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怠惰なエルフ

おそらく精霊たちも同じ感覚を味わったのだろう。一斉に動きが止まった。


濃密な死の気配が漂ってきた。


ゆっくりエルフのような者が立ちあがっていた。


あれだけの大きな魔法を受けたというのに、立ち上がるその黒いエルフには負傷の跡が見当たらない。それどころかあっちこっちについていた汚れが綺麗になくなっている。


ぐるりと周囲を睥睨する黒いエルフのその理性を宿さない虚ろな瞳。


「ちっ・・・めんどくさいな・・・」


ため息。それは本当に心の底から何もしたくないような。鬱々としたそんな声だった。


刹那だった。


身をひるがえし、風に乗ったシルフが黒いエルフに突進。立ち上がったばかりの黒いエルフが反応するよりも先に、その風が黒いエルフの額に


「ドンッ」


と重い音を立てて直撃した。さらに追撃とばかりにノームの岩が地鳴りのような轟音と共に、ウンディーネの水流が鋭い飛沫を上げて襲い掛かった。次々と叩きつけられ、黒い血が舞い堕ちる。


「はぁ…」


ため息を零す黒いエルフ。しかし、恐ろしいのはそこからだった。受けたはずの傷が、まるで時間が巻き戻るかのように見る間に塞がっていく。散ったはずの血が、ゾワリと肌を這い戻るような感覚で元に戻っていくのだ。腕がもげ、首と胴が離れ、内臓が飛び出しても、肉が蠢く不気味な音と共に、瞬く間に元通りになる。その悍ましい光景に、エリーゼは思わず息を飲んだ。


エリーゼはその光景に魅入ってしまった。


今、攻撃に加えなくってはいけない。そうしなければ、殺されてしまう。そんな危機感を抱いているのにも関わらず、その勇気が出ない。


「・・・悪魔?」


どれだけ血を流そうとしてもそのボロボロの衣服が汚れることはない。


完全に飲まれてしまったエリーゼとは違い、精霊達の猛攻は続く。どこかに弱点がないのか?探すようにしてあらゆる方向から攻撃を積み重ねていく。


オウルベアの群れはすでに崩壊している。生き残っていたものはこの黒いエルフを攻撃する精霊たちの攻撃にさらされて骸となっている。


変わらぬ状況の中、魔力が高まる気配を感じた。それのもとは黒いエルフ。


その魔力の高まりは、視界に映る光景が歪みねじれて見える。魔力の危険度がわかるのだろう。振り返る精霊たちがその脅威からエリーゼを守ろうと動き出した。


しかし、それをあざ笑うかのように黒いエルフはエリーゼに直接魔力を放て来た。


「!?」


動揺した。さしもの精霊達であっても、エリーゼの命の危機には度肝を抜かれたらしい。


感情をみせることのないその表情から、悲嘆にくれた顔が現れる。


そんな感情も持っているんだ。などと意識の傍らで思った。


「闇の精霊。シェイド。」


その時に得た感情のことは今でも深く覚えている。


見慣れた景色が炎であぶられて、見知った人々が灰となり塵へと変わっていく。


終わっていく世界、閉じられた世界、先が見えない世界。


不条理で、理不尽で、荒唐無稽なそんな世界。


手を伸ばし、足を動かし、唇を震わせて、祈る。


そんな救いようのない世界であったとしても、生きている。


ずっと、ずっと与えられるだけの世界だった。


それがふいに取り払われて、広がった世界の眩しさに目を細めて、肌を焼く炎の熱さと、焦げ付く肉が焼ける異臭、空を舞うその赤さに、その瞳が記憶に刻みつけて・・・


もうなくなってしまったあの世界の中で自分が何をしていたのか?


あの時に得てしまった感情を、今も覚えているから・・・


それからの彼女の日々は全て、その感情への償いだけで生きてきた。そして、その償いの中で、彼女は無意識のうちに、再び深い絆を結ぶことを避けるようになっていた。女性への本能的な衝動は抑えられないが、それが「家族」という形に発展することだけは、決して許されない。それが、失われた里の記憶と、二度と味わいたくない喪失感から、彼女自身を守るための唯一の術だった。


エリーゼが意識を取り戻したとき、彼女の足は地面についていなかった。


お腹のあたりに生暖かさと硬い感触が伝わって来た。乱暴でその扱いにはとても人が乗ることを前提としているとは思えない。


それもそのはずで、その背中の持ち主は、今は逃げることに必死で、それ以上のことに気を回している余裕はなさそうだった。


「サラマンダー。早く!遅い!!」


「お前ら!呼んでおいて・・・。」


聞きなれた声と、聴きなれない声が間近で怒鳴り合っている。


激しく上下に揺さぶられながら、エリーゼは意識を頭を振って取り戻す。そして、


「・・・サラマンダー?」


「!やっと目を覚ましたか!!エリーゼ」


飛びながら歓喜の声を上げて、サラマンダーがこちらを振り向く。


恨めがましい瞳を見て、エリーゼはその状態の酷さに思わず頬を引きつらせる。


傷ついているのか、滴る血が飛んでくる。体中のあちこちに傷があり、そこから血が溢れている。満身創痍。エリーゼを守って乗せているのが原因か。


「・・・エリーゼ。よかった・・・」


隣で並んで飛んでいるのは風の精霊シルフだ。


彼女はほんのわずかにだけ微笑んで感情を見せる。


その直後、


「!」


魔法が放たれ、それを回避するためにそれぞれの精霊が避ける。


それらを見つめていて、エリーゼは今の事態に思い至った。


どうしてサラマンダーが何のためにこんな場所までやってきているのか?


「エリーゼ!」


「!?」


がつんと尻尾で頭を叩かれた。


いきなりの事態に頭の中が混乱している。そんな彼女に。


「シェイドを呼んだな?」


「・・・はい。」


あの時に咄嗟に思いついたことだった。闇の精霊はすなわち影だ。シェイドを召喚することによってエリーゼの存在は影となり、あの場をやり過ごすことができた。そのかわりまだ闇精霊の耐性が整ってないゆえに代償として意識を失ったということだ。


「闇落ちしてもおかしくなかったのだぞ?」


ちらっと追いかけてくる黒いエルフを見てサラマンダーは睨んだ。


「ダークエルフ・・・お前はそれを望むのか?」


「望まないし、私は堕ちない・・・」


「それは確信があったからなのか?結果論で言うなよ。そして4大精霊と契約もしていないのに闇の精霊に関わるな。」


サラマンダーのしっ責に、エリーゼは受け止めるしかない。


助けを求めて周りを見渡すが、あいにくと3人の精霊たちは静観するつもりなのか、口も挟まないし動かない。


サラマンダーはそんなエリーゼを無視して、


「いいか!だから4大精霊と契約しろ。」


「契約・・・」


「そうだ。今から契約を結べ。難しいことではない。我らに名前を与えてくれればいい。」


「名前を付けるだけでいいの?」


「お前にはそれだけの価値はある。シェイドを呼んだおかげで時間の精霊とも繋がった。とにかく・・・時間がない。早くしろ。」


飛びながら後ろを振り返り、その視線が強い緊張感に細められる。同時に攻撃に備えて避ける態勢を整える。


急かされて「うーん」と長い唸り声をこぼし、


「サラマンダーは。イグナイト。ウィンディーネはレイン。シルフはセレス。ノームはクレイ。」


「成立だな。」


直後、精霊たちが光輝いた。それは発生源である精霊たちを中心にして周囲の全ての闇を包み込んで漆黒の森を照らした。


「イグナイト!」


光が収まり、火の精霊の名を呼ぶ。すると突如、空から降り注いだ炎弾が追いかけてくる黒いエルフに直撃した。その衝撃は高熱を伴い地面が爆ぜる。


エリーゼの目の前で黒いエルフが焼き焦がれていく。


その黒いエルフが丸ごと炎に包まれて、全身を振り乱しながら苦痛を露わにしている。再生速度が追いついていない。時間が経てばたつほど炎の勢いは増していき、やがて不死身だと思われた黒いエルフは大地に堕ちる。


それでもまだもがいていたが、やがてそれも収まり、最後には黒ずんだ痕だけが残されていた。


思いがけない精霊の力。慈悲をまったく感じさせない圧倒的な存在感。


「おぉと、やりすぎてしまったようだな。ははは。」


火の精霊。イグナイトはより力強く、誇り高い赤いドラゴンの姿を現した。よほど傷つけられ追いかけまわされたのが腹をすえていたのだろうか?悠然と大地に降り立つと満足そうにその痕を見据える。


「名前が付いただけでこんなに違うの?」


「契約とはその契約者の能力によるものだ。エリーゼは滞在能力が高いということだ。」


そんな風に契約について詳しく聞いていると、


「エリーゼ。」


最初にエリーゼの側にやってきたのは風を纏う優雅な乙女、風の精霊セレスだ。次に水を操る凛とした女性、精霊のレイン。最後に大地を司る小人姿だが精霊クレイ。それぞれが成長した姿を現した。それは、エリーゼの内に秘められた絶大な魔力と、里を守るという強い「責務」が、精霊たちとの絆をより強固なものにした証だった。


終わったと実感が沸いた。


夢の狭間の世界に、エリーゼの意識は再び招かれた。そこは、焼け焦げた故郷、元エルフの里の残骸が広がる、時間すら静止したかのような虚無の空間。誰もいない。何もない。ただ、記憶だけが、冷たい灰のように降り積もる虚無の空間。エリーゼは、自身の存在を自覚しながらも、思考すら放棄し、無為の世界を漂っていた。それは、里を救えなかった彼女の深い罪悪感と、失われた全てへの喪失感が具現化した、心の牢獄だった。


誰もいない。何もない。記憶だけが残されている。


始まらない。終わりがない。時間が静止してしまったそんな世界。


ただ身を任せるように、なすがままにされて、エリーゼの意識は思考すら放棄してただ無為の世界に漂う。


と、ふいに、その世界に変化が現れた。


真正面。意識だけのエリーゼの前に誰かが立ったのだ。


なにもなかったそこから影が垂直に伸びて人の形をとって影を浮かびあがらせた。


顔はない。姿は揺れている。ただなんとなく女だろうと思った。


揺らめいた影は、こちらに手を伸ばしてきた。


手を伸ばせば届くだろうそんな距離感。


なにもないと思っていたそんな世界。意識だけの世界に、その意志に反応するかのように腕

の感触が生じた。


まるでこちらを慈しむようにして優し気なしぐさの手が目の前に伸びてくる。その手に戸惑いが生じる。


どうしてか無性に泣きそうになるような不可思議な感傷。


手がさらに誘いを求めようとして、その手を取ろうとしたが動けなかった。いや、止められたのだ。


エリーゼのその両手を、後ろから伸びてきた白い手が包み込んでいた。


柔らかく、そして暖かいその感触。


振り向きたい衝動を制止されて、そして次第に握られた手のひらが強くなり。エリーゼの意識は後ろへと引き寄せられていく。


これはつまり、目の前の影との別れを意味する。


伸ばされるその手が懇願するように、縋るようにしてエリーゼを誘う。


握られた両手を振りほどこうとしてみたが、その伸ばされた手に届くことはない。


心が震える。感情が叫ぶ。だが、それを肯定できない。


遠ざかる。遠ざける。消えていく。もう一人の私。


それは引き寄せた鳴きそうなエリーゼを包み込むようにて、


「「おかえりなさい。エリーゼ」」


両親の温もりがこもった言葉。その瞬間に夢の世界は消失した。


「・・・ただいま。パパ、ママ。」


目覚めたエリーゼの脳裏には、焼け焦げた故郷の残像が焼き付いていた。あの夢で得た精霊たちの力と、里を滅ぼした呪いの記憶が、現実の冷たい空気と共に、彼女の心に重くのしかかる。


「…これは、夢じゃない」


喉の奥から絞り出すような声は、現実の自分に語りかけるようだった。彼女の視線は、そこには、これからアカデミーに帰る準備をする兵士たちの姿があった。夢の中で誓った「二度と失わない」という決意が、彼女の瞳に新たな光を宿らせる。失われた故郷の悲しみは、決して消えることはないだろう。しかし、エリーゼは知っていた。この現実の世界で、彼女には守るべき仲間たちがいることを。そして、その仲間たちと共に、新たな未来を築いていくことができるのだと。あの夢は、彼女に「失われたもの」の重さを教え、同時に「得られたもの」の尊さを教えてくれたのだ。


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