↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
38/52

勇者、ここから先はヤギと共に。

かつて聖王国へ向かうために通ったこの道は、緑の牧歌的な風景の中を進む道だった。


緩やかな斜面には色とりどりの高山植物が咲き乱れ、よく冷えた清らかな湧き水のせせらぎが道の傍を流れ、耳を楽しませる。

吹く風は爽やかな緑と花の香りを運び、人々に安らぎを感じさせた。


人の往来は少ないが、道行く旅人の心を癒す。そんな楽園を思わせる街道だった。


だが冬の訪れでその風景は一変した。

緑の斜面は、枯れた草とむき出しの岩肌が作る灰色の世界へと変わり、美しいせせらぎも聞こえない。


夏には水音と虫の声が重なっていた道も、今は風の音だけが支配している。

ただ、凍り付いた水辺は周囲に針のような鋭いつららを光らせていた。


空から降り始めた雪が、その荒涼とした風景に白い輪郭を描いていく。


アルトはコクロウの背から、その移り変わりを眺め、北の山の風に身を任せていた。

爽やかだった高原の風も、今や遮るもののない岩場を吹き抜ける、肌を切り裂くような寒風へと変貌していた。


ああ。この風は北方の山の風だ。人すら凍らせるこの北風も、アルトには慣れ親しんだ故郷の気配だった。


細い山道の地面はすでに凍りはじめ、馬の蹄がカツカツと音を立てる。

鼻から白い息を吐きながら進む馬たちも、この先の険しい冬山を人を背に乗せたまま進むのは、もう難しそうだ。


「さ…さ…むい。氷…になる」


オリバーが何か言おうとするが、言葉が上手く出ないようだ。

それに、ビュービューと音を立てて岩肌を通り過ぎてゆく北風が、オリバーの声を消してゆく。


「オリバー生きてる?」


アルトは寒がりのオリバーを気遣い声を掛ける。


「あ…か……」それ以上は声にならず、首から顔の下半分に巻いたマフラーの隙間から白い吐息が漏れるだけだった。


「団長~。オリバー限界みたい!」


先頭を行くアルトが最後方のガレリアに声を掛ける。

縦に長く伸びた隊列は先頭がコクロウの背に乗るアルト、その後にカイル、オリバーと続き、シェラザードや教会騎士たち。最後方にガレリアと騎士団員が詰めている。


最後方のガレリアから声が返る。


「この先の峠の入り口で合流予定だ!あと少し、頑張るしかない」


「聞こえた?オリバー?もう少しだよ」


アルトがオリバーへ声を掛ける。微かにその首が縦に頷いた。


「話には聞いてたけど‥すごく寒いね」


吹き付ける風に時々声がかき消されるが、カイルの声も少し震えている。


「うん。まだ今だから峠も越えられるけど、この街道もそろそろ雪が積もって通れないよ。馬は滑るからね。雪が積もって動けるのはヤクかヤギだけだからね」


アルトが明るい声で答えた。

その声はいつも以上に楽しげに聞こえる。やはり、故郷に帰るのがうれしいのだろう。


まさか、これだけ長い滞在になるとは思ってもいなかっただろうし‥。

カイルはそう思うと、少しアルトの置かれた立場に同情した。

しかし‥理解はしても、勇者はアルトだけだ。だから、せめて手助けになろう。


ーーカイルはそう思った。


街道の高原地帯を抜け、カラマツや背の低いハイマツやコケモモの茂る樹林帯に入った。

冬に落葉するカラマツの林は、日を遮るものもなく明るい。

その反面、雪も地上へ届きやすい。本格的な雪になれば歩くことすら難しくなる。


「なんとか、雪が積もる前に抜けられそうだな」


ガレリアは馬を止めて、周囲を見渡すとそう呟いた。

隊列は歩みを止めて、馬上でひと休みしている。


「姫様、大丈夫ですか?」


騎士たちのシェラザードを気遣う声も聞こえる。


「ええ、問題ありません」


気丈な声も、少し寒さに震えているように聞こえた。


「迎え、まだかな?」


アルトはコクロウの頭に積もった白い雪を払いながら、街道の続く先の岩場を見つめている。


この樹林帯の先は峠道になる。

樹木すら育たない厳しい風と雪の山道は馬で越えるのは難しい。

そこで、この樹林帯でルリアスからの迎えを待つことになっている。


「ルリアスの迎えって‥」


カイルが口を開こうとした時だった。

風の音に混じって、小さな鈴の音が聞こえた。

最初は一つ。 やがて二つ、三つ。

岩場の向こうから、大きなヤギの群れが姿を現した。


アルトは大きな声で叫んだ。


「迎えだ!おおーい!」


「おおーい!アルトか!」


向こうからも大きな声で返事がくる。


やがて、次々と現れたヤギの数は15頭。

みな、厚い冬毛に覆われた巨大なルリアスの山岳ヤギたち。

その陰から一人の青年が姿を現した。


「遅いぞ、アルト!雪が降る前に来いって言ったろ!」


「ちゃんと来たよ!」


「ちゃんと、じゃない。ぎりぎりだ」


青年もアルトも笑顔で親しげに言葉を交わす。


「ソール。久しぶりだな。迎え感謝する」


ガレリアが馬を降りて二人の元へやってきた。


「お久しぶりです!ガレリアさん。アルトが色々とすみませんでした!」


ガレリアから「ソール」と呼ばれた青年は、言い切ると勢い良く頭を下げた。


「さぁ!馬から荷をヤギに積み替えて!」

「人もヤギに乗ってください!」


ソールがテキパキと指示を飛ばす。騎士たちがアルトから手順を聞きながら、次々と荷をヤギへ移していく。


「あの‥ぼ、僕も‥ヤギ乗るんですか?」


まるで機械仕掛けの人形のようなぎこちない動きで、オリバーがヤギの前に立ち尽くす。

その顔色は既にうっすらと積もりだした雪よりも白い。


「当たり前だよ!オリバー、ほら早く!」


元気いっぱいのアルトに急かされたオリバーは、よじ登るようにして、何とかヤギの背に収まった。


シェラザードの前にも、白い冬毛に覆われた山岳ヤギが引かれてきた。


「殿下、こちらへ」


教会騎士が手を貸そうとしたが、シェラザードは一度だけヤギの大きな瞳を見つめ、自ら手を伸ばした。


「…よろしくお願いします」


そしてヤギに丁寧に声を掛けた。ヤギはまるで返事をするように静かに鼻を鳴らした。


ヤギの背は思いのほか高かった。

その背から山の風景を見下ろした時、シェラザードは、ここがもう聖王国ではないのだと自覚した。


北方山脈の彼方、ルリアスへの入り口に立っているのだ、と。


ーーこうして、人という重い荷を下ろした馬たちは、樹林帯に住む木こりへと預けられた。

明日には、麓の村まで馬たちを移動させてくれる手はずになっている。


巨大な山岳ヤギの一行は、小雪の舞う北方山脈の道をルリアスへと進んでいった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。