王女様、ルリアスで食卓を囲みます
灰色の空からは、止むことなく雪が降っていた。
ひらひら。ひらひら‥
見上げていると絶え間なく落ちてくる雪片に吸い込まれそうになる。
それでも、灰色の中を舞う雪に魅せられてしまう。
ずっと上を向いていたせいか、首が痛くなりかけ、急いで前を向いた。
そこには、少し雪の積もったヤギの頭が見えた。
立派な角の横にある耳が時折動く。
寒そうね‥‥
シェラザードは精一杯手を伸ばして、優しくヤギの頭や耳に積もった雪を払った。
ヤギはゆっくり振り向いて、シェラザードをちらりと見た。
そしてまた、前を向く。小さく鳴らした鼻が「ありがとう」と言っているような気がした。
シェラザードはふと思った。
教会で過ごした10年の日々、毎日の祈り。
朝夕、聖鞘ルーングリンと大地の女神に祈りを捧げた。
その日々の中で、一度でも神の意志を感じたか?心通わすことがあったか、と。
今、ヤギと確かに心が通った気がした。
その感覚は、シェラザードの心に小さな灯をともした。
* * *
「アルト!」
「おかえりなさい。アルト!」
「遠いところをよく来たね」
「まぁ、中へお入りくださいな。暖かいミルクティーを飲みなさい」
大勢の民族衣装に身を包んだ人たちが調査隊一行を出迎えた。
到着したのは、アルトの一族「ルーガリアの民」の冬営地。
北方山脈の中腹にあるルリアスの中でも、もっとも南に暮らす一族が冬を過ごす村だ。
岩山を抜けた山間の谷間、厳しい北風も山影にさえぎられる場所に冬営地はあった。
僅かな平地を利用して、石を積んでできた住居が並ぶ。
住居の間には木の板で簡素な屋根が渡され、その下に木材や干し草が積まれている。
薄く積もった雪の上を歩く鶏も見える。
斜面の岩肌を利用して、半地下の大きな小屋が幾つも作られている。
中では、ヤギ達が思い思いに休んでいた。
雪雲の切れ間から薄い日の光が差し込み、辺りをぼんやりと明るく照らしていた。
屋根の煙突から出る煙も、ゆるやかに揺れながら天に昇って行った。
カイルは周囲を見渡し、意外なほど大きな規模の集落に驚いていた。
一族だけだと聞いていたから、もう少し小規模の村を想像していた。
しかし、その規模は想像の倍はあるだろう。
これが、冬だけ人が住む冬営地とは。
「ヤギだけで500頭、ヤクも100頭はいるからね」
「春から秋は家族単位で放牧地へ行くけど、冬は一族全員がここで過ごすからね」
アルトはそう言って笑っていた。冬は遊牧の民には特別な季節なのだろう。
春に別れ、冬に集う。そして、また春が来る。季節の移り変わりで、人も家畜も暮らしを変える。
それは、聖都で暮らすカイル達には想像がつかない暮らし方だった。
石造りの家の中は、驚くほど温かい。
勧められるまま居室へ足を踏み入れると、足元の絨毯は沈み込みそうなほど毛足が長く暖かい。
中央に置かれた大きなストーブでは、大鍋いっぱいのミルクティーが煮立ち、暖かな湯気を上げていた。
周囲の壁という壁には、大きなタペストリーが隙間なく何重にも掛けられている。
その色鮮やかさや、柄の美しさには目を見張る。
部屋の奥に大きな青いクッションが置かれ、ひとりの中年男性が胡坐をかいて座っている。
どうぞおかけくださいと言う案内に従い、皆それぞれに美しい色合いのクッションへ腰を下ろす。
「ようこそ、殿下。聖王国の皆さん。私が族長のオルグです」
「この度はアルトがとんでもないご迷惑をおかけしたと、ガレリアから聞きました。何とお詫び申し上げれば‥」
そう言って床につきそうなほど深く頭を下げた。
「ええ~。また俺の話?何もしてないって!」
アルトの抗議の声はその場の全員から軽く無視された。
「どうか頭を上げてください。族長様」
シェラザードがオルグに声を掛ける。
「私達は責めるために来たのではありません。ただ‥知りたいのです。このルリアスにその答えがあると聞きました‥」
「冬の間、色々とお世話になりますが、よろしくお願いいたします」
そう言って、今度はシェラザードが頭を下げた。
オルグはちらりとガレリアに目配せをすると、シェラザードに向き直り笑顔で言った。
「では、長旅で冷えた身体を温めましょう」
そう言い、手を打ち鳴らして大きな声で言った。
「さぁ、皆さんにお食事をお持ちしてくれ」
まず、オルグは部屋の中央の大鍋で煮たミルクティーを、木の器へ注いでいく。
バターを溶かし、シナモンで香りをつけたお茶は、普段は塩で味付けるが、今日は特別砂糖を入れてある。
塩味に慣れないだろう聖王国の客人へのオルグの気遣いだ。
器に注がれたお茶を、アルトが皆に配る。
次々と運ばれる料理は大皿に盛られ、どれも暖かそうに湯気を立てている。
鳥の肉団子を煮込んだシチューはトロリと上にチーズが乗っている。
その横には揚げたばかりのパン。
薄く伸ばした小麦の生地で香草やひき肉を包み、蒸しあげた料理。
それは、聖王国暮らしのシェラザードやカイルが初めて目にする料理であった。
「はぁ。体に染み渡る。温もりますねぇ。それにいい香りです」
オリバーがミルクティーを一口飲んで、しみじみとそう呟いた。
「それは良かった。先日、キャラバンからシナモンやスパイス類を幾つか仕入れたのですよ。寒い日には、シナモンがよく効きます。さぁ、食事もどうぞ」
オルグが笑顔で食事を勧める。
大皿から食事を取り分けた経験のないシェラザードは戸惑う。
すかさず、アルトが器にシチューと揚げパンを入れて
「はい。これ。パンをつけて食べたら美味しいよ」
と、シェラザードに手渡した。
「あと、これ、中に肉と香草が入ってる。熱い汁が出るからやけど気を付けてね」
アルトから次々料理の入った器を手渡されたシェラザードは、両手に器を持って固まった。これ、どうしたらいいのだろう?
「こら、アルト、次々渡すのはいいが、こちらのやり方を説明してからだ」
オルグがアルトにそう窘めた。
「ああ。そうか!ごめん。器、そのまま下においていいけど、気になるならこれを敷くといいよ」
そう言いながら、アルトは木製の四角い盆を差し出した。
その上に器を並べ、スプーンとフォークを添える。
「さぁ!食べて。美味しいよ」
アルトは笑顔でシェラザードに食事を勧めた。
狭い居室の中、お互いの肩が触れ合うほどの距離で、みんなが同じ食事から立ち登る湯気に顔を火照らせている。
暖かな空気、温かい食事。人の笑顔。「美味しい‥」自然とシェラザードの笑みがこぼれる。
外は驚くほど静かだ。しかし、この小さな空間に満ちる香草や肉の匂いと、皆で食事をとる賑やかな音、そして人々の笑顔が、シェラザードには何にも代えがたい至高の贅沢に思えた。




