失われた剣の名。
「朝早くから呼び出して悪かったわね」
「‥いいえ。たぶん呼ばれるだろうとは考えていましたから」
早朝のキャリング大臣の執務室。
ガレリアを呼び出したキャリングは自ら、コーヒーを淹れてガレリアに差し出した。
大きなキャリングの手にはコーヒーカップがやけに小さく見える。
「カルバート産のコーヒーよ。お気に召すといいのだけど‥」
「ありがたく頂戴します」
カップから漂うコーヒーの芳香が辺りを包む。
僅かだが、双方の心にも、その香りは沁み込むような気がした。
「ガレリア殿、今日は午後からシェラザード殿下が陛下に奏上される案件があります」
「おそらくは、あの『北の伝承』と魔王関連。それと‥あの剣の事ね」
キャリングは一口コーヒーを啜ると、カップを置いて、ガレリアを見詰めながら口を開いた。
対するガレリアも、カップを置くと真っすぐにキャリングを見つめ返した。
「あの剣とは‥アルトが浄化してしまった折れた剣の事ですか?」
「ええ。その剣。その存在をルリアス側は知っていたのかしら?」
ガレリアは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「‥‥我々が外交上の目的を持ってこの国を訪れたことは事実です」
「しかし、今回の一連の出来事は、我々にも想定外でした」
「それは、勇者様、アルト君の事もかしら?」
「‥ええ。そうです。まさかアルトが聖剣を抜くとは思いもしませんでした」
キャリングはしばらく黙ってガレリアを見つめた。
「個人的にはアルト君を疑ってはいないわ。これでも人を見る目はあるのよ」
「ただし、ルリアスという国については別よ」
「‥承知しています」ガレリアは目を伏せてそう答えた。
「全部話せとは言わないわ。でも、この件に関する情報は、出来るだけ共有してほしい」
「次に被害が出てからでは遅いのよ」
ガレリアは顔を上げて、もう一度キャリングに視線を合わせた。
「一度、本国に確認をします」
「ただ‥‥本当にあの洞窟での事もルリアスには想定外だったのです。それだけは信じて頂きたいと願います」
キャリングは小さくほほ笑んで言った。
「あのアルト君では、あなたも大変ね」
「隠し事には向いていないでしょうから‥」
ガレリアは懐から取り出した胃薬を、目の前のコーヒーで飲み込んだ。
* * *
高い天井からは鉄製の巨大なシャンデリアが下がり、無数の蝋燭の明かりが揺れている。
床一面に敷き詰められているのは、この国の象徴である大鷲が刺繍された深紅の絨毯。
反対側の壁には歴代国王の肖像画が並び、静かに国の行く末を案じ現王の執務を見定めようとするようだ。
室内最奥には、大きな一枚板を切り出した黒檀の巨大な執務机。
その上には様々な書類と各地の領主からの書簡が積み上げられている。
豪華な椅子に腰掛け、この部屋の主カーディナル3世が書類にペンを走らせていた。
シェラザードの奏上にこの国王執務室が選ばれたのは、今日ここにいるのは、父と娘ではない。国王と、聖剣教会を代表する巫女姫だからだ。
やがて、侍従長が王に大臣たちとシェラザードが揃ったことを告げた。
「おお。シェラザード殿下、この度は重要なお勤めを無事に果たされました事、この
バルト、心よりの敬服をーー」
「陛下、この度はお時間を頂きました事、恐悦至極に存じます」
シェラザードは入室後、いきなり声を掛けてきたバルト大臣を完全に無視して、父であるカーディナル3世へ臣下としての恭順の礼をとる。
立場を無くしたバルトは咳払いを一つすると、気まずそうに視線をシェラザードに向けて口を閉ざした。
その姿を周囲の者は冷ややかに見詰めていた。
「うむ。此度はご苦労であった。では、報告を聞こう」
国王は表情を変える事無く、静かに威厳に満ちた声音でそう告げた。
「はい。まずは、北の洞窟内で起きた剣「ルーングリン」についてご報告があります」
「‥その剣については、既にキャリングより報告を受けている。教会としてあの剣を『ルーングリン』と認定するという事か?」
「教会が祀る『聖鞘ルーングリン』には、かつて対となる剣が存在したと伝えられています。古い記録では、その剣を『原剣ルーングリン』と呼んでおります」
「ほう。その確信に至る根拠はあるのか?」
「こちらを‥」シェラザードは背後に控える神官に目配せをした。
神官が厳かに侍従長へ白銀の供物台に乗せられた黒いベルベットの包みを差し出した。
侍従長はその包みを銀盤に移し、国王の前へ。そして丁寧に白い手袋をつけた手で開く。
中からは、緑の石が揺らめく蝋燭の光を反射させて煌めいていた。
「こちらが勇者が浄化した後に残された石でございます」
「『聖鞘ルーングリン』の象徴たる『大地の女神アリアの瞳』と呼ばれる宝玉は元は一対の石。それぞれ剣と鞘に嵌められたとの教会最古の書物に記載されておりました」
「このことからも、あの剣が『原剣ルーングリン』であったと教会は考えております 」
国王は「フム‥」と呟き目の前の宝玉を眺めていた。
「では、教会は原剣があの場所で、なぜ折れて捨て置かれたか」
「その理由も把握しているのか?」
「いいえ。陛下。我ら教会が知るのは、聖鞘ルーングリンと対をなす原剣には、『アリアの瞳』が嵌められていること 」
「‥そして、その剣は古き時代に失われたという事だけでございます」
「‥その失われた剣がなぜ魔素溜まりの中にあったか‥」
「そのことと、伝承にある魔王との関係について、教会はどう考える 」
国王は正面の娘ーーシェラザードへ鋭い視線を向ける。
「‥教会は確証に至るものを掴んではおりません。しかしーー」
「北の異変と、失われた聖剣の発見が同時に起きたことを、偶然として退けるべきではないと考えます 」
「陛下、魔王の存在を前提に、北方の警戒を強めるべきです 」
シェラザードは国王の視線を正面から受け止めて、静かにそう断言した。
国王カーディナル3世は暫く、娘でもあるシェラザードと目線を合わせていた。
やがて一度瞳を閉じ、再び開く。その相貌からは、すべての感情が消えていた。
そこにいたのは、冷徹に判断を下す為政者だった。
「キャリング。意見を述べよ」
「はい。陛下。現在、北部方面へは第二騎士団を常駐させていますが、今後、北部方面への警戒の強化、並びに異変への対応を考慮しますと、人材、物資とも不足しています」
「第一騎士団の一部を北部方面へ派遣する許可、及び軍事物資の優先供与を希望いたします」
「‥お待ちください!お言葉ですが、第一騎士団は聖都の守り、それを一部でも北部など‥誰がここを守るのですか!反対ですぞ!北など早く勇者を送ればよいのです!」
バルト大臣がキャリング大臣の意見に嚙みついた。
国王は、ただ無表情な相貌を動かすことなく
「控えよ、今はキャリングに問うたのだ」と一喝した。
バルトは顔を赤らめたが、国王の冷たい視線を受け、言葉を飲み込んだ。
固く結ばれた口元だけが、なおも不満を物語っていた。
「キャリング、北へは第三騎士団の投入では不十分か」
「恐れながら陛下、より機動力のある第一騎士団から騎馬隊を数騎、北へ配置したいと考えております。より素早い聖都との連絡が急務となるかと」
「ふむ‥なるほどな」
「マルクス。意見を述べよ」
「陛下、外務省と致しましては、早急にルリアス共和国へ事実の確認書簡を送付すべきだと考えています」
「ほう。理由を述べよ」
「はい。今回の北部異変とルーングリン問題に関してルリアス側は何らかの情報を掴んでいた可能性があります。そこを確認することが肝要かと考えております」
「ルリアスなど、この国には足元にも及ばぬ小国。書簡などと言わずに、直接ここへ、弁明に来るようにーー」
「バルト。黙れ」
バルトは顔を強張らせ、それ以上は口を挟まなかった。
「マルクス。続けよ」
「はい。陛下」マルクスは軽く頭を下げて続けた。
「現時点ではこちらにはルリアス国の使節団員だった勇者がおります」
「そして、我が国への尽力を惜しみなく発揮していることは事実でございます。その点を考慮しつつ、協議を重ねる必要性がございます」
国王は小さく頷くと、その表情を変える事無く言った。
「キャリング。軍の再編成を最優先事項とする。更に北方山脈付近への調査も検討せよ」
「あの辺りは少数民族がそれぞれ支配する領域、外務省との協力で進めよ」
「マルクス。ルリアス共和国へ正式な書簡を送れ。追及ではない。情報共有と協力を求めるのだ 」
「シェラザード。教会は記録の再調査を進めよ。勇者への協力も継続せよ」
国王は一度言葉を切り、室内を見渡した。
「勇者の扱いは、これまでの取り決めに従う。不用意な衝突は避けよ」




