勇者、キラキラだけでは足りませんでした。
ーーーしばらく待つと騎士が一人の老人を連れてきた。
その顔はひどく青ざめて疲れている。
老人はこの村の村長と名乗った。村人は六世帯二十人しかいない。内、子供が三人だ。
「お出迎えもできず、申し訳ありません」
「それよりも状況を教えて頂戴」
老人の話によると、この村の奥へ山道を徒歩で1時間ほど進んだところに小さな泉がある。
そこに10日ほど前から見たこともない程の大きな銀色の鹿が住み着き、更に7日前からは白銀に輝く巨大な狼が現れたという事だ。
「…鹿も初めは大人しくて、村人も、ただ綺麗だなと思っていたのですが…」
「次第に狂暴になり、村人を威嚇しながら追い回すように。そこへ狼まで現れたので、もう…誰も泉に近寄れなくなりました」
「しかも、近頃は村の中にいても狼の遠吠えが聞こえるようになりまして……。一昨日には、村外れで飼っていた鶏が、全部やられました」
「わしらは、いつ狼が村へ入ってくるか恐ろしくて……。それに、もしかすると、あれはただの狼ではないのではと」
老人は声を落とした。
「昔から、魔王の軍勢は北から来ると聞かされております。あの狼も、その先触れなのではないかと……」
老人は疲れた顔をさらに青ざめさせ、震える両手で自分の肩を抱いた。
「つまり、狼そのものだけでなく、魔王の軍勢ではないかという不安もあって、村から出られなくなっているのね」
キャリングは静かにそう確認した。
「……みんな、本気で魔王が戻ってくると思ってるんだな」
村長の話を聞きながら、俺は思わずそう呟いた。
「信じるのは当然です。私たちは皆、幼い頃からそう教えられてきました」
シェラザードは静かに言った。
俺たちは相談の末、その泉へ向かう事になった。
王女殿下には村での待機をキャリング大臣が要請したが…
「…私も参ります…」聞き入れるつもりは無いようだった。
泉までの道は細い獣道のようだ。俺たちは馬を降りて徒歩で泉へ向かう。
そこを騎士たちに挟まれる形で進む。俺の前にはカイルさん、すぐ後ろにはガレリア団長がいる。王女様たちや教会騎士はそのすぐ後ろ、そしてキャリングと騎士数名が殿を務める。
やがて目の前に少し開けた場所と泉が見えてーーその泉の向こう、薄暗い針葉樹林の奥から、ピキピキと枝が折れる不吉な音が響いて何かがゆっくり近づいてくる。
ーー風に乗って漂ってきたのは、確かに獣臭だ。
「何か来るぞ!散開して前を固めろ!」
「殿下と勇者殿は後ろへ!」
騎士達が素早く陣形を作る。「アルト君はこっちへ来て」カイルが俺の前に立ち、剣を構えた。
ーーその時。泉の奥から一頭の大きな鹿が現れた。大きさは通常の倍近い。輝くような銀の体毛ーーーそして、異常なまでに赤い瞳は明らかに怒りを含んでいる。
「見て!やっぱり雪鹿だ!ガレリア団長!雪鹿ですよ!」
「…ああ。そうだなアレは雪鹿だな」
「雪鹿?あの巨大な鹿、知ってるのか?」
「ええ、カイルさん。あの鹿、北方山脈以北の高山地帯に住む鹿なんです。ルリアスでもまれに見かけます」
「…でも、どうしてこんな所に?」
雪鹿の話はいつの間にか、周囲の緊張感を緩めていたのかもしれない。
…そして、俺は吸い寄せられるように鹿の方へ、その足を進め……陣形から外れていた…
「下がれ!アルト、不用意に近寄るな!」
ガレリア団長が叫ぶ。その時。ふいに真横から生臭い獣の匂いと、何かが駆けてくる木の葉を激しく踏み砕く足音を聞いた。
ーそこにいたのは白銀の体毛を逆立て、怒りに満ちた顔で迫る獰猛な獣。
ー雪狼だった。
「アルト君!!!」
カイルが叫び、素早い動きで狼と俺との間に体を割り込ませた。
カイルは一瞬だけ動きを止めた。
俺が雪鹿を知っていたせいだろうか。だが、迷ったのはほんの一瞬だった。
次の瞬間、カイルの剣が閃いた。
カイルはこちらに飛び掛かろうとした狼を一撃で斬り捨てた。
辺りに血しぶきが飛ぶ。その血しぶきが、俺の顔にも数滴飛んできた…
生暖かい温もりと、鉄の香り。ドサッっと音を立てて崩れる雪狼の体。
全てが現実感を無くしていた。
「ーーうそ。なんで?どうして斬ったりー」
「やめろアルト。カイル殿はお前の為に斬ったんだ」
「だって、雪狼は温厚で……人を襲うような生き物じゃ……」
「今は、違っただろう。いいか、この場所にいる狼も鹿も、私たちが知る姿じゃない」
「…それが魔素に侵されるという事なのだろう…」
その時。静かな声が聞こえてきた。
「…勇者様、聖剣をリーングリンの祝福をお使いください…」
教会騎士に囲まれた中から、シェラザードの温度を感じさせない、冷たい声が聞こえる。
「リーングリン?そうか、祝福の力なら!」
俺は腰に差したリーングリンの柄を掴んで、勢いよく抜いた!
「頼む!リーングリン、雪狼と雪鹿を元に戻してくれ!!」
俺の想いが伝わったのか、いつも以上に軽やかに抜けた剣は、辺り一面に金の光をまき散らす。そのキラキラとした輝きが、鹿の上にも、そして倒れて動かない狼の上にも降り注ぐ。
…雪鹿の瞳からはいつもの穏やかな薄紅色の光しか見えない。
ー雪鹿は元に戻ったのか?雪狼は??
俺は雪狼に駆け寄った。しかし、狼はピクリとも動かない。
「…そんな…俺、助けられなかったのか……」
ーー静かに見下ろす雪狼の体は白銀の毛に赤い血を滲ませている。その上にはまだ、微かに残る祝福のきらめきが木漏れ日を反射していた。
その風景が胸を締めつける。
「……俺が、もっと早く気づいてたら……」
その時、肩に大きな手が乗せられた。
「ねぇ、勇者様、あなた、カイルの事を怒っていて?」
「え?」
振り向くと、カイルは口元を噛み締めてこちらを見ている。
「…いいえ。俺のせいですから……」消えそうな小さな声で答えた。
「…アルト君」カイルが口を開いた。
「もし、また、同じ事が起きたら、俺は、また切り捨てる。俺の役目は君の安全を守る事だから…」
「そうね。アタクシ達はあなたを守る。そういう役目なのよ」
「……はい」
俺は、情けないな。自分の役目を理解できていなかった。バカだよね……
騎士たちに連れられて、雪鹿がトコトコとした足取りでこちらへ近づいてきた。
その姿はいつも通り、ただ大きいだけの綺麗な穏やかな鹿だ。
俺は鹿の首筋に手を伸ばして、優しく撫でた。
「……勇者様」
いつの間にか目の前に氷の王女様、シェラザード姫が立っていた。
「あなた様のお役目は、まだ終わりではございません。ここからが、あなた様の、勇者と聖剣の真の役割がございます」
「俺と聖剣の役目?祝福だけじゃなく?」
「……はい。祝福は、真の役割の準備に過ぎません。聖剣の真の役目は‥」
シェラザードは静かに俺の腰へ視線を落とした。
「その鞘――『ルーングリン』の力を使い、場を正すことです」
俺は驚いて周囲を見渡した。
団長もカイルさんもキャリング大臣も、みんなが驚いた顔をしている。
「失礼ですが、殿下、それはいったい……」
「そうね。アタクシ達も何も聞いてないわね」
シェラザードは静かに続ける。
「……聖剣の役割を知るのは我ら聖剣教会のみ。その鞘を守り、伝承を引き継いできました。…次の勇者が現れる時に、正しく聖剣の役割を渡せるように…と」
シェラザードの氷のようなアイスブルーの瞳が俺を見据える。
「勇者様。あなたは真実の勇者として、その聖剣と聖鞘を使いこなす意思はありますか?」
真実の役割。聖剣の真実の力。鞘に込められた力。
俺にはどれもよくはわからない。それでも、それが役目と言うなら…
「やります」
「アルト!軽々しく答えるな!」
ガレリア団長が即座に止めに入る。
「殿下。なぜ、最初から話しては頂けなかったのですか?」
「今、この場でアルトを試すようなやり方は承服いたしかねます」
キャリング大臣も太い腕を組んで難しい顔をしている。
「そうね、そこはアタクシも気になる。姫様…これでは勇者様に対して誠意が感じられないわ」
「では、場を鎮めずに立ち去りますか?…そうなれば、また魔素に侵されたモノが現れるだけです。人か動物か…」
俺はリーングリンの柄を強く握りしめた。
微かに剣はふるりと震え、重さが増した気がした。
「やらせてください!団長、キャ‥サリン様。俺、さっきみたいなのは、もう嫌なんです。だから!やります。どうやるか教えて下さい!」
シェラザードはスッと指先で泉を指さした。
「その泉から、魔素を感じます。おそらくは、そこが魔素溜まりです。勇者様。どうか鞘ごと剣を構えてください」
「鞘ごと?」
俺は腰から鞘に入ったままの聖剣を構えた。
「…そうです。聖剣の柄を握りしめ、『ルーングリン』に命じてください」
「この場の魔を遠ざけ、正せ…と」
俺は、しっかりと両手で剣を構え直した。
聖鞘「ルーングリン」お前が、この魔素溜まりを元に戻せるなら、頼む!元に戻してくれ!
「やれ!ルーングリン!」
ーーそう念じて剣を振り払った。
ドクン!
急に心臓を掴まれるような衝撃があった。
…何かが指先から抜けて…急激に体が冷えていく…
…な…に…寒い…足元に力が入らない…
その時。ルーングリンに嵌められた緑の石が強い光を放つ。
「う。眩しい!!」「わ。なんだこの光!!」
ーー周囲から人々が驚く声が聞こえる。
「アルト!」「アルト君!」
…ガレリアやカイルの声も聞こえる。
ーーその瞬間、視界は暗転し
俺は、そのまま意識を手放した。




