勇者、また余計なことをします。
狭い祠の中は静まり返った。
誰も言葉を返せず、小さく、ぱちっと松明のはぜる音だけが石室にこだました。
最初に我に返ったのはカイルだった。カイルは小さく咳払いをするとアルトに話しかけた。
「‥‥ねぇ、アルト君。君は今、この文字を読んだよね?」
「え?あ!もしかしたら、声に出したらダメだった?」
「‥‥えっとですね。勇者さん。たぶんアウトです。声に出したらあかんやつです」
「わわ!何か起こるの?どうしよう!オリバー助けて!」
アルトは焦って辺りをキョロキョロと見渡すが、祠の内部は何も変わらない。
「そういう訳ではないんやけど‥‥」
と、オリバーは引きつった笑みを浮かべ、カイルと目を合わせた。
アルトは自分の失言の意味には気づいていないようだ。
そして、ちらりとこの調査隊の責任者であるシェラザードに目を向けた。
その視線の先で、シェラザードは微動だにせず祭壇を見つめていた。
「偉大なる王、ルーン・グリン……」
彼女は確かめるように、その名を小さく呟いた。
「‥名前、違うのかな?呼んでも何も起きなかったね」
アルトが首をかしげながらそう言った。
「‥‥アルト君はどうしてこの文字が読めるの?」
カイルとオリバーはお互いに目配せをしてから、カイルが慎重に聞いた。
「え?だって、これ、ルリアスの古語だから、子供の頃に習ったよ?」
「‥‥そうなんだ。ルリアスの言葉なんだ‥‥」
「まぁ、ここで、これ以上は何ですし、後でまた‥‥」
「あっそうだ!」
アルトが急に大きな声を出して腰の聖剣を抜いた。
そして、「リーングリン。ちょっとキラキラさせてみてよ!」と聖剣に魔力を込めた。
「ルーン・グリン様!」これでどうだ!
「あ!ちょっとあかん気がします。勇者さん!」
「わー!それはダメだと思う。アルト君!」
二人の制止も虚しく、リーングリンは石室内にキラキラをまき散らしていた。
周囲の者たちも、アルトの突然の行動に呆然としていた。
‥‥しかし、結果的には何も起きなかった。と思ったが‥‥
「おい!!おまえら!何をした!!!」
外からジャンの焦った声が聞こえる。
「いいから出てこい!早く!」
「わー。なんか、ほんまにあかん感じですよ。急いで出ましょう!」
「うん。ほら剣をしまって、いくよアルト君!」
「え?あ、はい‥‥」
「殿下、殿下行きましょう」
「‥‥」
全員で顔を見合わせて、急いで祠から出た。
そこで彼らが見たのは、呆然と泉を見つめるジャンの姿だった。
——そして、その視線の先で、不凍の泉から緑の光が立ち昇っていた。
「だから言っただろうが! 祠では余計なことをするなと!」
ジャンは振り返ると、大きな声で怒鳴りつけた。
そして、苛立ちを抑えることなく「くそ!」と吐き捨て‥
「すぐに戻るぞ!おばぁに報告だ!おい。逃げるなよ!行くぞ!」
と言って、歩き始めた。
シェラザードは、その泉から立ち上がる緑の光を見て我に返った。
そして唇を噛みしめて、拳を握り込んで
「責任は私にあります‥‥」と言った。
「その話も、帰っておばぁに言ってくれ!」
ジャンはそれだけ言って、そっぽを向いた。
「ねぇ。オリバー、あの光、綺麗だね~」
「‥‥なんか、僕、えらいことに巻き込まれてる気がします」
「‥‥オリバー残念だけど、気が付くのが遅いと思う」
カイルとオリバーは、アルトの肩を両側から掴んで、そのまま引きずる様にその場を後にした。
「まったく。お前たちは何をしたんだよ‥‥こんな事は初めてだぞ‥‥」
ブツブツ文句を言いながらジャンは足早に進む。
なんとか付いて行けるのはアルトぐらいだ。他の面々は慣れない山道に遅れがちになる。……行きは気を使ってくれてたって事だな、とカイルは感じた。
今も、ジャンは時々振り返り、遅れる面々を苛立ちながらも待っている。
そこが、山の民の律義さの表れかもしれない。カイルはそう考え、その律儀さを好ましく思った。
* * *
「おばぁ!こいつら、とんでもない事をしやがった!」
ジャンは老女の住む住居の戸板を勢いよく開け、そう叫んだ。
「なんだい、ジャン、そのとんでもない事ってのは?」
老女は先程とさほど変わらない姿勢のまま、元の場所に座っていた。
急に帰ってきたと思ったら、焦りながら叫んだジャンの様子に驚いている。
「泉だ!泉から緑の光が立ち昇った!こいつらが祠で何かしたんだ!」
そう言いながら、自分の背後で、荒い息を吐きながら立ち止まる調査隊の面々を睨みつけた。
「まぁ、緑なら‥‥そう悪い事ではないだろう」
「それよりもジャン。客人を中に入れておやり、そのままじゃ倒れちまうよ」
ジャンは渋々といった面持ちで、アルト達に顎で入るように促した。
「申し訳ありませんでした。すべては私の責任です」
シェラザードは老女の前に座ると、深く頭を下げて謝罪した。
「それよりも、祠で何があったか、何をしたか説明しておくれ」
老女はそう言った。
シェラザードは一瞬ためらったが、すぐに考えを改め、祠で起きたことを正確に老女に伝えた。
「なるほどね。名を呼んだって訳か」
老女はシェラザードの話を聞き終わると、そう口にした。
「それで、そこの子だね。あんたはどうして、祠の字が読めたんだい?」
「おばぁ!そいつは『ルリアスの民』だ!」ジャンがそう叫んだ。
「‥‥ああ。なるほどね」
老女は深く頷き、気まずそうにしているアルトをちらりと見ると、シェラザードへ声を掛けた。
「王女殿下、『ルリアスの民』が居るなら、私が話すことはないよ」
「北の伝承も、名もなき者も、全てはあの北方山脈を超えてこの地へ流れ着いた。全ての始まりは、あの山の向こうにあるんじゃないのかい?どうだね、ルリアスの者よ」
アルトは困った様に「うーん。俺が話すわけには‥‥」と腕を組んで珍しく悩んでいる。
アルトの肩の黒い羽が緑の模様の光沢を放つ。
カイルはそのアルトの様子を見て気が付いた。
自分がアルトに感じていた違和感。それは、この鳥の羽のまじないの言葉が、アルトが歌う「ヤギ集牧の歌」に似てるのだ。
意味はどちらも知らない。でも、言葉の音が似てる。
「じゃあ。誰なら話せるの?」
気が付くと、カイルはアルトにそう尋ねていた。
「ガレリア団長なら‥‥」アルトは少し気まずそうにそう答えた。
「では、帰りましょう。聖都へ」
シェラザードは静かに、それでも何か覚悟を決めた様にそう言った。
* * *
翌朝、シェラザード率いる調査隊は「アダンの民」の集落を後にした。
最後に、老女は「ルリアスの‥」とアルトへ向かい声を掛けた。
「山に住む者には山の掟がある。それはどこも同じだ。それに深い山は木にも雪にも閉ざされるさ」
老女はまっすぐアルトの目を見て言った。
「でもね、開いた時があったから、ここまで流れてきたんだろうよ」
そして、日に焼けて、皴の刻まれたその顔に、優し気な笑みを浮かべた。
「さあ。お帰り。ルリアスの子。リーンバルクの子ら。お前たちの無事を祈るよ」
老女はそう言って一行を見送った。
アルトは不思議そうに老女を見返した。
シェラザードは深く老女に向かい一礼した。
カイルは、北方山脈の稜線へ目を向けた。
あの山の向こうに、答えがある。




