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ランド・ウォーカー  作者: 紀一
樺太
22/22

遭遇

ドリンスクの地下居住区でイリヤと言うロシア人に出会ったカイ達。彼の依頼はランド・ウォーカーである兄を無事に帰宅させて欲しいと言うものだった。一方、レイは司教と呼ばれる正教の伝道師が来ると言う教会へ向かう。

22 遭遇


 三人が部屋を出て行った後、レイは静かになった空間を窓辺へ向かう。小さなリビングダイニングの奥には人工の照明を引き入れるだけの窓があった。窓には頑丈そうな鉄格子がはめられている。まるで牢獄だが、ランド・ウォーカーからすれば地下居住区自体が巨大な牢獄に違いなかった。

 レイは所々色の禿げた鉄格子に指を這わせる。内部の治安が悪い可能性もあるし、外敵に備えた可能性もある。そして格子の向こうに伸びる通りを見やった。今のところ司教と呼ばれる聖職者らしき者の姿は見られない。だが、数人の若者が通りを奥へ向かって行った。そろそろ説教が始まるのかもしれない。レイはさっそく部屋を出て居住区の奥に潜む教会へ向かった。


 ドリンスクの居住区自体が小型なのもあり、教会へ向かう道も人はまばらだ。左右を二階建ての簡素な集合住宅に囲まれた道は、頭上から発光ダイオードの白い光が射すように降り注いでいる。こんなに天井の低い居住区は日本ではあまり見られない。日本では霧が湧く前から使っていた地下の構造物を改造して居住区にしている場所が殆どなので、大抵はもっと大型だ。ここは恐らく霧が湧いた後に居住区として建設された場所なのだろう。そもそもサハリンは人口も多くなかった上にドリンスクは都市とも言い難い地域だった。この居住区の規模がそれをよく物語っている。

 レイはふと、教会への一本道を行く人の中に見覚えのある背中を見付けた。

「おい」

 声を掛けると、男は愛想の無い仏頂面で振り返る。最初は怪訝そうにレイを見ていたが、思い出したように青い瞳を大きく開いた。

「お前、ユジノサハリンスクで……」

 レイは男に近くの家のポーチへ入るよう顎先で示す。男はすんなりとそれに従ってポーチの影に入った。

「お前、確か陸自だよな。何でお前がここに居るんだよ」

 先に口を開いたのは男だった。右頬に銃弾がかすめた痕のある、がっしりとした体躯の若い男だ。

「今は政府の仕事でロシア人のふりをしてる。間違っても俺の事を口に出すなよ。俺とお前は運命共同体だからな」

「政府の仕事?」

「いいか、俺の事は一切口にするな。お前がユジノサハリンスクでやった事をバラすぞ」

 男はレイの冷たい緑の瞳を見ながら重々しく頷く。

「言わねえよ、これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。漸く軍の不味い飯から解放されたところなんだからな」

 そう言う男に、レイはポーチの影から通りの先を目で示した。

「この先にまさにその面倒事があるんじゃねえのか」

「面倒かどうかを確かめに行こうと思ってたんだ。飯も食わずにな。お前こそどうなんだ? その政府の仕事ってのに教会が関係あんのかよ」

「まあな」

「騒動を起こすなよ。万が一お前が陸自だってバレたら、とてつもなく面倒な事になって昼飯を食い損ねる」

「……いい加減、食い物の事は忘れろ。どっかの誰かみたいで鬱陶しいぞ。無いだろうが、もしも俺がしくじったらお前も加勢しろ」

「は? 何で……」

 レイは男が次の一言を口にする前にずいと詰め寄って重い声を押し付ける。

「俺の身に何かあれば、お前が陸自の協力者だと話すからだ。その辺のランド・ウォーカーは何とも思わねえだろうが、司教やその取り巻きは違うはずだ。お前もただじゃ済まねえぞ。昼飯どころか、今日の朝飯が最後になるかもな」

 男は青い瞳を細めてレイを見返した。

「……相変わらず汚い野郎だ」

「目的のためなら何でもする。言っとくが、俺は一人でここに乗り込むほど馬鹿じゃねえ。お前が俺を黙らせたところで、次に黙らされんのはお前だ。解ったか」

 深い溜め息と共に、男は力なく頷く。

「解ったよ。ただ、司教共の本性が分かったら、金輪際俺には一切関わらないでくれ」

「願っても無い依頼だ」

 そう言って通りへ向かって踵を返すレイ。その背中に、男は臭い物を見る目で一言放った。

「俺はお前みてえな半端野郎が一番嫌いなんだよ」

 レイは一瞬足を止めたが、何も言わずに歩き出す。


 教会は思っていたほど質素な佇まいではなかった。塗装もろくに施されていないような集合住宅とは打って変わって、柱と言い壁と言い、純白の塗料できれいに仕上がっている。地下にあるので屋根は無く、柱と壁がそのまま居住区の天井まで達していた。入口は分厚い木製の扉で、金色に塗られている。今は開け放たれていて、教会の中が通りからでも見えた。

 開け放たれた扉の先には白い床が広がり、椅子などは一つも無い。その広い空間の先には鮮やかなイコンがいくつもはめ込まれた壁があった、壁と言っても鉄筋コンクリートや板張りのようなものではなく、天井まで届くほどの巨大な衝立とでも言ったふうである。イコンを支える木製の壁は荘厳な彫刻で飾られ、入口の扉同様金色に輝いている。その壁の中央には扉があり、信者が集まる空間と祭壇とを隔てている。これが話に聞いた事のあるイコノスタシスと言うものかと、レイは扉の手前で荘厳な壁を眺めていた。

 すると、扉の前に建つ純白の柱の陰から不意に男が現れた。特段驚くでもなく立ち止まるレイを頭の先から足の先まで見回した後、男はレイの上着の下を指さす。

「お兄さん、あんた武器を持ってるな。ここは教会だ。悪いがここで置いて行ってもらおうか」

 レイは上着のポケットをまさぐって、あの赤い手帳を取り出した。

「任務中だ。その要請には応じられない」

 男は外見からしてさほど賢そうではないが、食い入るように手帳を眺めている。レイは仕方なく手帳を開いて顔写真を見せた。

「……役人か?」

「そうだ」

「今時役人がわざわざサハリンに来るか? モスクワはどうしたんだよ」

 レイは手帳を仕舞って淡白に返す。

「俺の任務に関してここでお前に説明する必要はない。通してもらう」

「あ、おい」

 有無を言わさず教会に入って行く背中を止めようと踏み出した男だったが、今度は自分が呼び止められてしまった。

「おい、ボディチェックがあるんだろ? さっさとやってくれよ」

 振り返ると、右頬に一文字の傷がある若い男が両腕を軽く広げていた。


 レイが教会に入るなり、その内装が目に飛び込んできた。教会の中は壁にも一面イコンが描かれていて、外見の淡白な様子からは想像もできない。イコノスタシスや大量のイコンなどの装飾は、恐らくこの居住区の真上にあった地上の教会から運び込まれたものだろう。それをここの住人達、主に地底人が代々守ってきたに違いない。

 レイは入口近くの壁際に立って教会の中を一通り見回した。イコノスタシスの手前、柱の陰に隠れた場所に出口が一つある。その壁際に長椅子が一脚置いてあった。天井は高く、頭上に通路は無い。壁には縦に細長いガラス窓が点々と配置されている。入口でボディチェックを行っているだけあって、この場に居る人間の中で武器を携帯しているのは自分だけのようだった。そうは言ってもホルスターは上着の下に隠れているし、意識して覗かない限り見付からないだろう。

 レイの後に入って来たあの男は、見向きもせずに教会の中央へ進んで行く。その後も数人の男たちがやって来て、口を利くでもなくただじっと立ち尽くして司教とやらを待っていた。するとその重苦しい空気を察したかのように、入口に居た男が扉を閉めて中へ入って来る。男は立ち尽くすランド・ウォーカー達の間を縫ってイコノスタシスの前で全員を振り返った。

「定刻となったので集会を始める」

 集会と言う言葉に、レイは内心乾いた笑いが洩れる。説教などとたいそうな言葉を使っているが、結局はただの集会なのだ。教会の中に揃った面子を見ても、誰一人として敬虔な正教徒と言った様子の者は居ない。全員男だと言う事と、司教とやらがさっさと顔を出さないものかと退屈そうにイコンの群れを眺めている事が共通点だ。

 方々に散った彼らの視線を一カ所に集めたのは、きらびやかな衣装に身を包んだ中年の男だった。男はイコノスタシスの扉から現れ、あの豪華絢爛なイコノスタシスにも負けず劣らずどっしりとした存在感を放っている。その表情も妙に自信に満ちており、優しさと言うよりは威厳を振りかざす不敵な笑みを浮かべていた。

「よく集まってくれましたね、ドリンスクの皆さん」

 司教は教会に集まった雑多な若者たちを見回して声を張る。

「今日ここに集まってくれた皆さんは地上に出ても死なない方々だ。そんな皆さんに神のお話をしたとて貴重な時間を無駄にさせてしまうのが関の山。皆さんには、より現実的なお話をさせて頂こうと思います」

 レイは呆れを通り越してもはや感心の域に達していた。ここまで開き直っていればどんなに厳格な宗教家も、あの司教を非難する事はできないだろう。

「さっさと本題に入れよ」

 どこからかそんな声が飛び出し、司教は一瞬目を凍らせたものの、すぐにあの笑顔に戻って話し出す。

「では、そうしようか」

 そう言って司教は内陣に一歩踏み出した。

「我らロシアと憎き日本との武力衝突が始まって以来、ここサハリン州はその前哨地として激戦が交わされてきました。しかし多くの犠牲を払った今、なおも日本に押され、皆さんも知っての通りユジノサハリンスクも日本人御手に落ちてしまいました。このままではサハリン州のロシア人は皆、日本人の奴隷と化してしまう……」

 奴隷となるかは別として、日本が圧倒的に優勢な事は確かだった。

「同胞の中にも安定した生活を求めて日本人と契約する者も居ますが、日本人は元来異民族への差別意識が強い民族です。我々ロシア人は過酷な労働を強いられる」

 そこで司教は一度咳払いをして居住まいをただした。

「そこで我々正教会サハリン支部は立ち上がりました。本土からの応援も乏しい中、自分の身は自分で守らねばなりません。皆さんがロシア人として尊厳を持って暮らすためには、サハリンから日本人を追い出す外ないのです」

 そんな時、どこからか半ば冷やかしの声が飛ぶ。

「坊さんがそんなこと言って良いのかよ」

 ちらほらと笑いが起きるが、その空気を司教は自信に満ちた持論で一蹴した。

「銃で奪いに来る者は、銃でしか向かい打てません。あなたは武装した日本人に丸腰で向かいますか」

 司教は奪いに来ると言ったが、そもそも最初に武力行使に走ったのはロシア人だ。レイは持論を力説し続ける中年男に冷ややかな目を向けていた。

 そんな中、あの傷のある男が司教の説教など聞きもせずに声を上げる。

「あんたの思想なんかどうでも良い。あんたらに雇われたら、どんな生活ができる? 報酬は何だ」

 単刀直入に本題を切り出した男の声に、教会の中はしんと静まった。ここに集まった誰もが最も聞きたかった話だ。

「無論、この居住区に居るよりも良い生活を保障しましょう」

「飯はどんなだ?」

 男の問いに司教は眉をひそめて首を傾げる。

「は? 食事ですか」

「そうだ。軍や自衛隊より良い物が出るんだろうな」

「……あなたは軍に居た経験があるのですか」

「ああ」

 その肯定の一言に、司教は満面に笑みを咲かせて大いに頷いた。

「それはもう、当然の事です。まして自衛隊など、お話しになりません。ロシア人の舌に合った食事は、ロシア人にしか作れません。そう思いませんか」

 男は返事もせずに何やら考えているようだが、そこに司教が付け加える。

「少なくとも、ここに居るよりは良い食事や生活環境を報酬として保障しましょう。もしも我々と共に立ち上がろうと言う方が居ましたら、この後地上の教会跡へお越し下さい」

 そう断言して、司教はイコノスタシスの向こうへ去ろうとするが、そこに入り口でボディチェックをしていた男が歩み寄り、何やら耳打ちした。神妙な面持ちで密やかな声を聞いていた司教は、重い視線を教会の隅に居るレイに向けて来る。レイもその視線に気付き、ただ黙って見返していた。すると司教に一言告げられた男が、一度頷いてレイの下へやって来る。

「司教が呼んでる。あんたも地上の教会に来てもらいたいそうだ」

「分かった」


 イリヤにボルシチの作り方を教わったカイ達は、漸く門の管理部屋を出て教会へ向かうべく歩き出したところだった。そこに外へ向かうランド・ウォーカー達がぞろぞろと列を成して向かって来る。

「あれ、終わっちゃったんじゃね?」

 タケルは物珍しそうにロシア人の列を眺めているが、向こうも向こうで三人の日本人を怪訝そうに見ている。

「兄さん!」

 不意に背後の管理部屋からイリヤが飛び出してきて、列の中の一人を呼んだ。金髪碧眼で頬に傷のある男が足を止める。そこへイリヤは一目散に駆けて行った。

「兄さん、まさか司教に付いて行く気なの?」

 イワンはイリヤの背後に居る三人の日本人を一度眺めてから、視線を弟に戻す。

「詳しい話を聞きに行くだけだ」

「行かないでよ。だって、司教に付いて行ったら……戻れないかもしれないんだよ」

 イリヤは声を潜めて司教の忌々しい姿が近くに無い事を確かめていた。

「昼飯だってもうできてるんだよ。ボルシチを作った」

「ボルシチ……」

 イワンは今まさにボルシチが待っている管理部屋のドアを見やった。恐るべき誘惑だったが、それでも何とか振り切って列に続くべく歩き出す。

「兄さん!」

 縋り付く弟に、イワンはその肩を掴み、声を潜めて言った。

「あいつが行くって言うんだ、俺も協力しないとヤバい事になる。良いから、お前はここで待ってろ」

 イワンが視線で示す先には司教と共に歩くレイの姿があった。

「……あの人って」

「何も言うな。黙って俺の分のボルシチは取っとけ」

 イリヤの不安が徐々に笑顔に変わっていく。

「分かった」


 列の最後尾にレイの姿を認め、アオイが真っ先に手を挙げてこちらの存在を伝える。するとレイは、並んで歩いていた煌びやかな服に身を包む中年男にカイ達を示した。

「司教、彼らは日本政府からの使者です。私の任務は彼らをロシア政府の高官と会わせる事。そのために偶然ここを訪れた訳です」

 畏まって話すレイを初めて見たカイは目を丸くして半歩たじろいだ。タケルでさえ、何を話しているかは分からなくても、いつもの傲慢で殺気を含んだレイとはかけ離れた姿に絶句している。

「日本政府の使者ですか」

「はい。彼らを会合場所まで無事に案内する途中なのです。都合により、目的地はお教えできませんが」

「なるほど、そうですか。そんな任務を負っていらっしゃるあなたが、我々の話を聞きにいらしたとは」

 レイはやや声を落として言った。

「これは日本政府からの申し出。現状、劣勢の我々に交渉を拒否する選択肢はありません。ですが、あなた方の勢力がどれほどのものか、政府も興味があるのです」

「そうですか」

 司教は満足そうに頷いて歩みを進める。レイは司教に続きながらカイに僅かな笑みを寄越した。

「私は所用があるので、先に車両へ戻っていて下さい」

「……あ、ああ」

 しどろもどろしているカイに、レイは緑の瞳を細める。そして三人に背を向けて歩き出すが、背後で何やら手を動かしていた。それを見たアオイが珍しく真面目な顔で頷く。

「了解」

「え、何が?」

 タケルの問いにアオイは静かな声で先ほどの合図を解説した。

「応援を呼べって事だ。上でドンパチするよ、タケル。すぐに車へ行ってドリンスクの駐屯地へ無線を飛ばせるかやってみよう。無理なら直接呼びに行く。幸い、駐屯地はすぐそこだ」


 司教に続いて地上の教会跡地へ来たレイ。今にも崩れ去りそうな廃墟だが、元々石造りで頑丈なため、かろうじて小部屋がいくつか残っていた。その中の一つに案内され、他のランド・ウォーカー達は部屋の外の広い空間に通される。

 机も椅子も無い廃墟の小部屋で、レイは司教、そしてその護衛の男と向き合う形で立った。幸い、崩れかけた壁の傍なので、何かあった時はすぐに壁の向こう側へ出られるだろう。

「先ほど、政府が我々に興味を持っているとおっしゃっていましたね」

 予想していた通りの切り出しに、レイは笑みを浮かべて頷く。

「はい、まさしく」

「政府として我々を支援して頂けると言う事ですかな」

「あなた方の人員、装備、支配地域などの状況によっては、もちろんその可能性もあります。政府は今や無力と思われていますが、拠点を南下させて今でも機能しています。その上で、サハリン州はエネルギー供給面でも重要な場所ですから」

「これまではなかなか支援を頂けず、ロシア軍も苦戦して来たようですな。いや、政府の方にこのような事を言うのも失礼でしょうが」

 レイは品の良い笑みを浮かべて返した。

「いえ、その点に関しては情けない事ですが事実ですので。言い訳になりますが、ウラジオストクの戦況が芳しくなく、そのためサハリン州まで支援が行き届かなかった次第です。ですがご安心下さい。ウラジオストクの戦況は好転しつつあります。今ならばサハリン州へ支援を送る事も可能です」

「そうですか、それは良い知らせですね」

「はい、とても。では、あなた方の勢力について教えて頂けますか」

 司教は単純そうに見えて疑り深い男でもあった。すぐには首を縦に振らず、代わりに右手を寄越してきた。

「我々としましても、詳細をお話しするにはそれなりの確証が必要になりまして。申し訳ありませんが、身分証を改めて拝見しても宣しいですかな」

「どうぞ」

 レイは上着のポケットからあの赤い手帳を取りでして、司教の分厚い手に乗せる。司教はその手帳を隅から隅までよく見回して、貼られている顔写真と目の前の若者とを交互に見比べていた。それから漸く手帳をレイに返す。

「では、お話ししましょう」

 そう言うと司教は小部屋の向こうに集められた若者達を視線で示した。

「我々は日本人からここサハリン州を取り返すべく、各地でランド・ウォーカー達に呼びかけているのです。私が管轄している南部ではおよそ千人程度で、軍を辞めた者も多く居ます」

「なるほど。武器の調達はどのように? 既に構築されている運搬経路があるなら、政府としても支援し易いのですが」

「北部で製造し、南部へ送られてきます。運搬は車両や船を使う事もありますな。政府から送られるとなると、本土から船で運搬でしょうか」

「完成品を送るとなれば、そうなるでしょう。しかし、北部の拠点で自活されているとは、驚きました。多くのランド・ウォーカー達をまとめ上げるのも容易ではない。何か彼らを使役するコツがあるのでしょうか」

 すると司教は意味深な笑みを浮かべて頷く。

「衣食住はもちろん、ランド・ウォーカーに限らず、人間であれば誰しも魅了できるものがあるのですよ。ただ、この点に関しては私の一存ではお話しできかねます」

「……ほう。あなたの雇い主に確かめる必要がありそうですね」

「それはお止めになった方が宜しいですな。政府の役人と言えども決して膝を折らない女ですから」

「念のためにお聞きしたいのですが、その気丈な女性はどこに?」

 レイの問いに、司教は表情を硬くして少しの間口をつぐんでいた。漸く重たい唇を開いたかと思えば、どこか鬼気迫る声で淡白に返す。

「それは言えません。私が殺される」

「……という事は、知ってはいるのですね」

「…………」

 その時、レイは微かに聞こえる複数のエンジン音に気が付いた。次の瞬間には、レイの手はホルスターの拳銃に伸びる。

 抜かれた拳銃はその口に護衛の男を捉え、声を発する間もなく額から一直線に数個の風穴を開けた。突然の銃声に小部屋の外に集まったランド・ウォーカー達のどよめきが聞こえる。

「な、なにを……!」

 司教は狼狽して今にも崩れそうな石の壁に縋り付くが、レイの銃口はそんな中年男も逃がさなかった。

「ただお話しして欲しいだけですよ、あなたの雇い主について」

「どうして……」

「あなた方がランド・ウォーカー達を手懐けている方法はとても有用です。物資や人員の支援の代わりに政府がその情報を得られれば、サハリン州奪還も近くなる。そう思いませんか」

 司教の分厚い手が乾いた石の壁に触れ、小刻みに震えている。人に戦いをけしかけるわりに、本人はこうした場面に弱いようだ。

「できません……! 彼女を裏切れば、地獄を見る……」

 そう言うなり、司教は懐から小型の拳銃を引き抜き、銃口を自身の喉元へ向けた。

「政府に捕らえられるか、彼女に罰せられるか……どちらも御免だ」

 言い切るや否や、司教は引き金を引いた。石の壁に赤いしぶきが飛び散って鮮やかな模様を付ける。

「くそ、死にやがった」

 レイは外の様子を気に懸けながらも、床に転がる司教の死体を漁った。ゲリラの元締めに繋がる情報を何か持っているかもしれない。

 だがそんな模索も長くは続けられなかった。小部屋の外では複数の足音がこちらに向かって駆けて来ていたからだ。何とか一つでも情報を得たいと、レイは司教の体も確認していく。煌びやかな衣装の袖を引き上げると、太い腕には異質な傷跡がいくつかあった。

「これは……」

 レイは司教の袖を戻し、崩れかけの壁に空いた穴から外へ飛び出す。土と緑に浸食された石の床に足を着いた途端、小部屋に男達がなだれ込んで銃声が重たい空気を次々に引き裂いた。小部屋での惨状を目にした男達は、すぐさま敵が逃げ出したであろう壁の穴に駆け寄った。

 銃声は機関銃のものだ。ハチの巣にされる前にレイはランド・ウォーカー達が右往左往して逃げ出していく礼拝堂跡の空間に駆け込む。この礼拝堂跡も殆ど崩れかけだが、背の高い壁はある程度残っているので、逃げ出すランド・ウォーカー達に紛れて外まで駆けて壁の陰に隠れたい。

 だがその期待とは裏腹、壁の向こうから機関銃を持ったロシア人が数人現れた。レイは人影に隠れながら咄嗟に銃口を向ける。その時、レイの銃口が捉えていた男が背後から何者かに殴られて姿勢を崩した。よろけた男の手から機関銃をむしり取ったのはイワンだった。

「早く来い!」

 イワンはそう言って、レイを狙う男を撃ち殺す。レイもイワンの背後に居る敵を壁の隙間から撃った。

「良い連携だ」

 イワンと合流したレイは、そう言って弾倉を出して新たに装填する。イワンはその間も教会の周りに潜んでいたゲリラ達を撃っていた。

「助けてやったんだ。礼くらい言えよ」

 けたたましく鳴り続ける銃声の向こうに聞こえるイワンの声に、レイは物陰へ身を隠しながら言う。

「助けてやったのは俺の方だ」

 先ほど聞こえたエンジン音は自衛隊の車両のものだ。その確信があって始めた銃撃戦だったのだ。ドリンスクの街はずれに駆け付けた応援部隊から、次々に緑の迷彩が出て来ていた。


 レイが司教と共に教会の跡地へ向かった直後、アオイは車両の無線を使って街にある駐屯地との交信を試みた。だが、どこからともなく湧き上がる霧によってそれは阻まれてしまう。通信機器が使えないと分かるや否や、すぐさま車両を走らせて駐屯地へ向かい、応援部隊を呼んで戻って来たのだ。

 濃い緑の軍用車両が到着するや否や、教会跡から銃声が響いた。それを開戦の合図に、アオイは銃を持って応援部隊と共に潜んでいたゲリラ達に応戦する。

「カイ、お前はここに居ろ。頭を低くして隠れてろよ」

 タケルもレイが持ち出してきた銃を手に車両から飛び出し、レイの援護へ向かった。

 一人、車両に残ったカイは、いつでも発進できるように運転席で身を低くする。銃声の嵐の中で時折外の様子を覗き見ると、教会跡の方で爆音と共に土埃が高く舞い上がっていた。どうやら自衛隊が手榴弾を投げたようだ。その爆風に交じってカイの乗る車両の装甲に数発の銃弾が当たって弾ける音が刺さった。

「くそ」

 ここも危ないかもしれない。カイは極力身を低くしたままアクセルを踏んで車両を街の方へ移動させる。銃弾の衝撃が無くなった場所で停止し、再び頭を低くしていた。

 その時、車両のドアを叩く音がする。タケルが戻ったのかと思い、カイは運転席のドアを開けた。火薬臭い空気が流れ込んだ瞬間、カイは強い力で車の外へ引きずり出されてしまう。車高が高いので、殆ど落ちるような形でカイは地面に着地した。

 何事かと顔を上げると、そこには驚くべき顔がある。

「お、お前……何で……」

 地面にしゃがみ込んだままカイが見上げた先には、ユジノサハリンスクへ行く道中で殺したはずの中国人が立っているではないか。

「やはり見覚えがあるか」

 美しい中国語で返って来た声。その様子にカイは眉を寄せる。

「お前……フェイなのか」

 今まさに自分へ銃口を向けている中国人。確かに顔はあの時死んだはずのフェイとそっくりそのままだ。だが、雰囲気と言い口調と言い、まるで別人のようだった。

「フェイは弟だ。よくも殺してくれたな」

 シャンは地面にへたり込んだままの色白の少年を見下ろして目を細める。この非力そうな少年に殺されるほど、フェイは無力ではない。中国語も操るこの少年は、武闘派とは程遠い。間違いなく実行犯ではないのだろう。だが、この車両のダッシュボードには赤い置物があった。最初は無人かと思っていたが、動き出したため人が居ると踏んで近寄り、運転席から引きずり下ろしたのだ。

「お前がフェイを殺したのか」

 カイは両手を挙げて、端正な顔つきの中国人を見返す。

「俺じゃない」

「誰が殺した」

「弟の復讐か? 情け深いんだな」

 するとシャンは無表情のまま撃鉄を起こした。

「誰が殺した」

「プログラムされた事しか話せねえのか?」

 カイの言葉にシャンは冷たい目を細め、カイの足元に一発撃ち込んだ。しゃがみ込んだままのカイの膝から数センチの地面に穴が空く。それでもカイはうろたえるでもなくシャンを見上げている。

「……俺の名はシャン。フェイは俺が認めた唯一の人間だ。あいつを殺したと言う事は、俺自身を殺した事に等しい」

 シャンの銃口が、今度は間違いなくカイの額を捉えた。

「今度は殺す。さあ、誰が殺したか言え」

 カイは一瞬シャンの背後を見て、観念して答える。

「あのデカい奴だよ」

 顎先で銃撃戦が繰り広げられている教会跡の方を示し、シャンがそちらに視線を移したその時、駆け付ける足音と共に何かが空を切る高い音がした。

 シャンが咄嗟に飛び退くと、鉄パイプがその背中を僅かに掠る。

「カイ、生きてるか!?」

「見れば分かんだろ。生きてるよ」

 シャンがカイから離れた所でタケルは目の前の中国人に銃口を向ける。シャンも態勢を立て直しながらタケルを捉えた。二人の銃口が互いに互いを捉えた時、カイが声を上げた。

「やめろ!」

 タケルとシャンは銃を構えて睨み合いながら立ち止まる。そこにカイの流暢な中国語が流れ込んだ。

「ここで殺し合ってもお互いに得は無い。お前の弟を殺したのもこいつじゃねえしな」

 そう言って立ち上がるカイは、タケルが背中側のベルトに挟み込んでいた拳銃を引き抜く。

「二対一じゃお前に勝ち目はないぜ、シャン」

 だがシャンは少しも動じなかった。

「ある。お前達を同時に殺せば良い」

「勝機の薄い賭けだ。それより、ゲリラ共の情報と引き換えに逃がしてやると言ったら乗るだろ」

 シャンは少しの間黙っていたが、静かに銃を下ろす。

「俺が言える事は一つだけだ。ロシア人達は信仰を利用して地底人を操り、何らかの特殊な報酬を使ってランド・ウォーカーを使役している」

「……特殊な報酬?」

 小さく頷き、シャンは人形のような表情のまま言った。

「奴らは生活のわりに死人のような顔をしている」

 その時、街を取り囲む深い森の中から照明弾が打ち上がった。恐らくゲリラ達への撤収の合図だろう。それを見たシャンはタケルの銃口を警戒しながら、静かに廃墟の群れへと消えて行った。

 二人が何を話していたのか分からなかったタケルは、カイから拳銃を取り返して言う。

「何話してたんだよ」

「逃がしてやるからゲリラの情報を寄越せって言った。そしたら、なぞなぞみてえな事言ってやがった」

「は? なぞなぞ?」

「奴らは特殊な報酬でランド・ウォーカーを操っていて、ランド・ウォーカー達は生活のわりに死人のような顔をしているだってよ」

「何だそれ」

「知らねえよ」

「まどろっこしい奴だな。逃がす必要なかったんじゃねえのか」

「こっちも無駄に負傷したくねえからな」

「それよりさ、あいつ誰かに似てない?」

 タケルのとぼけた一言に、カイは深々と溜息を吐いた。

「フェイだろ。お前が殺した中国人だよ」

 タケルは頭に垂れ込めていた疑問が解決し、大きく頷く。

「そうだ、思い出した! 何で生きてんの? 怖いんだけど」

「フェイの兄貴なんだってよ。名前はシャンだって言ってた。双子なんじゃねえの?」

「へえ。ランド・ウォーカーにも兄弟愛があるのか」

 感心するタケルをカイが一蹴した。

「そんなもんねえよ。あいつは弟に自分を投影していただけだ」


 銃撃戦が静まったドリンスク。レイは駐屯地からの応援部隊と話をしていたので、その間に三人はイワンと共にいったん居住区へ戻る事にした。イリヤから報酬のピクルスをもらうために。

 居住区では地上から逃げ込んだランド・ウォーカー達が、地上からの生還者に安堵して外へ出て行く。その波に逆行してイワンとカイ達は門の管理部屋へ向かっていた。ドアノブへ手を伸ばすと、イワンの手が触れる前にドアが開いてイリヤが飛び出す。

「兄さん!」

「イリヤ」

 イリヤはイワンを頭の先から足の先までよくよく確かめてから、そのままの勢いでハグをした。

「良かった、怪我もしてないね」

 ハグを返すでもなく、イワンはイリヤから離れて淡々と言う。

「これであの野郎との腐れ縁も終わりだ。飯食うぞ」

「うん、そうしよう」

 さっさと部屋に入って行くイワン。イリヤはその背中を眺めていたが、三人を振り返って笑顔を寄越した。

「ごめん、兄さんはいつもあんな感じなんだ。約束通り無事に連れ戻してくれてありがとう。お礼は用意してあるよ」

 そう言って、イリヤはピクルスの瓶をカイに手渡す。

「ガスで破裂しないように、蓋は少しだけ緩めておいてね」

「分かった」

 カイはもらったピクルスをしっかり抱えた。だが、それをアオイが掠め取る。

「ありがとう! 大事に食べるよ!」

 目を輝かせるアオイに深い溜め息をつき、カイは気を取り直して優しい笑みを浮かべるイリヤを見た。

「あんな兄貴でも、戻って嬉しいのか」

 イリヤは笑顔で頷く。

「ああ、もちろん。俺にとって、兄さんはたった一人の家族だからね」

「そうなのか」

「きっと、君の妹もそう思ってるんじゃないかな」

 カイは今となっては確かに思い出す事もできない妹の顔を思い浮かべた。

「……どうだろうな」


 三人が車両に戻ると、一足先にレイが助手席に座っていた。どうやらこの男はつくづく運が良いようで、やはり無傷だった。

「何だそれ」

 三人が乗り込むなり、アオイが持って来た瓶を示すレイ。アオイはそれをレイに見せながら満面に笑みを浮かべる。

「ロシアのピクルスですよ、レイ! 時期が来たら一緒に食べましょうね!」

「……要らねえよ。酸っぱいもんは嫌いだ」

 そんなやり取りに全く興味の無いカイは、エンジンを掛けながら助手席でくつろいでいるレイに言った。

「あのイワンって奴、何でお前に協力したんだ?」

 するとレイは一瞬言い淀んだが、小さく息を吐いて返す。

「……あいつはユジノサハリンスクを落とした時の協力者だ。まさかここに移り住んでたとはな」

「やっぱロシア人の協力者がいたんだな」

 後部座席から来るタケルの声に、レイは小さく頷いた。

「美味い物が食いたい。ただそれだけのために同じロシア人を何人も殺せる野郎なんだよ」

 呆れを含んだレイの声だったが、それを受けたアオイの声はいつものように明るく張りがあった。

「単純明快で良いじゃないですか。変な理屈こねて戦争してるけど、人が人を殺す理由なんて、結局のところそんなもんでしょ」

 返す言葉も無く、カイはヘッドライトを点けた。まだ日は高いはずなのに、霧がなかなか晴れない。



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