郷愁のエルフの里
「やっと起きたわね。エリーゼ。」
「目が覚めたようね。エリーゼ。」
眠りから覚める感覚は、まるで深海の底から水面に顔を出すような、重く、しかし解放的な感覚だった。
目が覚めたのは、クールで挑発的な響きを持つ声と、可愛らしい鈴の音のような声の、二人の少女の呼びかけからだった。
やわらかな寝心地はどうやらベッドの中。寝起きのエリーゼの瞼を焼いたのは、カーテンからわずかに差し込む日差し。差し込む光は柔らかく、感覚的に夜明けだろうかと思う。
「おはよ・・・」
挨拶をして身体を起こしつつ現状を確認する。
首を絞められて意識を失ったことは覚えている。それで治療のために運ばれてベットに寝かされていたのだろうと想像は出来るのだけれど、ここは・・・
「朝よ。起きなさい。エリーゼ。」
「朝よ。さぁ起きましょうね。エリーゼ。」
辺りを見渡して、まだぼんやりしているのを見たからなのか、その声は覚醒を促してくる。
朝?気絶していた時間が夜を超えてしまったのだろうか?そもそもダンジョンの2階層から運ばれた先が懐かしさを感じるこの部屋。意味がわからない。
「ここどこ?」
「まぁ、あれだけ寝ておいて、まだ寝ぼけているのかしら?」
「あなたの部屋よ。エリーゼ。」
「私の部屋?」
がばっと起き上がるエリーゼ。
いきなり起き上がったエリーゼにベットの横で立っていた少女たちが驚いた。身長は少女と呼ぶにふさわしい高さで、大きな瞳に可愛らしい唇。顔立ちは幼さと愛らしさを感じさせられる。
金髪で背中まで髪を伸ばしているほうがシルフ。水色の髪を肩まで伸ばしている方がウィンディーネ。どちらもメイド服を着た美少女だ。
「え・・・夢?だよね?」
「夢でもなんでもないわよ。朝よ。」
「あらあら。先に顔を洗う?」
「・・・シルフ?・・・ウィンディーネ?よね?」
見つめて名前を確かめてくるエリーゼに対して、こてっと首を傾げる2人の美少女。
「夢じゃない・・・」
ほっぺをつまんでみるエリーゼ。
「おはよう。起きた?」
とんとんと、扉をノックする音。そして、部屋に入って来たのは、長いエメラルドの髪を美しく輝かせた、優しい眼差しのエルフだった。その姿を見た瞬間、エリーゼの心臓が、何百年もの時を超えて、再び大きく脈打った。
「・・・・」
茫然と見つめ返すエリーゼに、母親は優しく微笑みかける。その笑顔は、凍てついたエリーゼの心の奥底に、温かい陽光のように染み渡った。もう二度と逢えないと諦めていた大切な家族。目が覚めたら、あの時と変わらない、優しさに満ちた世界がそこにあった。
「・・・ママ…」
震える声が、喉の奥から絞り出される。エリーゼは、吸い寄せられるように母親の胸に飛び込んだ。柔らかな温もりが、全身を包み込む。何百年もの間、たった一人で生きてきた孤独が、この瞬間、堰を切ったように溢れ出した。母親の胸に顔を擦り寄せると、温かい安堵の涙が、止めどなく頬を伝い落ちる。それは、失われた時間への悲しみではなく、ようやく辿り着いた「故郷」の温かさを噛み締める、魂の叫びだった。母親の優しい手が、エリーゼの髪をゆっくりと撫でる。その感触は、夢か現か、もうどちらでも良いと思えるほど、深く、深く、彼女の心を癒していった。
「まだ半分夢の中だったりする?」
母親は優しくエリーゼの頭を撫でながら、くすりと笑った。
「お・・起きてる」
エリーゼはまだ半信半疑でおずおずといった。
「その・・・私のママだよね?」
顔を上げ、潤んだ瞳で母親を見上げると、母親は優しく口元を緩めて言った。
「そうよ。あなたの大好きなエリーゼのママよ。」
優しく名前を呼ばれて、エリーゼは安堵した。大好きは嘘じゃないけれど、改めて考えてみると恥ずかしくなってくる。もうかれこれ100年以上はこんな心がこもった会話を交わした記憶がないから照れてしまう。
そんな初々しい感情を抱いたエリーゼをさておき、シルフとウィンディーネはエリーゼの母の登場にその傍へ寄る。彼女の左右に別れて並ぶと、
「聞いて。フロレンス。エリーゼたら、一晩寝て起きたら私たちの存在を一切合切忘れ去られているわ。」
「違うわよ。これが思春期というものよ。年ごろなのよエリーゼは。」
「寝起きが悪いのよ。いつものことじゃない。せっかく早起きしてくれたのだから、優しく見守ってやりなさい。」
「え~~・」
「わかりました。」
シルフは唇を尖らせ、ウィンディーネは了承の意を宣言する。そんないつもの彼女らの様子を見てから、エリーゼを見やり、
「それで、体調が悪かったりする?」
「え・・・・!?うんうん。全然。よく寝れて元気いっぱい。」
「そうね。エリーゼは寝つきがとても良いものね。」
「そんなことない」と反論しようとして、エリーゼは記憶のかなたに閉まったこの頃の自分を思い出す。
寝つきが良いのではなく、惰眠をむさぼっていると言った方が早い。勉強や習い事は居眠りして、遊びの時間は全力で身体を使った。なすべきことをしないで、自分の都合が良いように暮らしていた。特に、書庫にこもって古文書を読むよりも、里の子供たちと鬼ごっこをしたり、こっそり甘い木の実を探しに行ったりする方が好きだった。ノームの講義も、最初の数分で夢の中へ誘われるのが常で、いつも「いつの間に寝たのだ?」と驚かれるたびに、内心冷や汗をかいていたものだ。
どうしたら元に戻れる?とか考えている場合ではない。夢なのか真なのかわからないけど、母との再会に感謝する。
「日課に行くの?」
「そうよ。私たちにとって精霊との朝の挨拶は大事な事よ。」
エルフの里では、精霊との共存は生活の一部であり、朝の挨拶は精霊への感謝を示す大切な日課だった。エリーゼの部屋にやってきたシルフとウィンディーネは、メイド服を完璧に着こなし、優雅な所作でエリーゼの身支度を整える。彼女たちは、長い年月をかけて人型となり、エルフの文化や知識を学び、この屋敷を支えるかけがえのない存在となっていた。特に、シルフが料理を覚え、ウィンディーネが家事全般を管理する姿は、精霊が単なる自然の力ではなく、エルフと共に生き、共に成長する家族のような存在であることを示していた。この里では、精霊がメイドとして仕えることは、決して珍しいことではなく、エルフと精霊の間に築かれた深い信頼と敬意の証だった。
「うん。一緒に行く。」
「え??今なんて言ったの?」
慌てふためきながら問い返してくる母をかわして、シルフとウィンディーネに、
「私、日課に行ってくるわ。服用意して。」
「聞き間違いじゃないかしら?寝巻が正解だったりする?」
「エリーゼが自分から日課に行くのよ。目が覚めたのよ。」
「・・・いいから2人とも服持ってきて。」
2人が了解を求めて母を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせて頷くと、それを見て部屋を出て行った。
母と手を繋いで廊下を通り抜けて、エリーゼは屋敷の庭にやってきた。2人のメイドは母と同じ柄の服を用意して朝食の支度へと向かっていった。
「広い・・・」
まさに庭園と呼ぶにふさわしいこの光景にエリーゼは感嘆の声を漏らす。1人になってからというもの当たり前に過ごしてきたこの庭の景色は、お金を持っているか、いないかだけで広さがまるで違っていた。まだ庭があるだけで裕福で平民と呼ばれる者たちは庭すらないのがほとんどである。どれだけエリーゼが育ってきた環境が良かったのか改めて実感がわく。
ちょうど真ん中あたりまでやってくると、
「サラマンダー。おはよ.」
その声に反応するようにして、赤い光が集まって次第に小さな輪郭を作り出す。
頭が生まれ、胴体が現れ、四肢が現れ、尻尾が備わると鱗が覆われる。と、その後には母の肩に小型の赤いドラゴンが出現していた。
「おはよう。フロレンス。」
「お・おはよ」
「お?エリーゼじゃないか?珍しい・・・」
サラマンダーはその丸い瞳でエリーゼを見つめた。
「そう?」
「偉い偉い。そんなエリーゼにご褒美として俺を撫でらせてやろう」
「・・・」
さぁという態度の小さなドラゴンに対して、エリーゼもまた即反応した。
「可愛いわね。」
「そうだろう?でもこう見えて俺は結構偉い精霊様なんだぞ。だからもっと撫でろ。」
「知ってるわよ。」
言いながら小さなドラゴンを思う存分に撫で続ける。頭に背中にそして顎へ。
そうこうしているうちに、母と自分の周囲がぼんやりと淡い輝きに包まれているのが分かった。
その中をふわふわと漂うのは、儚げで頼りなく、神秘的でどこか幻想的な色とりどりの光の玉が揺れている。
触れることを思わず躊躇ってしまうような情景。その存在に許された者だけが居ることを許されるその聖域。そんな光景にエリーゼは、
「おはよ。」
彼女から放たれた言葉に、数多くの光が上下に揺れて意思表示を示す。まだ生まれてまもない意識を持たない精霊たちが反射的に動いただけかもしれない。
「あい変わらずエリーゼは精霊に愛されているわね。こんないっぱいの精霊が集まってくることなんてそうそうないし、挨拶を返してくれるなんてこともないのよ。」
「そうなの?」
エリーゼは母の言葉に首を傾げてみせる。
「そうなのよ。あなたには精霊の加護がついているわ。」
母の言葉に精霊たちが同意するように縦に揺れる。
「でも、わたし精霊とかあんまり見かけないよ。」
「意思が備わってない子が多いからだわ。でもエリーゼが望んだ時に応えてくれることがあったことはない?」
「うん。ある」
「エリーゼ。普通のエルフは長い時間を使ってやっと精霊を呼び寄せることが出来るの。エリーゼは特別なのよ。」
特別?と首を傾げるエリーゼに母は頷き、
「エリーゼは精霊との付き合い方が上手なのよ。私の自慢の娘ってこと。」
それを聞いてエリーゼは母の視線をそらした。褒められていることはわかるけれど照れて頬をかく。
エリーゼの反応を確かめると、母はまた他の精霊に語り続けた。
「わたし、精霊に好意を寄せられることとかした記憶がないんだけど・・・」
「才能という言葉で片付いてしまうのだけれど、普通は精霊との契約を結ばないと精霊魔法は使えないのよ。」
母が精霊に語りかける様子を見てエリーゼは隣の小さなドラゴンに聞いてみた。
「契約?」
「精霊たちが求めてくる内容はみんな違うんだけど、ああいった意志をまだ持ってない小さな精霊には、ああして語りあったり、魔力を通して触れ合ったりしていると割と簡単に協力を取り付けられるんだよ。」
「なるほど・・・じゃあ意志がある精霊にはどうするの?」
「そうだな。俺をはじめとした意志を持つ精霊には要求する内容が厳しくなる。その分相手には貢献するつもりだけれどね。俺はこれでも力ある精霊だから、フロレンスと交わしている契約は厳しいよ。」
「たとえば?」
「毎日、俺の頭を撫でること。」
「え?!それでいいの?」
「フロレンスはね。他のエルフだったらもっと違った要求をするよ。魔力をいっぱいよこせとか、好みの食物を毎日よこせよとかね。」
母だからこそのこの契約。なら私とならどんな内容になるのだろう?
頭の中で思考を巡らしながら小さなドラゴンを見つめる。
にやにやと小さなドラゴンがエリーゼを見返してくる。
感情や思考を鋭敏に感じ取ることが出来るのが精霊だ。この小さなドラゴンなら読心能力も長けていることだろう。
何を要求してやろうか?そんな風に楽しんでいる。
ふと、母に視線を送る。美しく流れるようなエメラルドの髪はこの神秘的で幻想的な風景に溶け込んでいる。細く長い手足、華奢な身体で決して折れない強い心を芯に持っていることをエリーゼは知っている。気高く、美しい、理想的な女性。
精霊に好まれているとはいえ、女性趣味の性癖を持つ自分だ。どんな要求をされるのだろう?そもそも意志ある精霊が契約に応じてくれるのだろうか?
ちらっとその小さなドラゴンに上目で伺う。ぷいと顔を背けられた。
ちら、ぷい。の応酬がしばしの時間始まった。
「楽しいね。素直に聞いてくれればいいのに。」
「じゃあ教えてよ。」
「やだ。」
「・・・ちょっと!?」
からかわれるエリーゼに、小さなドラゴンは愉しげだ。
そこへ、
「朝食が出来上がりました。どうぞ食卓へ。」
屋敷から出てきたメイド姿のシルフとウィンディーネの美少女2人が呼びにやって来た。
母は精霊たちの挨拶をひと段落させると、サラマンダーを撫でて、私と手を繋いで屋敷に向かっていった。
「おはよう。朝のお勤めご苦労さま。ありがとう。よかった。」
緑の髪を長く伸ばした長身は、エリーゼを見て嬉し気に笑顔を零した。
背の高いエルフだ。フロレンスよりも頭一つ高く、肉体はしなやかで細身だ。
一般的なエルフと比べても十分美形の容姿をしている。
もっとも、そんな美形が息がかかるほどの超至近距離でエリーゼ゛の視線に合わせて腰を下げてくるものだから。いくら親と言えども一歩後さがってしまう。
「近い!」
「おや?これはもしかして友人たちが言っていた。パパ臭い。ちかよらないで。みたいな感じかな?確かな娘の成長を感じて感慨深いね。」
親し気にエリーゼの頭を撫でまわし、相変わらず長近い。まだまだ300台半ばで里長なのに親バカという感想がエリーゼの頭の中をよぎる。
「でも、仕事の時はキリっとしていてカッコいいんだよね・・・」
「嬉しいね。私を見てくれているんだね。なんならもっともっと見ていてくれていいんだよ。」
「はいはい。娘が可愛いのはわかるけど、そろそろいい?」
ため息は後ろから届いてきて、下がるエリーゼの代わりにフロレンスが前に出る。
「おはよう。ロータス。」
母の言葉を聞いて恭しく片膝をつくと、視線を合わせて母の片手を取り、手の甲にキスをした。
「おはよう。わが愛しのフロレンスよ。」
「・・・・」
そうだった・・・父は母をとても大事に愛している。それを受け止める母。300年以上も夫婦をやっているがその想いは変わらずの夫婦だった。当時は私もこんな異性と結婚したいと思っていた時があったけれど、いろんな事を知り、時間も経ってしまった。だからいくら両親でも引いてしまう。
「もう・・・。さぁせっかく作ってくれた朝ごはんが冷めてしまうわ。食卓にむきあいましょうね。」
広い食卓の中に入ると白いクロスがかかった大きな卓が置かれ、奥の上座から下座まで3席の椅子が並んでいる。奥が父で、その右となりが母、両親と向き合うのが私の定位置だ。
3人が席についたのを確認すると、
「失礼します。食事の配膳をいたします。」
「失礼致します。食器と茶器の配膳をいたしますわ。」
台車を押して、食卓に入ってきたのは2人のメイド服を着た精霊だ。
シルフがサラダやパンにスープといった、朝食メニューの載った台車を押し、ウィンディーネが皿やフォークなどの食器を押してくる。
二人は食卓で二手に分かれると、テキパキと配膳を始める。朝食から暖かな香りが漂ってきて思わずエリーゼのお腹が鳴ってしまった。そして配膳が整えられると、
「では食事にしよう、火よ、土よ、水よ、風よ。全ての精霊に感謝をこめてこの食事をいただきます。」
手を組み、目をつむって父が食前の祈りを呟いた。それにならい母と私も祈り捧げる。
昔の私は適当に祈ってぞんざいにしていたが、今は真剣に祈っている。
「さぁ頂こう。」
祈りが終わり、食事を始める。
「あ・・・美味しい・・」
顔を上げて感想を言うと、脇に控えていたシルフがふっと笑った。
「この料理シルフが作ったの?」
「そうよ。ウンディーネから教わって作ったのよ。美味しいのは当然。」
「へー。凄いじゃない。料理には興味がなかったのに。」
「料理はまだ得意じゃない。ウィンディーネの方がもっと上手にできる。」
当時の記憶ではウインディーネは家事全般が得意で、シルフにいろいろと教え込みこの3人家族の屋敷を管理してまわしている。精霊なのに有能な使用人である。
私は久しぶりの家族団らんの朝食を堪能し、嫌いなピーマンはこっそりと皿の隅においやって食事を終えた。
食後のお茶を堪能しながら今日のスケジュールを確認して、この後はそれぞれ別行動をとる。
とはいうもののエルフ特有の種族のせいか時間にルーズでテキパキとかそういったものはなくマイペースでことをはじめだす。
両親達は、朝の時間に会えない精霊に挨拶や里長の仕事に出かけて行く。・
そして私は書庫と呼ばれる部屋にやって来た。広いスペースに壁際をはじめとしていたるところに書棚が設置されている。どの書棚も本がみっちりと詰められていて蔵所数はどれほどなのか想像が難しい。
「来たか、エリーゼ。」
部屋の入り口から真正面にある大きな机からしゃがれた声が聞こえた。
「早速始めるとしよう。」
そこには眼鏡をかけた真面目そうな小人が机の上に立っているのが見える。
「ノーム。今日は何を教えてくれるの?」
その質問に対して彼はメガネをくいっと上げて見せてから、エリーゼの前をつかつかと横切り、もう1つの木製の机に向かった。
一応、エルフの古い言葉が書かれている本と練習用の羊皮紙などが用意されているのだが、もうすでに古い言葉などは把握済みのエリーゼにとっては無用の長物となっている。もちろんまだ知らない言葉もあるかもしれない。
「これ知ってる。これもあれも・・・」
「ほぅ・・・いつの間に覚えた?」
心底驚いたその言い方にエリーゼはついつい頬がゆるんでしまう。が、ここで学ぶべきことは山のようにある。一人で学習するよりも優秀で知識が豊富なこのノームに教えを乞いておきたい。ひとり残されてから求める知識を得ようとするが無駄に時間ばかりを消費する。
とにかく、どんなことでも土が水を吸うようにこの機会に様々な知識・常識・良識を得たい。
まるで戦場に向かう心構えでノームに向き合った。
「それで何が知りたい?」
「私の知らないとこ。」
「何を知って何を知りたいのか?まずはそこからだな・・・」
ノームは真剣なまなざしでエリーゼに純粋に教えてくれようとメガネがキラリと光った。
エリーゼが知らないこと。そんなものはいっぱいある。知識として広く浅く頭の中に覚えさせたが、このノームに比べたらその比ではない。
ノームの問いかけに今まで培ってきた知識を披露するエリーゼ。その彼女の話を聞いて彼は1つの本を示し、
「まずは光と闇の精霊をくわしく知りなさい。」
精霊も火・水・風・土の4属性に基本は分かれている。火は熱量、水は命と癒し、風は自然を操作、土は知識と守り。そして光は生きる者すべての魂を照らし導く、闇は死と再生だ。
しかしこの光と闇の精霊には適性がないものにはいくら知識や力量が備わっていたとしても協力をとりつけることはできない。が、エリーゼは光の精霊に関しては素質が備わっていることをノームはわかっていたようだ。だからこそまず初めに覚えておかなければいけないと彼はそう告げる。この日からノームによる集中講義が始まった。そういえば時々外出を禁じられてこの書庫に監禁されて涙目になって勉強を叩き込まれた記憶が蘇る。しかし、あの頃の「怠惰」な遊びの日々が、実は里の隅々まで知り尽くす「地理感覚」や、子供たちの些細な表情から本心を見抜く「洞察力」を無意識のうちに育んでいたのかもしれない、とエリーゼは今、ふと思った。
「・・・」
ふとこみ上げる疲労感に、エリーゼは頭を軽く振る。ゆっくりと身体をほぐして背筋を伸ばしてみる。
夕刻の空はゆっくりと夕闇に変わり、一日の終わりを労うかのように、静かにその色を深めていく。
それらを見送って肩を回して体の調子を確認。やはり成長しているとは言え疲れた
肉体的な疲労ではなく、気疲れによる精神的な疲れだ。
「エリーゼ、お待たせ。」
「ん?いいよ。シルフ買い物は済んだ?」
「うん。エリーゼは大丈夫?」
荷物の入った木箱を手にもって小首をかしげるのは風の精霊シルフだ。変わらぬメイド姿の装いに風で金髪が靡いてその表情をすこし緩めてエリーゼを見ている。
泥と埃、鼻水やら何かの液体で汚れた外着用の服。乱れた髪をしたエリーゼを。
「ずいぶんと大変なことになってる。」
「物心ついた頃からの友達だからね。」
「ふ~ん。」
精霊に子供心とか遊び心がわからないのだろうと内心で納得する。子供たちとの付き合いは精神的なタフさが求められる。もちろん体力も必要だ。
苦笑しながら、背後から聞こえてくる子供たちの嬌声が耳に届いた。つい先ほどまでエリーゼはその輪に加わりみんなで遊びまわっていた。
今いるのは家から少し離れた里の中心広場だ。
里長という立場にある親を持つがエルフの里は人口が少ない。ここで暮らしていれば当たり前のように顔と名前を覚えられる。もちろん精霊の2人も通りかかるたびに声をかけられている。
夢の中だからだろうか?身長差があっても子供たちは変わらずに受け入れてくれた。それはとても嬉しいことなのだけれど、
「わたし・・・シルフと一緒に買い物にいってればよかったわ。」
実際、シルフに食材の区別を教えるつもりだったけど、その前に子供たちに見つかり散々遊びまわったのは予想外のことだった。
「食材は間違いなく揃えたから、次からは私1人でも十分。」
「覚えが良いわね。」
「でしょ。」
しっかりとこの社会に馴染んでいます。と少し鼻高々な風の精霊である。前回まではウンディーネが必ず同行していたはずだったが。
「そういえばエリーゼ。勉強はどうなの?」
「着々と進んで捗っているわ。」
「滞らないといいね。」
「・・・そうね。」
シルクが微笑を浮かべたので、エリーゼも笑ってみせた。
光と闇の精霊についてのノームによる講義がすでに一週間は経過している。その間に休みは一切ない。今日は休日を取り頭の中を休めるために買い出しにやって来たのだ。
しばらく帰宅に足を向けてからのこと、ふとシルフがエリーゼの服を見て軽く目を見張った。
「その服、破れている。」
「え?子供たちが子熊を拾って来たのよ・・・」
まだ生後間もないといった様子で、つぶらな瞳に柔らかそうな体毛。それはエリーゼにとっても十分すぎる可愛らしい魅力を放っていた。
どうにか無意識に手が伸びそうになったがどうにか自制して我慢してみた。
だが、誘惑に負けて子供たちと一緒になって撫でまわしてしまった。散々子熊の毛触りを堪能して心が癒される。
それがやりすぎてしまったのかもしれない。それまで大人しくしていた子熊が、びくっと身体を震わせると身をよじって飛び出し、そのまま茂みの方へと逃げ出してしまった。
その後、その子熊を追いかけた。好奇心旺盛でバイタリティにあふれる子供たちだが、しばらくすると飽きた子、泣きじゃくる子、まとわりつく子、そんな子供達をあやしたりかまったり遊んだりしながら辟易して探索を続けた。
結局見つからず、子熊は親の元に帰ったのだろうから、私たちも帰りましょう。と言い聞かせ手を振って別れて今に至る。
「服縫おうか?」
「え?!シルフ裁縫もできるの?」
「簡単なのなら。」
「そうなの。じゃあ帰ったらお願いしようかな。」
そう答えるとシルフは嬉しそうに頷いてくれた。このまま少しずつ感情を覚えていくのだろう本来なら。そんなことを考えながら2人で帰宅へと足を向ける。
その夜。
夢と夢のはざまにあって、エリーゼの意識は千切れた雲のように、あてもなく漂っていた。
夢を見るという行為は脳が情報を整理して起こる現象なのだと本で読んだ記憶がある。
なるほど、こうして眠っていながらもエリーゼの安眠を妨げるような光景が広がるのは鮮明な記憶を整理するという理に適っている。
喪失感、絶望感、虚無感が夢のはざまに漂うエリーゼをまた苦しめる。
苦しい、悲しい、辛い、もう嫌だ。何もかも終わりにしたい。
泣き言が、弱音が、愚痴が止め止めなく溢れかえる。
呻き、うなされ、全身に汗が濡れ、瞼から涙がこぼれ落ちる。
何度も何回も誰か助けて!心の底からそう叫んだときだった。ふとそんなエリーゼの強張りが消えた。
身体の芯まで震えさせた寒気が、怖気が、悪寒が突然なくなった。
誰かがエリーゼの手を握ってくれている。夢のはざまで揺れるエリーゼの魂を誰かが引き留めて引き寄せてくれる。
暖かく、優しく、柔らかい感覚だった。
右手と左手にかすかに残るその温もりは誰のものなのだろうか?それともこれも都合のいい夢の続きなのだろうか?
目を覚ました瞬間、手を伸ばし指を広げてエリーゼは今の現在地を確かめる。柔らかなベッド。整えられたシーツ。懐かしい香り。そして・・・
「ウンディーネ。エリーゼったらもしかしたらボケた?」
「シルフ。エリーゼはまだ寝ぼけているだけよ。」
精霊2人がベッドの前でエリーゼを見つめていた。
聞きなれたその声にその姿。もう8日目となるこの奇跡。この二人が当たり前のようにしてエリーゼの側にいてどうしようもない感情が湧きあがってくる。
言いたいこと、聞きたいこと、口にしたいことが胸を突くほど溢れてくる。なのにそれのどれもが出てこない。だから、
「おはよ・・・。」




