勇者、さらに北へ向かいます。
出立前日の夜遅く、居室へ戻ったガレリアは疲れた様子で椅子に座ると、手招きでアルトを呼んだ。
出立へ向けた最終荷物チェックリストの確認をしていたアルトは、軽い足取りでガレリアの執務机の前に歩み出た。
「団長、おかえりなさーい」
「アルト。いよいよ明日から遠出だな」
「うん、でも、ルリアスから来る時にも通った道だしね」
「‥いいか。余計なことはするなよ」
「余計な事?しない、しないよ。した事も無いしね!」
「‥‥絶対に余計なことも言うな。いいか。絶対だ!」
「はーい。大丈夫!任せてよ!それよりも荷物だけど‥」
ガレリアは頭を振って、引き出しの胃薬を取り出し、数粒をそっと飲み込んだ。
* * *
聖都の秋は終わろうとしていた。
冷たさを増した風が街路樹の木の葉を落としてゆく。
北方山脈麓の山岳地帯へ調査隊は出立することとなった。
今回は、軍の編成で忙しいキャリング軍務大臣、および本国との連絡やマルクス大臣との協議で忙しいガレリア団長は聖都に留守番と決まった。
見送りのキャリングは騎士達へ幾つかの指示を出した後、アルト達の元へやってきた。
「今回はアタクシは同行できないけど、第一騎士団から数名つけるわ。何かあったら早馬で必ず知らせるのよ」
「勇者様。あなたは山だからって、先行し過ぎないで頂戴。危ないと思ったら、すぐ下がるのよ。いいわね」
「それと、いいこと、何かあったら、オリバーを囮にして逃げるのよ。これは命令だから」
「あっ。酷い。職権乱用ですね」
「適材適所よ!」
いつも通りのやり取りに、場が和む。護衛任務の騎士たちも和やかにアルト達へ挨拶した。
「勇者様、我々が全力でお守りいたします。閣下ほどの破壊力はありませんが‥」
と言って笑顔を向ける。アルトも笑顔で「よろしくお願いします!」と挨拶を返した。
こうして、キャリングに見送られ、アルト、カイル、オリバー、シェラザードと聖剣教会の騎士、数名の護衛騎士、そして第一騎士団の騎馬隊。
総勢12名での調査隊は北へ向かって出立した。
* * *
聖都を出てから既に10日が過ぎた。幾つかの集落を尋ねたが、特にこれといった情報もなく、ついに、今日、国境の峠を越えることになった。
薄暗い山道も今日は更に暗さが増す。空は鉛色に重く垂れこめ、ついに白い欠片が舞い始めた。カイルは外套の襟を合わせ、隣の馬上で鼻歌交じりにご機嫌な様子のアルトに話しかけた。
「アルト君。雪だね。寒くない?」
「え?ああ。これぐらい平気。ルリアスじゃ雪は慣れてるからね」
「そうか、君の国は北方山脈の山間部だったね」
「うん!標高も高いからね。年が明ける頃には、積雪が二メートルぐらいになることもあるかな」
カイル達の後方からも、シェラザードを気遣う騎士たちの声が聞こえる。
「大丈夫です。問題ありません」と、シェラザードの返答が聞こえてきた。
オリバーは更にその後方、ローブの上から冬用の外套を羽織り、首にはマフラーを巻いた姿は、完全防寒スタイル。
「オリバー。今からそれか‥北へ進むとさらに気温は下がるぞ?」
周囲の騎士も声を掛けるが、オリバーは
「その時は更に着込みます。寒いん無理です。僕の親は南国育ちなんで」
「親はそうでも、オリバーは聖都生まれだったはずでは?」
狭い峠道は周囲の針葉樹の木立が更に空を狭くする。
暗い灰色の空に木立は色彩を無くし、辺りはモノクロの世界へと変わる。
その中で雪が静かに舞い続けた。
国境を越えた先には、小さな集落が幾つか集まって作られた自治区があった。
国家と呼ぶほどでもない小さな共同体だ。
彼らは自分たちを「ファーブの民」と呼んでいる。
その中で、聖王国に最も近い集落が「ファーブル村」だった。
ファーブの民は地理的な条件もあり、自給自足ではあるが、経済活動は聖王国に依存していた。その為、聖王国とは非常に友好的だ。
「ようこそ。ファーブルへ。何もない寒村ですが」
村長は初老のがっちりとした体形に少し頭髪が薄い。
素朴さが前面に出た人当たりの良い男だった。
「事前に使者の方から聞いてはいましたが、何もない寒村で王女殿下に十分なおもてなしができるか‥」
「いえ。こうして滞在を許して頂けた事、心より感謝いたします」
シェラザードは普段の無表情さを感じさせない、温かみのある笑顔でそう答えた。
「村長。久しぶりです!」ひょっこり横から顔を出したアルトが村長に声を掛けた。
「うん?おう!アルトじゃないか!どうしてお前さんが王女殿下と?」
「うーん。なんかいろいろあってさー」
「あれ?アルト君は村長とは顔見知りなのか?」
カイルがアルトに聞いた。
「うん。聖王国に行く前に、ここに団長と立ち寄ったんだ!」
「ええ。ガレリアさんの一族とは毛織物を都合して頂いたりと昔から交流もありますから」
「‥今日はガレリアさんは一緒じゃないのかい?」
「団長は本国との連絡や、うーん。なんか忙しいみたいで」
「そう言えば、聖王国へ毛織物の販路を広げるために行くって言ってたね。上手くいったのかな?」
村長はちらりと周囲を見て何か納得したように笑顔で聞いた。
「うん。そんな感じ!」アルトも笑顔で返す。
先程までの村長の緊張もほぐれて、周囲は和やかな雰囲気に包まれた。
ファーブル村は家屋は全部で十数軒ほどの、さほど大きな集落ではない。
北にはよくある、木と泥で出来た粗末な家屋だった。
ただ、この辺りの寒さを物語る様に、意外としっかりとした作りで屋内は想像以上に温かい。
床に敷かれた毛織物の絨毯は、聖王国に来る時、アルト達がルリアスからこの村へと運んだものらしい。
「えへへ~。やっぱりルリアスの毛織物は暖かいね~」アルトは絨毯を何度も撫でながらニコニコ顔だ。
村長も笑顔で「そうだね。ルリアスの毛織物はこの地域じゃ欠かせないからね」と答えた。
「それで、『北の異変の伝承』でしたかな‥。確かに、そういった言い伝えはあります」
「やはり、あるのですね‥。詳しくお聞かせいただけますか?」
シェラザードから尋ねられた村長は暫し考えを巡らせて、小さくため息を吐いた。
「そうですね。具体的な話ではないのです。ただ、異変は北の山から来る。立ち向かわずに逃げろ‥‥それぐらいなのですよ」
「逃げろ‥‥ですか」
「ええ。われら「ファーブの民」もこの地へ住み着いたのは、せいぜい百年少々。長い歴史があるとは言い難いですから」
「伝承も少ないですか?」
「はい。その話も、私が子供の頃に古老から聞いたものです。その古老がどこで聞いたのかは‥‥」
「そう言えば、あの古老は、ここよりも更に北方山脈に近い、集落『アダンの民』の出でした」
「『アダンの民』ですか?それは?」
「『アダンの民』は狩猟を生業とする少数民族です。この北の山岳地帯を狩猟をしながら移動する「狩猟民」ですが、冬の拠点はここよりも北の山奥にあります」
「彼らは古い民ですから、そこなら更に詳しい伝承があるかもしれません」
「実は、「ファーブの民」の中にもこの「アダン」の出の者が幾人かおります。狩猟に出た先で恋仲になり、そこへ残る者もおりますから」
村長は静かにそう言った。
「もし、「アダン」へ向かわれるのなら、私の名で紹介状を書きましょう。それがあれば、少なくとも敵対されることはないでしょう」
「お願いいたします」シェラザードは頭を下げた。
「いやいや、殿下、あ、頭を上げてください」村長は大慌てで周囲を見渡した。
「そ、そう言えば、アルト!お前さんは「大盾岩」を知ってるな?」
「え?ああ。北方山脈から降りてきた所にある、あの大岩だよね?」
「そうだ、「アダンの集落」はあの大岩から、更に奥に続く一本道を行けば馬で半日ほどだ。お前さんならわかるだろう?」
「うーん。そうだね。一本道なら行けると思うよ」
村長は安堵を顔に滲ませて、「そう言えば‥‥ダリアさんも元気かい?」とアルトに聞いた。
「元気だよ!毎日ヤギ達と走りまわしてる!」
「ハハハ。しかし、驚いたぞ!事前にガレリアさんから連絡があったが、あのヤギの群れは、ついに山が溢れたのかと思ったぞ!」
「‥山が溢れた?ですか」シェラザードは静かに尋ねた。
「あ!ああ。そうでした。いや。もう一つありました。伝承」村長は慌てて言葉を続けた
「ええ。北の山から魔物が押し寄せる『山溢れ伝説』」
「それは?」
「いや、これも言葉だけが伝わっています。山の向こうには魔物の国があるとか、ないとか……詳しいことは何も」
すみません。と村長は気まずそうに頭を下げた。




