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ランド・ウォーカー  作者: 紀一
樺太
23/24

鳥居

ドリンスクを出た四人は海岸沿いの道を北上する。その途中、車の前に突然何者かが飛び出してきた。ゲリラに支払われる報酬、女神に関する情報、それらを得るためにカイ達は遭遇した地元民に接近する。

23 鳥居


「腕に傷?」

 ドリンスクを出た四人は、オホーツク海に面する海岸沿いの道を北上していた。右手には砂浜と海、左手には鬱蒼と茂る森。道を挟んで対照的な世界が広がっている。

 ハンドルを握りながら、カイはあの教会跡でレイが見たと言う司教に関する情報に耳を傾けていた。

「ああ。あれは注射痕だ」

 砂浜の向こうに広がる一面の海原を眺めながら、タケルは司教と呼ばれていた中年男を思い返す。

「病気持っててもおかしくなさそうなおっさんだったよな」

「いや」

 その一言を落としたカイは、シャンが言っていたなぞなぞ紛いの情報と注射痕とを結びつけていた。あの中国人が言っていた事はまさしく的を射ていたのかもしれない。

「シャンが言ってただろ。死人のような顔をしているって。なぞなぞでも何でも無かったんだよ。答えは注射痕……」

 助手席のレイは難しい顔のまま頷く。

「シャンってのが誰だか知らねえが、恐らくそれが正解だ。奴らが大勢のランド・ウォーカーを使役する方法は、薬物だろう」

「シャンってのは、お前達がドンパチやってる間に俺とタケルが接触した中国人だ。ユジノサハリンスクへ行く途中で殺した中国人を覚えてるか?」

「ああ。港で引き取った奴だろ」

「そう。シャンはフェイの兄貴らしい。見たところ双子だ」

 すると後部座席から、アオイの声が好奇心丸出しで飛んできた。

「ランド・ウォーカーなのに弟の敵討ちをしようとしたって事? 凄いな、それ。そんな奴初めて聞いたよ」

 それに答えたのは、同じく後部座席の狭い空間で窮屈そうに縮こまっているタケルだ。

「復讐とは違うらしいぞ。シャンは弟に自分を見ていて、自分を攻撃された仕返しって事なんだってよ」

「ふうん。麗しい兄弟愛じゃないのか」

 二人の会話にさして興味の無さそうなレイが、助手席で森と海の間、進行方向を真っ直ぐ見つめて言う。

「共産党から指示されてアメリカを目指してる中国人がもう一人居るわけか。後々邪魔されないとも限らねえ。面倒な兄弟だ」

「いや」

 それを打ち消したのは、同じく前をのみ見つめるカイだった。

「シャンはゲリラ共と行動してる。現に奴らの情報を僅かでも寄越したのはシャンだ。上手く利用すれば俺達にもメリットはある」

「でも、あいつが協力するとは思えねえけどな」

 タケルの呟きに、カイは海岸線に伸びる道を見つめながら言った。

「お互いの利害が一致すれば良いんだ。そうすればあいつを使う事ができる。あいつだって目的地はアメリカなんだ。今ゲリラに入り込んでるのも、本土に渡るまでの足掛かりだろ」

 そう言うカイの隣では、青い海と緑の森との間に走る道を眺めながら、レイが声を落とす。

「兄弟愛じゃないにしても、弟を殺した奴を始末する気なんだろ? 利用しようと近付いて逆に殺されたら目も当てられねえぞ」

「俺もそれほど馬鹿じゃねえよ。時期を見てだ」

 ハンドルを握るカイの横顔をちらと見たレイ。フェイの時は違ったが、このカイと言う少年は人を生かそうとする節がある。それも明確な利用価値がある訳でもない人を。ランド・ウォーカーにしては珍しい気質だ。

 その時、至って落ち着いて運転していたカイが突然ブレーキを踏み込んだ。シートベルトをしていなかった後部座席の二人が咄嗟に前のシートに手を突いて体を支える。

「何だよ!」

 タケルが運転席の方へ身を乗り出すと、カイは目を細めてフロントガラスの向こうを見ていた。

「……轢かなかったのか」

「何か出て来たな」

 レイは拳銃を抜いて窓から外の様子を窺う。異常は無さそうなのでドアを開けて車を降りた。アオイもそれに続く。

 レイが車を降りると、ところどころひび割れて緑が浸食しているアスファルトに、ぼろきれのような服を着た人間が横たわっていた。銃を向けながら慎重に近付き、声をかける。

「おい」

 返事は無かった。ピクリとも動かず、ただうつ伏せにうずくまっている。細身の短髪で、男か女かも分からない体躯だ。そこにアオイがやって来て、同じく銃を向けながらうずくまったままの人物に近付いた。そして足で押してひっくり返し、面を向けさせる。

「……女だ」

 アオイの目には、金色の短髪から覗くやつれた女の顔が映った。死んでいるのかと思い、もう一度腹の辺りを小突いてみる。すると徐に目が開いて淡い茶色の瞳がアオイを見上げる。

「……生きてる」

 そう言ったのは女だった。アオイは意味が分からなかったが、レイはその声に応えるべく一歩踏み出す。見たところその女は武器を何も持っていない。

「生きてるならさっさと退け。今度こそ轢くぞ」

 女はレイを見上げて不思議そうに首を傾げた。

「……ロシア人? 日本人の車だと思ったのに」

「用が無いなら消えろ」

 苛立ちと共に拳銃をホルスターに納め、レイはさっさと助手席へ戻って行く。それを見たアオイも女を立たせて路肩に誘導してから後部座席へ戻った。

 その様子を後部座席の窓を開けて見ていたタケルが、思わず一声上げる。

「女だ!」

 女は驚いてタケルが顔を覗かせる窓を見上げた。そんな様子を楽しそうに眺めるタケル。

「うーん、ちょっと痩せすぎだな」

「彼女、別に客を取ってるわけじゃないみたいだよ」

 いかにも興味が無い口ぶりのアオイに、運転席のカイが盛大な溜息を送った。

「おい、そんなことしか頭にねえのかよ。アメリカへ行く前に病気になるぞ」

 それに反論したのはタケルだった。

「だってしょうがねえじゃん。野郎ばっかなんだから。逆にお前が不健康なんだからな」

 相変わらず路肩に立ったままの女を眺めているタケルだったが、車が走り出したその時、不意に声を上げる。

「あ!」

「何だよ!」

 驚いて肩を跳ねさせたカイが、バックミラー越しに後部座席を睨みつけた。だがタケルはそんな事を全く気にかけず、自分の左腕を指さして言う。

「あの女、腕に注射痕があるぞ! レイが言ってたやつじゃねえのかよ」

 レイは初めて興味を示して上体を起こした。

「カイ、止めろ」

「ああ」

 再び車が止まり、路肩をとぼとぼ歩きだしていた女は足を止めて深緑の鉄の塊を振り返る。そこへタケルとレイがやって来た。

「おい」

 レイがぶっきらぼうに声を掛けると、女はぼんやりとした虚ろな目を向ける。

「腕を見せろ」

 女はレイのホルスターを眺めていたが、鉄パイプ片手のタケルがやって来たので何も言わずに両腕を差し出した。レイは女の細い腕を掴んで、その内側を見る。すると、タケルが言う通り左腕に司教の腕と似たような注射痕があった。

「どうかした?」

 女の問いにレイは訝し気な視線を返す。この女がゲリラだったとしても、少なくとも今現在は戦いに身を投じるだけの体力は無さそうだ。

「お前、司教の仲間か」

「司教……ああ、あのイカサマ野郎のこと? 前はね」

 女は気の抜けた笑みを浮かべる。

「前? 今は抜けたのか」

「そう。あいつら私が用無しだって。ねえ、そんな事より……」

 女は虚ろな目でレイとタケルに訴えた。

「助けて欲しいの」

 必死にすがるような女の様子に、言葉が分からないタケルはレイに言う。

「何だって?」

「助けてくれだってよ」

「よし、助けようぜ」

 レイは呆れてタケルを睨み上げた。

「内容も聞かずに引き受ける訳ねえだろ。ただヤりてえだけなら、情報取ったらその辺に連れ込んでさっさと済ませてこい」

「俺はこう見えて紳士なの。お前みたいな、見た目は天使の鬼畜野郎とは違うんだ」

「俺は頼まなくても女から寄って来る。お前と違うんだ」

「うわ、うぜえ」

「お前は黙ってろ」

 そう吐き捨てると、レイは女を振り返って言う。

「いったい何から助けるんだ」

「医者」

「……医者?」

 その時、女は道の端にせり出て来ている木々が揺れるのを見て目を見開いた。それは女が飛び出してきた方向と同じだ。そうかと思えば、細い体をすっぽりタケルの後ろに隠して息を潜める。

 レイが銃を抜いて茂みの方を見やると、掻き分けられる木々の間から人が出て来た。それは無精ひげを生やし、眼鏡を掛けたロシア人の男だった。年齢は四十代ほどのように見えるが、くたびれた白衣にくたびれた表情が、五十代近くにも見せている。

 男は茂みから出るなりレイが銃口をこちらへ向けているのに気付き、咄嗟に両手を頭の上に挙げた。

「おいおい、俺は丸腰だ。何も持っちゃいねえよ」

「…………」

 それでもレイはまだ銃を降ろさない。当の男はそんなレイの向こうに居るタケルを、眼鏡の下からじっと見ていた。

「女が来ただろ。痩せぎすのつまらねえ女だ」

 タケルは自分のシャツにしがみつく女が、震えているのが分かった。

「ニーナ! 勝手に出て行くんじゃねえって何度も言ってんだろ!」

 男は構わず大声を上げる。するとタケルの背後でニーナと呼ばれた女が小さな悲鳴を漏らした。それを聞いた男は、喜ぶでも満足するでもなく、淡々と言う。

「ほら、やっぱり居るじゃねえか」

 ニーナは観念したのか、タケルの背後から恐る恐る出て来た。

「ごめん、ルカ」

「帰るぞ」

「…………」

 一歩踏み出したものの、ニーナはタケルに心許ない視線を向ける。明らかに助けを求められている状況で、タケルは咄嗟に口を開いた。

「なあ、帰るってどこに帰るんだ? この辺は見たところ海と森しかねえけど」

 レイがいかにも面倒臭そうにロシア語に訳すと、ルカと呼ばれた白衣の男は眼鏡の下から屈強なタケルを見上げる。ロシア人にさえ見上げられるほどの大男だ。

「どこって、俺の家だ。いや、家と職場を兼ねてる場所だ。地下にあるから道からは見えねえんだよ」

「職場って……あんた何やってる人?」

「医者だよ。見て分かんねえか?」

 ルカは自分が着ているくたくたの白衣を示した。お世辞にも清潔とは言い難い。

「その女は?」

「使用人だ。地上の畑や何かを整備させてる。しょっちゅう居なくなりやがって迷惑してんだ」

 すると通訳にうんざりしたレイが言った。

「その女は元々ゲリラだな? お前はゲリラの治療をしてんのか」

 ルカは鋭い緑の瞳と拳銃とを交互に見ながら淡々と答える。

「あの馬鹿野郎どもを進んで治療するかと言えば、それはノーだ。ニーナは俺の診療所に転がり込んで来やがったから、仕方なく診てやったんだよ。そしたら仕事もしねえでほっつき歩いてやがる。俺はな、治療の代償を払わねえ奴は地獄の果てまで追いかける性分なんだよ」

「……すげえ医者だな」

 さすがのレイも呆れた。どこからどう見ても藪医者でしかないこの男が、治療だの代償だの言う姿が半ば滑稽でもあった。

「質問は以上かな? まだ大勢患者が居るんでね。俺はこいつを連れて帰る。じゃあな」

 日本人の大男に拳銃を持つ男。自衛隊の強靭な車両。それらを見てもなお、ルカは何の興味も示さなかった。ただニーナをじっとり睨みつけ、手で付いて来るように合図するだけだった。

「あ、ちょっと待て!」

 呼び止めたのはタケルだ。

「あんたの診療所って俺達も見に行って良い?」

 ルカは明らかに警戒の色を濃くする。

「何でだ? 見たところあんたらは健康そうだよな。俺は健康診断はやってねえぞ」

「ゲリラについて訊きたい。あんた、あいつらの仲間じゃねえんだろ。いや、寧ろ煙たがってる。日本人に奴らの情報を売っても損はねえはずだ」

 ルカは無精ひげを一回撫でて考え込んだ。それから少しして、漸く口を開く。

「良いぜ。情報を売るって事は何かしら払う気はあるんだろ」

「極力希望に沿うぜ、先生」

 レイがその言葉を訳すと、ルカはしっかりと頷いて茂みの奥を示した。

「この先に細い脇道がある。その道を行くと畑が見えてくるはずだ。畑の奥に小屋があるから、そこまで車を転がして来い。俺達は近道で先に行ってる」

 ルカはそう言ってニーナの腕を掴んで引っ張って行く。ニーナはルカに気付かれないよう、そっとタケルを横目に見て、茂みの奥へ消えて行った。

「よし、カイに知らせよう」

 意気揚々と車へ戻るタケルに、レイが溜め息交じりに言う。

「お前、あの女を逃がして報酬を要求する気か?」

 タケルは立ち止まってレイを振り返る。

「逃がせたらな。どっちみちゲリラの情報を手に入れるにはあの医者の言う事を聞かなきゃなんねえだろ」

「まだ頭はしっかりしてたんだな」

「ああ言う痩せてるのは好みじゃねえ。でもまあ、この先で女に会える可能性も低いし、ここで手を打つのも必要かもな」

「……お前、いつもそんな事ばっか考えてんのか」

 呆れて言葉を選びあぐねたレイに、タケルは堂々と胸を張った。

「俺は健康なだけだ」

「その健康のせいで病気移されんなよ。あと、女なら居るだろ」

「え? 誰だよ」

 レイは車に向かって歩きながら重い声で言う。

「女神……ゲリラの元締めだ」


 カイは二人が女と共に誰かと話をしている様子をバックミラー越しに見ていた。そしてタケルが目を輝かせて戻って来たので、事がどう運んだのか薄々勘付く。

「あの女と取引したのか?」

 タケルでは話にならなそうだったので、助手席に座るレイに言った。

「いや、あの女を使ってる自称医者と取引した。どうやらゲリラ共の情報を何かしら握っていそうだ」

「情報は?」

「まだだ。この先に脇道があるから、そこを通ってあいつの診療所に来いと言われた」

「じゃあ、情報の対価はまだ分からないわけか」

 カイは茂みの中に脇道を探しながら車を進める。うっかりすると見過ごしそうなほど緑の浸食が濃い。

 レイは助手席のシートにもたれ、鮮やかな緑を眺めながら平然と言った。

「ここはただの通過点だ。奴に情報以外の利用価値が無さそうなら、面倒な事言い出す前に黙らせれば良い」

「……なるほど」

 四人を乗せた車は今にも緑に埋没しそうな細い脇道に入った。車体や窓を木々の枝が擦る高い音がする。視界が悪い中を暫く進むと、生い茂った木々が途絶え、広い平野が現れた。そこにはいくつも畑があり、養蜂箱や家畜小屋まである。

「畑の先に小屋があるそうだ。そこへ来いと言われた」

 レイが小道の奥を指さして言った。

「ここの景色だけ見たら凄く良い場所だよな。なんか羨ましいかも」

 後部座席の窓を開け、アオイはのどかな畑を眺めている。広い畑には様々な種類の野菜が生き生きと育っていた。この畑をあの痩せぎすの女一人で管理しているのかと思うと、そのせいで痩せたのかとさえ思える。

「小屋ってあれか」

 カイは背の高いトウモロコシの奥に目をやると、木でできた頑丈そうな建物を見付けた。小屋と言っていたが、三人は住めそうな大きさの家だ。

 車を小屋の横に停め、全員車を降りて小屋に向かう。するとエンジン音が止んだのを聞きつけて、あの貧相な医者、ルカが小屋から出て来た。

「入ってくれ。アホ臭い罠や何かは無い。安心しろ」

 ルカに招かれ、四人は慎重に小屋の中へ入る。やはり中はいくつかの部屋に分かれていて、台所まで完備されていた。今はそこでニーナがやかんに湯を沸かしている。

「てきとうに座ってくれ。話はそれからだ」

 テーブルを囲む椅子を示されて、それぞれ腰かけた。あまりに落ち着いた静かな場所で、ここが紛争の続く樺太とは思えないほどだ。

 ルカも席に着き、見慣れない四人を改めてまじまじと見て行く。

「あんたはロシア人か? 他は日本人? 変な組み合わせだな」

「彼らは日本政府が寄越した使者だ。俺はこの三人を無事に本土まで送り届ける仕事をしてる」

 そう言ってレイはあの身分証を出して見せた。ルカは珍しいはずのロシア政府の肩書にすら興味が無いようで、さっと目を通してすぐレイに返す。

「そいつはご苦労だな」

「本土まではまだ道のりが長い。それでいてサハリン州はゲリラが多く潜伏している。無事に通過するためにも情報をもらいたい」

 レイの言葉を聞きつつ、ルカは珍しい日本人をまじまじと観察していた。カイは居心地が悪くなってたまらず口を開く。

「何か変なもんでも付いてるか?」

「いや」

 ルカはニーナが持って来た紅茶を口に運びながら首を振った。

「こんな子供が使者ってのもな。日本は相当な人材不足か? まあ、ロシアの方が不足してるけどな」

「年は関係ない」

「まあ、そうだな。大事なのは何をするかだ」

「それで、ゲリラに関する情報は? 奴らの潜伏先や行動パターン、何でも良い」

 レイが仕切り直すと、ルカはマグカップをテーブルに置いて生気の無い目を上げた。

「その前に、これは取引だろ? 俺への報酬を決めよう」

「何が欲しい?」

 その問いに、ルカは流暢なロシア語を話すカイをじっと見返す。

「ハーブを収穫して薬を作るのを手伝ってくれ。あと、畑仕事全般だ」

「…………」

 思っていた要求とあまりにかけ離れていたので、カイは一瞬目を丸くして言葉を失った。意地は悪そうだが、このルカと言う医者は無欲なようだ。

「地下には俺の患者がまだ何人も居るが、外に出してまともに使えるのはニーナだけなんだ。他の奴らはまだ外へは出せねえ。ニーナもギリギリな線だけどな」

 台所に居るニーナは小さく縮こまっている。

「分かった、手伝おう。それで、情報は?」

 ルカは眼鏡を押し上げてカイの黒い瞳をじっと見た。

「俺が知ってる奴らの生態だが、まず、具体的な場所までは知らねえが、人が立ち入らねえような場所にキャンプを持ってるらしい。それも点々と移動してるそうだ。それに、あんたが言ってた司教……」

 ルカはレイに言う。

「司教って呼ばれてるクズ野郎がそれぞれのキャンプを束ねているらしい。司教が全部で何人いるかは知らねえけどな」

「あの女はゲリラから抜けたのか」

 レイがニーナを示すと、ルカはいっそう渋い顔をした。

「抜けたんじゃねえ、捨てられたんだ。見ての通り、頭がぼんやりしちまって使い物になんねえんだよ。俺が拾って治療してやってんだ」

「そのぼんやりってのは、薬なのか」

 カイもルカの視線を追って、台所の隅で椅子に座っているニーナを見た。ニーナは宙を眺めて何かぶつぶつぼやいている。

「ああ、そうだ。司教なんて名前はあのクズ共には相応しくねえ。ただの売人だよ。俺が診てやってる患者もあそこから捨てられた奴が多い。あいつらが報酬に出すのはいずれ人を破滅させる薬だ」

「そんな物を報酬にして、兵士は長持ちしねえだろ」

 レイが言うと、ルカは深々と頷いた。

「その通り。その点、奴らも多少は工夫してるみてえだ。最初から薬は出さずに良い生活だけさせてやる。それから報酬をせがむようになってきたら薬を出す。どのみち、より良い報酬を要求するようになった奴を置いておけば、自分達が報酬を準備するのにあくせくするか、望んだ報酬が出ないから兵士が怠けるかのどちらかだからな」

「それで使えなくなるまで薬をやるわけか」

「そうでもしなきゃ、ランド・ウォーカー達を束ねて使えねえんだろ」

 神妙な面持ちのレイ。その横顔を一瞬覗き見たカイは、これまで人格破綻者だと思っていたレイを上回る女神とやらに頭が痛くなりそうだった。

「ゲリラの元締めは女だって聞いたぞ。いったいどんな女なんだ」

「ああ、女神って言うクソアマか」

 カイの問いにルカがそう言うと、台所の隅でニーナが突然立ち上がる。それから暫く行く当てもなくシンクの前を右往左往していた。

「彼女、大丈夫?」

 タケルが言ったので、仕方なくカイが訳す。するとルカはニーナを振り返って奥の部屋を示した。

「下に行ってろ!」

「……分かった」

 乱暴に溜息を吐き、ルカは紅茶を飲み干す。

「女神の話をするとそわそわすんだよ。うるせえから下に行かせるのが一番だ。女神ってのは司教共を操ってやがる黒幕さ。あいにく、うちの患者には女神に会えるような立場の奴は居ないもんで、クソアマだってことくらいしか知らねえ。何でも、昔日本と共同開発してた天然ガスの事業があんだろ、あれを仕切ってるらしいぜ」

「……サハリン2か」

 カイに頷き、ルカは台所を示した。

「うちは石炭と薪なんだ。ガスは引いてねえ。面倒な奴らと関わらねえようにな」

 サハリン2と聞き、レイはゲリラ達の資金源が天然ガスだと判明して納得がいった。政府からの支援も無いサハリンで、何故兵糧や兵站が尽きないのか。それはガスを供給する代わりにサハリン中の地底人から物資を巻き上げていたからだ。

「でも、ただの女が国を挙げてやってた事業を自分のものにできるか?」

 尤もな疑問がカイの口から落ちた。ルカもしみじみと頷いている。

「そう。俺もそれが不思議でならねえ。だから、クソ女神は元々サハリンで力を持ってた奴なんだと思ってる」

「地元の権力者ってやつか」

「そうだ」

「だとしたら、女神もある程度絞られるんじゃないか?」

 カイがそう言うと、ルカは小さく肩をすくめた。

「かもな。だがあいにく、俺は五年くらい前にここへ渡って来たから、地元の事は詳しくねえんだ。人とも関わらねえしな。下の奴らに訊けば良い」

 ルカはマグカップを置いて立ち上がる。そして四人に手招きすると、先ほどニーナが消えた奥の部屋へ向かった。

 この家には台所、客間の他に三つほど部屋がある。その内の一つが地下にあるルカの診療所に繋がっているようだ。地下への入口がある部屋は、四方の壁に天井まで届く本棚が置かれている書庫だった。本がぎっしりと詰まった棚に囲まれるように、部屋の中央にはハッチのような扉がある。

「この下が俺の診療所だ」

 開かれたハッチは特段頑丈な造りでもなく、霧の侵入を防ぐための工夫も無い。それを見たタケルが梯子を下りようとするルカに言った。

「あんたの患者ってさ、みんなランド・ウォーカーなのか?」

 カイが訳すと、ルカは梯子を下りる手を止めて返す。

「ああ、そうだ。俺が使うために拾ってんだから、外に出て死んじまったら意味ねえだろ」


 地下に降りると、そこは明るい照明が降り注ぐ清潔で静かな空間だった。梯子を下りてすぐにテーブルと椅子があり、その周囲には本がびっしり整列した本棚がいくつか並んでいる。そのテーブルに集まって食事をし、読書を楽しむことができるようになっていた。

 その空間の先には、やはり明るい廊下が真っ直ぐ奥へ向かって伸びていて、その両側に小部屋がいくつかあった。それぞれの部屋には扉があるものの、格子になっていて中の様子を確認できる。

「ここが俺の診療所だ。今は俺が外に出てたから患者はみんな自分の部屋に居る。まあ、現状だと自由に外に出せるのはニーナくらいだけどな」

 そう言うとルカは椅子に腰を下ろして本棚から本を一冊引き抜いた。

「俺はここに居るから、てきとうに訊いて来いよ。終わったら畑仕事を手伝ってもらうからな」

「誰に訊いても良いのか?」

 カイの問いに、ルカは本に視線を走らせながら頷く。

「ああ。機嫌が悪けりゃ返事は返って来ねえだろうけど」

 誰に訊いても良いと言われ、一先ず二手に分かれる事にした。言葉が通じるのがカイとレイだけなので、カイとタケル、レイとアオイで聞き込みに回る。

「なあ、誰に訊いても良いならさ、あの女に訊こうぜ」

 開口一番にそう言うタケル。珍しく、カイも同じことを考えていた。

「ああ。女神の話が出た時の動揺は尋常じゃなかった。恐怖を感じるくらいの情報を持ってるはずだ」

 二人は各部屋の中を覗きながらニーナを探す。それぞれの部屋にはニーナと同じく顔色不良で焦点が合わない人間が一人ずつ入っていた。殆どが男だが、ランド・ウォーカーの比率も男が多いので、ルカの故意ではないのだろう。

 廊下を奥まで進むと、突き当りの部屋にニーナの姿があった。ベッドに仰向けになって天井を見上げている。

「おい」

 カイが声を掛けると、起き上がって虚ろな目を向けて来た。

「なに?」

「訊きたい事がある」

「嫌だ」

 内容を言う前に断られ、カイは溜息と共に彼女の言葉をタケルに伝える。

「よし、俺に任せろ」

「……まさか、この女を逃がしてやるとかじゃねえだろうな」

「そのまさかだ。それしか取引できる事がねえ」

「……仕方ねえ。嘘でも良い、情報だけは引き出せよ」

「はいよ」

 タケルが一歩前に出て、ベッドの端に腰かけているニーナに言った。

「お前、逃がしてくれって言ったよな」

「……うん」

「その依頼、受けてやるよ。その代わり、報酬としてお前が知ってる限りの女神に関する情報を寄越せ。あの医者よりは知ってんだろ?」

 ニーナは不快そうな顔をしたが、女神への恐怖と自分の希望とを天秤にかけて頷く。

「ルカよりは知ってる。見た事もあるから」

 するとニーナはベッドから立ち上がって格子越しに二人の目をじっと見つめた。

「女神の事だけじゃない。司教や兵士達の事も全部教えてあげる」

「よし、じゃあ決まりだな」

 タケルが満足げに頷くと、ニーナの棒切れのような手が格子から伸びて来て、タケルの丸太のような腕を掴んだ。タケルは驚いて痩せぎすな女を見下ろす。死人のような顔色のわりに、手が温かい。

「私をフスモリエにある鳥居まで連れて行って。そこで全て話すから」

「フスモリエ?」

 疑問符を浮かべるタケルにカイが言った。

「ここの北にある町だ。どのみち通過する場所だし、良いだろ」

「そこに何かあんのか?」

 タケルの問いをカイの口から聞き、ニーナは目を輝かせて頷く。この女に会ってから初めて見るような生気のこもった笑顔だった。

「あそこには鳥居があるの。鳥居を見に行きたいのよ」

「……鳥居? ロシアに鳥居?」

「日本人が住んでた頃に建てたんだろ」

 タケルの疑問をあっさり払拭したカイ。そんな二人のやり取りなど眼中にないようで、ニーナは満面に笑顔を浮かべてぶつぶつ話している。その断片を聞き取ったカイは、どこか哀れな気持ちでニーナを見ていた。

「鳥居はね、神様の通り道なの。あそこへ行けば、まだここにも神様が居るかもしれないの」

 ニーナは眩しいほどの笑顔だった。


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