勇者、報酬は牧場です。
「‥‥というわけで、陛下」アルトの弾んだ明るい声が室内に響いた。
王宮の一角、マホガニーで統一された落ち着いた調度の一室。
息が詰まるほど厳かな会議室内で全員が息を飲んだ。
その、マホガニーの大きな机の上に、 アルトは一枚の羊皮紙を堂々と広げた。
そこには、彼が徹夜で書き上げたと思われる、歪な手書きの図面が踊っている。
「これが、俺が希望する『勇者の報酬』の全容です!」
――話は、昨日の夜に遡る。
「いいかアルト『魔力切れ事件』の落し所の調整がついた。明日は、陛下も臨席され、お前の具体的な報酬の話になる。くれぐれも良識に則り、実現可能な報酬を提示しろ」
「‥‥向こうは爵位についても提示してくるだろうが それには乗るなよ!」
ガレリアが細かくアルトに言い聞かせた。しかし、当のアルトは、ガレリアの話は上の空で、何かをしきりに書き殴っている。
何を書いているのか覗き込もうとすると「だめだめ〜。わかってるよ団長〜」と言いながら手で隠してしまう。
一抹の不安を覚えながらも「アルトだって外交団の一員だ」と思い直し、ガレリアはアルトの自主性に任せることにした。
ーーーその見解が甘かったことをガレリアは深く反省したが‥‥
室内に集まった一同、豪華な椅子に腰を下ろした国王カーディナル3世。その横にはまるで氷の彫像のような冷徹さで佇む巫女姫シェラザード。国王の反対側に立つ外務大臣マルクスは無言のまま固まっているようだ。
相変わらずの岩のような筋肉を軍服に押し込んだようなキャリング軍務大臣も、今は無言で机の上を凝視している。
ガレリアは己の背中にいやな汗が噴き出すのを実感した。
聖王国側はアルトに対して伯爵位や多額の報酬を想定していた。
「魔力切れ」に関する報告は、すぐに国王へも行われ、非公式ながらルリアス側への謝罪と、その件に関する聖王国側の誠意は、通商条約へ盛り込まれている。
これは、あくまでも勇者に対する聖王国側の正当なる報酬の話し合いだ。
……そのはずなんだが‥
しかし、その常識ある見解は、一枚の羊皮紙に打ちのめされた。
アルトが提示したその紙にーーー
「アルト監修『ルリアス式、北方ヤギおよびヤクの試験牧場』その予定地について」
ーーーーと大きく書かれていたからだ。
「‥‥はぁ?」
最初に声を上げたのは、外交官としても、政治家としても幾多の緊張した盤面を制し、聖王国国内でも有数の派閥を仕切るマルクスであった‥‥
あったが、彼自身の口から洩れた間抜けな声に、彼のこれまで積み上げたキャリアが何の役にも立たないことが滲んでいた。
「牧場?すみません。私には『牧場』と書かれてるように読めるのですが‥」
「もしかして、別の意味のある言葉なのでしょうか?ガレリア殿?」
マルクスの縋るような視線を受けても、ガレリアはそちらを見ようともしない。
いや、見たくない、答えたくないが彼の本音なのだが。
「‥いえ。牧場という意味で合ってますよ」ガレリアは仕方なくそう答えた。
無言で太い腕を組んでいたキャリングは、少し咳払いをして、いつもよりも低い声で静かに聞いた。
「‥こういう考えは嫌なのだけど、もしかして、聖王国内にルリアス軍の駐屯地をという意味ではないわよね?」
「まさか!そのよう意図は我が国にはありません!」
ガレリアは即座にキャリングの発言を否定し、心の中で叫んだ。当たり前だ!国力の差を考えてみろ!
「つまり、領地の割譲ではなく、ハーゲン周辺に試験牧場を設け、その運営権を認めてほしいということですな?」
マルクスが、すかさず確認を入れた。
「はい! 土地をもらっても困ります!」
アルトが満面の笑みで答える。
「こればかりは信じていただくしかありませんが、ルリアスが望むのは平和的な外交です」
ガレリアはそう言い切ると、アルトの頭をガシッとその手で押さえ込んだ。
「ア~ル~ト~貴様!!!この訳の分からない図面はなんだ!牧場はなんだ!」
「いたたた!痛いって団長離して!」
「いいから、この訳の分からないものを説明しろ!」
「え~。だって、俺もう限界。ヤギにもヤクにも触れないし‥」
「この先何か月もヤギにも触れないとか無理!絶対無理!。それに、悪い話じゃないでしょう?この前の『ハーゲン村』あそこなら寒いからルリアスのヤギやヤクも暮らせそうだし」
「ルリアスからちまちま製品を運ぶより、聖王国内に牧場があったほうがいいですよねー」
アルトはガレリアに抑えられた頭の下で叫ぶように説明をした。
「ヤギ牧場‥」マルクスはフリーズした頭の中でグルグルとその単語を咀嚼していた。ヤギって?あのヤギだろうな。足が4本ある。ふむ。ヤギだな。
だんだん動き出す頭で、素早く考える。ハーゲン周辺は開拓民が移住して既に20年が経過しているが、成果は見られない。
それどころか、村は今回の騒ぎで更に過疎化が進んでいる。
そこに、ルリアス主導で放牧地や毛織物産業が根付けば‥
「‥確かに、勝算はありますな。ヤギの頭数は如何ほどを考えておられますかな」
いまだに頭を押さえられて、手をばたつかせながらアルトは答えた
「えっと、うちのダリアさんにお願いして、ヤギの群れを一つ連れてきてもらえば~」
「ガレリア殿、具体的な数値を」
アルトを押さえた手を離すと、居住まいを正し、ガレリアはマルクスへ向き直った
「‥そうですね‥ヤギは一群れ百頭前後ですね。他にもヤクが数十頭」
「山での放牧なら、一つの部族で、その三倍以上の頭数がいます」
「三倍?つまり四百から五百頭?」
「ええ、そうです。しかし、村で、あの場所で放牧をさせるなら、百頭は妥当です」
ガレリアも、いつしかアルトのふざけた提案を検討の価値があるものとして考え始めていた。
‥そうだ。確かに、これはルリアスの文化を理解してもらうよい機会にもなる。
「ガレリア殿」
「マルクス殿」
二人で頷きあう。
「これは、お互いの良い機会となりましょう」
「では、早速、具体的な数字を詰めますか」
もう、ガレリアもマルクスも、提案者であるアルトそっちのけで話を進めている。
ただ、ヤギ牧場への具体的な計画を詰める事を考えていた。
「ぶっはははは。あーおかしい。あなた、最高よ!あははは」
いきなり噴き出したキャリングは大きな手で自身の太ももをバンバン叩きながら大爆笑をしだした。
「こんな勇者、聞いたことないわ!アルト君、アタクシ、感動よ!」
「ねぇ、陛下、よろしいでしょう?これぐらい聞いて差し上げても問題ございませんわよね」
まだ、笑い声を抑えきれずに、キャリングはひーひー笑いながら、それでも自身の国王にそう尋ねた。
カーディナル三世は咳払いを一つして戸惑いを押し込み、威厳を取り戻した声で告げた。
「うむ。勇者アルト殿。報酬として、そなたの願いを叶えよう」
「やったー!王様ありがとうございまーす」
「こら!アルト、礼節を忘れるな!」
ガレリアはアルトに注意すると、そっと手を胃のあたりにあてた。
「‥ガレリア殿。よろしければ、これを‥」
マルクスがすっと懐から薬瓶を取り出した。それはガレリアも最近愛飲している胃薬だ。
「‥ありがたく頂きます」ガレリアは数粒取り出し口に含んだ。
どうなるかと思えた話し合いも、ようやく大団円を迎えそうなその時、ひとりその雰囲気にのまれていない人物がいた。
ーーーシェラザードだ。
勇者の提案する「ヤギ牧場」の意味が分からず、唖然とする。
勇者とは、聖なる鞘の力を用いて、世界を正しき姿へと導く者。
そういう役割を背負うもの。
それが――
「ヤギ……?」
シェラザードには理解できなかった




