体が壁際まで寄ってきたわ。そっちは」
「胸に矢が刺さっているんだけど、こいつ構わず向かって走って・・・うわ!!」
どん!すると小屋が衝撃で揺れた。思わずしりもちをついたセイギが慌てて立ち上がる。
「壁にぶつかってきた!強引に突き破るつもりだ」
状況を報告しあいながらも2人は慌てず様子をうかがい続ける。すると予想通り大量の糸でがんじがらめになって、突っ込んできたゴブリンだが動きが取れずに自由を失っていた。
先の攻撃で同じところを狙ってくることを読んで、仕掛けておいた罠だ。
セイギは弓矢を手にもった。
「読み通り。」
狙いを定めて何度目かで、つんざくような断末魔をあげたゴブリン。
「・・・」
家畜や獣なら何度も見たし、自分で殺したこともある。だがそれとは全く違う感覚。こみあげてきた吐き気を必死に飲み込んだ。
「・・・君は、さっき同じ経験したはずだよね。」
背後の彼女にむけて思わず口にしてしまった。生活のために行われる殺しと、互いに殺し合いの中でなされる殺害。この2つの違いをまざまざと思い知らされていた。
「・・・なに?何か言った?」
「なんでもない1体仕留めた。残り3体。」
感傷を振り切ってセイギは弓矢に力をこめる。
「屋根に乗られたわ。警戒して。」
ルールカの警告にセイギは驚きに目をむいた。
「噓でしょ?簡単に飛び乗れるような高さじゃないよ。」
「事実なんだから受け入れなさいよ。ホブよゴブリンとは違うのよ。」
そう言ってルールカは腰に差していた剣に手をかけて屋根を睨みつける。
「くる!」
屋根の板をぶち抜いて巨躯のゴブリンが小屋の中に躍りこんできた。着地を待たずにしてセイギに襲い掛かる。
「し!」
すかさず彼を引き倒して紙一重で逃れさせ瞬時に剣を抜いて、真っ向から対峙した。
「セイギ!」
「うん・・・わかっている。」
場所が狭い屋内であることもあって、こうした限られたスペースでは満足に力を発揮できない。それはホブゴブリンも同じようで、じりじりと立ち位置を変えるだけでにらみ合いで止まっている。
そうこうしているうちに小屋の正面と裏側から木材をたたき割る音がべきべきと響いてくる。残りのゴブリンが屋内に侵入を果たしたようだ。
次第に近づいてくる足音を尻目にセイギは一本のロープを引いた。
途端に天井から大きな袋が3つ落ちてきた。ホブが寸前のところでそれを躱している隙をついてルールカとセイギは走り出す。
向かった先は壁沿いにある大きな机。その側面に板が立てかけてある。それを外せば小さな入り口が現れてそれに飛び込んで入っていく2人。
「作戦通り・・・」
手狭な空間、避難所の中、動悸の治まらない胸に手を当てながらセイギはそうつぶやいた。
「ゴブリンにここまで追いつめられるなんて思わなかった・・・あのホブ、もしかして言葉が通じるじゃない?」
「あんた・・・余裕がなくなるとよく無駄口が増えるわよ。」
「冷静に指摘しないで、泣くよ僕。」
「まぁ正直怖かったわ。」
ため息まじりに本心を吐露するルールカ。
「残りの策は1つだけ。これで失敗したら後がないわ。」
「やることは簡単。でもプレッシャーが半端ない。」
彼の言い方にルールカはくすりと笑みをこぼした。
「失敗なんて気にしない。もしダメだったら私がなんとかしてみせるわ。」
騎士の家系で生まれた者としてのルールカは揺るぎない気持ちを告げた。だが、それを聞いたセイギは顔をしかめて彼女を見返す。
「なにそれ?そんなの作戦にはないよ。」
「どうしようもなくなった時の話よ。二人とも死ぬよりは片方が生き残るほうがいい。わかるでしょあんたなら。」
たしなめるような口調でルールカは語る。それでカチンカチンときて彼は感情のままに声を荒げた。
「違う!二人で一緒に帰るのが当然で他の選択肢はない。そんな簡単なこともわからないの君は?」
ルールカの言葉は、騎士としての揺るぎない信念に裏打ちされていた。しかし、セイギの次の言葉が、彼女の胸に鋭く突き刺さる。
「はぁ?!被害を最小限で済ませるためには厳しい判断が必要だってあるじゃない。」
「ふん!いざとなったら自分一人犠牲になればいいなんて安易な判断というんです。っていうか勝手に僕を生き残らせる方向にしないでほしいな。」
セイギの苛立ちと、自分を犠牲にしようとするルールカへの反発が露わになる。彼の言葉は、ルールカの騎士としての覚悟を揺るがすには十分だった。だが、セイギはそこで終わらない。
「あんた何言ってるの?これまでのミッションで何を学んだのよ?」
ルールカの問いに、セイギは狭い空間の中で、彼女の両肩を掴んだ。その手には、これまでのミッションで培われた信頼と、彼女への揺るぎない想いが込められている。彼の瞳は、ルールカの迷いを射抜くように真っ直ぐに見つめ、続く言葉に全力を込めた。
「きまっているじゃないか!たった一つ!」
彼の声は、狭い空間に響き渡り、ルールカの心臓を直接揺さぶる。
「君と僕で一緒にやれば、どんな状況でも環境でもなんとかなるってことじゃないか!」
その言葉は、ルールカの騎士としての信念と、セイギとの絆の間で激しくぶつかり合った。一瞬、彼女の脳裏には、過去のミッションでセイギと共に困難を乗り越えてきた記憶が鮮明に蘇る。彼の言葉は、単なる感情論ではなく、共に戦い抜いた経験に裏打ちされた真実だった。
ルールカの瞳が、セイギの熱い視線と交錯する。その瞬間、彼女の中で何かが変わった。一人で背負い込もうとしていた重荷が、セイギの言葉によって、分かち合えるものへと変わっていく。それは、騎士としての新たな覚悟であり、セイギという存在が隣にいるからこそ得られる、揺るぎない強さだった。
彼女の口元に、微かな笑みが浮かぶ。それは、セイギの言葉を受け入れ、彼と共に未来を切り開く決意の証だった。
「そうまでいうのだから勝ち筋は見えているんでしょうね。」
「当然さ。君はどんな時にでも僕という頭を前提に行動に映してほしい。」
確信に似た感情をもってセイギはうなづく。その言葉にルールカはほっとその心地良い感嘆の息をついた。
「騎士として育った私の判断は間違っていたと謝るわ。思えば、私とあんたの間柄には関係なかったわね。」
あなたが初めてね。という言葉を飲み込んで目の前の彼に応えるようにして口角を吊り上げる。
「私が身体というのなら、頭のあんたは常時考動しなさいよ。」
「任せなさい。考えるのは得意さ。」
互いの表情は見えずともどんな感情なのか手に取るようにわかる。弱気が拭い去れた今、ルールカは先ほどとは違う覚悟を固める。彼女の胸には、セイギと共に戦い抜くという揺るぎない決意が満ちていた。それは、己の剣で守るべきものを決して見捨てぬという、騎士としての誓いを体現する覚悟だった。そして、その決意の中には、セイギへの深い信頼と、彼と共にいることへの、抗いがたい「甘い喜び」が確かに存在していた。それは、騎士としての厳格な自己と、サキュバスとしての奔放な自己が、セイギという存在によって初めて調和し始めた瞬間だった。彼女が「もう一人の自分」を受け入れる過程で、セイギという存在がどれほど大きな影響を与え、彼女の心を解放したかを物語っていた。
「それなら負ける気がしないわ!」
セイギが小屋に向かって、小さな火の魔法を放った。それは小麦粉が充満した空間で恐ろしいほどの爆発を巻き起こし、小屋は轟音と共に弾け飛んだ。
直後、全身を使って出口を塞いでいたがその場を離れる。小屋を挟んだ反対側でもルールカが同じように行動していた。
ばぁん!!
という破裂音と共に小屋が爆発する。小麦粉を使った粉塵爆発。放った魔法はわずかな小さな火だが、恐ろしいほどに爆発してはじけ飛ぶ。
二人は固唾をのんで見守っている。小屋はあと形もなくなり燃え盛る火炎と同時にゴブリンの絶叫が重なって上がる。いまや火炎に逃れる術はなく、それでも燃え盛る火の手は止まらない。どれほど強靭な肉体をもっていたとしても耐えられるとは想像ができない。
徐々に勝利を意識し始めたところで二人の耳を、突然の破砕音が激しくたたいた。
「「!!??」」
セイギがルールカが見張る小屋の表、裏手側ではなくその側面からその音は響いてきた。すぐさま2人は様子を見に走ると、ホブゴブリンが炎壁を突き抜けてくるところだった。
皮膚のあっちこっちが焦げて黒ずんだその姿にセイギは今度こそ舌を巻いた。あの状況下でこのホブゴブリンは炎の威力が緩むのをじっと待っていたのだ。焼けば焼き付けるほど建物は燃え尽きる。熱と煙を限界まで待ちここぞというタイミングでもっとも緩みが激しい部分に突撃してきたのだろう。そうしてホブゴブリンは生還してのけた。
憎悪に塗られた表情と瞳が2人に向けられる。その殺気に背筋が粟たつのを感じつつもルールカは武器を構えた。
「ギャア!」
恐れと動揺が生んだそのすきをホブゴブリンは見逃さずに踏み込んできた。
「し!」
斬撃を放った直後、胸に灼熱が走る。ホブゴブリンがその原因を知る前に、まるで事前に約束された流れでピンクプラチナの少女が傍らを走り抜けていった。途端に体制がぐらついて傾いた。
「生きていたわね・・・」
ルールカは剣を鞘に納めて安堵の息をつく。生き残っていた場合にあらかじめ行動をきめていた。ホブゴブリンは怨嗟の感情を伴って2人を見て取ったら必ず攻撃に移るだろうと予想出来ていた。
知恵が回るだけに想像ができる。きっとこの火炎で生き残った自分に恐怖を抱くだろうと、そのわずかなスキに最大の攻撃をくらわして襲ってくる。
行動が予測できるのなら対処になんら問題はない。必殺の攻撃を放つ時は動きが単調になりやすい。なのであとは段取り通り動きを取ればいいだけ。
「あーあ。本当に生きているとは思わなかったよ。」
ごうごうとまだ燃え盛る小屋を前に肩をすくめてセイギは言う。立ち上る炎の勢いは激しさを極めていた。水も道具もない子供2人には出来ることは何もない。ただ見守るだけだ。
「強敵だったとはいえ小屋ひとつ焼いちゃったわ。」
「君と僕が無事でいるのなら謝ることなんてなにもないよ。それに建て替えの機会が巡ってきたと思えばいいんだよ。」
何の負い目もない口調でセイギはいいきった。
「さて・・・と、すぐにクランクとロールが迎えに来ると思うけどそれまで休もうか」
「そうね。」
そう言うと二人は互いに背中を合わせて座り込んだ。
「ねぇ。ルールカ。この戦いで高揚した?興奮した?もしそうなら、やっぱり君は騎士以外の生き方があるとおもう。」
「・・・」
「ゆっくりと考えてみてほしい。今日僕がこういったことを覚えているだけでもいい。これだけ衝撃的なら忘れないだろう?」
燃え盛る小屋を横目にセイギが笑った。その言い分が楽しくなってルールカは口元を緩めて答えようとした。でもできなかった。
「・・・っ」
ふいに子宮あたりから電気のようなシビれが頭の天辺まで駆け上がる刹那の感覚。たどり着いた先には頭の中が真っ白になり意識がそこで途絶えた。その瞬間、彼女の背中に生えた小さな羽が、まるで共鳴するように微かに震え、尻尾の先端がぴくりと跳ねた。それは、ゴブリンとの死闘で沸き起こった「愉悦」が、彼女の身体の奥底に眠る「もう一つの自分」を覚醒させようとしているかのような、予兆だった。そして、その高揚感と共に、ルールカの瞳には、微かながらも人を惹きつけるような妖しい光が宿り始めた。それは、彼女自身も気づかぬうちに発現し始めた、サキュバスとしての「魅了」の萌芽であり、ゴブリンとの死闘という極限状態が、彼女の内に秘められた本質を完全に顕現させた瞬間であった。
その後、駆け付けてきたエルフと合流し、ルールカをかついて急いで村へと帰還する。彼女が眠っている間に大方の事情をセイギが説明した。
ゴブリン相手なら2人で対処できるだろうと、クランクとロールが監視のもとにいたとはいえ2人を危険な目に合わせたあげくルールカに怪我はないとはいえ気絶させるほどの事態にユウキ達は、考えが足りなかったと軽率だったと大いに責任を感じて悩ませることになった。
ところが、そんなユウキ達に謝れると、目覚めたルールカとセイギは、自力で窮地を脱したことを褒めてほしい。もっとミッションを増やしてほしいと口に出して言い、2人は同じ気持ちを伝えた。
時間というものは充実しているときには、あっという間に過ぎ去る。異世界での三ヶ月は、ルールカにとって、これまでの騎士としての人生観を大きく揺さぶるものだった。鍛錬と規律に縛られていた日々とは異なり、ここでは誰もが自由な発想で「遊び」を追求し、それが新たな発見や技術へと繋がっていた。セイギとのミッションを通じて、彼女は己の剣が守るべきものだけでなく、共に困難を乗り越える「絆」の温かさを知った。ゴブリンとの死闘は、その絆を確固たるものにし、同時に彼女の内なる「狩人の愉悦」をより鮮明に意識させる経験となった。
ささやかなとはとても言えない大げさな送別会が開かれ、村人たちはルールカの旅立ちを惜しんだ。温かい言葉と笑顔に包まれながら、ルールカは胸の奥に、故郷とは異なる「もう一つの居場所」ができたことを感じていた。村の出口、光の橋を前にしたセイギとの別れは、寂しさとともに、再会への確かな期待を抱かせた。
「次に会ったとき、今より弱くなっていたら許さないわよ。」
「ふふん!将棋では勝負がつかなかったからね。次会うのを楽しみにしててよ。」
ルールカの留学を終えてから半年、アンチュア邸での生活は以前と変わらぬように見えた。朝を告げる鳥の声と共に鍛錬に励み、書斎で知識を深める。しかし、その内側では、異世界で得た経験が静かに、だが確実に彼女を変えていた。剣を握るたび、獲物を追い詰めるような甘美な衝動が胸に去来し、それはもはや「騎士の矜持」だけでは説明できないものとなっていた。
特に、夜は彼女にとって試練の時だった。帰宅したその夜から、何度も同じ夢を見た。血と歓声に満ちた戦場。剣が敵を両断するたび、胸の奥から甘美な熱が込み上げ、全身を駆け巡る。それは、これまで感じたことのない、抗いがたいほどの快楽だった。目覚めるたび、もやもや悶々としたやるせない感情が彼女を包み込んだ。身体と頭の中に直接響いてくるように、不満と欲求が訴えかけてくる。
「これは、私が知る『騎士の矜持』とはあまりにもかけ離れた感情。どうしたらいいの?どうしろと?」
鏡に映る自身の姿を見つめ、ルールカは自問自答を繰り返した。あの異世界で、セイギと共に困難を乗り越えた記憶は、彼女に新たな価値観を与えた。しかし、同時に、自身の奥底に潜む「もう一人の私」の存在を、より強く意識させることになったのだ。それは、抗いがたい甘い誘惑であり、時に彼女を混乱させた。
……夜明け前の鍛錬でさえ、あの時の血の匂いが蘇る。剣を振るたび、獲物の断末魔が聞こえるような錯覚に陥る。これは、本当に私なのか?
ルールカは、冷たい鏡の向こうに映る自分の瞳を見つめた。そこには、かつての純粋な騎士の誓いとは異なる、冷酷な光が宿っているように感じられた。故郷の厳格な規律と、異世界で味わった自由と「愉悦」。そのギャップは、彼女の心を深く蝕み、同時に抗いがたい興奮を呼び起こしていた。騎士として生きるべきか、それとも、この内なる「もう一人の私」を受け入れるべきか。その問いは、彼女の魂を激しく揺さぶり、夜ごとの夢の中で、血と歓声に満ちた戦場が、彼女を甘く誘惑し続けるのだった。彼女は、この新たな感情に、もはや抗う術を失いつつあった。
そんなある日、ギートルクの元に一つの報せが届いた。異世界人の村に繋がる魔法陣をはじめ、国外に移動できる魔法陣はすべて封鎖、閉鎖されたという。その言葉を聞いた瞬間、ルールカの胸に鋭い痛みが走った。
(ああ、もうあの村には行けないのか……)
脳裏に鮮やかに蘇るのは、セイギとの思い出だった。初めて食べたカレーの衝撃に目を丸くした私を見て、彼が楽しそうに笑っていた顔。ハチの巣を取るミッションで、私が「騎士とは、己の剣で守るべきものを決して見捨てぬこと」と語った時、真剣な眼差しで「君の言うとおりだ」と応えてくれた彼の横顔。ゴブリンとの死闘を共に乗り越え、「君と僕で一緒にやれば、どんな状況でもなんとかなる」と、私の手を握り締めてくれた温かい感触。風呂場で「君はすごく綺麗だと、思う」と、照れながらも真っ直ぐに伝えてくれた、あの甘く熱い言葉……。そして、別れの時、光の橋を前にして交わした、再会を誓う約束。セイギの真っ直ぐな瞳が、私の心に深く刻まれていた。
再会の望みが絶たれた瞬間、ルールカの胸には、言いようのない喪失感と、そして、自身の内なる「何か」への渇望が、より一層強く渦巻いた。彼女は、この半年間、自身の変化と向き合い、やがてその「もう一人の私」を受け入れる覚悟を固めていくことになる




