勇者、牧場が心配です。
山から吹きおろしの風は冷たいが、青々と茂る草を食むヤギ達は今日もすこぶる元気だ。
険しく、草以外は辛うじて蕎麦なら収穫ができる程度の寒村だったハーゲン村。
その様相は、すっかり大きく変貌を遂げていた。
二十人程だった住人は、倍以上増えている。新しく建てられた住居の評判もいい。
「レンガの家はいいね~。隙間風が入らないよ」
「あの小屋暮らしが嘘みたいだね」
住民の顔も明るい。子供達も元気に駆け回っている。
草地ではヤギ達がのんびり草を食んでいた 。
本当に順調だな、良き良き。アルトはその風景を見て笑顔で頷いた。
そして、枯れ井戸と腐りかけた掲示板だけの広場には、立派な集会場ができていた。その中では、村の女性たちがダリアから教わり、ヤギの毛を糸に紡いでいた。
「ほぉー。このチーズも美味しいですねぇ」
「そうだろう!ヤギのチーズはコクがあって濃厚だからね」
「‥しかもですね。これ、微妙に魔力を感じます」
「魔力を‥感じるんだ。なんでかなー」
「‥面白いことです。なんででしょうねー」
「‥‥それよりもオリバーもヤギの毛を運んでよ」
「僕は頭脳労働担当なので、力仕事はカイルさんが頑張ります」
オリバーは最近、アルトがハーゲン村へ来る度に同行していた。
どうやら山岳ヤギ達から作られる乳製品に夢中のようだ。
アルトによくヤギ達のことを質問していた。
そして、カイルはダリアの手伝いに余念がない。
大鍋に張った湯で、刈ったばかりのヤギ毛を洗う。
「あ。カイルさん。お湯、熱くしすぎないで!」
「脱脂はやり過ぎたら、折角の毛の手触りが悪くなる!」
ダリアからヤギ毛の脱脂でダメ出しを食らうカイル。
「‥‥手触り?」
「そうよ!パサパサだと糸に紡ぐのもやりにくいの!」
「‥‥すみません」
アルトもテキパキと村人に指示を出していた。
「糸が紡げたら、今度は染色の工程もあります。やる事はいっぱいですよ!」
最初は村人を驚かせた山岳ヤギ達だが‥人は慣れるものだ。
今では村人もヤギ達の見分けも付くようになり、名を呼んでいる。
特にコクロウに関しては、「コクロウさん」と村人は敬称をつけて呼び、尊重している。
* * *
「シガス高原に魔素溜まりが見つかったのよ」
ハーゲン村から戻って直ぐにキャリング大臣に呼び出された。
大臣は机に地図を広げ、赤丸地点を大きな指輪をはめた指で突きながら言った。
「高原近くの村にイノシシが出て農作物を荒らしたのよ。目撃した村人の話だと、凶暴で赤い目をしていたとか‥」
「調査に向かわせた者が、シガス高原奥地で魔素溜まり化した谷を見つけたわ」
「谷ですか?随分と広範囲の話ですね」
ガレリア団長は地図上の赤丸の範囲を確認しながら、少し考えてそう答えた。
「ええ。申し訳ない事に、それ以上の調査は出来なかったの
‥‥谷でイノシシの群れに遭遇したのよ。かなりの規模の群れだとか」
「大規模な群れ??おかしくないですか?」
俺は答えた。だって、イノシシはそんなに大きな群れは作らない生き物だよ?
群れなんて、子育て中の親子が中心の母系集団で、オスは単独行動だ。
「そう。規模は数十匹を超えるとか‥」
キャリング大臣はしばらく考え込んだ。コンコンと地図の赤丸を指先で叩く音が室内に響く。
「‥‥やはり、異常なのね。群れの規模もイノシシ自体も。もちろん、追加の調査隊も検討はしたのよ、でも‥‥」
「状況も分からないまま、大事な人員を送り込むわけにもいかないの 」
「お言葉ですがーー」ガレリアが言いかけたその時。
執務室の外が騒がしい。
ーーお待ちください!ただいま大臣は来客に対応中です!
ーー火急の要件です!ご報告を!
「通してちょうだい」
執務室へ駆け込んだのは、聖王国軍の騎士だった。
慌てた様子で室内へ入ったが、周囲に軽く目をやり目礼をする。
「閣下、至急お伝えしたい報告がございます」
「このまま聞くわ。話して頂戴」
「‥‥はい。たった今、シガス高原に駐屯している第二騎士団から早馬です 」
「高原近くのスワール村でイノシシによる被害が発生し、村人数名が負傷しております」
「村自体も、複数のイノシシにかなり荒らされているとか‥‥」
キャリング大臣は、素早く騎士に幾つかの指示を出し、彼を退出させた。
そして、居住まいを正すと、口を開いた。
「‥‥恐れていた事ね。魔素で凶暴化した獣により村が襲われて被害が出る。
これは、軍務大臣として正式に勇者へ依頼するわ」
「私達とスワール村へ行ってほしいの。軍はイノシシに対処する。あなたには勇者として、魔素溜まりの調査と浄化に力を貸してほしい」
「かなり危険ではありませんか?」ガレリアが即座に問う。
「‥‥危険だと思うわ。確かにね。それでも勇者の力を貸してほしいの
勇者様。どうか、力を貸してください。お願いします」
キャリング大臣の声は聞こえていたが、俺の意識はそこにはなかった。
‥‥それよりも、地図に書かれた赤い丸の下、少し離れた場所に書かれていたのは
「ハーゲン村」という記載だったから。
「ねぇ!ここ、『ハーゲン村』って書いてあるよね?」
「‥‥もしかしたら近いの?」
「いえ。そこまで近いわけではないわ。でも、そうね、馬なら半日はかからない」
「じゃあ群れが移動したらハーゲンにも来るかもしれないよね?」
「団長!俺、行きます!そのなんとか村!」
「アルト、危険な任務になるぞ、おまえに覚悟できるのか?」
「だって!もしハーゲンに被害が出たら‥‥」
こうして俺は、急ぎ、なんとか‥‥改め、スワール村へ向かうことになった。




