勇者のいる場所。
ふと目を覚ますと、ここが何処なのか理解できなかった。
暖かな寝具の中。しかし、顔は冷たい空気を感じている。
ぼんやりとした頭に、いつものジーナの声が聞こえてくる。
「殿下、お目覚めですか?」
ジーナの声が頭の中を通り過ぎていくようだ。いつもなら直ぐに起きるのに。
そんな他愛もない事を思いながら、シェラザードは冬の布団の温かさを堪能していた。
誰かが木の扉をたたく音が聞こえる。
ジーナともう一人の騎士シンシアの声も聞こえる。
そして、誰かが入ってきた。
「おはようございます。姫様、起きておられますか?」
若い女性の声だが、聞き覚えがない。その声で急速に目が覚めた。
「はい。起きています」
シェラザードは慌てて身を起こした。
目の前には昨夜世話をしてくれた女性二人が立っており 、手には鮮やかな布地を持っていた。
「姫様、今日はよく冷えましたから、ダウナーという長衣に、冬の上着を重ねましょう」
そう言いながら、膝下まである美しい色柄の長衣と、太いベルト、そして綿が入っているような上着を差し出した。
女性たちに、あっという間にルリアス式の衣装を着付けられた。
衣装は赤を基調に青い模様が織り込まれ、ベルトも青。ダウナーの下には細身の青いズボン。上着も青に薄い黄色の刺繍が施されている。
美しい、それに驚くほど軽くて暖かい。シェラザードはその手でダウナーの刺繍をなぞった。
「その刺繍は、冬の伝統柄なんですよ。子ヤギの柄なんです。健康を祈る柄ですね」
女性は微笑みながら教えてくれた。上着の刺繍は母ヤギ。この柄は対になるらしい。
よく見ると、確かに柄は小さなヤギのようにも見える。
「柄や刺繍に意味があるのですね」
「ええ。そうです、こちらでは、柄に祈りを込めます。健康、子孫繁栄。豊かさ、無事に戻るように‥様々な祈りを織り込みます。ひと針、ひと織り思いを込めるのですよ」
「面白いですね。他の柄はどんな意味なのでしょうか」
「ええ。そうですね。例えば‥」
女性はそう言いながら、壁にかかるタペストリーを指さした。
そのタペストリーは二人の人物が手を取り合って、空を指さしている。
「冬のタペストリーの柄です。この二人は双子で、指差しているのが、北の星ですね。このタペストリーの意味は、新しい始まりです。だから新年を迎える冬の柄なんです」
よく見たら、二人の指さす場所に、緑の大きな星の模様があった。
‥あれが北の星。聖王国では北天で、一年中沈まずに天にあり続ける星を、大地と豊穣の女神の星と呼んでいる。
ルリアスでは北の星。やはり、国が違えば呼び名も変わるのだな。そう思った。
護衛騎士二人も女性たちに促されて、ルリアスの伝統衣装を身に着けた。
「食事の用意が整いましたら、お迎えに上がりますね」
そして、集落の中を3人で散策するように勧められた。
住居を出た瞬間、肺の中まで凍りそうな冷たい冬の空気が全身を包んだ。
吐き出した息は白い雲のようになり、霧散する。
昨夜、雪が降り続けたのか、辺り一面は朝日に白く輝いていた。
踏み出した足の下から、キュッキュッと雪を踏み固める音がする。
集落の中では既に多くの人が、それぞれの作業に勤しんでいた。
各家から立ち上る、白い煙。ミルクティーを煮出す甘い茶の香りが一面に立ち込める。
集落の中心にある井戸には数人の女性が、水汲みがてら、お喋りに花を咲かせている。
そして、シェラザードを見つけると笑みを浮かべて手を振ってくれる。
それに、軽く礼をして挨拶を返す。
ヤギ小屋前の囲いでは、男たちがヤギを「オウ。オウ」と互いに掛け声をかけて追い立てていた。
ヤギ達は大きな体を寄せ合い、身体から立ち上る白い湯気が辺りに漂う。
その横では囲いの中の雪を手際よく掻き出す男たちの姿がある。
「おい。アルト、お前、動きが鈍くなってないか」
「ええ。そんなことないよ」
「いや。後で鍛えてやろう」
その中に、昨日ヤギで迎えに来た青年、ソールと勇者であるアルトの姿があった。
お互いに笑いながら軽口を飛ばし、懸命に作業を続ける。
その傍では、同じ作業を続ける大人たちも笑顔で言葉を交わす。
ルリアスの伝統衣装に身を包み、顔を上気させて白い息を吐きながら笑顔で雪を掻く。
そのアルトの姿を見た時、シェラザードは思った。
アルトの居場所は、聖都ではない。聖剣教会でも、王宮でもない。
ここなのだ。
雪とヤギと、人々の笑い声の中にいる少年。
それが、アルトなのだと。




